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2014年12月27日土曜日

嫌煙運動、あるいは「憎むことを愛する」

……「汝の隣人を愛せ!」 ラカンにとって、隣人とはリアル(現実界)だ。(……)ポイントは「汝の隣人を愛せ!」という命令は、まさに隣人のトラウマを避けるための方法だということだね。……

――それは「地獄からの隣人」と呼ばれるTV番組を想い起こさせます。……

地獄からの隣人! なんて素晴らしい表現なんだ。すこしだけそれに付け加えさせてもらうよ。とりわけこの現在、私は断言したくなるのだが、すなわち寛容やら隣人愛等々の押しつけがましい説教の類のすべては究極的には隣人と遭遇を避けるための戦略だ、と。私の好みに事例をあげるなら、喫煙だ、……私が疑っていること(医学的にさえ問題だと思っていること)は、受け身の喫煙、ーーそこでの焦点は非喫煙者がいかに影響を被るかという考え方なんだ。私が思うには、ここで真に論点となっているのは、喫煙を通して、自己破壊的な方法で、あまりにも熱心に自ら享楽している〈他者〉たちがいるということなんだ、そして人はそれが耐えがたいのだ。ここにあなたはもっとも純粋な形での侵入的な隣人、――過度に自己享楽している隣人を見ることができると思うよ。(『ジジェク自身によるジジェク』私意訳)

このジジェクの喫煙の議論を額面通り受取る必要はない。たとえば寿司屋のカウンターで飲食中、隣席の人物が煙草を吸っていれば不快であるのはマジョリティの感覚だろう。ただし世間に蔓延りつつある過剰な喫煙嫌悪運動は、どこかそれとはことなった領域の心理的メカニズムが働いているのではないか、という問いを発してみる必要が偶にはあるには違いない。

たとえば「煙草について、現在気になること、心掛けていらっしゃることがありますか。」とのアンケートに対する蓮實重彦の回答は、その世間の風潮(ここでは千代田区の条例にかかわるが)への反発を示している。

喫煙について意識的になるのを避けるために、「気になること」や「心掛けること」は持たないことにしていますが、千代田区で吸ったわけではない吸殻をわざわざ千代田区の歩道に捨ててまわるときなど、やはり何かを「心掛けている」のかも知れません。(「ユリイカ」2003)

 これはなにも喫煙だけにかかわらない。ジジェクが指摘するように、自己破壊的な方法で、あまりにも熱心に自ら享楽している他者にわれわれは耐えがたい。たとえば数日前、大橋仁という写真家へのツイッター上での反発をめぐっていささか記したが(「写真の本質の飼い馴らし、あるいは白痴が微笑む世界」)、あそこには単に社会規範に反することをする「芸術家」への庶民的正義派の苛立ちだけではない、より「無意識的な」反発があるのではないかと疑うことができる。それはジジェクの見解では、〈隣人〉という他者の享楽が耐えられないということになるのだが、レイシズムやいじめなども同じメカニズムをもっている。

われわれは他者=隣人のなかにある些細な細部が気になって仕方がない。

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118)


上の文は対象aをめぐって書かれているが、対象aとは、《あなたのなかにあってあなた以上のもの》のことであり、かつ対象aには〈私〉が書き込まれている。これは隣人の享楽に大きくかかわる。そもそもラカンの享楽(=剰余享楽〔対象a〕)とは、マルクスの剰余価値の読解から生れたもので、剰余享楽の「剰余」とは、《何か「正常」で基本的な享楽に付け加わったという意味での剰余ではない。そもそも享楽というものは、この剰余の中にのみあらわれる。すなわち、それは本質的に「過剰」なのである。その剰余を差し引いてしまうと、享楽そのものを失ってしまう。同様に、資本主義はそれ自身の物質的条件をたえず革新することによってのみ生き延びるのであるから、もし「同じ状態のままで」いたら、もし内的均衡を達成してしまったら、資本主義は存在しなくなる。したがって、これこそが、資本主義的生産過程を駆動する「原因」である剰余価値と、欲望の対象−原因である剰余享楽との、相同関係である。》(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)


…………

以下は冒頭の文の「汝の隣人を愛せ」のフロイトーラカン派の基本的な捉え方を記しておこう。

「汝の隣人を汝自身の如く愛せ!」 とはフロイトが『文化のなかの居心地の悪さ』で詳細な記述をしたことでよく知られているが、そこでは《隣人(Nächste)を我がことのように愛するなどということが、どうしてわれわれの義務とされなくてはならないのか?》をめぐっている。

われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在であるばかりでなく、 われわれを誘惑して、 自分の攻撃本能を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手をその同意をえずに性欲の道具として使用し、相手の持物を奪い、相手を貶め、苦しめ、虐待し、殺害するようにさせる存在でもあるのだ。 (フロイト著作集 3, P469)

ラカンはセミネールⅦ(「精神分析の倫理」)でこの文章を取り出し次のように言っている、《もし私が諸君にどこからこのテクストを抜き出してきたのかあらかじめ告げていなかったとしたら、これはサドのテクストだと言って通すこともできたかもしれない。 》(SVII, 217

《サド(サン=フォン)  「もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう」》(澁澤龍彦訳)

フロイトが、まるで恐れをなしたかのように、隣人愛の掟がもたらす帰結の前で立ち止まるたびに、浮かび上がってくるもの、それはこの隣人のうちに宿るあの深い悪意の現前にほかならない。ところが、そうであるとすれば、この悪意は私自身のうちにも宿っている。いったいどんなものが、私の享楽の核心であるところのこの私自身のうちの核心以上に、私に近しいというのか? ただし私は、この核心にあえて近づこうとはしない。というのも、私がそれに近づくやいなや――それこそが『文化のなかの居心地悪さ』の意味である――あの測深しがたい攻撃性が現れてくるからであり、私はそれを前にして後ずさりし、それを私自身に向け直すのである。そうすると、この攻撃性は、消え入ってしまった〈法〉にまさに代わって、 〈物〉の限界にあるひとつの境界線を私が踏み越えることを妨げるものに、重さを与えにやってくるのである。 (ラカンSVII, 219)
何よりも毒性が高いのは〈隣人〉という存在、その欲望とみだらな快楽の深淵である。したがって、人間関係を支配するあらゆる法則の究極の目的は、この毒 性を隔離もしくは中和して〈隣人〉を同胞に転じることだ。(他者という、もうひとつの)主体にあるかもしれない毒性をさがすだけでは不十分だ。自己という 主体自体が、その内部の〈大文字の他者〉という深淵に毒性をたたえているのだから。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』)

…………

そしてこれらをやや発展させたジジェクの最近の議論(ジジェク『LESS THAN NOTHING』2012 私訳)。

われわれは「悪役」に魅せられているのではないか、たとえば、再度、例を挙げれば、社会的規範の常識を破って自己破壊的に自己享楽に耽りかえる大橋仁という若い写真家に。すなわち大橋仁の剰余享楽には、あなたがーーたとえばあなたの攻撃性がーー書き込まれているせいではないか。

フロイトの“無意識”とは、……まさに反射性のなかに刻みこまれる。例をあげよう。だれかこの私がヒッチコックの映画の悪党のような人物を“憎むことを愛する”。私は一見この悪役を憎むだけだ。にもかかわらず無意識的には私は(彼を愛しているわけではない、しかし)彼を憎むことを愛するのだ。すなわち、ここにある無意識とは、わたしは反射的に私の意識的な態度に関連させる方法なのだ。(あるいは逆のケースをあげよう。だれかこの私は“愛することを憎む”。フィルムノワールのヒーローは、悪魔的な宿命の女(ファムファタール)を愛さざるをえない、しかし彼女を愛することを彼自身は憎んでいる)。これがラカン曰くの人間の欲望はつねに欲望することを欲望することだの意味である。
ここでふたたび、反ユダヤ主義、反ユダヤ人妄想を思い返してみよう、この幻想(ファンタジー)の根源的な間主観的な性質の例として。ユダヤの陰謀という社会的幻想は、“社会は私から何を欲しているのか?”という問いにたいして返答を与える試みなのである。それは私が余儀なく参加させられる後ろ暗い出来事の意味を明るみに出す。この意味で、“投射”の標準的な理論、すなわち反ユダヤ主義者は、ユダヤ人の姿に自らの否認された部分を“投射する”という考え方では不充分である。“概念としてのユダヤ人”の姿は、反ユダヤ主義者の“内面的な葛藤”の外面化に帰すことはできない。逆に、それは次の事実(あるいはこの事実をなんとか処理しようとする)証拠である。すなわち主体はもともと非中心化されており、その意味と論理がコントロールを逃れてしまう不明瞭なネットワークの部分であるという事実である。

この理由で、幻想の横断traversée du fantasmeの問い(ひとびとの享楽を組織する幻想的な枠組みから最小限の距離をとるにはどうしたらいいのか? その効力を宙吊りにするにはどうしたらいいのか?)は精神分析的な治療とその終結にとって決定的なことだけではなく、われわれのこの時代、レイシストの高揚が再活性化された、あるいは世界的な反ユダヤ主義のこの時代において、おそらくまた最前線の政治的な問いでもある。伝統的な啓蒙主義的態度の不能ぶりは、反レイシスト運動の連中がもっともよい例になる。彼らは理性的な議論のレベルでは、レイシストの〈他者〉を拒絶する一連の説得力のある理由を掲げる。しかし、それにもかかわらず、彼らは自らの批判の対象に明らかに魅せられている。結果として、彼らのすべての防衛は、現実の危機が発生した瞬間(たとえば、祖国が危機に瀕したとき)、崩壊してしまう。それはまるで古典的なハリウッド映画のようであり、そこでは、悪党は、――“公式的には”、最終的に非難されるにしろ、――それにもかかわらず、われわれの(享楽の)リビドーが注ぎ込まれる(ヒッチコックは強調したではないか、映画とは、ただひたすら悪人によって魅惑的になる、と)。

最も重要な課題は、敵を弾劾し打ち負かすことではない。その仕事は容易に、敵のわれわれを把持を強めてしまう結果に終わる。肝要なのは、われわれを魅了させる(幻想的な)呪縛をどうやって中断させるかということだ。幻想の横断traversée du fantasmeのポイントは、享楽から免れることではない(旧式の左翼の清教徒気質モードのような)。むしろ、幻想にたいして最小限の距離をとるということは、いわば、幻想的な枠組みから享楽を“鉤から外し取る”ということであり、かつまた享楽は、非決定的な、分割的ない残余であることに気づくことである。すなわちそれは、歴史的な慣性の支持をする固有に“反動的”なものでもなく、かつまた既存の秩序の束縛を掘り崩す解放的な勢力でもないのだ。


2014年12月25日木曜日

写真の本質の飼い馴らし、あるいは白痴が微笑む世界

私が想像するには(私は写真家ではないから、私にできるのは想像してみることだけである)、「撮影者」の本質的な行為は、ある事物または人間を(部屋の小さな鍵穴から)不意にとらえることにあり、したがってその行為は、被写体が知らぬまにおこなわれるとき、はじめて完璧なものとなる。(……)写真の《衝撃》は(……)精神的外傷を与えることよりも、むしろ、非常にうまく隠されているため、当事者さえも知らないかまたは意識していない事柄を、暴露することにあるからだ。(……)

写真は、それがなぜ写されたのかわからなくなるとき、真に《驚くべきもの=不意を打つもの》となる。(ロラン・バルト『明るい部屋』p46-48)

写真の本質が、もしバルトのいうように、《被写体が知らぬまにおこなわれるとき、はじめて完璧なものとなる》とすれば、被写体に了承をとってから写さなければならないという現代の倫理は、写真の本質に悖ることになる。もっとも不意を捉えることは、仮に了承を取った後にもさまざまな手段があるだろう。被写体に絶え間ない動きを促しその瞬間を捉えるとか、被写体の関心を撮られることから逸らすために撮影者はジョークを繰りだすとか。

わたくしには、荒木経惟の写真を眺めているとき、彼の饒舌が聞えて来るような気分になるときがある。荒木のモデルの女たちのまなざしは、撮影者だけをみつめている。他の写真家の作品では、モデルとなった女のまなざしは撮影者だけでなく、その背後にある写真をみるだろう限りなく多数の無名の目による視線に向けられている。荒木経惟の写真にはそれがない、すくなくともその多くは、――と「錯覚」に閉じこもり得ることが多い。




もっとも他の写真家たちの作品を多く、まんべんなく、みることはないから、あまりエラそうなことは言えない。

ところで中井久夫に「顔写真のこと」というエッセイがある。そこには《こどもの時から写真をとられるのが苦手であった》と冒頭にあり、写真を撮るという攻撃性にすこぶる敏感な、ひどく繊細な感性な溢れる言葉をもって、書きすすめられてゆく。


私がとった風景写真には、ふしぎな特徴があると友人はいう。要するにみごとに人がいないのである。私は意識していないのだが、かなりの雑踏でも人の途絶える瞬間があって、その時をねらってシャッターを押すらしい。(……)

写真をとるということは、機関銃に似た固い物体を相手にむけるという行為である。写真をとることにも、とられることにも、私に抵抗があるのは、このためもあるらしい。つまり、私の心の中にある対人恐怖に、相手から攻撃されること、人を攻撃してしまうことの恐怖が加わって、写真というものを苦手にしているらしい。

カメラを介しての人間関係には独特なものがある。肖像画を描いてもらう時とはずいぶん違うだろう。冷たい機械を間にはさんで直接向き合う対人場面は他にはめったにあるまい。しかも、ここには絶対的な不平等がある。写す者と写される者との不平等である。さらに、集団写真といっても、焦点は誰かに合っている。基本的には一対一の関係、それも焦点をしぼった鋭い関係である。そして、非言語的関係である。沈黙が強要され、しぐささえも一瞬の静止を求められ、自己身体のイメージが前面に出る。写真機の前で緊張する人は、この独特な状態に自分の病理をしぼり出される。私など、その最たるものであろう。(中井久夫「顔写真のこと」『記憶の肖像』所収)

続けて、この写真恐怖症とも言える中井久夫が《専門家に肖像写真をとってもらう機会》について書いている。一度目のカメラマンは、英国仕込みという触れ込みの若手で、いちどきに三百枚ほどとった、とある。写真家は「最初五十枚ほどとられてしまうと写される快感が生じてきますよ」、という。だが中井久夫にはその快感が訪れない、《写される快感とはどういうものであろうか。素朴なナルシストのものであろうか。被虐的な快楽であろうか》。

二度目は、初老の職人肌の人であった。「自宅に朝うかがいます」といわれ、待っていると、ひょうひょうとした人があらわれ、挨拶をかわしているうちに家人を巻き込んで雑談にはいった。そのまま、「ちょっと一枚二枚」といって、しきりに手のかたちを問題にしはじめた。「妙に手にこだわる人だな、そんなものかな」と思っているうちに、撮影は終わった。

出来上がりをみて、私はさとった。あの人は、まず、朝のいちばん疲れていない時、くつろいだ場を選んだ。そして、家族と話をしている時の自然な表情を探した。私が少数の親しい人の前以外ではひどく緊張する人間であることを察してのことか、あるいはそういう人が一般に多いという、この人の撮影体験の長い歴史によることか。

そして、手のかたちに私の注意を集中させた。集団写真の時に私の体の居ずまいをがたがたにさせる、あの意識はことごとく手に向かって、ふつうの撮影の時には居すわっているはずの顔や首という場からすっかり出払ったのである。これは、詩について、かねがね感心しているエリオットの言葉を思い出させる。エリオットは、詩の意味とは、読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだという。それは、この場合、手への意識集中である。

最近、インタヴューを受けた時に現れたのも、この人であった。再会である。(……)今度は私の仕事部屋での撮影だった。氏は短い会話によって、私の顔を「ほどく」ことに成功した。それから私にいろいろな本を読ませたが、読む著者によって変わる私の表情を氏は敏感に捉えた。それは、予感から余韻に速やかに変わってゆく陽炎のような瞬間〔いま〕を捉えて鮮度を落さずにさっと料理する板前さんであった。私は「(エビの)おどり(食い)の板さん」という名を氏に進上したくなった。(中井久夫「顔写真のこと」1991)

この中井久夫の文章は《被写体が知らぬまにおこなわれるとき、はじめて完璧なものとなる》(バルト)、その工夫が書かれている。エリオットの言葉をもじれば、すぐれた写真とは、被写体の注意を油断させて、その間に本質的な何ものかを捉えることであるとしてもよい。

ところでロラン・バルトの写真論だけとは見なされがたい『明るい部屋』の最後の章の題は、「「飼い馴らされた「写真」」である。そこでは《社会は「写真」に分別を与え、「写真」を眺める人に向かってたえず炸裂しようとする「写真」の狂気をしずめようとつとめる》( p142)とまずは書かれるが、この「狂気」とは、その前々章「まなざし」、前章「「狂気」、「憐れみ」」にその説明がある。いまは一つの文だけを抜き出すことにしよう、《まなざしというものは、それが執拗にそそがれるとき(ましてやそれが、写真によって「時間」を越え持続するとき)は必ずや潜在的に狂気を意味する》と。

われわれ後期資本主義の社会では、この写真の「狂気」を飼い馴らそうとする。まずは盗写はひどく忌み嫌われる。被写体に了解をとってから撮影しなくてはならないのは、すでに「常識的な」社会規範であろう。われわれは、バルトのいう写真の本質、《被写体が知らぬまにおこなわれるとき、はじめて完璧なものとなる》などはまったく許されなくなりつつある「苦情の文化」の住人である。

「嫌がらせ〔ハラスメント〕」は、明確に定義された事実を指しているように見えながら、じつはひじょうに両義的に機能し、イデオロギー的なごまかしをしている語のひとつである。いちばん基本的なレベルでは、この語はレイプや殴打のような残酷な行為や他の社会的暴力を指す。いうまでもなく、そうした行為は容赦なく断罪されるべきだ。しかし、現在流通しているような「嫌がらせ」という語の使い方では、この基本的な意味が微妙にずれて、欲望・恐怖・快感をもった他の現実の人間が過度に近づいてくることに対する批難になっている。二つのテーマが、他者に対する現代のリベラルで寛容な姿勢を決定している。他者が他者であることを尊重して他者に開放的であることと、嫌がらせに対する強迫的な恐怖である。他者が実際に侵入してこないかぎり、そして他者が実際には他者でないかぎり、他者はオーケーである。ここでは寛容がその対立物と一致している。他者に対して寛容でなければならないという私の義務は、実際には、その他者に近づきすぎてはいけない、その他者の空間に闖入してはいけない、要するに、私の過度の接近に対するその他者の不寛容を尊重しなくてはいけない、ということを意味する。これこそが、現代の後期資本主義社会における中心的な「人権」として、ますます大きくなってきたものである。それは嫌がらせを受けない権利、つまり他者から安全な距離を保つ権利である。

(……)あるいは、「悪は、まわりじゅうに悪を見出す眼差しそのものの中にある」というヘーゲルの言明をふたたび言い換えるならば、〈他者〉に対する不寛容は、不寛容で侵入的な〈他者〉をまわりじゅうに見出す眼差しの中にある。(ジジェク『ラカンはこう読め』P173-174)

だがこの社会、すなわち《不寛容で侵入的な〈他者〉をまわりじゅうに見出す眼差しの中》に暮らさざるええないわれわれは、《日常的な意識のうちに認めざるをえない、吐き気のしそうな倦怠感……差異のない(無関心な)世界をつくり出している》(バルト)――こうバルトが書いたのは、もう三十年以上前だが、それがますますひどくなっている社会であるに相違ない。いやむしろ病膏肓に入ってその吐き気さえ感じる感性を失ってしまった新しい人類が生れつつあるとしてもよい。

狂気をとるか分別か? 「写真」はそのいずれをも選ぶことができる。「写真」のレアリスムが、美的ないし経験的な習慣(たとえば、美容院や歯医者のところで雑誌のページをめくること)によって弱められ、相対的なレアリスムにとどまるとき、「写真」は分別のあるものとなる。そのレアリスムが、絶対的な、もしこう言ってよければ、始原的なレアリスムとなって、愛と恐れに満ちた意識に「時間」の原義そのものをよみがえらせるなら、「写真」は狂気となる。(ロラン・バルト『明るい部屋』p145)

もちろんこのバルトの論は1980年に出版されたものであり、いまでは時代錯誤的と言える箇所もあるだろう。だが《愛と恐れに満ちた意識に「時間」の原義そのものをよみがえらせる》刻限、ゆらめく閃光の狂気とあなたがたは無縁とでもいうのか。であるなら勝手にするがよい。

いずれにせよ、いまではこういう「正しい」指摘が渦巻く時代である。

‏@nt1chk
街中でスナップ写真を撮像して、そこに写り込む群衆の顔を一つ一つ識別し、そこからFacebookのアカウントに紐付ける、ということは既に実現された技術であり、写真論云々の批判はそういう技術的展開にまで及ばないなら片手落ちだ(2014.12.25)

ツイッターではことあるごとにこういった「道徳的な」発言――要するに写真を飼い馴らそうとする分別ある発言、そしてそれはもちろん写真だけの話ではない――が溢れかえるのだが、それらの眺めるたびに、わたくしはひどく居心地の悪い思いをしてしまう。

毛利 嘉孝 @mouri · 20時間 20時間前
写真家と被写体をめぐる議論は、人類学や社会学の調査者とインフォーマントの関係とパラレル。かつては、中立性を装って勝手に聞き取り調査を行い、ろくに確認もせずに論文を出すなんてことが行われたが、今ではそんなことは基本的にありえない(はず)。

(承前)したがって、いちばん面白い情報は論文にできないなんてことは日常茶飯事。けれども、インフォーマントと合意を取ることによって人類学や社会学のレベルが下がったわけではない。むしろ自己言及/批判的になって、ある部分は理論的に刷新された。なぜアートや写真にそれができないのか。

撮影の対象者の基本的人権も守れず、写真機の持つ暴力に無自覚なものだけがアートだとしたら、そんなアートは単に時代遅れのくだらないものだ。そのアートがわかるものが特権的で、専門的な批評家だとしたら、この世の中に専門家は必要ないだろう

ましてや東京藝術大学准教授(社会学者、文化研究/メディア研究)なる毛利 嘉孝という方までがこのような「道徳的な」発言に終始しているのをみると(これはこのところツイッター上で賑わっている大橋仁批判の文脈であり、他の場合の発言ではどうなのかはまったく知らない身ではあるが)、では「認識的判断」――写真の本質――はどこにいったのかと問い返してみたくなる誘惑にかられてしまう。

もし仮に、バルトのいうように、対象者を不意撃ちするのが、写真の本質であるとしたら、《撮影の対象者の基本的人権も守れず、写真機の持つ暴力に無自覚なものだけがアートだとしたら、そんなアートは単に時代遅れのくだらないものだ》などと発言できはしまい。とするなら毛利氏にとっての写真の本質とはなんなのか、暴力性を取り払ったあとに、どんな写真の本質があるのかを示すべきではないかとは思う。まさか写真を飼い馴らすことばかりに汲々としているわけではあるまい。要するに、認識的判断と道徳的判断をそれぞれ分けて考えるのが、ときには必要があるはずだが、それがここではなされていない。

カントは、ある対象に対するわれわれの態度を、これまでの伝統的区別にしたがって、三つに分けている。ひとつは、真か偽かという認識的な関心、第二に、善か悪かという道徳的な関心、もうひとつは、快か不快かという趣味判断。(……)

カントが趣味判断のための条件としてみたのは、ある物を「無関心」において見ることである。無関心とは、さしあたって、認識的・道徳的関心を括弧に入れることである。というのも、それらを廃棄することはできないからだ。

しかし、このような括弧入れは、趣味判断に限定されるものではない。科学的認識においても同様であって、他の関心は括弧に入れられねばならない。たとえば、外科医が診察・手術において、患者を美的・道徳的に見ることは望ましくないであろう。また、道徳的レヴェル(信仰)においては、真偽や快・不快は括弧に入れられなければならない。こうした括弧入れは近代的なものである。それはまず近代の科学認識が、自然に対する宗教的な意味づけや呪術的動機を括弧に入れることによって成立したことから来ている。ただし、他の要素を括弧に入れることは、他の要素を抹殺してしまうことではない。(柄谷行人「建築の不純さ」)

道徳的判断に終始しているのか、それともすべては道徳判断をまずは基準としなければならないという考え方なのかは窺知れないが、ときに道徳的判断を括弧に入れて、写真の本質(認識的判断)を示さないままでの議論は空しい。

(ここでは敢えて悦楽(=享楽jouissance)の領域へ進むもの、われわれの文化的土台を揺るがすものが「芸術」の役割の大きな側面ではないかという議論はしないでおく(いくらかの参照:「悦楽は常にすべてのことの永遠ならんことを欲する」))。

ところで、蓮實重彦は『凡庸な芸術家の肖像』の主人公、マクシム・デュ・カンの物語には次のようにある。

……われわれの興味を惹くのは、彼の写真への関心が、狩猟の快楽を知ったのとほぼ同じ時期に芽萌えているということだ。彼は動物めがけて銃弾を撃つように、廃墟や歴史的建造物にレンズを向けているのである。(……)

撃つことにも通ずる撮ることという主題は、写真技術の飛躍的な進歩を達成した二十世紀に入ってから神話化されることになろうが、その原初的なかたちが無意識ながらマクシムによって実践されている点に注目しようではないか。遥かな距離にある対象物に照準を合わせること、そして指の微妙な動きが成功と失敗とを分けへだてるという物理的な類似にとどまらず、ある攻撃的な衝動なしには達成されがたい振舞いとして、撃つことと撮ることとの心理的な類縁性が、すでに写真の発生期に、狩猟の快楽に目覚めたばかりの旅行家によって実践されている点に、われわれは改めて興味をおぼえる。ある種の征服欲の発現なしには、撃つことも撮ることも真の目的を遂げえないだろう。(『凡庸な芸術家の肖像』p607)

《ある種の征服欲の発現なしには、撃つことも撮ることも真の目的を遂げえないだろう》とあるが、やはりここでも写真のもともとの根は、〈他〉を狩ることであり、ラカン派的にいえば、究極の大文字の〈他〉は〈女〉であるならば、女を狩ることが写真の本質ーーそれは写真だけではないのだがーーであるとすることができるのではないか。



Robert Mapplethorpe


写真を撮るとは、このロバート・メイプルソープの作品が表現した振舞いではないか。

無意識には女についての男の無知そして男についての女の無知の点があります。それをまず次のように言うことができます。二つの性は互いに異邦人であり、異国に流されたものである、と。

しかし、このような対称的表現はあまり正しいものではありません。というのも、この無知は特に女性に関係するからです。他の性について何も知らないからなのです。ここから大文字の他の性Autre sexsというエクリチュールが出て来ますが、それはこの性が絶対的に他であるということを表わすのです。実際、男性のシニフィアンはあります。そしてそれしかないのです。(ミレール「もう一人のラカン」)
女は存在しない。われわれはまさにこのことについて夢見るのです。女はシニフィアンの水準では見いだせないからこそ我々は女について幻想をし、女の絵を画き、賛美し、写真を取って複製し、その本質を探ろうとすることをやめないのです(ミレール“El Piropo”)

クンデラは「存在の絶えられない軽さ』にて、その女性主要登場人物のひとり画家サビナに、暴力のない世界、攻撃衝動のない世界、いわゆる「理想的な」世界がもし実現されたのなら耐えられない、という意味のことを語らせ、《その白痴が微笑むその世界では、彼女には彼らと交わすべき一語もないであろうし、一週間のうちに恐怖で死んでしまうであろう》としている。

分別ある「識者」の見解は、写真の暴力性を飼い馴らして、「白痴が微笑む世界」にでもしようとすることではまさかあるまい、ましてや「芸術」を研究しているひとがそんな振舞いに出でもっともらしい顔をしているなどということは。

ところでマクシム・デュ・カンは、蓮實重彦によって「凡庸な」と称されているが、ボードレールの『悪の華』第二版の最後を飾る「旅」は、デュ・カンへ捧げられているし、またフローベールの長年の友人でもあり、ナポレオン大公の狩猟仲間、マチルド大公妃のサロンの常連、後年はアカデミー・フランセーズの会員になっているわけで、しかもナダールに先んじて仏国で最初の写真集を出した人物である。

他方、われわれの時代は、「凡庸にもなりえない」人びとが、なにやらネット上で識者ぶってお説教を撒き散らしている時代である。《きわめて厄介なえせ芸術家》(中野重治)、《学者でもタレントでもない「きわめて厄介な」ヌエのような存在》(柄谷行人)であるだろう似非知識人の猖獗。それはネット文化としてやむえないことではあれ、あまりにも庶民的正義派が多すぎる。

ーーというわけで「凡庸にもなりえない」人びとのなかの一員であるに相違ないわたくしは、ときにこうやって、世間を真に受けぬための積極的な仕草をしてみたくなる。

【瞞着Mystification】

もっぱらこっけい味のある欺瞞を指すものとして、リベルタン精神の横溢する十八世紀のフランスにあらわれた、それ自体おもしろおかしい(神秘〔ミステール〕という言葉に由来する)新語。ディドロはとてつもない悪ふざけをたくらんで、クロワマール侯爵に、ある不幸な若い修道女が彼の保護を求めていると、まんまと信じこませてしまうが、このときディドロは四十七歳。数ヶ月のあいだ、彼はすっかり感動した侯爵に宛てて、実在しないこの女のサイン入りの手紙を書き送る。『修道女』――瞞着の果実。ディドロと彼の世紀とを愛するための、さらなる理由。瞞着とは、世間を真に受けぬための積極的な方法である。(クンデラ「七十三語」(『小説の精神』)所収)

…………

※附記:ネット上で批判される大橋仁がタイの娼窟の撮影禁止の場での振舞いは、「男女300人の絡みを撮影...知性と理性を吹っ飛ばせて見えた境地とは【大橋仁 INTERVIEW】」にある。その批評(吟味)は、各人勝手にやったらよろしい。




上の画像は大橋仁の作品ではないことに注意を促しておこう。また大橋仁のインタビューにあるタイの「金魚鉢」(=風俗店で客を待つ女の子たちが待機するガラス張りの部屋)が林立するエリアはあまり好まないほうだが、バンコクのストリートの客待ち女性の姿には魅了されたことがないではない、ともしておく。






いい「まなざし」撮ってるじゃん。オレはこの写真見て、荒木経惟の次の写真をすぐさま想起したな。




男がこんなまなざしみせて被写体になること滅多にないんじゃないか。ここではフロイトの『マゾヒスとの経済的問題』のおける女性的マゾヒズムの叙述を引用するのはあえてやめておき、上に引用した中井久夫の言葉を反芻するだけにしておくよ、《写される快感とはどういうものであろうか。素朴なナルシストのものであろうか。被虐的な快楽であろうか》と。

荒木のヌード写真を支えているのは、”撮られる側の欲望”であり、それは「女を撮られたい」ということである。ヌード写真を批判する議論として、それが男の性的欲望に奉仕する”女”を強制的に演じさせられているからという言い方がある。しかし、実のところ自分の中に確実にうごめいている”女”の「エロス」をまっすぐに見つめて欲しいという欲望こそ、ヌード写真がこれほどまでに大量に撮られ続けている最大の理由なのではないか。(飯沢耕太郎)

《男の幸福は、「われは欲する」である。女の幸福は、「かれは欲する」ということである》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

ーーワルカッタね、庶民的正義派フェミニストのみなさん! オレはひどく時代錯誤的かつ日本的社会規範の「常識」からひどく外れてて。

男は自分の幻想の枠にフィットする女を欲望する。他方、女は自分の欲望をはるかに徹底的に男のなかに疎外する(男のなかに向ける)。女の欲望は男に欲望される対象になることである。すなわち男の幻想の枠にフィットすることであり、女は自身を、他者の眼を通して見ようとするのだ。“他者は彼女/私のなかになにを見ているのかしら?” という問いにたえまなく煩わせられている。しかしながら、女は、それと同時に、はるかにパートナーに依存することが少ないのだ。というのは彼女の究極的なパートナーは、他の人間、彼女の欲望の対象(男)ではなく、ギャップ自体、パートナーからの距離なのだから。そのギャップ自体に、女性の享楽の場所がある。(ジジェク『Less Than Nothing』2012 私訳)


2014年12月23日火曜日

坂口安吾と小林秀雄

小林は骨董品をさがすやうに文学を探してゐる。そして、小さな掘出し物をして、むやみに理屈をつけすぎ、有難がりすぎてゐる。埃をかぶつて寝てゐる奴をひきだしてきて、修繕したり説明をつけて陳列する必要はないのである。西行だの実朝の歌など、君の解説ぬきで、手ぶらで、おつぽり出してみたまへ。何物でもないではないか。芸術は自在奔放なものだ。それ自体が力の権化で、解説ぬきで、横行闊歩してゐるものだ。(坂口安吾「通俗と変貌と 」初出:「書評 第二巻第一号」1947(昭和22)年1月1日発行)
小林秀雄は、作家は何を書いたか、といふことよりも、何を書かなかつたか、といふことの方に意味があるといふ。そんな馬鹿げた屁理窟があるものか。(同上)

小林秀雄がどこでこういっているのかは分からないが、たぶんニーチェ起源ではないか。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。……すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』 289番)

だがいまは小林秀雄の話ではない。坂口安吾の小林秀雄ヤッツケ文の話だ。

あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないやうな味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。(「教祖の文学――小林秀雄論――」初出:「新潮 第四四巻第六号」1947(昭和22)年6月1日発行)
花鳥風月を友とし、骨董をなでまはして充ち足りる人には、人間の業と争ふ文学は無縁のものだ。(同上)

安吾の作品はいままでわずかしか読んだことがなく、だがついこのところそのかなりのものを読んでみた。青空文庫に440作品あまりあるものは目を通した。といっても長い小説や探偵小説の類はかなりすっとばして掠め読むというイイカゲンな読み方にすぎないが、安吾に今でも愛着をもつ作家たちがいるのはよく分かる気がしてきた。また「教祖の文学」以外にも、小林秀雄をヤッツケているのを知ったのはようやくこの機会のことだ。

ところで、「教祖の文学」には次の文がある。

だから坂口安吾といふ三文々士が女に惚れたり飲んだくれたり時には坊主にならうとしたり五年間思ひつめて接吻したら慌ててしまつて絶交状をしたゝめて失恋したり、近頃は又デカダンなどと益々もつて何をやらかすか分りやしない。もとより鑑賞に堪へん。第一奴めが何をやりをつたにしたところで、そんなことは奴めの何物でもない。かう仰有るにきまつてゐる。奴めが何物であるか、それは奴めの三文小説を読めば分る。教祖にかゝつては三文々士の実相の如き手玉にとつてチョイと投げすてられ、惨又惨たるものだ。

ところが三文々士の方では、女に惚れたり飲んだくれたり、専らその方に心掛けがこもつてゐて、死後の名声の如き、てんで問題にしてゐない。(「教祖の文学」)

これは安吾の自伝的小説のいくつかの叙述にかかわるのだろう。たとえば「二十七歳」。以前、「坂口安吾と童貞」というメモにいくつかの自伝小説から抜き出したのだが、「教祖の文学」は、以前に読んでいたにもかかわらず、上の叙述のことはすっかり失念していた。

その接吻の夜、私は別れると、夜ふけの私の部屋で、矢田津世子へ絶交の手紙を書いたのだ。もう会ひたくない、私はあなたの肉体が怖ろしくなつたから、そして、私自身の肉体が厭になつたから、と。そのときは、それが本当の気持であつたのかも知れぬ。その時以来、私は矢田津世子に会はないのだ。彼女は死んだ。そして私はおくやみにも、墓参にも行きはしない。

その後、私は、まるで彼女の肉体に復讐する鬼のやうであつた。私は彼女の肉体をはづかしめるために小説を書いてゐるのかと疑らねばならないことが幾度かあつた。私は筆を投げて、顔を掩うたこともある。(坂口安吾「二十七歳」)

 さてここで再度「教祖の文学」から拾う。

常に物が見えてゐる。人間が見えてゐる。見えすぎてゐる。どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。そして、見て、書いただけだ。それが徒然草といふ空前絶後の批評家の作品なのだと小林は言ふ。これはつまり小林流の奥義でもあり、批評とは見える眼だ、そして小林には人間が見えすぎてをり、どんな思想も意見も、見える目をくもらせず彼を動かすことはできない。彼は見えすぎる目で見て、鑑定したまゝを書くだけだ。
生きてゐる奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリ/\のところを這ひまはつてゐる罰当りには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。芸術とはさういふものだ。歴史の必然だの人間の必然などが教へてくれるものではなく、偶然なるものに自分を賭けて手探りにうろつき廻る罰当りだけが、その賭によつて見ることのできた自分だけの世界だ。創造発見とはさういふもので、思想によつて動揺しない見えすぎる目などに映る陳腐なものではないのである。

 このように書いているのは以前から印象に残っていた。これは、その批評のスタイルとしては、後に高橋悠治や蓮實重彦、岡崎乾二郎などによる小林秀雄批判の嚆矢のようなものだ。

批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。(高橋悠治『小林秀雄「モオツァルト」読書ノート』1974年
……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会 い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批評宣言』所収
岡崎乾二郎)どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。(グリーンバーグ講義ノート1

 これらの批判が胸に染みている世代の作家たちは、センチメンタルやメロドラマに陥ることを避けようとし、また花鳥風月に耽溺し「人間の業」に我関せずの文章を恥じるようになった時期があるのかもしれない。

ところで明らかに安吾派であるだろう中上健次の友人柄谷行人はこう言っている。

文学の地位が高くなることと、文学が道徳的課題を背負うこととは同じことだからです。その課題から解放されて自由になったら、文学はただの娯楽になるのです。それでもよければ、それでいいでしょう。どうぞ、そうしてください。それに、そもそも私は、倫理的であること、政治的であることを、無理に文学に求めるべきでないと考えています。はっきりいって、文学より大事なことがあると私は思っています。それと同時に、近代文学を作った小説という形式は、歴史的なものであって、すでにその役割を果たし尽くしたと思っているのです。(柄谷行人『近代文学の終り』)

今の若い人びとの多くには思いもよらぬかもしれないこの発言、あるいはたいした文学読みではないが、日本文学のなかで5人選ぶとするなら、永井荷風と西脇順三郎がどうしても欠かせないわたくしのような人間にも、おい、柄谷さん!と呟きたくなる発言なのだが、これはおそらく、日本のある時期には、文学者が思想家の役割を担ったことへのノスタルジーの言葉としてあるとすることができるかもしれない。

比喩的にいえば、日本では哲学の役割まで文学が代行し、中国では文学さえも哲学的になったのである。(加藤周一『日本文学史序説』)

さてここでもう一度安吾に戻れば、彼は小林秀雄について次のように書いてもいるのだ、《僕自身は尊敬し、愛する人のみしかヤッツケない。僕が今までヤッツケた大部分は小林秀雄に就てです》と。

私は雑誌はめつたに読まない性分だから、新人などに就て何も知らず差出口のできないのが当然なのだが、戦争中「現代文学」といふ同人雑誌に加はつていたので、平野謙、佐々木基一、荒正人、本多秋五などといふ評論家を知つてゐた。みんな同人だつたからだ。さもなければこれら新鋭評論家に就て、その仕事に就て、概ね無智の筈であつた。福田恆存などといふ傑れた評論家に就ても一ヶ月前までは名前すら知らなかつた。たまたま、某雑誌の編輯者が彼の原稿を持つてきて、僕にこの原稿の反駁を書けといふ。読んでみると僕を無茶苦茶にヤッツケてゐる文章なのだ。けれども、腹が立たなかつた。論者の生き方に筋が通つてゐるのだから。それに僕は人にヤッツケられて腹を立てることは少い。編輯者諸君は僕が怒りんぼで、ヤッツケられると大憤慨、何を書くか知れないと考へてゐるやうだけれども、大間違ひです。僕自身は尊敬し、愛する人のみしかヤッツケない。僕が今までヤッツケた大部分は小林秀雄に就てです。僕は小林を尊敬してゐる。尊敬するとは、争ふことです。(坂口安吾「花田清輝論」)

では、荷風や漱石、志賀直哉を無茶苦茶にヤッツケたのは、あれはどうなるのだろう。

(おそらくそのうち続く)


…………

※附記:坂口安吾による小林秀雄への親しみのこもった文章をいくらか抜いておく。

川端康成さんの碁が同じように腕力派で、全くお行儀が悪い。これ又、万人の意外とするところで、碁は性格を現すというが、僕もこれは真理だと思うので、つまり、豊島さんも川端さんも、定石型の紳士ではない腕力型の独断家なのでお二人の文学も実際はそういう風に読むのが本当だと思うのである。

 更に万人が意外とするのは小林秀雄で、この独断のかたまりみたいな先生が、実は凡そ定石其ものの素性の正しい碁を打つ。本当は僕に九ツ置く必要があるのだが、五ツ以上置くのは厭だと云って、五ツ置いて、碁のお手本にあるような行儀のいゝ石を打って、キレイに負ける習慣になっている。

 要するに小林秀雄も、碁に於て偽ることが出来ない通りに、彼は実は独断家ではないのである。定石型、公理型の性格なので、彼の文学はそういう風に見るのが矢張り正しいと私は思っている。

 このあべこべが三木清で、この人の碁は、乱暴そのものゝ組み打ちみたいな喧嘩碁で、凡そアカデミズムと縁がない。(「文人囲碁会」)
フツカヨイをとり去れば、太宰は健全にして整然たる常識人、つまり、マットウの人間であった。小林秀雄が、そうである。太宰は小林の常識性を笑っていたが、それはマチガイである。真に正しく整然たる常識人でなければ、まことの文学は、書ける筈がない。(「不良少年とキリスト」)
私が精神病院へ入院したとき小林秀雄が鮒佐の佃煮なんかをブラ下げて見舞いにきてくれたが、小林が私を見舞ってくれるようなイワレ、インネンは毛頭ないのである。これ実に彼のヤジウマ根性だ。精神病院へとじこめられた文士という動物を見物しておきたかったにすぎないのである。一しょに檻の中で酒をのみ、はじめはお光り様の悪口を云っていたが、酔いが廻るとほめはじめて、どうしても私と入れ代りに檻の中に残った方が適役のような言辞を喋りまくって戻っていった。「安吾巷談 07 熱海復興」
小林さんと私とのツキアイと云えば、そういうところで、酔っぱらッて、からんだり、からまれたりしていただけのことだ。特別のツキアイというものはなかった。いくらか印象に残っているのは、ウィンザアの横の道で小林さんと並んで立小便していて、小林さんだけ巡査につかまった。巡査が、お前は何をしていた、という。住所姓名を名のれ、という。何を云われても彼は答えない。そこで私が、この男は拙者の友達で二人は目下並んで立小便をしていたのだ、というと巡査はそうかと云って立ち去った。彼の頭髪ボウボウたる和服姿が左翼とまちがわれたのだろう。

また、私が越後の親戚へ法要に赴くとき、上野駅で彼に会った。彼は新潟高校へ講演に行くところであった。彼は珍しくハカマをはいていた。私は人のモーニングを借り着していたのである。

 大宮から食堂車がひらいたので、二人で飲みはじめ、越後川口へつくまで、朝の九時から午後二時半まで、飲みつづけたね。二人ともずいぶん酔っていたらしい。越後川口で降りるとき、彼は私の荷物をひッたくッて、急げ急げと先に立って降車口へ案内して、私を無事プラットフォームへ降してくれた。ひどく低いプラットフォームだなア。それに、せまいよ。第一、誰もほかに降りやしない。駅員もいねえや。田舎の停車場はひどいもんだと思っていたが、バイバイと手をふって、汽車が行ってしまうと、私はプラットフォームの反対側の客車と貨物列車の中間に立たされていたのだね。私がそこへ降りたわけじゃなくて、彼が私をそこへ降したのである。親切に重い荷物まで担いでくれてさ。小林さんは、根はやさしくて、親切な人なんだね。(「小林さんと私のツキアイ」)

2014年12月21日日曜日

柄谷行人の「二つの死」(アンティゴネー=ラカン)

われわれの意識にとっては他人の死だけが存在すると、ハイデッガーはいっている。が、私はそういう現象学的見方も疑わしいと思う。だれかが不在であることと、死んでいることとの違いは、われわれの意識にとっては厳密に区別されないからである。未開人はまず死者をおそれる。それは死者がまだ生きているということであるが、われわれの葬式もなおその観念をとどめている。もともと仏教のようにラディカルな個人主義的宗教は葬礼とは関係ないのだが、それを許容するほかに社会的に存続できなかったのである。

他人の死が、不在ではなく確実に死であるためには、なにかべつの条件が必要なのであり、したがって死は、たんに物理的な問題でもなければ観念の問題でもない。死はいわば制度の問題である。葬制をもたない社会は存在しない(ヴィーコ)という事実がそれを証し立てている。ある人間が死ぬことは、彼がその一点を占めていた諸関係に空白ができることであり、生き残った者はそれを埋め、彼をしめだして新たに諸関係を再編成しなければならない。そうでない間は死者はまだ生きているのだ。

私の数少ない経験では、葬式には残酷なところがある。私はそれを葬式が形骸化してきたせいだと思っていたが、本当はそうではなかった。死者を悼むとか悲しむとかいった、人類史におて比較的近代に属する観念のずっと底に、葬式がもっている本質がかくされている。それは死者を本当に死なしめること、いわば死者を生きている者の世界から追放することである。だから、死は物理的に考えられる瞬間の事実でもなく、生き残った者の悲哀や喪失といった意識的事実でもなく、一定の幅をもった共時的な出来事である。それは、一つの関係の体系がべつの体系に変形される過程の全体をさす。ひとが死に、そのあとで葬礼がるのではなく、葬礼も死の一部なのである。われわれは時とともに、悲しみを忘れてそのひとの不在になれていく。が、そのときにはじめて「死」が完了するのだ。死者はもはや不在者とことなり、生きている者が再編成した関係の体系のなかに入りこむ余地がなくなっている。(柄谷行人「歴史についてーー武田泰淳」『マルクスその可能性の中心』所収)

この武田泰淳論は初出1977年冬号 季刊藝術であり、当時柄谷行人は、イェール大学で日本文学を教えている(そこでポール・ド・マンと出合ったのはよく知られている)。1941年生まれの柄谷行人であり、当時36歳である。

いま上の文を引用したのは、以前にはなにげなく読んだに過ぎなかったこの文章には、既に、ラカンの「二つの死」、あるいは「二番目の死」についての問題が示唆されている、--そのことに驚いたからだ。

二つの死は、ソフォクレスのアンティゴネー(テーバイの王女)にかかわる。先王オイディプス(アンチゴネーの父)の死後の紛糾後、王座に就いたクレオンは、国家に対する反逆者であるアンティゴネーの兄ポリュネイケスの埋葬や一切の葬礼を禁止し、見張りを立ててポリュネイケスの遺骸を監視させる。だがアンティゴネーは禁令を破り、自ら城門を出て、市民たちの見ている前でその顔を見せて兄の死骸に砂をかけ、埋葬の代わりとした。《わかりました。何をおっしゃろうとも、何も変わりません。私はあくまでも私が決めたことを行います》。

Philippe Lacoue‐Labartheは、ラカンのアンディゴネー解釈とハイデガーのそれとを分けるギャップをとても的確に位置づけた(ラカンは他の面ではハイデガーへの豊富な言及があるのだが)。ハイデガーにおいてまったく欠けているものは、享楽の現実界の領域だけではない。とりわけ「二つの死の間between‐two‐deaths」(象徴的な死と現実界的な死)の領域である。「二つの死の間between‐two‐deaths」とは、アンティゴネーがクレオンによってポリスから追い出された後のアンディゴネーの主体的ポジションを示している。兄ポリュネイケスーー現実には死んだが象徴的死、葬儀を否定されたことーーとまさに対称的に、アンディゴネーは自らが象徴的には死んだことも見出す、すなわち生物学的かつ主体的にはまだ生きていながら象徴的共同体から締め出された。アガンベンの用語なら、アンティゴネーは自らを“剥き出しの生”、ホモ・サケルのポジションに貶められたことを見出すのだ。“剥き出しの生”、ホモ・サケルの二十世紀における事例は、強制収容所の囚人の例である。ハイデガーの手落ちの賭金はひどく高い。というのは二十世紀の倫理-政治的な核心、極限の布置における“全体主義的な”カタストロフィにかかわるからだ。こういうわけで、この手抜かりは、ハイデガーのナチスへの誘惑に抵抗する不能性にまったく首尾一貫している。(ジジェク 私訳)

Philippe Lacoue‐Labarthe located very precisely the gap that separates Lacan’s interpretation of Antigone from Heidegger’s (to which Lacan otherwise abundantly refers): what is totally missing in Heidegger is not only the dimension of the Real of jouissance, but, above all, the dimension of the “between‐two‐deaths” (the symbolic and the Real) which designates Antigone’s subjective position after she is excommunicated from the polis by Creon. In an exact symmetry with her brother Polynices, who is dead in reality but denied the symbolic death, the rituals of burial, Antigone finds herself dead symbolically, excluded from the symbolic community, while biologically and subjectively still alive. In Agamben’s terms, Antigone finds herself reduced to “bare life,” to a position of homo sacer, whose exemplary case in the twentieth century is that of the inmates of the concentration camps. The stakes of this Heideggerian omission are thus very high, since they concern the ethico‐political crux of the twentieth century, the “totalitarian” catastrophe in its extreme deployment. The omission is thus quite consistent with Heidegger’s inability to resist the Nazi temptation:……(ジジェク『LESS THAN NOTHING』 2012)