2017年5月21日日曜日

アリアドネから渡されてしまった糸

1995年1月17日は彼の37歳の誕生日である。この彼が誰であるかの憶測は一切お断りする。

一九九五年一月十六日は私の六十一歳の誕生日である。「ナルシス断章」は四十数年前、私が結核休学中に幼い翻訳を試みたヴァレリー最初の詩篇であった。私は再びこの詩に取り組んでいた。「今さらナルシスでもあるまい」と自嘲しながら四十数年前の踏みならし道をわりとすらすら通っていった。冒頭の一行が難所である。「いかにきみの輝くことよ。私の走る、その究極の終点よ」というほどの意味で、泉への呼びかけであるが、四〇年以上これ以上の訳を思いつかなかったと、「訳詩のミューズ」という目立たないミューズに謝って、えいやっと「水光る。わが疾走はついにここに終わる」とした。最後の一行を訳しおえて、睡眠薬の力を借りて眠った三時間後に地震がやってきた。(中井久夫「ヴァレリーと私」書き下ろし『日時計の影』所収、2008年)

彼の人生の最低点は37歳のときである。彼は中井久夫に1日遅れ、ニーチェに1年遅れととったことを悔やんでも悔やみきれないままでいる。

36歳のとき、わたしは、わたしの活力の最低点に落ちこんだーーまだ生きてはいたものの、三歩先を見ることもできなかった。当時――1879年のことだったーーわたしは、バーゼルの教授職を退いて、夏中まるで影のようにサン・モーリッツで過ごした。が、それにつづく、わたしの生涯でもっとも日光の希薄であった冬には、ナウムブルクで影そのものとして生きた。これがわたしの最低の位置だった。『さすらい人とその影』が、その間に生まれた。疑いもなく、わたしは当時、影とは何かをよく知っていたのである……(ニーチェ『この人を見よ』)

…………

1995年1月17日午前5時46分から

最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという。(……)私も眠っていた。私には長いインフルエンザから回復した日であった。前日は私の六一歳の誕生日であり、たまたまあるフランスの詩人の詩集を全訳して、私なりに長年の課題を果たした日でもあった。……

最初は覚醒前に「真っ白な夢」を見た。乳白色のスクリーンであって、これは精神分析においてもっとも退行した夢とみなされるものであるが、視覚的イメージのない悪夢の前駆であった。(……)地震の数日後から、妻が、覚醒前にうなされて大声をあげるのに気づいている。

私自身が、おそらく震後十日ごろから、悪夢を自覚するようになった。それは、透明な悪夢とでもいうべきもので、まったく内容がなく、ねじられ、よじられ、翻弄される体感感覚より成る悪夢だって、なかなか覚醒せず、私は非常に苦しんで、ようやく目ざめると時計は五時を少し回っていることが多かった。(……)

昼間の私は涙もろくなった、私の大学の学生が下宿で被災に、迫る火の中を攻めあぐむ救助隊に向かって「もういい、逃げてくれ、ありがとう」と言って死んでいったのを聞いた時には不覚にも泣いた。いっぽう、ふだんより声のオクターヴが高く、早口になっているのを感じた。しかし、躁状態といわれるのは何か不本意であった。むしろ、否定型精神病の興奮に近いと私は感じた。(……)

二月十一日(震後二五日、土)ハロペリドール二ミリ、エチゾラム四ミリえようやくはじめて五時間の深い眠りを得た。

このころ、一夜、石垣の上に多くの群衆に押しつぶされる夢をみた。しかし、ふわりとして、しかもしっかりした肉塊が私を圧死から護ってくれていた。もっとも、非常に苦しかった。

以後、夢は激流にもまれる透明な稚魚になった。私は稚魚であるが、どの一尾というのでもない。しかし、上に銀色に光る水面の天井から出られなくて苦しんだ。全体は依然透明であるが、かすかにピンクの混じる水色になった。(中井久夫「災害がほんとうに襲った時」『1995年1月・神戸』所収、1995年2月)

驚くべき文章である。この「災害がほんとうに襲った時」の最後にはこう書かれている。

私には、まだ不眠が続いており、昨夜はセパゾン四ミリによって一二時に就寝したが、早くも一時に醒めて以来ワープロを打ちつづけ、六時半から八時までベッドに横になっていた。しかし、これを書きおえることによって、私に好ましい変化が起こることを期待している。この書の完成は、たまたま神戸という災害の地にいあわせた私の義務と感じてきたからである。悪夢は再発しないままである。

《これを書きおえることによって、私に好ましい変化が起こることを期待している》--人はこの文章を次の文とともに読まなければならない。

言語化への努力はつねに存在する。それは「世界の言語化」によって世界を減圧し、貧困化し、論弁化して秩序だてることができるからである。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収 )

…………

アリアドネはご存じギリシャ神話の迷宮の王ミノスの娘で、迷宮の奥に怪物をさぐろうとするテセウスに、帰りの道に迷わないようにと糸を渡す。私がわざわざ「アリアドネからの糸」としたのは、その能力がないのに、準備不足なのに、糸を渡されてしまったという感覚をこめてのことである。あるいは、アリアドネからの糸をうかうかつかんでしまったといおうか。むしろアリアドネからの誘惑に私の中の何かがひそかに応じてしまったと告白すべきか。(中井久夫『アリアドネからの糸』「あとがき」1996年)

もはや明らかであろう、中井久夫にとってのアリアドネからの糸で何であるかは。《この第三エッセイ集がカヴァーする期間、すなわち1995年1月の阪神・淡路大震災から1996年10月の「こころのケアセンター」グループの第二次ロサンゼルス調査の責任者となるまでの2年足らずは、たしかに、私にとっての未知の、手なれていない、得手でない問題を何とか解こうとすることが多かった。》

巷間のほとんどの中井久夫論がひどく核心を外してしまっているのは、「分裂病」研究者としての中井久夫をいまだ強調し過ぎているからである。61歳以降の「トラウマ」の中井久夫が語られることがあまりにも少ない。フロイトがタナトス概念を公表したのは、64歳のときである。「タナトス」なしのフロイト、「快原理の彼岸」なしのフロイトなどどうしてありえよう? そして「トラウマ」なしの中井久夫などどうしてありえよう?

これらは、震災後、私が心身とともに‟復員”していなかった時期の作品である。作家の戦時中の作品に戦争と直接関係がないようにみえても「マルスの相のもとに書かれた」‟戦時下の作品らしさ”があるように、これらの長短さまざまのエッセイも、どこか震災の相をとどめているだろう。一種の冒険としての危うさがあり、学者の世界からは領域侵犯といわれるかもしれない。しかし、いっぽう、ほとんどすべては向こうからやってきた課題でもある。すなわち、この冒険には表に出ていない依頼者あるいは誘惑者がある。双方の接点に成りたったのが、これらのエッセイである。(『アリアドネからの糸』「あとがき」)

アリアドネからの糸とは、被災体験やPTSD患者の治療経験から来る糸だけではけっしてない。もっと大きく、外傷性記憶という迷宮からの糸である。それを端的に示しているのが、フラッシュバック的記憶(幼児型記憶)をめぐる「記憶について」(1996年)である(参照)。

そしてそのトラウマの穴・深淵を覗きこむことにより、自らのトラウマにも強く思いを致し、あるいはトラウマ治療において憔悴した。《おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。》(ニーチェ『善悪の彼岸』146節)

ここで深い井戸の底からの糸による憔悴を憶測させる2006年のエッセイ(『日時計の影』所収)から、引用しよう。

共感は、治療者にも基本的信頼の動揺と時間の停滞をもたらす。これは治療者の職場のあり方だけでなく、人によって程度はまちまちだが、全生活に深い影響を及ぼす。私はこれを破壊的にならない程度にとどめようとすれば、距離をおいて見守る姿勢になってしまう。……(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)
最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)

あるいは 2000年の論にはこうある。

外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。

しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。素質による程度の差はあるかもしれないが、どのような人でも、残虐ないじめや拷問、反復する性虐待を受ければ外傷的記憶が生じる。また、外傷を受けつづけた人、外傷性記憶を長く持ちつづけた人の後遺症は、心が痩せ(貧困化)ひずみ(歪曲)いじけ(萎縮)ることである。これをほどくことが治療戦略の最終目標である。 (中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

中井久夫は被災体験・外傷患者治療において、原トラウマと言わずにも、みずからの外傷性記憶にあきらかに襲われている。

阪神・淡路大震災は私の中の何かを変えた。地面が揺れたごときで何が変わるかと自分に言いきかせたのは今から思えば笑止であった。

まず、私は沈黙している患者の側に何時間でもいるという精神科医にとって不可欠な能力をまだ回復していない。三十年以上続けられていたこのことができなくなった。私は一九九七年春に病院を定年で退くからおそらく回復の機会はないだろう。これは高揚状態というか躁状態で地震に続く事態に対応した後遺症ではないかと思う。

いっぽう、私は患者のこころの傷に敏感となった。幼年時代の虐待や学校でのいじめを受けた過去が現在に働いているのを察知するのに敏速になった。過去の過酷な体験のフラッシュバックに今も苛まれている患者がいかに多いか。(中井久夫「私の「今」」1996年8月初出『アリアドネからの糸』所収)

わたくしは上の文を(まずは)次の文とともに読む。

笑われるかもしれないが、大戦中、飢餓と教師や上級生の私刑の苦痛のあまり、さきのほうの生命が縮んでもいいから今日一日、あるいはこの場を生かし通したまえと、“神”に祈ったことが一度や二度ではなかったからである。最大限度を、“神”に甘えて四十歳代にしてもらった。この“秘密”をはじめて人に打ち明けたのは五十歳の誕生日を過ぎてからである。(中井久夫「知命の年に」初出1984年『記憶の肖像』所収) 

…………

たとえば『アリアドネからの糸』に所収されているヴァレリー論は、一見トラウマと関係がないようにみえる。だが《作家の戦時中の作品に戦争と直接関係がないようにみえても「マルスの相のもとに書かれた」‟戦時下の作品らしさ”がある》。

詩人は、1920年以来の才女カトリーヌ・ボッジとの出会いによって、「1892年に切り捨てたもの(エロス)が彼女の唇によって落雷のように彼を襲う」のを感じ、1929年の最終的な別れまで間歇的に熱烈であって常に不安定な関係を続ける。その期間は「セミラミス」が『旧詩帖』と『魅惑』との双方に入られている期間に対応する。ボッジは詩人に対する知的および感情的な支配者、情け知らず、科学実験と哲学体系制作に没入する「空中庭園」作者であって、まことにセミラミスのごとき人である。ひょっとすると、彼を雷撃のように震撼させたのは単なる男女の愛ではなくて、彼女が過去の「セミラミス」幻想の現実化、すなわち、幻想が肉体をまとって現れたのが彼女だったからかもしれない。「セミラテス」が『魅惑』から最終的に追放されるのが、ボッジとの最終的な精神的訣別と同じ1929年なのは偶然でなかろう。(中井久夫「脳髄の中の空中庭園」1996年4月「ユリイカ」)

このエッセイはヴァレリーの「私の恐ろしい女主人」(ニーチェ)をめぐって書かれているれている。

いとしい光の糸、ああ、曙の初の光がさしそめてこのかた……肉体が張っているあの何よりも強くしなやかな横糸を超えて向こう側にお出になり、むなしいほどの無力な努力を重ねてついに無限を汲みつくし……(ヴァレリー「セミラミスのアリア」中井久夫訳)

誤解のないように付け加えておくが、カトリーヌ・ボッジが女主人であるわけではない。語られるトラウマは二次受傷であり、その底に原トラウマとしての「女主人」がいる。あるいは原母が。

フロイトの新たな洞察を要約する鍵となる三つの概念、「原抑圧 Urverdrängung」「原幻想 Urphantasien(原光景 Urszene)」「原父 Urvater」。

だがこの系列(セリー)は不完全であり、その遺漏は彼に袋小路をもたらした。この系列は、二つの用語を補うことにより完成する。「原去勢 Urkastration」と「原母 Urmutter」である。(ポール・バーハウ1999, Paul Verhaeghe, Does the Woman exist?ーー原母・女主人・母なる超自我

だがより具体的に「女主人」や「原母」とは何か。ひとつの鍵としては「母語」にかかわる、と私は思う。

言語発達は、胎児期に母語の拍子、音調、間合いを学び取ることにはじまり、胎児期に学び取ったものを生後一年の間に喃語によって学習することによって発声関連筋肉および粘膜感覚を母語の音素と関連づける。要するに、満一歳までにおおよその音素の習得は終わっており、単語の記憶も始まっている。単語の記憶というものがf記憶的(フラシュバック記憶的)なのであろう。そして一歳以後に言語使用が始まる。しかし、言語と記憶映像の結び付きは成人型ではない。(中井久夫「記憶について」)
私のいう「深部構造」とはチョムスキーの概念とはちょっと違っている。文法の深部構造だけが問題ではない。音調、抑揚、音の質、さらには音と音との相互作用たとえば語呂合わせ、韻、頭韻、音のひびきあいなどという言語の肉体的部分、意味の外周的部分(伴示)や歴史、その意味的連想、音と意味との交響、それらと関連して唇と口腔粘膜の微妙な触覚や、口輪筋から舌筋を経て舌下筋、喉頭筋、声帯に至る発生筋群の運動感覚( palatabilityとはpalate 口蓋の絶妙な感覚を与えるものであって私はこの言葉を詩のオイシサを指すのに使っている)、音や文字の色感覚を初めとする共感覚がある。さらに非常に重要なものとして、喚起されるリズムとイメジャリーとその尽きせぬ相互作用がある。 (中井久夫「訳詩の生理学」『アリアドネからの糸』所収)
人間は胎内で母からその言語のリズムを体に刻みつけ、その上に一歳までの間に喃語を呟きながらその言語の音素とその組み合わせの刻印を受け取り、その言語の単語によって世界を分節化し、最後のおおよそ二歳半から三歳にかけての「言語爆発」によって一挙に「成人文法性 adult grammaticality」を獲得する。これが言語発達の初期に起こることである。これは成人になってからでは絶対に習得して身につけることができない能力であると決っているわけではないけれども、なまなかの語学の専門家養成過程ぐらいで身につくものではないからである。

それを疑う人は、あなたが男性ならば女性性器を指す語をあなたの方言でそっと呟いてみられよ。周囲に聴く者がいなくても、あなたの体はよじれて身も世もあらぬ思いをされるであろう。ところが、三文字に身をよじる関西人も関東の四文字語ならまあ冷静に口にすることができる。英語、フランス語ならばなおさらである。これは母語が肉体化しているということだ。

いかに原文に通じている人も、全身を戦慄させるほどにはその言語によって総身が「濡れて」いると私は思わない。よい訳とは単なる注釈の一つの形ではない。母語による戦慄をあなたの中に蘇えらせるものである。「かけがえのない価値」とはそういうことである。(同「訳詩の生理学」)

中井久夫のいう「母語」や「喃語 lalation」とは 、ラカンの「ララング lalangue」概念に近似している(参照:愛の享楽回帰(リトルネロ))。

真のトラウマの核は、誘惑でも、去勢の脅威でも、性交の目撃でもない。…エディプスや去勢ではないのだ。真のトラウマの核は、言葉 la langue(≒ララング)との関係にある。(ミレール、1998 "Joyce le symptôme" )

中井久夫の母語あるいは喃語をめぐる思考は、実は被災体験以前から始まっている。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。(中井久夫「「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底」1994年初出『家族の深淵』)

阪神大震災被災をへてこの思考が活性化したと言ってよい。

ーーさらに言えば、『徴候・記憶・ 外傷』(2004年)に初出ヘルメス1990年を隔てて14年後にようやく所収されている二つの論、「世界における索引と徴候」、「「世界における索引と徴候」について」がこの思考の始まりとして決定的だとわたくしは思うが、今はそれに触れない。

中井久夫は《人間は胎内で母からその言語のリズムを体に刻みつけ》あるいは《母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる》ことを強調している。これは、わたくしの知る限り、現代ラカン派のなかでさえそう語っている人はいない。だが、母語に囚われるのが母胎内からであるのは、言われてみれば当然である。

いずれにせよ「わたしの最も静かな時刻 meinestillsteStunde」には、《くらがりにうごめく幼虫》(プルースト)のようなララングの声ーー「リトルネロとしてのララング」ーー、あるいはニーチェの女主人の「声なき声」がきこえてくる場合があるはずである。《…そのとき、声なき声がわたしに語った Dann sprach es ohne Stimme zu mir「おまえはそれを知っているではないか Du weisst es」》ーー《このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。》(ツァラトゥストラ)ーーいやこの経験が一度もない人は幸せ者である・・・
ラカンは後年、眼差しと声を対象aの主要な化身として分離した。しかし彼の初期理論は眼差しが疑いようもなく特権化されている。だが声はある意味ではるかに際立ち根源的である。というのは声は生命の最初の顕現ではないだろうか?自身の声を聴き、人の声を認知する経験、これは鏡像における認知に先行するのではないか?そして母の声は最初の〈他者〉との問題をはらむつながりではないか?臍の尾に取って換わる非物質的な絆であり、最初期の生のステージの運命の多くを形作るものではないか?(ムラデン・ドラー  『Gaze and Voice as Love Objects』私訳)

これをめぐっては中井久夫の「詩の基底にあるもの」があまりにも優れている。それは「話す身体と分裂病的享楽」に詳細引用してある。

ここでもうひとつのエッセイから断片を引用しておこう。

母子の時間の底には無時間的なものがある。母の背に負われ、あるいは懐に抱かれたならば、時間はもはや問題ではなくなる。父子にはそれはない。父親と過ごす時間には過ぎゆくものの影がある。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」2003年初出『時のしずく』所収)

このエッセイには、胎内にいるときからの《母子関係の物質的コミュニケーション》の可能性、《味覚、嗅覚、触覚、圧覚などの世界の交歓》、あるいは《母の心音が乱れると、胎児の心音も乱れるのは知られているとおり》ともある。聴覚が、エロスの原型のひとつなのである。

私は、性の世界を胎内への憧れとは単純に思わない。しかし、老年とともに必ず訪れる、性の世界への訣別と、死の世界に抱かれることへのひそかな許容とは、胎内の記憶とどこかで関連しているのかもしれない(中井久夫「母子の時間、父子の時間」)

…………

最後に、中井久夫が「思い出すままにほとんどすべてを列挙する」として記述される幼児型記憶を掲げる。

(1)「誰かの背に背負われて、青空を背景に、白い花を見上げている」

これはそういう写真がないし、話題になったこともない。もっとも、「誰か」は祖父であるがこれは後の推定である。白い花は「アカシア」であると知っていて、それは聖心女学院小林分校への道のアカシア(正確にはニセアカシア)の並木道であるが、いずれも映像ではなく後から加わった命題記憶である。私は六〇年後に行ってみた。わずかに一〇メートルほどのあいだ、ニセアカシアの老木が残っていた。

(2)「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」

イチジクは映像の中にはない。裏庭にイチジクの木が何本も生えていたのは言語(命題)記録である。

(3)「ハコベの生えているところで太陽に向かって祖父と深呼吸をしている。祖父が「新鮮な空気を吸う」と言い、私が真似をしている」

記憶には、裏庭にはハコベが生えていたという映像がある。他にいろいろのものがつけ加わっているが、それらは命題記憶だけで、映像を欠いている。

(4)「窓から田んぼをへだてて向こうを走る自動車を眺めて数えている」

これは武庫川の堤であるというのは、消去法によって生まれた結論であると思われる。「田んぼ」には視覚的に初めから焦点が合っておらず、したがって季節は不明である。

(5)「応接セットがあってカンバスで覆われたまま、二つ横並びにしてある。そのあいだのひじかけにオモチャの機関銃を据えて撃つマネをしている。「わあ、かなわん。降参」と母方の祖父が言っている」

声ははっきりしない。応接セットであるというのも命題記憶である。並んだ椅子の肘かけだけが視覚映像である。機関銃を祖父からおみやげに貰ったというのも、命題記憶であろうと思われる。

(6)「ベランダのようなところから川の流れをみている。向こうに民家、その向こうに山」

これは宝塚遊園地の建物(大劇場か)にあった武庫川に臨む「納涼台」という屋外で軽食を食べさせるところから武庫川を眺めているのであろう。この時かどうか、ここの(と思おう)「キツネウドン」の味を覚えている。

(7)「人間が細く映る鏡や太って映る鏡に自分を映している」

これも宝塚の建物の中であると推定できる。

(8)「天井に鈴蘭灯が揺れている。天井は白い。鈴蘭灯はくもりガラスで、縁は金色」

これは阪急電車の車内に立っていて、大人の乗客のあいだから見上げた天井であろう。「阪急電車」というのは消去法である。

(9)「雑然とした茶褐色の家並みの間の道でおばさんが「ぼっちゃん、じろーじゃ」と言っている。私は「ちがう、じどうしゃ」と言い返す」

これは、命題記憶によって、母親の郷里の村のメインロードであり、おばさんが「森本さん」という人だと知っているが、映像の中には手掛かりはない、こういって私をからかって笑っている場面であることは確かである。

(10)「どこかの階段。木がまだ新しい。陽が照っている」

これは時も場所も状況も全然見当がつかない(この背後には大きな家族問題が隠れているかもしれない)。そういう記憶映像がいくつかある。朝日新聞が東京-ロンドン間を飛行させた「神風号」のニュース映画を観に行ったはずなのに、覚えているのはパラシュート降下する人の映像で「神風号は落ちたはずはないのに」と思ったとか。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)

これが中井久夫の幼児型記憶(外傷性記憶)である。

PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)
外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収ーー侵入・刻印・異物

わたくしの偏った読みーー人によれば「妄想的」と呼ぶ方々もいるだろうーーでの核心は二番目の「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」である。行ったり来たりするイチジクである。




迷宮の人間は、決して真理を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ Ein labyrinthischer Mensch sucht niemals die Wahrheit, sondern immer nur seine Ariadne –(ニーチェ断章、 1882-1883、KSA 10ーー「正午、「一」は「二」となる」)

原トラウマとは、大文字の母 (m)Other に受動的ポジションに置かれることにかかわる。ラカンがフロイトの遺言と呼んだ『終りある分析と終りなき分析』(1937年)に出現する「受動的立場 passive Einstellung」に置かれることである。すくなくともわたくしはそう考えている。

フロイトには《経験された無力の(寄る辺なき Hilflosigkeit)状況を外傷的状況と呼ぶ》《母を見失うという外傷的状況 Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter》( フロイト『制止、症状、不安』1926年 )という表現があるとともに《誘惑者 Verführerin はいつも母である》(『新精神分析入門』1933年)、《母は、子どもにとっての最初の「誘惑者」になる》(『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)という表現がある。

行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ?(ラカン、セミネール5、15 Janvier 1958)
(最初期の母子関係において)、母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?…母は崩落するdéchoit……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能(の母) omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、セミネール4、12 Décembre 1956)

これは母なる《オルギア(距離のない狂宴)》(中井久夫)の状況でもある。《母の法 la loi de la mère…それは制御不能の法 loi incontrôlée…分節化された勝手気ままcaprice articuléである》(Lacan.S5、22 Janvier 1958)。母は両義的存在なのである。最初の愛の対象への両義性は、われわれに生涯影響を与える。ゆえに《われわれは他者を憎むことを愛する。あるいは他者を愛するを憎む》(ポール・バーハウ、2005、Sexuality in the Formation of the Subject)

…………

現代フロイト・ラカン派のなかで、突出したトラウマ研究者ポール・バーハウの見解は、 「原母・女主人・母なる超自我」にいくらか示した。そして中井久夫もバーハウも、いまではほとんど忘れられてしまっているフロイトの「現勢神経症」概念に注目していることを注記しておこう。
現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核であり、そして最初の段階である。(フロイト『精神分析入門』1916-1917)

※詳細は、ホロコースト生存者の子供たちのPTSD)を見よ。

ニーチェや中井久夫、すなわち最も静かな刻限における「私の恐ろしい女主人meiner furchtbaren Herrin 」との遭遇を経験したものが問いをめぐらす核心のひとつは、イチジクの実である。あるいはフロイトが「夢の臍 Nabel des Traums」「菌糸体 mycelium」「真珠貝の核の砂粒 das Sandkorn im Zentrum der Perle」「欲動の根 Triebwurzel」「我々の存在の核 Kern unseres Wesen」等々 と呼んだものである。

ラカン用語なら、「サントーム sinthome」--つまり原症状 Ursymptom(還元不能の症状 Il n'y a aucune réduction radicale)ーー、あるいは「身体の出来事 un événement de corps」「一のようなものがある Y'a d'l'Un」等々と呼んだものであり、これらはすべて「原トラウマ Urtrauma」にかかわる語彙群である。別にS(Ⱥ)、あるいは Lⱥ femme とも書かれる。S(Ⱥ)とは、Ⱥ(トラウマ)のシニフィアンということである。トラウマとは別に穴ウマとも呼ばれる。

我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋めるために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を作る。

nous savons tous parce que tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. Là où il n'y a pas de rapport sexuel, ça fait « troumatisme ». (ラカン、S21、19 Février 1974 )

S(Ⱥ)、あるいは Lⱥ femme は「原穴の名」と呼ばれるものでもある。

〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)

実は《誰もがトラウマ化されている tout le monde est traumatisé》(ミレール、2013-2014セミネール )のである。

聖書でイエスがイチジクを呪ったことになっているのは、何の真意であったかは、よく知られている・・・そもそも究極の迷宮がなんであるかは、誰もが(無意識的であれ)知っているはずである・・・

女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。したがって不気味なもの Unheimliche とはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの Heimische、昔なじみのものなの Altvertraute である。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴 Marke der Verdrängung である。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)
誕生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、すなわち睡眠欲動が生じたと主張することは正当であろう。睡眠は、このような母胎内への回帰である。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)



ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女性のある形態の光景、彼女のヴェールが落ちて、唯一ブラックホール trou noir のみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。(ラカン, « Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir »,Écrits, 1966)

いずれにせよ《精神分析は入り口に「女性というものを探し求めないものはここに入るべからず」と掲げる必要はありません。というのも、そこに入ったら幾何学者でもそれを探しもとめるのです。》(ミレール「もう一人のラカン」)

そして誤解のないようにつけ加えておくが、《「他の性 Autre sexs」は、両性にとって女性の性である。「女性の性」とは、男たちにとっても女たちにとっても「他の性 Autre sexs」である》(ミレール、Jacques-Alain Miller、The Axiom of the Fantasm)。

ルー・アンドレアス・サロメというアリアドネの化身を愛した二人の詩人は、ともにイチジクを歌っている。もっともすべての女にアリアドネの影は落ちているのであるが。

いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北風だ。

このようにいちじくの実に似て、これらの教えは君たちに落ちかかる。さあ、その果汁と甘い果肉をすするがいい。時は秋だ、澄んだ空、そして午後――(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)
いちじくの樹よ、すでに久しい以前からおんみはわたしに意味深いのだ、
いかにおんみは花期をほとんど飛び越えて、
遅疑することなく決意した果実のなかへ、
世の声高い賞讃もうけず、おんみの清純な秘密を凝集することか。
噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』)