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2019年1月19日土曜日

二つの症例

やあきみ、さっそく言ってくるんだな、ああ、なるほどと思ったよ。斎藤環が「症例チバ」を指摘しているわけだ。チバだけじゃないだろうが、『欲望会議』の面子のなかでは精神分析的知が一番あるだろうチバを代表した症例をね。

斎藤環@pentaxxx千葉雅也・二村ヒトシ・柴田恵理『欲望会議』(角川書店)すごく面白いし読みやすい。ポリコレ批判は痛快だし傷と交換の話とかもいい。なんとなく後半から読み出したのでこれから前半に戻ります。

最終章でオープンダイアローグについて触れてくれているのはありがたい。いままで批判がなさすぎたので、こうした機会は尊重したい。ただ残念ながらこの批判は実践家には届きにくいのではないか。それは何点か、ODについての誤解があるからのように思う。思考の整理を兼ねて、それについて記したい。

・僕が誤解と思った部分を箇条書きにしてみる。
・統合失調症は秘密が病理の中心にあり、秘密をなくせば寛解する。
・オープンダイアローグのポイントは秘密を作らせないこと
・ODは無意識と向き合わない
・ODはなんでもシェアする
・ODはコミュニケーションから「深さ」を消滅させる

統合失調症と秘密について言えば、精神病理学的には「秘密が守れない病気」とされていた(土居健郎ら)。正門はがっちり守りを固めているのに、通用門から秘密がだだ漏れ、みたいな状況。秘密をなくせば寛解、というのはいくらなんでも。

ODでは「秘密をなくすこと」は目的ではない。言いたくなことを言わない権利は、まず最初に保証される。そもそも治療において秘密を暴く必要はない。ここで想定されている無意識はユング的な「心の深層」のイメージのように思う。確かにそういう無意識はODでは扱わない。

ODは、精神分析の主要なツールである「転移」「解釈」「徹底操作」を捨てた。いずれも患者の不安を喚起する恐れがあるからだ。精神分析家が「無意識の真理に近づくためなら少々の不安はしかたない」と考えるなら、ODは「安全と安心を確保しつつ、無意識の治療的作用を最大限に活用しよう」と考える。

ODではクライアントとセラピスト双方の主観世界の言語化を行う。この過程において、複数の無意識の協働、のような現象が起こってくる。無意識の作用は常に想定外の場所に生成するので、何が起こるかわからない。個人的にはODくらい無意識の潜在力をフル活用している治療も少ないと思う。

ODについて歓迎したくないイメージは、すべての主体を溶融させる「つながりによるケア」というもの。「生物都市」や「エヴァンゲリオン劇場版」的な。そういった多幸的な一体感をOD実践家は嫌悪する。エンカウンター・グループを悪用したカルトの手口だから。それはせいぜい「シンフォニー」止まり。

なぜODが繰り返し「ポリフォニー」を強調するのか。それは対話こそが主体化の契機にほかならないから。対話は調和のためではなく、差異の掘り下げをもたらす(“深い”コミュニケーション)。ODが交換不可能な「他者の他者性」を強調するのはそのため。

あるOD実践家の言葉で印象的だったのは「(対話の中で)あなたが主体的に振る舞える場所を創りなさい」というもの。國分功一郎さんの言う「欲望形成支援」はここに該当すると思う。

もし精神分析が「無意識に埋もれている真理を見出す技法」であるとすれば、いわばODは「無意識を援用して個の物語を生成する手法」。そして僕にとっては、真理よりも物語のほうに主体化の希望がある。真理は強者の占有物だが物語は万人が共有可能だから。

おそらくラカン派的文脈では「物語による治癒」は、自己愛的な治癒の幻想、すなわち真理の忘却に過ぎず、自我の整形手術まがいの代物、という位置づけになるかと。

大切なのは、精神分析プロパでない批評家や評論家の発言は、話半分、いやときに話十分の一ぐらいで読むことだね。ボクももちろんプロパじゃないからな、ここで記すのは、ほぼ引用に終始するのはそのためだ。

で、「症例タマキン」はどうかというと、やっぱりあるんだな。もし彼を「まだ」ラカン研究者のひとりと見た場合だが。斎藤環は「もはや」ラカン派を下りているという立場に立てば問題ない。ようするに彼を、ラカンをめぐっての「現在知」がほとんどない者とみなせば問題ない。ボクはオープンダイアローグを率先して提案している斎藤環を「尊敬」しているからな。

三年ほどまえ「最近、斎藤環氏が提唱している「オープンダイアローグ」についてもーーわたくしは寡聞にしてほとんどその内容を知らないがーー「象徴界の再象徴化・再刻印」の文脈で捉えうるものなのではないだろうか」(参照)と記しているけど、これが正統的な立場だよ、現在の「資本の言説」の時代の臨床においては。


そもそもオープンダイアローグに近似した手法は、すでに20年ぐらい前からラカン派臨床家によって示されている。

倒錯構造の患者の「自由連想」と治療者の「自由に漂う」注意力は、次の状況を起こしがちである。すなわち倒錯者が(神経症的)治療者を取り扱う(治療する treat)という状況である。何の不思議なことでもない、頻繁に倒錯者を扱う分析家は集団療法を提案しているのは。それは転移的関係性を制御できるようにするためである。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, PERVERSION II: THE PERVERSE STRUCTURE、2001年)

これは父の名の斜陽の時代は、前エディプス的主体(倒錯的主体、精神病的主体)が多くなるという文脈のなかで読む必要がある。現在の社会構造的環境では、旧来のフロイト的臨床手法は機能することが少なくなっているのである。

一神教ではない日本ーー前エディプス的主体が多い日本ーーでは、もともとフロイトの「自由連想」「寝椅子」療法は、うまく機能しないという立場もかねてからある。

… 境界例や外傷性神経症の多くが自由連想に馴染まないのは、自由連想は物語をつむぐ成人型の記憶に適した方法だからだと私は考えている。いや、つむがせる方法である。この点から考えると、フロイトが自由連想法を採用したことと幼児期外傷の信憑性に疑問を持ったこととは関係があるかもしれない。語りにならば、それはウソくさくなったかもしれないのである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収  p85)


なにはともあれ、斎藤環が、《おそらくラカン派的文脈では「物語による治癒」は、自己愛的な治癒の幻想、すなわち真理の忘却に過ぎず、自我の整形手術まがいの代物、という位置づけになる》と言っているのは、現在のラカン臨床派の動きに無知であることを示している。

現在の「まともな」ラカン派においては、真理にかかわる「幻想の横断 traversée du fantasme」(斎藤環のいっている「徹底操作durcharbeiten」)はお釈迦に近づいている。「真理」にかかわるラカン派的諸概念は、ジャック=アラン・ミレールが2005年のセミネール冒頭にて示した左側の項である。21世紀前後から、右項に移行しているのである。




だが問題は、日本においては「まともな」ラカン派臨床家が稀有ということがある。つまり日本ではいまだ「幻想の横断」をマガオで言っている臨床家が多すぎる環境にある。その意味では、斎藤環の「誤解」は、日本のフロイト・ラカン的臨床家大半にたいしては十分な機能をはたしており、日本的環境だけを視野のなかに入れるなら、難詰する必要はまったくない。ただ斎藤環は、現在ラカン派の動きとはひどく異なる誤解をしている、ということはある。古典的な旧套のラカンのままなのである。

三人の「まともな」臨床家の文を列挙しよう。

身体の享楽は自閉症的である。愛と幻想のおかげで、我々はパートナーと関係をもつ。しかし結局、享楽は自閉症的である。Pierre-Gillesは、ラカンの重要な臨床転回点について、我々に告げている、分析家は根本幻想を解釈すべきでない。それは分析主体(患者)を幻想に付着したままにするように唆かす、と。(Report on the ICLO-NLS Seminar with Pierre-Gilles Guéguen、2013)
ラカンはその教えの最後で、父の名と症状とのあいだの観点を徹底的に反転させた。彼の命題は、父の名の「善き」法にもかかわらず症状があるのではなく、父の名自体が、あまたある症状のなかの潜在的症状ーーとくに神経症の症状--以外の何ものでもない、というものだ。ヒステリーの女性たちとともにフロイトによって発明された精神分析は、まずは、父によってつくり出された神経症的な症状に光を当てた。だが、精神分析をこれに限るどんな理由もない。事実、精神病においてーーそれは格別、我々に役立つ--、主体は、母から分離するために、別の種類の症状を置こうと努める。

この新しい概念化において、症状は、たとえ主体がそれについて不平を言おうとも、母から分離し、母の享楽の虜にならないための、必要不可欠な支えなのだ。分析は、症状の病理的で過度に制限的な側面を削減する。すなわち、症状を緩和するが、主体の支えとしての必要不可欠な機能を除去はしない。そして時に、主体が以前には支えを仕込んでいない場合、患者が適切な症状を発明するよう手助けさえする。(Geneviève Morel 、Fundamental Phantasy and the Symptom as a Pathology of the Law、2009)
ラカンは幻想を、欲動を主体に統合し和解させる典型的な神経症的戦略として概念化した。ラカン的観点からは、この戦略は錯覚的 illusory であり、主体を反復循環へと投げ入れる。1960年代のラカンは、精神分析治療の目標を「幻想の横断 la traversée du fantasme」と考えた。これは、主体が幻想のシナリオを何度も何度も反復する強迫的流儀は、乗り越えるべき何ものかであるという意味である。…

しかしながら1970年代以降の後期理論で、ラカンは結論づける、そのような「横断」は、治療がシニフィアンを通してなされる限り、不可能であると。…

こうしてラカンは、彼が「サントーム」と呼ぶものの構築を提唱する。それは純粋に個人的な方法、ーー執着する欲動衝迫と同時に他者の優越をを巡っている現実界・想像界・象徴界を取り扱う純単独的な方法である。(Identity through a Psychoanalytic Looking Glass、2009、Stijn Vanheule and Paul Verhaeghe、2009)


これらの文は、最晩年のラカンの次の発言を基盤としている。

分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである。症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。
En quoi consiste ce repérage qu'est l'analyse? Est-ce que ce serait, ou non, s'identifier, tout en prenant ses garanties d'une espèce de distance, à son symptôme? savoir faire avec, savoir le débrouiller, le manipuler ... savoir y faire avec son symptôme, c'est là la fin de l'analyse.(Lacan, Le Séminaire XXIV, 16 Novembre 1976)
分析は突きつめすぎるには及ばない。分析主体 analysant(患者)が自分は生きていて幸福だと思えば、それで十分だ。〔Une analyse n'a pas à être poussée trop loin. Quand l'analysant pense qu'il est heureux de vivre, c'est assez.〕(ラカン “Conférences aux USA,” 1976)


たとえば斎藤環はOD(オープンダイアローグ)は「無意識を援用して個の物語を生成する手法」としているが、これは、ラカン主流派における「脚立 escabeau 臨床」と相同的である。すくなくともわたくしはそう判断している。

そもそもラカン主流派(フロイト大義派)のボス、ジャック=アラン・ミレールは、2014年には、斎藤環がいう《おそらくラカン派的文脈では「物語による治癒」は、自己愛的な治癒の幻想、すなわち真理の忘却に過ぎず、自我の整形手術まがいの代物、という位置づけになる》ーーこの自己愛的な手法を顕揚しているである。もうすでに5年前というべきか、まだ5年しか経っていないというべきかは知らず。

脚立 escabeau は梯子 échelle ではない。梯子より小さい。しかし踏み段がある。

escabeau とは何か。私が言っているのは、精神分析の脚立であり、図書館で本を取るために使う脚立ではない。…

脚立は横断的概念である。それはフロイトの昇華の生き生きとした翻訳であるが、ナルシシズムと相交わっている  L'escabeau, c'est un concept transversal. Cela traduit d'une façon imagée la sublimation freudienne, mais à son croisement avec le narcissisme. 
私は自問した、サントームと脚立とにあいだに線を引くことを試みようかと je me disais que je pourrais essayer un parallèle entre le sinthome et l'escabeau。脚立を促進 fomente するのものは何か。それはパロール享楽 jouissance de la parole の見地からの言存在 parlêtre である。パロール享楽は「善真美」の大いなる理想 grands idéaux du Bien, du Vrai et du Beauをもたらす。

他方、サントーム sinthome は、言存在のサントームとして、言存在の身体に固着 tient au corps du parlêtre している。症状(サントーム)は、パロールがくり抜いた徴 marque que creuse la parole から起こる。…それは身体のなかの出来事 événement dans le corpsである。

脚立は、意味を包含したパロール享楽 jouissance de la parole qui inclut le sens の側にある。他方、サントームの固有の享楽 jouissance propre au sinthomeは、意味を排除する exclut le sens 。…(JACQUES-ALAIN MILLER, 4/15/2014, L'INCONSCIENT ET LE CORPS PARLANT)


⋯⋯⋯⋯

わたくしは臨床にはまったく無知であるが、わたくしのラカンは基本的には、英語圏では最もよく知られたラカン派臨床家のひとり、ポール・バーハウのラカンであることはくり返している(参照:三人のラカン注釈者)。

エディプス・コンプレックス自体、症状である。その意味は、大他者を介しての、欲動の現実界の周りの想像的構築物ということである。どの個別の神経症的症状もエディプスコンプレクスの個別の形成に他ならない。この理由で、フロイトは正しく指摘している、症状は満足の形式だと。ラカンはここに症状の不可避性を付け加える。すなわちセクシャリティ、欲望、享楽の問題に事柄において、症状のない主体はないと。

これはまた、精神分析の実践が、正しい満足を見出すために、症状を取り除くことを手助けすることではない理由である。目標は、享楽の不可能性の上に、別の種類の症状を設置することなのである。フロイトのエディプス・コンプレクスの終着点の代りに(父との同一化)、ラカンは精神分析の実践の最終的なゴールを症状との同一化(そしてその症状から距離をとること)とした。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE、New studies of old villains、2009)

上の文は非専門家の方にはひょっとしてわかりにくいかもしれない。だがバーハウの2011年のインタヴューを読めば、現在の「まともな」臨床ラカン派がどの方向に向かっているかが専門知識がなくてもある程度わかるだろう。この流れは、上に引用した仏系の臨床家たちも同様である。

――無意識にかんして質問します。無意識概念は新しい病理、新しいアイデンティティと主体性において役割があるのでしょうか、それともないのでしょうか?

異なった視点が必要です。我々が無意識を概念的に吟味するなら、フロイトが「システム無意識」・核(夢の臍、菌糸体等)と呼んだものと、「抑圧された無意識」がある。無意識の核に、フロイトはリビドー的なもの、構成的なもの、かつまたトラウマ的なものを含めています。この理由で、これらは明確には決して言葉で言い表されない。はっきりした象徴化は不可能です。

「抑圧された無意識」、それは力動的無意識とも言われますが、それは再構築されうるし、言葉で言い表されうる。神経症とは抑圧された無意識の病理です。この理由で古典的な技法ーー自由連想ーーの効果がある。けれどもわたしたちは現在、以前に比べてとてもしばしば無意識の核(システム無意識)に直面しています。すなわちトラウマ的なもの、リビドー的なものであり、この理由で快と不安の病理があります。

こういった理由で、治療はむしろ数々の象徴化の構築の手助けに焦点を絞ることになります。それは古典的な神経症の治療とは全く逆なものです。かつての神経症では象徴化があまりにも多くありそれを剥ぎとらなければならなかった。(An Interview With Paul Verhaeghe (Paul Verhaeghe and Dominiek Hoens, 2011)
ほぼ 15 年前ほどから私は感じはじめた、私の仕事のやり方、私の伝統的な精神分析的方法がもはやフィットしないようになってしまったと。私はとても具体的にこれが確かだとすることさえできる。あなたが分析的に仕事をしているとき、いわゆる予備会話をするだろう。この意味は誰かを寝椅子に横たえる瞬間をあとに延ばすということだ。あなたはいつ始めるかの目安をつかむ。あなたが言うことが出来る段階のね。さあ私は患者を寝椅子に横たえるときが来た、と。ところが多くの患者はこの段階までに決してならない。というのは、彼らが訪れてくる問題は、寝椅子に横たえさせると、逆の治療効果、逆の分析効果をもっているから。

それで私は自問した、これはなんだろうと。ここで扱っているのはなんの問題なんだろう? と。どの診断分類なのだろう? あらゆる診断用語のニュアンスを以て、どの鑑別的構造に 直面しているのだろう? 私が思いついた最初の答、それによって擁護しようと思った何か、 いまもまだ擁護しようとしているものは、フロイトのカテゴリーAktualpathologie(現勢病理≒ 現勢神経症)だった。

ここに私はこれらの患者たちのあいだに現れる数多くの症状の処方箋を見出した、まずは パニック障害と身体化 somatisation だった、不十分な象徴化能力、徹底操作や何かを言 葉にする能力の不足とともに。これが我々の最も重要な道具、「自由連想」を無能にしたのだ。

古典的な精神神経症のグループは意味の過剰に苦しんだ、ヒストリー=ヒステリーの過剰、 イマジネールなものの過剰に。そしてこれがあなたが脱構築しなければならないものだっ た。新しいグループは全てのレヴェルでこれらが欠けている。かつまた彼らは他者を信頼 しない。転移があるなら陰性転移しかない。象徴化の能力はほとんどない。ヒストリー(歴史)も同じく。

いや彼らにヒストリーはある。だがそのヒストリーを言語化できない。…私はなんと逆の方向に仕事をしなければならないのだ。

社会的側面に戻れば、私が自問したのはなぜこのようなラディカルな移行が起こったのか、 ということだ。なぜ古典的なヒステリーや強迫神経症者が少なくなったのか?…

答えは母と関係がある。母と子どものあいだの反映、つまり鏡(像)の過程にある。… 結果として我々は視界を拡げなければならない。母が以前に機能したようにはもはや機能していないのなら、異なった社会的文脈にかかわるにちがいない。そのときあなたは試みなくてはならないーーこれは古典的な分析家/心理学者にとってはひどく難しいのだが ーー何を試みるべきかといえば社会的要因への洞察を得ようとすることだ。

さらに、あなたはイメージを形成するようにしなくてはならない、素朴な解決法に陥らないようにしながら。だから私は母親非難 mother-blaming モデルの考え方を捨て去った瞬間をとてもよく覚えている。私はとても素早くそうした。そのモデルには別の危険が潜んでいる、 すなわち保守主義だ。…

こういった理由で、治療はむしろ数々の象徴化の構築の手助けに焦点を絞ることになる。 それは古典的な神経症の治療とは全く逆だ。かつての神経症では象徴化があまりにも多くありそれを剥ぎとらなければならなかった。(同上ポール・バーハウ インタヴュー、2011)

もちろんこの立場は偏り過ぎているという見方もあるだろう。だが現在のラカン派分析臨床の動きはこの方向にあるのは間違いない。日本においても、中井久夫がポール・バーハウのいう「現勢神経症」を1990年代半ばからしきりに強調するようになっている。

⋯⋯⋯⋯

結局、あらゆる人間は、こうである。

万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている[Human being cannot endure very much reality ](中井久夫超訳エリオット『四つの四重奏』)

たとえば、自らの立場を強調し顕揚するために、別の対象ーーそれが名高ければ名高いほどよいーーを誤解しつつ貶めるのである。今記しているわたくしも例外ではない。

最後に、ラカン派でいう「症状のない主体はない」を、その本来の意味からやや離れて、ここでの「症例」に対して言い放っておくよ。

ラカンの教えにおいて、症状概念は進化することを止めない。そして最後のラカンは断定する、症状のない主体はない il n'y a pas de sujet sans symptômeと。この意味は、症状は単に障害であるどころか、また解決法 aussi une solution であるということである。(コレット・ソレール Colette Soler, Les affects lacaniens , 2011)

というわけで、二つの症例ではなく「症例蚊居肢」もふくめて「三つの症例」でした。



2019年1月18日金曜日

乳母へのエロス的固着

お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた」(芥川龍之介)で、古井由吉の次の文を引用した。

子供の頃に可愛がられていた人間は、後年しぶといものです。孤立無援になった時、過去に無条件に好かれていたという思いがあれば、辛抱できるんです。

でも、人に好かれないで突き放されて生きていた人は、痛ましい話だけれど、強くてももろいところがあるんです。こういう人は子供の頃に体験できなかった感情を、成人してから調達しようとします。(古井由吉『人生の色気』)

口がきけなくなつた」の太宰も仲間入りだな、太宰は強くはなく、もろいほうが突出しているのだろうけど。そもそも多くの日本の戦前作家はそうなのかもしれないから、強調して言おうとは思わないけど。

乳母や叔母へのエロス的固着ってのかな、太宰は。

母へのエロス的固着の残余は、しばしば母への過剰な依存形式として居残る。そしてこれは女への従属として存続する。Als Rest der erotischen Fixierung an die Mutter stellt sich oft eine übergrosse Abhängigkeit von ihr her, die sich später als Hörigkeit gegen das Weib fortsetzen wird. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

しかも母とは異なり、必然的な別離が訪れ、烈しい喪失感を抱く幼少年期をもった太宰。

だれか言っていないかとネット上を探ってみたら、すぐに吉本隆明が言っているのを見出した。


◆シンポジウム・太宰治論 吉本隆明 1988年

第一番目に生と死の境界というのは、超えやすい人と、超えにくい人がいるわけですけど、太宰治はたぶん超えやすい人だったとおもいます。つまり、生涯に何回か自殺未遂とか、それもだいたい心中というかたちで、女性と一緒にというかたちなんですけど。何回か、そういう試みをしては失敗しといいましょうか、未遂に終わり、それで最後にはそれを完成したというような感じをもちます。だから、わりあいに生と死というものの境界が超えやすい人だったんじゃないかというふうにおもいます。……
今度は具体的に、太宰治の自伝に、幼年期及び乳児期といいましょうか、それから、中学時代にかけて、太宰治の自伝的な小説があります。それは初期の作品でいえば、『思ひ出』と か、中期の作品でいえば、『新樹の言葉』という作品がありますけど。そういうのを断片的に拾い集めると、事実らしいものとして残ってくるものがあります。

それを、確からしいとおもわれることを、いくつかあげてみますと、ひとつは乳児の時にじぶんは乳母に育てられたので、 母親に育てられたことはないと言っているわけです。つまり、 母親になんのあれもないと言っています。父親に対してもそうなんですけど、じぶんは乳母におっぱいをもらって育てられ た。

それから、4歳くらいになった頃に、じぶんを、日常、世話したり育ててくれたのは叔母であるというふうに言っています。つまり、母親じゃなくて、母親の妹である叔母に育てられた。だから、乳母に対する思い出と、それから、小児のとき育ててくれた叔母に対する懐かしさというのは、作品の中にしばしば繰り返しあらわれてきます。

たとえば、叔母に対しての思い出を描いているところがあるんですけど。あるとき夢を見たんだと、叔母がじぶんを捨て て、お前が嫌になったんだというふうに言って、叔母が家から 出ていっちゃう、そういう夢を見て、眼が覚めたら、じぶんはわーわー泣いていたという、そういう思い出があるということを語っています。

また、叔母がじぶんの子どもたちが大きくなって、子どもたちと同居するというので、家を出ていったと、じぶんはそのときに叔母と一緒にソリに乗って、じぶんの心づもりでは叔母と一緒にこれからも暮らすんだというふうに思っていたと、しかし、そうじゃなかった。で、そのときに兄貴から、お前は婿なんだ、つまり、叔母の子どもなんだと、兄貴からからかわれて、ものすごく怒りを発したということを『思ひ出』の中に書いています。そのくらい、叔母さんというのは母親代わりだったということになります。幼児期の母親代わりだったということになります。

それから、乳児期の乳母についても、ずいぶん切実な思いがあって、それは何回も小説のテーマになってあらわれてきま す。たとえば、『黄金風景』なんていう、太宰治のたいへんいい作品、短編ですけど、それもたぶん、乳母の思い出に対する典型なわけです。そういうのがでてきます。

つまり、これを母親に育てられなくて、授乳されたりしなくて、乳母と叔母に育てられたということというのは、太宰治が生と死というのを超えやすい資質をもっていたということに対して、たいへん、ぼくは重要なことだとおもいます。

逆に今度は、みんな、叔母に育てられたり、乳母に育てられたり、他人に育てられたりした人は、逆にみんな太宰治のよう に生と死が超えやすいかといったら、それは違うのです。これは一方通行の関係なのであって、すべての人は逆もまた真かというとそんなことはないのです。そこはたいへんむずかしいところだとおもいます。

ただ、太宰治の場合には、歴然としてそのことは重要な、特に太宰治が生と死を超えやすかった、つまり、何回も何回も心中事件を起こしたり、最後にはやっぱり心中で自殺したりという、危機において、いつでも死が超えやすいといいましょう か、生から死へすぐに歩みこんでいけるという、そういう資質というふうに考えれば、それはたいへん、叔母と乳母に育てられて、母親にはただ冷たい感じしかもっていなかったという、 そういうことはとても重要な意味をもつとおもいます。

でも、こういうふうにぼくがいうと、ウーマンリブの人は怒るわけですけど、つまり、おまえは女の人を母親に縛り付けよ うとしているのと同じじゃないかというふうに言うわけですけど、それは、因果関係は違うわけです。逆にそういうふうに育てられたら、必ずそれはそういうふうに生と死が超えやすいお かしな人になっちゃうのかといったら、そんなことはないわけです。(吉本隆明『シンポジウム・太宰治論』1988年)


⋯⋯⋯⋯

ボクは前回記したように太宰はほとんど読んでいないから、あまりエラそうなことは言えないけれど、上に吉本が挙げている『思ひ出』、『新樹の言葉』、『黄金風景』、それと自殺未遂直後の作品『道化の華』は読んでみて、なるほどと思った。





ーーいやあ、こんな女だったら、一緒に自殺したくなるよ。


フロイトあるいはラカン的観点では、たぶん太宰治はマゾヒズム人格だといってもよいかも。

マゾヒズムはサディズムより古い。der Masochismus älter ist als der Sadismus (…)

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい暴露(開示)だろうか!

es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker! (フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)
真理における唯一の問い、フロイトによって名付けられたもの、「死の本能 instinct de mort」、「享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance」 …全ての哲学的パロールは、ここから逃げ出し、視線を逸らしている。(ラカン、S13, 08 Juin 1966)
享楽はその根源においてマゾヒスム的である。(ラカン、S16, 15 Janvier 1969)
死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S.17、26 Novembre 1969)
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel(ラカン、S23, 10 Février 1976)


ま、わずかばかりの作品を読んだだけで、こういったことを記すと、この野郎!って罵倒されちまうから、話半分に読んでください、と強調しておこう。





口がきけなくなつた

ボクは戦前の昭和の小説をほとんど読んでいない。安吾は読んだが、太宰治は読んでいない。太宰は齢をとってから読むには雑音が多すぎる。いくつかの作品をのぞいてみたことはないでもないが、うまく入っていけなかった。『津軽』は冒頭の三分の一か半分ぐらい読んで、これだったら安吾の旅行記と同じくらいいじゃないか、と思ったが、津軽の歴史の記述箇所まできて、ここまででいいか、と思い、最後までは読み通すことはしなかった。

ところが一週間ほど前、佐藤春夫がこう書いているのに出会った。

芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。彼が執念深く賞を貰ひたがつたのが忘れられないからである。…

「津軽」は出版の当時読まないで近年になつて――去年の暮だつたか今年のはじめだつたか中谷孝雄から本を借りて読んで、非常に感心した。あの作品には彼の欠点は全く目立たなくてその長所ばかりが現はれてゐるやうに思はれる。他のすべての作品は全部抹擦してしまつてもこの一作さへあれば彼は不朽の作家の一人だと云へるであらう。(佐藤春夫「稀有の文才」1954年)

ははあ、そうなのか。佐藤春夫を全面的に信用するわけではないけれど、じゃあやっぱり読み通してみなくっちゃ。

最後の箇所で泣けちまった。絶句ものだ。今ごろになって。ゴメンナサイ、太宰。誤解してて。『津軽』は「母を恋ふる旅」じゃないか。母は姆と書くべきかもしれないけど。すなおに読んだよ。ほかに読みようはない。

昨晩からいまだ絶句中だ。《口がきけなくなつた》。引用するしかない。

私の母は病身だつたので、私は母の乳は一滴も飲まず、生れるとすぐ乳母に抱かれ、三つになつてふらふら立つて歩けるやうになつた頃、乳母にわかれて、その乳母の代りに子守としてやとはれたのが、たけである。私は夜は叔母に抱かれて寝たが、その他はいつも、たけと一緒に暮したのである。三つから八つまで、私はたけに教育された。さうして、或る朝、ふと眼をさまして、たけを呼んだが、たけは来ない。はつと思つた。何か、直感で察したのだ。私は大声挙げて泣いた。たけゐない、たけゐない、と断腸の思ひで泣いて、それから、二、三日、私はしやくり上げてばかりゐた。いまでも、その折の苦しさを、忘れてはゐない。それから、一年ほど経つて、ひよつくりたけと逢つたが、たけは、へんによそよそしくしてゐるので、私にはひどく怨めしかつた。それつきり、たけと逢つてゐない。

四、五年前、私は「故郷に寄せる言葉」のラジオ放送を依頼されて、その時、あの「思ひ出」の中のたけの箇所を朗読した。故郷といへば、たけを思ひ出すのである。たけは、あの時の私の朗読放送を聞かなかつたのであらう。何のたよりも無かつた。そのまま今日に到つてゐるのであるが、こんどの津軽旅行に出発する当初から、私は、たけにひとめ逢ひたいと切に念願をしてゐたのだ。いいところは後廻しといふ、自制をひそかにたのしむ趣味が私にある。私はたけのゐる小泊の港へ行くのを、私のこんどの旅行の最後に残して置いたのである。

…もういちど、たけの留守宅の前まで行つて、ひと知れず今生のいとま乞ひでもして来ようと苦笑しながら、金物屋の前まで行き、ふと見ると、入口の南京錠がはづれてゐる。さうして戸が二、三寸あいてゐる。天のたすけ! と勇気百倍、グワラリといふ品の悪い形容でも使はなければ間に合はないほど勢ひ込んでガラス戸を押しあげ、「ごめん下さい、ごめん下さい。」
「はい。」と奥から返事があつて、十四、五の水兵服を着た女の子が顔を出した。私は、その子の顔によつて、たけの顔をはつきり思ひ出した。もはや遠慮をせず、土間の奥のその子のそばまで寄つて行つて、「金木の津島です。」と名乗つた。 少女は、あ、と言つて笑つた。津島の子供を育てたといふ事を、たけは、自分の子供たちにもかねがね言つて聞かせてゐたのかも知れない。もうそれだけで、私とその少女の間に、一切の他人行儀が無くなつた。ありがたいものだと思つた。私は、たけの子だ。女中の子だつて何だつてかまはない。私は大声で言へる。私は、たけの子だ。兄たちに軽蔑されたつていい。私は、この少女ときやうだいだ。

…おなかをおさへながら、とつとと私の先に立つて歩く。また畦道をとほり、砂丘に出て、学校の裏へまはり、運動場のまんなかを横切つて、それから少女は小走りになり、一つの掛小屋へはひり、すぐそれと入違ひに、たけが出て来た。たけは、うつろな眼をして私を見た。「修治だ。」私は笑つて帽子をとつた。「あらあ。」それだけだつた。笑ひもしない。まじめな表情である。でも、すぐにその硬直の姿勢を崩して、さりげないやうな、へんに、あきらめたやうな弱い口調で、「さ、はひつて運動会を。」と言つて、たけの小屋に連れて行き、「ここさお坐りになりせえ。」とたけの傍に坐らせ、たけはそれきり何も言はず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちやんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見てゐる。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまつてゐる。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に、一つも思ふ事が無かつた。もう、何がどうなつてもいいんだ、といふやうな全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか。もし、さうなら、私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言つてもよい。先年なくなつた私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であつたが、このやうな不思議な安堵感を私に与へてはくれなかつた。世の中の母といふものは、皆、その子にこのやうな甘い放心の憩ひを与へてやつてゐるものなのだらうか。さうだつたら、これは、何を置いても親孝行をしたくなるにきまつてゐる。そんな有難い母といふものがありながら、病気になつたり、なまけたりしてゐるやつの気が知れない。

…私は、たけの後について掛小屋のうしろの砂山に登つた。砂山には、スミレが咲いてゐた。背の低い藤の蔓も、這ひ拡がつてゐる。たけは黙つてのぼつて行く。私も何も言はず、ぶらぶら歩いてついて行つた。砂山を登り切つて、だらだら降りると竜神様の森があつて、その森の小路のところどころに八重桜が咲いてゐる。たけは、突然、ぐいと片手をのばして八重桜の小枝を折り取つて、歩きながらその枝の花をむしつて地べたに投げ捨て、それから立ちどまつて、勢ひよく私のはうに向き直り、にはかに、堰を切つたみたいに能弁になつた。

「久し振りだなあ。はじめは、わからなかつた。金木の津島と、うちの子供は言つたが、まさかと思つた。まさか、来てくれるとは思はなかつた。小屋から出てお前の顔を見ても、わからなかつた。修治だ、と言はれて、あれ、と思つたら、それから、口がきけなくなつた。運動会も何も見えなくなつた。三十年ちかく、たけはお前に逢ひたくて、逢へるかな、逢へないかな、とそればかり考へて暮してゐたのを、こんなにちやんと大人になつて、たけを見たくて、はるばると小泊までたづねて来てくれたかと思ふと、ありがたいのだか、うれしいのだか、かなしいのだか、そんな事は、どうでもいいぢや、まあ、よく来たなあ、お前の家に奉公に行つた時には、お前は、ぱたぱた歩いてはころび、ぱたぱた歩いてはころび、まだよく歩けなくて、ごはんの時には茶碗を持つてあちこち歩きまはつて、庫の石段の下でごはんを食べるのが一ばん好きで、たけに昔噺語らせて、たけの顔をとつくと見ながら一匙づつ養はせて、手かずもかかつたが、愛ごくてなう、それがこんなにおとなになつて、みな夢のやうだ。金木へも、たまに行つたが、金木のまちを歩きながら、もしやお前がその辺に遊んでゐないかと、お前と同じ年頃の男の子供をひとりひとり見て歩いたものだ。よく来たなあ。」と一語、一語、言ふたびごとに、手にしてゐる桜の小枝の花を夢中で、むしり取つては捨て、むしり取つては捨ててゐる。

…次から次と矢継早に質問を発する。私はたけの、そのやうに強くて不遠慮な愛情のあらはし方に接して、ああ、私は、たけに似てゐるのだと思つた。きやうだい中で、私ひとり、粗野で、がらつぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だつたといふ事に気附いた。私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはつきり知らされた。私は断じて、上品な育ちの男ではない。だうりで、金持ちの子供らしくないところがあつた。見よ、私の忘れ得ぬ人は、青森に於けるT君であり、五所川原に於ける中畑さんであり、金木に於けるアヤであり、さうして小泊に於けるたけである。アヤは現在も私の家に仕へてゐるが、他の人たちも、そのむかし一度は、私の家にゐた事がある人だ。私は、これらの人と友である。(太宰治『津軽』1944年)


2019年1月17日木曜日

有名病

ああ、坂本龍一は、1952年1月17日生れなんだな。1955年だと勘違いしてた。ボクと誕生日は一緒なのは前から知ってたけど、6年上なんだ。いずれにせよ、同世代だよ。

だいたい1月17日前後生れはいい男がそろってるさ、中井久夫も1月16日だしな。

1995年1月17日午前5時46分から

最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという。(……)私も眠っていた。私には長いインフルエンザから回復した日であった。前日は私の六一歳の誕生日であり、たまたまあるフランスの詩人の詩集を全訳して、私なりに長年の課題を果たした日でもあった。……(中井久夫「災害がほんとうに襲った時」)
一九九五年一月十六日は私の六十一歳の誕生日である。「ナルシス断章」は四十数年前、私が結核休学中に幼い翻訳を試みたヴァレリー最初の詩篇であった。私は再びこの詩に取り組んでいた。「今さらナルシスでもあるまい」と自嘲しながら四十数年前の踏みならし道をわりとすらすら通っていった。冒頭の一行が難所である。「いかにきみの輝くことよ。私の走る、その究極の終点よ」というほどの意味で、泉への呼びかけであるが、四〇年以上これ以上の訳を思いつかなかったと、「訳詩のミューズ」という目立たないミューズに謝って、えいやっと「水光る。わが疾走はついにここに終わる」とした。最後の一行を訳しおえて、睡眠薬の力を借りて眠った三時間後に地震がやってきた。(中井久夫「ヴァレリーと私」)


坂本龍一に対しては羨ましいのはもちろんあるけど、有名病という不幸はあるんじゃないかな。

「さう。さうです。新聞社などが無責任に矢鱈に騒ぎ立て、ひつぱり出して講演をさせたり何かするので、せつかくの篤農家も妙な男になつてしまふのです。有名になつてしまふと、駄目になります。」「まつたくですね。」私はそれにも同感だつた。「男つて、あはれなものですからね。名声には、もろいものです。ジヤアナリズムなんて、もとをただせば、アメリカあたりの資本家の発明したもので、いい加減なものですからね。毒薬ですよ。有名になつたとたんに、たいてい腑抜けになつてゐますからね。」私は、へんなところで自分の一身上の鬱憤をはらした。こんな不平家は、しかし、さうは言つても、内心では有名になりたがつてゐるといふやうな傾向があるから、注意を要する。(太宰治『津軽』)
公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』)

ほんとに彼はあんな曲作りたいんだろうか、って感じることがよくあるよ。

でも有名になるのはいいに決まってるさ、多くの女とすぐヤレルからな。それはうらやましくてたまんねえな。いや、たまんなかったな、と言うべきかも。

で、なんの話かってのは、ほんとは、「いやあこの時期はいやだな」ってことだ、「記念日現象」で。




2019年1月16日水曜日

「欲望の対象」と「欲望の原因」

フェティシストを自認する蚊居肢子だが、フェティッシュとは欲望の対象ではない。欲望の原因である。

フェティッシュ自体の対象の相が、「欲望の原因 cause du désir」として現れる。…

フェティッシュとは、ーー靴でも胸でも、あるいはフェティッシュとして化身したあらゆる何ものかはーー、欲望されるdésiré 対象ではない。…そうではなくフェティッシュは「欲望を引き起こす le fétiche cause le désir」対象である。…

フェティシストはみな知っている。フェティッシュは、「欲望が自らを支えるための条件 la condition dont se soutient le désir」だということを。(ラカン、S10、16 janvier 1963)

だれかが欲望を語っているとき、この人は「欲望の対象 objet du désir」を語っているのか、「欲望の原因 cause du désir」を語っているのかを見極めることが、ラカン派の議論においては決定的である。

ラカンはセミネール10「不安」にて、初めて「対象-原因 objet-cause」を語った。…彼はフェティシスト的倒錯のフェティッシュとして、この「欲望の原因としての対象 objet comme cause du désir」を語っている。フェティッシュは欲望されるものではない le fétiche n'est pas désiré。そうではなくフェティッシュのお陰で欲望があるのである。…これがフェティッシュとしての対象a[objet petit a]である。

ラカンが不安セミネールで詳述したのは、「欲望の条件 condition du désir」としての対象(フェティッシュ)である。…

倒錯としてのフェティシズムの叙述は、倒錯に限られるものではなく、「欲望自体の地位 statut du désir comme tel」を表している。…

不安セミネールでは、対象の両義性がある。「原因しての対象 objet-cause 」と「目標としての対象 objet-visée」である。前者が「正当な対象 objet authentique」であり、「常に知られざる対象 toujours l'objet inconnu」である。後者は「偽の対象a[faux objet petit a]」「アガルマagalma」である。…

前者の(倒錯者の)対象a(「欲望の原因」)は主体の側にある。…

後者の(神経症における)対象a(「欲望の対象」)は、大他者の側にある。神経症者は自らの幻想に忙しいのである。神経症者は幻想を意識している。…彼らは夢見る。…神経症者の対象aは、偽のfalsifié、大他者への囮 appât である。…神経症者は「まがいの対象a[petit a postiche]」にて、「欲望の原因」としての対象aを隠蔽するのである。(ジャック=アラン・ミレールJacques-Alain Miller、INTRODUCTION À LA LECTURE DU SÉMINAIRE DE L'ANGOISSE DE JACQUES LACAN 、2004、摘要訳)





ミレールのいっているまがいとか囮とかは、ラカンにおいては次のような形であらわれている。

・神経症者は不安に対して防衛する。まさに「まがいの対象a[(a) postiche]」によって。défendre contre l'angoisse justement dans la mesure où c'est un (a) postiche

・(神経症者の)幻想のなかで機能する対象aは、かれの不安に対する防衛として作用する。…かつまた彼らの対象aは、すべての外観に反して、大他者にしがみつく囮 appâtである。(ラカン、S10, 05 Décembre l962)


ミレールの言っているアガルマは、次の文でジジェクがいうアウラに置き換えて読むとより明瞭になることだろう。

ベンヤミンは、対象を取りかこむアウラは、眼差しを送り返す合図だと注意を促した。彼が素朴にもつけ加えるのを忘れたのは、アウラの効果が起こるのは、この眼差しが覆われ、「上品化」されたときだということだ。この覆いが除かれれば、アウラは悪夢に変貌し、メドゥーサの眼差しとなる。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012)

そしてラカン自身の言葉で、 「メドゥーサの眼差し」を補おう。

メドゥーサの首の裂開的穴は、幼児が、母の満足の探求のなかで可能なる帰結として遭遇しうる、貪り喰う形象である。Le trou béant de la tête de MÉDUSE est une figure dévorante que l'enfant rencontre comme issue possible dans cette recherche de la satisfaction de la mère.(ラカン、S4, 27 Février 1957)


さて今、上に引用したラカンやミレールの言っていることは、ドゥルーズがプルーストを読むことによって導き出した、次の簡潔な表現のヴァリエーションとして捉えうる。

愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

すなわち、「欲望する理由は、欲望の対象にはけっしてない」、神経症者たちだけである、欲望する理由が欲望の対象にあると幻想しているのは。

そもそもある時期以降のラカンにとっては、欲望とは幻想のことである。

欲望の主体はない。幻想の主体があるだけである。il n'y a pas de sujet de désir. Il y a le sujet du fantasme (ラカン、AE207, 1966)
ラカンにおいては「欲望のデフレ une déflation du désir」がある。…
承認 reconnaissance から原因 cause へと移行したとき、ラカンはまた精神分析適用の要点を、欲望から享楽へと移行した。(L'être et l'un notes du cours 2011 de jacques-alain miller )


ジャック=アラン・ミレールはラカンにおける欲望概念の変遷を把握するのはとても困難だと2004年の時点で言っているから、あまり確とした断言はしないでおくが、「欲望の対象」に宛てられる愛は見せかけ(仮象)である、と1973年のラカンは言っている。

愛自体は見せかけに宛てられる(見せかけに呼びかける L'amour lui-même s'adresse du semblant)。…イマジネールな見せかけとは、欲望の原因としての対象a[ (a) cause du désir」を包み隠す envelopper 自己イマージュの覆い habillement de l'image de soiの基礎の上にある。(ラカン、S20, 20 Mars 1973)

他方、欲望の原因にかかわる倒錯者(さらに、おそらく精神病者も含めた前エディプス的主体)は、享楽の審級にある。

問いは、男と女はいかに関係するか、いかに互いに選ぶのかである。それはフロイトにおいて周期的に問われたものだ。すなわち「対象選択 Objektwahl」。フロイトが対象 Objektと言うとき、それはけっして対象aとは翻訳しえない。フロイトが愛の対象選択について語るとき、この愛の対象は i(a)である。それは他の人間のイマージュである。

ときに我々は人間ではなく何かを選ぶ。ときに物質的対象を選ぶ。それをフェティシズムと呼ぶ・・・この場合、我々が扱うのは愛の対象ではなく、「享楽の対象 objet de jouissance」、「欲望の原因 cause du désir」である。それは愛の対象ではない。

愛について語ることができるためには、「a」の機能は、イマージュ・他の人間のイマージュによってヴェールされなければならない。たぶん他の性からの他の人間のイマージュによって。(ジャック=アラン・ミレール Jacques-Alain Miller「新しい種類の愛 A New Kind of Love」)

ミレール がいう「愛の対象は i(a)」、あるいはラカンがいう「愛の対象としての見せかけは欲望の原因としての対象aを包み隠す自己イマージュの覆いの基礎の上にある」とは、ナルシシズム(二次ナルシシズム sekundärer Narzißmus)にかかわる。

想像界 imaginaireから来る対象、自己のイマージュimage de soi によって強調される対象、すなわちナルシシズム理論から来る対象、これが i(a) と呼ばれるものである。(ミレール 、Première séance du Cours 2011)

ミレールは神経症者と倒錯者について、こうも言っている。

倒錯は対象a のモデルを提供する C'est la perversion qui donne le modèle de l'objet a。この倒錯はまた、ラカンのモデルとして働く。神経症においても、倒錯と同じものがある。ただしわれわれはそれに気づかない。なぜなら対象a は欲望の迷宮 labyrinthes du désir によって偽装され曇らされているから。というのは、欲望は享楽に対する防衛 le désir est défense contre la jouissance だから。したがって神経症においては、解釈を経る必要がある。

倒錯のモデルにしたがえば、われわれは幻想を通過しない n'en passe pas par le fantasm。反対に倒錯は、ディバイスの場、作用の場の証しである La perversion met au contraire en évidence la place d'un dispositif, d'un fonctionnemen。ここに、サントーム sinthome(原症状)概念が見出される。(神経症とは異なり倒錯においては)サントームは、幻想と呼ばれる特化された場に圧縮されていない。(ミレール Jacques-Alain Miller、 L'économie de la jouissance、2011)


とはいえ、欲望の対象と欲望の原因の相違については、もしあまり難しいことを言わないでおくなら、次のジジェクの説明で(基本的には、そして一般の人には)よいだろう、とわたくしは考えている。

幻想の役割において決定的なことは、「欲望の対象 objet du désir」と「欲望の対象-原因 objet cause du désir」(欲望の原因としての対象)とのあいだの初歩的な区別をしっかりと確保することだ(その区別はあまりにもしばしばなし崩しになっている)。「欲望の対象 objet du désir」とは単純に欲望される対象のことだ。たとえば、もっとも単純な性的タームで言うとすれば、私が欲望するひとのこと。逆に「欲望の対象-原因 objet cause du désir」(欲望の原因としての対象)」とは、私にこのひとを欲望させるもののこと。このふたつは同じものじゃない。ふつう、われわれは「欲望の対象-原因 objet cause du désir」が何なのか気づいてさえいない。――そう、精神分析をすこしは学ぶ必要があるかもしれない、たとえば、何が私にこの女性を欲望させるかについて。

(対象aとしての)「欲望の対象 objet du désir」と「欲望の対象-原因 objet cause du désir」の相違というのは決定的である、その特徴が私の欲望を惹き起こし欲望を支えるのだから。この特徴に気づかないままでいるかもしれない。でも、これはしばしば起っていることだが、私はそれに気づいているのだけれど、その特徴を誤って障害と感じていることだ。

たとえば、誰かがある人に恋に落ちるとする、そしてこう言う、「私は彼女をほんとうに魅力的だと思う、ただある細部を除いて。――それが私は何だかわからないけれど、彼女の笑い方とか、ジェスチュアとかーーこういったものが私をうんざりさせる」。

でもあなたは確信することだってありうる、これが障害であるどころか、実際のところ、欲望の原因だったことを。「欲望の原因としての対象 objet cause du désir」というのはそのような奇妙な欠点で、バランスを乱すものなのだが、もしそれを取り除けば、欲望された対象自体がもはや機能しなくなってしまう、すなわち、もう欲望されなくなってしまうのだ。こういったパラドキシカルな障害物。これがフロイトがすでに「唯一の徴 der einzige Zug」と呼んだものと近似している。そして後にラカンがその全理論を発展させたのだ。たとえばなにかの特徴が他者のなかのわたしの欲望が引き起こすということ。そして私が思うには、これがラカンの「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」という言明をいかに読むべきかの問題になる。(『ジジェク自身によるジジェク』2004年、私訳)

ーー最低限、まずこれをおさえるべきである。


もしいくらかもっと難しいことを言うなら、上に「欲望の原因にかかわる倒錯者(さらに、精神病者も含めた前エディプス的主体)は、享楽の審級にある」と記したが、ここでの享楽とは何かという問いを提出する必要がある。

ここでいくらか寄り道して、ジジェクをもう一つ引こう。

①私は私の大他者 my Other が欲望するものを欲望する。
②私は私の大他者 my Other によって欲望されたい。
③私の欲望は、大きな大他者 the big Other ーー私が組み込まれた象徴領野ーーによって構造化されている。
④私の欲望は、リアルな他のモノ real Other‐Thing の深淵によって支えられている。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012年)

①②③は、いままでラカン派文脈、あるいは標準的な共同体心理学レベルでも、さんざん語られてきた「欲望」である。

①は、他人が欲しがっている或いは他人が所有しているから、私も欲しくなる。「隣の芝は青い」、「一盗二婢三妾四妓五妻」⋯⋯。

(ある種の男にとっては)誰にも属していない女は黙殺されたり、拒絶されさえする。他の男と関係がありさえすれば、即座に情熱の対象となる。(フロイト『男性における対象選択のある特殊な型について 』1910)
人が何かを愛するのは、その何かのなかに近よれないものを人が追求しているときでしかない、人が愛するのは人が占有していないものだけである。(プルースト「囚われの女」)

②は、典型的には承認欲望のこと。《承認されたい欲望 désir de faire reconnaître son désir》(ラカン、E151)。

③は、欲望は言語作用の効果だということ。その意味で①②は、③に包含される。

欲望は欲望の欲望、大他者の欲望である。欲望は法に従属している Le désir est désir de désir, désir de l'Autre, avons-nous dit, soit soumis à la Loi (ラカン、E852、1964年)

ラカンは上のように言っているが、(①②③の文脈においては)欲望は言語の法に従属していると言ってしまってよい(参照:大他者なき大他者)。


だが④の《私の欲望は、リアルな他のモノ real Other‐Thing の深淵によって支えられている》とは何だろうか?

前期ラカンはこう言っている。

他のモノはフロイトのモノ das Ding である das Dingautre chose est das Ding, (ラカン、S7、16 Décembre 1959)
(フロイトによる)モノ、それは母である。モノは近親相姦の対象である。das Ding, qui est la mère, qui est l'objet de l'inceste, (ラカン、 S7 16 Décembre 1959)

そしてこのモノ=母は、喪われた対象だと、1970年には言うことになる。

(フロイトの)モノは漠然としたものではない La chose n'est pas ambiguë。それは、快原理の彼岸の水準 au niveau de l'Au-delà du principe du plaisirにあり、…喪われた対象 objet perduである。(ラカン、S17, 14 Janvier 1970)

ーーより詳しくは「モノと対象a」にてラカン発言を中心にした資料がある。

ここでは女流ラカン派第一人者コレット・ソレールにて補うのみにする。

・「欲望は大他者の欲望」は、欲求 besoin との相違において、欲望 désir は、言語作用の効果だということを示す。…この意味で、言語の場としての大他者は、欲望の条件である。…しかし、私たちが各々の話し手の欲望を道案内するもの、精神分析家に関心をもたらす唯一のものについて話すなら 「欲望は大他者の欲望ではない le désir n'est pas désir de l'Autre」。

・欲望の原因は、フロイトが、原初に喪失した対象 [l’objet originairement perdu]」と呼んだもの、ラカンが、欠如しているものとしての対象a[l’objet a, en tant qu’il manque]と呼んだものである。 (コレット・ソレール、Interview de Colette Soler pour le journal « Estado de minas », Brésil, 10/09/2013)

「原初に喪失した対象」あるいは「欠如しているものとしての対象a」とは去勢=母からの分離として捉えうる。この分離による不安(分離不安)とともに融合不安、あるいはメドゥーサ不安があるのだが、それについては、話が複雑になり過ぎるので(?)、ここでの議論から外す[参照]。ラカンやらジジェクやらなんてのは(上に引用したように)この話ばっかりが好きでじつにコマル。じつはボクはその後塵を拝したくないのである。パックリやられるのはヨメサンだけで充分すぎる・・・

母からの分離Trennung von der Mutter, mit der man bis dahin eins war は、あらゆる去勢の原像 Urbild jeder Kastration である(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』「症例ハンス」1909年ーー1923年註) 
人間の最初の不安体験 Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)

ゆえにーーいいだろうか「ゆえに」で? いささか人には飛躍気味に感じられるかもしれないが、ボクの頭の構造では「ゆえに」であるーー《私の欲望は、リアルな他のモノ real Other‐Thing (=母)の深淵によって支えられている》のである。

対象a とその機能は、欲望の中心的欠如 manque central du désir を表す。私は常に一義的な仕方で、この対象a を(-φ)にて示している。(ラカン、S11, 11 mars 1964)
(- φ) は去勢を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Ordinary Psychosis Revisited 、2008)
享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)


したがってーーまたいくらか飛躍してみえるかもしれないが、長くなっちまったからな、たまには短く記したいんだが、飛躍がオキライな方は「自体性愛と去勢の原像」を参照されたしーー、欲望の原因の根には、オッカサマとの分離不安があるのである。「オッカサマと離れてさびしい」である。

こうして次の結論が生まれる。すなわち欲望とは、不幸にも出産によって分離してしまったオッカサマと再融合したいという原エロス欲動の代替物である。換喩や昇華といってもよろしい。人はみな、なんらかの欲望をするとき、それは原マザコン欲動の換喩あるいは昇華であることを熟知すべきである・・・これは当然、男女両性にかかわる。

モノ la Chose とは大他者の大他者 l'Autre de l'Autreである。…モノとしての享楽 jouissance comme la Chose とは、l'Autre barré [Ⱥ]と等価である。(ジャック=アラン・ミレール 、Les six paradigmes de la jouissance Jacques-Alain Miller 1999)
大他者のなかの穴は Ⱥと書かれる trou dans l'Autre, qui s'écrit Ⱥ (UNE LECTURE DU SÉMINAIRE D'UN AUTRE À L'AUTRE Jacques-Alain Miller、2007)

ーーーというわけでラカンマテームを使用すれば、母とは、LȺ Mére なのである。つまり、オッカサマはなぜか穴Ⱥ があいている。それがそもそもの人の不幸の始まりである。近親相姦したってこの穴埋めができる筈はない・・・

とはいえ男はオッカサマなのである。女は母との同一化をしている(母を取り入れている)から、オッカサマ拘束から逃れているだけである。

母との同一化は、母との結びつき(母親拘束)の代替となりうる。Die Mutteridentifizierung kann nun die Mutterbindung ablösen(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

他方、安吾や小林秀雄のようになるのが、正常な男というものである。


(安吾曰く)「今日はオッカサマの命日で、オッカサマがオレを助けに来て下さるだろう」

そう言って、懸命に何かをこらえているような様子であった。(坂口三千代『クラクラ日記』ーーオッカサマという「ふるさと」
母が死んだ数日後の或る日、妙な体験をした。仏に上げる蝋燭を切らしたのに気付き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮であった。門を出ると、行手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見掛けるのだが、その年は初めて見る蛍だった。今まで見た事もないような大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今は蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私は、もうその考えから逃れる事が出来なかった。(小林秀雄「感想」)

この欲望の原因の根を「何言ってんの、バカらしい!」と言い放つのが、エディプス的幻想の迷宮に耽溺する神経症者たちである。

晩年のラカンは彼らのことを父の版の倒錯者と呼んだ。

倒錯とは、「父に向かうヴァージョン version vers le père」以外の何ものでもない。要するに、父とは症状である le père est un symptôme …これを「père-version」と書こう。(ラカン、S23、18 Novembre 1975)
結果として論理的に、最も標準的な異性愛の享楽は、父のヴァージョン père-version、すなわち倒錯的享楽 jouissance perverseの父の版と呼びうる。…エディプス的男性の標準的解決法、すなわちそれが父の版の倒錯である。(コレット・ソレール、Lacan, L'inconscient Réinventé、2009)

コレット・ソレールは「エディプス的男性の標準的解決法」と言っているが、この父の版の倒錯者は男に限らない。日本でもしばしばみられるように、たとえば「家父長制と闘う」と勇ましく叫んでおきながら、どの人間にもある筈の「欲望の原因」の根としての「母からの分離不安」に退行してしまう男たちを嘲けり笑うフェミニストのおねえさんたちは、おおむね「父の版の倒錯者」、つまりエディプス版倒錯者である。

というわけで、いつもの結論に達した。すなわちオッカサマがエライ! オンナがエライ! ・・・だいたいオレはこればっかり記しているような気がしてきたな。

だがどうしてボクは女なんかにはけっしてなりたくない、なんて思ってんだろ? 蚊居肢子はいつも同じことばっかり書いていないで、この謎を追求すべきなのだが・・・たぶん女になっちまったら女を愛することができなくなるせいではなかろうか?

ここで、神経症的主体には、つまり欲望の迷宮に彷徨っているのみの方々には、おそらくまったく理解できないだろう、ラカン派の観点をも引用しておくべきだろうか?

定義上異性愛とは、おのれの性が何であろうと、女性を愛することである。それは最も明瞭なことである。Disons hétérosexuel par définition, ce qui aime les femmes, quel que soit son sexe propre. Ce sera plus clair. (ラカン、L'étourdit, AE.467, le 14 juillet 72)
「他の性 Autre sexs」は、両性にとって女性の性である。「女性の性 sexe féminin」とは、男たちにとっても女たちにとっても「他の性 Autre sexs」である(ミレール、The Axiom of the Fantasm)
性関係において、二つの関係が重なり合っている。両性(男と女)のあいだの関係、そして主体と⋯その「他の性」とのあいだの関係である。(ジジェク 、LESS THAN NOTHING、2012)

・・・これがわかっていない方々を蚊居肢子はマヌケと呼んでいるが、ボクはそんなシツレイなことはけっしていわない。蚊居肢子とは蚊居肢ブログの架空の登場人物であることを熟知されたし。


ところで坂本龍一のオッカサマの写真に出会ったんだが、実に美しいね、ボクのオッカサマよりはちょっとだけ劣るだけだ。





というか、1950年代の女ってのは、だいたいイケるよ。今の日本の女たちには、若くってもこの野性的なにおいのするピチピチ度があまり感じられないんだな。未来があったんだよ、あの時代には。10年後20年後は今よりずっとよくなるというね。きみたちにはあるかい、それが?

⋯⋯⋯⋯

いつもと調子がちがうがわけありなんだ。ヨメサンと喧嘩して高原の町にきててね、ちょっとまえ堀辰雄を読んだせいもあるけど。で、寝れないんだな。ヨメサン、まだ怒ってるみたいだしな。謝ったんだがな。うちのヨメサン、40才すぎてもひどく野性的だからとっても怖くって。





2019年1月15日火曜日

三人のラカン注釈者

亀の歩み」というのは、皮肉じゃないのであって、ラカン注釈者に囚われず、フロイト・ラカンを「直接に」地道に読むのが正道だよ。

ボクはそんなことはしないというだけだな。還暦にもなった身でいまさらムリだね。そもそも2011年まではーーフロイトをいくらか読んでいたということはあるがーー、ラカンはセミネール1とエクリの掠め読みだけ。せいぜいジジェクのみのラカンだったからな。

6、7年、ラカンをいくらか読んだって、何十年も読んでいる連中にかなうわけがない。ミレールやソレールだったら60年近くだ。

ポール・バーハウ(1955年生れ)の早期の洞察(「リビドー固着」について)は、ラカン一辺倒に偏りがちな仏主流派とは異なり、フロイトをいっそう念入りに読む環境にあるだろう独仏のはざまのベルギーという土地の臨床家であることも大きく貢献しているんじゃないかな。

バーハウはまだそれなりに若いけれど、ミレールの「ふつうの精神病」概念をバカにしていて(末尾引用)、たぶん二人は仲が悪い。

ジャック=アラン・ミレール Jacques-Alain Miller(1944年生れ) とコレット・ソレールColette Soler(1937年生れ)はラカンの愛弟子として、1980年に設立された「フロイト大義派(Ecole de la Cause freudienne)」の中心メンバーだったが、1998年のバルセロナでの会議で、コレット・ソレールは、三分の一以上のメンバーを引き連れて離脱している。この年の会議でミレールは、(悪)評判の高い「ふつうの精神病 psychose ordinaire」概念を提出している。だが現在は、二人ともフロイトの「固着」の人である。

ボクが精神分析に関してこのところやってるのは、基本的には、このあまり仲がよくないだろう臨床ラカン派三人を相互に補って読んだ内容ーーミレールとソレールを読んだというってもこれまた僅かだがーーを示しているだけだ。

バーハウについては、それなりに読んだが、次の四冊がベース。

1999年の『Does the Woman Exist?』、
2001年の『 BEYOND GENDER 』、
2004年の『On Being Normal and Other Disorders』、
2009年の『New studies of old villains』。


ま、ボクに言わせれば、こういった書が邦訳されてないってのが、日本のフロイト・ラカン業界の「悲劇」だな。彼の書のいくつかは韓国や中国語にも訳されてるんだがね(『Does the Woman Exist?』は、ジジェクが「奇跡的」と書評している)。

ようするに2010年過ぎになって、ようやくブルース・フィンクの1995年の啓蒙書が翻訳されて、いまでも研究者たちに珍重されている悲劇ってことだ。





大切なのは、日本ラカン業界でもまずバカにし合うことだな。そこにしか今の途轍もなく退行した日本におけるフロイト・ラカン的な精神分析的知の復活はない。

ま、ムリだと思うが。

⋯⋯⋯⋯

※付記

この10年のあいだに、ラカンの精神病概念理論化をめぐる二つの重要な発展があった。ポール・バーハウの「現勢病理」(フロイトの「現勢神経症 Aktualneurose」)とジャック=アラン・ミレールの「ふつうの精神病 psychose ordinaire」である。(Contemporary perspectives on Lacanian theories of psychosis by Jonathan D. Redmond、2013)

バーハウの名が日本ではほとんど知られていないというのは、ボクに言わせればーーたぶん人によっては偏っているというのだろうがーー致命的だな。

たとえば2006年のセミネール17英訳書の解説では、彼はそれなりに名の知られているだろう並み居る注釈者たちのなかで二番目のポジションにて注釈エッセイを記している。

Jacques Lacan and the Other Side of Psychoanalysis: Reflections on Seminar XVII, sic viEditor(s): Justin Clemens, Russell Grigg(Published: May 2006)

Contributor(s): 

Jacques-Alain Miller, 
Paul Verhaeghe, 
Russell Grigg, 
Ellie Ragland, 
Dominiek Hoens, 
Mladen Dolar, 
Alenka Zupancic, 
Oliver Feltham,
Juliet Flower MacCannell, 
Dominique Hecq, 
Eric Laurent, 
Marie-Helene Brousse, 
Pierre-Gilles Gueguen, 
Geoff Boucher, 
Matthew Sharpe


⋯⋯⋯⋯

以下、冒頭近くに記した、バーハウによるミレール「ふつうの精神病」罵倒内容。

DH)精神分析理論、そして古典的形式におけるラカン理論は、神経症の理論、無意識の理論、去勢の、欲望の理論です。あるポイントでーーこれはラカン読解のある仕方で、ということですが、ときに、セミネール 17、あるいはセミネール 20 に断絶(裂け目)が位置されると読みえますーー、このポイントにて、ラカンは、古典的ラカンの出発点を変えたかもしれない、と。そして、異なった理論の選択のもと、古典的ラカンを捨て去りさえした、と。

私は、ジャック=アラン・ミレールによって広められた用語に思いを馳せています。すなわち、「ふつうの精神病」、psychose ordinaire です。これが指摘しているのは、古典的神経症ーーヒステリーと強迫神経症ーーはまだ出現しはしますが、(あなたがすでに言及したように)以前より減少した、ということです。これは別の問題にかかわるに違いありません。この論拠の流れにしたがえば、精神分析が依拠する基盤、歴史的であると同時に原則的な基盤ーー無意識の理論、欲望の理論--はもはや効力はない。このカテゴリーでは、わずかなことしかなされえない。そう人は考え得ます。というのは、主体性の新しい形式、快楽との関係性を考えるために、もはや適切ではないからです。

PV)私は異なった仕方で定式化します。ポストラカニアンは、実にこれを「ふつうの精神病」用語で理解するようになっている。私はこれを好まない。二つの理由があります。一つは、「ふつうの精神病」概念は、古典的ラカンの意味合いにおける精神病にわずかにしか関係がない。もう一つは、さらにいっそうの混乱と断絶をもたらしています。非精神分析的訓練を受けた同僚とのコミュニケーションとのあいだの混乱・断絶です。

実に全く疑いはない。私たちは、もはや単純にフロイト理論や初期のラカン理論を適用しえないことは確かです。それはまさに単純な理由からです。すなわち、神経症は異なったものになった。社会が変わったからです。アイデンティティさえ変貌した。これを私もまた確信しています。…

でもこれは次のように言うことではない。すなわち、私たちは、古典的理論に現れた、数ある決定的語彙を使い続けえない、と言うことではない。不安の理論、快の理論、欲望の理論。それはただ現在異なったふうに転調されているのです。

変わったのは、大他者なのです。私たちは、大他者への数々の変化を感知しています。…結局、フロイト理論は、ヴィクトリア朝社会の解釈です。これは過ぎ去った。私たちは、今、ポストモダン社会、新自由主義社会のなかにいます。そう、私たちの理論はその新しい社会のなかの数多くの構造を認知しています。そして、エロス、タナトス、不安、快楽、ジェンダー、去勢のような数多くの根本問題も、その社会のなかに場所を持っています。だが、もはやヴィクトリア朝にあったものではない。(An Interview With Paul Verhaeghe,2011)



2019年1月14日月曜日

日本ラカン派の「亀の歩み」

いやきみ、種々の捉え方があってよい。真理は非全体なのだから。現在のわたくしの考え方は「女性の享楽は享楽自体のこと」等で記したことだという意味であり、それ以上ではない。

とはいえ、日本におけるほとんどすべてのラカン派プロパや批評家たちは、この観点からは核心を外している。わたくしに言わせれば、彼らは10年後か20年後にはこの観点を理解しはじめるようになるだろう、ま、彼らは亀の歩みをしているーー地道にコツコツ前進しているーーと肯定的に捉えてもよい。逆に、ラカンジャーゴンに踊るのみの阿呆鳥の集まりの可能性もあるが。


わたくしのラカンは、以前にも記したがポール・バーハウのラカンである。

最初に次の二図に出会った(参照:症状の線形展開図)。








最初からこの図を全面的に信用したわけではない。

だが現在の仏主流臨床ラカン派がごく最近になって次のように言っているのを知った(参照:固着-サントーム簡潔版)。

精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字-非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である。(コレット・ソレール、"Avènements du réel" Colette Soler, 2017年)
「一」Unと「享楽」jouissanceとの結びつき connexion が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。⋯⋯

抑圧 Verdrängung はフロイトが固着 Fixierung と呼ぶもののなかに基盤がある。フロイトは、欲動の居残り(欲動の置き残し arrêt de la pulsion)として、固着を叙述した。通常の発達とは対照的に、或る欲動は居残る une pulsion reste en arrière。…フロイトが「固着」と呼ぶものは、そのテキストに「欲動の固着 une fixation de pulsion」として明瞭に表現されている。リビドー発達の、ある点もしくは多数の点における固着である。Fixation à un certain point ou à une multiplicité de points du développement de la libido(ジャック=アラン・ミレール、L'être et l'un、IX. Direction de la cure、2011年)

ソレールの言っている「文字固着」やミレールの「欲動の固着」は、バーハウの次の文が示している意味と等価である、《後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。》(Paul Verhaeghe、BEYOND GENDER 、2001年)

ミレールはこうも言っている( 参照:S(Ⱥ)と「S2なきS1」)。

反復的享楽 La jouissance répétitive、これを中毒の享楽と言い得るが、厳密に、ラカンがサントーム sinthome と呼んだものは、中毒の水準 niveau de l'addiction にある。この反復的享楽は「一のシニフィアン le signifiant Un」・S1とのみ関係がある。その意味は、知を代表象するS2とは関係がないということだ。この反復的享楽は知の外部 hors-savoir にある。それはただ、S2なきS1(S1 sans S2)を通した身体の自動享楽 auto-jouissance du corps に他ならない。(L'être et l'un、notes du cours 2011 de jacques-alain miller)

これらはポール・バーハウが2000年前後から2000年代の前半に主張していることに、2010年代になって追いついたという理解をわたくしはしている。その具体的な内容の詳細はここでは割愛して核心だけ記すが、上に示した症状展開図における境界表象S1が、ミレールの言っている「S2なきS1(S1 sans S2)」であり、これがリビドー固着=サントームである。

(原)抑圧 Verdrängung は、過度に強い対立表象 Gegenvorstellung の構築によってではなく、境界表象 Grenzvorstellung の強化Verstärkungによって起こる。(Freud Brief Fließ, 1. Januar 1896)

ほかにもバーハウは次のように言っている。

ラカンの現実界は、フロイトの無意識の臍--「夢の臍 Nabel des Traums」「我々の存在の核 Kern unseres Wese」ーー、固着のために「置き残される」原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、「身体的なもの」が「心的なもの」に移し変えられないことである。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』、2001年)

なにはともあれ、現在の「まともな」臨床ラカン派の思考の核心はフロイトの原抑圧=固着である(参照:原抑圧・固着文献)。そして日本にまともなラカン派がいるかどうかについて、わたくしは不詳である。わたくしがいくらかみる限りでは、ほとんどの日本的ラカン派注釈者たちは「真の」原抑圧についての思考を避け続けてきたようにみえる(参照:三種類の原抑圧)。

その意味では1968年のドゥルーズのほうがはるかに「まとも」である。

フロイトが、表象 représentations にかかわる「正式の proprement dit」抑圧の彼岸に au-delà du refoulement、「原抑圧 refoulement originaire」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前 présentations pures 、あるいは欲動 pulsions が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じる。(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)

もっともドゥルーズには、1970年代になって《欲望機械 Les machines désirantes》なる、精神分析的には「退行思考」概念を提出してしまった「こよなき不幸」があるが。以後、彼の思考において原抑圧への言及は表面的には消えてしまう。

だがドゥルーズの精神分析的思考の核心は、1960年代の論に頻出するーーとくにプルーストの「無意識的記憶」や「レミニサンス」に準拠した《強制された運動の機械(タナトス)machines à movement forcé (Thanatos)》概念に他ならない。最晩年のラカン自身、レミニサンスという語を口にしている。

私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンスréminiscenceと呼ぶものに思いを馳せることによって。…レミニサンスは想起とは異なる la réminiscence est distincte de la remémoration。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)

見ての通り(参照)、ドゥルーズの「強制された運動」、この表現こそ原抑圧(=リビドー固着)による反復強迫の言い換えである、--《le mouvement forcé qui représente la désexualisation, c'est Thanatos ou la « compulsion»》(ドゥルーズ『意味の論理学』第34のセリー)。欲望機械概念はガタリと組んだドゥルーズの思考的退行概念、すなわちフェティッシュ的錯誤、あるいは妄想である。

人間の根源的な徴である固着(原抑圧)、あるいは去勢を認めるなら、欲望の自由な運動などある筈がないのである(参照:四種類の去勢)。仮に自由機械に見える運動でも、実はトラウマの廻りーーラカンにとってトラウマ=穴であるーー、つまり穴の廻りの循環運動に過ぎない。穴、それはフロイト・ラカンの定義においては「引力」であり、その引力に吸引されつつも斥力が働き循環運動が生じる。これがエロスとタナトスの関係である。

さて、「固着」についてわたくしには限りなく先行しているようにみえるポール・バーハウは、さらに2009年の書でこう言っている。まず簡潔なラカンの二つの文を引用してバーハウ文を引用しよう。

大他者は身体である!L'Autre, …c'est le corps ! (ラカン、S14、10 Mai 1967)
異者としての身体 un corps qui nous est étranger (S23、11 Mai 1976)

享楽はどこから来るのか? 大他者から、とラカンは言う。大他者は今異なった意味をもっている。厄介なのは、ラカンは彼の標準的な表現、《大他者の享楽 la jouissance de l'Autre》を使用し続けていることだ、その意味は変化したにもかかわらず。新しい意味は、自身の身体を示している。それは最も基礎的な大他者である。事実、我々のリアルな有機体は、最も親密な異者(異物)である。

ラカンの思考のこの移行の重要性はよりはっきりするだろう、もし我々が次ぎのことを想い起すならば。すなわち、以前の大他者、まさに同じ表現(《大他者の享楽 la jouissance de l'Autre》)は母-女を示していたことを。

これ故、享楽は自身の身体から生じる。とりわけ境界領域から来る(口唇、肛門、性器、目、耳、肌。ラカンはこれを既にセミネールXIで論じている)。そのとき、享楽にかかわる不安は、基本的には、自身の欲動と享楽によって圧倒されてしまう不安である。それに対する防衛が、母なる大他者 the (m)Otherへの防衛に移行する事実は、所与の社会構造内での、典型的な発達過程にすべて関係している。

我々の身体は大他者である。それは享楽する。もし可能なら我々とともに。もし必要なら我々なしで。事態をさらに複雑化するのは、大他者の元々の意味が、新しい意味と一緒に、まだ現れていることだ。とはいえ若干の変更がある。二つの意味のあいだに混淆があるのは偶然ではない。一方で我々は、身体としての大他者を持っており、そこから享楽が生じる。他方で、母なる大他者 the (m)Otherとしての大他者があり、シニフィアンの媒介として享楽へのアクセスを提供する。実にラカンの新しい理論においては、主体は自身の享楽へのアクセスを獲得するのは、唯一、大他者から来るシニフィアン(「徴づけmarkings」と呼ばれる)の媒介を通してのみなのである。

この論証の根はフロイトに見出しうる。フロイトは母が幼児を世話するとき、どの母も子供を「誘惑する」と記述している。養育行動は常に身体の境界領域に焦点を当てる。…(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE、new studies of old villains、2009)

《母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を彼(女)に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとっての最初の「誘惑者 Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性 Bedeutung der Mutterの根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。》(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年)

《身体の実体 Substance du corps は、自ら享楽する se jouit 身体として定義される。》(ラカン、S20、19 Décembre 1972)

ラカンはセミネールXXにて、現実界的身体を「自ら享楽する実体」としている。享楽の最初期の経験は同時に、享楽侵入の「身体の上への刻印 inscription」を意味する。…

母の介入は欠くことのできない補充である。(乾き飢えなどの不快に起因する過剰な欲動興奮としての)享楽の侵入は、子供との相互作用のなかで母によって徴づけられる。

身体から湧き起こるわれわれ自身の享楽は、楽しみうる enjoyable ものだけではない。それはまた明白に、統御する必要がある脅迫的 threatening なものである。享楽を飼い馴らす最も簡単な方法は、その脅威を他者に割り当てることである。...

フロイトは繰り返し示している。人が内的脅威から逃れる唯一の方法は、外部の世界にその脅威を「投射」することだと。問題は、享楽の事柄において、外部の世界はほとんど母-女と同義であるということである・・・

享楽は母なる大他者のシニフィアンによって徴づけられる。…もしなんらかの理由で(例えば母の癖で)、ある身体の領域や身体的行動が、他の領域や行動よりもより多く徴づけられるなら、それが成人生活においても突出した役割りを果たすことは確実である。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE、new studies of old villains、2009)


この母なる大他者の徴付けが身体の出来事としてのサントームであり、反復強迫の主要な起源のひとつである。くりかえせば、現在のわたくしは「ほぼ確信的に」そのように理解をしているということ「だけ」だ。この「確信」については中井久夫のトラウマ論が大きく貢献している(参照:女性の享楽とは死の欲動のこと)。

反復強迫のララング(母の言葉)の相については、「ララング定義集」を見よ。ララングとは身体を世話するときの母の言葉である。

ララングは常に(母による)最初期の世話に伴う身体的接触に結びついている liée au corps à corps des premiers soins から。フロイトはこの接触を、引き続く愛の全人生の要と考えた。

ララングは、脱母化をともなうオーソドックスな言語の習得過程のなかで忘れられゆく。しかし次の事実は残ったままである。すなわちララングの痕跡が、最もリアル、かつ意味の最も外部にある無意識の核を構成しているという事実。したがってわれわれの誰にとっても、言葉の錘りは、言語の海への入場の瞬間から生じる、身体と音声のエロス化の結び目に錨をおろしたままである. (コレット・ソレールColette Soler, Les affects lacaniens, 2011)

以上

三人のラカン注釈者

2019年1月13日日曜日

お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた

堀辰雄を青空文庫で、あいうえお順に読もうとしていた。わたくしは時に青空文庫を開いて新しく文庫に入った作品のなかで、かつて親しんだ作家のものを読んでみる習慣がある。堀辰雄もそうやって小さなエッセイに出会って、ああいいな、思春期時代のボクがいると感じ、文庫の冒頭作品から読んでみようとしたのである。四五年前だったか、この伝で安吾を全部読んだ。

堀辰雄の「あ」ではなく「「」で始まる作品のはじまりのものはほとんどすべて短い。だが二十篇目ぐらいで彼の卒業論文「芥川龍之介論」に出会って立ち止まった。ここから前に進まない。芥川の作品をいくつか読んでみる方向に向かった。たぶん、両作家ともこれから順繰りには前にすすんで全作品を読んでみるということはなさそうだが、この立ち止まりのほうが今は気に入っている。ボクのまったく知らなかったーーいや晩年の作品をいくつか読んではいたので、すこしは知っていたと言いたいところだが、あまり真剣には受け止めていなかったと白状しなくてはいけない芥川の姿をいくらか知った気分だから。

ははあ、そうなのか、ーーそう思った。ボクは芥川には親しくない。そもそも日本の小説作品を多く読んできたほうではない。彼の伝記的事実もほとんど知らなかった。

彼の實母は、彼の語るところによれは、狂人だつたといふ事である。彼の短篇「點鬼簿」(大正十五年)にはその實母の肖像が生まなましく描かれてゐる。

「點鬼簿」は彼の晩年の暗澹たる諸作品の先驅をなしたものである。彼は非常にひどい神經衰弱の中で、この作品を書いた。彼はこの作品を書きながら、幾度か、その母の「少しも生氣のない、灰色をしてゐる」顏を思ひ浮べた事であらう。彼はその頃よく、神經衰弱のひどい時なぞ、さういふ母から暗示を受けて、「僕も氣狂になるのではないかしら?」と恐怖してゐた位だつた。――彼を生んだ母が、彼の中に、何よりも先に、さういふ暗い影を投げてゐたのである。(堀辰雄『芥川龍之介論――藝術家としての彼を論ず――』1929(昭和4)年3月「東京帝国大学文学部国文学科卒業論文」)

というわけで「點鬼簿」を読んでみる。かつて読んだような気がするが、まったく忘れている。

僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない。…僕は僕の母に全然面倒を見て貰ったことはない。…

僕は母の発狂した為に生まれるが早いか養家に来たから、(養家は母かたの伯父の家だった。)僕の父にも冷淡だった。…

僕は一夜大森の魚栄でアイスクリイムを勧められながら、露骨に実家へ逃げて来いと口説かれたことを覚えている。僕の父はこう云う時には頗る巧言令色を弄した。が、生憎その勧誘は一度も効を奏さなかった。それは僕が養家の父母を、――殊に伯母を愛していたからだった。…

僕は二十八になった時、――まだ教師をしていた時に「チチニウイン」の電報を受けとり、倉皇と鎌倉から東京へ向った。僕の父はインフルエンザの為に東京病院にはいっていた。…

僕が病院へ帰って来ると、僕の父は僕を待ち兼ねていた。のみならず二枚折の屏風の外に悉く余人を引き下らせ、僕の手を握ったり撫でたりしながら、僕の知らない昔のことを、――僕の母と結婚した当時のことを話し出した。それは僕の母と二人で箪笥を買いに出かけたとか、鮨をとって食ったとか云う、瑣末な話に過ぎなかった。しかし僕はその話のうちにいつか眶が熱くなっていた。僕の父も肉の落ちた頬にやはり涙を流していた。 

僕の父はその次の朝に余り苦しまずに死んで行った。(芥川龍之介「点鬼簿」1926(大正15)年)


堀辰雄の卒業論文に戻る。

彼は生れるとすぐ、母が發狂したため、本所の芥川家に養子となつた。芥川家には、養父、養母の外に、伯母が一人ゐて、それが特に彼の面倒を見た。彼は後に「家中で顏が一番私に似てゐるのもこの伯母なら、心もちの上で共通點の一番多いのもこの伯母だ。伯母がゐなかつたら、今日のやうな私が出來たかどうかわからない。」と言つてゐる。…

彼は彼の小説「大導寺信輔の半生」の中にかういふ少年の事を書いてゐる。「彼は全然母の乳を吸つた事のない少年だつた。母の體が弱かつたからである。彼は牛乳の外に母の乳を知らぬことを耻ぢた。これは彼の一生の祕密だつた。彼は何時からか、又どういふ論理からか、自分の意氣地のない事をその牛乳の爲と信じてゐた。もし牛乳の爲とすれば、少しでも弱みを見せたが最後、彼の友達は彼の祕密を見破つてしまふのに違ひなかつた。彼はそのためにどういふ時でも彼の友達の挑戰に應じた。恐怖や逡巡が彼を襲はない訣ではなかつた。しかし彼は何時もその度に勇敢にそれらのものを征服した。それは迷信に發したにせよ、確かにスパルタ式の訓練だつた。このスパルタ式の訓練は彼の性格へ一生消えない傷痕を殘した。」 これは彼自身の自畫像に近いものであらう。かかる自分の弱みを見せまいとする剛情さ――それは彼の性格を一生支配してゐた。僕はそこに彼の性格の最初の悲劇を見出す。…

彼は鋭い理性と共に柔かい心臟の持ち主だつた。彼の鋭い理性は、彼の中に投げ込まれたその冷たい石を愛した。そして彼の柔かい心臟は、そのために、隱された。人々は彼に鋭い理性と共に冷たい心臟を見出して、それを信じた。しかし彼は、次第に彼の理性の衰へると共に、その調和を失ひ出した。その以後の彼が悲劇的になつたのは當然である。彼の遺稿「闇中問答」の中の「お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた」 と云ふ悲劇の一つは此處にあると言はなければならなぬ。(堀辰雄『芥川龍之介論――藝術家としての彼を論ず――』1929(昭和4)年3月「東京帝国大学文学部国文学科卒業論文」)


芥川自殺2年後の堀辰雄のこの論文は、「悲劇」という言葉が頻出するように、まだ衝撃からまったく醒めていない1904年生れの堀の25歳の作品である。だが今はその話はしない。

上の文を読んだことにより、「大導寺信輔の半生」と「闇中問答」を読むことになる。

実際彼は人生を知る為に街頭の行人を眺めなかつた。寧ろ行人を眺める為に本の中の人生を知らうとした。それは或は人生を知るには迂遠の策だつたのかも知れなかつた。…

この「本から現実」へは常に信輔には真理だつた。彼は彼の半生の間に何人かの女に恋愛を感じた。けれども彼等は誰一人女の美しさを教へなかつた。少くとも本に学んだ以外の女の美しさを教へなかつた。彼は日の光を透かした耳や頬に落ちた睫毛の影をゴオテイエやバルザツクやトルストイに学んだ。女は今も信輔にはその為に美しさを伝へてゐる。若しそれ等に学ばなかつたとすれば、彼は或は女の代りに牝ばかり発見してゐたかも知れない。…………(芥川龍之介「大導寺信輔の半生」1925(大正14)年)


次の「闇中問答」のスタイルはいいな、ドストエフスキー的とでもいうべきか。

或声 お前は俺の思惑とは全然違つた人間だつた。
僕 それは僕の責任ではない。
或声 お前はそれでも夏目先生の弟子か?
僕 僕は勿論夏目先生の弟子だ。お前は文墨に親しんだ漱石先生を知つてゐるかも知れない。しかしあの気違ひじみた天才の夏目先生を知らないだらう。
僕 僕は偉大さなどを求めてゐない。欲しいのは唯平和だけだ。ワグネルの手紙を読んで見ろ。愛する妻と二三人の子供と暮らしに困らない金さへあれば、偉大な芸術などは作らずとも満足すると書いてゐる。ワグネルでさへこの通りだ。あの我の強いワグネルでさへ。(芥川龍之介「闇中問答」昭和二年、遺稿)


⋯⋯⋯⋯

メリメの自畫像とも言ふべき「エトルリアの花瓶」の主人公の性格――「彼は實に優しい、弱い心を持つてゐた。それと同時に、彼は高慢で野心家だつた。言ひ出した事は子供のやうに後へは退かなかつた。さうして不名譽な弱さと思へるものは何でも人前では隱さうと努力した。そのやうにして彼の優しい弱い心を他人から押し隱せはしたが、深く彼のうちに祕せばそれは百倍にも増して烈しくなるのである。世間には冷淡で、無感覺だと言ふ評判が立てられる。彼の苦惱は、彼が誰にも祕密を打ち明けたくないと思へば思ふだけ一層烈しいこの「エトルリアの花瓶」の主人公のそれであると言つてよい。 

佐藤春夫は、さういふ彼を窮屈なチヨツキを着てゐるやうだと批評してそれを脱ぐことを彼に勸めた。それに對して彼は「告白」といふ一文を草して答へた。その中で言ふには、「もつと己れの生活を書け、もつと大膽に告白しろ」とは屡〻諸君の勸める言葉である。自分も告白をしない訣ではない。僕の小説は多少にもせよ、僕の體驗の告白である。けれども諸君は承知しない。諸君の僕に勸めるのは僕自身を主人公にし、僕の身の上に起つた事件を臆面もなしに書けと云ふのである。おまけに卷末の一覽表には主人公たる僕は勿論作中の人物の本名假名をずらりと竝べろと言ふのである。それだけは御免を蒙らざるを得ない。――さう言つて、彼は、その窮屈なチヨツキを脱ぐのを最後まで肯じなかつた。これは悲劇的な性格だ。そして、彼をしてああ云ふ最後の行動をとらずには居られなくさせたものに、彼のかういふ生れつき負はされてゐたところの氣質が加はつてゐた事は疑ひ得ないのである。…

「文藝的な餘りに文藝的な」の中には、見落してはならぬ、もう一つの重大なものがあるのである。それは森鴎外に就いて彼の書いてゐる一章である。彼は其處で、鴎外の作品に何か微妙なものの缺けてゐるのを指摘し、「畢竟森先生は僕等のやうに神經質に生れついてゐなかつたと云ふ結論に達した。或は畢に詩人よりも何か他のものだつたと云ふ結論に達した。「澀江抽齋」を書いた森先生は空前の大家だつたのに違ひない。僕はかう云ふ森先生に恐怖に近い敬意を感じてゐる。……しかし正直に白状すれは、僕はアナトオル・フランスの「ジヤン・ダアク」よりも寧ろボオドレエルの一行を殘したいと思つてゐる一人である」と書いてゐるのである。(堀辰雄『芥川龍之介論――藝術家としての彼を論ず――』1929(昭和4)年)

…………

実はすこしまえ佐藤春夫の『芥川龍之介を憶ふ』も読んでいる。この芥川自殺一年後に書かれた文もかなり気に入っている。わたくしは『田園の憂鬱』をかつて愛したので、彼の文章なら必ず読む。

芥川は自分自身に対しては仲々忠実な妥協的な所の少い人であつたが、一面には他人に対してさう傍若無人に振舞へないらしかつた。例へば芥川は谷崎に向つて、「それは佐藤の芸術はいいにはいいけれども、要するに一つ穴の笛なのだから心細い」 

と、云つたと聞いた自分が、その後の機会に芥川のその説に賛成して、「全く今のままではいけないのだ、どうかしなければ。――一つ穴の笛で」 

と、言ひ出すと、芥川は「しかし君がもし一つ穴の笛ならば、今日の文壇果して一つ穴でないものに誰があるかね」 

といふ。けれども猿又まで貸して貰ふ自分としては、どうも芥川の社交的な返事が気に入らない。かう云ふことが時々あるので、自分は芥川の言葉に表裏があるやうな気がしてその不服を谷崎によく漏らしたものだ。谷崎はすると自分をなだめて「君は偏屈な一克な所があつて、田舎者だからさう思ふのだらうが、芥川は江戸つ児で社交性があるから自然さう云ふことになるので、それは君の方が悪いんだよ」 

さう云はれて見ると自分は黙つて了ふより仕方がない。その癖どうも芥川の、谷崎の所謂都会人芥川の社交性が矢張り気に入らない。……
芥川の文章は彼の話振りの感興豊かなのに較べると、まるで光彩がない、喘えぎ〳〵で書かれてゐるやうな気がするが、その同じことが口で言はれる時には、殆ど言葉は跳梁してゐた。……
「若し僕が死んだならば、覚えて置いてくれ給へ、誄を書くのは君なのだからね」 

自分はそれに対して出来るだけ正直に自分は彼の芸術を悉く賛成することは出来ないし充分なものとは思はないけれども彼が芸術に注いだ熱情とまた何事を為さうとしたかと云ふ意向とは充分に之を了解する積りだと答へると、彼はそれで満足すると云つた。冬の夜は更けて行つて自分たちとして勢一杯な程度で感傷的になつてゐた。 

彼は非常に盛に煙草を吹かし大きな火鉢のぐるりには吸殻が林立し気が付いて見ると部屋には煙が立籠め、障子を隙けて置いた位では間に合はなかつた。煙草の箱は何度もすぐに空になつて了つた。どんなに少く見積つてもその一晩中に彼は九十本以上は吸つてゐる。自分も煙草は休みなくふかす方だが、彼のは余りに極端で、どうしても健康上有害だと思つたから自分は忠告をしたが、彼は、

「そんなことはどちらでも同じだ」と多少捨て身のやうなことを云つた。⋯⋯⋯⋯

夕刻自笑軒で御馳走になつたがその時には「いま〳〵しいが葛西善蔵の芸術にはちよつといい所があるな」(佐藤春夫『芥川龍之介を憶ふ』1928(昭和3)年)

実によい文章たちである。いまは感想など書く気はまったくない。

とはいえなぜか、古井由吉の次の文を思い浮かべている。

子供の頃に可愛がられていた人間は、後年しぶといものです。孤立無援になった時、過去に無条件に好かれていたという思いがあれば、辛抱できるんです。

でも、人に好かれないで突き放されて生きていた人は、痛ましい話だけれど、強くてももろいところがあるんです。こういう人は子供の頃に体験できなかった感情を、成人してから調達しようとします。(古井由吉『人生の色気』)

漱石や鴎外、あるいは安吾のことに思いを馳せつつ言っているのだろうな、と以前は考えたものだが、いまは芥川も仲間入りしたという「錯覚に閉じ籠っている」。

最後にこう引用しておいてもよい。

「日本の読書会級だなんて自分で思つてるんだろう?しかしてめえたちはな、漱石の文学を読んだことなんざ一度だつてねえんだぞ。てめえたちにやそもそも漱石なんか読めやしねえんだ。漱石つてやつあ暗いやつだつたんだ。陰気で気違いみてえに暗かつたんだ。」(中野重治「小説の書けぬ小説家」)
世間には、漱石は通俗であつても鴎外は通俗でないといつたふうな俗見が案外に通用している傾きがある。実地には、漱石や二葉亭はなかなかに通俗ではなかつた。鴎外が案外に通俗であつた。(中野重治「鴎外その側面」)
強ひて申さば、自分の生活を低く評價せられまいと言ふ意識を顯し過ぎた作品を殘した作者は、必後くちのわるい印象を與へる樣です。

文學上に問題になる生活の價値は、「將來欲」を表現する痛感性の強弱によつてきまるのだと思ひます。概念や主義にも望めず、哲學や標榜などからも出ては參りません。まして、唯紳士としての體面を崩さぬ樣、とり紊さぬ賢者として名聲に溺れて一生を終つた人などは、文學者としては、殊にいたましく感じられます。のみか、生活を態度とすべき文學や哲學を態度とした増上慢の樣な氣がして、いやになります。鴎外博士なども、こんな意味で、いやと言へさうな人です。あの方の作物の上の生活は、皆「將來欲」のないもので、現在の整頓の上に一歩も出て居ない、おひんはよいが、文學上の行儀手引きです。もつと血みどろになつた處が見えたら、我々の爲になり、將來せられるものがあつた事でせう。…

芥川さんなどは若木の盛りと言ふ最中に、鴎外の幽靈のつき纏ひから遁れることが出來ないで、花の如く散つて行かれました。今一人、此人のお手本にしてゐたことのある漱石居士などの方が、私の言ふ樣な文學に近づきかけて居ました。整正を以てすべての目安とする、我が國の文學者には喜ばれぬ樣ですが、漱石晩年の作の方が遙かに、將來力を見せてゐます。麻の葉や、つくね芋の山水を崩した樣な文人畫や、詩賦をひねくつて居た日常生活よりも高い藝術生活が、漱石居士の作品には、見えかけてゐました。此人の實生活は、存外概念化してゐましたが、やつぱり鴎外博士とは違ひました。あの捨て身から生れて來た將來力をいふ人のないのは遺憾です。(折口信夫「好惡の論」初出1927年)