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2015年4月4日土曜日

母のファルスの去勢ーー象徴的ファルスによる想像的ファルスの去勢

〔エディプスの衰退、父への同一化に〕先立って、父が母を剥奪するものとして機能し始める瞬間があります。つまり、父が母とその欲望の対象との関係の背後に、「去勢するもの」として姿を現す瞬間があるのです。(……)この場合、去勢されるのは主体ではなく、母だからです。(ラカン セミネールⅤ)

さて、このセミネールⅤでラカンは何を言っているのだろう。まずはなによりも「去勢」は子供の去勢ではなく、母の去勢であるということだ。母の去勢? 母にはおちんちんはもちろんない。だがファルスはある。母のファルス、想像的ファルスである。

以下にジジェクの2012年に上梓された文章を英文のまま付す。

The most important part of the imaginary is what cannot be seen. In particular, taking the pivot of the clinical practice that, for example, is developed in Seminar IV, La relation d'objet, it is the female phallus, the maternal phallus. It is a paradox to call it the imaginary phallus when precisely one cannot see it; it is almost as if it were a question of imagination. In Lacan's celebrated observations and theorizations on the mirror stage, Lacan's imaginary register was essentially linked to perception. While now, when the symbolic is introduced, there is a disjunction between the imaginary and perception, and in some way this imaginary of Lacan is linked to the imagination. … This implies the connection of the imaginary and the symbolic and thus a thesis that is separated from perception: the image is a screen for what cannot be seen. Insofar as the maternal phallus is by definition veiled, this brings us to the positive/constitutive ontological function of the veil: the image/screen/veil itself creates the illusion that there is something behind it—as one says in everyday language, with the veil, there is always “something left to the imagination.”(ZIZEK、LESS THAN NOTHING)

※末尾に私訳貼付有り。


さて、すこし前に戻れば、ラカンはこう言っていることになる、《父は、母に介入し、禁止を命ずる。お前は、お前が生み出したもの(想像的ファルスとしての子供)を取り返してはいけない!と》。

人間の欲望は他者の欲望であるという定式から、子供にとって他者はまず母親であるから、子供の欲望は母親の欲望、つまり母親を満足させようという欲望となる。母親の前で子供は母親を満足させる対象の場にみずからを置き母親を満足させようとする。つまり母親のファルスとなる。(……)

子供が母親の前にいるとき母親の目が子供だけに向き、欲望の対象が子どもだけであれば子どもはその貪欲な口の中で押しつぶされてしまう。このときに子供の外にも母親の関心を引くものがあれば、母親の欲望が「他のもの」(Autre)にも向いていれば、子供は母親のファルスに全面的に同一化する必要ななくなり、母親に飲み込まれることを逃れることができる。その「他のもの」が子どもを救ってくれるのだ。この「他のもの」が父親である。だがこの父親は現実に存在する父親ではない。ひとつの隠喩である。(向井雅明――「鰐なる母=女の口、あるいは象徴的ファルスと想像的ファルス」)


 ラカンは後年も次のように言っている。

フロイトは、抑圧は禁圧に由来するとは言っていません。つまり去勢はおちんちんをいじくっている子供に今度やったら本当にそれをちょん切ってしまうよ と脅かすパパからくるものではないのです。 「(テレヴィジョン」)

フロイトは「母の去勢」についてこう書いている。

人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの別離を意味し、母の去勢(子供すなわち陰茎の等式により)に比較できるかもしれない。(フロイト『制止、症状、不安』)

この根源的な不安を「去勢」やら「ファルス」用語で説明するのは、《有機体の水準での根源的な喪失を、主体と〈他者〉のファルスの欠如として再-解釈》(ポール・ヴェルハーゲ)しているだけという見解もある。

この「母の去勢」は、むしろ出産外傷、あるいは原トラウマ、もし「去勢」という語を使いたいなら、「原去勢」にかかわるといってよいのかもしれない。

ランクは出生という行為は、一般に母にたいする(個体の)「原固着」Urfixerungが克服されないまま、「原抑圧」Urverdrängungを受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出生外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。後になってランクは、この原外傷Urtraumaを分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』)

ラカン自身、オットー・ランクの「出産外傷」と似たようなことをいっている。

根源的な喪失とはなにか。永遠の生の喪失である。それは、矛盾しているように思われるかもしれないが、性的存在として産まれた瞬間に喪われる。(ラカン セミネールⅩⅠ)

わたくしは、小笠原晋也氏の独特のマテームφ barréを「原去勢」、あるいは「出産外傷」と読む。以下、小笠原氏の説明を付すが、氏は独特の訳語を使い馴れないと読みづらい。以下の「徴象,影象,実在」は、通常、「象徴界、想像界、現実界」である。「徴示素」はシニフィアン、「悦」は享楽、「学素」はマテームである。

…phallus についてですが,Lacan は精神分析において三つの phallus を区別するよう教えています.それは,徴象,影象,実在の三つの位に応じての区別です.

まず「去勢の影象的な関数」としての phallus : ( - φ ) があります.第二に「悦の徴示素」signifiant de la jouissance と規定される phallus : Φ があります.第三に,signifiant de l'Aufhebung, signifiant de la perte と Lacan が呼ぶ phallus : φ barré があります.この学素はわたしの工夫ですが,その概念はちゃんと Lacan のなかにあります.

以上の三つの phallus はいずれも signifiant ですが,( - φ ) は imaginaire, Φ symbolique, φ barré は réel の位にそれぞれ位置づけられます.

他方,去勢とは何でしょうか?精神分析において去勢は,基本的に,去勢複合,すなわち,去勢不安として問題になります.そして,去勢不安という表現は冗長であって,精神分析においてかかわる不安はすべて去勢不安です.去勢との連関における不安です.

不安は,a が φ barré を代理する限りにおいて,a との出会いにおいて惹起されます.つまり,去勢とは φ barré そのものです.かくして,phallus と去勢との関繋を整理すると,こうなります.まず,φ barré は去勢そのものです.

( - φ ) は φ barré の影象的な相関者であり,女の欠如せる phallus です.最後に Φ は,男の性別構造において φ barré の穴を塞ぐ仮象であり,(……)男において特に強い精神分析への抵抗(男性的抗議)を惹起するものです.

ですから,le phallus est le signifiant de la castration とひとくちに Lacan が言ったことは無いのではないでしょうか?勿論,そう言ったこともあったかもしれませんし,それはそれで,上述の三つのうちいずれを意義しているのか読解できる だろうと思いますが,先ほど Lacan のおもだったテクストを見た限りでは,le phallus est le signifiant de la castration ともろに言われている箇所は見つかりませんでした.代わりに,わたしの引用した表現は,Lacan 自身のものです.(ラカンの S(Ⱥ)をめぐって

小笠原晋也氏自身、オットー・ランクの名を出して次ぎのようにいっている。

もし仮に主体と他 A との“交わり” [ intersection ] に phallus が有り,それにより性関係が成り立つなら,性本能の完全な満足が得られるだろう.そこにおいて成就される十全たる悦は,現実において性行為がもたらすかもしれぬ束の間の快や満足ではなく,而して,もし例を想像するなら,聖書神話におけるエデンの園において人間が神との関係において得ていただろう至福,あるいは,それに劣らず神話的な Otto Rank の想定する“幸福な子宮内生活”(cf. Freud, 1926, p.166)〈其こにおいては,母胎内で子が母と完全に一体となっている〉に相当するかもしれぬような悦であろう.

ともあれ,明らかに,現実の人生においては,如何なる幸運に見まわれようと,そのような悦は実現しない.したがって,帰謬法により,結論される: 主体と他 A との性関係を実現させ得るようなphallus は無い: φ barré .(『ハイデガーとラカン』)

ここから、φ barré原去勢と読むことができるだろう。

…………

さてここまで書かれたことは、ポール・ヴェルハーゲの説明ならこうなる。

去勢不安そのものは、すでに地層にある原初の不安の防衛的なエラボレーションである。地層にある原初の不安とは、主体と〈他者〉 とのあいだの関係から起こる。各々の主体の原初の不安とは〈他者〉に 呑み込まれ貪り喰われることである。すなわ ち、〈他者〉の享楽の受動的な対象に還元されてしまうことである。概念的な用語なら、これが意味するのは、分離の可能性のない全的な疎外を意味する。

その原初の形式においては、この法は母にかかわる。彼女は禁じられているのだ、彼女の生産物を保持することを、たとえば子どもを彼女自身のものにすることを。 これが近親相姦の最初の意味である。すなわち、あなたは、あなたの子どもを自らの享楽 として捕えてはならない、ということだ。現在の、父と子とのあいだの近親相姦への強調は、 この原初の意味がほとんど忘れられてしまっているようなものだ。(「社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)」)

「ファルス」用語で解釈されるのは防衛的なエラボレーションであるという前提を受け入れて、その上であえて「ファルス」用語で書き綴るのなら、父の「象徴的ファルス」(大きなファルスΦ)による「象徴的去勢」とは、まずなによりも母のファルス、「想像的ファルス」(小さなファルスーφ)をちょんぎることなのである。

構造的な理由により、女の原型は、危険な、貪り食う〈大他者〉と同一化する。それはもともとの原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。このようにして純粋な享楽の元来の状態を回復させようとする。これが、セクシュアリティがつねにfascinans et tremendum(魅惑と戦慄)の混淆である理由だ。すなわちエロスと死の欲動(タナトス)の混淆である。このことが説明するのは、セクシュアリティ自身の内部での本質的な葛藤である。どの主体も彼が恐れるものを恋焦がれる。熱望するものは、享楽の原初の状態と名づけられよう。

この畏怖に対する一次的な防衛は、このおどろおどろしい存在に去勢をするという考えの導入である。無名の、それゆえ完全な欲望の代りに、彼女が、特定の対象に満足できるように、と。この対象の元来の所持者であるスーパーファザー(享楽の父)の考え方をもたらすのも同じ防衛的な身ぶりである。ラカンは、これをよく知られたメタファーで表現している。《母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ(……)。だが顎のあいだには石がある。それが顎が閉じてしまうのを支えている。これが、ファルスと名づけられるものである。それがあなたを安全に保つのだ、もし顎が突然閉じてしまっても。》(NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL(Paul Verhaeghe)

もちろん、象徴的ファルスの介入によって、〈母〉に貪り食われるのは止んだとしても、今度は大きなファルスとしての〈父〉に貪り喰われてしまったら、元も子もない。

重要なのは、父とその機能を差異化することである。機能は母と子どもの分離にかかわる。 それは〈他者〉の享楽から子どもを解放することを必然的に伴なう。もしこの分離が、二番目の〈他者〉としての父への疎外として終わってしまうのなら、それは構造的には母への疎外となんの相違もない。ラカンの意図はこの点を超えていくことであった。そしてそれがラ カンがこの機能――分離――とその象徴的特性に焦点を絞った理由である。象徴的特性の意味とは、作用する要素がシニフィアンであるということである。(Paul Verhaeghe、Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way

(おそらく続く)

…………

※追記

冒頭近くにジジェクの『LESS THAN NOTHING』から英文のまま貼り付けた文があるが、その前段のいくらかも含めての私訳。


ラカンが想像的領域imaginary registerについて語ったとき、彼は見ることができるイメージについて話していた。……しかし、いったん象徴的なものが導入されても想像的なものについて話すことをやめた分けではない。彼は想像的なものについて、相変わらず多くのことを語った。しかしその定義を全く変化させた想像的なものについてである。象徴的なものの導入後の想像的なものは、導入前の想像的なものとひどく異なる。…

想像的なものの概念はいかに変形したのか、象徴的なものの導入された後に。まさに正確に次の如し。想像的なものの最も重要な箇所は、見ることのできないものとして、である。特に、臨床診療の中心を取り上げるなら、例えば、セミネールIVの「対象関係」で展開されたのは、女性のファルス、母のファルスである。人はそのファルスを見ることができないのに、母のファルスを想像的ファルスと呼ぶのはパラドックスである。すなわちそれは、ほとんど想像力の問題なのである。

ラカンの名高い鏡像段階における観察と理論化において、ラカンの想像的領域は、本質的に知覚とリンクされていた。ところが象徴的なものが導入されたこの今、想像的なものと知覚の分裂がある。そしてこの想像的ものは、何らかの形で、想像力とつながっている。これが意味するのは、想像的なものと象徴的なもののつながりであり、故にそれは知覚から分離したものという命題である。「イメージは見られないもののためのスクリーンである」(Jacques‐Alain Miller, “The Prisons of Jouissance,” 2009)。

母のファルスは、定義上、ヴェールで覆われたものである限り、これは、肯定的/構成的なヴェールの存在論的機能をもたらす。すなわち、イメージ/スクリーン/ヴェール自体が、その裏に何かが隠されているという錯覚illusionを生む。日常的にヴェールという語彙を使うとき、いつも「何かが想像力に残されている何か」があるのと同様である。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』2012 私訳)

2015年4月3日金曜日

獰猛な女たちによる「去勢」手術の時代

フロイト・ラカン派の意味での「去勢」概念は、たとえば次ぎのように言われるとき、--すなわち、お前は去勢が十分でないんだよとされるときーー貶めの含意をもって使われる。

日本人はいわば、「去勢」が不十分である、ということです。象徴界に入りつつ、同時に、想像界、というか、鏡像段階にとどまっている。(柄谷行人「日本精神分析再考(講演)(2008)」

鏡像段階とは、母と子の二者関係にある、ということである。そのとき、子供は、母の想像的ファルス φ petit phiになろうと欲望する(désir d'être phallus)。母の方も、自分の場所に欠けているものとして子を欲望する、その欲望に応じるように、母の期待に応えるために、子は母の場所に欠如している想像的ファルスであろうとする。通常、ここに介入するのが、Φ grand phiであり、それを「象徴的去勢」と呼ぶ。


母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ(……)。だが顎のあいだには石がある。それが顎が閉じてしまうのを支えている。これが、ファルスと名づけられるものである。それがあなたを安全に保つのだ、もし顎が突然閉じてしまっても。(ラカンーー鰐なる母=女の口、あるいは象徴的ファルスと想像的ファルス

上の文にある「ファルス」とは象徴的ファルスΦ grand phiであり、この支えがないままだ、というのが、「去勢されていない」ことの謂いであり、ようするにラカン的な意味で、お前は去勢されていない、というときには、通常、母と子の二者関係のままの輩だな、という嘲弄になる。

この鰐の口の支えの機能は、父の有無、あるいは不在とはあまり関係がなく、《問題は父親にたいする母親の関係、「単に母親が父親にいかに対応するかだけではなく、母親が父親の言葉、正確には父親の権威、にどのような地位を与えるか、いいかえれば法のプロモーションにおいて母親が父の名のために空けてある場所をどうするか》である(ラカン『エクリ』 p.579 )。

要するに象徴的権威(「父の名」)に対する母親の態度にかかわる。ところで、現在は、父の名の権威の崩壊の時代、エディプスの斜陽の時代である。それをラカンは、主人の言説の崩壊、そして資本主義の言説の時代ともいう。

主人の言説は、概ね消滅してしまった(ラカン セミネールⅩⅦ)
もう遅すぎる……、危機、主人の言説のではない、資本家の言説、それは代替だが、それは開いてしまったouverte(ラカン ミラノ 1972/5/12)
資本主義のディスクールを特徴づけるものは、排除(Verwerfung)、拒絶、象徴界の領野すべての外に拒絶することだ。何を拒絶するのか? 去勢を拒絶する。セミネールⅩⅨ 1972/1/6)

とすれば、日本だけではなく、世界的に、人びとは去勢されていない、あるいは去勢が不十分な時代ということになる(そもそも、象徴的ファルスやら父の名やらは、一神教の国の話ではないか、日本にそんなものがなかったのはーー天皇をかついだ疑似一神教のある時期を除いてーー当たり前ではないか、という議論もあるが、それはここでは割愛)。

ところで、「父の名」を文字通りとってみよう。われわれは、ほとんど誰もがーー母子家族を除いてーー「父の名」を持っている。夫婦別姓の社会でも基本的に子供は父のファミリー・ネームを名乗る。たとえば、わたくしの住んでいる国は夫婦別姓であるが、子供たちは父親が外国人であっても、その外国名の父の名を概ね与えられる習慣がある。これも「父の名」である。もちろん、上にラカンの言葉を掲げたように母親がその父の苗字にどのような地位を与えるかが肝腎であるが。

初期の理論でさえ、ラカンはエディプスの父の機能における象徴的側面を強調した。父の名の隠喩は実にその名を通して作用する。この仮説とは次のようなものである。すなわち、子どもに父の名との組み合せによる彼自身の名前を与えることは、子どもを原初の(母子の)共生関係symbiosisから解放する。後期のラカン理論では、ラカンは名づけることのこの側面をいっそうくり返し強調した。したがってラカンは複数形で使用したのだ、the NAMES of the father(Les Noms-du-Père引用者)と。疑いもなく文化人類学の影響を受けて、ラカンは次ぎの事実を分かっていたに違いない、母系制文化においてさえ、分離の機能は名づけるnamegivingことを通して作用することを。それは伝統的な欧米の核家族の外部でさえもである。主体に独自のシニフィアン、すなわち母のそれではなく異なったアイディンティティのシニフィアンを提供することは、分離を惹起し、こうして保護を与える。これはわれわれに重要な結論を齎してくれる。すなわちエディプスの法は、古典的なエディプス、たとえば家父長制の外部でとても上手く設置することができる。――これは重要である。というのはそれが意味するのは、われわれは、基本的な信頼を取り戻すために、古き良き家父長制に戻ることを承認する必要はないということだから。(社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)

このように、資本主義の言説の時代でも「父の名」がまったく機能していないわけではない。

…………

ところで、われわれの殆どは、もちろんラカンなどを理解している暇はないので、「去勢」という用語をラカン的に厳密に使うことはない。

ラカンの「男根中心主義phallocentrism」へのたいていの批判の難点は、一般的に、彼らは「ファルス」と/あるいは「去勢」に言及するときに、先入観念的な、コモンセンスとしての隠喩の形で、そうすることだ。たとえば、標準的なフェミニスト映画研究では、男が女に攻撃的に振舞ったり、女への男の権威が現われるたびに、彼(女)たちは、男の行動が「ファリック」だと、確信をもって明示する。女が、はめられたり、無力感に陥りさせられたり、詰め寄られたり等々の状況になるたびに、彼女の経験はたいていの場合、「去勢される」と指弾される。ここで失われているものは、まさに去勢のシニフィアンとしてのファルスのパラドックスだ。もしわれわれが、象徴的「ファリックな」権威を行使すれば、そこで支払わなければならない代償は、われわれは、主体者としての立場を放棄して、〈大他者〉として行動し話すことを通して、その〈大他者〉の媒体として機能することを承諾しなければならないということである。(ジジェク LESS THAN NOTHING)

たとえば職場で、誰か権威的人物からひどい「いじめ」に遭遇してしょぼくれてしまえば、それは「アイツは去勢されちまった」という具合になるわけで、いくらフロイト・ラカン派が頑張っても、こっちの使用法のイマジネールな隠喩の秀逸さをひとは捨てさることなどありえない。

ーーというわけで、ラカン派の皆さん、「去勢」が「象徴的去勢」の意味で使われるのは諦めたほうがいいんじゃないか、無駄な抵抗だよ。


ようするに「彼奴は去勢されている」、と日常的に使うとき、この言い方は、貶めの意味で使うだろう。「お前は去勢が不十分なんだよ」、ーーこれが嘲弄だと言われてもピンとこない人が多いのではないか。


たとえば、ラカンの娘婿でもあるラカン派の権威ジャック=アラン・ミレールでさえ、日常的な意味での「去勢」として捉えてよい文章をその小論のなかで記している。それは、2008年アメリカ合衆国大統領選挙におけるサラ・ペイリンとヒラリー・クリントンをめぐっての論である(Sarah Palin: Operation “Castration”Jacques-Alain Miller)





サラ・ペイリンの選択は時代のサインである。政治において、女性の言明は支配的になりつつある。しかし注意して! もはや肱を振り回して男たちを模倣する女性についてではない。わたしたちはポストフェミニストの女性の時代に突入している。その女性たちは、容赦なく、政治的な男性たちを殺す準備をしている。この移り変わりは、ヒラリーのキャンペーンのあいだに完全に目に見えた。彼女は最高司令官の役割をもって始めた。だがそれでは機能しなかった。何をヒラリーはしたのか? 彼女は潜在意識的なメッセージを送った。それは次ぎのような何かである。“オバマ? 彼はパンツのなかに何もないわ”。そして彼女はすぐさま撤回したが、遅すぎた。サラ・ペイリンは、切り上げられた場所を拾いあげただけではない。15歳若い彼女は、その他の点では、獰猛で、女性的皮肉を、自然に投げつける。サラは明らかに彼女の男性の敵対者を去勢する(率直な大喜びで!)。そしてそれらへの反応は沈黙したままだ。彼らはどうやって攻撃したらいいのか分からないのだ、その女性性を、男たちをからかうのに使い、男たちをインポテンツに陥れる女性に対して。さしあたり、“去勢”カードで遊ぶ女性は、征服できそうもない。(ミレール 「サラ・ペイリン:「去勢」手術」)

もっともここでの使用法は、男たちの「象徴的権威」のハリボテぶりを「去勢する」ということなのだから、かならずしも、正統ラカン派的使用法から遠く離れているわけではないかもしれない。

シニフィアンとしてのファルスが、象徴的権威の代理人を示すかぎり、その決定的な特徴は、それゆえ、次の事実にある。すなわちそれは「私」ではない、生きている主体の器官ではないということであり、そうではなく、外部の力が割り込んで、私の身体にそれ自身を刻みつける「場」なのである。この「場」、そこに〈大他者〉は私を通して行動する、――要するに、ファルスがシニフィアンという事実は、とりわけ、それは構造的な身体なき器官であるということであり、私の身体から「切り離された」何かなのである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』)

むしろ、男たちのマッチョぶりへの女たちの対抗言説とすべきか。

マッチョのイメージは、人を惑わせる仮面として経験されるのではなく、人がなろうと努力する理想の自我として経験される。男のマッチョイメージの裏には、なにも秘密はなく、彼の理想に恥じない行動をとり難いただ弱々しいごく普通の男があるだけだ。.(Zizek Woman is One of the Names-of-the-Father 私訳)

(以下、続く)





2015年4月2日木曜日

去勢と割礼

以下、去勢と割礼をめぐるメモ。

…………

……西欧の諸民族においてあれほど激しくあらわれ、まるで非合理的であるかのごとき様相を呈するユダヤ人憎悪の根源がみいだせると考えることは避けがたいことであるように思われる。割礼は、ヨーロッパの人びとのあいだで は無意識下で去勢と同じものだとみなされてきた。原始時代にまで想像を広げても さしつかえないのであれば、割礼は、もともと性器の皮を剥ぎ取ることによる緩和された去勢の代替行為であったはずだという気がする。(フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』1910)
割礼は、去勢の象徴的代替である。その去勢とはすなわち、原父が己れの絶対的権力の十全さの下に、かつて彼の息子たちに科した行為だった。(フロイト『モーセと一神教』1939)

フロイトは、このようにして、1920~1930年代の反ユダヤ主義の猖獗を説明しようとする。それは必ずしも、「去勢された」--コモン・センスの意味でのーーユダヤ人を侮蔑するという心理機制だけではないが(詳細はここでは省く)、すくなくとも割礼は「不気味な印象」をキリスト教徒に与えるとしている。


今、コモン・センスの意味、と書いたが、それは次ぎのような文脈である。

ラカンの「男根中心主義phallocentrism」へのたいていの批判の難点は、一般的に、彼らは「ファルス」と/あるいは「去勢」に言及するときに、先入観念的な、コモンセンスとしての隠喩の形で、そうすることだ。たとえば、標準的なフェミニスト映画研究では、男が女に攻撃的に振舞ったり、女への男の権威が現われるたびに、彼(女)たちは、男の行動が「ファリック」だと、確信をもって明示する。女が、はめられたり、無力感に陥りさせられたり、詰め寄られたり等々の状況になるたびに、彼女の経験はたいていの場合、「去勢される」と指弾される。ここで失われているものは、まさに去勢のシニフィアンとしてのファルスのパラドックスだ。もしわれわれが、象徴的「ファリックな」権威を行使すれば、そこで支払わなければならない代償は、われわれは、主体者としての立場を放棄して、〈大他者〉として行動し話すことを通して、その〈大他者〉の媒体として機能することを承諾しなければならないということである。(ジジェク LESS THAN NOTHING)

だが、--話をもとに戻せばーー、フロイトの見解とは異なる次のような見方もある。

……ユダヤ人との比較は〈軽蔑〉の念を惹起させるどころか、賛嘆と尊敬、なかんずく嫉妬の念を起 こさせる。というのも、 〈剪除〉は衰弱ではなくむしろ強化と認められるからである。 〈反セミティズム〉は割礼を施されないものの優越感というよりは、 むしろ劣等感に基礎をおいている。 割礼をしていないものは無防備なまま去勢の恐怖にさらされるのにたいし、割礼を済ませたも のは、 割礼以降は去勢の恐怖から象徴的に護られているのである。(ゾンバルトNicolaus Sombart, Die deutschen)

ところで、ジジェクの見解では、「ユダヤ人」は、主人のシニフィアンとして機能した面と、対象aとして機能した面のふたつの局面がある。

〈主人のシニフィアン〉とは何だろう?社会的崩壊の混乱状況を想像してみよう。そこでは、結合力のあるイデオロギーの力はその効果を失っている。そのような状況では、〈主人〉は新しいシニフィアンを発明する人物だ。そのシニフィアンとは、名高い「縫い合わせ点quilting point」、すなわち、状況をふたたび安定化させ、判読可能にするものである。大学のディスクールは、この判読可能性を、定義によって支える知のネットワークを詳述するわけだが、その言説は、当初の〈主人〉の仕草を前提条件とし、それに頼っている。〈主人〉は新しいポジティヴな内容をつけ加えるわけではまったくない。――彼はたんにシニフィアンをつけ加えるだけだが、突如として無秩序は秩序、ランボーが言ったような「新しいハーモニー」に変ずるのだ。(ジジェク『パララックス・ヴュー』)

ラカンは、‘master signifiers’(主人のシニフィアン)を‘points de capiton’(クッションの綴じ目)と呼んだ。

どの「主人のシニフィアン」も瘤のようなものであり、知識、信念、実践などを縫い合わせて、それらが横にずれることを止め、それらの意味を固定する(ジジェク)。

”なにがマスターシニフィアンを構成するのかといえば、《語りの残りの部分、一連の知識やコード、信念から孤立化されることによってである》(Fink 1995)。

この“empty”(空の)シニフィアン(主人のシニフィアン)が、正確な意味を持たないことによって、《雑多な観点、相相剋する意味作用のチェーン、ある特定な状況に付随する独特の解釈を、ひとつの共通なラベルの下に、固定し保証してくれる》(Stavrakakis 1999)

ドイツにおける1920年代の反ユダヤ主義について考えてみよう。人びとは、混乱した状況を経験した。不相応な軍事的敗北、経済危機が、彼らの生活、貯蓄、政治的不効率、道徳的頽廃を侵食し尽した……。ナチは、そのすべてを説明するひとつの因子を提供した。ユダヤ人、ユダヤの陰謀である。そこには〈主人〉の魔術がある。ポジティヴな内容のレベルではなんの新しいものもないにもかかわらず、彼がこの〈言葉〉を発した後には、「なにもかもがまったく同じでない」……。たとえば、クッションの綴目le point de capitonを説明するために、ラカンは、ラシーヌの名高い一節を引用している、“Je crains Dieu, cher Abner, et je n'ai point d'autre crainte./私は神を恐れる、愛しのAbner よ、そして私は他のどんな恐怖もない。“すべての恐怖は一つの恐怖と交換される。すなわち神への恐怖は、世界のすべての出来事において、私を恐れを知らなくさせるのだ。新しい〈主人のシニフィアン〉が生じることで、同じような反転がイデオロギーの領野でも働く。反ユダヤ主義において、すべての恐怖(経済危機、道徳的頽廃……)は、ユダヤ人の恐怖と交換されたのだ。je crains le Juif, cher citoyen, et je n'ai point d'autre crainte. . ./私はユダヤ人を恐れる、愛する市民たちよ。そして私は他のどんな恐怖もない……。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』私訳)

この説明にあるように、「ユダヤ人」が、主人のシニフィアンとして機能したことは明らかだろう。だが、それだけではない、とジジェクはいう。そこでは「概念上のユダヤ人conceptual Jew」という用語が使われ、--もともとはアドルノやアーレントの用語らしいが (参照:The Conceptual Jew: Reflections on Arendt and Adorno's Post-Holocaust Theories of Anti-Semitism)、--この「ユダヤ人」は対象aとして機能した、とされる。

要するに、父の名と“概念上のユダヤ人”の相違とは、象徴的フィクションと幻想的幽霊fantasmatic specterとの相違である。ラカンのアルジェブラではS1、すなわち主人のシニフィアン(象徴的権威の空のシニフィアン)と対象aの相違である。主体が象徴的権威を授けられるとき、彼はその象徴的肩書きの付属物として振舞う。すなわち〈大他者〉が彼を通して行動するのだ。幽霊的な現前の場合は、反対に、私が行使する力は“私自身のなかにあって私以上のもの”である。

しかしながら、去勢のシニフィアンとしてのファルスによって保証された象徴的権威と"概念的なユダヤ人"の幽霊的な現前とのあいだには決定的な相違がある。どちらの場合も、知と信念のあいだの分断を扱うにもかかわらず、このふたつの分断は根本的に異なった特質がある。最初の場合、信念は"目に見える"公的な象徴的権威にかかわる(私は父が不完全で弱々しいことを知っているにもかかわらず、私は父を権威の形象として受け入れる)。他方、二番目の場合、私が信じているのものは、目に見えない幽霊的な顕現である。幻想的な"概念上のユダヤ人"は象徴的権威の父権的形象、公的権威の"去勢された"担い手あるいは媒体ではない。そうではなく、何か決定的に異なったもの、正当なロジックを倒錯させる公的権威の不気味な分身である。彼は影として振舞う、公衆の眼には見えない、幻影のような、幽霊的全能性を照射するのだ。この測り知れなく捉えがたい彼のアイデンティティの核心にある地位によって、ユダヤ人はーー"去勢された"父とは対照的にーー去勢されていないものとして感知される。彼の実際の、社会的、公的な存在existenceが中断されればされるほど、その捉えがたい、幻想的な外ー存在ex‐sistenceは人びとを脅かすようになる。(同 LESS THAN NOTHING)


※ラカンのex-sistence (外ー存在)は、ハイデガーのSein und Zeit(存在と時間)の仏訳から。ドイツ語ではEkstaseであり、ギリシャ語ではekstasis(外に立つこと)。(フィンクThe Lacanian Subject)


以下、もう少しつけ加えるが、この見解であるならば、ユダヤ人は、〈女〉のように、あるいは去勢されていない〈享楽の父〉のように捉えられたということになる。

他の相同関係――同じ理由で拒絶されるべきであるーーは父の名と幻影的な「女」の間の関係である。ラカンの「女は存在しない」(la Femme n'existe pas)は、経験上の、肉体をもった女は決して「彼女She」ではない、ということを意味しない。すなわち彼女は到達できない「女」の理想に従って生きることができないということを意味しない(経験上の、「真の」父は、彼の象徴的機能、彼の「名」に生きることができないという様ではない)。どんな経験上の女も〈女〉から永遠に分離されているというギャップは、空の象徴的機能とその経験上の担い手とのあいだのギャップと同じではないのだ。

女の問題とは、逆に、女の空の理想――象徴的機能――を形作ることができないことにあるので、これがラカンが「女は存在しない」と主張したときの意図である。この不可能の「女」は、象徴的フィクションではなく、幻想的幽霊fantasmatic specterであり、それは S1ではなく対象 aである。「女は存在しない」と同じ意味での「存在しない」人物とは、原初の「享楽の父」である(神話的な前エディプスの。集団内のすべての女を独占した父)。だから彼の地位は〈女〉のそれと相関的なのである。(同 LESS THAN NOTHING)



…………

「去勢と割礼」という表題にしておきながら、話が別のところに行ってしまったので、ここで「割礼」に焦点を絞って、いくつかの資料・画像を掲げる。






Afterall, Lacan claims that we can not doubt the elegant result of circumcision. Aesthetically speaking, for Lacan, it is not even a question: the circumcised penis is more enjoyable to look at.(NOTES – LACAN’S SEMINAR ON ANXIETY (X): 19 DECEMBER 1962)



ラカンが言うように、割礼は見た目はよくなるかもしれないが、またしばしば指摘されるように、少年期にやっておけば清潔になるということもあるにはあるだろうが、亀頭の感度は低下するのではないか、ーーと思いすこし探ってみたら、「Circumcision DOES reduce sexual pleasure by making manhood less sensitive」という記事がある。とはいえ逆に早漏症状は減るということだろう。さらに割礼するとペニスのサイズが小さくなるなどという記事もある(Harm and physical effects of circumcision)。

他方、日本の若い女性の方の書かれた《包皮の中におさまって保護されている状態ですと、亀頭がのびのびと成長しにくい?!》などという文章にも当ったが、リンクはやめておこう。


いずれにせよ、一般に、男たちはペニスのサイズ、亀頭の形などをひどく気にするということはいえるのではないか。そして「割礼」とは、どうもわたくしの浅墓な印象では、おちんちんがちょん切られるというよりも、ペニス能力の強化という「錯覚」をもたらす。

あるいは、割礼は、ユダヤ人共同体における、「たったひとつの特徴」"unary trait" (einziger Zug)(フロイト)として機能しているのではないか、などと思いを馳せもするのだが、その議論はここではしないでおく(参照:享楽とシニフィアン(ジュパンチッチ=ラカン))。


構造的な理由により、女の原型は、危険な、貪り食う〈大他者〉と同一化する。それはもともとの原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。このようにして純粋な享楽の元来の状態を回復させようとする。これが、セクシュアリティがつねにfascinans et tremendum(魅惑と戦慄)の混淆である理由だ。すなわちエロスと死の欲動(タナトス)の混淆である。このことが説明するのは、セクシュアリティ自身の内部での本質的な葛藤である。どの主体も彼が恐れるものを恋焦がれる。熱望するものは、享楽の原初の状態と名づけられよう。(Paul Verhaeghe,NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL 私訳)

《人間の最初の不安体験は、出産であり、これは客観的にみると、母からの別離を意味し、母の去勢(子供すなわち陰茎の等式により)に比較できるかもしれない。〉(フロイト『制止、症状、不安』)であるなら、次のようなペニスを持ち合わせていても、赤子の大きさには及びもつかない。





自然は呆れるばかりの完璧さを女に授けた。男にとっては性交の一つ一つの行為が母親に対しての回帰であり降伏である。男にとって、セックスはアイデンティティ確立の為の闘いである。セックスにおいて、男は彼を生んだ歯の生えた力、すなわち自然という雌の竜に吸い尽くされ、放り出されるのだ。
エロティシズムは社会の一番柔らかい部分であり、そこから冥界的自然が侵入する。……
(性的な意味合いでの)自然とは、食うもの(食物連鎖の上、女を指す)と食われるもの(食物連鎖の下、男を指す)が繰り広げるダーウィン的な見世物である。生殖(性交)はどの側面を見ても食欲に支配されている。性交は接吻から挿入にいたるまでほとんど制御できない残酷さと消耗からなる。人間は妊娠期間が長く、子供時代もまた長く、子供は七年以上も自立することができない。この為に男たちは死ぬまで、(女性への)心理的依存という重荷を背負い続けなければならない。男が女に呑み込まれるのを恐れるのは当然だ。女は(自然を忘れた男を罰して食ってしまう)自然の代行人なのだから。(カーミル・パーリア『性のペルソナ』)

(草間彌生)
女性による支配が続いた時代には、女性は、自分たちが特有の魔法の力を持っていることに満足し、必要なときにはいつでも借りられる男性の小さな道具を羨んだりしなかった。実際、太母神は男根に不自由することなく……男根はいつでも手許にあった。それは女神の聖所の目立つところに置かれ、特別の神あるいは人間の男根ではなく、単に男根そのもの、都合のよいときにいつでも使える没個性化された道具であった。一度使うと、それは役立たなくなった。太母神にとっては、今日の彼女の末裔の、ある者たちにとっても同様だが、ペニスは消耗品であって、いつでも次のものが手に入り、おそらく新しいものは前のより、よりよいように思われる。新しいものは、もちろん若い。そしてみずからが消費され、若い男に(女神に対する性的奉仕と全般的奉仕の両方において)代えられる運命にあるという恐れが、中年の男性にとって、ときには深刻な不安感の原因となりうるのである。(Wolfgang Wolfgang,The Fear of Women 1968)


(同 草間)


ーーでなんの話であったか、「割礼」だな。



Abakhwetha circumcision(南アフリカ共和国東ケープ州コーサ族集団割礼儀式)

In the Xhosa Language, aba means a group, while kwetha meats to learn, hence the word “Abakwetha”, meaning a group learning. What are they learning? To become men through circumcision. Five youths at a time are circumcised, ages 17 to 20 years The group of five live together in a specially constructed hut (sutu), which becomes their home for three months while they undergo the transformation from youth to manhood.

他方、『新イスラム事典』(2002・平凡社)によれば、ユダヤ教では生後8日目、イスラム教では生後7日目から12歳までの男児がそれぞれ割礼を受けるそうだ。





Gourd(calabashカラバッシュ)を装着するとあるが、これは熱帯アフリカの瓢箪の樹の実だとのこと。





一般に、コテカ(ペニスケース)も《瓢箪の果実(細長い形に育つ品種のもの)を原料とし、中身をくり抜き乾燥させて作られた筒状の容器であり、じかに陰茎に被せ、付属する紐で陰嚢および腰に固定させて装着する》(ウィキペディア)とある。





2015年3月31日火曜日

「夏が終われば忘れてしまう」

@tanajun009: これはここに書きつけるくらいがいいのだろうけれど、鈴木さんの『寝そべる建築』所収の立原道造論最後の言葉──「堀辰雄は愛情をこめて立原を、かれの詩は夏休みの宿題を書いているようなもので、それはいいんだけど、夏が終われば忘れてしまう、と言っていたそうである。」・・・泣けてしまう。(田中純)

ここで語られている内容とは、違うのかも知れないが、この田中純氏の昨晩のツイートは、突き刺さるな、なにに突き刺さるのだろう・ ・ ・

われわれは、夏休みの宿題のように、「原発事故」、「テロ事件」、「ネオナチ」などを語っていないだろうか、表面的な、利用しやすい庶民的正義感のはけ口としてのみ。そして《夏が終われば忘れてしまう》。

だが、今は、田中純氏が、おそらく語っている文脈での「突き刺さる」思いを、引用を中心に続けてみよう。

…………

君の詩集(「萱草に寄す」)、なかなか上出來也。かういふものとしては先づ申分があるまい。何はあれ、我々の裡に遠い少年時代を蘇らせてくれるやうな、靜かな田舍暮らしなどで、一夏ぢゆうは十分に愉しめさうな本だ。しかしそれからすぐにまた我々に、その田舍暮らしそのものとともに、忘られてしまふ……そんな空しいやうな美しさのあるところが、かへつて僕などには 〔arrie`re-gou^t〕 がいい。

……ただ一ことだけ言つて置きたい。君は好んで、君をいつも一ぱいにしてゐる云ひ知れぬ悲しみを歌つてゐるが、君にあつて最もいいのは、その云ひ知れぬ悲しみそのものではなくして、寧ろそれ自身としては他愛もないやうなそんな悲しみをも、それこそ大事に大事にしてゐる君の珍らしい心ばへなのだ。さういふ君の純金の心をいつまでも大切にして置きたまへ。(掘辰雄「夏の手紙 立原道造に」)
おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。遠いアドレッセンスの初葉の時に。そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。(吉本隆明歳時記「夏の章――堀辰雄」)

かつてひどく好んだのに、もう長いあいだ忘れてしまっている作品たちの累々とした屍体の墓場というものがあるものだ。







ところで、安永愛による書評『Anne Penesco Proust et le violon interieur (Les Editions duCerf, 2011)』にはこうある。

ヴァントゥイユのソナタの聴取の記述に最も大きなインスピレーションを与えたものと、プルーストの書簡から読み取られるのは、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタである。しかし奇妙なことに、プルーストはサン=サーンスについて、自分の好みではなく凡庸な作曲家だと、1915年にアントワーヌ・ビベスコ宛ての書簡で述べている。これは一体いかなることなのだろうか。アンヌ・ペネスコは、その答をボードレールについてのプルーストの評論の記述の中に見出している(p104)。それによれば、音楽が「有益な夢想」を与えてくれさえすれば、詩人の賞賛する音楽の客観的クオリティは問題ではないというのである。また、プルーストは未完の小説『ジャン・サントゥイユ』の「粗悪音楽礼賛」のくだりでこう述べているという。「粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(中略)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ」と。

サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れないだろうが、良い音楽か否かは間わず、「夢」や「涙」と結びつく音楽であればポエジーの糧になるというプルーストの考え、そして彼が必ずしも好みではない音楽家の作品を『失われた時を求めて』における音楽の記述の発想源としていたというのは、興味深い。

実は『失われた時を求めて』執筆の前にプルーストが手がけた未完の二人称小説『ジャン・サントゥイユ』の中には、主人公ジャンがサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに耳傾ける場面があるのだという。このことから、サン=サーンスを好まないと1915年の時点で書簡にプルーストは書いているものの、人の嗜好は変化するものであって、プルーストのサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに寄せる思いは、『失われた時を求めて』の語り手がジルベルトに寄せる思いと同じく、初恋のようなものではなかったか、とアンヌ・ペネスコは推測している(p108)。プルーストは、やはりサン=サーンスのヴァイオリン・ソナ夕に魅了されていたのだとペネスコは断じる。かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思いが、文学テクスト上のヴァントゥイユの音楽の創出にあずかっていたというのが、ペネスコの見立てである。

《粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ》だって? いや《サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れない》ように、立原道造も堀辰雄も粗悪の詩人たちではないだろう・ ・ ・

かつまた、《かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思い》だって?

芸術には、「青春の魅力」とでもいうべきものがつきまとっていると見える面があるのも事実で、……人はまた、自分の身にとってみれば、今は失ってしまった「青春」こそ、少なくとも、その理想的な世界にいちばん近いものだったと、思いたがる。

「あの時は、よかった」そうして、実人生では長続きさすことの不可能なその青春の優しさ、汚れのなさを、芸術作品こそは、いつまでもほろびない形で、――つまり、不朽な「美」の形にまで高めてーーその中にとじこめて残していてくれる。こうして、青春・美・芸術という一連のつながりが、人の頭の中に形をとってくる。それに人間は、「創造」ということを考える時、そこにこれからも生命を持ち続けてゆく「若々しさ」をあわせて見ないのは、むずかしいのではないだろうか。

あるいは、人は芸術にぶつかった時、その中にあるほかの何よりも、まず青春の魅力というものに、敏感に感応しやすいというのが、正しいのかも知れない。(吉田秀和『私の好きな曲』上 p50)

さらにはまた、《人は芸術にぶつかった時、その中にあるほかの何よりも、まず青春の魅力というものに、敏感に感応しやすい》だって? だが、《一番早く目につく美は、またあきられやすい美》でもあるだろう。

…スワンや彼の妻はこのソナタに、明瞭にある楽節を認めるのだが、私にとってその楽節は、たとえば思いだそうとするが闇ばかりしか見出せない名前、しかし一時間も経ってそのことを考えていないときに最初はあれほどたずねあぐんだ綴がすらすらとひとりでに浮かびあがってくるあの名前のように、ソナタのなかにあって容易にそれとは見わけにくいものなのであった。また、あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、ヴァントゥイユのソナタで私がそうであったのだが、われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。(……)

そればかりではない、私がソナタをはじめからおわりまできいたときでも、たとえば距離や靄にさまたげられてかすかにしか見ることのできない記念建造物のように、やはりこのソナタの全貌は、ほとんど私に見さだめられないままで残った。そこから、そうした作品の認識にメランコリーがむすびつくのであって、時間が経ってからのちにそのまったき姿をあらわすものの認識はすべてそうなのである。ヴァントゥイユのソナタのなかにもっとも奥深く秘められた美が私にあきらかになったとき、はじめに認めてたのしんだ美は、私の感受性の範囲外へ習慣によってさそわれて、私を離れ、私から逃げだしはじめた。私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。われわれが毎日気がつかずにそのまえを通りすぎていたので、自分から身をひいて待っていた楽節、それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。われわれはそれを他のものより長く愛しつづけるだろう、なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費していたであろうから。それにまた、すこし奥深い作品に到達するために個人にとって必要な時間というものはーーこのソナタについて私が要した時間のようにーー公衆が真に新しい傑作を愛するようになるまでに流される数十年、数百年の縮図でしかなく、いわば象徴でしかないのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』P172-174)

《今は失ってしまった「青春」こそ、少なくとも、その理想的な世界にいちばん近いものだったと、思いたがる》だって?

……中村武羅夫氏は青春という時期の陰湿さを大そう強調している。一方、私に質問した学生は、その時期の明るさを大そう強調している。そして、その強調の仕方がいずれも一オクターヴ高い感じがする。

この一オクターブ高いという感じが、いつも青春というものにつきまとう。そして、陰湿さも明るさも、いずれも楯の両面のような気がする。(吉行淳之介「鬱の一年」)





《彼は、声をあげて泣いていた。その泣き声は泣いている間も、ずっと彼の耳からは離れない。彼は誇張したのだろうか、(……)いやそうとまではいうまい。だがその泣き声が、どんな影響をきく人に与えるかを、彼はよく知っていた。》(吉田秀和)

…………
@Cioran_Jp: もしニーチェ、プルースト、ボードレール、ランボー等が流行の波に流されず生き残るとすれば、それは彼らの公平無私な残酷さと、気前よくまき散らす憎悪のせいである。ひとつの作品の生命を長持ちさせるのは残忍さだ。根拠のない断定だって?福音書の威力をみたまえ。このおそろしく喧嘩早い書物を。(シオラン)

2015年3月29日日曜日

括弧入れとパララックス(超越論的態度)(柄谷行人=ジジェク)

以下、ほとんどが資料の列挙。

ヘーゲルがおこなったカントについての基本的な修正は、したがって、次のようなものである。理性の三つの領域(理論的・実践的・美的)は、主体の態度の移行、すなわち「カッコに入れること」で出現する。つまり、学の対象は、道徳的判断と美的判断をカッコに入れることで出現する。道徳的領域は、認識的–理論的関心と美的関心をカッコに入れることで出現する。美的領域は、理論的関心と道徳的関心をカッコに入れることで出現する。たとえば、道徳的関心と美的関心をカッコに入れるなら、人間は、自由ではない、因果的関連に全面的に条件づけられたものとしてあらわれる。逆に、理論的関心をカッコに入れるとすれば、人間は、自由で自律的な存在としてあらわれる。したがって、もろもろのアンチノミーは物象化されるべきではない — アンチノミーをなす複数の立場は、主体の能度の移行によって生みだされる。柄谷の画期的成功は、しかしながら、そのようなパララックスな読みかたをマルクスに適用したこと、マルクスその人をカント主義者として読んだことにある。 (ジジェク『パララックス・ヴュー』P.94)

ここでジジェクは『トランスクリティーク』の記述における柄谷行人のパララックスな読み方を顕揚しているのだが、すこし遡って別の書物から、あるいは『トランスクリティーク』出版の前後の小論から引用してみよう。

カントは、ある対象に対するわれわれの態度を、これまでの伝統的区別にしたがって、三つに分けている。ひとつは、真か偽かという認識的な関心、第二に、善か悪かという道徳的な関心、もうひとつは、快か不快かという趣味判断。(……)

カントが趣味判断のための条件としてみたのは、ある物を「無関心」において見ることである。無関心とは、さしあたって、認識的・道徳的関心を括弧に入れることである。というのも、それらを廃棄することはできないからだ。

しかし、このような括弧入れは、趣味判断に限定されるものではない。科学的認識においても同様であって、他の関心は括弧に入れられねばならない。たとえば、外科医が診察・手術において、患者を美的・道徳的に見ることは望ましくないであろう。また、道徳的レヴェル(信仰)においては、真偽や快・不快は括弧に入れられなければならない。こうした括弧入れは近代的なものである。それはまず近代の科学認識が、自然に対する宗教的な意味づけや呪術的動機を括弧に入れることによって成立したことから来ている。ただし、他の要素を括弧に入れることは、他の要素を抹殺してしまうことではない。(柄谷行人「建築の不純さ」2001)

この小論と似たような文章が、『トランスクリティーク』にも現われる。外科医という具体的な例が挙げられているので、敢えてここに掲げたが、やはりより明晰に書かれている『トランスクリティーク』からも抜き出そう。

……カントは美が対象に対する没関心性において見いだされるといっている。それはいわば、関心を括弧に入れることである。いかなる関心か? 知的・道徳的関心である。われわれはある対象に対して、真か偽か、善か悪か、快か不快かという、少なくとも三つの領域で同時にそれを受けとめる。通常、それらは混然と錯綜している。或るものが芸術作品となるのは、他の関心を括弧に入れてそれを享受することによってである。しかし、カントが趣味判断の特性としたことは、認識に関しても道徳に関してもあてはまる。近代の科学では、対象認識において、道徳的・美的判断は括弧に入れなければならない。同様に、カントは道徳に関しても「純粋化」を試みる。道徳的領域は快や幸福を括弧に入れることによって存在するのである。むろん、それらを括弧に入れることはそれらを否定することではない。

そうすると、カントが第三アンチノミーを両立可能だとする解決はなんら驚くべきことではない。すべての事柄が自然原因によって決定されるという考えは、自由を括弧に入れるという態度によってもたらされる。逆に、自然原因による決定を括弧に入れるとき、自由ということが生じる。どちらが正しいのかは問題ではない。問題は、われわれは道徳的・美的次元を括弧に入れることによって認識的領域を獲得するのだが、その括弧はいつでも外されなければならないということにある。同じことが道徳的領域や美的領域に関してもいえる。一つの立場からすべてを説明しようとするとき、アンチノミーに出会うのだ。(……)ここで一つだけいっておきたいのは、認識的・道徳的・美的領域はある態度変更(超越論的還元)によって確定されることであり、それらがあらかじめ存在するのではないということである。(柄谷行人『トランスクリティーク』P.69)

ここにある《或るものが芸術作品となるのは、他の関心を括弧に入れてそれを享受することによってである》については、デュシャンの「小便器」の例が挙げられている(参照:美術館という場の力、あるいはラカンの「四つの言説」)。


次ぎは、1989年に上梓された『探求Ⅱ』からである。

カントがいう「批判」は、ふつうにわれわれがいう批判とはちがっている。つまり、ある立場に立って他人を批判することではない。それは、われわれが自明であると思っていることを、そういう認識を可能にしている前提そのものにさかのぼって吟味することである。「批判」の特徴は、それが自分自身の関係するということにある。それは、自らをメタ(超越的)レベルにおくのではない。逆に、それは、いかなる積極的な立場をも、それが二律背反に陥ることを示すことによって斥ける、つまり、「批判」は超越論的なのである。

しかし、カントの「批判」を、べつに「批判哲学」のように限定して考える必要はない。たとえば、今日デリダやド・マンのいうディコンストラクションは、「批判」以外の何であろうか。それは、一義的な意味(真理)を、決定不能性(二律背反)に追いこむことによって無効化するものだし、批判(解体)ではなく、「批判」(脱構築)なのである。「超越論的」という言葉も同様である。それをとくにフッサールのいう意味に限定する必要はない。

したがって、私は、超越論的ということを、自己意識の構造や自我の統一などといった問題に限定しないで、われわれが経験的に自明且つ自然であると思っていることをカッコにいれ、そのような思いこみを可能にしている諸条件を吟味(批判)することだという意味で考える。

すると、これは狭義の認識論に領域にとどまりえないことがわかる。たとえば、近代の思考が、デカルト的な二元論の機制の下にあると言うことは、それ自体超越論的なのだ。なぜなら、それは、われわれにとって自明且つ自然にみえていることがらをカッコにいれ、それをそのように受けとめさせている認識論的枠組そのものを吟味するということだからである。

しかし、これはいわゆる歴史的に考えるということと似て非なるものだ。ふつうの歴史的思考は、現代の認識論的枠組で過去を構成し解釈することでしかないからである。ニーチェがこのような「歴史主義」を攻撃する一方で、「歴史的に考える」ことを説いたことは矛盾しない。後者は、前者を超越論的に考察することにほかならない。

混乱を避けるために、後者を「系譜学的」と呼ぶことにしよう。系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす「認識の遠近法的倒錯」をえぐり出すことである。ニーチェがいう「歴史性」は、歴史的に規定されているということではなくて、この遠近法的な倒錯性ということなのだ。

けれども、こういう考え方はニーチェに固有のものではない。たとえば、マルクスもいっている。

《歴史とは、個々の世代の連続的交代にほかならない。それらのどの世代も、それ以前の全世代が贈った諸材料、諸資本、生産諸力を利用する。したがって各世代は、一面ではまったく変化した状況で、継承した活動を続行するのであり、他面ではまったく変化した活動によって、これまでのふるい状況の姿を変更するのである。ところが、思弁的にゆがめられたかたちでこれがとらえられると、後代の歴史が、前代の歴史の目的にされてしまう。たとえば、アメリカの発見の根底には、フランス革命の勃発を助けるという目的があったというように。こうなると、歴史は、自分だけの特殊な目的をかかえており(《自己意識》、《批評》、《唯一者》などといった)、《他の諸登場人物にならぶ登場人物》の一人となるのであるが、しかし、前代の歴史の《使命》、《目的》、《萌芽》、《理念》といった言葉でしめされているものは、実際は、後代の歴史からの抽象物、前代の歴史が後代におよぼす能動的な影響の抽象物にすぎない。》(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)

つまり、マルクスはすでに系譜学的なのである。歴史が倒錯的に構成されていること、発生論的記述が「自然成長的」な生成を結果から逆投射的に構成したにすぎないことを指摘する、そのときにのみ、彼は「歴史性」を見出すのである。それは一切の目的論に対する「批判」である。それは、俗にマルクス主義といわれる目的論的な歴史観とは正反対なのであるから、そんなものを批判したところで、マルクスをこえたことにはならない。

そもそも、このような系譜学はこえること(超越的)ではなく、超越論的なのである。たとえば、マルクスやニーチェが何といおうと、ひとは(彼ら自身も)“目的論的”に生きている。それを否定することはできない。だが、それをカッコにいれることはできる。たとえば、日常的にもの(客観)が私(主観)の前にあるという考え方を否定するならば、ひとはまず生きていけない。その自明性をとりあえず還元(カッコ入れ)しようとするのが超越論的ということであって、本当にその通りに生きてしまえば、分裂病者になるだろう。(柄谷行人『探求Ⅱ』p187-189) 

『トランスクリティーク』より後に書かれた小論からも抜き出すことにする。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)

ここでの柄谷行人は、カントの三つの領域(理論的・実践的・美的)ではなく、合理論/経験論という二項対立で記述している。われわれが、日常的に考えるときは、まずはこの二項でよいのかもしれない。たとえば、元「しばき隊」の代表者野間易通は、合理論の立場からは批判できるし、経験論の立場からは顕揚できる。

①経験論の立場からの顕揚→旧「レイシストをしばき隊」<首謀者>野間易通
②合理論の立場からの批判→元「しばき隊」諸君の「ポストモダンと冷笑」批判


逆に、より精密に分類するのなら、カントの三つの領域以外に、ラカンの「欲望」の領域ーー《Insofar as—following Lacan—the core of Kant’s thought can be defined as the “critique of pure desire,” is not the passage from Kant to Hegel then precisely the passage from desire to drive?》(ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012)、さらには「利益」の領域ーー《見逃してはならないのは、「利益」(interest)という観点である》(柄谷行人『美学の効用』)--なども考える必要があるのだろう。

いずれにせよ、大切なのは、パララックス(強い視差)な視点である。

以前に私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のでない外的な理性の位置において、自分の判断をその最もいそかなる動機もろとも、他人の視点から考察する。両方の考察の比較はたしかに強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真の位置におくための、唯一の手段でもある。(カント『視霊者の夢』)

…………


さて、ジジェクが多いに顕揚した『トランスクリティーク』(2001)からだが、ここでは敢えて「括弧」という言葉が現われていない文章を引用する。この箇所には、冒頭のジジェク曰くの「柄谷の画期的成功」、すなわち、《パララックスな読みかたをマルクスに適用したこと、マルクスその人をカント主義者として読んだこと》の要点がまとめられているからである。

『資本論』がそれ以前の仕事と決定的に異なるのは、(……)価値形態論の導入においてである。それは五〇年代の『グルントリセ』や『経済学批判』にはなかったものだ。われわれはむしろ『資本論』を、それらの仕事との「微細な差異」においても読むべきである。なぜなら、「微細なものにおいて明証される差異は、関係が大きな次元で考察されるとき、よりたやすく示される」からである。マルクスの「転回」が一度きりだとみなすことは、これがどれほど重要かを見逃すことになる。もう一つの例を挙げよう。ルクスは『経済学・哲学草稿』を書く以前に、一八四三年に次ぎのように書いている。


《国家の状態を研究する場合には、人はややもすると、諸関係の客観的本性を見のがして、すべてを行為する諸個人の意思から説明しようとする。だが、民間人の行為や個々の官庁の行為を規定し、あたかも呼吸の仕方のようにそれらの行為から独立している緒関係というものが存在する。最初からこの客観的立場にたつならば、善意もしくは悪意を一方の面でも他方の面でも例外として前提とすることなく、一見して諸個人だけが作用しているように見えるところに(客観的)緒関係が作用しているのが見られるだろう。ある事物が緒関係によって必然的に生じるということが証明されれば、どういう外的諸事情のもとでそれが現実に生まれざるをえなかったか、またその必要性がすでに存在していたのにどういうわけで生まれることができなかったかを発見することは、もはや困難なことではなくなるだろう。使用された物質がどういう外的事情のもとで化合するものかということを化学者が決定するのとほとんど同じ確実さをもって、人はこのことを決定することができるだろう。》(マルクス「モーゼル通信員の弁護」崎山耕作訳)


これは、『資本論』の序文において、マルクスがここでは資本家や地主を経済的なカテゴリーの人格的な担い手とみなし、彼らの主観的な意志や責任を問わないということを強調した条りを想起させる。彼の「自然史的立場」は、すでにここにおいて明瞭である。(……)もちろん、このようにいうことは、マルクスが初期から変わっていないということではない。その逆に、マルクスの思想が、類似したものの中での「微妙な差異」において読まれるべきことを意味するのである。

最後に付け加えておくが、私は『資本論』にマルクスの仕事の最高の達成を見出すにもかかわらず、それをマルクスの最終的な立場として見做すべきでない、と考えている。それはこの本が未完成であるというだけではない。重要なのは、(……)マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようがーー彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえるーーだめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしの存在しない。(柄谷行人『トランスクリティーク』PP.249-250)

《『資本論』の序文において、マルクスがここでは資本家や地主を経済的なカテゴリーの人格的な担い手とみなし、彼らの主観的な意志や責任を問わないということを強調した条りを想起させる》とある。その想起させる『資本論』序文とそれに引き続く柄谷自身の叙述をも抜き出しておこう。

《ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてばら色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的範疇(カテゴリー)の人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。》(『資本論』第一巻「第一版へのまえがき」)

ここでマルクスがいう「経済的カテゴリー」とは、商品や貨幣のようなものではなくて、何かを商品や貨幣たらしめる価値形態を意味する。『グルントリセ』においても、マルクスは商品や貨幣というカテゴリーを扱っていた。『資本論』では、彼は、それ以前に、何かを商品や貨幣たらしめる形式に遡行しているのである。商品とは相対的価値形態におけれるもの(物、サービス、労働力など)のことであり、貨幣とは等価形態におけれるもののことである。同様に、こうしたカテゴリーの担い手である「資本家」や「労働者」は、諸個人がどこに置かれているか(相対的価値形態か等価形態か)によって規定される。それは彼らが主観的に何を考えていようと関係がない。

ここでいわれる階級は、経験的な社会学的な意味での階級ではない。だから、現在の社会において、『資本論』のような階級関係は存在しないというような批判は的外れである。現在だけでなく、過去においても、どこでもそのように単純な階級関係は存在しなかった。そして、マルクスが具体的な階級関係を考察するとき、諸階級の多様性、そして言説や文化の多様性について非常に敏感であったことは、『ルイ・ポナパルドのブリュメールの一八日』のような仕事を見れば明らかなのだ。一方、『資本論』では、マルクスは、資本制経済に固有の階級関係を価値形態という場において見ている。その意味では、『資本論』の認識はむしろ今日の状況によりよく妥当するといってよい。たとえば、今日では、労働者の年金は機関投資家によって運用されている。つまり、労働者の年金はそれ自身資本として活動するのである。その結果、それが企業を融合しリストラを迫ることになり、労働者自身を苦しめることになる。このように、資本家と労働者の階級関係はきわめて錯綜している。そして、それはもう実体的な階級関係という考えではとらえられないように見える。しかし、商品と貨幣、というよりも相対的価値形態と等価価値形態という非対称的な関係は少しも消えていない。『資本論』が考察するのはそのような関係の構造であり、それはその場に置かれた人々の意識にとってどう映ってみえようと存在するのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』p40-41)

ーーこれ以外のいくらかは、「「強い視差 parallax」、あるいは「超越論的」」を見よ。

 巷間の多くの論者が「括弧入れ」、あるいは「パララックスな観点」が欠けていることについては、写真をめぐって記事を書いたことがある→ 「写真の本質の飼い馴らし、あるいは白痴が微笑む世界


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※附記

上の『探求Ⅱ』の引用において、ニーチェの「歴史主義」と攻撃と「歴史的に考えること」=「系譜学的」とされ、《後者は、前者を超越論的に考察することにほかならない》とあった。そして、《私は、超越論的ということを、自己意識の構造や自我の統一などといった問題に限定しないで、われわれが経験的に自明且つ自然であると思っていることをカッコにいれ、そのような思いこみを可能にしている諸条件を吟味(批判)することだという意味で考える》ともあった。

ところで、下の文には、ニーチェが《忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである》とある。

《「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」--これが私には本来の価値尺度となった。(中略)この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまでーー(中略)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。》(ニーチェ『権力への意志』原佑訳)

ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者のルサンチマンとして批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだ二ーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。

彼が言う運命愛とは、そのような人生を、他人や所与のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人間を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは実践的な態度である。

ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。

しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生みだす現実的な諸関係が存することを見ようとはしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。(『トランスクリティーク』第一部第3章 P187)