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2016年8月1日月曜日

日常の底に潜む恐怖

何かが途轍もなく間違っている(ジジェク 2016→ ミレール)」にて、

①《現実界とは象徴化あるいは形式化の袋小路である ( “Le reel est un impasse de formalization,” )》(ラカン、セミネール20)

②《法のない現実界(le Réel sans loi)》、あるいは《本当の現実界は、法の欠如を意味する。現実界は、秩序がない[Le vrai Réel implique l'absence de loi. Le Réel n'a pas d'ordre]》(セミネール23)

この(一見した)対立のどちらの立場をとるかで、①ジジェク、②ミレールの対決を記したのだけれど、②とは、ラカンがーー老境に入ってーー、合理論から経験論への移行した、という捉え方が(ひょっとしたら)できるかもしれない。

 セミネール23で法のない現実界といったのは、1976年のことで、ラカンはすでに75歳である。

死というのは一点ではない、生まれた時から少しずつ死んでいくかぎりで線としての死があり、また生とはそれに抵抗しつづける作用である。

ーービシャ(フーコー『臨床医学の誕生』より)
死とは、私達に背を向けた、私たちの光のささない生の側面である。

ーーリルケ「ドウイノの悲歌」より



安永と、生涯を通じてのファントム空間の「発達」を語り合ったことがある。簡単にいえば、自極と対象極とを両端とするファントム空間軸は、次第に分化して、成年に達してもっとも離れ、老年になってまた接近するということになる。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)

死とは、《象徴化あるいは形式化の袋小路である》と解釈できるものだろうか、それとも 《法のない現実界》だろうか。あるいはそれとも……

もう小説という形では書きにくい。かなり随想風の作品になるでしょう。この年齢になると死が近づいて、日常のあちこちから自然と恐怖が噴き出します。それをできるだけ平静な筆致で書きたいと思っています。(古井由吉、「日常の底に潜む恐怖毎日新聞2016年5月14日

いずれにせよ、《人生は、自己流儀の死への廻り道である。大抵の場合、急いで目標に到達する必要はない》(ラカン、セミネール17)であるに相違ない。

…時がたつにつれて、ぼくはファルスの突然の怒りがよくわかるようになった…彼の真っ赤になった、失語症の爆発が……時には全員を外に追い出す彼のやり方……自分の患者をひっぱたき…小円卓に足げりを加えて、昔からいる家政婦を震え上がらせるやり方…あるいは反対に、打ちのめされ、呆然とした彼の沈黙が…彼は極から極へと揺れ動いていた…大枚をはたいたのに、自分がそこで身動きできず、死霊の儀式のためにそこに閉じ込められたと感じたり、彼のひじ掛け椅子に座って、人間の廃棄というずる賢い重圧すべてをかけられて、そこで一杯食わされたと感じる者に激怒して…彼は講義によってなんとか切り抜けていた…自分のミサによって、抑圧された宗教的なものすべてが、そこに生じたのだ…「ファルスが? ご冗談を、偉大な合理主義者だよ」、彼の側近の弟子たちはそう言っていた、彼らにとって父とは、大して学識のあるものではない。「高位の秘儀伝授者、《シャーマン》さ」、他の連中はそう囁いていた、ピタゴラス学派のようにわけ知り顔で…だが、結局のところ、何なのか? ひとりの哀れな男だ。夢遊病的反復に打ちひしがれ、いつも同じ要求、動揺、愚劣さ、横滑り、偽りの啓示、解釈、思い違いをむりやり聞かされる、どこにでもいるような男だ…そう、いったい彼らは何を退屈したりできるだろう、みんな、ヴェルトもルツも、意見を変えないでいるために、いったい彼らはどんな振りができるだろう、認めることだ! 認めるって、何を? まさに彼らが辿り着いていたところ、他の連中があれほど欲しがった場所には、何もなかったのだということを…見るべきものなど何もない、理解すべきものなど何もないのだ…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)

なにはともあれ、最後まで合理論を貫き通す人物というのは、稀有だろう。

戦前・戦中の日本が情緒に引きずられたことへの反省から、加藤周一はとことん論理的であろうとした。老境の文化人がややもすれば心情的なエッセーに傾斜する日本で、彼だけは最後まで明確なロジックと鮮やかなレトリックを貫いた。(浅田彰「憂国呆談」

…………

いつのまにかいなくなった人たち スラマット・アブドゥル・シュークルは80歳になっても元気で作曲していた ある日転んで ほどなく亡くなった 今年2015年3月26日スラバヤだった もう一人の友人ジャック・ボディの70歳を祝う本のために歌曲を送った すると 治療できないガンだとわかったという知らせがあり その後本人から昔ニュージーランドで会った年をたずねるメールが届いた その時は 思い残すこともなく安らかにすごしているということだった 今年5月10日にウェリントンのホスピスで亡くなった 杉本秀太郎は しばらく会っていないと思いだしたとき 白血病で 治療を一切せずに亡くなっていた 今年5月27日

たよりがなくなり 消息が絶え 人はいつかいなくなっている さまざまなしごと 作曲家だったり エッセイストで 作品を知っていたとしても 思い出すのは そういうことではない 会って交わしたことばでもない その人もそこにいた空間の いつどこともわからない空気に通うそよ風のような感触 行き交い すぎてゆく 人びとの影(高橋悠治「糸ほどの」2015.7



2016年6月3日金曜日

あなたは女性のからだを知らないのですね?

ぼくはヴェルトが打ち明けてくれたことを思い出す、彼がノイローゼにかかっていた頃のことで、ファルスの診察室にわりと足繁く通っていた。「あんなところに通うとろくなことはないよ」…彼はまさにそのために動顛させられた…→「彼に自分の今までの出来事を話しているうちに」、ヴェルトはつけ加えて言った、「突然わかったんだ、気のふれた奴とおしゃべりするなんて、ぼくはとんでもない阿呆だって」…明快な話さ…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)

さて、もちろん小説のなかの話ではあるが、ファルス(ラカン)はヴェルト(バルト)に何を言ったんだろう、どんな気のふれたことを。

まずはバルトと母との関係のことではないだろうか、ファルスが、それを言わずにすますわけがない。

≪女-母なんてのは、交尾のあと雄を貪り喰っちまうカマキリみたいなもんだよ≫(Lacan, Le seminaire, livre X: L' angoisse[1962-63]ーー「子どもを誘惑する母(フロイト)」 )

私にとって家族は、ずっと前から、母と、血を分けた一人の弟だけだった。後にも先にもそれだけである(ただ、祖父母の思い出だけは別であるが)。家族集団を構成するためにどうしても必要とされる単位、《いとこ》は一人もいなかった。それに、家族というものを、もっぱら拘束と儀式だけで成り立っているかのように扱う、あの科学的態度は、どうにも我慢がならなかった。つまり家族は、直接的な帰属集団としてコード化されるか、または、葛藤と抑圧の結節点と見なされるのだ。われわれの学者たちには、《互いに愛し合う》家族もいるということが想像できないかのようである。

そしてまた私は、私の家族を「家族」一般に還元することを欲しないのと同じく、私の母を「母」一般に還元することも欲しない。ある種の一般的研究を読むと、それが私の状況に納得のいく形で適用できるということは私にもわかった。フロイト(『人間モーゼと一神教』)に註釈をほどこしつつ、J・J・グノーが説明するところによれば、ユダヤ教は、聖母崇拝の危険を避けるために偶像を排除したが、キリスト教は、母なる女性の表象を許すことによって「おきて」の厳しさを乗り越え、「想像的なもの」を受け入れたという。私は、偶像をもたず聖母を崇拝しない宗教(新教)に属しているが、しかしおそらく、文化的にはカトリック芸術によって培われてきたので、「温室の写真」を見て、「偶像」に、「想像的なもの」に帰依した、ということになるのである。それゆえ私は、自分に普遍性があることは理解できたのだが、しかし、理解したとはいいながら、どうしても割り切れない気持が残った。「母」一般のうちには、輝かしい、還元しえない一個の核、つまり、私の母が存在していたのである。

私は生涯母と一緒に暮してきたので、悲しみもまたひとしお深いのだ、と人は必ず思いたがる。しかし私の悲しみは、母があのような人であったことから来ているのである。母があのような人であったからこそ、私は母と一緒に暮してきたのである。母は「善」としての「母」であるうえに、さらに一個の人間としての魅力をそなえていた。プルーストの小説の「語り手」が祖母の死について言ったように、私もまたこう言うことができた。《私はただ単に苦しむというだけでなく、その苦しみの独自性をあくまで大事にしたかった》と。なぜなら、その独自性は、母のうちにある絶対に還元不可能なものの反映だったからである。そしてそれが、まさに還元不可能であるゆえに、一挙に、永遠に失われてしまったのだ。

喪は緩慢な作業によって徐々に苦悩を拭い去ると人は言うが、私にはそれが信じられなかったし、いまも信じられない。私にとっては、「時」は死別の悲しみを取り除いてくれる、ただそれだけにすぎないからである(私は単に死別したことを悲しんでいるのではない)。それ以外のことは、時がたっても、すべてもとのまま変わらない。というのも、私が失ったものは、一個の「形象」(「母」なるもの)ではなく、一個の人間だからである。いや、一個の人間ではなく、一個の特質(一個の魂)だからである。必要不可欠なものではなく、かけがえのないものだからである。私は「母」なしでも生きてゆくことができた(われわれはみな、遅かれ早かれそのようにしている)。しかし私に残された人生は、確実に、最後まで、形容しがたい(特質のない)ものとなることであろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳 PP.90-92

…………

モーセはヤハウェを設置し、キリストも同じくヤハウェを聖なる父として設置した。ムハンマドはアラーである。この三つの宗教の書は同時に典型的な男-女の関係性を導入する。そこでは、女は統御されなければならない人格である。なぜなら想定された原初の悪と欲望への性向のためだ。

フロイトもラカンもともに、この論拠の少なくとも一部に従っている。それ自体としては、奇妙ではない。患者たちはこの種の宗教的ディスクールのもとで成長しており、結果として、彼らの神経症はそれによって決定づけられていたのだから。

奇妙なのは、二人ともこのディスクールを、ある範囲で、実情の正しい描写と見なしていることだ。他方、それは現実界の脅迫的な部分ーーすなわち欲動(フロイト)、あるいは享楽(ラカン)--の想像的な加工 elaboration、かつその現実界に対する防衛として読み得るのに。

ラカンだけがこの陥穽から逃れた。とはいえ、それは漸く晩年のセミネールになってからである。私の観点からは、このように女性性を定義するやり方は、男自身の欲動の男性による投影以外の何ものでもない。それは、女性を犠牲にして、欲動に対する防衛システムが統合されたものである。
ラカンの最初のエディプス理論とはこうだ。母は子どもを、ほとんど致死的な deadly 仕方で、享楽する。唯一、父の介入を通してのみ、主体は、母の潜在する致死的 lethal 享楽から救われる。同じ理屈が、三つの宗教書のなかに…見出される。初めにすべての悪の源としてイヴ、次にカトリックの性と女の不安と憎悪、最後にムスリムのベールなどへの強制。女は男を誘惑し破滅させるので、寄せつけないようにしなければならない。

これは次のように読むべきだ。我々自身の享楽、我々の身体から生じる欲動は、享楽的であるだけではなく、我々が統御する必要のある、明らかに脅迫的な何かだ。統御するための最も簡単な方法は、その享楽を他者に帰して、もし必要なら、この他者を破壊することだ。

事実、享楽と他者とのあいだのこの発達的なつながりは、主体にとって、享楽にかんする相克を外部化する道を開く。そうでもしなければ、自身の内部に留まったままになりうる。…

フロイトはくり返し言っている、人は内的な脅威から逃れうるのは、唯一外部の世界にそれを投影することだ、と。問題は享楽の事態に関して、外部の世界はほとんど女と同義だということだ…(ヴェルハーゲ、New Studies of Old Villains: A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex、2009、PDFーーエディプス理論? ありゃ《まったく使いものにならないよ! C'est strictement inutilisable ! 》

…………

バルトの母は長寿であり84歳で亡くなっている(バルト62歳)。

年齢というのは、年代的与件、年月の連鎖であるとしても、それはほんの部分的でしかありません。途中、ところどころに、仕切りがあり、水面の高低差があり、揺れがあります。年齢は漸進的なものではありません。突然変異するものです。(……)私の年齢が潜め、また、動因しようとしている現実的な力はどういうものか。これが、最近、突然生じた問いです。そして、この問いが、今、この時点を《私の人生の道の半ば》としたように思えるのです。(……)

プルーストにとって、《人生の半ば》は、もちろん、母親の死でした(1905年)。生活の突然変異、新しい作品の開始が数年後のことであったとしてもです。つらい悲しみ、唯一の、何物にも還元できないような悲しみは、私にとって、プルーストの語っていた《個人的なものの頂点》をなし得るように思えます。遅まきながら、この悲しみは、私にとっても、私に人生の半ばとなるでしょう。というのは、《人生の半ば》とは、おそらく、死は現実的なものであって、もはや単に恐るべきものではないということを発見する瞬間以外のものではあり得ないからです。

このように道を辿って来ると、突然、次のような明白な事実が現われます。一方では、私にはもういくつもの人生を試みる時間がないということです。(ロラン・バルト《長い間、私は早くから床についた》)


『喪の日記』 バルト、加藤弘一

「喪の日記」カード群は1977年10月26日――バルトの母が亡くなった翌日――にはじまり、ほぼ二年間書きつがれた。(……)

母の死の翌日の日付のカードにはこうある。

新婚初夜という。
では、はじめての喪の夜は?

その次の日はこうだ。

「あなたは女性のからだを知らないのですね?」
「わたしは、病気の母の、そして死にゆく母のからだを知っています。」

…………

母の病気のあいだ、私は母を看病し、紅茶茶碗よりも飲みやすいので母の気に入っていたお椀を手にもって、お茶を飲ませてやった。母は私の小さな娘になり、私にとっては、最初の写真に写っている本質的な少女と一つになっていたのだ。(……)母と私は、互いに口にこそ出さなかったが、言葉がいくぶん無意味になり、イメージが停止されるときこそ、愛の空間そのものが生まれ、愛の調べが聞かれるはずだと考えていた。あんなに強く、私の心の「おきて」だった母を、私は最後に自分の娘として実感していた。(……)私は実際には子供をつくらなかったが、母の病気そのものを通して母を子供として生み出したのだ。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

ーー≪あんなに強く、私の心の「おきて」だった母を、私は最後に自分の娘として実感していた≫[Elle, si forte, qui était ma Loi intérieure, je la vivais pour finir comme mon enfant féminin]

バルトのいう母の「おきて」とは具体的にはなんだったのだろう・・・

……ここではごく一般的な「母の法」を示しておく。

法の病理は、法との最初の遭遇から、主体のなかに生み出される。私がここで法と言っているのは、制度的あるいは司法的な意味ではない。そうではなく、言語と結びついた原初の法である。それは、必然的に、父の法となるのだろうか? いや、それは何よりもまず母の法である(あるいは、母の代役者の法)。そして、ときに、これが唯一の法でありうる。

事実、我々は、この世に出るずっと前から、言語のなかに没入させられている。この理由で、ラカンは我々を「言存在」と呼ぶ。というのは、我々は、なによりもまず、我々を欲する者たちの欲望によって「話されている」からだ。しかしながら、我々はまた、話す存在でもある。

そして、我々は、母の舌語のなかで、話すことを学ぶ。この言語へに没入によって形成され、我々は、母の欲望のなかに欲望の根をめぐらせる。そして、話すことやそのスタイルにおいてさえ、母の欲望の刻印、母の享楽の聖痕を負っている。これらの徴だけでも、すでに我々の生を条件づけ、ある種の法を構築さえしうる。もしそれらが別の原理で修正されなかったら。(Geneviève Morel 、‘Fundamental Phantasy and the Symptom as a Pathology of the Law',2009、PDF

もちろん、ここで古典的なフロイトを引用することもできる。バルトがきっとくりかえし読んだだろうフロイトの「同性愛」をめぐる叙述を。

……われわれが調査したすべての同性愛者には、当人が後でまったく忘れてしまったごく早い幼年期に、女性にたいする、概して母にたいする非常に激しい性愛的な結びつきがあったのであるーー母親自身の過度の優しさによって呼び醒まされたり、あるいは助長させられたりして、さらにはまた幼児の生活中で父親があまり出てこないということによって。サードガーの主張するところでは、彼の扱った同性愛患者たちの母親は、しばしば男まさりの女であった。つまり精力的な性格の女たちで、亭主を尻に敷いてしまうような女たちだったという。私も往々同様のことを目撃した。それよりも強い印象をうけたのは、父親が最初からいなかったとか、早くいなくなってしまうかして、その結果、男の子がもっぱら母親の影響ばかりを受けたような場合には、ことさらその印象が強かった。もし力強い父親がいたならば、息子は異性選択において正しい決定をしていただろうと思われるのである。

さて、この予備段階の後に一つの変化が起こる。この変化の機制はわれわれにはわかっているが、その原因となった力はまだわかっていない。母親への愛は子供のそれ以後の意識的な発展と歩みをともにしない。それは抑圧の手中に陥るのである。子供は自分自身を母の位置に置き、母と一体化し、彼自身を手本にして、その手本に似た者から新しい愛の対照を選ぶことによって、彼は母親への愛を抑圧する。子供はそれほど同性愛的になってしまったわけである。いや実際には、いまや青年たる彼が愛している少年たちとは実は、かつて子供の彼を母が愛したごときに、いま彼がそんなふうに愛している、子供としての彼自身の代償であり更新に他ならないのであるから、彼はふたたび自己愛に落ちこんだというべきであろう。それをわれわれは、彼は愛の対象をナルシシズムの途上で見出すというように表現するのである。ギリシア神話は、鏡に写る自分自身の姿以外の何物も気に入らなかった若者、そして同じ名の美しい花に姿を変えられてしまった若者をナルキッソスと呼んでいるからである。

心理学的にさらに究明してゆくと、このような途をたどって同性愛者となった者は、無意識裡に自分の母の映像をいつまでも持ちつづけているという主張が是認される。母への愛を抑圧することによって彼はこの愛を無意識裡に保存し、かくしてそれ以後つねに母に忠実な者となるのである。彼が恋人としては少年のあとを追い廻しているように見えても、じつは彼はこうすることによって、彼をその性的義務にそむかせるかもしれぬ他の女たちから逃げ廻っているのである。われわれはまた直接個々の場合を観察した結果、一見男の魅力しか感じない者も本当は普通人と同様、女の魅力のとりこになることを証明しえた。しかし彼はそのつど急いで、女から受けた興奮を男の対象に移し、かくしてたえず、彼がかつて同性愛を獲得したあの機制を繰り返すのである。(フロイト『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出』)


◆Schumann - Gesäng der Frühe - I. In ruhigen tempo




ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)

2016年5月29日日曜日

移り変わる空間 transitional space

……私は精神分析実践とほとんど恐怖症の関係にあるんだ。決してあんなことをしたい気はないね。

ーーけれど、あなたはミレールに分析を受けに行ったではないですか?

そう、でもひどく倒錯的で奇妙な分析だった。私が分析に行ったのは、個人的理由のせいだ。不幸な恋愛、深い、深い、とっても深い危機に陥ったせいだ。分析は、純粋に官僚的仕方でなされた。ミレールは私に言う、次週来るように、明日の午後5時に来るように、と。私は、約1ヶ月の間、本当に自殺したい気分だった。この思いは、ちょっと待て! と囁いた。自殺するわけにはいかない、というのは、明日の5時にミレールのところに行かなくちゃならないから。義務の純粋に形式的官僚構造が、最悪の危機を生き延びさせてくれた。…(Parker, (2003) ‘Critical Psychology: A Conversation with Slavoj Žižek、私訳)



ぼくはヴェルトが打ち明けてくれたことを思い出す、彼がノイローゼにかかっていた頃のことで、ファルスの診察室にわりと足繁く通っていた。「あんなところに通うとろくなことはないよ」…彼はまさにそのために動顛させられた…「彼に自分の今までの出来事を話しているうちに」、ヴェルトはつけ加えて言った、「突然わかったんだ、気のふれた奴とおしゃべりするなんて、ぼくはとんでもない阿呆だって」…明快な話さ…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)





…………

◆CONTRAINDICATIONS TO PSYCHOANALYTICAL TREATMENT、Jacques-Alain Miller、2003、PDF

ここに分析家 P氏がいる。彼はある女性の患者を 5年のあいだ診察している。P氏は彼女を寝椅子に横たえ、彼はその後ろで肘掛け椅子に座る。彼女は週3度訪れる。人は信じうるかもしれない、これが「純粋精神分析」だと。もっとも 2セッション不足しているが。患者は 5年間、どんな変化の徴候も示していないという事実を除外して。

彼女は単調で反抗的独白にてセッションを埋める。一連のセッションにて、彼女は微に入り細を穿ち語る。彼女に起こったことは何でも。分析家 P氏は、通常、解釈と呼ばれるものを彼女に語りかけようとする。彼女は話を中断し、彼に話させる。それは終わったら、独白を再開する、「まるで何もなかったかのように」とP氏は言う。

短いセッション・長いセッション・解釈あるいは介入・扇動あるいは激励ーーどれも全く機能しない。分析家 P氏は途方に暮れた。彼はもはやさっぱり分からない。なぜ彼女がそこにいるのか、なぜ彼はそこにいるのか、彼は誰でいったい何をしているのか。それにもかかわらず、彼は堪えた。というのは彼は覚えているからだ。患者が彼に会いに来る前、同僚の精神科医と一緒にいた。彼は約1年ほど彼女を診た。その後、彼は彼女を追い返した。彼は彼女に言った、「あなたはここでは何もすることがない」と。

自殺未遂が起こった。P氏は、患者の臨床変化にかんして、もはやどんな希望もなかった。にもかかわらず、彼は彼女を追い返さなかった。彼はまだ覚えていた、とても昔に彼女がかつて一度言ったある事を。「ここに来ることは、私にとって、狂気に陥らないための支えなの。父がそうなったような狂気に」。彼にとってこれで充分である。もちろんそうだ。彼は他には何もない。

これは純粋精神分析だろうか? いや、確かにそうではない。これは治療だろうか? 全くはっきりしない。これは経験だろうか? 経験を締め出しているわけではない。が、何もその徴候がない。しかし誰がいるだろう、分析家を除いて、このゲームの役割を担う人物が? ここに彼が自らを対象(対象a)に化身させた力能がある。その対象のまわりに、いくら空しいものに見えようと、患者の語りはぐるぐると巻きつく。彼は、疑いもなく、患者についてそれ以上のことは何もわからない。

精神分析家-対象を以って、精神分析は空洞のための場、間隙のあいだにある空間を提供する。そこでは、制限された時間内で、患者は主体となる機会を持つ。すなわち、それをしなかったら患者を同定しているあり方、その存在の欠如をもたらす機会を持つ。もしあなたがたが望むなら、ウィニコット用語を使ってもよい、移り変わる空間 transitional space と。純粋な見せかけ semblant の場、日常生活の裏面 [ l'envers] のような場。そして、そこで主体は絶え間なく駆り立てられて戻ってゆくーー、意味 sense の生誕へと、主体の最初のさえずり(喃語 babblings)へと。それは偶然性の場であり、必然性はその握りこぶしをゆるめる。そしてこれはまさに可能性の場だ。

もし主体がこの経験にてなすことが何もないにしてさえ、それにもかかわらずセッションは可能性の場である。その場にて何の変化もないかもしれない。だが移行は常に可能だ。

この理由で、分析家との出逢いは主体にとって測り知れない価値を証している。それが不可能な精神分析の場合でさえ。(ミレール、2003、私訳)

2015年10月13日火曜日

《残された時間が少ない》(ロラン・バルト)

悲しみ。ある種の倦怠感。自分がしたり、思ったりするすべてのことにまつわるとぎれることのない(最近、喪に服していらいの)、同じ倦怠感(心的エネルギーの備給の不在)。帰宅。空虚な午後。ある困難な瞬間。午後(のちに語る)。たった一人。悲しみ。塩漬けのような状態。私は、かなりの強度で思考する。あるアイディアが不意にわきあがる。文学的な回心のようなものーー古くさい二つの単語が心によみがえる。文学に踏み込むこと。エクリチュールに踏み込むこと。これまで自分がやったことのないようなやり方で、書くこと。もう、それしかやらないこと。まず、エクリチュールによる生を統一するために、コレージュをやめること(講義は、しばしば書くことと葛藤状態に陥るから)。続いて、講義と仕事とを同じ企て(文学的な)へと投入し、主体の分割を停止せしめ、たった一つの計画、偉大なる計画を優先させること。(ロラン・バルト「日記」1978年4月15日 カサブランカにて)

ーーやめなくちゃいけない、教師なんて。もう時間がないんだ

《残された時間が少ない》、明確でなくとも、不可逆的な秒読みが始まる時がくるものです(これこそ意識の問題です)。人は自分が死ぬものであることを知っていました(人の話が聞けるようになった時から、そう教え込まれてきました)。それが、突然、自分が死ぬものであると感ずるのです(これは自然な感情ではありません。自然なのは自分は死なないと思うことです。だから不注意による事故が沢山起こるのです)。 (ロラン・バルト「長い間、私は早くから床についた」『テクストの出口』所収)

1977年10月25日の母の死の翌年、上のように語るロラン・バルトは、このときすでに62歳だった。そしてパリの街頭での自動車事故によるあっけない死は1980年の3月のことだ。

「ほら、ヴェルトは再び母親を見つけ出そうとしているのよ」、病院の救急看護室から出るとき、デボラがぼくにそういった。ヴェルトはそこの血液注入台の上で死にかけていた…彼はほとんど裸同然でそこにいた、いたるところに管、漂流したまだ息のある大きな魚のようだった(……)みんなまだそこにいて、嘘をついていた。彼はそんなに悪くなく、事故はそれほど大したことじゃなかったんだと…実際には、彼はすぐ危篤に陥り、もうだめだった…(ソレルス『女たち』)

ーー教師なんてパロールの人にすぎないのさ。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者にすぎないんだよ。

パロールの側にいる教師に対して、エクリチュールの側にいる言語活動の操作者をすべて作家と呼ぶことにしよう。両者の間に知識人がいる。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない(両者は、しばしば同一個人の中で共存している)。しかし、作家は孤立し、切り離されている、エクリチュールはパロールが不可能になる(この語は、子供についていうような意味に解してもいい〔つまり、手に負えなくなる〕)所から始まるのだ。(「作家、知識人、教師」『テクストの出口』所収)

要約されることのできない(要約すると、ただちに、メッセージとしての自分の性格を破壊する)《メッセージ》の送り手は、皆、《作家》(この語は、つねに、社会的価値ではなく、実践を指す)と呼ぶことができる。《メッセージ》が要約できないというのが、作家が、狂人、饒舌家、数学者と共有する条件である。しかし、それは、まさに、エクリチュール(すなわち、ある種の能記〔シニフィアン〕の実践)が明確にしなければならない条件である。(同上)

ーーファルスだって? ヤツは気がふれてるだけさ

ぼくはヴェルトが打ち明けてくれたことを思い出す、彼がノイローゼにかかっていた頃のことで、ファルスの診察室にわりと足繁く通っていた。「あんなところに通うとろくなことはないよ」…彼はまさにそのために動顛させられた…「彼に自分の今までの出来事を話しているうちに」、ヴェルトはつけ加えて言った、「突然わかったんだ、気のふれた奴とおしゃべりするなんて、ぼくはとんでもない阿呆だって」…明快な話さ…(ソレルス『女たち』)

ーーファルスの四つの言説? セミネールⅩⅦ(1969-1970)? 「精神分析の裏側」かい? ああ、ちょっとはイカレタかな・・・

このように、精神分析的記述(ラカンの記述である。語る人なら誰でも、ここで、その洞察の鋭さを確かめ得るだろう)に従えば、教師が聴講者にしゃべる時、「他者」はつねに存在し、彼の言述に穴をあける。そして、たとえ彼の言述が無謬の知性で完結し、科学的《厳密さ》や政治的急進性で武装していても、やはり穴はあけられるだろう。私がしゃべりさえすれば、私のパロールが流れさえすれば、私のパロールは外に流出するのである。もちろん、すべての教師が精神分析の被験者の立場にあるとはいっても、受講する学生が逆の状況を利用できるわけではない。なぜなら、まず第一に、精神分析的な沈黙には、何ら優越する点がないからである。第二に、時折、被験者が殻を破り、こらえることができず、パロールに身を焼き、弁論の淫らなパーティーに加わるからである(たとえ被験者が頑固に押し黙っているとしても、彼はまさに自分の沈黙の頑固さを語っているのだ)。

ーーあのときじつは気づいていたんだけれど。母がまだ生きていてね、悲しませちゃいけないと思って。

(バルトの母は長寿であり84歳で亡くなっている)


ーーロラン・バルトの以下の文にラカンの四つの言説のマテーム(S1、S2,$、a)を挿入してみようと思ったけれど、やめておくよ。オレの超自我に睨まれそうだからな

伝統的な小説が前衛的な小説にくらべてものわかりのよさそうな表情を浮かべているというのではありません。筒井康隆だって、安部公房だって、薄気味の悪いほどものわかりがよく、その点では村上春樹と変わりません。こうした一連の闘争放棄は、小説がみずから装置であることを止め、読まれるべき言葉としてあっさり解読装置に身をゆだねてしまうことからくるものです。批評家の手にしているものが解読装置であって、小説がその装置によって解読される対象でしかないようにすべてが進行してしまい、そのことに、小説家も、批評家も疑いの目を向けようとすらしていないという現状が納得しがたいものに思われたのです。

しかし、この関係は不健康に転倒している。装置であるのは、むしろ小説の方なのです。装置でありながら、何の装置だか使用法がわからないものとして小説が存在しているのでなければならない。そして批評家は、その目的や使用法を心得た人間ではないはずです。ましてや、装置を解読する装置が批評なのでもないでしょう。小説という装置は、おそらく小説家にとってさえ、それが何に役立つか見当もつかない粗暴な装置であり、であるが故に、小説は自由なのです。批評家は、使用法もわからぬままにその小説を作動させる。それが、小説を擁護するということの意味なのです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

ーーむしろバルトのエッセイからラカン理論を解読(解体)しなくちゃな、


◆「作家、知識人、教師」(ロラン・バルト、1971,Tel Quel)より


【教育の場で語ること】

(教育の場で)語ろうとする者は誰でも、自然的な(発声の際の息のような物理的自然に属する)原因の単なる結果として、パロールの使用が彼に課す演技を自覚しなければならない。この演技は次のように展開する。

話し手は、率直に、「権威」の役を選ぶこともできる。この場合、彼は、《うまく話す》、つまり、どんなパロールの中にもある「法」に従って話すだけでいい。繰り返しなしで、適当な速度で、あるいは、明晰に(これこそ、職業的な、よいパロールに要求されるものだ。明晰、そして権威が)。明確な文はまさに判決、すなわち、センティティアであり、刑罰的なパロールである。

話し手はまた、パロールが自分の談話に導入しようとするこうした「法」を窮屈に感ずることもある。彼は、たしかに、(《明晰》を強制する)語り方を変質させることはできないが、語ること(「法」を示すこと)について弁解することはできる。彼は、その時、自分の合法性を乱すために、パロールの不可逆性を利用する。すなわち、彼はいい直し、つけ加え、口ごもる。

彼は言語活動の無限性の中に入り込み、皆が彼から期待している単純なメッセージに、メッセージの観念そのものを破壊するような新たなメッセージを重ね、パロールの流れにつける傷や切屑のきらめきによって、言語活動はコミュニケーションには還元されないということを自分とともに信じるようにわれわれに要求する。「テクスト」の口ごもる語り方に近い、こうしたすべての操作によって、未熟な教師は、話し手というものを、いわば、警官のようにする割の合わない役割を緩和しようとするのである。

しかし、《まずく話す》ためのこうした努力の末、また、ひとつの役割が彼に課される。なぜなら、聴き手(読者とは何の関係もない)は、自分自身の想像物(イマジネール)に捉われて、これらの試行錯誤を弱さのしるしとして受け取り、人間的な、あまりに人間的な、つまり、リベラルな教師というイメージを彼に送り返すからである。

どちらを選んでも、先行きは暗い。几帳面な公務員にせよ、自由な芸術家にせよ、教師は、パロールの舞台からも、そこで演じられる「法」からも逃れられない。というのは、「法」は、述べることの中身においてではなく、語ることにおいて生み出されるからである。「法」を覆すには(単に「法」の網をくぐるだけではなく)、声の語り方、語の速度、リズム、そして、もうひとつのわかりやすさまでも解体する必要があろう。―――あるいは、全然、何もしゃべらないか、である。しかし、それはまた他の役割を背負うことになろう。すなわち、経験豊かな、しかも、多くを語らぬ、寡黙な、偉大な知性の持主という役割か、あるいは、実践の名の下に、無用なおしゃべりを一切放棄する闘士という役割である。どうしようもない。言語活動とはつねに力であり、語るとは権力への意志を行使することなのだ。パロールの空間には、無垢な場所もないし、安全な場所もない。


【教育者の立場】

どうして教師と精神分析者を同一視することができよう。まったく逆だ。精神分析されるのは教師の方である。

私が教師だとしよう。私は、しゃべらない者の前で、また、しゃべらない者のために、際限なくしゃべる。私は私と述べるものである。(〈人〉とか、〈われわれ〉とか、非人称文でいい変えても同じことだ)。私は、知識を披露する(外に置く)という口実で、言述を提出する(前に置く)者である。それがどのように受け取られるか、私には決してわからない。したがって、私は、私を構成するような、決定的な、しかも、不快でさえあるイメージで安心することが決してできない。人が思っている以上にうまい呼び方だが、発表(外に置くこと)において、披露されるのは知識ではない。主体である(主体はつらい冒険に身をさらすのだ)。鏡は空虚である。鏡は、私の言語活動が展開するままに、それのゆがんだ形しか私に返さない。

ソ連の飛行士に変装したマルクス兄弟のように(『オペラは踊る』におけるーー私はこの作品をテクストに関する多くの問題についてのアレゴリーだと思っている)、私は、発表の始めに、大きなつけひげをつける。しかし、私自身のパロールの波(唖のハーポが、ニューヨーク市庁舎の演壇で、がぶ飲みする水差しの代わり)に少しずつひたされて、私はひげが皆の前でぼろぼろとはがれていくのを感ずる。

何か《洒落た》考察によって聴衆をほほえませるや否や、何か進歩主義的な常套句で聴衆を安心させるや否や、私はこうした挑発の迎合性を感ずる。私はヒステリー的欲動を遺憾に思う。遅まきながら、人に媚びる言述よりいかめしい言述の方が好ましく思われ、ヒステリー的欲動を元に戻したいと思う(しかし、逆の場合には、ヒステリー的に思えるのは、言述の《厳しさ》の方である)。実際、私の考察にある微笑が応じ、私の威嚇にある賛意が応じると、私は、ただちに、このような共犯の意思表示は、馬鹿者か、追従者によるものと思い込む(私は、今、想像上の過程を描写しているのだ)。反応を求め、つい反応を挑発してしまう私だが、私が警戒心を抱くには、私に反応するだけで十分である。

そして、どのような反応をも冷まし、あるいは、遠ざけるような言述を続けていても、そのために自分が一層正確である(音楽的な意味で)とは感じられない。なぜなら、そのときは、私は自分のパロールの孤独さを自賛し、使命を持った言述(学問、真理、等)というアリバイをそれに与えなければならないからである。


【公的なパロールの背負う十字架】

このように、精神分析的記述(ラカンの記述である。語る人なら誰でも、ここで、その洞察の鋭さを確かめ得るだろう)に従えば、教師が聴講者にしゃべる時、「他者」はつねに存在し、彼の言述に穴をあける。そして、たとえ彼の言述が無謬の知性で完結し、科学的《厳密さ》や政治的急進性で武装していても、やはり穴はあけられるだろう。私がしゃべりさえすれば、私のパロールが流れさえすれば、私のパロールは外に流出するのである。もちろん、すべての教師が精神分析の被験者の立場にあるとはいっても、受講する学生が逆の状況を利用できるわけではない。なぜなら、まず第一に、精神分析的な沈黙には、何ら優越する点がないからである。第二に、時折、被験者が殻を破り、こらえることができず、パロールに身を焼き、弁論の淫らなパーティーに加わるからである(たとえ被験者が頑固に押し黙っているとしても、彼はまさに自分の沈黙の頑固さを語っているのだ)。

しかし、教師にとって、受講する学生は、やはり、模範的な「他者」である。なぜなら、彼らはしゃべらないふりをしているからであるーーーしたがって、また、その無言の外見の中から、それだけ一層強く、あなたの中で語るからである。彼らの表に出ないパロールは私自身のパロールなのであるが、彼らの言述が私の中を満たさないだけに一層、私に打撃を与えるのである。

これが公的なパロールというものの背負う十字架である。教師がしゃべるにせよ、聴き手がしゃべるよう要求するにせよ、いずれの場合も、まっすぐ(精神分析用の)長椅子に向かうのだ。教育の関係はその関係によって促される転移以上のものではない。《学問》、《方法》、《知識》、《観念》が群をなしてやってくる。それらは余分に与えられるものであり、剰余である。

ーーとはいえ教師をやっていかざるをえないときもあるのさ。とすれば、あのウンザリ感をすこしでも減らすにはどうしたらいいんだろ?

知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)

ーー言語を含むあらゆる権威に対して裏をかいたり、はぐらかしたりすることさ、まずはな

 このはぐらかしの方法の基本的操作はといえば、書くときは断章化であり、語るときは脱線、または貴重な両義性を持つ語を用いて言うなら、遠足=余談(excursion)である。それゆえ私は、この授業において互いに編みあわされていく発言と聴き取りが、母親の周りで遊ぶ子供の行き来に似たものとなることを望みたい。子供は、母親から遠ざかるかと思うと、つぎには母親のもとにもどって小石や布切れを差し出し、こうして平和な中心のまわりに、ぐるりと遊びの輪を描き出す。その輪の中では、結局のところ、小石や布切れそのものよりも、それが熱意のこもった贈物となる、ということのほうが重要なのである。(文学の記号学―コレージュ・ド・フランス開講講義

ーーこれもやってみたさ、でも物足らなかったんだよ、

ああなんとかしてプルーストのように書けないものか

私の全人間の転倒。(……)私はかがんで、ゆっくり、用心深く、靴をぬごうとした。ところが半長靴の最初のボタンに手をふれたとたんに、何か知らない神聖なもののあらわれに満たされて私の胸はふくらみ、嗚咽に身をゆすられて、どっと目から涙が流れた。(……)私はいま、記憶のなかに、あの最初の到着の夕べのままの祖母の、疲れた私をのぞきこんだ、やさしい、気づかわしげな、落胆した顔を、ありありと認めたのだ、それは、いままで、その死を哀悼しなかったことを自分でふしぎに思い、気がとがめていたあの祖母、名前だけの祖母、そんな祖母の顔ではなくて、私の真の祖母の顔であった。(……)こうした私は、彼女の腕のなかにとびこみたいはげしい欲望にかきたてられ、たったいまーーーその葬送後一年以上も過ぎたときに、しばしば事実のカレンダーを感情のそれに一致させることをさまたげるあの時間の錯誤のためにーーーはじめて祖母が死んだことを知ったのだ。(プルースト「ソドムとゴモラ 二」 井上究一郎訳)

ーー最後にすこしだけやってみたさ、

ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)

ーーシューマンの暁の歌とともにな




年齢というのは、年代的与件、年月の連鎖であるとしても、それはほんの部分的でしかありません。途中、ところどころに、仕切りがあり、水面の高低差があり、揺れがあります。年齢は漸進的なものではありません。突然変異するものです。(……)私の年齢が潜め、また、動因しようとしている現実的な力はどういうものか。これが、最近、突然生じた問いです。そして、この問いが、今、この時点を《私の人生の道の半ば》としたように思えるのです。(……)

プルーストにとって、《人生の半ば》は、もちろん、母親の死でした(1905年)。生活の突然変異、新しい作品の開始が数年後のことであったとしてもです。つらい悲しみ、唯一の、何物にも還元できないような悲しみは、私にとって、プルーストの語っていた《個人的なものの頂点》をなし得るように思えます。遅まきながら、この悲しみは、私にとっても、私に人生の半ばとなるでしょう。というのは、《人生の半ば》とは、おそらく、死は現実的なものであって、もはや単に恐るべきものではないということを発見する瞬間以外のものではあり得ないからです。

このように道を辿って来ると、突然、次のような明白な事実が現われます。一方では、私にはもういくつもの人生を試みる時間がないということです。(ロラン・バルト《長い間、私は早くから床についた》)

…………

※附記


ラカンのセミネールとエクリの関係は、治療における被分析者と分析家の関係に似ている。

セミネールでは、ラカンは被分析者としてふるまう。すなわち「自由連想し」、即興で語り、飛躍したり跳躍したりしながら、聴衆に語りかける。そのため聴衆のほうはいわば集合的な分析家の役割を負わされる。

これと比べ、彼の書いたものはひじょうに濃縮されていて、公式的である。時には託宣のような不可解で曖昧な命題を投げつけ、それに取り組んで明快な命題に翻訳し、適切な例を挙げ、その意味を論理的に証明しろ、と読者を挑発する。通常の学問的な手続きにおいては、著者が命題を公式化し、さまざまな議論によってそれを裏付けるわけだが、それとは対照的にラカンはしばしばこの仕事を読者に委ねる。いやそれだけでなく、読者は、ラカンが次々に繰り出す互いに矛盾した命題の中から、どれがラカンの本当の命題なのかを決めなくてはならず、託宣のような公式の真意を忖度しなければならない。そうして厳密な意味において、ラカンのエクリは分析家による介入のようなもので、その目的は、被分析者に既製の意見や陳述を提供することではなく、被分析者を働かせることである。(『ラカンはこう読め!』巻末「読書ガイド」より)

ーーラカンは退屈じゃなかたんだろうか
あの死ぬまで続くセミネールってのはなんだったんだろ?

父の名? ファルス? アホラシ!

神だって?

神だと? 神とは シンプルに〈女〉のことさ、〈他者〉の〈他者〉があるなら、〈女〉は存在するってことさ(ラカン、S.23)

La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». (Séminaire 23 Staferla 版 p.173)

ーーウンザリさ、ラカンの男根主義、あのカトリック教義まみれ!

フェミニズムというのは一種のユダヤ嫌悪じゃないか、という …あほらしい!… そんなことは火を見るよりも明らかだったが、もっと若くて、もっと知識があって、もっと大胆な幾人かのユダヤ女性たちはそいつが耳障りになりだしたにちがいなかった  P410 
彼女は反ユダヤ主義者ではない、ちがうさ、いやはや、でもやっぱり聖書によって踏みつぶされたのが何かを見出すべきだろう …別のこと… 背後にある …もうひとつの真実を…

「それなら、母性崇拝よ」、デボラが言う、「明らかだわ! 聖書がずっと戦っているのはまさにこれよ …」

「そうよ、それに何という野蛮さなの!」、エドウィージュが言う。「とにかくそういったことをすべて明るみに出さなくちゃならないわ …」(ソレルス『女たち』P476)

ーーわかるか、ラカンの野蛮さが、はあン?

ある時期まで、ラカンはフロイトのエディプス理論を立証し増幅あるいは拡張した。彼は、父性隠喩の公式とともに構造主義的用語を以て、子どもが母から解放されるメカニズムを描いたのだが、それは父自身の介入ではなく彼が「父の名 le‐Nom‐du‐Père」と呼ぶところのものによってである。
この概念の宗教的含意(コノテーション)は、大文字の使用によって強調されているようにひどく鮮明であり、ほとんど自動的な嫌悪感をもたらしうる。ラカンの反-母性的見解は、その家父長制の密かな神格化と相俟って実にきわめてカトリック教義を連想させる (Tort, 2000)。もし人がこの嫌悪感をなんとかやり過ごすのなら、この公式にフロイト理論との二つの主要な相違を見出すだろう。

…第一にラカンにおいては、父から起こる禁止は子どもに向けられるのではなく、母に向けられる。それは母の欲望、さらにはおどろおどろしい母の享楽に向けられるのだ。既に見てきたように、この考え方はフロイトの神話の第二のヴァージョン(『モーセと一神教』)にもインプリシットに読みとりうる。

第二に、「父の名」にて、ラカンは父の形象と機能を区別している。どんな個別の父も権威のある一定の機能を取りうるのは、ただ彼のポジションが、象徴秩序とその固有の法そして人間の交流を統御する慣習に支えられている為だけである。

ラカンにとって、エディプス期とは自然から文化への移行以外のなにものでもない。これはレヴィ=ストロース(『親族の基本構造』)に頷きつつの考え方である。フロイトと同様に、この論法はある相互保証に依拠する。象徴秩序は、父の名と法(近親相姦禁止と族外婚の強制)を支える。

同時に父の名が象徴秩序とその固有の法の基礎をつくる。父はそのとき具体的形象として、権威を授かる。それは彼が象徴秩序の支えの代理人として振舞うという事実から来る。そしてこれが父の機能である。.(PAUL VERHAEGHE,new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex、2009)

ーー結局、フロイトのパクリだろ!

…時がたつにつれて、ぼくはファルスの突然の怒りがよくわかるようになった…彼の真っ赤になった、失語症の爆発が……時には全員を外に追い出す彼のやり方……自分の患者をひっぱたき…小円卓に足げりを加えて、昔からいる家政婦を震え上がらせるやり方…あるいは反対に、打ちのめされ、呆然とした彼の沈黙が…彼は極から極へと揺れ動いていた…大枚をはたいたのに、自分がそこで身動きできず、死霊の儀式のためにそこに閉じ込められたと感じたり、彼のひじ掛け椅子に座って、人間の廃棄というずる賢い重圧すべてをかけられて、そこで一杯食わされたと感じる者に激怒して…彼は講義によってなんとか切り抜けていた…自分のミサによって、抑圧された宗教的なものすべてが、そこに生じたのだ…「ファルスが? ご冗談を、偉大な合理主義者だよ」、彼の側近の弟子たちはそう言っていた、彼らにとって父とは、大して学識のあるものではない。「高位の秘儀伝授者、《シャーマン》さ」、他の連中はそう囁いていた、ピタゴラス学派のようにわけ知り顔で…だが、結局のところ、何なのか? ひとりの哀れな男だ。夢遊病的反復に打ちひしがれ、いつも同じ要求、動揺、愚劣さ、横滑り、偽りの啓示、解釈、思い違いをむりやり聞かされる、どこにでもいるような男だ…そう、いったい彼らは何を退屈したりできるだろう、みんな、ヴェルトもルツも、意見を変えないでいるために、いったい彼らはどんな振りができるだろう、認めることだ! 認めるって、何を? まさに彼らが辿り着いていたところ、他の連中があれほど欲しがった場所には、何もなかったのだということを…見るべきものなど何もない、理解すべきものなど何もないのだ…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)

2015年8月23日日曜日

ミニスカ症候群と集団ヒステリー

フロイトの『ヒステリー性空想、ならびに両性性に対するその関係』(道籏泰三訳 2007)とは岩波書店のフロイト全集に収められているフロイトの1908年の論文の表題だが、原題は“Hysterische Phantasien und ihre Beziehung zur Bisexualität” (1908)であり、ラカン派の邦訳ではその多くが「幻想」と訳される言葉fantasyが「空想」となっている。

と記したが訳語に文句をつけるつもりは毛頭ない。いま注目したいのは、《一方の手で着物をまくり上げようとし、他方の手で着物を押さえようとするヒステリー患者の発作》という表現である。

自慰は、空想をかきたてることと、その空想の絶頂において自己満足にいたるための活動的な営みとの「はんだづけ」によって構成されている。当初は自己愛的な身体的快感を目的としていた自慰は、やがて対象愛の領域に由来する欲望の表象を満足させることを目的とするようになる。そのような空想的満足が放棄されると自慰行為そのものは行われなくなるが、空想は意識的なものから無意識的なものに変わる。その後、性的欲求不満の状況において、この無意識的な空想が症状として「外化」する。ヒステリーの症状は、このような無意識的空想の上演である。倒錯者の空想やパラノイア患者の妄想は、ヒステリー者においては無意識的な空想が意識化されている状態である。ヒステリー患者も無意識空想を、症状として表現せずに、意識的に現実化し、殺人・暴力・性的陵辱などを「演出演技」することがある。

 それゆえ精神分析は症状の背後にある空想を知ろうとするが、症状と空想の結びつきはきわめて複雑で錯綜している。重度の神経症においては一つの症状は複数の空想に対応している。それゆえ、一つの空想を意識化しても症状は消えない。

 症状を解消させるには二つの空想の意識化が必要であるが、その一方は男性的、他方は女性的な性格をもつ(それゆえいずれかは同性愛的な欲求を表現している)。これはすべてのヒステリー者にみられる事実ではないが、人間の生得的な両性性が神経症者においては明瞭に認識されるという自説を支持するものだ。自慰にふける者は、空想のなかで男性にも女性にも感情移入する。一方の手で着物をまくり上げようとし、他方の手で着物を押さえようとするヒステリー患者の発作もこのことを示している(「矛盾する同時性」)。患者は分析中に一方の性的意味から逆の意味の領域へと「隣りの線路の上へそらせるように」たえずそらせようとする。(フロイト『ヒステリー性空想、ならびに両性性に対するその関係』

なぜこんな文章を思い起したかといえば、「哲学者」森岡正博氏の「なぜ私はミニスカに欲情するのか」2000年ーーこの論は読んでいないーーの長い書評「ミニスカートの文化記号学」(沼崎一郎)に引用されている森岡氏の文を眺めたからだ。この評者の沼崎一郎氏は「文化人類学者」である。

さてその問題の森岡氏の文である。

見えないように裾を下げようとするにもかかわらず、自然に上がってきてスカートの中身が見えそうになる。何物かを隠そうとする意志と、それに逆らって真理を暴こうとする運動。その緊張溢れるダイナミズムに知覚弓となって参与する第三者としての私。この三者関係のただ中にこそ、ミニスカへと欲情を固着させるオートポイエーシス装置が構造化されているのである。(森岡正博「なぜ私はミニスカに欲情するのか」)





フロイトは《一方の手で着物をまくり上げようとし、他方の手で着物を押さえようとするヒステリー患者の発作》としているわけだが、とすればもう二十年以続くらしい女子高校生たちのミニスカブームは集団ヒステリーの一種なんだろうか?

(心理的アイデンティティと象徴的アイデンティティの)落差がある以上、主体は自分の象徴的仮面あるいは称号とぴったり同一化することができない。だから主体は自分の象徴的称号に疑問を抱く。これがヒステリーだ。「どうして私は、あなたが言っているような私なのか」。あるいはシェイクスピアのジュリエットの言葉を借りれば、「どうして私はその名前なの?」

「ヒステリー」と「歴史ヒストリア」との間の類似性には真実が含まれている。主体の象徴的アイデンティティはつねに歴史的に決定され、ある特定なイデオロギー的内容に依存している。これこそが、ルイ・アルチュセールが「イデオロギー的問いかけ」と呼んだものである。

われわれに与えられた象徴的アイデンティティは、支配的なイデオロギーがわれわれにどのようにーーー市民として、民主主義者として、キリスト教徒としてーーー問いかけたかの結果である。ヒステリーは、主体が自分の象徴的アイデンティティに疑問を抱いたとき、あるいはそれに居心地の悪さを感じたときに起きる。「あなたは私のことをあなたの恋人だとおっしゃる。私をそのようにした、私の中にあるものは何? 私の中の何が、あなたをして私をこんなふうに求めさせるのでしょう?」『リチャード二世』はヒステリーをめぐるシェイクスピアの至高の作品である(対照的に『ハムレット』は強迫神経症をめぐる至高の作品だ)。 (ジジェク『 (『ラカンはこう読め!』p.63)

もっとも(すくなくともかつては)一般的に、男性は強迫神経症、女性はヒステリー神経症と言われたわけで、このヒステリーはなにも女子高生に限ったことではない。

……例えば、ラカンは倒錯は男性的剥奪であり、男と女の二項構造を神経症・精神病・倒錯の三つ組みと結合させるとさらに複雑になると言っています。私たちが言いうるのは、倒錯は男性的剥奪であり、本物の精神病のすべては女性であろうということです。ラカンは精神病を「女性への衝迫[pousse a la femme]」とみなすという、今では有名となったフレーズを作りました。精神病は女性の領域にあるのです。神経症においては、 ヒステリーと強迫が区別され、 一般に女と男に関連付けられます

しかし、だからといってヒステリーの男性がいないと主張するのではありません。私たちが神経症を語るとき、あるときはこのように注目しますが、また別の機会には、フロイトは強迫神経症をヒステリーの方言であり、ヒステリーが神経症の中核であると考えていたことを元にして、ヒステリー神経症と強迫神経症の区別について注目します。(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)

といういささか専門的な文よりも、同じミレールの最近のエッセイから抜き出しておくほうがよいのかもしれない。

無意識の現実はフィクションを上回ります。あなたには思いもよらないでしょう、いかに人間の生活が、特に愛にかんしては、ごく小さなもの、ピンの頭、神から授かった細部によって基礎づけられているかを。とりわけ男たちには、そのようなものが欲望の原因として見出されるのは本当なのです。フェティッシュのようなものが愛の進行を閃き促すのです。ごく小さな特異なもの、父や母の追憶、あるいは兄弟や姉妹、あるいは誰かの幼児期の追憶もまた、愛の対象としての女性の選択に役割をはたします。でも女性の愛のあり方はフェティシストというよりももっとエロトマニティック(被愛妄想的)です。女性は愛されたいのです。関心と愛、それは彼女たちに示されたり、彼女たちが他のひとに想定する関心と愛ですが、女性の愛の引き金をひくために、それらはしばしば不可欠なものです。(Jacques-Alain Miller: On Love:We Love the One Who Responds to Our Question: “Who Am I?”、私訳)。


さてもとに戻れば、《一方の手で着物をまくり上げようとし、他方の手で着物を押さえようとする》仕草は、女子高生だけでなく、どこにもで見られるといってよい。

ぼくは時どきリッツのバーに一杯やりに行く、ただノートをとったり、下書きをしたりするためにだけ…写生しに…バー、浜辺…ナルシシズムのフェスティバル…ここにも二人いる、そこの、ぼくのそばでしなをつくっているのが、少なく見積もっても十万フランは身につけている、指輪、ネックレス、ブレスレット…彼女たちは、小切手帳をもったちょい役の身分に追いやられたお人よしを前にして、互いに向かって火花を散らしている…清純で罪のない眼差し…パレード…えくぼ…含み笑い…そら、ぼくが彼女たちを見る目つきに彼女たちは気づいた…彼女たちはこれ見よがしに戯れる…化粧を直す…トカゲのハンドバック…螺鈿のコンパクト…金の口紅ケース…しどけない唇、ブロンド…それから無防備を装い、あどけなく、抜け目のない態度…男たちのうちのひとりの前腕に手をかけて…「そんな! 嘘でしょ?」…ぼくの視線の方へ向けられる流し目、すぐさまそらされる…彼女たちはウォッカをロックで飲んでいる…女たちどうしで語らって…煙草の火をつけ合う…足を組み…組んだ足をまた解く…膝の上で少しだけスカートを引っ張るという結構な仕草は忘れずに…強調するためだ…膝がすべてを語っている…いつも…手ほどきとしての肘…膝には不可視のものすべてがある…首から香りがする…耳の後ろ…耳たぶ…乳房のあいだ…いま、男たちが立ち去った、すぐに彼女たちはより謹厳になる…勘定の計算をする…で、あなたの分は? いくらあなたに渡したらいいの?…で、あなたの分は?…ぼくはほぼ忘れられている…時どき思い出したようにぼくを見る…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳 p230)


もう一度ジジェクの文に戻ろう、

(心理的アイデンティティと象徴的アイデンティティの)落差がある以上、主体は自分の象徴的仮面あるいは称号とぴったり同一化することができない。だから主体は自分の象徴的称号に疑問を抱く。これがヒステリーだ。

女子高校生の象徴的アイデンティティとは、学校という大文字の他者の機関で勉学する存在だろうが、そのときの心理的アイデンティティとはなんだろう? ひとまずは少女から女へとかわっていく時期(これはすでに中学生の頃、あるいはその前からそうだろうが)であり、「どうして私は、あなたが言っているような私なのか」がヒステリーの問いであるならば、「どうして私という少女は、あなたが言っているような女なのか」という問いを抱いている存在ではないか。

実際、中学生から高校生までにおけるミニスカ着用は男の視線を惹きつけるという機制とその利用とともに、少女時代の私への哀惜感によるものはないのだろうか。ミニスカ着用は、かつてわれわれ旧世代の時代における不良少女たちーースケバンに代表されるーーがロンスカを着用し大人びてみえたのとは逆に、子どもじみてみえないでもないのだ。


犬山高校のあゆみ 女子制服のこと




これを眺めてもなんの色気も感じられないのは、わたくしが老いたせいだけだろうか。


素足  谷川俊太郎

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ

「あなたは私のことをあなたの恋人だとおっしゃる。私をそのようにした、私の中にあるものは何? 私の中の何が、あなたをして私をこんなふうに求めさせるのでしょう?」(シェイクスピア『リチャード二世』)

ーーあなたがたは私のことを女だとおっしゃる。私をそのようにした、私の中にあるものは何? 私の中の何が、あなたがたをして私をこんなふうに(女として)眼差すのでしょう ?

いやいやわたくしは女ではないので彼女たちの心理的アイデンティティはわからない……(マンガ文化の影響もあるのだろうが、このあたりはわたくしはまったく疎い)。


もうひとつ村瀬ひろみ氏による「「性的身体」の現象学  「ミニスカ」からみる消費社会のセクシュアリティ構造 」からぬき出してみよう。この小論も森岡正博の論にかかわる。その論は次ぎのような問いから始まっている。

ミニスカートをまとう存在としての「私」は、男を誘惑するだけの人形だろうか。

長いスカートの鬱屈した不自由さ、まとわりつく布の抑圧から逃れ、より行動的になるためのミニスカートだってあるはず。男がどう見ようと、動きやすい開放的なミニスカートが好きという女はいないだろうか。膝小僧が見えるよりはるかに短い丈のスカートこそ、足がキレイに見えると鏡の前でひそかにほほ笑むことはないだろうか。

そんなミニスカートに、一部の男性たちは欲情するという。そのこと自体は、率直な言説であって、フェミニズムが批判すべきことではないかもしれない。しかし、そこに「ミニスカートをまとう私」という主体の視点が欠落していると気づくとき、私は、新たな地点から「ミニスカート」にまつわる言説を検証していく必要性を感じるのである。


「ミニスカートをまとう私」という主体の視点とあるが、この小論にたいしたことが書かれているわけではない。女性側からみても難題なのだろう。

いや、彼女たちはひょっとしてひそかには気づいているのかもしれない、「仮装としての女性性」を。だがそれを表立って是認するということには抵抗があるに相違ない。

女性が自分を見せびらかし、自分を欲望の対象として示すという事実は、女性を潜在的かつ密かな仕方でファルスと同一のものにし、その主体としての存在を、欲望されるファルス、《他者》の欲望のシニフィアンとして位置づけます。こうした存在のあり方は女性を、女性の仮装[mascarade]と呼ぶことのできるものの彼方に位置づけますが、それは、結局のところ、女性が示すその女性性のすべてが、ファルスのシニフィアンに対する深い同一化に結びついているからです。この同一化は、女性性ともっとも密接に結びついています。(ラカン「セミネールⅤ」)
どんなにポジティブな決定をしてみても、女性というのはひとつの本質だ、女性は「彼女自身だ」と定義してみても、結局のところ、女性が演技しているもの、女性が「他者にとって」どういう役割をもっているかという問題に引き戻されてしまう。なぜなら、「女性が男性以上の主体となるのは、まさに女性が本来の仮装の特徴を帯びているときだけ、女性の特徴が、すべて人工的に「装われている」ときだけだからである」。(エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』)

《男の幸福は、「われは欲する」である。女の幸福は、「かれは欲する」ということである》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)--と引用すれば、いまどきアンチフェミニストのニーチェを、時代錯誤もはなはだしいといういう人がいるかもしれない、だが文句をいうのは「男と女をめぐって(ニーチェとラカン)」を読んでからにしてほしい。

男は自分の幻想の枠にフィットする女を欲望する。他方、女は自分の欲望をはるかに徹底的に男のなかに疎外する(男のなかに向ける)。女の欲望は男に欲望される対象になることである。すなわち男の幻想の枠にフィットすることであり、女は自身を、他者の眼を通して見ようとするのだ。“他者は彼女/私のなかになにを見ているのかしら?” という問いにたえまなく煩わせられている。しかしながら、女は、それと同時に、はるかにパートナーに依存することが少ないのだ。というのは彼女の究極的なパートナーは、他の人間、彼女の欲望の対象(男)ではなく、ギャップ自体、パートナーからの距離なのだから。そのギャップ自体に、女性の享楽の場所がある。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、私訳)

なぜこうなのかは、ポール・ヴェルハーゲによる説明がある(「古い悪党フロイトの女性論」)。もちろんこれらも単なる仮定である。フロイトは、別のより高い説明価値がある仮説があれば、いつでも乗り換える用意があるという意味合いのことをしばしば語っている。

村瀬ひろみ氏の論には森岡正博氏の論以外からもいくつかの引用があるが、ここでは次の二人の文を抜き出しておく。

性的な身体を女性は見られることによって獲得していきます。女性にとって自己身体意識、あるいは自己身体イメージの獲得は、思春期以降、男性からかくあるべき身体として自分に付与される視線によって、その視線を内面化することによって獲得されます。(上野千鶴子 『性愛論』1991)
おそらく、人間が自己の身体をエロティシズムの対象として他者の前に呈示しようとするならば もっとも基本的な戦術はおのれの性を誇示しつつ 同時に隠すということであろう (菅原和孝 『身体の人類学』1993)
この「誇示しつつ隠す」という戦術は、女がある場に登場し、そこによっこらしょと腰を下ろすさいにもっともあらわになる。彼女は股を大きく広げ、なおかつ片手で股のあいだにぐいとスカートをたくしこむのである。(同 菅原)

…………

※附記:『週刊プレイボーイ』の編集などの仕事をされていた赤羽建美氏の『「女の勘」はなぜ鋭いのか』におけるミニスカの記述を抜き出しておく。ニ、三違和のある箇所はあるが敢えてコメントするほどでもない、一般男性はおそらくかなりの割合の人がこのように感じているだろうし、その男性への問いに対しておおくの女性はこのように答えることだろうことを示したいだけだ。

ミニスカートをはいている女性に、
それって、男の視線を意識してりんだよね
と聞くと、決まって次ぎのような答えが返ってくる。
そうじゃないわ。おしゃれだからはいているの

ミニスカートでも、胸元を強調したキャミソール(女性用の下着でウエストまでのもの。スリップの短いやつと思えばいい。最近はそれを‘あえて見せる着方をする)でも、ヒップにぴったりのパンツでも、答えは同じである。「ファッションを楽しむために身につけているので男性を意識したものではない」と彼女たちは言う。果たしてそれが女性の本音だろうか。わたしはどうもそうは思えない。

わたしが大学生だったころ。学食で昼飯を食べていたら、隣りにいた同級生の男子学生がわたしにこう言った。

「あそこにいる女の子。かなり意識しているよな。あの食べ方を見ろよ。気取りやがって」

彼があごでしゃくって示した女子学生を見てみると、確かに彼女は思いっきり他人の目を気にしてカレーを食べているように見えた。スプーンにのせるカレーの量はほんのわずか。あんなに少しずつでは、食べた気がしないだろう。家では三倍くらいの量を一口で食べているのではないかと疑いたくなるくらい少量なのだ。それをゆっくりと口元にもっていく。口の中にカレーを入れるときも決して大きく口を開かない。そのうえ、髪が邪魔になっているわけでもないのに、ときどき髪をかきあげるような仕草をする。

こんな姿をみていると、いかに上品にあるいはきれいに見えるかを考えて、食べているとしか思えない。つまり、彼女は自分自身で自分を演出しているように見える。わたしはそれほどではなかったが、級友はなぜかその彼女のことが気になってしかたがなかったらしい。それは異性への関心の裏返しともいえるのかもしれない。

いずれにせよ、その女子学生は他人の目、もちろん、それは同性の目ではなく男子学生たちの目を意識してそうしていたのだろう。

同性の目といえば、こんなエピソードがある。

私立の女子校で教師をしていた友人によると、女子生徒たちは男の目があるのとないのとではガラッと態度が変わるという。彼が直接目撃したかどうかまでは知らないが、夏の暑い日の教室では、女子生徒が制服のスカートのすそをたくしあげてその中に教科書で風を送り込む、そんな姿がよく見られるというのだ。どうやら、女子校での教室では男の想像を絶する破廉恥な光景が展開されているらしい。

この二つの例からも、女性は異性の目がなければあれれもない姿をさらけだすことも平気なくせに、異性の目がある場では、大学の学食の女子学生のように女らしさを強調しているように思えてならない。

つまり、女性たちは本当のところを隠している。もっと言ってしまえば、「おしゃれだから」というのは一種のカモフラージュのため。そう解釈していいだろう。彼女たちは男を意識していることを隠そうとしている。

だいたい、ミニスカートをはいている女性に目がいくのは、女性よりも男のほうが圧倒的に多い。女性は友人がかわいいミニスカートをはいてきたのであれば、それなりに関心を示し、「かわいいね」くらいのほめ言葉を口にするかもしれない。しかし、見ず知らずの女性がどんなにかわいいミニスカート姿であってもまったく関心を示さない。男が男の下着姿を見てもなんとも感じないのと同じだ。ところが、男は見ず知らずの女性のミニスカート姿にあまねく関心を示す。このことから考えても、女性がミニスカートをはくのは異性の目を意識しているからだと思える。

しかし、女性は同性から「男に見られるのを計算してミニスカートをはいている」と思われるのが嫌なのだろう。本当はそうであっても他人からそれを指摘されると、女性はプライドを傷つけられた気がするのではないか。

男のわたしには、どうしてそんなことでプライドが傷つけられるのか理解できない。女性がセクシーさを武器にするのは悪いことではない。いや、そうして当然だと思う。

セクシーであることに関して、日本の女性たちの意識はかなり控えめで、欧米などの先進国の基準からすると大分遅れている。そこに問題がある。初体験の年齢が年々低くなっても、ミニスカートをはいた若い女性が街に増えつつあっても、女性たちの意識は未だに和服を着ていた時代とたいして変わっていないらしい。

ミニスカートの女性に険しい視線を送る年長の女性もいる。そうした社会だからこそ、「おしゃれではいているの」と言い訳しなければならないのかもしれない。

日本女性たちの性意識の歪みは、かなり根深いように思う。

それは、和服という伝統文化が象徴しているように、包み隠すことに対する美意識や倫理観が大きな理由となっているのではないだろうか。つまり、日本の文化は謙虚さや純潔さに代表される恥じらいの文化ともいえる。そういった意識は、日本人が長年培ってきたものだから、和服を着なくなっても簡単には変わるものではない。

恥じらいの文化は、肉体に対する考え方にも通じる。

長い間、日本女性は体を隠さなければいけないと教えられてきたために、自分の肉体を素直に受け入れられないという弊害が生れてしまった。その結果、女性たちの多くは、本音の部分では理想的なプロポーションを保ち多くの人に注目してもらいたいと思っているのに、その魅力的な肉体を素敵な洋服で飾り人目にさらすことに、心のどこかで罪悪感を感じてしまうのだろう。

だから、男の視線を充分に意識してミニスカートをはいていても、態度にはそれを出さないようにしてしまうのである。

また、女性が男のためにつくすのはおかしいというフェミニズムの思想から端を発し、女性は男のために何かしてはいけない、男たたいの視線を意識してセクシーさに磨きをかけるのは男に向けた女性の商品化だ、などという見当はずれの理屈を生んでしまった。

そんなふうに言われたら、ミニスカートを颯爽とはきこなしている女性たちの立場がない。

ここでは、女の敵は女、と言っておこう。

この文における《女性がセクシーさを武器にするのは悪いことではない》については、いまでは女子高生のなかにもはっきりと武器としてミニスカを着用している少女たちもいることだろう。

「女の敵は女」と出てきたところで、ふたたびソレルスの名著『女たち』から抜き出しておく。

女たちそれ自体について言えば、彼女たちは「モメントとしての女たち」の単なる予備軍である…わかった? だめ? 説明するのは確かに難しい…演出する方がいい…その動きをつかむには、確かに特殊な知覚が必要だ…審美的葉脈…自由の目… 彼女たちは自由を待っている…空港にいるとぼくにはそれがわかる…家族のうちに監禁された、堅くこわばった顔々…あるいは逆に、熱に浮かされたような目…彼女たちのせいで、ぼくたちは生のうちにある、つまり死の支配下におかれている。にもかかわらず、彼女たちなしでは、出口を見つけることは不可能だ。反男性の大キャンペーンってことなら、彼女たちは一丸となる。だが、それがひとり存在するやいなや…全員が彼女に敵対する…ひとりの女に対して女たちほど度し難い敵はいない…だがその女でさえ。次には列に戻っている…ひとりの女を妨害するために…今度は彼女の番だ…何と彼女たちは互いに監視し合っていることか! 互いにねたみ合って! 互いに探りを入れ合って! まんいち彼女たちのうちのひとりが、そこでいきなり予告もなしに女になるという気まぐれを抱いたりするような場合には…つまり? 際限のない無償性の、秘密の消点の、戻ることのなりこだま…悪魔のお通り! 地獄絵図だ! p254



2015年1月11日日曜日

美は<女>である

もしも小鳥に、彼が歌っていることを、なぜ彼が歌うのかを、また何が彼の中で歌うかを、正確に言うことができるとしたら、彼は歌わないはずだ。(ヴァレリー)

もし「美」とは何かを、われわれが正確に知ることができるとしたら、「美」に魅了されることはないだろう。

ところで<女>は美であろうか。いや、美は<女>であろうか。




女は存在しない。われわれはまさにこのことについて夢見るのです。女はシニフィアンの水準では見いだせないからこそ我々は女について幻想をし、女の絵を画き、賛美し、写真を取って複製し、その本質を探ろうとすることをやめないのです(ミレール“El Piropo”)

ひとは<男>など探し求めはいない。<男>というシニフィアンがあるからだ(ーーどの男も似たり寄ったりだわね……)。女たちでさえ、探し求めるのは<男>ではなく、<女>である。

プラトンは……、かくも美しい青年たちがアテナイにいないなら、プラトン哲学などまるでありえないだろう、彼らを眺めることこそ、哲学者の魂をエロス的な酩酊へとおとしいれ、その魂があらゆる崇高な事物の種子をかくも美しい地上界へと振り落してしまうまで、その魂に安息をあたえないものであると。これまた奇妙な聖者であることよ! --人は、プラトンを信用するとしてさえ、おのれの耳を信用しはしない。(……)何が結局プラトンのこの哲学的なエロスの術から生じたのであろうか? ギリシア的競闘の一つで新しい芸術形式、弁証法である。ーー私は、ショーペンハウアーに反抗し、プラトンの名誉のために、古典的フランスの全高級文化と文学もまた性的関心という地盤のうえに生い立ったということに注意をうながしておく。そこではいたるところで、色事、官能、性的競争、「女」を探しもとめてさしつかえなかった、--探しもとめてけっして徒労にはおわらないだろう・ ・ ・(ニーチェ『偶像の黄昏』原佑訳)

…………

目の前を美しいカップルが通り過ぎてゆくとする、そう、たとえば路上カフェで珈琲啜っている折に。すると男の観客の視線は女に釘付けになる。だが女の観客は、その男に惹きつけられる以上に、あのいい男をモノにした女を追う。

男がカフェに坐っている。そしてカップルが通り過ぎてゆくのを見る。彼はその女が魅力的であるのを見出し、女を見つめる。これは男性の欲望への関わりの典型的な例だろう。彼の関心は女の上にあり、彼女を「持ちたい」(所有したい)。同じ状況の女は、異なった態度をとる(Darian Leader(1996フロイト派の英国精神分析医:引用者)の観察によれば)。彼女は男に魅惑されているかもしれない。だがそれにもかかわらずその男とともにいる女を見るのにより多くの時間を費やす。なぜそうなのか? 女の欲望への関係は男とは異なる。単純に欲望の対象を所有したいという願望ではないのだ。そうではなく、通り過ぎていった女があの男に欲望にされたのはなぜなのかを知りたいのである。彼女の欲望への関係は、男の欲望のシニフィアンになることについてなのである。(”Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE ”Paul Verhaeghe 私訳)

ところで男の去勢不安、女のペニス羨望というフロイトのテーゼは正しいのだろうか。

フロイトの「男根至上主義」の標準的なフェミニストの批評に対して、Boothbyは、「ペニス羨望」という悪名高い概念のラカンのラディカルな再解釈を示している。「ラカンは、ペニス羨望は、最終的に、まさにペニスをもっている人びとによってもっとも深刻に感じられるのだということを理解させてくれる」との見解もあるだ。

Against the standard feminist critiques of Freud’s “phallocentrism,” Boothby makes clear Lacan’s radical reinterpretation of the notorious notion of “penis envy”: “Lacan enables us finally to understand that penis envy is most profoundly felt precisely by those who have a penis”(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")

 ここで引用されているBoothbyの文は、Richard Boothby, Freud as Philosopher, London: Routledge 2001からである。


Paul Verhaegheも同様に、ラカンから《男は十分に(想像的)ファルスをもっていないことを怖れ、女は十分に想像的ファルスでないことを怖れる》と読み取り、男性のペニス羨望、女性の去勢不安ーー欲望の対象でないことを怖れる、すなわち上に引用した文から抜き出せば《男の欲望のシニフィアンになる》のが女の欲望なのであり、、シニフィアンにならないことを怖れる=去勢不安という理解をしている。

(ラカンにとって)想像的去勢不安とは、〈大他者〉のファリックな欲望を満足させえないという不安を意味する。この不能により、この〈他者〉に無視されたり、さらには拒絶されたりする不安である。後者は二種類のジェンダーのヴァージョンに関係してくる。すなわち男は十分に(想像的)ファルスをもっていないことを怖れ、女は十分に想像的ファルスでないことを怖れる(ラカン 1956-57)。これは次の結果をもたらす。特徴ある男性的な“ギネスブック記録”ヒステリーへ、――より性的な意味に限定すれば、バイアグラへと。女性においては、われわれは“ミスワールド”ヒステリーに遭遇する、やがては形成外科手術の過剰を伴う。(私訳)

Imaginary castration anxiety involves an anxiety about being unable to satisfy the phallic desire of the Other and hence, being left or even rejected by this Other because of this inability. The latter receives two gender related versions : the man is afraid that he doesn't sufficiently have the (imaginary) phallus; the woman is afraid that she insufficiently is the imaginary phallus (Lacan, 1956-57). This leads to the characteristic masculine “ Guinness book of Records ” -hysteria, and –in a more restricted, sexual sense, to Viagra . In women , we encounter the “ Miss World ” -hysteria, eventually accompanied with excesses in plastic surgery. (“Sexuality in the Formation of the Subject”Paul Verhaeghe)

とすればここでもまたニーチェに戻ることになる、《男の幸福は、「われは欲する」である。女の幸福は、「かれは欲する」ということである》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳ーー「写真の本質の飼い馴らし、あるいは白痴が微笑む世界」より)。我は十分に欲することができていないのではないか(他の男に比較して)ーーこれが、男のペニス羨望であり、彼に十分欲せられないていないのではないか(男の欲望の対象に十分になっていないのではないか)のが、女の去勢不安である。

女性のペニス羨望と男性の去勢不安の典型的なジェンダーの特異的分布に注意を払ってみよう。私の見解では、それはまったく逆なのだ。ペニス羨望は、典型的な男性の心配事であり、他方、不安は女性の側に見出される。(参照:男の「ペニス羨望」と女の「(去勢)不安」

このあたりは女流精神分析家の第一人者コレット・ソレールも似たような見方をしており、フロイトの女のペニス羨望は、彼のヴィクトリア朝のモラルに囚われた「幻想」だったのではないかというものだ。




世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)




真理が女である、と仮定すれば-、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠洛されなかったのは確かなことだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』)

真理が女であるならば、美はもちろん女であるだろう。

ここでラカンのパクリを示しておこう。

真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。「我思う」にしても同様である。教授連中にとって「我思う」が簡単に通用するのは、彼らがそこにあまり詳しく立止まらないからにすぎない。(ラカン『同一化セミネール』)




シーレと荒木はともに"不在"による"存在"を可能にしている。ならば荒木の写真にもシーレと同じように、モデルと作者との間には「のっぴきならない」"関係"が存在するのではないか。(……)

荒木の写真に出てくる女性たちは、たいてい裸である。そのうえ大股を広げたり、尻を突き出したりして性器を露に見せることも少なくない。時にはまさに性交の最中に撮られたと思われる写真もある。写された女性たちの姿は、暴力的なポルノグラフィーの姿とほとんど変わりはない。にもかかわらず荒木の写真がポルノグラフィーではないのは、作者の存在があるからであった。(……)シーレの絵の中の女性も荒木の写真の中の女性も、彼女たちの視線を向けている方向をみると、自分の目の前に存在する作者のことしか考えていないように思われる。どんなに笑いかけていても、煽情的なポーズをとっていても、彼女たちの視線は「見る」ものの視線を飛び越えていく。モデルたちはカメラに振られていることに対しては充分に自覚的だが、その背後にある写真を見るであろう無数の視線には反応を示さない。自分にとって重要で、意味を成すのは目の前にいる写真家との関係だけだからだ。(「私的な視線によるエロティシズム : 荒木経惟の作品を中心とした写真に関する考察」秦野真衣


◆"Ich liebe dich" E. Grieg (Bibiana Nwobilo)



ああ、なんていい女なんだろ、--ところがこんな画像もあるのだな

Vorreiterin: Kärntens afro-österreichische Opernsängerin


人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくこともある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。それを再び見出すことはできない。

再び見出すことができるのは、絵のなかの女たちである。絵のなかでも、街のなかでと同じように、人は偶然に女たちに出会う。しかし絵のなかでは、外部で流れ去る時間が停まっている。10年前に出会った女の姿態は、今もそのまま変わらない、同じ町の、同じ美術館の、同じ部屋の壁の、同じ絵のなかで。

私はここで、想い出すままに、私が絵のなかで出会った女たちについて、語ろうとした。その眼や指先、その髪や胸や腰、その衣裳や姿勢……その一瞬の表情には、――それは歓びに輝いていたり、不安に怯えていたり、断乎として決意にみちていたり、悲しみにうちひしがれていたりするのだが、――私の知らない女の過去のすべてが凝縮され、当人にさえもわからない未来が影を落としている。私は場面を解釈し、環境を想像し、時代を考え、私が今までに知っていたことの幾分かをそこに見出し、今まで知らなかった何かをそこに発見する。現実の女が、必ず他の女たちに似ていて、しかも決して他のどんな女とも同じではないように。(加藤周一『絵のなかの女たち』「まえがき」)

《忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である》さ


◆"Gretchen am Spinnrade" Franz Schubert





《その眼や指先、その髪や胸や腰、その衣裳や姿勢……その一瞬の表情には、――それは歓びに輝いていたり、不安に怯えていたり、断乎として決意にみちていたり、悲しみにうちひしがれていたりする》……