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2015年8月7日金曜日

人間の思考はその人間の母語によって決定される

以下、二日前の投稿を操作ミスで削除してしまったので、再投稿


……発話をおこなっている主体の驚くべき立場を明らかにして、その位相を動かしてみること。ようするに、翻訳不可能なものへ降りてゆき、その衝撃をけっして和らげようとはせずに、わたしたちのなかで西欧全体がゆさぶられて父語の権威がゆらぐようになるまで、衝撃を感じとろうとすること。父語とは、父祖からわたしたちに伝えられたものであり、そのつぎにわたしたちを文化ーーまさに歴史によって「自然なもの」に変えられるのだがーーの父祖かつ所有者にしてしまうものなのだから。アリストテレス哲学の主要概念が、ギリシア語の主要な分節によっていわば制約をうけていることをわたしたちは知っている。その場合とは逆に、とても遠い言語が瞬間的なひらめきにとって暗示しうるような還元不可能な差異、という視点に身をおいてみるのは、どれほど有益なことであろうか。チヌーク語、ヌートカ語、ホピ語などについてのサピアやウォーフのしかじかの章や、中国語についてのグラネのしかじかの章、日本語についてのある友人の言葉などは、完全なロマネスク世界をひらいてくれる。現代のいくつかのテクストだけが、ロマネスクについての概念をあたえうるのであり(どんなロマン - 小説にもそれはできない)、わたしたちの言葉(わたしたちが所有者である言葉)ではどうしても見ぬくことも発見することもできなかった風景に気づかせてくれるのである。

……主体と神は、追いはらっても追いはらっても、もどってくる。わたしたちの言語のうえに跨がっているからである。これらの事実やほかのさまざまな事実などから、確信することになる。社会を問題にしようと主張するときに、そうするための(道具になる)言語の限界そのものをまったく考えずに問題にしようとしても、いかに愚かしいことであろうか、と。それは、狼の口のなかに安住しながら狼を殺そうと望むようなものだからである。したがって、わたしたちにとっては常軌を逸している文法を習ってみること。そうすれば、すくなくとも、わたしたちの言葉のイデオロギーそのものに疑念をいだくようになる、という利点はもたらされるであろう。(ロラン・バルト『記号の国』pp.15-17 石川美子訳)

この文の「サピアやウォーフのしかじかの章」の箇所に訳者注があり、《 バルトが関心をもったのは、人間の思考はその人間の母語によって決定されるという、この「サピア・ウォーフの仮説」なのであろう》(P.18)とある。

とはいえ、この「サピア・ウォーフの仮説」は種々の変奏があるだろう。いや時間的にはニーチェのほうが先行している。ニーチェは西欧哲学全体が、その文法体系に囚われていると1886年、既に指摘している。

個々の哲学的概念は、けっして任意にそれ自身だけで生ずるものでなく、相互の関係関連のうちに成長するものである。また、それが一見いかに唐突に恣意に思考の歴史のなかにあらわれていようとも、じつは一つの体系に属しているのであって、さながらある大陸に棲むすべての生物が一つの系統に属するようなものである。――以上の事実は、この上なく異なった哲学者たちも、結局は、ある考えられうべき根本方式を、つねにくりかえししかも確実にみたしているということによっても察知されよう。彼らは目に見えぬ呪縛の圏内にあって、同じ軌道をつねにふたたびまわってゆく。かれらはその批判的ないしは体系的意志をもって、互に、独立しているように感じているではあろう。しかも、彼らの内のなにものかがつねに彼らを導いている。なにものかが、すなわち、彼の生得の概念の体系と類縁が、彼らを一定の順序にしたがってつぎつぎと駆り立ててゆく。

事実、彼らの思考は発見ではなくて、むしろ再認識、回想、それらの概念がかつてそれより生まれきたりしところの遠きいにしえの霊魂の共有財への復帰であり、帰郷である。このかぎりにおいて、哲学することは最高級の隔世遺伝の一種である。インド・ギリシャ・ドイツのすべての哲学的思考に通ずる驚くべき血縁の類似は、簡単に説明される。ここには言葉の類縁がある。されば、文法の共通の哲学によって--すなわち、同じ文法的機能による無意識の支配と指導によって--はじめから、哲学体系が同質の展開と順列をなすべき定めを持っていることは、避けがたいことである。同時に、世界解釈の他の可能性への道がとざされてあることも、避けがたいことである。ウラル=アルタイ語においては、主語の概念がはなはだしく発達していないが、この語圏内の哲学者たちが、インドゲルマン族や回教徒とは異なった目で「世界を眺め」、異なった途を歩きつつあることは、ひじょうにありうべきことである。ある文法的機能の呪縛は、窮極において、生理的価値判断と人種条件の呪縛でもある。…(ニーチェ『善悪の彼岸』竹山道雄訳)

ニーチェ読みのバルトがこの文を読んでいないはずはない。

《……それぞれの国民は、自分の頭上に、正確に分割された概念の空を持っている。そして、真理の要請のもとに、以後、すべて概念の神は自分の天空以外の場所では求められないようになることを望んでいる》(ニーチェ)。すなわち、われわれは、皆、言語活動の真実の中に、つまり、それの地域性の中に捉えられており、近隣同士の恐るべき敵対に引き込まれているのだ。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

もちろんわたしたち日本語使いも日本語に囚われている。

……日本語には機能接尾辞がきわめて多くて、前接語が複雑であるという特徴から、つぎのように推測することができる。主体は、用心や反復や遅滞や強調をつうじて発話行為を進めてゆくのであり、それらが積み重ねられたすえに(そのときには単なる一行の言葉ではおさまらなくなっているだろうが)、まさに主体は、外部や上部からわたしたちの文章を支配するとされているあの充実した核ではなくなり、言葉の空虚な大封筒のようになってしまうのである、と。したがって、西欧人にとっては主観性の過剰のようにみえること(日本人は、確かな事実ではなく印象を述べるらしいから)も、かえって、空虚になるまで細分化され微粒化されて言語のなかに主体が溶解し流出してゆくようなこといなってしまうのである。(『記号の国』p15)

「大封筒」という表現がある。バルトは時枝誠記の「風呂敷」理論を読んだのかだれかに聞いたのだろう。

時枝は、英語を天秤に喩えた。主語と述語とが支点の双方にあって釣り合っている。それに対して日本語は「風呂敷」である。中心にあるのは「述語」である。それを包んで「補語」がある。「主語」も「補語」の一種類である! (私はこの指摘を知って雷に打たれたごとく感じた)。「行く」という行為、「美しい」という形容が同心円の中心にある。対人関係や前後の事情によって「誰が?」「どこへ?」「何が?」「どのように?」が明確にされていない時にのみ、これを明言する。(中井久夫「一つの日本語観」『記憶の肖像』所収)

主体的な総括機能或いは統一機能の表現の代表的なものを印欧語に求めるならば、A is Bに於ける“is”であって所謂繋辞copulaである。copulaは即ち繋ぐことの表現である。印欧語に於いては、その言語の構造上、総括機能の表現は、一般に概念表現の語の中間に位して、これを統合する。従ってこれを象徴的に、A-Bの形によって表すのであって、copulaが繋辞と呼ばれる所以である。右のような総括方式における統一形式を私は仮に天秤型統一形式と呼んでいる。この様な形式に対して、国語はその構造上、統一機能の表現は、統一され総括される語の最後に来るのが普通である。

花咲くか。

といった場合、主体の表現である疑問の「か」は最後に来て、「花咲く」という客体的事実を包む且つ統一しているのである。この形式を仮に図をもって示すならば。



或は、



の如き形式を以て示すことが出来る。この統一形式は、これを風呂敷型統一形式と呼ぶことが出来ると思う(時枝誠記『国語学原論』ー―「森有正の日本語論<後編>」より)。

かつて柄谷行人は西田幾多郎のsubjectをめぐる叙述などを引用しつつこう書いた。

たとえば、一人称が聞き手との関係によって違っているような日本語では、一人称と「主体」が混同されることはけっしてなかった。しかし、日本語に「主語がない」ことは、日本語で語る人間に「主体」が無いことをすこしも意味しない。逆にいって、そうした文法的条件は、近代的な主観を乗り越えることをも意味しない。今日、日本語では、文法上の subject と、理論理性としての subject、実践理性としての subject は、それぞれ主語、主観、主体と区別されている。そうしたのは、西田幾多郎であった。この区別は、日本語の性質から直ちに来るものではない。そこに、こうした語が混同されている西洋哲学への「批判」がある。(柄谷行人「非デカルト的コギト」1992『ヒューモアとしての唯物論』所収 p.87)
subjectivitat という語は、日本では主観性や主体性と訳しわけられている。それはsubjectivitat という語の“用法”に大きな変化があったからだ。日本語での訳しわけは、それを反映している。主観性は、最初新カント派の認識論のタームとして訳されたものであり、現在でもそれは認識論に関連している。一方、主体性は、西田哲学の系統で用いられるようになった訳語で、現在でもそれは存在論的ないしは倫理的・実践的な意味で用いられている。日常的に使われるとき、これらの語が同一の起源に発することを知っている人さえ少ないほどに、はっきり区別されている。実際、”主観的”は否定的な意味で、”主体的”は肯定的な意味で使われるからだ。

このようなsubjectの両義性は、デカルトの「われ思う故にわれ在り」から生じたのである。ここで、「われ思う」に重点をおけば、”主観性”となり、「わら在り」に重点をおけば”主体性”となるだろう。たとえば、フッサールの超越論的現象学からハイデガーの存在論への移行は、、いわば”主観性”から” 主体性”への移行である。ハイデガーは、フッサールにあった認識論的姿勢を批判して、”主体性”を存在論的にいいなおしたのである。

しかし、デカルトのコギトはそのいずれをも両義的にはらんでいる。いわゆる近代的認識論も、実存主義もデカルトのコギトとは無縁だ。逆にいえば、認識論の問題も実存主義の問題も、デカルトのなかであらためて考察されなければならない。たとえば、コギトを外部的実存と呼ぶとき、私はいわゆる実存主義を意味しているのではない。いわゆる実存主義は、ハイデガーの場合のように共同存在(共同体)に帰着するほかはない。なぜなら、実存主義における実存は、共同体(システム)的なものに対する外部性が欠けているからだ。いいかえれば、そこには認識論的な側面が抜けている。逆に、認識論的な側面において語る者たちには、システムに対する外部性が実存的問題であることが抜けおちている、(柄谷行人 「探求Ⅱ」講談社版 1989 pp.113-114)

実際、subject という語は日本的な観点からは奇妙な語である。受け身にしてsubjected to とすれば「服従する」である(誰に? まず何よりも神にではないか)。ロラン・バルトのいう《主体と神は、追いはらっても追いはらっても、もどってくる》とはこの意味合いにても読むことができるだろう。

ロラン・バルトは日本の空虚な記号に魅せられたのである。バルト自身による『記号の国』前書きにはこうある、《日本の記号は空虚である。そのシニフィエは逃れ去ってゆく。見返りを求めずに支配するシニフィアンの根底には、神も真実も魂もまったくみられない》ことに。

いつの日か、わたしたち自身の蒙昧の歴史を明らかにして、西欧のナルシシズムがいかに濃密であるかをしめす必要があるだろう。ときおり耳にしえた、差異を求めるいくつかの声や、さけがたく続いてきたイデオロギー的な取り込みを、数世紀にわたって調べあげる必要があるだろう。その取り込みによって、いつの時代も、既知の言葉で解釈することで、アジアにかんする無知をやわれげようとしてきたのだから(ヴォルテールや、『アジア評論』、ロティ、エール・フランスの東洋のように)。現在、東洋から学ぶべきことはたしかに数かぎりなくあって、理解のためのたいへんな作業が必要であるし、これからも必要となるだろう(その作業が遅れているのは、イデオロギー的な隠蔽の結果にほかならない)。しかし同時に、巨大な影の領域(資本主義的な日本、アメリカ的になった文化、技術的な発展など)を周囲に残していることは認めつつ、細いひとすじの光によって、象徴的なものの裂けめそのものをーー西欧とは異なる象徴でをではなくーーさがしだすことも必要なのである。(同 p.10)

もちろんロラン・バルトの西欧言語への「批判」は、われわれにとっては逆に読まなければならない。われわれがいまだ安住しているのは別の狼の口なのだから。

日本語においては、一応三人称を文法的主格にしている文章でも、「汝―汝」の構造の中に包み込まれて陳述される。それは助動詞(これを動助詞という人もあるらしいが、そしてここで助動詞あるいは動助詞というのはverbe auxiliaireのことではなく、フランスの日本語学者のいうsuffixe fonctionnelであることは言うまでもない)が凡ゆる陳述に伴っていることからも理解される。そういうわけで日本語が本質的に二項関係の内閉性をもっており、そういう意味で閉鎖的(原文は傍点)な会話語であるのに対してヨーロッパ語は、会話の部分でも、その二人称は、いつでも、一人称―三人称に変貌することが出来る開放的超越的会話語であるということが出来る(森有正)。

《日本人は相手のことを気にしながら発言するという時、それは単に心理的なものである以上に、人間関係そのもの、言語構成そのものがそういう構造をもっているのである》(森有正全集12 P86-87ーー「日本語と下からの目線」)

一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」

われわれがこのようであるのは、 「言語構成そのものがそういう構造」をもっているせいだとしたらどうだろう? たとえば〈あなた〉のツイッターでの発話がいずれも内閉性を臭気漂わせる「閉鎖的な会話語」であったとしたら?

《私は少しばかり窓を開けたい。空気を! もっと空気を!》(ニーチェ『ヴァーグナーの場合』)

よい空気が大切なのだ! よい空気が大切なのだ! そしてとにかく文化のあらゆる癲狂院や病院の傍を離れることだ! だからこそ良い仲間が大切なのだ! いずれにせよ、内向的な頽廃と内密な病人の虫害とが放つ悪臭から遠ざかることだ!…… わが友らよ、われわれがそれこそわれわれ自身のために取っておかれたかもしれないあの二つの最も悪性の疫病から少なくともなお暫くの間実を守るために、――人間に対する大なる吐き気から! 人間に対する大なる同情から!…… (ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p158)

…………

附記:

おそらくロラン・バルトの『記号の国』1970などに影響を受けてだろう、ラカンは日本を訪れ、その後1971年に「リチュラテールLituraterre」を初めとして日本語について言及している。

柄谷行人は「日本精神分析再考(講演)(2008)」にて、そのラカンの日本語論に触れながら、今までは《個人において集団的なものがどのように伝わるのか。それに関しては、どうもはっきり》しなかったととしたあと、次ぎのようにいっている。

ところが、ラカンはそのような問題をクリアしたと思います。それは彼が無意識の問題を根本的に言語から考えようとしたからです。言語は集団的なものです。だから、個人は言語の習得を通して、集団的な経験を継承するということができる。つまり、言語の経験から出発すれば、集団心理学と個人心理学の関係という厄介な問題を免れるのです。ラカンは、人が言語を習得することを、ある決定的な飛躍として、つまり、「象徴界」に入ることとしてとらえました。その場合、言語が集団的な経験であり、過去から連綿と受け継がれているとすれば、個人に、集団的なものが存在するということができます。

 このことは、たとえば、日本人あるいは日本文化の特性を見ようとする場合、それを意識あるいは観念のレベルではなく、言語的なレベルで見ればよい、ということを示唆します。(柄谷行人「日本精神分析再考(講演)(2008)」)

これは森有正が「言語構成そのものがそういう構造」といったのとほぼ同じ見解だろう。


「見えない世界を照らしだした閃光とともに、意味の光が消えてゆくとき」

以下は前投稿「人間の思考はその人間の母語によって決定される」の補遺ーーいやそのほとんどは前投稿を記すうちに長くなりすぎたので削ったものだが、いくらか思い起すままに別途引用文を挿入したため、ひどくまとまりのない文になってしまった。

 …………

ロラン・バルトがはじめて日本を訪れたのは、一九六六年五月のことだった。フランス政府派遣文化使節として一か月ほど日本に滞在し、東京や京都でいくどか講演をおこなっている。このとき彼は日本で目にしたものすべてに魅せられて、たちまち日本に「恋」をしたのだった。そして、翌六七年の三月にも日本を訪れて一か月ほど滞在し、さらに同じ年の十二月にも三度目の滞在をする。二年たらずのあいだに三か月間も日本ですごしたのである。(……)

この作品が日本をめぐって書かれていることから、日本ではさまざまな批評がなされた。たとえば日本研究者のドナルド・キーンは、二週間の訪問客が直感的に「わかった」ことを書いた本にすぎず、時代遅れの日本論である、と批判した。バルトの愛読者たちは、日本趣味的なものにとまどいつつも、とにかく美しく魅力的な書物であるとたたえた。だがどちらの意見も、この作品を「日本論」としてとらえている点では同じであった。ところがバルト自身は、これは日本についての本ではなく、エクリチュールについての本だと語っていたのである。(ロラン・バルト『記号の国』の訳者石川美子氏による「まえがき」)

『記号の国』とは、かつては『表徴の帝国』(宗左近訳)と訳された。原題は“L'Empire des signes”であり、「表徴」が「記号」であるのはかまわないが、L'Empireとは「帝国」のほうがより近い訳かもしれない。だがあっさりとした『記号の国』という題名ーーバルトらしいとさえいえるーーに文句をつけるつもりは毛頭ない。

「夢とはこうしたものだ」と、あるユートピア旅行記『表徴の帝国』の冒頭にロラン・バルトはこう記している。「自分の知らない外国語(そして奇異なる国語)に通暁しながら、しかもそれを理解しないでいるということ。つまり、その国語のうちの差異を感知しながら、その差異が、伝達や通俗的理解といった言語の表層的な社会組織によっていささかも標定されることがあってはならない。未知の国語のうちに実質として屈折しているフランス語の不可能性を認知すること。想像しがたいものの体系性を学ぶこと。他の切断法、他の統辞論の効果のもとで、われわれにとって現実的なものを崩壊させること。言表行為のうちに思ってもみなかった主体の位置を発見し、その地誌学を転移せしめること。ひとことでいうなら、翻訳可能なるものの中へと降下し、われわれの内部で西欧の総体が動揺し、父親たちからうけついだ国語がぐらりと揺れるにいたるまで、翻訳不能なるものの振動を感知し、それを決して減衰させずにおきたいという夢である。」

ここで一つの言語的理想郷として語られている「自分の知らない外国語(そして奇異なる国語)」がたまたま日本語であったという点はさして重要とも思われないが、『物語の構造分析』や『S/Z―バルザック「サラジーヌ」の構造分析』、あるいは『記号学要理』といった論文や著作によって、構造主義的熱病が蔓延した後のフランスにいやというほど生み落された「体系」の人の一人ぐらいに考えられているロラン・バルトが、実はその発話行為の場そのもので語ろうとしている自分を犯している西欧「文化」の総体を、言葉を奪いその自由な流通を疎外するいまわしき装置としてあばきたて、それを完全に破壊しつくすことはできぬにしても、その捉えがたい構造をまざまざと触知しうる環境を夢みることなしにはいられない「夢」の人だという点を、見落とすことがあってはならない。「批評」をめぐって書こうとするとき、「批評とは何か?」、「何故、批評なのか?」といったてあいの疑問符を捏造しながら、たかだか根源的なと呼ばれる程度の問いを口にして書くことの不自由を曖昧にやり過ごすのではなく、「批評」について書きつらねられようとする言葉そのものを途方もなく希薄化し、遂には凡庸な匿名性へと埋没させてしまう力が何であるか、その機能するありさまを事件として生きうるには、言葉の「夢」にことのほか感じやすくあることが必須の条件だとバルトが語るとき、「批評」たろうとする言葉は、書くことがおのずとその対象を消すことにつながる夢を夢みるものでなければならぬというのもまた当然だろう。(蓮實重彦「言葉の夢と「批評」」『表層批判宣言』所収) 


この文でまず注目しておきたいのは、《たかだか根源的なと呼ばれる程度の問いを口にして書くことの不自由を曖昧にやり過ごす》という表現だ。いかにも当時の蓮實重彦らしい「いやみ」ったらしいとも取れる言い方であり、江藤淳や大江健三郎批判もこの口調でなされた。

江藤氏の想像力が「海」、大江氏のそれが「森林」というイメージをほとんどロマンチックなまでに希求し、いわば、いまここにはない失われた風景としての「海」と「森林」とを背景として、「航海者」と「狩猟者」の相貌を浮きあがらせずにはいないのだから、二人の言葉の類似ぶりはただごととも思えないのだが、実はそうした類似するさして重要なものではない。真に驚くべき類似は、にもかかわらず江藤氏と大江氏とがたがいに違ったことを語っていると信じ込み、しかもその確信において、才能の点で自分たちより遥かに劣っているはずのあまたの「批評家」や「小説家」たちといともたやすく馴れあって、薄められた「貧しさ」としての「戦後文学」のうちに埋没してしまう自分に無自覚だという類似であろう。書こうとする個体の意志や欲望にさからいもなくしなだれかかり、馴致されつくしているかとみえる言葉が、実は素直さを装って気軽に存在を招き寄せ、そのしなやかな可塑的流動性によっていとも円滑に筆に乗るかとみせて人目を欺き、かえって言葉への至上権をかすめとって、その洞ろな内面に充実ぶりの錯覚をそっとまぎれこませてしまうという危険を顧みることもなく、書けば書けてしまうという事実のうちに「作家」の特権的視座が確立しうると思いこむことの類似性、それが今日の「文学」的頽廃をあたりに蔓延させているのだが、そんな頽廃を江藤氏も大江氏もまぬがれていないのだ。誰もがそれなりに二つや三つは存在の暗部に隠し持っているだろう「切実な主題」をめぐり、「文学」がたえず捏造してやまない幾つもの疑問符に言葉を妥協させ、前言語的地熱の程よい高まりが、「普遍的」かつ「現代的な課題」と折合いをつけるのを待つといった怠惰な作業が、それにしてもいつから、書くことなどと信じられてしまうようにいたったのか。(同『言葉の夢と「批評」』

もちろんわれわれはアドルノやデリダなどによるハイデガー批判の文脈での《深遠な理念であれ、深さを誇るならすぐさまいかがわしいものと堕する》という言葉を思い起すこともできる(ジャック・デリダ「異邦人の言語」)。

かつてはこのようにしてしばしば「深淵」やら「彼方」やらを口に出す連中を、今ここにあるテキストや「表層」に面と向き合うことを忘れてしまうヤカラなどという形で嘲弄することもあったわけだ。

平坦さがあたりに波及させるあの単調さの印象、そこからくる廃棄された運動感、視野の凪ともいうべき静止の雰囲気が、人びとを平坦なる表層への無視、 軽蔑からさらにはその陵辱へと向わせる過程が、 日常的な思考と 「学問」 を自称する思考とに共通な構造を露呈しているという事実こそが、 きわめて重要なのだ。(蓮實重彦「表層の回帰と「作品」 」)

もちろんロラン・バルトからも似たような文を拾うことができる、《記号とは裂けめでありそれを開いてもべつの記号の顔がみえるだけである》(『記号の国』p.76)。

あるいは宮川淳ならどうか。

背後のない表面。のみならず、われわれを決して背後にまで送りとどけることのない表面。われわれは表面をどこまでも滑ってゆく、横へ横へ、さもなければ上へ、あるいは下へ、それとも斜めに? だが決して奥へ、あるいは底へではない、アリスの冒険について、ジル・ドゥルーズがいみじくも指摘しているように、表面の背後はその裏がわ、つまりまたしても表面なのだ。(宮川淳『紙片と眼差とのあいだに』)

さて話をもとに戻せば--何の話だったかこうやって引用していると分からなくなるがーー、蓮實重彦はのちにロラン・バルト追悼文のなかで次のように書いている。

個人的な手紙では、親しい友人と呼びかけてくれる仲ではあったが、そこには、フランスにおける書簡形式の伝統が踏襲されているだけのことであり、私自身はあくまで異物であった。その異物としての私自身と、異物を前にしていくぶん戸惑いつつある彼自身への平等に分配されるいたわりの心、そしてその調和ある均衡ぶり、それこそ中庸の紳士の記号としてのロラン・バルトが社会に向ける表情である。そのことをいま、この一枚の写真を前にして、いくぶんか郷愁に湿ったやさしさとともに、改めて思いだす。というのも、この写真のよるべない講演者が、そのフレームの外に注いでいる視線の直接の対象となっているのは、この私自身にほかならないからである。講演者は、自分のパロールを中断してその中にわって入り、彼自身には理解しえない言葉へと翻訳してゆく一つの異物を瞳にとらえている。だから私自身は、この一枚の写真にあって、バルト的な退屈の主題の不可視の中心なのである。

実際、それがどれほど雄弁なかたちで展開されようと、講演という退屈な儀式にあって、その倦怠を講演者以上に生なましく感じとることのできるのは、通訳しかいない。通訳の唯一のつとめは、倦怠をとことん倦怠させずにあやし通すことで、その居心地の悪い不安定な状況を引のばすことであろう。異質な言葉どうしの戯れをいかに納得のゆくかたちで組織しえた場合であろうと、そうなのだ。私は。そのことを公共の場ではじめて演じた通訳の折に実感した。そして、その最初の機会が、たまたま、一九六六年に来日された、ロラン・バルト氏の講演だったのである。(蓮實重彦「倦怠する彼自身のいたわり」『表象の奈落』所収)

本来ならここで、《この写真のよるべない講演者が、そのフレームの外に注いでいる視線の直接の対象となっているのは、この私自身にほかならない》とされる『彼自身によるロラン・バルト』のなかの一枚の写真を貼付するところだが、ウェブ上には見当たらない(その写真を本から写しとってここに貼り付けるほどの甲斐性はわたくしにはない)。かわりに若きバルトの「しあわせそうな」家族写真を掲げよう。


Roland Barthes ( à droite) avec sa mère et son frère Michel

《バルトの父は漁船改造の哨戒艇の艇長として詳しい戦史に二行ばかり出てくる無名の小海戦(第一次大戦)で戦死》(中井久夫)しており、弟は義父の子どもである。

…………

ところで、前投稿にも引用したがロラン・バルトはこう記している。

いつの日か、わたしたち自身の蒙昧の歴史を明らかにして、西欧のナルシシズムがいかに濃密であるかをしめす必要があるだろう。ときおり耳にしえた、差異を求めるいくつかの声や、さけがたく続いてきたイデオロギー的な取り込みを、数世紀にわたって調べあげる必要があるだろう。その取り込みによって、いつの時代も、既知の言葉で解釈することで、アジアにかんする無知をやわれげようとしてきたのだから(ヴォルテールや、『アジア評論』、ロティ、エール・フランスの東洋のように)。現在、東洋から学ぶべきことはたしかに数かぎりなくあって、理解のためのたいへんな作業が必要であるし、これからも必要となるだろう(その作業が遅れているのは、イデオロギー的な隠蔽の結果にほかならない)。しかし同時に、巨大な影の領域(資本主義的な日本、アメリカ的になった文化、技術的な発展など)を周囲に残していることは認めつつ、細いひとすじの光によって、象徴的なものの裂けめそのものをーー西欧とは異なる象徴でをではなくーーさがしだすことも必要なのである。(同 p.10)

ここでバルトは「細いひとすじの光」や「象徴的なものの裂けめそのもの」という表現で何を言おうとしているのか。

たとえば「細いひとすじの光」であるなら、「ゆらめく閃光」、沈黙のなかの叫びという言葉を想起することができる。 バルトはその遺著で、《私が名指すことのできるものは、事実上、私を突き刺すことができないのだ。名指すことができないということは、乱れを示す良い徴候である》としつつ、こう記している。

その効果は切れ味がよいのだが、しかしそれが達しているのは、私の心の漠とした地帯である。それは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』)


また「象徴的なものの裂けめそのもの」であるなら、ラカンの言葉、「裂け目の光のなかに保留されているもの」やら「現実は現実界のしかめっ面である」やらを想起できもするし、かつまたラカン派の次のような文を引用することもできる。

現実は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界である。そして現実界は、この象徴的な空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être

だがここはやはりバルトに戻ろう。彼は《西欧はすべてのものを意味で湿らせてしまう》としつつ、俳句への羨望を語っている。

俳句は、羨望をおこさせる。どれほど多くの西欧の読者が夢みたことだろうか。手帳をたずさえて、あちこちで「印象」を書きとめながら歩きまわることを実生活でしてみたいものだ、と。その「印象」記では、簡潔さは完璧さを保証するものとなり、素朴さは深遠さを証明するものとなるだろう。(……)

俳句においては、意味は一瞬の閃光、光の浅い傷跡にすぎない。シェイクスピアは「見えない世界を照らしだした閃光とともに、意味の光が消えてゆくとき」と書いていたが、俳句の閃光にはなにも照らしださないし、明らかにもしない。(ロラン・バルト『記号の国』)

※ここでの「シェイクスピア」は訳者石川美子さんによれば、実際はワーズワースの自伝詩『序曲――詩人の魂の成長』から。

かつまた「裂け目」であるなら次のような文を拾うこともできる。

断章は(俳句と同様に)《頓理》である。それは無媒介的な享楽を内含する。言述の幻想、欲望の裂け目である。文としての思考、という形をとって、断章の胚種は、場所を選ばず、あなたの念頭に現れる。それはキャフェでかもしれず、列車の中かもしれず、友だちとしゃべっているときかもしれない(それは、その友だちが話していることがらの側面から突然出現するのだ)。そういうときには、手帳を取り出す。が、その場合書きとめようとしているものは、ある一個の「思考」ではなく、何やら刻印のようなもの、昔だったら一行の「詩句」と呼んだであろうようなものである。 何だって? それでは、いくつもの断章を順に配列するときも、そこには組織化がまったくありえないとでも? いや、そうではない、断章とは、音楽でいう連環形式のような考えかたによるものなのだ(『やさしき歌』、『詩人の恋』)。個々の小品は、それだけで充足したものでありながら、しかも、隣接する小品群を連結するものでしかない。作品はテクストの外にしか成立しない。断章の美学を(ウェーベルン以前に)もっともよく理解し実践した人、それはだぶんシューマンである。彼は断片を「間奏曲」と呼んでいた。彼は自分の作品の中に、間奏曲の数をふやした。彼がつくり出したすべては、けっきょく、《挿入された》ものであった。しかし、何と何の間に挿入されていたと言えばいいのか。頻繁にくりかえされる中断の系列以外の何ものでもないもの、それはいったい何を意味しているのか。 断章にもその理想がある。それは高度の濃縮性だ。ただし、(“マクシム〔箴言、格言〕”の場合のように)思想や、知恵や、真理のではなく、音楽の濃縮性である。すなわち、「展開」に対して、「主調」が、つまり、分節され歌われる何か、一種の語法が、対立していることになるだろう。そこでは《音色》が支配するはずである。ウェーベルンの《小品》群。終止形はない。至上の権威をもって彼は《突然切り上げる》のだ! (『彼自身によるロラン・バルト』)




バルトが日本に恋したのは、西欧文化が囚われているシステムの裂け目を開く「閃光」として日本文化が機能したためと先ずは言い得る、ーー蓮實重彦の言い方を使えば《発話行為の場そのもので語ろうとしている自分を犯している西欧「文化」の総体を、言葉を奪いその自由な流通を疎外するいまわしき装置としてあばきたて》(『表層批判宣言』)る象徴界の裂け目を日本に見出したのだ。

現在、世界資本主義で、どこもかしこも(すくなくとも先進諸国の都市部では)アメリカ文化の出店のようになってしまっているとき、この己れの文化システムの裂け目を見出せる「ユートピア」国への旅行体験はますます僥倖となってきているといってよいだろう。

…………

最後に、没後発表された『偶景』からロラン・バルトの「俳句」をいくつか抜きだしておこう(「スカートの内またねらふ藪蚊哉」より)。


【モロッコにて、最近のこと……】

・列車のバーテンダーが、ある駅で降り、赤いジェラニウムの花を摘み、水を入れたコップにさして、汚れた茶碗やナプキンを放り込んでおくかなり汚い物入れとコーヒー沸しの間に置いた。
・二人のアメリカの老婦人が背の高い盲目の老人を力づくでつかまえ道を渡してやる。しかし、このオイディプスはお金の方を好んだであろうに。金、金、相互扶助ではなく。
・手はもうすでに少し分厚いが、華奢で、ほとんどなよなよした少年が、突然シャッターのようにすばやく、男であることを表す仕草――爪の裏でたばこの灰を落とすーーをする。
・一人の立派なハジ。短い灰色のひげをよく手入れし、手も同様に手入れし、真白い上質のジェラバを優雅にまとって、白い牛乳を飲む。
しかし、どうだ。鳩の排泄物のように、汚れが、きたないかすかなしみがある。純白の頭巾に。

花輪光氏は、「偶景」について、『彼自身によるロラン・バルト』、あるいは『新=批評的エッセー』の叙述から、次のようにまとめている。(ロラン・バルト『偶景』 解題代わりの小論「小説家ロラン・バルト?」より)

偶景(incident)――偶発的な小さな出来事、日常の些事、事故(アクシダン)よりもはるかに重大ではないが、しかしおそらく事故よりももっと不安な出来事、人生の絨毯の上に木の葉のように舞い落ちてくるもの、日々の織物にもたらされるあの軽いしわ(プリ)、わずかに書きとめることができるもの、何かを書くために必要となるちょうどそれだけのもの、表記のゼロ度、ミニ=テクスト、短い書つけ、俳句、寸描、意味の戯れ、木の葉のように落ちてくるあらゆるもの。



2015年8月5日水曜日

“A is A” と “A = A”

論理学は、現実の世界にはなにも対応するものがないような前提、たとえば同等な物があるとか、一つの物はちがった時点においても同一であるというような前提にもとづいている。数学についても同じことがいえる。もしひとがはじめから厳密には直線も円も絶対的な量もないことを知っていたら、数学は存在しなかっただろう。(ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』)

――若きニーチェはすでにこんなことを言っている。重ねてニーチェによる「哲学者に関する著作のための準備草案」1872∼1873を引用してもよいが(参照)、くどくなるので目先を変えてラカンから抜きだすことにしよう。

……われわれは、思考にとって「AはAである」ということが昔からいかなる困難を引き起こしてきたかを知っている。「AはAである」というとき、AがかくもAならば、なぜAを自分自身から切り離し、すぐに置き戻すのであろうかというものである。(ラカン『同一化セミネール』)
『一般言語学講義』の中でソシュールはシニフィアンの輪郭をはっきりさせることによって同一化の機能を究明しようとする。そして同一化に関するひとつの重要なイメージ、10時15分の急行の例、を出す。10時15分の急行といったときその同一性ははっきり定義されている。それは物質的素材の観点からは明らかに異なった急行であるにもかかわらず、それは毎日同じ時間に出発するやはり同じ10時15分の急行である。10時15分の急行のような存在が成立するには語られた存在を通して現実界の中への大々的なシニフィアン的組織の連鎖の介入を前提としているのである。これはシニフィアン的同一化としての同一化の法を例証してくれるものである。(同上)



――と引用しているのは実は、次の文を読んだからである。

ハイデッガーにとって、 “A is A” が “A = A”に還元されることは許されない。むしろ、そうしてしまうことがプラトン以来の「存在喪失」に帰着することになる。(柄谷行人「非デカルト的コギト」(初出 1992)『ヒューモアとしての唯物論』所収 P.96)  
ハイデガーが「存在者と存在の差異」というのは、たんに文法的にいえば、概念になりうるものと、概念になりえないのみならず、あらゆる概念(主語と述語の位置におかれる)をつなぎ支えるものとの差異である。(同「非デカルト的コギト」p.91)

柄谷行人はここで何を言っているのか、存在喪失やら存在の差異やらーーおそらく「存在の深淵」をも含めーー、これらをを可能なかぎり形式的に捉える試みとしてよいだろう。

この当時の柄谷行人の解釈が正統的なものかどうかは知らない。現在のハイデガー研究者なら勿論別の観点もあるだろう。ただし柄谷曰くは《分析哲学者は、ハイデガーの問いは、西洋文法にもとづく哲学的誤謬=ノンセンスにすぎないとみなした》(p.93)ともある。

ここでラカンはファルスとはシニフィアンとシニフィエのあいだにある横棒のようなものだ、と言っていることを想起しておこう、《barreの機能はファルスと関係ないわけではない》と。

la fonction de la barre n'est pas sans rapport avec le phallus. (Séminaire XX ENCORE Staferla 版 p.51)

これは柄谷行人のいう《あらゆる概念をつなぎ支えるものとの差異》とほぼ似たようなことを言っているのではないか。

ラカンは、Sとsの表記法にバー(横棒)を付加することは、既にいくらか余分で無益とさえ言える、という意味のことさえ言っている。

c'est que le fait d'ajouter la barre à la notation S et s… qui déjà se distinguent très suffisament …

Y ajouter la barre a quelque chose de superflu, voire de futile, et qu'en tout cas, comme tout ce qui est de l'écrit, comme tout ce qui est de l'écrit se supporte que de ceci (Séminaire XX ENCORE Staferla 版 p.46)

もちろん横棒とは次のように記されるときの横棒である(上段:シニフィアン、下段:シニフィエ)。



…………

柄谷行人の仕事をすこし遡ってみよう。

すべての人間史の第一の前提はもちろん生きた人間個体の生存である。したがって確認される第一の事態はこれら個人の身体的組織と、そしてこの身体的組織によってあたえられる、その他の自然へのかれらの関係とである。(……)

人々は動物から人間を意識、宗教その他お望みのもので区別することができる。人間自身はかれらが生活手段を生産しはじめるやいなや、すなわちかれらの身体的組織によって義務づけられている処置を講じはじめるやいなや、みずからを動物から区別しはじめる。(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)

柄谷行人はすでに70年代にこのマルクスの文を引用して「起源」への問いをマルクスの「関係」「空=間」」――後に「交通空間」と言いなおされるがーーと「翻訳」して次ぎのようにいっている。

マルクス・ニーチェ・フロイトは、いずれも「身体的組織」における欠如・無力性から出発し、そこに、表象・欲望・言語の発生をみいだすことにおいて、共通している。だが、そのような発生論的視点ではなく、逆に現象学的な遡行をもってしても、われわれは同じ地点に到達するだろう。ソシュールがいうように、言語とは示差的な体系である。つまり、意味は、語(シニフィアン)と語(シニフィアン)との「間」に生じる。根源的な意味作用は、こうした「空=間」に生れるのだ。それは、ジャック・デリダのいい方でいえば、差延化(遅延化・差異化)にほかならない。時間および空間は、そこから生じる。

マルクスが人間の「身体的組織」としてのべたこと、「身体的組織」によって歴史が生じるといったことは、より厳密に検討すれば、このような認識をはらむのである。

だが、何がそのような差異化・遅延化をもたらすのかを問うことはできない。もし問うならば、神または自然が「主体」として「原因」として表象されるだろう。しかし、それらは「意味」なのであり、根源的な意味作用の原因ではなく、結果なのである。重要なのは、そのような「起源」への問いーーそれ自体が形而上学に導くーーではなく、マルクスがここにおいて、人間の意識または「意味」がアプリオリに存するのではなく、感性的な受苦性(受動性)においてはじめて存するという考えをつらぬいていたことである。(柄谷行人『マルクス その可能性の中心』文庫 pp.111-112)

これはジジェクが次ぎのように後期ラカンを解釈するのとひどく近似している。

ラカンが「知と享楽のあいだに、波打ち際 littorale がある」と言うとき、jouis‐sense の 喚起を聞かねばならない。サントーム、享楽のシニフィアン化する形式 signifying formula of enjoyment に還元された文字の jouis‐sense を、である。

ここに後期ラカンの最終的な「ヘ ーゲリアン」の洞察がある。二つの相容れない領域(現実界と象徴界)の一つへの収束 convergence は、まさに不一致 divergence によって支えられている。というのは差異は己れが差異化するものを構成しているのだ。あるいはもっと形式的用語で言うなら、二つの領野のあいだのまさに横断点が、二つの領野を構成しているのだ。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING)

※より詳しくは「波打ち際littorale」と「横棒としての象徴的ファルスΦ」を参照のこと。

さて、もちろんここで(曲りなりにも)問うているのは現実界とは何かということである。それは「存在の深淵」やら「物自体」でもよい、

『純粋理性批判』を出版した後、カントは、同書における記述の順序に関して、現象と物自体という区分について語るのは、弁証論におけるアンチノミーについて書いてからにすべきだったと述べている。

実際、現象と物自体の区別から始めたことは、彼のいわんとすることを、現象と本質、表層と深層というような、伝統的な思考の枠組みに引き戻す結果を招いてしまった。カント以後に物自体を否定した者は、そのようなレベルで考えているのである。また、ハイデガーのように物自体を擁護した者はそれを存在論的な「深層」として見いだしている。

しかし、物自体はアンチノミーにおいて見い出されるものであって、そこに何ら神秘的な意味合いはない。それは自分の顔のようなものだ。それは疑いもなく存在するが、どうしても像(現象)としてしか見ることができないのである。したがって重要なのは、「強い視差」としてのアンチノミーである。それのみが像(現象)でない何かがあることを開示するのだ。

カントがアンチノミーを提示するのは、必ずしもそう明示したところだけではない。たとえば、彼はデカルトのように「同一的自己」と考えることを、「純粋理性の誤謬真理」と呼んでいる。しかし、実際には、デカルトの「同一的自己はある」というテーゼと、ヒュームの「同一的自己はない」というアンチテーゼがアンチノミーをなすのであり、カントはその解決として「超越論的主観X」をもちだしたのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』p81)

ハイデガーの「深層」に終始異議を表明している柄谷行人は上のように言っている。それはジジェク組にも見出される(参照:超越論的享楽(Lorenzo Chiesa))。

“Le Reel est à chercher du côté du zéro absolu”(Lacan, Seminar XXIII)

ーー《現実界は全きゼロの側に探し求められるべきだ。》

ここでロラン・バルトによるゼロ度の定義を挿入しておこう、《ゼロ度とは、厳密に言えば、何もないことではない。ないことが意味をもっていることである》(『零度のエクリチュール』1964)

ハイデガーの「存在の深淵」とはこのようなゼロ度のようなものであるのか、わたくしは知るところではない。

最後のラカンにとって、現実界は、象徴界の「内部にある」ものである。Dominiek Hoensと Ed Pluth のカント用語にての考察を捕捉すれば、人は同じように、最後のラカンは現実界の超越的概念から、超越論的概念に移行した、と言うことができる。 ( Lacan Le-sinthome by Lorenzo Chiesa) 
われわれは「現実界の侵入は象徴界の一貫性を蝕む」という見解から、いっそう強い主張「現実界は象徴界の非一貫性以外のなにものでもない」という見解へと移りゆくべきだ。(ZIZEK『LESS THAN NOTHING』2012)

「超越論的」をめぐっては次ぎのカントの文を挿入しておこう。

思惟するこの自我、あるいは彼、あるいはそれ(物)によって表象されるのは、もろもろの思考の超越論的主観=Xに他ならない。この超越論的主観は自らの述語である思考によってのみ認識される。またこの超越論的主観については単独には我々は決していささかの概念も持ち得ない。だから、我々はこの主観をめぐって絶えざる循環のうちをさ迷わねばならい。というのも、この超越論的主観について何かあることを判断するためには、我々はつねにすでにこの超越論的主観の表象を用いなければならないからである。これが、自我の表象から分かちえない不都合さである。(カント『純粋理性批判』)


さてこのようにジジェク組みの見解を引用したからといって、この見解が正しい、というつもりは毛頭ない。だがこれが彼らの強調点であることは間違いない。この観点を疑う立場もあるだろう(参照:二重に重なる享楽の喪失(Paul Verhaeghe))。だが柄谷行人の説明を読んで、「形式的には」ジジェク組の立場取りうることが改めて納得できる。そして後期ラカンもこの観点から読みうるとしてよい。

…………

以下、捕捉。

【1、柄谷行人の「交通空間」】

そこで、蓮實さんがいわれた生産と交通という話に戻ると、僕は、生産は、「共同体的」であり、交通は「社会的」であると考えています。共同体とは、共通のコードをもって閉じられたシステムであり、社会とは、共通のコードをもたない他者との交通において成立するような空間です。これを僕は「交通空間」とよんでいますけれど、これはどこかに実体的に在るものではなく、絶えず結合され分断されながら無方向に広がるようなネットワークのようなものです。(柄谷行人『闘争のエチカ』より)
……たとえば、ハイデガーがプラトンを攻撃し、ヘラクレトスやパルメニデスをもちあげるとき、私は疑いをもつ。

「この二人のギリシャの思想家が、思想家たるの道を初めて切り開いたこの二人が、存在者の存在の中に立たずに、一体どこに立つはずがあろうか」と、ハイデガーは言う(『形而上学入門』)。

しかし、「存在者の存在の中」というような存在論とこじつけめいた語源学のたぐいは、ある肝心な事柄を見失わせる。それは、彼らが「立った」のは、共同体の外だということだ。

ヘラクレイトスは「対抗する動揺の集約態」としての「存在」を見、パルメニデスはそこに、「対抗して争うものの相関性」としての「同一性」を見たと、ハイデガーはいう。

しかし、それは同一の規則をもった共同体においてではなく、まさに多様な交通空間としての「世界」において考えたということを示している。

そもそも「思想家たるの道を初めて切り開く」ことは、共同体の内部からではありえない。しかし、それは、「ユダヤ的なもの」を排除し農民的でゲルマン共同体の回復を志向するような哲学者が関知しないことだ。プラトン哲学において「存在喪失」があるとすれば、それは外部性・他者性の喪失にほかならない。(柄谷行人『探求 Ⅱ』p.249)

ここで柄谷行人がハイデガー批判をしつつ、《「存在者の存在の中」というような存在論とこじつけめいた語源学のたぐいは、ある肝心な事柄を見失わせる。それは、彼らが「立った」のは、共同体の外だということだ》と言っているが、これはハイデガーの語彙のひとつ Ekstase にかかわる(参照)。

ラカンのex-sistence (外ー存在)は、ハイデガーのSein und Zeit(存在と時間)の仏訳から。ドイツ語ではEkstaseであり、ギリシャ語ではekstasis(外に立つこと)(フィンク,The Lacanian Subject)

後期ラカンはEkstaseの仏訳語である ex-sistence を現実界の定義とした。

現実界 [ le réel ] は外立 [ ex-sistence]である。(Séminaire XXII R.S.I.1975年2月18日)

ex-sistenceは、たとえば「現実界は分節化された象徴界の内部に外立ex-sistする」(Paul Verhaeghe)という形で使われる。

これはpas-tout(非全体の論理)とも関係する。すなわち境界を欠いた〈非全体〉の表層における〈矛盾(非一貫性)のアンチノミーである(参照)。しばしば指摘されてきたように、これはカントの無限判断と相同的である(参照:「〈他者〉の〈他者〉は外-存在する」)。

この非全体の論理は、ジジェクによれば、ヴィトゲンシュタインの「家族的類似性」にもかかわる(参照)。

ラカンは、性差を構成する非一貫性を、「性差の式」にて詳述した。そこでは、男性側は、普遍的な機能とその構成要素である例外とによって定義される。そして女性側は“すべてではない”(pas‐tout)のパラドックスによって定義される(例外はなく、そしてまさにその理由によって、すべてではない、すなわち、非-全体化される)。想いだしてみよう、ウィトゲンシュタインの語り得ぬものの移りゆく地位を。前期ヴィトゲンシュタインから後期ヴィトゲンシュタインの移動(家族的類似性)とは、「すべて」(例外を基盤とした普遍的全体の領域)から、「すべてではない」(例外なしでその理由で非-普遍的、非-全体の領域)への移動である。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING)

柄谷行人がマルクスから概念化した「交通空間」の定義、《どこかに実体的に在るものではなく、絶えず結合され分断されながら無方向に広がるようなネットワークのようなもの》とは、ヴィトゲンシュタインの家族的類似性と限りなく近似しているとしてよい。

ウィトゲンシュタインが反対するのは、複数的な規則体系を、一つの規則体系によって基礎づけることであるといってよい。しかし、数学の多数体系はまったく別々にあるのではない。それは相互に翻訳可能だが、共通の一つをもたないだけである。彼は、そうした「互いに重なり合ったり、交差し合ったりしている複雑な類似性の網目」を「家族的類似性」と呼ぶ。《われわれが言語と呼ぶものすべてに共通な何かを述べる代わりに、わたくしは、これらの現象すべてに対して同じことばを適用しているからといって、それらに共通なものなど何一つなく、――これらの現象は互いに多くの異なった仕方で類似しているのだ、と言っているのである。そして、この類似性ないしこれらの類似性のために、われわれはこれらの現象すべてを「言語」とよぶ》(『哲学研究』)――(柄谷行人『トランスクリティーク』P106)


【2、“A = A”をめぐって】

“A = A”は、象徴秩序内においてのみ起こり得る。そこでは、Aの同一化は「唯一の特徴unary feature」によって支えられ構成されているのだ。その「唯一の特徴」は、その核心にある空虚を徴づけている(その空虚の代わりとなっている)。「あなたはジョンだ」は意味するのは次ぎのことである。あなたのアイデンティティの核心は、あなたの名前で示された言葉で言い表わせないje ne sais quoi深淵なのである。だからどのアイデンティティも、つねに挫折させられ、実質がなく、虚構である(ポストモダンの「脱構築主義者」の呪文のように)だけではない。アイデンティティそれ自身が、厳密な意味で stricto sensu、その反対物の徴、それ自身の欠如の徴、自己アイデンティティとして主張される実体は十全のアイデンティティを喪失しているという事実の徴なのである。(ジジェク LESS THAN NOTHING 私訳)
ヘーゲルが『論理の科学』で、悪戯っぽく言ってる、もしAがそれ自体と同じなら、どうして反復する必要があるんだい?と。“A = A” のような同語反復の同一の反復は、実際はそれ自体との非-同一の徴を示している。(Levi R. Bryant、The Democracy of Objects、2011
象徴界と現実界を分ける棒線は、厳密に象徴界の内部のものである。というのは、その棒線が、象徴界が「それ自身になる」のを妨げるのだから。シニフィアンにとっての問題は、現実界に触れ得ないことではなく、「それ自身に到達する」ことが出来ないことだ。シニフィアンに欠けているものは、特別な言語の対象ではなく、「シニフィアン」自身、棒線を引かれない、何物にも邪魔されない〈一者〉である。(ジジェク『為すところを知らざればなり』For They Know not What They Do; Enjoyment as a Political Factor - Slavoj Žižek 1996 私訳)

ここでの〈一者〉(〈一〉)をめぐっては、「Y a d'l'Un〈一〉が有る」と「il y a du non‐rapport (sexuel)(性の)無-関係は有る」を参照のこと。

なお次ぎのような指摘もある。

象徴秩序、主人のシニフィアン、ファルスのシニフィアン、〈一者One〉を同じものとするラカンの考え方は、読者には不明瞭かもしれない。私は次のように理解している。システムとしての象徴秩序は、差異をもとにしている(ソシュール参照)。差異自体を示す最初のシニフィアンは、ファルスのシニフィアンである。それ故、象徴秩序は、ファルスのシニフィアンを基準にしている。一つのシニフィアンとして、空虚であり、(例えば)二つの異なるジェンダーの差異を作ることはない。それが作るのは、単に〈一者〉と非一者である。これが象徴秩序の主要な効果である。それは二項対立の論拠、ある者かそのある者でないか、を適用することによって、一体化の形で作用する。(ポール・ヴェルハーゲPaul Verhaeghe、Lacan's Answer to the Classical Mind/Body Deadlock 2002 私訳)





2015年8月4日火曜日

感性的であるということは、受苦的であるということ(マルクス)

他者に対する情熱を公に示す事には恐ろしく暴力的なところがあるというのは当たり前ではなかろうか。情熱は定義からしてその対象を傷つける。相手が情熱の対象の位置を占めることに徐々に同意したとしても、畏怖と驚きを経ずして同意することは絶対にできない。(ジジェク『ラカンはこう読め』)P175)

ーーとは次の叙述の後に記されている。

「嫌がらせ〔ハラスメント〕」は、明確に定義された事実を指しているように見えながら、じつはひじょうに両義的に機能し、イデオロギー的なごまかしをしている語のひとつである。いちばん基本的なレベルでは、この語はレイプや殴打のような残酷な行為や他の社会的暴力を指す。いうまでもなく、そうした行為は容赦なく断罪されるべきだ。しかし、現在流通しているような「嫌がらせ」という語の使い方では、この基本的な意味が微妙にずれて、欲望・恐怖・快感をもった他の現実の人間が過度に近づいてくることに対する批難になっている。二つのテーマが、他者に対する現代のリベラルで寛容な姿勢を決定している。他者が他者であることを尊重して他者に開放的であることと、嫌がらせに対する強迫的な恐怖である。他者が実際に侵入してこないかぎり、そして他者が実際には他者でないかぎり、他者はオーケーである。ここでは寛容がその対立物と一致している。他者に対して寛容でなければならないという私の義務は、実際には、その他者に近づきすぎてはいけない、その他者の空間に闖入してはいけない、要するに、私の過度の接近に対するその他者の不寛容を尊重しなくてはいけない、ということを意味する。これこそが、現代の後期資本主義社会における中心的な「人権」として、ますます大きくなってきたものである。それは嫌がらせを受けない権利、つまり他者から安全な距離を保つ権利である。(ジジェク


とはいえ、今メモしておきたいのは、ハラスメントの話ではない。《情熱は定義からしてその対象を傷つける》の話だ。以前からどこかで読んだ文と似ているな、と感じていたのだが、昨晩ようやくその文に巡りあった。《感性的であるということは、受苦的であるということ》というマルクスの文だ。

感性的であるということ、すなわち現実的であるということは、感覚の対象であること、感性的な対象であることであり、したがって自分の外部に感性的な諸対象をもつこと、自分の感性の諸対象をもつことである。感性的であるということは、受苦的であるということである。

それゆえ、対象的な感性的な存在としての人間は、一つの受苦的〔leidend〕な存在であり、自分の苦悩〔leiden〕を感受する存在であるから、一つの情熱的〔leidenschaftlich〕な存在である。情熱、激情は、自分の対象にむかってエネルギッシュに努力をかたむける人間の本質力である。(マルクス「経済学・哲学草稿」第三草稿 城塚・田中訳)

とはいえ、マルクスのメモだけではなく、せっかくジジェクを引用したのだから、ハラスメントについてもメモっておこう。

@skdwm 女子大生へのセクハラアンケート。セクハラで一番多かったのが「キモい男からの告白や好意」。女子大生へ好意を向けることはセクハラに当たります。男子学生は十分に注意してください。

ジジェクを再掲すればこういうことであろう。

他者に対して寛容でなければならないという私の義務は、実際には、その他者に近づきすぎてはいけない、その他者の空間に闖入してはいけない、要するに、私の過度の接近に対するその他者の不寛容を尊重しなくてはいけない、ということを意味する。これこそが、現代の後期資本主義社会における中心的な「人権」として、ますます大きくなってきたものである。それは嫌がらせを受けない権利、つまり他者から安全な距離を保つ権利である

大学生だか高校生だかの若い女性たちに「愛」を告白しそうになったのだが、やめておかなければならない。




ラカンによる愛の定義 ――「愛とは自分のもっていないものを与えることである」 ――には、以下を補う必要がある。「それを欲していない人に」。誰かにいきなり情熱的な愛の告白をされるというありふれた体験が、それを確証しているのではないか。愛の告白に対して、結局は肯定的な答を返すかもしれないが、それに先立つ最初の反応は、何か猥褻で闖入的なものが押しつけられたという感覚だ。 (ジジェク『ラカンはこう読め!』P83)





「自制」のためには次のようなツイートをも読んでおくべきだろう。

@aki21st:ややこしい事をいうと…百田尚樹さんの永遠の0を読んで感動して泣いてたみたいな高校の後輩が、デモの先頭に居たりするわけでして…。百田尚樹読んでデモ行くって…なんというか、どう説明していいか分からん事が起こってる。

ーー誤解のないように断わっておくが、このツイートはここに貼り付けた若い女性たちとは無関係である。





ここに写っている女性のどれかが「礒崎首相補佐官を論破した18歳女子」のはずだが、どの女性がどうであるのかはこの際どうでもよろしい。

どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる(茨木のり子