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2019年2月5日火曜日

岡崎乾二郎「賛」

岡崎乾二郎の立場は、芸術制作においても芸術批評においても現在に至るまで、次のものだろう。

岡崎乾二郎)……だから、ぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。(共同討議「『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」『批評空間』 第3期第2号, 2001)


この岡崎の立場を浅田彰は、少なくとも1990年代以降、称揚し続けている。

浅田彰)…美共闘か村上隆か、「美共闘」の歴史主義かポストモダン消費社会の歴史否定かというのは不毛な対立にすぎない。個人的に言うと、いわばその中間に隠れている岡崎乾二郎が圧倒的に重要だと思うんです。[…]アーティストとしても、ああいう理論的な人は世界的にはほとんど受け入れられない。日本人アーティストが理論的に考えるなどということは認められないので、アニメのパロディでもやってないと受け入れられないわけですよ。だとすれば、批評はまずそういう人存在にこそ焦点を当てるべきではないか。(浅田彰・椹木野衣対談「新世紀への出発点」)

岡崎乾二郎の理知的な批評という相は、高橋悠治に始まった反小林秀雄の立場であり(参照)、これについては1990年の大江健三郎との対談で浅田彰は明瞭に語っている。

浅田:批評的立場を選んだからには、徹底して明晰であろうとすべきでしょう。僕は奇妙な形で文学にひかれています。妙に小器用で、他のジャンルのことはよく分かったような気がするのに、文学はどうしても隅々まで理解できない。ただ、そういう不可解なものを語るとき、それをまねるのではなく、明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい。それが、自分にとって本当に分からないものの発見につながると思っていますから。

大江:浅田さんには「自分は単なる明晰にすぎない」という、つつましい自己規定があるんですね。明晰な判断力ではとらえきれないものがあって、それは明晰さより上のレベルだと思っていられる。天才というようなものが働くレベルというか。文学というあいまいな場所で生きている人間からすると、上等な誤解を受けている気がします・・・・・・(笑い)。

浅田:ところが不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ることに終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそう空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)


浅田は、《戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫》と言っているが、岡崎乾二郎もたぶん戦後の芸術界で最も明晰なんだろう。で、「芸術制作者としての岡崎乾二郎の貧困」と浅田彰はなぜ言わないんだろ?

《小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかり》の時代への反動としての理知的「批評」にそれほど文句をつけるつもりはないが(オベンキョウとしてはそれでいいんだろう)、制作者の態度としてあれでいいんだろうかね、ほんとに。いま、まったく門外漢として言うが。要するに《明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまっ(た)》芸術制作ってありなんだろうか? 

ラカンに壺作りの話があるが、たぶん可能なのはそのセンだろうな。

現実界の中心にある空虚の存在 existence de ce vide au centre de ce réel をモノ la Choseと呼ぶ。この空虚は…無rienである。

…壺作り職人potierは、彼の手で空虚の周りに壺を創造する crée le vase autour de ce vide avec sa main (ラカン、S7、27 Janvier 1960)
壺は穴を創造するものである。その内部の空虚を。芸術制作とは無に形式を与えることである。創造とは(所定の)空間のなかに位置したり一定の空間を占有する何ものかではない。創造とは空間自体の創造である。どの(真の)創造であっても、新しい空間が創造される。

別の言い方であれば、どの創造も覆い(ヴェール)の構造がある。創造とは「彼岸」を創り出し暗示する覆いとして作用する。まさに覆いの織物のなかに「彼岸」をほとんど触知しうるものにする。美は何か(別のもの)を隠蔽していると想定される表面の効果である。(ジュパンチッチ1999、 Alenka Zupančič、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan, 1999)

とはいえ、《明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまっ(た)》とは「精神の中流階級」の態度だ。その態度に居残ったままで真の創造行為ができるもんなんだろうか?

学者というものは、精神の中流階級に属している以上、真の「偉大な」問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』1882年)


精神の中流階級から離反するとは、中井久夫によれば「退行」することだ。

何人〔じん〕であろうと、「デーモン」が熾烈に働いている時には、それに「創造的」という形容詞を冠しようとも「退行」すなわち「幼児化」が起こることは避けがたい。…

思い返せば、著述とは、宇宙船の外に出て作業する宇宙飛行士のように日常から離脱し、頭蓋内の虚無と暗黒とに直面し、その中をさしあたりあてどなく探ることである。その間は、ある意味では自分は非常に生きてもいるが、ある意味ではそもそも生きていない。日常の生と重なりあってはいるが、まったく別個の空間において、私がかつて「メタ私」「メタ世界」と呼んだもの、すなわち「可能態」としての「私」であり「世界」であり、より正確には「私 -世界」であるが、その総体を同時的に現前させれば「私」が圧倒され破壊されるようなもの、たとえば私の記憶の総体、思考の総体の、ごく一部であるが確かにその一部であるものを、ある程度秩序立てて呼び出さねばならなかった。(中井久夫「執筆過程の生理学」初出1994年『家族の深淵』所収)


ところで岡崎、浅田などが批判した小林秀雄はこう言っている。

人々は批評といふ言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいふことを考へるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいふものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考へる、さういふ風に考へる人々は、批評といふものに就いて何一つ知らない人々である。

この事情を悟るには、現実の愛情の問題、而もその極端な場合を考へてみるのが近道だ。(小林秀雄「批評について」)

※より詳しくは、 「こんなに恥ずかしいこと言うやついるのか」(浅田彰)。

小林秀雄の立場とはムッシュー・クロッシュの立場だな。

(ムッシュー・クロッシュ曰く)作品を通して、それらを生み出させた様々な衝動や、それらが秘めている内的な生命を見ようとするんです。めずらしい時計かなぞのように作品を分解することで成り立つ遊びより、ずっと面白くはありませんか ? (『ドビュッシー作曲論集 反好事家八分音符氏』)

小倉朗もこう言っている、《バッハの作品を見て、それが理論的であり、規則に厳格であると人はしばしば感嘆する。しかし、理論的であり、規則に厳格だからバッハの音楽が美しいと考えたら嘘になろう》(ツイッターbot)。

たとえば浅田は岡崎の作品に衝動力を感ずることあるんだろうかね。優等生として形式的には頑張ってるんだろうけど(繰り返せば門外漢として言わせてもらえば)岡崎の作品は、ネット上の画像を見る限りでは、おおむね退屈だな。カンセイユタカナ浅田くんはきっとちがうだろうけどさ。

フロイトは巧みに書いてる、理知的な態度と創造者の態度の相違を。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(フロイト「W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」1907年)

岡崎や浅田のいう形式的態度に徹してしまえば、《無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け》ることにおろそかになりがちなんじゃないだろうか。

すこし飛躍して言わせてもらえば、なんでもパララックスなんだから、そろそろ揺り戻しが必要なんじゃないか。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」)

つまり批評世界で、理知論がドミナントになってしまったのだから、そろそろ衝動論を復活させるべきじゃないのか。貧乏人は小林秀雄の真似するな! なんてケチなこと言わないでさ。

ショボい理知的批評ばっかりだよ、いまでは。たとえば田中純が岡崎乾二郎の新著『抽象の力』の書評してるがね、「谺する言語」「谺するかたち」と。で、どうした?と言いたくなるね。

ダニエル・ヘラー=ローゼンの『エコラリアス──言語の忘却について』(関口涼子訳、みすず書房、2018)…。「エコラリアス」とは「谺する言語」の意味であり 、そこで谺となるのはそれ自体としては消滅して忘れ去られた言語、たとえば、言葉を話すようになる前に 幼児が発する雑音めいた喃語である。喃語の谺はオノマトペや或る言語の発話者が別の言語を模倣しようとするときの「異言語の音」、あるいは感嘆詞のほか、人間ではないものを人間が模倣しようとして発する音声のうちに聞き取れる、と著者は言う──「言語は、それ自身の音から離れ、言葉を持たない、あるいは持ち得ないものの音、すなわち動物の鳴き声、自然や機械の出す音を引き受ける時にこそもっとも言葉そのものになりうる」。この表現を借りれば、「抽象の力」とは「具象的イメージがそれ自身の形態から離れ、 形態を持たない、あるいは持ち得ないものの形態」になったときの形態の力ではないだろうか。幼児用遊具や玩具とは「人間ではないものを人間が模倣しよう」とするときに手がかりとする事物ではないか。つまり 、抽象とは「谺するかたち」ではないだろうか。(田中純「谺するかたち ──岡崎乾二郎『抽象の力』、ダニエル・ヘラー=ローゼン『エコラリアス 』2018年)

遡求的に「谺する言語」と「谺するかたち」への認識に至ってゆく方法なんだろうが、人間の原体験はもともと「谺する言語」と「谺するかたち」だよ。前者は「母の言葉の永遠回帰」、後者は「ロスコとプロトパシー」にメモがある。

そもそも幼児が《視力が1.0になるには、3歳頃まで時間を要する》そうだからな(参照:寺師恵子「赤ちゃんの視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の不思議な発達!」)。

母の乳房だってロスコの作品のように見えてる筈さ、われわれの原感覚においてはね。




ーーすこし人は幼児化もしくは退行したら、最初の世界はこのようなものだとワカルハズだけどね・・・

で、なぜ原感覚ーー原初の視覚映像における「唯物論的」な「身体の出来事」--が「谺するかたち」であることに気づかないんだろ? たぶんやっぱり「精神の中流階級」のせいなんだろうよ、「精神の貴族階級」なんて言わなくとも、一度でもいいから「精神の下層階級」になったらーー蓮實重彦のいう「凡庸」から「愚鈍」に移行したらーーすぐ分かることなんだがな。

そう、たとえばフーコーのように。

じっと耳を傾けて、世界のあのつぶやきのほうへかがみこみ、けっして詩とならなかったあの多くのイマージュ、けっして覚醒状態の色調をおびなかったあの多くのファンタスムを知覚する努力をしなければならないだろう。(フーコー『狂気の歴史』)

そう、たとえばドゥルーズ が言うように。

われわれは、無理に contraints、強制されて forcés、時間の中でのみ真実を探求する。真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である 。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは、天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらくは創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密な圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともの、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章


つまりはプルーストのように。

未知の表徴 signes inconnus(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴 signes en relief)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。

だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。

しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー génie〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。ただ、口実は断じて芸術のなかにはいらないし、意図は芸術にかぞえられない、いかなるときも芸術家はおのれの本能に耳を傾けるべきであって、そのことが、芸術をもっとも現実的なもの réel、人生のもっとも厳粛な学校、そしてもっとも正しい最後の審判たらしめるのだ。そのような書物こそ、すべての書物のなかで、判読するのにもっとも骨の折れる書物である、と同時にまた、現実réalité がわれわれにうながした唯一の書物であり、現実 réalité そのものによってわれわれのなかに「印刷=印象 l'impression」された唯一の書物である。

人生がわれわれのなかに残した思想が何に関するものであろうとも、その思想の具体的形象、すなわちその思想がわれわれのなかに生んだ印象の痕跡は、なんといってもその思想がふくむ真理の必然性を保証するしるしである。単なる理知のみのよって形づくられる思想は、論理的な真実、可能な真実しかもたない、そのような思想の選択は任意にやれる。われわれの文字で跡づけられるのではなくて、象形的な文字であらわされた書物、それこそがわれわれの唯一の書物である。といっても、われわれが形成する諸般の思想が、論理的に正しくない、というのではなくて、それらが真実であるかどうかをわれわれは知らない、というのだ。

印象だけが、たとえその印象の材料がどんなにみすぼらしくても、またその印象の痕跡 trace がどんなにとらえにくくても、真実の基準となるのであって、そのために、印象こそは、精神によって把握される価値をもつ唯一のものなのだ、ということはまた、印象からそうした真実をひきだす力が精神にあるとすれば、印象こそ、そうした精神を一段と大きな完成にみちびき、それに純粋のよろこび pure joie をあたえうる唯一のものなのである。

作家にとっての印象は、科学者にとっての実験のようなものだ、ただし、つぎのような相違はある、すなわち、科学者にあっては理知のはたらきが先立ち、作家にあってはそれがあとにくる。われわれが個人の努力で判読し、あきらかにする必要のなかったもの、われわれよりも以前にあきらかであったものは、われわれのやるべきことではない。われわれ自身から出てくるものといえば、われわれのなかにあって他人は知らない暗所 l'obscurité qui est en nous et que ne connaissent pas les autres から、われわれがひっぱりだすものしかないのだ。(プルースト「見出された時」)


というわけだが、岡崎乾二郎の「抽象の力」ーー豊田美術館ーーのとってもかっこいいフライヤーについて書こうとしたんだけど、ま、やめとくよ。これは「批評としては」まったく悪くない、とシロウトのぼくは感じているだけだから、たいしたことが言えるわけではない。





ボクがなにやら記すより、プルーストでも貼り付けておくほうが、よっぽどためになるからな。

【批評の遊戯】
・昔から、一つの作品が完全に理解され勝利を博するころには、まだ無名の、べつの作家の作品が、一段と気むずかしい何人かの知識人のまわりに、新しい礼讃をまきおこしはじめ、やがて強い威力をほとんど失ってしまった有名作家にとってかわらなかったためしはめったにない。

・私は知っていた、――あまりにも長期にわたってかがやかしい名声を博していたものを闇に投じたり、決定的に世に埋もれるように運命づけられたかと思われたものをその闇からひきだしたりする批評の遊戯なるものは、諸世紀の長い連続のなかで、単にある作品と他の作品とのあいだにのみおこなわれるものではなく、おなじ一つの作品においてさえもおこなわれるものであることを。(……)天才たちがあきられたというのも、単に有閑知識人たちがそれらの天才たちにあきてしまったからにすぎないのであって、有閑知識人というものは、神経衰弱症患者がつねにあきやすく気がかわりやすいのに似ているのである。(『ゲルトマントのほうⅡ』)


【株の値上がり】
……証券取引所で一部の値あがりの動きが起きると、その株をもっているグループの全体がそれによって利益を受けるように、これまで無視されていた何人かの作曲家たちが、この反動の恩恵を受けるのであった、それは彼らがそのような無視に値しなかったからでもあるし、また単にーーそんな彼らを激賞することが新しいといえるのであればーーただ彼らがそのような無視を受けたからでもあった。

さらにまた人々は、孤立した過去のなかに、何人かの不羈独立の才能を求めにさえ行くのであった、現在の芸術運動がそれらの才能の声価に影響しているはずはないように思われたのに、新しい巨匠の一人が熱心に過去のその才能ある人の名を挙げるといわれていたからであった。それはつまり、一般に、誰でもいい、どんな排他的な流派であってもいい、ある巨匠が、彼独自の感情から判断し、自分の現在の立場を問わずにどこにでも才能を認めるということ、また才能とまでは行かなくても、彼の青春の最愛のひとときにむすびつくような、彼がかつてたのしんだ、ある快い霊感といったものを認めるということ、しばしばそういうことによるのであった。(プルースト 「ソドムとゴモラⅠ」)


【自分でやりたかったと思ったことを過去の作品に見出す】
またあるときは、自分でやりたかったと思ったことにあとでその巨匠が次第に気づくようになった、そんな仕事に似た何かを、べつの時代のある芸術家たちが、何気ない小品のなかですでに実現していた、ということにもよるのである。そんなとき、その巨匠は、古い人のなかに先覚者を見るのであって、巨匠は、べつの形による一つの努力、一時的、部分的に自分と一心同体の関係にある努力を、古い人のなかで愛するのである。

プッサンの作品のなかにはターナーのいくつかの部分があるし、モンテスキューのなかにはフローベールの一句がある。そしてときにはまた、その巨匠の好みが誰それであるといううわさは、どこから出たとも知れずその流派のなかにつたえられた一つのまちがいから生まれたのだ。しかし、挙げられた名がたまたまその流派の商号とちょうどうまくだきあわされてその恩恵を受けることができたのは、巨匠の選択には、まだいくらかの自由意志があり、もっともらしい趣味もあったのに、流派となると、そのほうはもう理論一辺倒に走るからなのである。

そのようにして、あるときはある方向に、つぎには反対の方向に傾きながら、脱線しそうになって進むというそんな通例のコースをたどることによって、時代の精神は、いくつかの作品の上に天来の光を回復させたのであって、そうした諸作品にショパンの作品が加えられたのも、正当な認識への欲求、または復活への欲求、またはドビュッシーの好み、または彼の気まぐれ、またはおそらく彼が語ったのではなかった話によるのである。人々が全面的に信頼感を抱いていた正しい審判者たちによって激賞され、『ペレアス』がひきおこした賞賛によって恩恵を受けながら、ショパンの作品は、ふたたび新しいかがやきを見出したのであった、そして、それをききなおさないでいた人たちまでが、どうしてもそれを好きになりたくなり、自分の自由意志かれではなかったのに、そうであったような幻想にとらえられて、それを好きになるのであった。(プルースト 「ソドムとゴモラⅠ」)

以上、『抽象の力』を読んでいない者が記した衝動的「印象批評」でした。みなさん、けっしてマネをしないでください!

⋯⋯⋯⋯

※付記

岡崎乾二郎が美術展フライヤーで《物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける》とか、『抽象の力』冒頭で《人が感覚を超えて把握し認識している対象のリアルかつ確実な姿》とか言っているのは、ボクの憶測と、この半年ぐらい、ラカンのボロメオ結びのヴァリエーションとして使っているスキーマで言えば、∅の箇所(身体の出来事、あるいはリビドー固着、表象代理)に相当するんじゃないかな。



(モノ、自我、言語の円は、ラカン用語では、それぞれ現実界、想像界、象徴界)

ようするに多くの芸術作品、あるいは今までの鑑賞法は、モノから時計の針と反対まわり(⤴)で自我まで来ていたけれど(言語的、物語的、フェティッシュ的に)、抽象芸術の本質は、モノから「身体の出来事」をとおして直接、自我に来るもの、その鑑賞を促すものとしているんじゃないか(いま、岡崎乾二郎の『抽象の力』を読んでいない人間としてテキトウに言っていることを念押ししておくけど)。

∅(身体の出来事)とは、ラカン=フロイトの表象代理 Vorstellungsrepräsentanz だ。

世界が表象 représentation(vótellung)になる前に、その代理représentant(Repräsentanz)ーー私が意味するのは表象代理 le représentant de la représentationであるーーが現れる。 (ラカン, S13, 27 Avril 1966)

これはニーチェ図式でも相同的(参照





2016年2月13日土曜日

生垣の「結び目をほどく」詩人

ラカンの「科学的言説のなかに穴を開ける現実界」«Réel qui fait trou dans le discours scientific » (Lacan,séminaire, livre XVIII).とは「象徴界のなかに穴を開ける現実界」« Réel qui fait trou dans le symbolique »と言い換えられる。

これは、言ってしまえば、欲望(象徴界)の垣根に穴を開ける享楽(現実界)のことだ。

ラカン理論における現実界と象徴界のあいだの関係は、いっそう首尾一貫した観点を提示してくれる。彼のジャー(壺)の隠喩は、ひとが分析の手間を省くことができないことの、より鮮明な例証となる(Lacan, The Ethics of Psychoanalysis : Seminar VII)。ラカンによれば、陶器作りのエッセンスは壺の面を形作ることではない。これらの面がまさに創り出すのは空虚なのであり、うつろの空間なのだ。壺は現実界における穴を入念に作り上げ探り当てる。このエラボレーション(練り上げること)とローカリゼーション(探り当てること)が、正統的な創造に相当する。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.、Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq)
神話において禁止の形式をとるものは、元来、失われたものです。禁止は失われたものについての神話です。「享楽の垣根における欲望の災難[Mesaventure du desir aux haies de la jouissance]」 とラカンが上品に呼んでいるのはこれです。欲望が享楽に向かって進もうとするときはいつでも、それはトカゲの尻尾のように落ちます[ca tombe]。これが-φの素晴らしい表現であり、また、対象a の表現でもあることを認めなければなりません。対象a とは、すなわち、空虚を埋める失われた対象です。また、ここで「同一化は欲動を満たすことなしに欲望によって決定される」とラカンが言うとき、フロイトの第二局所論についてのラカンの読みがその真価を発揮します。

欲望と欲動は混同されてはならない二つの異なった秩序なのです。(ジャック=アラン・ミレールーー「欲望と欲動(ミレールのセミネールより)」)

よく知られているように? 西脇順三郎もほとんど同じことをいっている。言語(象徴界)の垣根に穴を開ける「永遠=詩」と。

人生の通常の経験の関係の世界は
あまりいろいろのものが繁茂してゐて
永遠をみることが出来ない。
それで幾分その樹を切りとるか、
また生垣に穴をあけなければ
永遠の世界を眺めることが出来ない。
要するに通常の人生の関係を
少しでも動かし移転しなければ、
そのままの関係の状態では
永遠をみることが出来ない。(西脇順三郎「詩情」)

西脇順三郎の垣根に穴を開ける仕方とはたとえばこんな具合である。

旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃

ーー西脇順三郎「旅人かへらず」

この象徴界のなかのいっけん淡々とした詩の運びの中途であらわれる「ああかけすが鳴いてやかましい」に震えないでいられる人がもしいるなら、享楽不感症というものである。

これは何も西脇順三郎だけではない。すぐれた詩人たちはそのことをとっくの昔から知っている(参照:神々しいトカゲ)。たとえば、谷川俊太郎の「詩の擁護又は何故小説はつまらないか」には、こうある。

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに

ごめんね

エリオットは、詩の意味とは、「読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだ」と言っているが、これも生垣に穴をあけるのと同じことをいっている。

谷川俊太郎を重ねて引用すれば「意識のほころび」とはそのことだ。

詩はなんというか夜の稲光りにでもたとえるしかなくて
そのほんの一瞬ぼくは見て聞いて嗅ぐ
意識のほころびを通してその向こうにひろがる世界を

「理想的な詩の初歩的な説明」より 

反哲学者、反科学的言説のラカンの《哲学的存在論と平行して動いている存在の「裏面 l'envers 」にて--、パラ存在(横にずれてあること[être à côté]) 》(参照)も、これらのヴァリエーションであるに相違ない。


このことが、かりに無意識的にせよ分かっているのは、なにも詩人たちだけではない。すぐれた「芸術家」たちは当然わかっている。

……だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。(岡崎乾二郎ーー共同討議「『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」『批評空間』 第3期第2号,2001ーー「得体の知れないものは形式化の行き詰り以外の何ものでもない」)

この文を、たとえば、ジジェクの現実界の説明と「ともに」読んでみよう。ほとんど同じことを言っているのが分かるだろう。

ラカンにとって、現実界は、形式的論理を通してのみ、明示されうる。それは、直接的な方法ではなく、論理的形式化の袋小路を通してのみ、否定的に示されうる。すなわち、現実界は、裂け目・対立 antagonism の見せかけのなかにのみ、見分けうる。現実界の根源の地位は、障害物の地位である。現実界は、失敗の不在の原因ーーそれ自身のなかに、どんなポジティブな存在論的一貫性もない原因であり、しかし、その効果 effects を通してのみ/効果のなかにのみ、顕れるものである。簡潔に言えば、人は現実界を形式化しようと努め、失敗する。そして、現実界はこの失敗である。これが、ラカンの現実界において、対立物が合致する理由だ。つまり、現実界は、象徴化できないものであると同時に、この象徴化を邪魔する障害物である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012,私訳)

ここで忘れてはならない肝腎なことは、象徴界にのみ汲々とする科学的言説や哲学的言説などは無意味であるなどと思い込み、無闇に詩や芸術を顕揚してしまうマヌケにならないことだ。詩や芸術は、科学的言説の支配があってはじめてその効果を生む。それは、あくまで象徴界の生垣の「結び目を解く」作用をもたらすのであり、科学的言説や哲学的言説がなければもともこうもない。

哲学によって支えられた伝統的な存在論は、ある程度は、超えがたいものだ。パラ存在論は、その名がはっきり示しているように、哲学的存在論を打ち負かしたり揚棄するものではない。哲学的存在論が…無意味だとして、それを除去しようとする動きを装っているのでさえない。(……)そうではなく、パラ存在論はむしろ、哲学的存在論の「全体化への欲望」を弁証する(結び目を解く unsuture)のだ。そして、文字の偶然性と物質性を指差し、その裏面 envers を暴く。……(Lorenzo Chiesa、2014ーー「僕らしい」(ボククラシー je-cratie)哲学者たち)


ーーというわけで、オレは還暦近くになってようやくこんなことに気づいたよ、いささか遅すぎたな。とはいえ、フロイトの「死の欲動」は60歳時の仕事だし、ラカンの「享楽」も事実上、60歳以降だからな、真の「詩人」という例外の種族以外は、この年頃に気づくのさ


…………

※附記

オクシモロンも、象徴界に穴を開けるひとつの手法だろう。

修辞学で言うオクシモロンoxymoronという言葉は、語源の上ではギリシャ語で「鋭い」を表すoxyと「愚か」の意味のmOrosとが結びついたもので、「無冠の帝王」とか「輝ける闇」などの表現のように、通念の上では相反する、あるいは結びつき難い意味を持つ二つの言葉が結びつき、ぶつかりあいながら、思いがけない第三の意味を生み出すという一つの表現技法である。撞着語法とも、矛盾語法とも呼ばれる。(安永愛「 ポール・ヴァレリーのオクシモロンをめぐって」)

【シェイクスピアの例】

ああ喧嘩しながらの恋 、ああ恋しながらの憎しみ、ああ無から創られたあらゆるもの、ああ心の重い浮気、真剣な戯れ、美しい形の醜い混沌、鉛の羽根、輝く煙、燃えない火、病める健康、綺麗は汚い、汚いはきれい……


【ヴァレリーの例】

魅惑の岩、豊かな砂漠、黄金の闇、さすらふ囚われびと、おぞましい補ひ合ひ、昏い百合、凍る火花、世に古る若さ、はかない不死、正しい詐欺、不吉な名誉、敬虔な計略、最高の落下(以上、中井久夫訳ヴァレリー『若きパルク 魅惑』巻末の「「オクシモロンー覧表」」


「海辺の墓地」の鳩歩む海だって、その冒頭一連がオクシモロンのようなものだ。

鳩歩む この静かな屋根は
松と墓の間に脈打って
真昼の海は正に焔。
海、常にあらたまる海!
一筋の思ひの後のこの報ひ、
神々の静けさへの長い眺め 

最終連になって、鳩は、三角帆の漁船(foc)であることが知れる。

風が起こる……生きる試みをこそ
大いなる風がわが書(ふみ)を開き、閉じ、
波は砕けて岩に迸る!
飛び去れ、まこと眩ゆい頁(ページ)!
砕け、高波、昂(たか)まる喜びの水で
三角(さんかく)の帆がついばんでゐた静かな屋根を! (中井久夫訳)





2015年7月12日日曜日

くらがりにうごめく「得体の知れないもの」

《批評というものが不可能になったとか、力がなくなったとか言われるけれども、僕の理屈では、むしろ消費者や素人ほど批評家であらざるをえない。(略)彼らがデータとして頼りにできるものは、最低限、自分の身体的な反応しかないわけで、それに対して疑いを持ちつつ、どうそれを解釈、判断し、それに賭けるか。それが日常生きていく上で常に強いられる。これは基本的に批評の原理そのものでしょう。》(岡崎乾二郎)

レストランを選ぶのだって「批評」だからな、
日々ひとは「批評」を生きている
では女を選ぶのは? 
あれは選ぶのではない、唐突にくる
あれは「批評」ではない、あれだけは違う。

では音楽に惚れるのは?
やっぱり「得体の知れないもの」のせいだよ
あなたのなかにあってあなた以上のものせいだよ
対象aのせいだよ

――男性のファンタジーはどんな具合なのですか?

最初の一瞥で愛が見定められることがとても多いのです。ラカンがコメントした古典的な例があります。ゲーテの小説で、若いウェルテルはシャルロッテに突然の情熱に囚われます、それはウェルテルが彼女に初めて会った瞬間です。シャルロッテがまわりの子どもたちに食べ物を与えている場面です。女性の母性が彼の愛を閃かせたのです。ほかの例をあげましょう。これは私の患者の症例で次のようなものです。五十代の社長なのですが、秘書のポストの応募者に面接するのです。二十代の若い女性が入ってきます。いきなり彼は愛を表白しました。彼はなにが起こったのか不思議でなりません。それで分析に訪れたのです。そこで彼は引き金をあらわにしました。彼女のなかに彼自身が二十歳のときに最初に求職の面接をした自分を想いおこしたのです。このようにして彼は自分自身に恋に陥ったのです。このふたつの例に、フロイトが区別した二つの愛の側面を見ることができます。あなたを守ってくれるひと、それは母の場合です。そして自分のナルシシスティックなイメージを愛するということです。(ミレール 「愛について」(Jacques-Alain Miller: On Love:We Love the One Who Responds to Our Question: “Who Am I?”より

女の愛はどうだって?
そんなことしるか、オレは女じゃない

でもものづくりの側はそんなことを言っていてもはじまらない
惚れ続けているのならやはりその形式性に眼を配らなくちゃ

……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

《くらがりにうごめくはっきりしない幼虫》に震えるのはいいさ
だが《せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった》のに
どうして惚れるのか、どうしてあれが《思いも設けなかった友人》になるのか

欲望の対象と欲望の対象-原因(対象a)のギャップというのは決定的なんだな、その特徴が私の欲望を惹き起こし欲望を支えるんだから。この特徴に気づかないままでいるかもしれない。でも、これはしばしば起っていることだが、私はそれに気づいているのだけれど、その特徴を誤って障害と感じていることだね。たとえば、誰かがある人に恋に落ちるとする、そしてこう言うんだな、「私は彼女をほんとうに魅力的だと思う、ただある細部を除いて。――それが私は何だかわからないけれど、彼女の笑い方とか、ジェスチュアとかーーこういったものが私をうんざりさせる」。でもあなたは確信することだってありうるんだ、これが障害であるどころか、実際のところ、欲望の原因だったりするのを。欲望の対象-原因というのはそのような奇妙な欠点で、バランスを乱すものなのだけれど、もしそれを取り除けば、欲望された対象自体がもはや機能しなくなってしまう、すなわち、もう欲望されなくなってしまうのだ。こういったパラドキシカルな障害物だ。(“Conversations with Ziiek”(Slavoj Zizek and Glyn Daly)私訳)

◆捨てられた女中さん(シュワルツコフ)




……ヴォルフの歌曲、私は自分の好きな曲に数えて良いかどうか、知らない。嫌いというのではないが、これをきいていて楽な気持、楽しい気持になったことは、ほどんどないのである。

しかし、歌の中のある部分、ある旋律の描く線、あるいは伴奏と歌の声部とのからみあいの具合、そこから生まれてくる和声の流れ、時々きいていて気がつくフレーズの組立ての不規則さの非常な微妙さ、それから言葉を旋律にのせる上での比類をみないほどの精緻なリズムの扱い、音楽全体の歩みの中から放射されてくる光と影の移行の仕方、あるいは交錯の仕方の霊妙さ……こういったものの中には、私をひきつけてはなさないものがあるのは事実である。

そうして、彼の歌は、まるで思いがけない時に、私を襲う。いや、襲うというのは少し強すぎる言葉だ。しかし、まるでちがうことをしている時、私は自分の耳の中で、彼の「音」、彼の「ふし」が鳴っているのに気がつくのである。

こんなわけでヴォルフで、私にいちばん親しいのは、彼の歌の全体というより、細部であり、音楽の中のある局面である。そこでは彼の歌は、ほかにくらべるもののないくらい、美しい。しかも、その美しさは、何かぞっとするような妖気を含んでいることが多い。(吉田秀和「ヴォルフ 《アナクレオンの墓》『私の好きな曲』1977)

さて何の話だったかーー
形式性の話だったな

岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》

これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》(岡崎乾二郎に関するテキスト 古谷利裕

◆シンポジウム「日本近代絵画の核心」(浅田彰・岡崎乾二郎・高島直之・松浦寿夫)についての古谷利裕氏のまとめ(2004)より

…松浦氏が、「鏡」という比喩を持ち出し、我々が観ることが出来るのは「鏡像」のみであって「鏡」そのものは観られない、という岡崎氏の発言に触れる。そして、鏡像を成立させている物であるにも関わらず観ることの出来ない「鏡」そのものを、なんとか露呈させようとするのがモダニズム=リアリズムの営みなのではないかと口にした後、たんに「鏡像」と戯れているだけの日本的なポップに対する強い嫌悪を表明する。

それに対し浅田氏が、クールベの「現実的アレゴリー」という言葉を引きつつ、イメージというのは結局アレゴリーとしてしかあり得ず、それはクールベにおいてもそうなのであって、問題はそのような鏡像 (アレゴリー)でしかないものを確信犯的に使いつつ、どうそれを「現実的」なものにまで突き抜けさせることが出来るのかという点にあるのであって、だからポップであること(マンガみたいであること)は、近代美術の規定的な条件としてあるのではないか、と応じる。

さらに岡崎氏は、絵なんていうものはどう描いても結局マンガみたいにしかならず、そのことは少しでも絵をまともに描いたことのある奴なら知っているはずで、だからこそ逆に、絵をろくに知らない奴こそが平気で「あえてマンガ的なものを導入した」などと言うのであって、そんなことを言う奴はマンガに対して失礼だ、と、かなり強い調子で言い、しかし同時に、例えばデュシャンや熊谷守一が、自分の作品が意図せざるスキャンダルを起こして評判になってしまうと嫌になって作品の発表をやめてしまう、というような意味でのポピュリズムへの断固たる拒否(観客を選ぶという態度)が、モダニズムにははっきりとあるのだということも言う。

このマンガの話はなにも絵画だけではないので
あらゆる芸術はマンガからはじまる
《それを「現実的」なものにまで突き抜けさせる》形式を探さなくちゃ

鑑賞者だけであるなら、「得体のしれないもの」やら「深淵」やらと言っていればいいさ
(オレもどちらかというとすこしまえまではその口だったが)
ーーああなんと深い!、なんとデモーニッシュだ! やらと
くりごとのように言っていればいいさ、
マヌケまるだしでな

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」)

じつはラカンのJA→JȺ ってのもこれにかかわるのさ
深淵派から表層派(表面のズレ)に
超越的から超越論的に、な

最後のラカンにとって、現実界は、象徴界の「内部にある」ものである。Dominiek Hoensと Ed Pluth のカント用語にての考察を捕捉すれば、人は同じように、最後のラカンは現実界の超越的概念から、超越論的概念に移行した、と言うことができる。 ( Lacan Le-sinthome by Lorenzo Chiesa)
われわれは「現実界の侵入は象徴界の一貫性を蝕む」という見解から、いっそう強い主張「現実界は象徴界の非一貫性以外のなにものでもない」という見解へと移りゆくべきだ。(ZIZEK『LESS THAN NOTHING』2012)

"Le Reel est à chercher du côté du zéro absolu" (Lacan, Seminar XXIII)
《現実界は全きゼロの側に探し求められるべきだ。》

これが比較的後期の仕事だと思われているラカンのセミネールⅩⅩ(アンコール)から
セミネールⅩⅩⅢ(サントーム)における転回(移行)さ

現実界という「得体のしれないもの」は
形式の非一貫性にしかない
わかるか? そこの「深淵派」のボウヤよ

物自体はアンチノミーにおいて見い出されるものであって、そこに何ら神秘的な意味合いはない(柄谷行人ーー「超越論的享楽(Lorenzo Chiesa)」)

《現実は現実界のしかめっ面である》(ラカン『テレヴィジョン』)

現実は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界である。そして現実界は、この象徴的な空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être)

とはいえ、オレが深淵派に徹したっていいだろ
寿命がつきるまじかの鑑賞者だからな
いまさら音楽を分析するなんてとんでもないぜ

「ああ、なんと深いのでしょう!」

バーンスタインは、音楽における意味を四種のレベル、すなわち

1)物語的=文学的意味 
2)雰囲気=絵画的意味 
3)情緒反応的意味 
4)純粋に音楽的な意味 

に分類したうえで、 
4)だけが音楽的な分析を行うに値すると述べて、
「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、
その周囲に寄生虫のように生じた、
音楽以外のもろもろの観念ではない」とする

おまえ、若いうちから「寄生虫」派やるなよ



2014年12月23日火曜日

坂口安吾と小林秀雄

小林は骨董品をさがすやうに文学を探してゐる。そして、小さな掘出し物をして、むやみに理屈をつけすぎ、有難がりすぎてゐる。埃をかぶつて寝てゐる奴をひきだしてきて、修繕したり説明をつけて陳列する必要はないのである。西行だの実朝の歌など、君の解説ぬきで、手ぶらで、おつぽり出してみたまへ。何物でもないではないか。芸術は自在奔放なものだ。それ自体が力の権化で、解説ぬきで、横行闊歩してゐるものだ。(坂口安吾「通俗と変貌と 」初出:「書評 第二巻第一号」1947(昭和22)年1月1日発行)
小林秀雄は、作家は何を書いたか、といふことよりも、何を書かなかつたか、といふことの方に意味があるといふ。そんな馬鹿げた屁理窟があるものか。(同上)

小林秀雄がどこでこういっているのかは分からないが、たぶんニーチェ起源ではないか。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。……すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』 289番)

だがいまは小林秀雄の話ではない。坂口安吾の小林秀雄ヤッツケ文の話だ。

あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないやうな味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。(「教祖の文学――小林秀雄論――」初出:「新潮 第四四巻第六号」1947(昭和22)年6月1日発行)
花鳥風月を友とし、骨董をなでまはして充ち足りる人には、人間の業と争ふ文学は無縁のものだ。(同上)

安吾の作品はいままでわずかしか読んだことがなく、だがついこのところそのかなりのものを読んでみた。青空文庫に440作品あまりあるものは目を通した。といっても長い小説や探偵小説の類はかなりすっとばして掠め読むというイイカゲンな読み方にすぎないが、安吾に今でも愛着をもつ作家たちがいるのはよく分かる気がしてきた。また「教祖の文学」以外にも、小林秀雄をヤッツケているのを知ったのはようやくこの機会のことだ。

ところで、「教祖の文学」には次の文がある。

だから坂口安吾といふ三文々士が女に惚れたり飲んだくれたり時には坊主にならうとしたり五年間思ひつめて接吻したら慌ててしまつて絶交状をしたゝめて失恋したり、近頃は又デカダンなどと益々もつて何をやらかすか分りやしない。もとより鑑賞に堪へん。第一奴めが何をやりをつたにしたところで、そんなことは奴めの何物でもない。かう仰有るにきまつてゐる。奴めが何物であるか、それは奴めの三文小説を読めば分る。教祖にかゝつては三文々士の実相の如き手玉にとつてチョイと投げすてられ、惨又惨たるものだ。

ところが三文々士の方では、女に惚れたり飲んだくれたり、専らその方に心掛けがこもつてゐて、死後の名声の如き、てんで問題にしてゐない。(「教祖の文学」)

これは安吾の自伝的小説のいくつかの叙述にかかわるのだろう。たとえば「二十七歳」。以前、「坂口安吾と童貞」というメモにいくつかの自伝小説から抜き出したのだが、「教祖の文学」は、以前に読んでいたにもかかわらず、上の叙述のことはすっかり失念していた。

その接吻の夜、私は別れると、夜ふけの私の部屋で、矢田津世子へ絶交の手紙を書いたのだ。もう会ひたくない、私はあなたの肉体が怖ろしくなつたから、そして、私自身の肉体が厭になつたから、と。そのときは、それが本当の気持であつたのかも知れぬ。その時以来、私は矢田津世子に会はないのだ。彼女は死んだ。そして私はおくやみにも、墓参にも行きはしない。

その後、私は、まるで彼女の肉体に復讐する鬼のやうであつた。私は彼女の肉体をはづかしめるために小説を書いてゐるのかと疑らねばならないことが幾度かあつた。私は筆を投げて、顔を掩うたこともある。(坂口安吾「二十七歳」)

 さてここで再度「教祖の文学」から拾う。

常に物が見えてゐる。人間が見えてゐる。見えすぎてゐる。どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。そして、見て、書いただけだ。それが徒然草といふ空前絶後の批評家の作品なのだと小林は言ふ。これはつまり小林流の奥義でもあり、批評とは見える眼だ、そして小林には人間が見えすぎてをり、どんな思想も意見も、見える目をくもらせず彼を動かすことはできない。彼は見えすぎる目で見て、鑑定したまゝを書くだけだ。
生きてゐる奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリ/\のところを這ひまはつてゐる罰当りには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。芸術とはさういふものだ。歴史の必然だの人間の必然などが教へてくれるものではなく、偶然なるものに自分を賭けて手探りにうろつき廻る罰当りだけが、その賭によつて見ることのできた自分だけの世界だ。創造発見とはさういふもので、思想によつて動揺しない見えすぎる目などに映る陳腐なものではないのである。

 このように書いているのは以前から印象に残っていた。これは、その批評のスタイルとしては、後に高橋悠治や蓮實重彦、岡崎乾二郎などによる小林秀雄批判の嚆矢のようなものだ。

批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。(高橋悠治『小林秀雄「モオツァルト」読書ノート』1974年
……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会 い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批評宣言』所収
岡崎乾二郎)どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。(グリーンバーグ講義ノート1

 これらの批判が胸に染みている世代の作家たちは、センチメンタルやメロドラマに陥ることを避けようとし、また花鳥風月に耽溺し「人間の業」に我関せずの文章を恥じるようになった時期があるのかもしれない。

ところで明らかに安吾派であるだろう中上健次の友人柄谷行人はこう言っている。

文学の地位が高くなることと、文学が道徳的課題を背負うこととは同じことだからです。その課題から解放されて自由になったら、文学はただの娯楽になるのです。それでもよければ、それでいいでしょう。どうぞ、そうしてください。それに、そもそも私は、倫理的であること、政治的であることを、無理に文学に求めるべきでないと考えています。はっきりいって、文学より大事なことがあると私は思っています。それと同時に、近代文学を作った小説という形式は、歴史的なものであって、すでにその役割を果たし尽くしたと思っているのです。(柄谷行人『近代文学の終り』)

今の若い人びとの多くには思いもよらぬかもしれないこの発言、あるいはたいした文学読みではないが、日本文学のなかで5人選ぶとするなら、永井荷風と西脇順三郎がどうしても欠かせないわたくしのような人間にも、おい、柄谷さん!と呟きたくなる発言なのだが、これはおそらく、日本のある時期には、文学者が思想家の役割を担ったことへのノスタルジーの言葉としてあるとすることができるかもしれない。

比喩的にいえば、日本では哲学の役割まで文学が代行し、中国では文学さえも哲学的になったのである。(加藤周一『日本文学史序説』)

さてここでもう一度安吾に戻れば、彼は小林秀雄について次のように書いてもいるのだ、《僕自身は尊敬し、愛する人のみしかヤッツケない。僕が今までヤッツケた大部分は小林秀雄に就てです》と。

私は雑誌はめつたに読まない性分だから、新人などに就て何も知らず差出口のできないのが当然なのだが、戦争中「現代文学」といふ同人雑誌に加はつていたので、平野謙、佐々木基一、荒正人、本多秋五などといふ評論家を知つてゐた。みんな同人だつたからだ。さもなければこれら新鋭評論家に就て、その仕事に就て、概ね無智の筈であつた。福田恆存などといふ傑れた評論家に就ても一ヶ月前までは名前すら知らなかつた。たまたま、某雑誌の編輯者が彼の原稿を持つてきて、僕にこの原稿の反駁を書けといふ。読んでみると僕を無茶苦茶にヤッツケてゐる文章なのだ。けれども、腹が立たなかつた。論者の生き方に筋が通つてゐるのだから。それに僕は人にヤッツケられて腹を立てることは少い。編輯者諸君は僕が怒りんぼで、ヤッツケられると大憤慨、何を書くか知れないと考へてゐるやうだけれども、大間違ひです。僕自身は尊敬し、愛する人のみしかヤッツケない。僕が今までヤッツケた大部分は小林秀雄に就てです。僕は小林を尊敬してゐる。尊敬するとは、争ふことです。(坂口安吾「花田清輝論」)

では、荷風や漱石、志賀直哉を無茶苦茶にヤッツケたのは、あれはどうなるのだろう。

(おそらくそのうち続く)


…………

※附記:坂口安吾による小林秀雄への親しみのこもった文章をいくらか抜いておく。

川端康成さんの碁が同じように腕力派で、全くお行儀が悪い。これ又、万人の意外とするところで、碁は性格を現すというが、僕もこれは真理だと思うので、つまり、豊島さんも川端さんも、定石型の紳士ではない腕力型の独断家なのでお二人の文学も実際はそういう風に読むのが本当だと思うのである。

 更に万人が意外とするのは小林秀雄で、この独断のかたまりみたいな先生が、実は凡そ定石其ものの素性の正しい碁を打つ。本当は僕に九ツ置く必要があるのだが、五ツ以上置くのは厭だと云って、五ツ置いて、碁のお手本にあるような行儀のいゝ石を打って、キレイに負ける習慣になっている。

 要するに小林秀雄も、碁に於て偽ることが出来ない通りに、彼は実は独断家ではないのである。定石型、公理型の性格なので、彼の文学はそういう風に見るのが矢張り正しいと私は思っている。

 このあべこべが三木清で、この人の碁は、乱暴そのものゝ組み打ちみたいな喧嘩碁で、凡そアカデミズムと縁がない。(「文人囲碁会」)
フツカヨイをとり去れば、太宰は健全にして整然たる常識人、つまり、マットウの人間であった。小林秀雄が、そうである。太宰は小林の常識性を笑っていたが、それはマチガイである。真に正しく整然たる常識人でなければ、まことの文学は、書ける筈がない。(「不良少年とキリスト」)
私が精神病院へ入院したとき小林秀雄が鮒佐の佃煮なんかをブラ下げて見舞いにきてくれたが、小林が私を見舞ってくれるようなイワレ、インネンは毛頭ないのである。これ実に彼のヤジウマ根性だ。精神病院へとじこめられた文士という動物を見物しておきたかったにすぎないのである。一しょに檻の中で酒をのみ、はじめはお光り様の悪口を云っていたが、酔いが廻るとほめはじめて、どうしても私と入れ代りに檻の中に残った方が適役のような言辞を喋りまくって戻っていった。「安吾巷談 07 熱海復興」
小林さんと私とのツキアイと云えば、そういうところで、酔っぱらッて、からんだり、からまれたりしていただけのことだ。特別のツキアイというものはなかった。いくらか印象に残っているのは、ウィンザアの横の道で小林さんと並んで立小便していて、小林さんだけ巡査につかまった。巡査が、お前は何をしていた、という。住所姓名を名のれ、という。何を云われても彼は答えない。そこで私が、この男は拙者の友達で二人は目下並んで立小便をしていたのだ、というと巡査はそうかと云って立ち去った。彼の頭髪ボウボウたる和服姿が左翼とまちがわれたのだろう。

また、私が越後の親戚へ法要に赴くとき、上野駅で彼に会った。彼は新潟高校へ講演に行くところであった。彼は珍しくハカマをはいていた。私は人のモーニングを借り着していたのである。

 大宮から食堂車がひらいたので、二人で飲みはじめ、越後川口へつくまで、朝の九時から午後二時半まで、飲みつづけたね。二人ともずいぶん酔っていたらしい。越後川口で降りるとき、彼は私の荷物をひッたくッて、急げ急げと先に立って降車口へ案内して、私を無事プラットフォームへ降してくれた。ひどく低いプラットフォームだなア。それに、せまいよ。第一、誰もほかに降りやしない。駅員もいねえや。田舎の停車場はひどいもんだと思っていたが、バイバイと手をふって、汽車が行ってしまうと、私はプラットフォームの反対側の客車と貨物列車の中間に立たされていたのだね。私がそこへ降りたわけじゃなくて、彼が私をそこへ降したのである。親切に重い荷物まで担いでくれてさ。小林さんは、根はやさしくて、親切な人なんだね。(「小林さんと私のツキアイ」)