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2016年10月22日土曜日

時の悲痛な叫び

私は土地の子供たちが小さな魚をとるためにヴィヴォーヌ川のなかに沈めるガラスびんを見るのがたのしかったが、そうしたガラスびんは、なかに川水を満たし、そとはそとで川水にすっぽりとつつまれて、まるでかたまった水のように透明な、ふくれたそとまわりをもった「容器」であると同時に、流れている液状のクリスタルのもっと大きな容器のなかに投げこまれた「内容」でもあって、それが水さしとして食卓に出されていたときよりも一段とおいしそうな、一段と心のいらだつ清涼感を呼びおこした、というのも、そのように川に沈んだガラスびんは、手でとらえることができない、かたさのない水と、口にふくんで味わえない、流動性のないガラスとのあいだに、たえず同一の律動の反復をくりかえして消えてゆくものとしてしかその清涼感をそそらなかったからであった。私はあとで釣竿をもってここへこようと心にきめ、間食のたべもののなかから、パンをすこしねだり、それを小さなパンきれにまるめてヴィヴォーヌ川に投げるのであったが、そんなパンきれだけでそこに過飽和現象をひきおこすには十分であったように思われた、なぜなら、水はパンきれのまわりにただちに固定化して、ぐにゃりとしたおたまじゃくしのかたまりのような卵形の房になったからである、おそらく水は、そのときまで、いつでも結晶させられるようにして、そんな房を、目に見えないように、そっと溶かしてひそめていたのであろう。(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳、p.217)

Je m'amusais à regarder les carafes que les gamins mettaient dans la Vivonne pour prendre les petits poissons, et qui, remplies par la rivière, où elles sont à leur tour encloses, à la fois « contenant » aux flancs transparents comme une eau durcie, et « contenu » plongé dans un plus grand contenant de cristal liquide et courant, évoquaient l'image de la fraîcheur d'une façon plus délicieuse et plus irritante qu'elles n'eussent fait sur une table servie, en ne la montrant qu'en fuite dans cette allitération perpétuelle entre l'eau sans consistance où les mains ne pouvaient la capter et le verre sans fluidité où le palais ne pourrait en jouir. Je me promettais de venir là plus tard avec des lignes ; j'obtenais qu'on tirât un peu de pain des provisions du goûter ; j'en jetais dans la Vivonne des boulettes qui semblaient suffire pour y provoquer un phénomène de sursaturation, car l'eau se solidifiait aussitôt autour d'elles en grappes ovoïdes de têtards inanitiés qu'elle tenait sans doute jusque-là en dissolution, invisibles, tout près d'être en voie de cristallisation.


いやあ、実に美しい文章だ・・・。わたくしの手元にある井上究一郎訳の『失われた時を求めて』には、かなりの箇所に傍線が引かれているのだが、この箇所は素通りしていた。

偉大な物語のもたらす快楽は、読むことと読まないことのリズムそのものだ。プルーストやバルザックや『戦争と平和』を逐語的に読んだ者がいるだろうか(プルーストの幸せ、それは、誰も、読むたびに、決して同じ箇所はとばさないことだ)。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

とはいえ、第一巻から容器と内容の比喩がとても美しい形で現われていたとは!

そうしたガラスびんは、なかに川水を満たし、そとはそとで川水にすっぽりとつつまれて、まるでかたまった水eau durcie のように透明な、ふくれたそとまわりをもった「容器 contenant」であると同時に、流れている液状のクリスタルcristal liquide et courant のもっと大きな容器のなかに投げこまれた「内容contenu」

この比喩はプルーストによってくり返される「閉ざされた壺 vases clos」 や「半ば開かれた箱 boîtes entrouvertes」ーードゥルーズが『プルーストとシーニュ』の「箱と壺 Les boîtes et les vases」の章で指摘したーーの比喩のひとつといってよいだろう(もっともドゥルーズはこの二つの比喩を截然と分けているのだが、それはここでは触れない。そもそもわたくしはそんなに截然と分けられるものなのだろうか、と半信半疑のところがある)。

容器の比喩は、プルーストの長い小説のおそらく中心的な箇所のひとつ「ソドムとゴモラ」の「心情の間歇」の章にて、決定的な形で現れるもする。

自我であるとともに、自我以上のもの moi et plus que moi (内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器 le contenant qui est plus que le contenu et me l’apportait)ーー「心の間歇と心の傷」)

「かたまった水/流れている液状のクリスタル」の箇所についてジェラール・ジュネットは次のように記しているそうだ(プルーストにおけるパラドックス ── contenant ⁄ contenu をめぐって── 、國房吉太郎、PDF

ガラス Verre=固まった水 eau durcie、水 eau =流れる液体のクリスタル cristal liquide et courant──ここでは、典型的にバロック的な技巧によって、接触している物体が互いの述語を交換し合い、プルーストが大胆にも頭韻法と名づけた、あの「相互的隠喩」の関係に入っている。その命名は大胆ではあるが、正当なものだ。なぜなら、 〔頭韻法という〕詩的文彩と同様、この場合も、まさに類比的なるものと隣接的なるものの一致が問題であるから。それは、大胆であると同時に啓示的でもある。なぜなら、ここでの事物間の協和は、まさに最高の純粋テクスト効果である詩句における単語間の協和同様、その流動的で透明な自己例証的連辞──永遠の頭韻法 allitération perpétuelle──のもとに、細心に調整されているのだから。(ジェラール・ジュネット『フィギュールⅢ』)

《ガラス Verre=固まった水 eau durcie、水 eau =流れる液体のクリスタル cristal liquide et courant》--シェイクスピアが多用したオクシモロンの一種とも言えるか、《心の重い浮気、真剣な戯れ、美しい形の醜い混沌、鉛の羽根、輝く煙、燃えない火、病める健康…》。

ところで、これは時の比喩としても成り立つのではないか。

そのとき固まった時とはなにか。流れる時のクリスタルとはなにか。

ドゥルーズは『シネマ』で、「時の結晶」ということを言っているそうだ、《「時間の結晶」(cristal du temps)あるいは「リトルネロ」(ritournelle)》(箭内匡)

我々は日常生活の現実的空間において、 日々の習慣を持ち、 日々の物事を自分なりに組織する生活の場所――それを一種の 「テリトリー」 のようなものと考えてもよいだろう――を持ち、 その中で、 基本的に感覚運動連関の連なりを実践する中で過ごしている。 しかし、 時に我々は、 何らかの理由によって、 そうした習慣の外へ、 テリトリーの外へ、 感覚運動連関の外へ出ること――ドゥルーズの用語を使うなら「脱テリトリー化」(déterritorialisation)――を強いられる。そして、まさにそうした、我々が自らの足がかりを失った場面において、変様の潜在的空間のただ中から、ある旋律、あるイメージ、ある理想、ある文化的規則が、視覚的ないし音響的な「形」として立ち現れてくるのであり、我々はそうした「形」に導かれる中で、再び「テリトリー」を獲得する、つまり「再テリトリー化」(reterritorialisation)のである。それ自体は潜在的な「時間のア・プリオリな形」であったところの、 「時の結晶」あるいは「リトルネロ」は、それによって、我々が住む現実的空間の中で、新たなテリトリーとして具現化することになる。(「映像について何を語るか -ジル・ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察-」 箭内匡,PDF

リトルネロが時間の結晶と同じものとして扱われるのは『千のプラトー』を表面的に読むだけでは奇妙に感じられるが、後年つぎのような記述があるそうだ。

子供か大人かに関わらず、 また些細なことか大きな試練かに関わらず、我々がいつもテリトリーを探す様子、脱テリトリー化を耐え、あるいは遂行する様子、 思い出でもフェティッシュでも夢でも、 ほとんどあらゆるものに依拠しつつ再テリトリー化する様子を、 見つめなければならない。 リトルネロは、 このような強力なダイナミズムを表現するものだ。 (ドゥルーズとガタリ 『哲学とは何か』)

われわれは、音楽にも映像(イマージュ)にも時の結晶を感じることはあるだろう(それは多くの場合、個人的なもので他人と共有できる「結晶」ではない)。

その《実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。》(ロラン・バルト『明るい部屋』)




失われた時を考えるよう我々を強制する forcent シーニュがある。時の経過 passage du temps・過去にあったものの無化 anéantissement de ce qui fut・存在の交替 altération des êtres を考えさせるシーニュである。それはかつて親しかった人たちに再会したときに顕現 révélationする。なぜなら、彼らの顔は、もはや我々にとって習慣的なものではなくなっているので、純粋な状態での時のシーニュと時の効果 l'état pur les signes et les effets du temps を保っているから。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p.22 )

「流れる時の結晶」を強烈に感じさせるものは、ロラン・バルトにとってはーーすくなくとも晩年の彼にとってはーー、おそらくシューマンの音楽とともに、写真だった(そして「俳句的なもの」でもあったかもしれない)。





ある種の写真に私がいだく愛着について(……)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム le studium)と、ときおりその場を横切り traverser ce champ やって来るあの思いがけない縞模様 zébrure とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥム le punctum と呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象 représentation pure である。p.118ーー「偶然/遇発性(Chance/Contingency)



夏の宵、なかなか日が暮れないとき、母親たちは小道を散歩していた。子どもがそのまわりでじゃれていて、まさに祭りだった。(『彼自身によるロラン・バルト』)

この文はバルトが「想起記述」と呼ぶもののひとつだが、バルトの「俳句」である。

私が《想起記述》を呼んでいるものは、被験者が、稀薄な思い出を《拡大もせず、それを振動させることもなしに》ふたたび見いだすためにおこなう作業―――享楽と努力の混合―――である。それは俳句そのものだ。《伝記素》とは、つくりものの想起記述以外の何ものでもない。私が自分の愛する著作者に想定する想起記述である。

これらのいくつかの想起記述は、程度の差はあるがともかく、みな《つや消し》である(意味作用を発揮していない、すなわち意味を免除されている)。それらをうまくつや消しのものにすることに成功すればそれだけ、それらは想像界からうまく逃れることになる。(『彼自身によるロラン・バルト』)




シーニュとは裂けめでありそれを開いてもべつのシーニュの顔がみえるだけである Le signe est une fracture qui ne s'ouvre jamais que sur le visage d'un autre signe(ロラン・バルト『記号の国』(シーニュの帝国 L'Empire des signes)


◆Schumann - Gesäng der Frühe - I. In ruhigen tempo




ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)

…………

※付記

ーープルーストの壺と半ば開かれた箱の比喩のいくつか。

【壺】
……その境界はいっそう絶対的なものになった、というのは、おなじ日の、おなじ散歩に、二つのほうに出かけたことはけっしてなく、あるときはメゼグリーズのほうへ、またあるときはゲルマントのほうへ行ったそんな私たちの習慣が、そのふたつをたがいに遠くへひきはなし、たがいに不可知の状態に置き、別々の午後という、双方のあいだに流通のない、封じられたつぼ vase clos とつぼとのなかに、その二つをとじこめていたからであった。(……)

コンブレーの周辺には、散歩に出るのに二つの「ほう」があった、そしてこの二つの方向はまるで反対なので、どちらへ行こうとするときも、おなじ門から家を出るということは実際はなかった……(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)
やがて表通の物音がはじまるだろう、それらの物音は、たえず増してゆく暑気のなかにひびきながら、それぞれの音色のちがいに応じて、暑気の度合を読みとらせるだろう。しかし数時間後にさくらんぼの匂がこもっているであろうその暑気のなかに、このとき私が見出していたのは(たとえばある薬品で、その構成分子の一つを他の分子ととりかえるだけで、いままで安定剤や興奮剤であったものから、気力減退を来たすものになってしまうように)、もはや女たちへの欲望ではなくて、アルベルチーヌが家を出ていったことにたいする苦悩だった。といっても、私のあらゆる欲望の回想には、快楽の回想とおなじほど、彼女と苦しみとがしみこんでいた。彼女がそばにいるのでは私におもしろくなかろうと思われたヴェネチア(そう思われたのは、そこに行けば彼女が必要になってくることを私が漠然と感じていたからに相違ないが)、そのヴェネチアへも、アルベルチーヌがいなくなったいまは、かえって行きたくなかった。私とあらゆるものとのあいだに介在する障害物、そのように彼女が私に思われたのは、私にとって彼女はあらゆるものをふくむ容器(壺 vase)であって、びん(壺)からそそがれるものを受けるように、私は彼女からあらゆるものを受けることができたからである。そのびん(壺)がこわれてしまった ce vase était détruit いま、私はもうそれらのものをとらえる気にはならず、そこには私が顔をそむけないようなものは何一つなく、私は気もくじけ、それらのどれにも食指を動かしたくはなかった。(「逃げさる女」)


【半ば開かれた箱】
……突如としてある屋根が、石の上のある日ざしが、ある道の匂が、私の足をとめさせるのであった、というのもそれらが私にある特別の快感をあたえたからであり、またおなじくそれらが、私に何かをとりだすようにさそっているのにどう努力しても私に発見できないその何かを、私が目にするもののかなたにかくしているように思われたからであった。私はそのかくされている何かが、それらの屋根や日ざしや匂のなかにあると感じたので、その場にとどまって、じっと動かず、目を見張り、息をはずませ、私の思考とともにその映像やその匂のかなたに突きすすもうと努力した。そして、いそいで祖父に追いついて散歩の道をたどらなくてはならなくても、私は目をとざしてそれらのものをふたたび見出そうとつとめ、その屋根の線、その石の色あいを、正確に思いだそうと懸命になった、―――それらのものは、私にはなぜだかわからなかったが、充実し、ひらきかかり、それらがそとのふたにしかなっていないその中身を私にひきわたそうとしていた、という気がしたからなのであった。(「スワン家のほうへ」)

je m'attachais à me rappeler exactement la ligne du toit, la nuance de la pierre qui, sans que je pusse comprendre pourquoi, m'avaient semblé pleines, prêtes à s'entr'ouvrir, à me livrer ce dont elles n'étaient qu'un couvercle

しかし結局シャルリュス氏がやってこないときは、世のありきたりの人間と乗りあわせているにすぎないという失望感、自分のかたわらに、顔を塗りたくった、太鼓腹の、そしてあまり胸襟を開かない、あのもったいぶった人物がいないという物足りなさがあったのであり、そういう彼は、いわばえたいのしれない異国産の果物の箱 boîte de provenance exotique et suspecte のようなもので、奇妙な匂を発散させて、その果物をたべようと思っただけでこちらの胸をぐっと刺激するのだった。(「ソドムとゴモラⅡ」)
昔のある春に耳にした小鳥のさえずりをふたたびきけば、一瞬われわれは、絵をかくときに小さなチューブ petits tubes から絵具を出す tirer ように、過ぎさった日々の、忘れられた、神秘な、新鮮な、正しい色あいをひきだすことができるのであって、それまでは、下手な画家のように、おなじ一つの画面の上にひろげられたわれわれの過去の全体に、意志的記憶 mémoire volontaire の慣例的な、どれも似たりよったりの色調をあたえていて、そのようなとき、われわれは過ぎさった日々を思いだしていると信じていたのであった。(「ゲルマントのほうⅠ」)
そんな当時のゲルマントの名は、酵素またはほかの気体を満たしたあの小さな風船の一つのようでもある le nom de Guermantes d'alors est aussi comme un de ces petits ballons dans lesquels on a enfermé de l'oxygène ou un autre gaz、私がそれをやぶって、なかにはいっているものを発散させると、私はその年、その日のコンブレ―の空気を呼吸するのであって、その空気は、雨のまえぶれのように広場のすみを吹く風によってかきたてられるさんざしの匂をまじえているし、その風はまた、聖容器室の赤いウールのカーペットから日ざしをとびたたせるかと思うと、こんどはふたたびそのカーペットの上に日ざしをひろげ、ゼラニウムのばら色に近いあかるい肉色と、祭礼にいかにも高貴さをそえる歓喜のなかのいわばワグナー的なやさしさとで、そのカーペットを被うのであった。(「ゲルマントのほうⅠ」)

壺と箱は、言ってしまえば、おいどとおそそのようなものかもしれないが、現代ではおいどのほうもなかば開かれていることが多いだろう・・・

男「え、ここか」 女「あ、あかんて、そこおいどやし」 男「ほなら、こっちか。ここやろ。ねぶったるわ。ここ何て言うんや。言うてみ。」 女「おそ…  もう、いけずやわあ。うちそんなん、よう言わん。」(京都の言葉

…………

多くの場合、相手が変質をきたすのは言語活動を通じてである。あの人がなにか異質の語を口にする、そしてわたしは、あの人の世界が、まったき別の世界の全体が、おそろしげなざわめきを立てるのを聞く。アルベルチーヌが何気なく口にした「壺をこわされる me faire casser le pot」という陳腐な表現に、プルーストの語り手はおぞけをふるっている。というのも、そこに突然あからさまになったのが、女性同士の同性愛という、露骨な漁色のおどろおどろしたゲットーであったからだ。それは、言語活動の鍵穴からのぞかれた場面にほかならない。語とは、猛烈な化学変化を惹き起こす微細物質のようなものである。わたし自身のディスクールというまゆの中で長く抱かれつづけてきたあの人が、今、何気なく洩らした語を通じて、さまざまの言語が借用可能であることを、つまりは第三者から貸し与えられた言語を、聞かせているのである。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「変質altération」の項より 三好郁朗訳)



「まっぴらだわ! むだづかいよ、一スーだって、あんな古くさい夫婦のためなら。それよりも私にはうれしいの、一度だけでも自由にさせてくださるほうが、割ってもらいに行くために pour que j'aille me faire casser le ……」とっさに彼女の顔面は赤くなった、しまったというようすで片手を口にあてた、いま口にしたばかりの言葉、私には一向意味がわからなかった言葉を、口のなかにもどそうとするかのように。「いまどういったの、アルベルチーヌ?」――「いいえ、なんでもないの、私ふらっとねむくなったの。」――「そうじゃない、はっきり目がさめてますよ。」――「ヴェルデュランをむかえての晩餐会のことを考えていたの、あなたからのお申出、とてもありがたいわ。」――「そうじゃなくて、ぼくがきいているのは、さっきあなたがなんといったかですよ。」彼女は何度も言いなおしたを試みたが、どうもぴったりとあてはまらなかった。彼女がいった言葉にあてはまらなかったというのではなくて、彼女がいった言葉は中断され、私にはその意味があいまいだったから、言葉そのものにではなく、むしろその言葉の中断と、それに伴ったとっさの赤面とに、ぴったりとあてはまらないのであった。「いやあ、どうもあなた、そうじゃないな、さっきいおうとした言葉は。でなきゃなぜ途中でやめたの?」――(……)彼女の釈明は私の理性を満足させなかった。私はしつこく言いたてることをやめなかった。「まあいいから、ともかく元気を出してあなたがいおうとした文句をおわりまでいってごらん、割るcasser とかなんとかでとまってしまったけれど……」――「いやよ! よして!」――「だって、どうして?」--「どうしてって、ひどく品がわるくて、はばかられるんですもの、あなたのまえで口にするのは。よくわからないの、私何を考えていたのか、その言葉の意味もよくわからないくせに、いつだったか、人通りのなかで、ひどく下品な人たちがいっているのを耳にしたそれが口に出たんですの、なぜということもなく。なんの関係もありません、私にも、ほかの誰にも。私寝言をいってたのね。」(プルースト「囚われの女」 井上究一郎訳)


女が三人、壺を持って、涌き井戸のまわりに腰を下ろしている
大きな赤い葉っぱが、髪にも肩にも止まっている
鈴懸の樹の後ろに誰かが隠れている
石を投げた。壺が一つ壊れた
水はこぼれない。水はそのまま立った
水は一面に輝いて我々の隠れているほうをみつめた。

ーーーヤニス・リッツォス「井戸のまわりで」中井久夫訳

アンドレを見つめているうちに、これまで何度も想像しようと努力してきてやっとかいま見たと思った、あのアルベルチーヌの快楽、それのあらわれを、こんどはべつのときに、目によってではなく耳によって、とらえたと思ったことがあった。私はアルベルチーヌがよく行ったというある地区の洗濯屋の二人の小娘を、ある売春宿にこさせたのであった。その一人に愛撫されたもう一人の小娘が突然何やら口にしはじめたとき、それがなんのことか、最初私にはよくききわけられなかった、なぜなら、人は自分の経験していない感覚が発する独自な一くせある音声の意味を、けっして正確につかむものではないからである。隣室にいて人が何も見ずにきくとき、麻酔で眠らせられずに手術を受ける患者が放つ苦痛の声を、人はばか笑とまちがえることがある。また、子供がたったいま死んだときかされる母親の口から出てくる声についても、われわれが事情を知らなければ、そこに人間的な解釈を適用することが困難なのは、獣とか竪琴とかからきこえてくる音の場合とおなじである。上に挙げた患者と母親との二つの声があらわしているのは、われわれ自身がそれまでに知ることのできた、しかしこの場合とはちがった感覚との類推によって、われわれが苦しみと呼んでいるものである、ということを理解するには、いささか時間の余裕を必要とするのである。したがって、くだんの小娘の口から出た音声があらわしていたのは、私自身がそれまでに知っていてこの場合とはちがっていた感覚との同様の類推によって、私が快楽と呼んだものである、ということを理解するには、私にとってもやはり時間の余裕を必要としたのであった。しかも、その快楽は、よほど強烈なものであったにちがいなく、それを感じている女を極度にふるえわななかせ、口からは未知の言葉をしきりに吐きださせていた。その未知の言葉は、この小さな女が身をもって演じている快い劇の全局面をはっきりコメントしているように思われるが、その劇を私の目からかくしているのは、当の女以外の者にたいして永久におろされた幕で、その見えない舞台はそれぞれの女の内密の神秘のなかに経過してゆくのである。(プルースト「逃げさる女」井上究一郎訳)





2016年10月21日金曜日

心の間歇・解離・倒錯

心の間歇と心の傷」から引き続く。

…………

◆中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007年より


【プルースト的精神医学】
もしフロイトが存在しなかったとすれば、二十世紀の精神医学はどういう精神医学になっていたでしょうかね」と私は問うた。問うた相手はアンリ・F・エランベルジュ先生。(……)

先生は少し考えてから答えられた。「おそらくプルースト的な精神医学になっただろうね、あるいはウィリアム・ジェームスか」…


【科学者の子としてのプルースト】 
彼(プルースト)は科学者ではもちろん決してないけれども、科学者の子であり、科学者の世界、少なくとも科学者の出入りする社交界を熟知しており、彼自身、植物採集家の眼を以て人間を見ている。たとえば人物を蘭やマルハナバチに巧みにたとえている。(……)

プルースト的精神医学といえば、まず「心の間歇」と訳される intermittence du cœur が頭ん浮かぶだろう。『失われた時を求めて』は精神医学あるいは社会心理学的な面が大いにあり、社交心理学ないし階級意識の心理学など、対人関係論的精神医学を補完する面を持つにちがいないが、著者自身が小説全体の題に「心の間歇」を考えていた時期があることをみれば、まず、この概念を取り上げるのが正当だろう。フロイトの「抑圧」に対して「解離」を重視するのがピエール・ジャネにはじまる十九世紀フランス精神医学である。(……)


【心の間歇と解離】
「心の間歇 intermittence du cœur」は「解離 dissociation」と比較されるべき概念である。では「心の間歇」は「解離」の一種なのか。(……)

現在の精神医学は、解離と呼ばれているものを病的解離と正常解離とにわけている。

病的解離とは多重人格障害 personnalité multiple、遁走 fugue(外からは意識的・合目的に見え、実際、遠方まで車を運転していったりするが当人は記憶していないもの)、種々の健忘 amnésie、夢遊病 somnambulisme、フラッシュバック(白昼に外傷的体験が意図せずして意識に侵入し一時これを占拠するもの)retour en arrière,flash-back、離人 dépersonalisation(自己、下界、身体あるいはそおすべての自己所属感が喪失する)などであり、催眠 hypnotisme はその人工的誘導である。覚醒剤使用者には断薬後二〇年以上経っても、少量の覚醒剤あるいはストレスによって大量服薬時の幻覚が発生する。元来、フラッシュバックという用語はこちらのほうを指していた。なお、実名で『失われた時を求めて』に登場する精神科医コタールの名を冠するコタール症候群 syndrome de Cotard とは自己、自己身体、外界のすべての存在を否定し、「ない」というもので、解離の極端例とも考えられる。(……)

病的解離の代表的なものとは、「心の間歇」は、言葉でいい表せば同じになることでも内実は大いに異なる。たとえば、同じ誘発因子を以て突然始まるといっても、臨床的に問題になる解離は、石段の凹みを踏んだ“深部感覚”、マドレーヌを紅茶に浸して口に含んだ口腔感覚といったものではない。引き金になるのは、性的被害を受けた現場に似ている場所や、戦場を思わせる火災である。さらに、現れる状態は誘発因子との関連が深く、「再体験」といわれる。また、同じく例外的状態といっても、侵入される苦痛の程度が格段に違う。それに、自己意識が消失したり、合目的的ではあるが自動運動に置換されたり、私が私であるという基本的条件が震撼させられる点もちがう。意識内容の一時的支配といっても程度の差は著しい。過去との記憶の関連があるといっても、病的解離においては不動静止画像が多く、時間が停止する。運動は混乱の極みに達し、しばしばパニックを起こす。「心の間歇」では動きがあり、感覚的に楽しささえある(精神医学的には「自我親和的」といってよかろう)。(……)


【生のさわやかな味わいとしての解離】
もっとも、私は「心の間歇」であれ何であれ、プルーストの書き残したものを精神医学という「プロクルステスの寝台」に押し込めてよしとするつもりはない。

むしろ、夢遊病者なり、遁走なり、多重人格といった精神医学の不動の蠟人形をその館から開放するためにプルーストの力を借りたいぐらいである。(……)

敢えて私自身の言葉を用いれば、マドレーヌや石段の窪みは「メタ記憶の総体としての〈メタ私〉」から特定の記憶を瞬時に呼び出し意識に現前させる一種の「索引 ‐鍵 indice-clef 」である(拙論「世界における徴候と索引」一九九〇年、『徴候・記憶・外傷』みすず書房、二〇〇四年版所収)。もちろん、記憶の総体が一挙に意識に現前しようとすれば、われわれは潰滅する。プルーストは自らが翻訳した『胡麻と百合』の注釈において、「胡麻」という言葉の含みを「扉を開く読書、アリババの呪文、魔法の種」と解説したといっているが( …)、この言葉は、読書内容をも含めて一般に記憶の索引 ‐鍵をよく言い表している。フラッシュバックほどには強制的硬直的で頑固に不動でなく、通常の記憶ほどにはイマージュにも言語にも依存しない「鍵 ‐ことば‐ イマージュ mot- image-clef」は、呪文、魔法、鍵言葉となって、一見些細な感覚が一挙に全体を開示する。( …)それは痛みはあっても、ある高揚感を伴っている。敢えていえば、解離スペクトルの中位に位置する「心の間歇」は、解離のうち、もっとも生のさわやかな味わい saveur をももたらしうるものである。(……)


【解離と解離の解除】
これは解離ではなく解離の解消ではないかという指摘が当然あるだろう。それは半分は解離概念の未成熟ゆえである。フラッシュバックも、解離していた内容が意識に侵入することでもあるから、解離の解除ということもできる。反復する悪夢も想定しうるかぎりにおいて同じことである。

われわれに解離すなわち意識内容の制限と統御がなければ、われわれはただちに潰滅する。われわれは解離に支えられてようやく存在しているということができる。サリヴァンの解離の意味は現行と少し違うが、「意識にのぼせると他の意識内容と相いれないものを排除するのが解離である」という定義は今も通用すると私は思う。

解離は必ずしも破壊者ではない。社会生活に不都合を生むにせよ、むしろ保護的なものである。侵入体験を消失する薬物を、効果を認めながら、断乎拒んだ家族内暴力被害患者を思い合わせる。おそらく、身体の傷と同じく、心の傷も治療はしかるべき歩調で、そして患者主体で進行しなければならないのだろう。


【プルーストの喪の作業】
プルーストもサナトリウムの治療を拒み、『失われた時を求めて』を書くことを選んだ。それは母にささげる彼の「喪の作業」であったかもしれない。

ここでいったん別の論から挿差する。

《戦争について書こうとする作業は、私の一種の喪の作業であることに最近気づいた。》( 中井久夫「戦争と平和 ある観察」2005)

一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリサーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者であることを秘匿する。

PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。膵臓疾患の診断の第一は「膵臓が存在することを忘れていないこと」である。それほど膵臓は忘れられやすい臓器だということだが心的外傷でも同じである。多くの外来患者はフラッシュバックなど侵入症状を初めとする外傷関連症状の存否をそもそも聞かれていない。それに怠慢ばかりでなく、心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。

しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密を土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

天災においてさえ、恥の意識はありうる。「他の人たちは我慢しているのに」「生きのびただけでも感謝するべきなのに」「私の弱さをさらけだしたくない」など。「死んだ人(家をなくした人)に申し訳ない」という生存者罪悪感もある。たとえば周囲が皆倒壊している中で一軒だけ倒壊しなかった家の人の持つ罪の意識である。性的被害や児童虐待においては、なおさらのことである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」)

 プルースト小論に戻る。


【心の間歇と心の傷】
「心の間歇」は心の傷になるか? 現在のPTSD定義には該当しない。定義は死の危険と深く結びついているが、それはヴェトナム復員兵への補償と対応しているからだけのことだ。

おそらく、心の傷にもさまざまなあり方があるのだろう。細かな無数の傷がすりガラスのようになっている場合もあるだろうし、目にみえないほどの傷が生涯うずくことがあり、それがその人の生の決定因子となることもあるだろう。たとえば、おやすみなさいのキスを母親に忘れられて父母が外出をする気配を感受する子どもの傷である。スティーヴンソンも『子どものための詩』で、高緯度地帯ゆえに明るいうちいベッドに追いやられる子どもをうたっていはしないか。ふつう、それは精神医学的介入を求められるたぐいのものではない。だが、精神科医が自戒すべきは、精神医学的介入を必要としない事態の軽視である。そういう傷のない子どもがあろうか。また、ある種の子どもの成長に不可欠なものかもしれない。そして歴史家フィリップ・アリエスは「大人による子どもの発見」を語ったが、子どもによる大人の発見もある。たとえば、エランベルジェの童話『いろいろずきん』。大人を発見することを介して子どもは自分を発見する。大人の行動を乏しい経験と語彙とによって論理的に考えて考えて考えているのが子どもだと小児精神科医デニス・M・ドノヴァンとデボラ・マッキンタイアはいう。「あどけない考え」だとして大人が微笑むものが子どもの必死の思考でありうる。成人になってからのプルーストの言動にもそれはありはしないか。相手を傷つけまりとする配慮と、相手の傷つきによって自分が傷つくことを恐れて先回りしようとする気遣いとは時に法外なチップとなり、丁寧すぎる挨拶となる。


【プルーストの外傷的な記憶】
「私なら失われた時など求めはしない。そういうものはむしろ退けるくらいだ」とプルースト追悼の際にポール・ヴァレリーは書いた。彼が「知性の巨人」で済まされなくなった今、彼はむしろ過剰な記憶に苛まれた人 hypermnesiqueではなかったかと思われる。「初めから失われていた恋人」ともいうべき二十八歳年長のロヴィラ夫人への生涯の執着はほとんど時間が停まっているかのようである。サマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」といって九十歳になんなんとして自殺した。忘却を人は恐れるが忘却できないことはいっそう苛酷である。プルーストも、母の死後の時間は停止していたに近い。最後はカフェ・オ・レによって辛うじて生存し、もっぱら月光のもとでのみ外出し、ひたすら執筆に没入した。記述を読むと鬼気がせまってくる。

私には、『失われた時を求めて』の話者の記憶は、抑圧を解除されたフロイト的記憶よりも外傷的なジャネの記憶の色を帯びているように思える。プルーストの心の傷の中には、母親に暴言を吐き、ひょっとすると暴力を振るってしまったことによる傷があっても不思議ではないと私は思う(『ジャン・サントゥイユ』あるいはペインターの『プルースト伝』参照)。私は初めて『失われた時を求めて』を読んだ時、作家は家庭内暴力を経ている人ではないかと思った)。もっとも、『失われた時を求めて』は贖罪の書では決してない。むしろ、世界を論理的に言葉で解析しつくそうとするドノヴァンとマッキンタイアのいう子どもの努力のほうに近いだろう。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)

…………

上に引用した文のなかに、「意識にのぼせると他の意識内容と相いれないものを排除するのが解離である」(サリヴァン)の定義が引用されているが、中井久夫のサリヴァン、ジャネ、エランベルジュに依拠しつつのこの論は、フロイト・ラカン派ならどう見るのか。

…心的外傷後ストレス障害の長期にわたる影響、それは解離、能動-受動の反転を伴う反復強迫、根本的不信である。基本的に、これらの患者の生存戦略は常に同一である。すなわち、コントロールされる代りに、コントロールしたいことである。

解離はもちろん、分割(分裂splitting)、主体の分割と同じものである。とても屡々悪い部分と良い部分への分割である。この観点から、フロイトはまさに意識と無意識とのあいだの対立を見出した。いわゆるトラウマ患者の解離障害とは、意識と無意識とのあいだの分裂をおそらく最もよく例示している。それは症状として、状況のコントロールを得ようとする患者の試みである。この試みは、倒錯における否定(否認)というフロイトの考え方と極めて顕著に類似している。否定と解離の両事例において、二つの異なった世界が創造され、各々が独立して機能している。(Paul Verhaeghe、PERVERSION II: THE PERVERSE STRUCTURE、PDF

この時点ーーこの論はたぶん2002年の論だと思うが不詳ーーにおいてのヴェルハーゲの仮説は、《もし我々が倒錯構造をもった患者を見出したいなら、いわゆる心的外傷後ストレス障害、とくにその慢性的形式のDSMのカテゴリーのなかに探し求めるなければならない》というものである。

ヴェルハーゲの上の文に、「能動-受動の反転」、「コントロールされる代りに、コントロールしたいこと」とある。これは中井久夫の次の叙述と同じ意味合いであるだろう。

治療における患者の特性であるが、統合失調症患者を診なれてきた私は、統合失調症患者に比べて、外傷系の患者は、治療者に対して多少とも「侵入的」であると感じる。この侵入性はヒントの一つである。それは深夜の電話のこともあり、多数の手紙(一日数回に及ぶ!)のこともあり、私生活への関心、当惑させるような打ち明け話であることもある。たいていは無邪気な範囲のことであるが、意図的妨害と受け取られる程度になることもある。彼/彼女らが「侵入」をこうむったからには、多少「侵入的」となるのも当然であろうか。世話になった友人に対してストーキング的な電話をかけつづける例もあった。(中井久夫「トラウマと治療体験」『徴候・記憶・外傷』所収 P.106ーートラウマ患者の「暴力」性

 そして「倒錯」めぐるヴェルハーゲの見解だが、これも中井久夫が記しているように、《精神科医が自戒すべきは、精神医学的介入を必要としない事態の軽視》である。倒錯者は、精神医学的介入のすくない病理者ーー犯罪行為をおかさなければーーであるだろう。その意味でも、上のヴェルハーゲの見解は傾聴に値する。

もっとも中井久夫にとってもヴェルハーゲにとっても、核心は現勢神経症概念であり、最終的には両者ともその概念に収斂するはずである(参照:ホロコースト生存者の子供たちのPTSD)。

フロイトの「現勢神経症」概念から導きだされたヴェルハーゲの「現勢病理 actualpathology」とは、臨床的スペクトラムーーラカンの三区分(精神病・倒錯・神経症)ーーを渡り動くものであり、分裂病や倒錯は現勢病理の最も典型的な(濃いスペクトラムポジションの)病理である(一般的にいわれる「神経症」がスペクトラムの最も薄い端に位置するのに比較して)。

フロイト自身、精神病ーーパラフレニア(分裂病)、パラノイア等ーーを含めて現勢神経症を定義している。

現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核であり、そして最初の段階である。この種の関係は、神経衰弱 neurasthenia と「転換ヒステリー」として知られる転移神経症、不安神経症と不安ヒステリーとのあいだで最も明瞭に観察される。しかしまた、心気症 Hypochondrie とパラフレニア Paraphrenie (早期性痴呆 dementia praecox と パラノイア paranoia) の名の下の…障害形式のあいだにもある。(フロイト『精神分析入門』1916-1917)

ヴェルハーゲの記述なら次の通り。

フロイトの論拠では、「精神病理」的発達は、どの発達の出発点としての「現勢病理」の核の上への標準的継ぎ足しである。これらの二つは、単一の連続体の二つの両極端として考えられなければならない。どの「精神病理」も「現勢病理」の核を含んでおり、どの「現勢病理」も潜在的に「精神病理」へと進展する。(Lecture in Dublin, 2008 (EISTEACH) A combination that has to fail: new patients, old therapists Paul Verhaeghe(PDF)

とはいえ、中井久夫の「解離」とヴェルハーゲの「倒錯」をめぐる叙述はとても興味深い。一概に現勢神経症と括ってしまっては見えてこないものが見えてくる。

たとえば、プルースト、ロラン・バルト、あるいは数多くの詩人たちーー、すなわち「心の間歇」「無意志的記憶」に襲われやすい人間は、倒錯的気質をもったタイプではなかっただろうか、という問いが浮かんでくる。

もちろん、別の原因での無意志的記憶の現われもあるだろう。日本だけに限っても戦前の作家たちのヒロポン大量使用などに思いを馳せることができる、中井久夫の文を再掲するならば、《覚醒剤使用者には断薬後二〇年以上経っても、少量の覚醒剤あるいはストレスによって大量服薬時の幻覚が発生する。元来、フラッシュバックという用語はこちらのほうを指していた》。

…………

いずれにせよ、外傷研究をするなかでフロイト概念の「現勢神経症」の重要性を強調している臨床家はーーわたくしの知る範囲でだがーー、PTSD研究者アラン・ヤング、阪神大震災被災後の中井久夫、フロイト・ラカン派のポール・ヴェルハーゲである。

ヴェルハーゲは、通常の神経症(精神神経症)における「反復」と外傷神経症(現実神経症)における「反復強迫」とのあいだの区別の簡明な説明をしている。

どの「反復」も、絶え間ず換喩的に動く欲望のイマジナリーな弁証法内部で、新しい何かを含んでいる。対照的に、「反復強迫」は--フロイトによって外傷神経症をめぐって叙述されたものだがーー、トラウマ的リアルから生じる何かを象徴化する試みのなかでしっかりと固定化されている。(Paul Verhaeghe、PERVERSION II: THE PERVERSE STRUCTURE、PDF

ラカンのいう《書かれぬことをやめぬもの [ce qui ne cesse de ne pas s'écrire]》(Lacan, S.20)に囚われているのが、どちらのタイプであるかは一読瞭然だろう。

これはラカンのオートマンとテュケーーーautomaton (αủτoματov) versus tuchè (τuχη)ーーの区別でもあるが、このところ何度もくり返しているのでここではこれ以上触れないでおく(参照:偶然/遇発性(Chance/Contingency))。




2016年10月20日木曜日

心の間歇と心の傷

プルーストにとって、《人生の半ば》は、もちろん、母親の死でした(1905年)。生活の突然変異、新しい作品の開始が数年後のことであったとしてもです。つらい悲しみ、唯一の、何物にも還元できないような悲しみは、私にとって、プルーストの語っていた《個人的なものの頂点》をなし得るように思えます。(ロラン・バルト《長い間、私は早くから床についた》)

…………

◆プルースト「ソドムとゴモラⅠ」「心情の間歇」の章より(井上究一郎訳、p.266~)

【自我であるとともに、自我以上のもの moi et plus que moi】
私の全人間の転倒。夜がくるのを待ちかねて、疲労のために心臓の動悸がはげしく打って苦しいのをやっとおさえながら、私はかがんで、ゆっくり、用心深く、靴をぬごうとした。ところが半長靴の最初のボタンに手をふれたとたんに、何か知らない神聖なもののあらわれに満たされて私の胸はふくらみ、嗚咽に身をゆすられて、どっと目から涙が流れた。いま私をたすけにやってきて魂の枯渇を救ってくれたものは、数年前、おなじような悲しみと孤独のひとときに、自我を何ももっていなかったひとときに、私のなかにはいってきて、私を私自身に返してくれたのとおなじものであった、自我であるとともに、自我以上のもの moi et plus que moi (内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器le contenant qui est plus que le contenu et me l’apportait)だったのだ。

《私はあなたを愛する。だがあなたの中にはなにかあなた以上のもの、〈対象a〉がある。だからこそ私はあなたの手足をばらばらにする。[Je t'aime, mais parce que j'aime inexplicablement quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a), je te mutile.]》(ラカン、セミネール11)


【再創造によってのみ存在する生きた実在 réalité vivante】
私はいま、記憶のなかに、あの最初の到着の夕べのままの祖母の、疲れた私をのぞきこんだ、やさしい、気づかわしげな、落胆した顔を、ありありと認めたのだ、それは、いままで、その死を哀悼しなかったことを自分でふしぎに思い、気がとがめていたあの祖母、名前だけの祖母、そんな祖母の顔ではなくて、私の真の祖母の顔であった。彼女が病気の発作を起こしたあのシャン=ゼリゼ以来はじめて、無意志的で完全な回想 souvenir involontaire et complet のなかに、祖母の生きた実在 réalité vivanteを見出したのだ。そのような実在 réalité は、それがわれわれの思考によって再創造されなければわれわれに存在するものではない(そうでないなら、大規模な戦闘に加わった人間はことごとく偉大な叙事詩人になるはずだ)、こうして私は、彼女の腕のなかにとびこみたいはげしい欲望にかきたてられ、たったいまーーその葬送後一年以上も過ぎたときに、しばしば事実のカレンダーを感情のそれに一致させることをさまたげるあの時間の錯誤のためにーーはじめて祖母が死んだことを知ったのだ。


【富の明細書の不渡り】
なるほどあれ以来、たびたび彼女のことを語り、また彼女のことを思った、しかし恩知らずな、利己主義な、冷酷な若者の私の言葉や思考の底には、祖母に似たものは何一つなかった、なぜなら、浮薄で、快楽を好む私、病気の彼女を見慣れていた私は、自分のなかに、彼女の在世のころの回想を、仮の状態でしか入れていなかったからだ。いつどんなときに考察しても、われわれの魂の総体などというものは、ほとんど架空の価値しかもたないものである。そこにふくまれている富の明細書がいくらあってもそれを全体としてとらえることはできない、かならずどこか一方に、不渡りがあるからである。このことはまた、想像の内容についても、現実の内容についても同様で、私の場合、たとえばゲルマントの古い名についても、さらにどれほどか重要な祖母の真の思出についても、おなじことがいえた。


【心情の間歇 les intermittences du cœur】
というのも、記憶の混濁 troubles de la mémoire には心情の間歇 les intermittences du cœur がつながっているからだ。われわれの内的な機能の所産のすべて、すなわち過去のよろこびとか苦痛とかのすべてが、いつまでも長くわれわれのなかに所有されているかのように思われるとすれば、それはわれわれの肉体の存在のためであろう、肉体はわれわれの霊性が封じこまれている瓶のように思われているからだ。同様に、そんなよろこびや苦痛が、姿を消したり、舞いもどってきたりすると思うのも、おそらく正しくないであろう。とにかく、そうしたものがわれわれのなかに残っているとしても、多くの場合、それはしらじらしい領域に、もうわれわれにとってなんの役にも立たないものになって残っているだけであって、そのなかでもっとも役に立つものさえ、ちがったさまざまな種類の回想の逆流を受けるわけであり、それとてもまた、元の感情との同時性は、意識のなかでは全然望まれないのである。


【時のなかのいくつもの違った平行的系列(セリーséries)】
ところが、よろこびや苦痛のはいっている感覚の枠ぶちがふたたびとらえられるならば、こんどはそのよろこびや苦痛は、相容れない他人をすべて排斥して、ただ一つ生みの親である自我をわれわれのなかに定着する力をもつものである。ところで先ほど、たちまち私に復帰した自我は、祖母がバルベックに着いたときに、上着と靴とのボタンをとってくれたあの遠い晩以来あらわれたことがなかったので、祖母は私のほうに身をかがめたあの瞬間にいま私がぴったり一致したのは、あの自我のかかわり知らぬきょうのひるの一日のあとにではなくーー時のなかにはいくつものちがった系列が並行して存在するかのように comme s'il y avait dans le temps des séries différentes et parallèles ーー時間の連続を中断することなしに、ごく自然に、かつてのバルベック到着第一夜ののちに、じかにつづいてであった。


【長いあいだ失っていた当時の自我】
あんなに長いあいだ失っていた当時の自我は、いまふたたび私に非常に近くせまったので、はっきり目のさめない人が、消えてゆく夢を追いながら、その夢のなかの物音をごく身近に感じるように、上着と靴とをぬがせてくれる直前に祖母の口から出た、いまではもう夢でしかない言葉までが、まだきこえるような気がした。私はもはや、祖母の腕のなかにとびこんで、接吻しながら、彼女の心配そうな表情を消そうとしている存在でしかなかった、そういう存在を、もし私が、しばらくまえまで私のなかに継起していた存在のままで想像するとしたら、ずいぶん困難であっただろうし、同様に、いま、もし私が、すくなくともひとときもはや私を離れている元の存在の、欲求やよろこびを感じようとすれば、やはり努力を、それも空しい努力を要したであろう。

《私の最も内にある親密な外部、モノ(対象a) としての外密。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose》(ラカン、S.7)

《要するに、私たちのもっとも近くにあるものが、私たちのまったくの外部にある。ここで問題となっていることを示すために「外密 extime」という語を使うべきだろう。》(ラカン、セミネール16)


【ふたたび見出したことによって、永久に失う】
私は思いだすのだった、祖母が買物先から帰ってきて、ガウンを着てあのように私の半長靴のほうに身をかがめてくれるまでの一時間というもの、暑さに息づまりそうなホテルのまえの通をあちこちしながら、菓子屋の店先で、一刻も早く彼女の接吻を受けたい欲求に、もうこれ以上ひとりで待っていることはとてもできないとどんなに思いつめたかを。そして、そのおなじ欲求がふたたびあらわれたいま、私は知るのだった、いまの私は何時間でも待つことができるのに、祖母はもう二度と私のそばに帰ってこないことを、それがやっとわかったのは、いまにも張りさけるばかりに胸を詰まらせながら、はじめて、生きた、真の、祖母を感じたことによって、つまり彼女をふたたび見出したことによって、永久に彼女を失ってしまったと気づいたからである。


同プルースト、「心情の間歇」の章 p.270~

【祖母に口走ったひどい言葉】
しばらくのあいだ味わった先ほどの快感にひきかえて、いま私が味わうことのできるものがあるとすれば、それはただ一つ、過去にふたたびふれながら、あのときの祖母の心痛をすくなくしてやれたらと思うことだった。ところで、私が思いうかべたのは、単に彼女のあのガウン姿、おそらくからだのためによくなかったろうに私のためにする苦労ならかえって心地よさそうにさえ見える疲れた彼女の、そんな場合のつきものであり、ほとんど象徴となってしまったあのガウン姿、それだけの祖母ではなくて、いまや私の回想は次第にほぐれ、自分の苦しみを彼女の目に入れ、いざとなればむりにも苦しみを誇張して見せつけながら、祖母を心配させてそのあと自分の接吻でぬぐいとれるものと想像し、自分のそうしたやさしさが、自分の幸福とおなじように彼女の幸福をもつくりだすことができると思って、あらゆる機会をとらえたのを思いだしたのだ。それよりももっとわるいことは、いまでこそ回想のなかで、盛りあがる愛情にかしげられたあの顔の傾きをふたたび見ながら、せめてそれがよろこびの色をたたえていてくれたらそれにまさる幸福はないだろうとくやむ私が、かつてはあの顔から、無謀にもいささかの快感の影さえ根こぞぎにしようとして躍起になったことがあったのであって、たとえば、サン=ルーが祖母の写真をとってくれたときがそうであったが、その日、大きなふちの帽子をかぶり、自分に適した薄あかりのなかにポーズをしようとして祖母のつくり嬌姿がほとんどこっけいなまでい子供っぽいのを、祖母にだまっていることができなくて、思わず私は、人を傷つけるような言葉を、いらだたしげに、二こと三こと口走ったのだったが、それが祖母の神経にひびいて、彼女の感情を害したらしく、つとしかめた顔に私はそれを読みとったのだった、惜気もなくあたえられたあの接吻のなぐさめを求めることが永久に不可能となったいま、自分の口走ったひどい言葉に身をさかれるのはこの私だった。


【記憶を打ちこんでいるこの釘】
しかし、あのしかめ面、あの祖母の心の苦しみは、いつまでも消しさることができないであろう、いや消しされないのはむしろ私の心の苦しみだった、なぜなら、死んだ人たちは、もはやわれわれのなかにしか存在しないので、彼らに加えた打撃を執拗に思いだすとき、われわれはたえず自身を打ちのめすことになるからである。そうした苦痛がどんない残酷であっても、私はそれに懸命いかじりつくのであった、その苦痛こそ、祖母の回想の結果であり、祖母の回想がたしかに私のなかにあらわれているという証拠であることを、自分に切実に感じたからである。私は感じるのだった、祖母を真に思いだすのはもはや苦痛によってでしかないことを、それならば、祖母の記憶を打ちこんでいるこの釘が、もっとしっかり私のなかに食い入ってくれればいい。


【私のなかで交錯する残存者と虚無とのふしぎな矛盾
彼女の写真に(サン=ルーがとってくれて、私が肌身離さずもっている写真に)、わかれていても生き生きとした個性をつたえ、つきない調和にむずばれて心に残る、そういう親しい人にたいするように、言葉をかけたり祈をささげたりしながら、苦しみをもっとやわらげ、それを美化し、祖母が単に不在でしばらく姿を見せないだけであると想像する、そういうことにつとめようとは私はしなかった。けっしてやらなかった、なぜなら、単に苦しむことをねがっただけではなく、私が受けた苦しみの独特さを、私がふいに、無意志で、それを受けた状態のままで、尊敬してゆこうとしたからだ、そして、私のなかで交錯する残存者と虚無とのそのようなふしぎな矛盾 contradiction si étrange de la survivance et du néant en moi が立ちあらわれるたびに、私は自分の苦しみがもつ掟にしたがって、いつまでもその苦しみを受けてゆこうと思ったからだ。いまは解きにくい、ひどい苦痛の、この印象から、いつか多少の真理をひきだすようになるかどうかはたしかではなかったが、万一わずかの真理をいつかひきだすことができるとしたら、それは、理知によって強められることもなく、無気力によって減じることのない、特異な、偶発的な、この印象からでしかありえないであろうこと、とにかく死そのものが、死の突然の啓示が、稲妻のようにくだって、ふしぎな無慈悲な記号で、二つにさけた、神秘なみぞのように、私のなかにうがってしまったこの印象からでしかありえないであろうことを知るのだった。(祖母を思わずに暮らしてきたいままでの忘却はといえば、そこから真理をひきだすためにそれに心を傾けようとは考えることさえできなかった。それもそのはずで、忘却そのもののなかには否定よりほかの何物もなく、そこには、人生の真実を再生することができない思考の衰退、真実の瞬間のかわりに習慣的なよそよそしい映像を置きかえなくてはならないような思考の衰退があるばかりだ。) 

《テュケーの機能、出会いとしての現実界の機能ということであるが、それは、出会いとは言っても、出会い損なうかもしれない出会いのことであり、本質的には、「出会い損ね」としての「現前」« présence » comme « rencontre manquée » [ in abstentia ]である。このような出会いが、精神分析の歴史の中に最初に現われたとき、それは、トラウマという形で出現してきた。そんな形で出てきたこと自体、われわれの注意を引くのに十分であろう。》(ラカン、セミネールⅪ、ーー「 レミニサンス réminiscence」と「穴馬 troumatisme」


【抜け目ない基礎工事/睡眠】
しかし一方、生存本能、苦痛をまぬがれようとする巧妙な理知が、まだくすぶっている余燼の上に、早くも抜目のない、無気味な基礎工事をはじめたのであろう、私はいとしいひとの判断をあれやこれやと思いだし、あたかも彼女がまだやさしい指図をしてくれるかのように、まだ彼女が生存しているかのように、あたかも自分がまだ彼女のために生きつづけているかのように、彼女のさまざまな判断を思いだして、そのあまいなぐさめにむさぼりつこうとするのだ。しかし、やっと私が寝入った瞬間、そして私の目が外界の事物にたいしてとじられてしまったいっそう真実な時間に私がはいったとたんに、睡眠の世界は(その敷居に立つと理知も意志もしばらくその機能を失い、私の真の印象の凶暴さから私を救うことができなかった)、神秘なあかりに照らされる内臓の、半透明となった組織の深部に、残存者と虚無との痛ましい再統合 douloureuse synthèse de la survivance et du néant のすがたを反映し、屈折させた。睡眠の世界では、内的知覚は器官の障害に従属していて、心臓や呼吸のリズムを早める、なぜならおなじ分量のおどろきや、悲しみや、悔も、たとえば静脈に注射されていると、百倍の強さになってはたらくからである、そうした地下都市の大動脈をめぐろうとして、あたかもあの六つにわかれて蜿蜒とうねる冥界の「忘却の河〔レーテー〕」を行くように、自分の血の黒い波の上に船出したと思うと、荘重な崇高な人の顔がつぎつぎにあらわれ、近づいては、われわれを涙にかきくれさせながら遠ざかってゆくのだ。

…………


◆ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』より

【祖母の記憶の想起とマドレーヌの想起の相同性】
感覚的シーニュ signes sensibles が、その充実性にもかかわらず、それ自体で、交替と消滅のシーニュ signes d'altération et de disparition になりうるということは、さらに驚くべきことである。しかし、プルーストは、半長靴と祖母の記憶というひとつのケースを持ち出す。それは原理的にはマドレーヌや敷石と異なるものではないが、われわれに苦痛に満ちたひとつの消滅を感知させ、見出された時の充実性をわれわれに与えないで、永遠に失われた時のシーニュ signe d'un Temps perdu pour toujours を形成するものである。半長靴の上にかがんだ彼は、何か神的なものを感じる。しかし、彼の眼からは涙が溢れ、無意志的な記憶のはたらきは、死んだ祖母についての痛ましい想い出を彼にもたらす。《その瞬間にこそーーそれは彼女の埋葬から一年以上もたって、しばしば事実の日付と感情の日付との一致を妨げるこのアナクロニスムによってであるがーー私は彼女が死に……彼女を永遠に失ったことを知ったのだ。 なぜ、無意志的な記憶の内容は、永遠のイメージではなくて、死の鋭い感情をわれわれにもたらすのか。愛されるひとが現われる例における特別な性格、主人公が祖母に対して感じる罪の意識を持ち出すだけでは十分ではない。感覚的シーニュそのものの中に、そのシーニュが歓びへと延長されないで、ときに苦悩に変るのを説明できるような、ひとつのアンビヴァランスを見出さなくてはならない。

【生存と虚無との苦しみに満ちた綜合】
半長靴は、マドレーヌと同じように、無意志的な記憶のはたらきを介入させる。古い感覚が積み重なろうとし、現実の感覚 sensation actuelle に結びつこうとし、同時にいくつかの時期にそれを拡げる。しかし、現実の感覚が古い感覚に対してその《物質性》を対立させれば、この積み重ねの歓びが、逃亡、とり返しのつかない喪失――そこでは古い感覚が失われた時の深みの中に抑圧されているのだがーーに席を譲るには十分である。そこで、主人公が自分を罪あるものと考えることは、現勢の感覚に対して、古い感覚の抱擁 embrassement de l'ancienne を避ける力を与えるだけである。彼はマドレーヌの場合と同じ幸福を経験することから始めるが、その幸福はすぐに死と虚無の確信 certitude de la mort et du néant へと移行する。そこにはひとつのアンビヴァランスがあって、それが介入するあらゆるシーニュの中で、常に記憶のはたらきの可能性として留まっている(そのためにこれらのシーニュの劣等性が生ずる)。つまり、記憶のはたらきそのものが、《生存と虚無との奇妙な矛盾 la contradiction si étrange de la survivance et du néant》、《生存と虚無との苦しみに満ちた綜合 la douloureuse synthèse de la survivance et du néant》を含んでいる。マドレーヌや敷石の場合においてさえ、ふたつの感覚の積み重ねによって隠されていはいるが、虚無が現われているのである。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』pp.25-26)

《我々は「トラウマ的 traumatisch」という語を次の経験に用いる。すなわち「トラウマ的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。》(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、1916年、私訳ーーーー「基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による)」)

…………

◆中井久夫より

【プルーストの悲哀発作≒遅発性の外傷性障害】
遅発性の外傷性障害がある。震災後五年(執筆当時)の現在、それに続く不況の深刻化によって生活保護を申請する人が震災以来初めて外傷性障害を告白する事例が出ている。これは、我慢による見かけ上の遅発性であるが、真の遅発性もある。それは「異常悲哀反応」としてドイツの精神医学には第二次世界大戦直後に重視された(……)。これはプルーストの小説『失われた時を求めて』の、母をモデルとした祖母の死後一年の急速な悲哀発作にすでに記述されている。ドイツの研究者は、遅く始まるほど重症で遷延しやすいことを指摘しており、これは私の臨床経験に一致する。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・外傷・記憶』)


【現実神経症と外傷神経症】 
中井久夫)フロイトは神経症を三つ立てています。精神神経症、現実神経症(現勢神経症)、外傷神経症です。彼がもっぱら相手にしたのは精神神経症ですね。後者の二つに関してはほとんどやらなかった―――あるいはやる機会がなかったと言った方がいいかもしれないけど。フロイトの弟子たちも「抑圧」中心で、他のことはフロイティズムの枠内ではあまりやっていませんね。(批評空間2001Ⅲー1 「共同討議」トラウマと解離)
現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。DSM体系は外傷の原因となった事件の重大性と症状の重大性によって限界線を引いている。しかし、これは人工的なのか、そこに真の飛躍があるのだろうか。

目にみえない一線があって、その下では自然治癒あるいはそれと気づかない精神科医の対症的治療によって治癒するのに対し、その線の上ではそういうことが起こらないうことがあるのだろう。心的外傷にも身体的外傷と同じく、かすり傷から致命的な重傷までの幅があって不思議ではないからである。しかし、DSM体系がこの一線を確実に引いたと見ることができるだろうか。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006『日時計の影』所収ーーホロコースト生存者の子供たちのPTSD

→次投稿に続く(中井久夫、プルースト小論 2007)




2016年10月19日水曜日

社交・愛・感覚・芸術のシーニュ

ひとが失うところの時、失われた時、ひとが再び見出すところの時、見出された時。Temps qu'on perd, temps perdu, temps qu'on retrouve et temps retrouvé sont les quatre lignes du temps.(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

ドゥルーズ=プルーストはこの四つの時の局面を、signes mondains 社交のシーニュ signes amoureux 愛のシーニュ slgnes sensibles 感覚的シーニュ signes de l'art 芸術のシーニュと結び付けている。

すなわち、

① ひとが失うところの時=社交のシーニュ
② 失われた時=愛のシーニュ
③ ひとが再び見出すところの時=感覚的シーニュ
④ 見出された時=芸術のシーニュ

①と③はよくわかる気がする。

①とはたとえば、ヴァレリー曰くの次のようなことだろう。

公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』)

こうやってひとは時を失う。ツイッター「社交界」などでのインテリもしくはにわかインテリの振舞いはその典型例だろう。

③はプルーストの名高いレミニサンスである(参照:「 レミニサンス réminiscence」と「穴馬 troumatisme」)。

だが、②と④はどういうことなのか。失われた時=愛のシーニュ、見出された時=芸術のシーニュとは?

社交のシーニュの神経的興奮、愛のシーニュの苦悩と不安。感覚的シーニュの異常な歓び(しかし、そこではなお、存在と無との間で存続している矛盾として、不安が現われている)。芸術のシーニュの純粋な歓び。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

話が前後するが、感覚的シーニュは異常な歓びがあるにしろ、《存在と無との間で存続している矛盾 la contradiction subsistante de l'être et du néant 》とある。

事実これと似たような表現が、プルーストの名高い「心情の間歇」の章にあらわれる、《cette contradiction si étrange de la survivance et du néant entre-croisés en moi》。

手元の井上究一郎訳ではつぎのような訳文となっている。

私のなかで交錯する残存者と虚無とのそのようなふしぎな矛盾、 (「ソドムとゴモラⅠ」p.272)

ドゥルーズ自身、別に《感覚的シーニュは真実を語るが、その中には、残存 survivance と虚無 néant との対立が残っている》としているように、感覚的シーニュの異常な歓びのなかには「虚無」があるとしているわけだ。

ラカン派的には、無意志的記憶とは、トラウマ=穴(ブラックホール)との遭遇のことである。ここでのトラウマの意味合いには注意しなければならないが。

現実界とは、トラウマの形式として……(言語によって)表象されえないものとして、現われる。 …le réel se soit présenté …sous la forme du trauma,… ne représente(ラカン、S.11)
テュケーの機能、出会いとしての現実界の機能ということであるが、それは、出会いとは言っても、出会い損なうかもしれない出会いのことであり、本質的には、「出会い損ね」としての「現前」« présence » comme « rencontre manquée » [ in abstentia ]である。このような出会いが、精神分析の歴史の中に最初に現われたとき、それは、トラウマという形で出現してきた。そんな形で出てきたこと自体、われわれの注意を引くのに十分であろう。(ラカン、セミネールⅪ、邦訳よりだが一部変更ーー偶然/遇発性(Chance/Contingency)
古代の Unerkannt (知りえないもの)としての無意識は、まさに我々の身体のなかで何が起こっているかの無知によって支えられている何ものかである。

しかしフロイトの無意識はーーここで強調に値するがーー、まさに私が言ったこと、つまり次の二つのあいだの関係性にある。つまり、「我々にとって異者である身体(異物) un corps qui nous est étranger 」と「円環を作る何か、あるいは真っ直ぐな無限と言ってもよい(それは同じことだ)」、この二つのあいだの関係性、それが無意識である。(S.23 le sinthome, 976)

※より詳しくは、「基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による)」を見よ。

ーーだがここでは、ラカン派の観点に拘らずに、メモに徹する。

さて「愛のシーニュ」と「芸術のシーニュ」に話を戻せば、ドゥルーズは次のように説明している(社交のシーニュと感覚的シーニュもふくめての説明箇所である)。


【意味の性質、及び、シーニュとその意味とのつながり】
社交のシーニュは空虚 videsであって、行動と思考の代りをするものであり、行動と思考の意味としての価値があると主張される。

愛のシーニュは嘘をつくものである。愛のシーニュの意味は、そのシーニュが示すものと隠していると主張されるところのものとの矛盾の中に捉えられる。

感覚的シーニュは真実を語るが、その中には、残存 survivance と虚無 néant との対立が残っている。また、感覚的シーニュの意味はまだ物質的であって、それ自体とは別の物の中に存在している。

しかし、芸術の段階にまで昇るにつれて、シーニュと意味との関係は次第に接近し、親密なものになる。芸術は、非物質的なシーニュと、精神的な意味との、究極的な、美しい統一である。


【シーニュに含まれる時間的構造または時間の線、及び、対応する真理のタイプ】
ひとつのシーニュを解釈するには、常に時間が必要である。社交のシーニュの場合には、時は失われてしまうが、それは、社交のシーニュが空虚であり、それが展開されて出口で、接触されず、あるいは、同一のままで再び見出されるからである。怪物のように、らせんのように、それらのシーニュはメタモルフォーゼから再生する。そこには、おのれを以前と同じものとしては再び見出すことのない解釈者の成熟のように、失われた時の中にある。それは存在と物を変化させ、それらを経過させる時間である。ここにもまた、失われた時のひとつの真実、いくつかの真実がある。しかし、失われた時の真実は、単に数が多く、近似的で、あいまいであるのみではなく、われわれがそれを把握するのは、もはやわれわれがこの真実に対する関心を失い、解釈者の自我、愛していた自我がすでに消滅したときだけである。たとえば、それはジルベルトやアルベルチーヌについてあてはまる。

つまり、愛に関しては、真実はいつでも、あまりに遅く到着する la vérité vient toujours trop tard。愛の時間は失われた時間である Le temps de l'amour est un temps perdu。なぜならば、シーニュは、その意味に対応する自我が消滅して行くに従ってだけ発展するからである。

感覚的シーニュは、われわれに時間の新しい構造を示す。それは、失われた時そのもののなかで再び見出される時、すなわち永遠のイメージである。つまり、感覚的なシーニュは(愛のシーニュと反対に)、意味に対応する自我を、欲求と想像力によって喚起したり、無意志的記憶 mémoire involontaire によって再び喚起する力を持っているのである。

最後に芸術のシーニュは、再び見出された時を規定 définissent する。それは、意味とシーニュを統一する、絶対的な、初原的時間、真の永遠である temps primordial absolu, véritable éternité qui réunit le sens et le signe。(プルーストとシーニュ、ドゥルーズ、pp.106-109)

「芸術のシーニュ」があまりにも絶対的に顕揚されているのに異和をおぼえるひともいるかもしれない。

たとえば、《芸術は、非物質的なシーニュと、精神的な意味との、究極的な、美しい統一である》とある。芸術のシーニュが非物質的とはどういうことなんだと。

ドゥルーズは次のような説明をしている。

芸術のシーニュが他のあらゆるシーニュにまさっているのは何においてであろうか。それは、他のあらゆるシーニュが物質的だということである。それらはまず第一に、シーニュが発せられていることにおいて物質的であり、シーニュのにない手である事物の中に、なかば含まれている。感覚的性質も、好きな顔も、やはり物質である。(意味作用を持つ感覚的性質が特に匂いであり味であるのは偶然ではない。匂いや味は、最も物質的な性質である。また、好きな顔の中でも、頬と肌理がわれわれをひきつけるのも偶然ではない。) 芸術のシーニュだけが非物質的である。恐らく、ヴァントゥイユの短い楽節は、ピアノとヴァイオリンとから流れでてくるもので、非常によく似た五つのノートがあって、そのうちのふたつが反復される、というように、物質的に分解されるものであろう。しかし、プラトンの場合と同じように、三プラス二は何も説明しない。ピアノは全く別の性質を持った鍵盤の空間的イマージュとしてしか存在せず、ノートは、全く精神的なひとつの実体の《音声的な現われ》としてのみ存在する。《まるで演奏者たちは、その短い楽節が現われるのに要求される儀礼をしているようで、演奏しているようではなかった……》 この点において、短い楽節の印象そのものが、物質なし(シネ・マテリア Sine materia)である。

上の文節の最後に引用されているプルーストの文をもう少し長く引用すれば次の箇所である。

あたかも演奏者たちは、小楽節を奏しているというよりは、むしろ小楽節に強要されるままに、その小楽節が姿をあらわすに必要な聖なる儀式をとりおこなっているように見え、小楽節を呼びだす奇蹟に成功しそれをしばらくひきのばすために必要な呪文をとなえているように見えたので、スワンはーーその小楽節が紫外線の世界に属してしまったかのようにもはやそれを見ることもできず、またそれに近づいたとき、突然おそわれた一時の失明のなかで、変身の爽快な感覚にも似たものを味わっていたスワンはーーその小楽節が、彼の恋の秘密をきいてくれる守護女神であって、聴衆をまえにして彼のかたわらに近づき、彼を脇に連れていって話しかけようと、そうした楽の音に身をやつして現前しているのだ、と感じるのであった。そしてその女神が、彼に必要な言葉を告げながら、香水のように、軽く、心をやわらげ、そっとささやいて通りすぎてゆくあいだに、彼はその一語一語を玩味し、その言葉がそんなに早くとびさるのを惜しみながら、なだらかに、逃げて行くように過ぎさる、その調和あるからだに、無意識のうちに、くちづける動作をするのだった。(プルースト「スワン家のほうへ」 井上究一郎訳)

ドゥルーズの文にあらわれた「シネ・マテリア Sine materia」という表現については、プルースト自身は次のような文のなかで使用している。

そのまえの年、ある夜会で、彼はピアノとヴァイオリンとで演奏されたある作曲をきいたことがあった。最初彼はただ楽器からにじみでる音の物質的な性質だけしかたのしまなかった。それからヴァイオリンの、ほそくて、手ごたえのある、密度の高い、統率的な、小さな線の下から、突如としてピアノの部分の大量の音が、ざわめきながらわきたち、月光に魅惑される変記号に転調された波のモーヴ色の大ゆれのように、さまざまな形をとり、うちつづき、平にのび、ぶつかりあって、高まってこようとしているのを見たとき、それだけでもう彼は大きな快楽にひたったのであった。しかし、そのうちふとある瞬間から、スワンは、輪郭をはっきり識別することも、彼に快感をあたえているものをそれと名ざすこともできないままに、突如として魅惑された状態で、たそがれどきのしっとりした空気にただようばらの匂が鼻孔をふくらませるように、通りすがりに彼の魂を異様に大きくひらいたあの楽節かハーモニーかをーーそれが何であるかを彼自身も知らなかったがーー心のなかでまとめてみようとつとめたのだった。

スワンがそのように漠然として印象、しかしおそらく唯一の純粋に音楽的な印象、ひろがりをもたない、まったく独自な、他のどんな種類の印象にもまとめることができない印象の一つを感じることができたのは、たぶん彼が音楽を知らなかったからであろう。その種の印象は、しばらくのあいだは、いわば無実体 Sine materia である。なるほどそんな瞬間にわれわれが耳にする音は、その高低と長短とにしたがって、いちはやくわれわれの眼前でさまざまな次元の面を被い、アラベスクを描き、われわれに幅や薄さや安定性や気まぐれの感覚をあたえようとするものである。しかしそれらの音は、そうした感覚がわれわれのなかで十分な形をととのえないうちにうすれ、つづく音や、同時の音さえもがすでに呼びおこしている感覚によってかき消されてしまう。そして記憶が、波のなかに堅固な土台をすえてゆく労働者のように、消えやすいこれらの楽節の複写をつくって、われわれがその楽節とそれにつづく楽節とを比較し区別できるようにしないとすれば、そうした印象は、ときどきかすかにわかるほどそこから浮かびあがってはたちまち消えてゆくモチーフ、それがあたえる特殊な快感によって認められるばかりで、書きあらわすことも、思いだすことも、名づけることもできない名状しがたいモチーフを、この印象の流動性とたえまない「オーヴァラップ」とによって、いつまでも被いかくすであろう。そのようにして、スワンが味わったあの言いようもなく快い感覚が消えると、彼の記憶は時を移さずその感覚の簡略で一時的な転写をもたらしてくれたのであるが、しかし曲がつづいていたときスワンはあまりにもこの転写に注目しすぎていたので、同一の印象が突如としてもどってきても、その印象はもはやとらえられなかった。彼はその印象のひろがり、その均斉ある集合、その記譜法、その表現の力強さを思いだすことができた。彼は眼前に、もはや純粋の音楽には属さないもの、むしろ素描であり、建築であり、思想に属するものでありながら、しかも音楽を思いださせるもの、そのようなものをもっのであった。いまや、明確に彼は音の波の上に数分間浮かびあがった一つの楽節を識別したのであった。それは彼にただちに特殊な官能のよろこび、それを耳にする以前には考えられたこともない官能のよろこびを提供したのであり、その楽節よりほかの何物も、そうした官能のよろこびを彼に知らせることはできないだろうと感じられ、彼はその楽節に未知の恋のようなものをおぼえたのであった。

その楽節は、ゆるやかなリズムで、スワンをみちびき、はじめはここに、つぎはかしこに、さらにまた他のところにと、気高い、理解を越えた、そして明確な、幸福のほうに進んでいった。そしてその未知の楽節がある地点に達し、しばし休止ののち、彼がそこからその楽節についてゆこうと身構をしていたとき、突然、楽節は方向を急変し、一段と急テンポな、こまかい、憂鬱な、とぎれない、やさしい、あらたな動きで、彼を未知の遠景のかなたに連れさっていった。それから、その楽節は消えた。彼は三度目にその楽節にめぐりあいたいとはげしく望んだ。すると、はたして、その楽節がまたその姿をあらわしたが、こんどはまえほどはっきりと話しかけてくれなかったし、まえほど深い官能をわきたたせはしなかった。しかし、彼は家に帰ると、またその楽節が必要になった、あたかも彼は、行きずりにちらと目にしたある女によって生活のなかに新しい美の映像をきざみこまれた男のようであり、その名さえ知らないのにもうその女に恋をし、ふたたびめぐりあうてだてもないのに、その女の新しい美の映像がその男の感受性にこれまでにない大きな価値をもたらす場合に似ていた。(プルースト「スワン家のほうへ」pp.269-271)

もっとも何を「芸術のシーニュ」とするのか、「シネ・マテリア Sine materia」が何なのかについては、ここまで引用された文だけではなく、次のような文も参照しなくてはならない。

ソクラテスは、当然、次のように言うことができる。―――私は、友人である以上に愛であり、愛人である。私は哲学である以上に芸術である。私は、積極的意志であるよりも、しびれなまずであり、強制であり、暴力である、と。『饗宴』、『パイドロス』、『パイドン』は、三つの偉大なシーニュの研究である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』P.203からだが、一部変更)

Socrate peut dire à bon droit : je suis l'Amour plus que l'ami, je suis l'amant; je suis l'art plus que la philosophie; je suis la torpille, la contrainte et la violence, plutôt que la bonne volonté. Le Banquet, le Phèdre et le Phédon sont les trois grandes études des signes.

…………

一般にプルーストやドゥルーズが使用しているシーニュ signe という語彙は「記号」ではないことに注意しなければならない。

西欧語では、「徴候」と「記号」は同じsign という語が用いられるらしい。sign を「徴候」「記号」のいずれに訳するかに困ったことがある。「記号」とは、「記号するもの」と「記号されるもの」とが一組になったものであって、原則的には両者の間に明確な対応関係がある。これに対して「徴候」は、何か全貌がわからないが無視しえない重大な何かを暗示する。ある時には、現前世界自体はほとんど徴候で埋めつくされ、あるいは世界自体が徴候化する。

世界自体が徴候化する場合は「世界破滅感」という病理現象であるかおしれない。ムンクの有名な『叫び』においては、描かれているものはすべて、私のいう意味での徴候と化している。

一般に、世界が徴候化するのは、不安に際してである。私がその世界に安んじておれないということである。(中井久夫「「世界における索引と徴候」について」『徴候・記憶・外傷』所収)

ドゥルーズの『プルーストとシーニュ』には、次のような対比がなされている(参照:哲学と友情)。

・感受性 sensibilité/観察 observation
・思考 pensée /哲学 philosophie
・翻訳 traduction/反省 réflexion
・愛 amour/友情 amitié
・沈黙した解釈 interprétation silencieuse/会話 conversation
・名 noms/言葉 mots
・暗示的シーニュ signes implicites/明示的意味作用 significations explicites
シーニュ・症状の世界  monde des signes et des symptômes/属性の世界 monde des attributs
・パトスの世界 monde du pathos ロゴスの世界 monde du Logos
 象形文字・表意文字の世界 monde des hiéroglyphes et des idéogrammes/分析的表現・表音文字・合理的思考の世界 monde de l'expression analytiquc, de l'écriture phonétique et de la pensée rationnelle

ーー右辺がテリトリー(領土)の世界であるならば、左辺は脱領土化 déterritorialisation の世界であるとしてもよいかもしれない。

これらは簡潔にいってしまえば、詩と散文の対比でもある。

詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である。(中井久夫『現代ギリシャ詩選』序文)

ーー《ポエジー poésie だけだ、解釈を許容してくれるのは。私の技能ではそこに至りえない。私は充分には詩人ではない。》(ラカン、S.24.1977ーーーー柿の木と梨の木).

ラカン派で次のように語られる文を変奏して、「詩あるいは脱領土化は、分節化された領土の非全体の領域に外立 ex-sistence する」とすることができる。

Fremdkörper(異物)は内部にあるが、この内部の異者である。現実界は、分節化された象徴界の内部(非全体pas-tout)に外立 ex-sistence する。(Paul Verhaeghe、2001ーー基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による))

ーーここに出てくる初期フロイト概念 Fremdkörper は、上に引用した晩年のラカンの「我々にとって異者である身体(異物) un corps qui nous est étranger 」(S.23)のことである。

ほかにもたとえば、ドゥルーズの『意味の論理学』には、ライプニッツが円錐曲線をめぐって語られる「曖昧な表徴」(曖昧なシーニュsigne ambigu)という概念が見られる。

ここでの文脈におけるドゥルーズ=プルーストが言いたいことが最もよく表れているのは次の文である。

ある種の民族は、文字をはじめは一連の表象としか見なさず、そのあとでやっと表意文字をつかうようになるのだが、私はこれまでの生きかたにおいて、そうした民族の逆をあゆんだのであった、すなわち私は、多年にわたって、人々が進んで私に提供した言表のなかにしか彼らの生活と思想の真実を求めようとしなかった。ところが真実は彼らのそんな直接の言表のなかにはないので、ついに私は、いままでとは逆に、真実の合理性、分析的表現ではないような証拠や教示にたいしてしか重要性をもたせなくなったのであって、発言そのものよりも、私に真実の教示となるのは、混乱した相手の顔にさっと血がのぼるとか、急にだまりこむとかで解釈される場合でなくてはならなかったのであった。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

J'avais suivi dans mon existence une marche inverse de celle des peuples, qui ne se servent de l'écriture phonétique qu'après avoir considéré les caractères comme une suite de symboles ; moi qui, pendant tant d'années, n'avais cherché la vie et la pensée réelles des gens que dans l'énoncé direct qu'ils m'en fournissaient volontairement, par leur faute j'en étais arrivé à ne plus attacher, au contraire, d'importance qu'aux témoignages qui ne sont pas une expression rationnelle et analytique de la vérité ; les paroles elles-mêmes ne me renseignaient qu'à la condition d'être interprétées à la façon d'un afflux de sang à la figure d'une personne qui se trouble, à la façon encore d'un silence subit.
真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「思考のイマージュ」の章)

2016年10月18日火曜日

「私はあなたが好きよ」

蚊居肢氏再ビ下肢ニ微恙得ル。持病ノ痛風ナリシガ恙虫ノ赤斑幸イニモ僅少ナリ。然レドモ三間先ノ小用ニ赴クニ些苦痛也。

先日来米国ヨリ妻君ノ親族越僑母娘訪ヒ来タリテ我陋屋ニ宿泊シ故、各美女ト酌ヲ交ワスコト度重ナリ、放心逸楽快々欣々鼻ノ下ノ延ビ過ギタリシ天罰ナランヤ噫。

蚊居肢氏昨晩来床ニ横タワリ粛然悄然トセシガ、其間モ若キ方ノ美女ニ手渡サレタリシ小紙片ノ« Je vous aime bien »ナル文句ヲ熟考沈思スル也。小生ノ了簡ノ浮々シタルハ海ニ在ル水母ヨリモ軽ク、智慧分別ハ雨夜ノ蛍火ヨリ少ナク、助平心ノ見苦シキハ古ノあるふぉんすヨリ甚シカランコトヲ忠告セシカ。然レドモ何ゾ絶代ノ麗姝ガ艶魂ヲ葬リ去ル無粋者ノ有ランヤ。而シテ苦痛ヲ忍ンデ小机迄匍匐シ、抽斗中ノ印度産かますとら黒真珠薬ノ在庫ヲ確認スナリ。

「ちょっと待ってちょうだい」とすっかりのぼせ上がった彼女が言いました。「順序よく楽しみましょう。そうしないと本当の楽しみは味わえないわ」

そう言うと、わたしを腹ばいにさせて両脚を開かせ、股の付け根に顔をうずめてきました。そうやってわたしのおまんこを舐めまわしながら、この世にふたつとお目にかかることはあるまいと思われるほどの見事なお尻をわたしのお仲間の顔先に突き出して、わたしが舌で受けているのと同じ奉仕を指で受けるのでした。デルベーヌ夫人の嗜好を心得ているユーフロジーヌは、女液でぬめばしっている夫人の臀部を力いっぱい打擲しました。その効果覿面ぶりは夫人の体の動きで明らかでした。奮い立った夫人は、わたしのおまんこから刻々あふれ出す陰液をむさぼるように舐め上げました。時々夫人は顔を上げてわたしを........喜悦しているわたしの様子を見つめるのでした。(ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド『悪徳の栄え』)

2016年10月17日月曜日

魂をふくらませるポンプ

十数年前のこと、十月初旬のモスクワはもう横なぐりの吹雪であった。国際空港は悪天候のために閉鎖された。「今日はここで泊まってくれ」「どこで寝ろというのか」係官は事もなげに答えたーー「ズジェーン」(ここでだ)。群集の信じられらないという顔がすぐ激しい抗議に変わった。結局スイス人のねばり強い理性的交渉により外国人に限りホテルが手配された。その間、ロシア人は黙々とその場で寝る準備をととのえ、やがて誰からともなく、ロシア民謡の合唱が始まった。ロシア人の強さである。同じ場面がロシア史に数知れない苦痛に際してあったことであろう。この耐える強さを何度外国人は誤算したことか。

◆The Red Army Choir - "Kalinka"




絶望的に音痴である私には閉ざされた方法だが、合唱こそロシア人とわかり合えるチャンスではないか。ロシア人とは何かがもう一つはっきりしないのも、「ハモる」ことを通じて解けあえる「ことば以前」「意識以前」の何ものかがあるからではないか。歌を通さなくとも、ロシア語自体がこの言葉を解さない者にも訴える力を持つ特異な言語であると私は思う。それは、単なる美しさでなく、脊髄と内臓からの戦慄をよびおこす。(中井久夫「ロシア人」『記憶の肖像』所収)

やあたしかにすごいよ、
 「もっと、お願いだからもっと」であげた音楽もそうだけど

問題は素直にきけなくなってしまっていることだ


雨期のダラムサラで
ダライラマ法王と音楽の話をした
音楽は文化に属する
だがブッダの教えは心の訓練で
それはつまり瞑想だ
ブッダの頃は
修行に音楽はなかった
長く引き延ばした声で経文を歌うのは
よいこととは言えない
教えより声の美しさに心が向いてしまうから
教えが他の土地に伝えられ
その土地の文化によって表現されたとき
音楽も礼拝や儀式につかわれるようになった
チベットや中国で
また日本でも

音楽によって
慈悲や平和と非暴力のメッセージを伝えるのはひとつのやりかただ
と法王は言われた
他方では
音楽はひとを戦いに 駆り立て
民族主義に引き込むこともある
音楽は人びとの感じ方に影響をあたえることができる
だから
あなたには責任があります
と法王は言われた
とりわけ若い人たちに対しては

ーー高橋悠治 音の静寂静寂の音(2000)

音楽はヨーロッパ人に感性を教えたばかりでなく、もろもろの感情と感性的自我を尊ぶ能力をも教えた。(……)音楽。魂をふくらませるポンプ。異常発達し、並はずれて大きな風船となったいくつもの魂がコンサートホールの天井を下をただよい、信じがたい雑踏のなかでぶつかりあう。

マーラーは、まだ率直に、そして直接にホモ・センチメンタリスに訴えかける最後の大作曲家である。マーラー以後、音楽において感情はうさんくさいものになる。ドビッシーはわれわれを魅惑しようとはするが、心を揺りうごかそうとはしないし、ストラヴィンスキーは感情を恥じている。(クンデラ『不滅』)

◆Dmitri Hvorostovsky - Dark Eyes



でもたまには忘れてもいいんじゃないか、この「黒い瞳」は小学四年生だったか五年生のころぞっこんだったな、カリンカと同様に。

ドゥルーズ$ガタリだって、どうしても惹かれてしまうある種の曲を聴くための「言い訳」をしているようにさえ読める。

……イタリアのファシズムがヴェルディを利用したとしても、それはナチズムがワグナーを利用したのに比べるとはるかにつつましやかなものだ(……)

要するに、呼びかけに応じて音を発するのが〈大地〉の力なのか、それとも〈民衆〉の力なのかによって、管弦楽編成をめぐる、また声ー楽器の関係をめぐる考え方は二つに分かれ、際立った違いを見せる。この違いを示す最も簡便な実例は、おそらくワグナーとヴェルディの関係だろう。ヴェルディこそ、器楽編成と管弦楽編成に対する声の関係を、しだいに重視していった作曲家だからである。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』)

◆Les Choeurs de l'Armée Rouge - Nabucco, Choeur des Esclaves(ヴェルディ)






「もっと、お願いだからもっと」

楚々として秋は来た。物自体(デング・アン・ジツヒ)のきびしい認識を超えて、人を清澄なパンセにまでひきいれる像(もの)の陰影の深まさる時――汗と土と藁の匂ひ、収穫の穀物倉の簷に雀の巣が殖えてゐた。納屋の隅で蟋蟀が鳴く。空のヴァガボン渡り鳥の群は、切株畑に影をおとして再び地平の秋を旅立つていつた。霧の中で角笛が鳴つてゐる。放牧の群れが帰つて来る。私は蘆のうら枯れた沼の辺りに下り立つて、鼠色の湖心に移動する野鴨を銃口の先で焦点する。空は北方からその雲翳をみだしてくる。草は北海の塩分を吹き送る東南風に萎れ、北風に苛らだち、西風に雨を感知して、日に日に地表はむくつけきい容貌と変つてくる。父の如く厳つい自然よ、そして母の如くも優しく美しい季節よ! いまだ火のない暖炉の中から蟋蟀の細い寂しい唄が聞えてくる。燈が机の上に暈を投げる。天蓋に銀河が冴えて横はる。プレアデスやアンドロメダ、天馬の壮麗なシステムが一糸みだれず夜々の天に秋の祝祭の燈をかかげる。(吉田一穂「秋」『故園の書』)

…………

以下、名作・名曲の日曜日版ーー日本はすでに月曜日だが。

ーーひとつだけを除いて、たぶん10年前後ぶりに聴く(いや曲によっては日本に住んでいたとき以来、つまり20年ぶりのものもある)、ひとつだけというのはディミトリー・ホロストフスキーのものであり、わたくしはいまでもロシア民謡の大ファンであり、しかも彼の男振りは、マルデオレノヨウデハナイカ・・・

もう初寒の候であった。朝の凍(いて)は秋雨に濡れた土をこつこつに固め、野草はおどろに乱れてはいたが、家畜に踏み荒らされた茶色の秋蒔畑や、春撒蕎麦の根が赤い縞をなした薄黄色い刈入れ跡と対照して、くっきりと鮮やかな緑色に浮き出している。まだ八月の末あたりは、秋撒や刈入れ跡の黒い土の間にあって、緑の島のように見えていた丘や林は、もう鮮やかな緑色をした秋撒麦の中に、燃え立つような赤や黄の島を形づくっていた。野兎はすでになかば毛換えを終えたし、狐の子はてんでんに散り始め、今年うまれの狼は犬よりも大きくなった。いまや狩猟の好季節である。熱心な若い狩猟家であるロストフの飼犬は、狩猟時季の肉づきになったばかりか、すっかり体が緊ってきたので、猟師たちの総会があったとき、犬を三日間やすませて、九月の十六日、まだ手を入れたことのない狼の巣のある槲の森を手始めとして、狩猟にとりかかろうと決議した。(……)

◆ ドヴォルザーク Dvořák - 交響曲第8番~第3楽章



「兄さんはいらっしゃるのね」とナターシャが言った。「あたしそうだろうと思ったわ! ソーニャはいらっしゃらないっていうけれど、あたしはそう思ったの、今日はとてもいかないでいれれないようなお天気ですもの。」

「いくよ。」とニコライは気のない返事をした。彼はまじめな猟を思い立っているので、ナターシャやペーチャを連れていきたくなかったのである。「いくにゃいくけれど、狼狩だよ。お前には面白くないぜ。」

「まあ、これがあたしにはなによりの楽しみだってことを、兄さんも知ってらっしゃるくせに」(……)

「しかし、お前はだめだよ。お母さんがおっしゃったじゃないか、お前は狩にいかれないって。」(……)

「いいえ、あたしいくわ、どうしてもいくわ。」(……)

◆Verdi Nabucco 'va pensiero' C Abbado Berliner PO



一キロばかりきたとき、犬を連れた五人の騎手が、ロストフの出会いがしらに霧の中から現われた。豊かな白い髭をたくわえた、いきいきした美しい老人が、まっ先に立って進んでくる。

「おじさん、おはよう。」と、老人が近よったときニコライは声をかけた。

「いよう、すてきすてき! ……いや、そんなことだろうと思うたて。」とおじさんが言った(これはロストフ家の遠縁にあたる、あまり裕かでない隣村の地主である)。「とても辛抱できまいと思うたて。いや、結構結構、よく出かけた。いあ、すてきすてき!(これはおじさんの口癖なので。)すぐに森を占領してしまいなさい。……」p393-399

◆Smetana: Ma vlast (My Fatherland) - No. 2. Vltava (Moldau), Conductor: Rafael Kubelík




夕方、イラーギンがニコライに別れを告げたとき、ニコライは家から非常に遠く離れているのに気がついた。で、彼はおじさんのすすめにしたがって、猟犬をミハイローフカ(おじさんの領地の小村)に止めて、一泊させることにした。

「もしお前さんがちょっと家へよってくれると、本当に『いよう、すてきすてき』なんだがなあ!」とおじさんは言った。「それより結構なことはありゃしない。ごろうじろ、こういう湿っぽい空模様だでな、ちょっと家でひと休みして、馬車でお嬢さんをつれて帰るといいよ。」

おじさんの申しこみはいれられた。ニコライは猟師ひとりを愉楽村(オトラードノエ)へ送って、馬車をまわさせることにした。彼はナターシャとペーチャとともにおじさんの家へおもむいた。(……)

しばらくたっておじさんがコサック服に、青いズボン、浅い長靴をはいてやってきた。この服装こそ、かつておじさんが愉楽村へきたとき、驚きと嘲りをもってみられたものであるが、しかし、ナターシャはこれが本当の服装であって、けっしてフロックにも燕尾服にも劣りはせぬと感じた。(……)

おじさんがはいって来てからまもなく、また戸を開けたものがある。足音から判ずるところ、素足の女中らしかった。と、いろいろなものを並べた盆を手にして、戸口からはいってきたのは、年ごろ四十かっこうの、ふとった、血色のいい、美しい年増であった。顎は二重にくくれて、唇は赤く張り切っている。彼女は眼つきや挙動に愛想のいい、人なつっこい、しかも品のある表情を浮べて、客人たちを見まわしながら、優しい笑みを含んでうやうやしく会釈した、普通以上に肥えているために、胸と腹を前へつき出して、首を後ろへひいているほどだが、それにもかかわらず、この女は(これはおじさんの家事取締りアニーシヤ・フェードルヴナである)、おそろしく軽々と歩いていた。まずテーブルに近よって盆をのせ、白いむっちりした手で壜や肴や、その他の御馳走を器用にとり出しては、テーブルに並べるのであった。それがすむと彼女は後ろへのいて、顔に笑みを浮べながら、戸口に立った。

「さあ、これがわたしですよ! いまこそおじさんがどんな人かわかったでしょう?」ロストフはこの女の出現がこう語るように思われた。実際、わからずにはいられなかった。ニコライのみならず、ナターシャまで、おじさんがどんな人かわかった。アニーシヤが入ってきたとき、おじさんがちょっと眉をひそめて、得意らしい微笑に口の端をしわめた意味もわかった。盆の上にのっていたのはーー草入り酒、果物酒、茸、バター、牛乳入りの黒パン菓子、蜂の巣にはいったままの蜜、ぶつぶつ泡の立つ煮こんだ蜜、林檎、なまのとあぶったのとふた通りの胡桃、それから、べつに蜜漬けの胡桃――こんなものであった。それから、あらためてアニーシヤは、蜜入りと砂糖入りとふた通りのジャム、ハム、焼きたての鶏などを持ってきた。

こうしたものはみなアニーシヤがきりもりして、集めて、料理したものである。すべてアニーシヤの匂いと味わいと感じをおびていた。すべてが汁けの多そうな、さっぱりした、まっ白な感じーー気持ちのよい微笑に似た感じを与えるのであった。

「おあがりなされませ、お嬢様。」ナターシャにかわるがわるあれやこれやをすすめながら、彼女はこう言い言いした。

ナターシャはなにもかも食べた。こうした牛乳入りのパン菓子や、こんな風味のジャムや、こんな蜜漬けの胡桃や、こんな鶏は、どこでも見たこともなければ、食べたこともないような気がした。(……)

はだしでひたひたと忙しげに歩く音が聞えて、目に見えぬ手が「独身部屋」の戸を開けた。廊下からはバラライカの響きがはっきり聞え出した。だれか上手の弾き手の業らしかった。ナターシャはずっと前からこの音に耳を傾けていたが、今度はもっとはっきり聞くために廊下へ出て行った。
「あれは家の馭者のミーチカだ……わしはあれにいいバラライカを買うてやった、わしも好きなもんでな。」とおじさんは言った。(……)

◆Алексей Архиповский - Золушка



「もっと、お願いだからもっと。」バラライカの音がとぎれるやいなや、ナターシャはそう言った。

ミーチカは調子を整えて、『奥さん』の歌を緩めたり速めたりしながら、洒落て弾きはじめた。おじさんはわずかにそれと見られる微笑を浮べながら、首を傾げてじっと坐ったまま聞いていた。『奥さん』の節は百度ばかりくりかえされた。なんべんか調子をなおしては、また同じ音をちりちりとかき鳴らしたが、聞き手にとって飽きがこないばかりか、もっともっとその音が聞きたくなるのであった。(……)

おじさんはだれの顔も見ずにほこりをふっと吹き、骨ばった指でギターの胴をかんと叩いて調子を整えると、肘掛け椅子の上にいずまいをなおした。そして、いくぶん芝居がかった身ぶりで、左の肘をぐいと後ろへひいて、ギターの首より上のほうを握り、アニーシヤのほうへちょっと目まぜをして、弾きはじめた。しかし、それは『奥さん』ではなかった。彼はぴんと一つ澄みきった鮮やかな音を立てると、やがて、正確な、落ちついた、とはいえ、力のはいった調子で、きわめてゆるやかなテンポをとりながら、有名な『敷石道を過ぎゆけば』の歌を弾じはじめた。アニーシヤの全存在に充満している、あの端正な快活な気分と拍子を合わせ、歌の節はニコライとナターシャの胸で鳴り始めた。(……)

「いいわね、いいわね、おじさん、もっと、もっと!」ナターシャは一曲すむやいなやこう叫んで、席を飛び上がりざま、おじさんを抱いて接吻した。「ニコーレンカ、ニコーレンカ!」と彼女は兄をふりかえって呼びかけたが、それはちょうと、「いったいなんということなんでしょう?」とききたげな調子であった。(……)


◆Anna Netrebko - MOSCOW NIGHTS - Dmitri Hvorostovsky




「さあ、姪御ごさん!」おじさんはひっちぎるように弾奏を止めた手で、ナターシャのほうへひとふりしながら叫んだ。

ナターシャは体にかぶっていた頭巾をかなぐりすてて、おじさんの前に飛んでいき、両手を腰にあてがいながら、肩をちょっと動かすと、そのまま踊りの姿勢になった。

この亡命フランス人の女家庭教師に教育された伯爵令嬢が、自分の呼吸しているロシヤの空気の中から、どこで、いつ、どうしてこの気合いを会得したのであろう? もうとっくにショール踊りのために追い出されてしまっているはずのこうした呼吸を、いったいどこから習得したのであろう? しかし、この気合い、この呼吸は、模倣することも習うこともできない、純ロシア的のものであって、おじさんもこれを彼女から期待していたのである。最初、ニコライその他すべての人は、彼女が見当ちがいなことをしはしないかと心配していたが、彼女がちゃんと身をかまえ、得々とした誇らしげな、しかも狡猾で愉快そうな微笑を浮べたとき、この心配は消えてしまった。

彼女はこの場合要求されていることを正確になしとげた。あまりにその手際が鮮やかなので、この仕事に必要な頭巾をさしだしたアニーシヤは、細っそりした優美な令嬢を眺めながら、笑いのひまから涙をにじませたほどである。彼女は自分とまるでかけ離れた、おかいこぐるみで育った伯爵家の令嬢が、アニーシヤにも、アニーシヤの父にも、母にも、叔母にもーーあらゆるロシア人にひそんでいるものを、すっかりのみこんでいたのがうれしかったのである。(トルストイ 戦争と平和 第2部 第4篇 米川正夫訳)より

◆Horowitz Plays Scriabin Etude Op. 8 No. 12




2016年10月16日日曜日

愛のセリーの起源

母さんが教えてくれた「差異と反復」」を投稿したところで、投稿しないままてあった在庫(重なる箇所はあるが)をこの際投稿しておく(だいたいわたくしはこの類の下書きがかなりあるのだが、たまには在庫消化)。

いやあ最近なんだか下書きが溜まりすぎてしまった・・・



以下、わたくしの十人のアルベルチーヌである、c'est dix Albertines……多すぎるのは分かっているがどうしても減らしがたい。

…………

われわれの愛は、われわれが愛するひとたちによっても、愛しているときの、たちまちに消え去る状態によっても展開されるものではない。Nos amours ne s'expliquent pas par ceux que nous aimons, ni par nos états périssables au moment où nous sommes amoureux.(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)


◆Bernarda Fink, Monteverdi, l'incoronazione di Poppea, "Adagiati, Poppea - Oblivion soave"



母 mère に対する主人公の愛の中に、愛のセリーの起源 l'origine de la série amoureuse を見出すことは、常に許容される。しかしわれわれはそこでもまたスワンに出会うことになる。スワンはコンブレ―へ夕食に来て、子供である主人公から母の存在を奪うことになる。そして、主人公の苦しみ、母にかかわる彼の不安は、すでにスワンがオデットについて彼自身体験した苦しみであり不安である。《自分がいない快楽の場、愛するひとに会うことのできない快楽の場で、そのひとを感ずる不安、それを彼に教えたのは愛である。その愛にとって不安は或る意味で始めから運命として存在しているのだ。その愛によって、不安は独占され、特殊なものにされている。しかし、私にとってそうであるように、愛がわれわれの生活の中に現れて来る前に、不安がわれわれの内部に入ってくるとき、それはあいまいで自由なものとして、期待の状態で浮動している……》恐らく、母のイメージ image de mère は、最も深いテーマではなく、愛のセリーの理由でもないという結論がここから出されよう。確かに、われわれの愛は、母に対する感情を反復している。しかし、母に対する感情は、われわれ自身が経験したことのないそれとは別の愛を、すでに反復しているのである。母はむしろむしろひとつの経験からもうひとつの経験への移行として、われわれの経験の始まり方として現われるが、すでに他人のよってなされたほかの経験とつながっている。極限では、愛の経験は、全人類の愛の経験であり、そこに超越的な遺伝 hérédité transcendante の流れが貫流している。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

◆Elizabeth Schwarzkopf - Songs my Mother taught Me



要するに、究極的な項などは存在しないのであって、わたしたちの愛は母なるものを指し示してはいない nos amours ne renvoient pas à la mère のである。母なるものは、たんに、わたしたちの現在を構成する系列のなかでは、潜在的対象に対して或るひとつの場所を占めているだけであって、この潜在的対象は、別の主体性の現在を構成する系列のなかで、必然的に別の人物によって満たされ、しかもその際、つねにそうした対象=x〔潜在的対象〕の遷移が考慮に入れられているのである。それは、言ってみれば、『失われた時を求めて』の主人公が、自分の母を愛することによって、すでにオデットに対するスワンの愛を反復しているようなものなのだ。親の役割をもつ人物はどれも、ひとつの主体に属する究極的な項なのではなく、相互主体性に属する中間項〔媒概念〕であり、ひとつの系列から他の系列へ向かっての連絡(コミュニカシオン)と偽装の形式であって、しかも、その形式は、潜在的対象の運搬によって規定されているかぎりにおいて、異なった諸主体にとっての連絡と偽装の形式なのである。仮面の背後には、したがって、またもや仮面があり、だからもっとも隠れたものでさえ、はてしなく、またもやひとつの隠し場所なのである。何かの、あるいは誰かの仮面をはがして正体を暴くというのは、錯覚にほかならない。反復の象徴的な器官たるファルスは、それ自体隠れているばかりでなく、ひとつの仮面でもある。(ドゥルーズ『差異と反復』)

◆Frantz Schubert - Du bist die Ruh', D.776 - Gundula Janowitz




ーーいやあ、この曲は選択に迷うな、Elly AmelingBarbara Bonney もひどく美しく歌っている。わたくしの母さんである Bernarda Fink はやや劣るかもしれない。

彼女らの顔は動くが、その動くうちにも、目鼻立が比較的固定しはじめて、そこから、貨幣にうちだされた肖像のようなものが、輪郭をぼかした、伸縮自在の大きさであらわれてくるようになって、私の欲望は、ますます官能を増しながら、彼女らのあいだをさまようのであった。顔と顔とのあいだにある相違 différences に、目鼻立ちの、長さや幅のなかいあるおなじような相違が呼応することは、まず望まれないが、目鼻立というものは、これらの少女たちがどんなに相違 différences しているように見えても、たがいに一方を他方にかさねあわせることができるといっていいだろう。しかし、われわれがおこなう顔の認識は、けっして数学的ではない。まず、われわれの認識は、部分部分を測定することからはじめないで、一つの表情、顔全体を出発点にしている。(プルースト「花咲く乙女たちのかげにⅡ」井上究一郎訳)

◆Bárbara Hendricks - Fauré - Les Berceaux


たとえば、アンドレでいえば、繊麗な、やさしい目が、ほっそりとつまみあげた鼻によくマッチし、その鼻筋は細い一本の曲線をひいたようで、双眸の微笑のかさなりのなかにはじめて二分されていた繊細な意図が、その鼻筋のただ一つの線の上でつづけられているようであった。おなじようにまた一つの微妙な線が彼女の髪のなかに、しなやかな、深い畝をつくっていて、まるで風が砂に跡づけた線のようであった。そして、そのことは、まさに遺伝をあらわすものに相違なく、アンドレの母親の真白な髪は、大地の起伏にしたがって盛りあがったりへこんだりしている雪のように、ここではふくらみをつくり、そこではくぼみをつくりながら、おなじように波うっていた。(……)

◆Lois Marshall sings Gabriel Fauré's "Chanson d'amour"




なるほど、アンドレの鼻の細い輪郭にくらべると、ロズモンドの鼻は、ひろい面積を提供していて、がっちりとした土台の上にすえられた高い塔のように見えた。表情は、極微のものがつくる相違 différences entre ce que sépare un infiniment petit のあいだに、大きな相違 énormes différences を考えさせる力をもつものであるとしてもーーほんの極微のもの un infiniment petit が、それだけで、一つのまったく特殊な表情、一つの個性を創造することができるとしてもーー彼女らの顔をたがいに相殺できないもののように見せているのは、そうした極微の線と独自の表情ばかりではなかった。

◆Fauré: Au bord de l'eau - Régine Crespin




私の女の友人たちの顔のあいだには、色彩がまたいっそう深い差異 séparation plus profonde encore をつけていたのであって、その差異は、いくらかは、色彩が顔にもたらす調子、つまり顔色が示すさまざまの美によって生じたのであり、その顔色がひどく対照的なあまり、私はロズモンドのまえでもーーこれは硫黄色をおびた一種のばら色で、その地色に目のみどり色のかがやきが目立っていたーーまた、アンドレのまえでもーーこれはその白い頬が、その髪の黒さできりっと目立っていたーー同じような快感をおぼえたが、その快感は、たとえば、ひるのあいだ、燦々と日の照る海のほとりのゼラニウムと、夜、闇のなかに咲く白椿とを、こもごもにながめているような快感であった、しかし、とりわけ顔の差異は、色彩というこの新しい要素によって、線の極微の差 différences infiniment petites des lignes が法外に大きく見えるようになり、面と面との関係がまったく変えられてしまったから生じたのであって、色彩は、顔に調子をもたらすとともに、顔の面積のすぐれた再生者、すくなくとも変更者なのだ。(……)

◆Anne Sofie von Otter; "La lune blanche luit dans les bois"; Gabriel Fauré



アルベルチーヌも、その点では、やはり友人たちとおなじであった。日によっては、ほっそりして、顔色は灰色にくすみ、陰鬱そうに見える、そして、海でときどき見かけるように、何か透明なむらさき色のものが、目の奥から、斜にちらとおりてきて、そんな彼女は、遠い島流しの悲しみを味わっているようだった。またある日は、いつもよりなめらかな彼女の顔面は、その表面に塗られたニスに私の欲望を膠着し、欲望がもっと奥にはいるのをさまたげるようであった、そんなときはふいに横向きから彼女をながめればよかった。なぜなら白い蠟のようにその表面を血色を失った頬も、横から透かすとばら色で、それを見ると、しきりにその頬に接吻したくなり、そんな奥に逃げこんでいるその変わった色あいをとらえたくてたまらなくあんるからであった。またあるときは、幸福が、非常によく動くあかるい光でのその頬をひたしていて、そのために、ぼんやりと液体化してみえる皮膚は、さらによく見ると皮下のまなざしとでもいったものを透かしている、そしてその皮下のまなざしが、皮膚を実際の目とはちがった色だが物質はおなじものであるように見せているのだった、……(プルースト「花咲く乙女たちのかげにⅡ」井上究一郎訳、pp.338-341)

◆Elly Ameling: Notre amour ♦ Le secret ♦ En sourdine by Fauré



ところで私の視線が早く接吻するようにと私の口にうながしていた頬、その頬にまず私の口が近づきはじめたとき、その接近につれて、私の視線は、移動しながら、つぎつぎに新しい頬を目にすることになった、そしてぐっと間近に、拡大鏡で見るように知覚された首筋は、その皮膚の粗いきめのなかに、一種のたくましさを見せ、そのたくましさが、顔の性格を一変した。(……)

アルベルチーヌが以前バルベックでしばしば私にちがって見えたのとおなじように、このときも(……)私の唇をアルベルチーヌの頬に向けるその短い行程において私が目に見たのは、十人のアルベルチーヌ c'est dix Albertines que je vis なのだ、そしてこのたった一人の少女がいくつもの顔をもった女神のようになって、私が近づこうと試みると、このまえバルベックで最後に私が見た顔は、またべつの一つの顔にとってかわるのであった。すくなくとも、私がそれにふれなかったあいだは、その顔は、私の目に見え、ほのかな匂をそこから私にまでつたえてきた。しかし、ああ! ――くちづけをするには、唇のつくりがまずいように、われわれの鼻孔や目もその位置がまずいので、――突然、私の目はみることをやめた、こんどは鼻が、おしつぶされて、どんな匂も感じなくなった、そして、そのために、待望のばら色をしたものの味をそれ以上深く知ることもなく、こんな厭うべき捺印によって、ついに私は自分がアルベルチーヌの頬に接吻しているところだということをさとった。(プルースト「ゲルマントのほうⅡ」pp.97-98)

◆Ninon Vallin, En sourdine (Fauré)


かつてあんなにきびしい顔つきで拒んだものをいま彼女がこんなにやすやすと私にゆるしたのは、私たち二人が、バルベックの場面とは逆の場面(物体の逆回転という形であらわされる)を演じていて、寝ているほうが私であり、起きているのは彼女で、乱暴な攻撃に会えばうまく身をかわすことがでいたし、自分の勝手のいいように快楽をみちびきだすことができたからであろうか? (なるほど、以前のあの顔つきと、この日私の唇が近づくときに彼女の顔がたたえていた官能的な表情となあいだには、線のきわめてわずかな偏差 déviation de lignes infinitésimales しかなかった、しかしそうした偏差のなかには、相手に切りつけてそれにとどめを刺そうとする男の身ぶりと、そんな相手を救おうとする男の身ぶりとのあいだにあるような、そんなへだたりがあるといえよう。)(プルースト「ゲルマントのほうⅡ」井上究一郎訳、pp.98-99)