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2015年2月28日土曜日

通俗作家 荷風

元々荷風といふ人は、凡そ文学者たるの内省をもたぬ人で、江戸前のたゞのいなせな老爺と同じく極めて幼稚に我のみ高しと信じわが趣味に非ざるものを低しと見る甚だ厭味な通人だ。彼は「東綺譚」に於て現代人を罵倒して自己の優越を争ふことを悪徳と見、人よりも先じて名を売り、富をつくらうとする努力を罵り、人を押しのけて我を通さうとする行ひを憎み呪つてゐるのである。(坂口安吾『通俗作家 荷風 ――『問はず語り』を中心として―― 」)


大久保余丁町での家族写真(右から末弟威三郎、次弟貞二郎、父久一郎、荷風、母恒)明治35年

荷風は生れながらにして生家の多少の名誉と小金を持つてゐた人であつた。そしてその彼の境遇が他によつて脅かされることを憎む心情が彼のモラルの最後のものを決定してをり、人間とは如何なるものか、人間は何を求め何を愛すか、さういふ誠実な思考に身をさゝげたことはない。それどころか、自分の境遇の外にも色々の境遇がありその境遇からの思考があつてそれが彼自らの境遇とその思考に対立してゐるといふ単純な事実に就てすらも考へてゐないのだ。(同上)

右より壮吉、恆、久一郎、威三郎、貞二郎
1902年〜1903年ころ、余丁町永井邸にて

私が荷風を根柢的に通俗と断じ文学者に非ずと言をなしたのは……筆を執る彼の態度の根本に「如何に生くべきか」が欠けてをり、媚態を画くに当つて人の子の宿命に身を以て嘆くことも身を以て溺れることも身を以てより良く生きんとすることもない。単なる戯作の筆と通俗な諦観のみではないか。(同上)

ーーというわけだが、なぜわたくしはそれでも荷風を愛するのだろう。ーーそんなことがわかるわけのものではない。「それ自身を知らない知」(ラカン)である。

だが「最も静かな時刻」には、「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはそれを語らない」( Du weisst es, Zarathustra, aber du redest es nicht! )。…………

断膓亭日記巻之二大正七戊午年 (荷風歳四十)

八月八日。筆持つに懶し。屋後の土蔵を掃除す。貴重なる家具什器は既に母上大方西大久保なる威三郎方へ運去られし後なれば、残りたるはがらくた道具のみならむと日頃思ひゐたしに、此日土蔵の床の揚板をはがし見るに、床下の殊更に奥深き片隅に炭俵屑籠などに包みたるものあまたあり。開き見れば先考の徃年上海より携へ帰られし陶器文房具の類なり。之に依つて窃に思見れば、母上は先人遺愛の物器を余に与ることを快しとせず、この床下に隠し置かれしものなるべし。果して然らば余は最早やこの旧宅を守るべき必要もなし。再び築地か浅草か、いづこにてもよし、親類縁者の人〻に顔を見られぬ陋巷に引移るにしかず。嗚呼余は幾たびか此の旧宅をわが終焉の地と思定めしかど、遂に長く留まること能はず。悲しむべきことなり。

…………

大正八年十一月十五日。威三郎不在と聞き、西大久保に赴き慈顔を拝す。鷲津牧師も亦来る。始て一家団欒の楽を得たり。

大正十二年九月四日。曶爽家を出で青山権田原を過ぎ西大久保に母上を訪ふ。近巷平安無事常日の如し。下谷鷲津氏の一家上野博覧会自治館跡の建物に避難すと聞き、徒歩して上野公 園に赴き、処ゝ尋歩みしが見当らず、空しく大久保に戻りし時は夜も九時過ぎなり。疲労して一宿す。この日初めて威三郎の妻を見る。威三郎とは大正三年以 後義絶の間柄なれば、其妻子と言語を交る事は予の甚快しとなさゞる所なれど、非常の際なれば已む事を得ざりしなり。


(左より荷風(壮吉)次弟貞二郎、母恒、外祖母鷲津美代右 永井恒 42歳の時の写真)

昭和十二年 荷風散人年五十九

三月十八日。くもりにて風寒し。土州橋に往き木場より石場を歩み銀座に飯す。家に帰るに郁太郎より手紙にて、大久保の母上重病の由報ず。母上方には威三郎の家族同居なるを以て見舞にゆくことを欲せず。万一の事ありても余は顔を出さざる決心なり。これは今日俄に決心したるにはあらず、大正七年の暮余丁町の旧邸を引払ひ築地の陋巷に移りし際、既に夙く覚悟せしことなり。余は余丁町の来青閣を去る時その日を以て母上の忌日と思ひなせしなり。郁太郎方への二十年むかしの事を書送りてもせんなきことなれば返書も出さず。当時威三郎の取りし態度のいかなるかを知るもの今は唯酒井晴次一人のみなるべし。酒井も久しく消息なければ生死のほども定かならず。
四月三十日。くもりて南風つよし。午後村瀬綾次郎来りて母上の病すゝみたる由を告ぐ。されど余は威三郎が家のしきみを跨ぐことを願はざれ ば、出でゝ浅草を歩み、日の暮るゝをまち銀座に飯し富士地下室に憩ふ。いつもの諸氏の来るに会ふ。是日平井程一氏{佐藤春夫門人}書を寄す。拙作『濹東』 についての批評なり。

    余と威三郎との関係

一 威三郎は余の思想及文学観につきて苛酷なる批評的態度を取れるものなり。

一 彼は余が新橋の芸妓を妻となせる事につき同じ家に住居することを欲せず、母上を説き家屋改築の表向の理由となし、旧邸を取壊したり。余が大正三年秋余丁町邸内の小家に移りしはこれがためなり。邸内には新に垣をつくり門を別々になしたり。

一 余は妓を家に入れたることを其当時にてもよき事とは決して思ひ居らざりき。唯多年の情交俄に縁を切るに忍びず、且はまた当時余が奉職せし慶応義塾の人々も悉く之を黙認しゐたれば、母上とも熟議の上公然妓を妻となすに至りしなり。

一 彼は大正五年某月余の戸籍面より其名を取り去りて別に一家の戸籍をつくりたり。これによりて民法上兄弟の関係を断ちたるなり。

一 彼は結婚をなせし時其事を余に報知せず。(当時余は築地に住居せり)故に余は今日に至りても彼が妻の姓名其他について知るところなし。

一 余が家の書生たりしもの{先考の学僕なり}の中、小川守雄米谷喜一の二人は母上方へ来訪の際、庭にて余の顔を見ながら挨拶をなさゞりことあり。是二人は平生威三郎と共に郊外遠足などなし居りし者なり。

一 地震{大正十二年}の際、余母上方へ御機嫌伺に上りし時、威三郎の子供二人余に向ひて「早く帰れ早く帰れ」と連呼したり。子供は頑是なきものなり。平生威三郎等が余の事をあしざまに言ひ居るが故に子供は憚るところなく、此の如き暴言を放ちて恐れざるなり。

一 以上の理由により、余は母上の臨終及葬式にも威三郎方へは赴くことを欲せざるなり{威三郎一家は母上の隠居所に同居なせるを以てなり}
九月九日。 晡下雷鳴り雨来る。酒井晴次来り母上昨夕六時こと切れたまひし由を告ぐ。酒井は余と威三郎との関係を知るものなれば唯事の次第を報告に来りしのみなり。葬式は余を除き威三郎一家にて之を執行すと云ふ。共に出でゝ銀座食堂に夕飯を食す。尾張町角にて酒井と別れ、不二地下室にて空庵小田某他の諸氏に会ふ。雨やみて涼味襲ふがごとし。

〔以下欄外朱書〕母堂鷲津氏名は恒文久元年辛酉九月四日江戸下谷御徒町に生る儒毅堂先生の二女なり明治十年七月十日毅堂門人永井久一郎に嫁す一女三男を産む昭和十二年九月八日夕東京西大久保の家に逝く雜司谷墓地永井氏塋域に葬す享寿七十六。追悼。泣きあかす夜は来にけり秋の雨。秋風は今年は母を奪ひけり。

《日記も、読まれることを予想して書かれることがしばしばある。永井荷風の『断腸亭日乗』やジッドの『日記』は明らかにそうであろう。精神医学史家エランベルジェは、日記を熱心に書きつづける人には独立した「日記人格」が生まれてくると言っている。日記をつける人も読む人も、このことは念頭に置くほうがよいだろう。》(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」『日時計の影』所収ーー
大雨沛然たり」より)


(おそらく続く、だがおそらくであり、またいつのことやらわからない)


ここではかわりに安吾の志賀直哉、夏目漱石罵倒文を掲げておく。

志賀直哉の一生には、生死を賭したアガキや脱出などはない。彼の小説はひとつの我慾を構成して示したものだが、この我慾には哲学がない。彼の文章には、神だの哲学者の名前だのたくさん現われてくるけれども、彼の思惟の根柢に、たゞの一個の人間たる自覚は完全に欠けており、たゞの一個の人間でなしに、志賀直哉であるにすぎなかった。だから神も哲学も、言葉を弄ぶだけであった。

夏目漱石も、その博識にも拘らず、その思惟の根は、わが周囲を肯定し、それを合理化して安定をもとめる以上に深まることが出来なかった。然し、ともかく漱石には、小さな悲しいものながら、脱出の希いはあった。彼の最後の作「明暗」には、悲しい祈りが溢れている。志賀直哉には、一身をかけたかゝる祈りは翳すらもない。(坂口安吾「志賀直哉に文学の問題はない 」)
夏目漱石といふ人は、彼のあらゆる知と理を傾けて、かういふ家庭の陰鬱さを合理化しようと不思議な努力をした人で、そして彼はたゞ一つ、その本来の不合理を疑ることを忘れてゐた。つまり彼は人間を忘れてゐたのである。かゆい所に手がとゞくとは漱石の知と理のことで、よくもまアこんなことまで一々気がつくものだと思ふばかり、家庭の封建的習性といふものゝあらゆる枝葉末節のつながりへ万べんなく思惟がのびて行く。だが習性の中にも在る筈の肉体などは一顧も与へられてをらず、何よりも、本来の人間の自由な本姿が不問に附されてゐるのである。人間本来の欲求などは始めから彼の文学の問題ではなかつた。彼の作中人物は学生時代のつまらぬことに自責して、二三十年後になつて自殺する。奇想天外なことをやる。そのくせ彼の大概の小説の人物は家庭的習性といふものにギリ/\のところまで追ひつめられてゐるけれども、離婚しようといふ実質的な生活の生長について考へを起した者すらないのである。彼の知と理は奇妙な習性の中で合理化といふ遊戯にふけつてゐるだけで、真実の人間、自我の探求といふものは行はれてゐない。自殺などといふものは悔恨の手段としてはナンセンスで、三文の値打もないものだ。より良く生きぬくために現実の習性的道徳からふみ外れる方が遥かに誠実なものであるのに、彼は自殺といふ不誠実なものを誠意あるものと思ひ、離婚といふ誠意ある行為を不誠実と思ひ、このナンセンスな錯覚を全然疑ることがなかつた。そして悩んで禅の門を叩く。別に悟りらしいものもないので、そんなら仕方がないと諦める。物それ自体の実質に就てギリ/\のところまで突きとめはせず、宗教の方へでかけて、そつちに悟りがないといふので、物それ自体の方も諦めるのである。かういふ馬鹿げたことが悩む人間の誠実な態度だと考へて疑ることがないのである。日本一般の生活態度が元来かういふフザけたもので、漱石はたゞその中で衒学的な形ばかりの知と理を働かせてかゆいところを掻いてみたゞけで、自我の誠実な追求はなかつた。(坂口安吾「デカダン文学論」)


2015年2月26日木曜日

享楽とシニフィアン(ジュパンチッチ=ラカン)

《楽しみを強制するものはない。超自我を除いて。超自我は享楽の命令である。「楽しめ!」》(ラカン『セミネールⅩⅩ アンコール』)

享楽(jouissanceは英語のenjoymentにあたるが、ラカンの英訳者たちはしばしば、その過剰でまさしく外傷的な性格を伝えるために、フランス語のままにしている。享楽はたんなる快楽ではなく、快感よりもむしろ痛みをもたらす暴力的な闖入である。われわれはふつうフロイトのいう超自我をそのようなものとして捉えている。われわれに無理な要求を次々に突きつけ、われわれがその要求に応えられないでいるのを大喜びで眺めている、残酷でサディスティックな倫理的審級として。だからラカンが享楽と超自我の間に等号をおいたのは不思議ではない。楽しむというのは、自分の自発的傾向に従うことではなく、むしろ気味の悪い、歪んだ倫理的義務としておこなうものである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳 p.138

上にあるように、enjoymentとはjouissanceのことである。ここでさらにジジェクの最近の書(2012)から英文のまま抜き出してみよう。

Here Lacan's key distinction between pleasure (Lust, plaisir) and enjoyment (Geniessen, jouissance) comes into play: what is “beyond the pleasure principle” is enjoyment itself, the drive as such. The basic paradox of jouissance is that it is both impossible and unavoidable: it is never fully achieved, always missed, but, simultaneously, we never can get rid of it—every renunciation of enjoyment generates an enjoyment in renunciation, every obstacle to desire generates a desire for an obstacle, and so on. This reversal provides the minimal definition of surplus‐enjoyment: it involves a paradoxical “pleasure in pain.” That is to say, when Lacan uses the term plus‐de‐jouir, one has to ask another naïve but crucial question: in what does this surplus consist? Is it merely a qualitative increase of ordinary pleasure? The ambiguity of the French expression is decisive here: it can mean “surplus of enjoyment” as well as “no enjoyment”—the surplus of enjoyment over mere pleasure is generated by the presence of the very opposite of pleasure, namely pain(ZIZEK,LESS THAN NOTHING)

”jouissance(享楽)”とは、ジジェクによればかくの如きものであるが、さて巷間でも「享楽」という語は、ラカン派(らしき)論者などによってしばしば使われる。“原子力の享楽”(斎藤環)とか”在特会の享楽”と翻訳できる主張やら、朝鮮人による享楽の搾取妄想などと。

猫飛ニャン助 @suga94491396

現代のレイシズムを享楽する(と想定された)他者のスケープゴート化と見なすミレール/ジジェクの分析は妥当と思うが、それに精神分析は対応できないというのも、そのとおり。処方あっても、「健全なナショナリズム」=「衣食足りて礼節を知る」を出まい。衣食足りずして礼節を知ることは可能か。(スガ秀美

この絓秀実氏によるツイートは、若き「優れた」ラカン派研究者である松本卓也氏の論文への反応のはずである。もしラカン派が日本で生き残るなら、松本氏の双肩にかかっていると思われるぐらいに彼は「優れて」いると思う。とはいえ、なぜ、わたくしは鉤括弧つきで二度も「優れた」と書くのであろうか・ ・ ・だがここではその話題ではない。

いずれにせよ「享楽」概念の捕捉は、一筋縄ではいかない。ラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールなどは、ラカンの思想的変遷の文脈で「六つの享楽」を区別しているぐらいだ(参照:Paradigms Of Jouissance)。

以下は、ミレール曰くの五番目の享楽(セミネールⅩⅠ)と六番目の享楽(セミネールⅩⅩ)のあいだのセミネールⅩⅦをめぐる”WhenSurplus Enjoyment Meets Surplus Value"(Alenka Zupancic)PDFからである。

とはいえ、ジュパンチッチの論は、冒頭に上に掲げたミレールの享楽論を引用しており、そこには次のようにある。

Lacan's theory of discourses (or social bonds) is among other things a monumental and in many respects a groundbreaking answer to the question of the relationship between signifier and enjoyment. This point has already been made by Jacques-Alain Miller: before The Other Side of Psychoanalysis, Lacan's conceptual elaborations were based on a fundamental antinomy between signifier and enjoyment.Jacques-Alain Miller, Cf. "Paradigms of Jouissance" Lacanian Ink 17 (2,000):

この箇所は、上に掲げた英抄訳には記述されておらず、セミネールⅩⅦ(The Other Side of Psychoanalysis)の段階で、ラカンは画期的な移動をしたということになるらしい(ミレールの見解では)。とすれば、セミネールⅩⅩに現れた六番目の享楽の前段階としてセミネールⅩⅦには第5+1/2の享楽があるとすることができるのか、あるいはセミネールⅩⅩに現れた享楽はすでに、その痕跡としてセミネールⅩⅦにあるとするのかということになる(わたくしの臆断では後者であるが)。

だが、このあたりはシロウトの身としてあまりなにやら言わないでおくことにする。ミレールの弟子筋、《わたしは1986-88年に Paris VIII に留学し,Jacques-Alain Miller に直に Lacan 読解のしかたを学びました》とツイートする小笠原晋也氏などは、また次ぎのようなツイートもしているのだから。

Jacques-Alain Miller の jouissance の概念の理解も間違っています.彼は jouissance = réel と常々言っていますが,違います.

だがこれは上にリンクしたミレールの享楽論を読めば「寝言」というべきものだろう。浅田彰にとって、少なくともある時期まで(参照:ラカンの S(Ⱥ)をめぐって)、日本のラカン派で最も評価の高い小笠原晋也氏でさえも、このような寝言を言うのが「ラカン派」というものである。

ラカンの八つの論文 をできるだけ論理的に解読してみせた『ジャック・ラカンの書』(金剛出版、 1989年)を出版したときは、日本でもやっとまともなラカン派の書物が出たという印象をもったものだ。 その内容は古びておらず、つい最近も、ラカンを読みたいという学生に、 参考書のひとつとし薦したくらいである。

さてジュパンチッチの論は、もともとラカンの四つの言説をめぐっている。もともと英訳のセミネールⅩⅦ版(2006)に貼付された書き物のようであり、 Jacques-Alain Miller, Paul Verhaeghe,Russell Grigg, Ellie Ragland,Dominiek Hoens, Slavoj Zizek,Mladen Dolar, Alenka Zupancic,Oliver Feltham, Juliet Flower MacCannell,Dominique Hecq, Eric Laurent,Marie-Helene Brousse, Pierre-Gilles Gueguen, Geoff Boucher,Matthew Sharpeなどという錚々たるメンバーの論のなかのひとつであるーー錚々とはいいつつ、わたくしには見知らぬ名が二つ三つはあるのだが、概ねlacan.comなどで馴れ親しんだ名ではあるとしておこう。

というわけで、ジュパンチッチの論のその冒頭近くの箇所を仮に訳したが、わたくしにはやや手強い文章なのでーーたとえばenjoymentとjouissanceが混在しているーー、原文を中心に読んでいただくことを願う。

…………

But first—how does Lacan, in Seminar XVII, succeed in conceptually linking enjoyment with the signifier? Via the following suggestion which he repeats, in different forms, all through the seminar: the loss of the object, the loss of satisfaction, and the emergence of a surplus satisfaction or surplus enjoyment are situated, topologically speaking, in one and the same point: in the intervention of the signifier.

しかしまずーーセミネールXVIIにてラカンはいかにして、享楽enjoymentとシニフィアンsignifierを概念的にリンクさせ得たのであろうか? 彼が、異なった形で、このセミネールのすべてを通してくり返す示唆に従えば、次の如くである。対象の喪失、満足satisfactionの喪失、そして剰余満足surplus satisfactionあるいは剰余享楽surplus enjoymentの出現は、トポロジカルに言えば、ひとつであり同じ点に位置している、それはシニフィアンの介入interventionの場である、と。
Lacan develops this in reference to the notion that Freud introduces in his essay on Group Psychology, that is to say, in the work that constitutes precisely an inaugural attempt by Freudian psychoanalysis to think some essential aspects of the social (and the political). The notion at stake is that of the "unary trait" (einziger Zug) with which Freud points out a peculiar characteristics of (symbolic) identification. The latter is very different from imaginary imitation of different aspects of the person with which one identifies: in it, the unary trait itself takes over the whole dimension of identification.

ラカンはこれをフロイトが集団心理学のエッセイにて導入した概念に依拠して展開する。すなわち、フロイトの精神分析学が、社会的なもの(そして政治的なもの)の、或る本質的な側面を考える口開けの試みとして、まさに構成されるフロイトの仕事である。賭けられている概念は、「たったひとつの特徴」"unary trait" (einziger Zug) である。そのeinziger Zugにて、フロイトはある風変わりな(象徴的)同一化の特性を指摘する。この同一化は、想像的模倣とはまったく異なったものであり、その想像的模倣とは、他の人々の異なった側面と同一化するものである(想像的同一化:引用者)。象徴的同一化においては、「たったひとつの特徴unary trait」それ自体がすべての同一化の局面を引き受ける。
For example, the person with whom we identify has a peculiar way of pronouncing the letter r, and we start to pronounce it in the same way. That's all: there need be no other attempts to behave, dress like this other person, do what she does. Freud himself provides several interesting examples of this kind of identification—for instance, taking up a characteristic cough of another person. Or there is the famous example from a girl's boarding school: one of the girls gets a letter from her secret lover which upsets her and fills her with jealousy, which then takes the form of an hysterical attack. Following this, several other girls in the boarding school succumb to the same hysterical attack: they have known about her secret liaison, envied her her love, and wanted to be like her. Yet, the identification with her took this extraordinary form of identifying with the trait that emerged, in the girl in question, at the moment of the crisis in her relationship.

例えば、われわれが同一化する人物は、文字“r”を発音する風変わりな仕方があり、そしてわれわれはそれを同じような仕方で発音し始める。それがすべてである。他の振舞いを試みること、すなわち、この人物のように服を着る、彼女がすることをするなどは、必要がない。フロイト自身、この類の同一化のいくつかの興味深い例を提供している。例えば、他の人物の特有な咳の仕方を模倣する。あるいは少女の寄宿舎の名高い例がある。少女たちの一人が彼女の秘密の恋人から手紙を受け取った。その手紙は彼女を動顛させ嫉妬心で満たした。それはヒステリーの発作の形を取った。引き続いて、同じ寄宿舎の何人かの別の少女たちは同じヒステリーの発作に襲われる。彼女らは彼女の密通を知っており、彼女の愛を羨んでいた。そして彼女のようになりたい、と。とはいえ、この彼女との同一化は、奇妙な形をとっており、すなわち、問題の少女において、彼女の密かな恋の危機の瞬間に現われた特徴に同一化する形である。
This example is indeed most instructive. It circumscribes two essential points that Lacan takes up in relation to this Freudian notion. First, although the unary trait can be absolutely arbitrary, its significance for the subject that "picks it up" as the point of identification is of course not arbitrary at all. The uniqueness of the trait springs from the fact that it marks the relation of the subject to satisfaction or enjoyment, that is to say, it marks the point (or the trace) of their conjunction.

この例は実に最も得るところが大きい。というのは、ラカンがこのフロイトの概念にかんして取り上げた二つの本質的な点が外接しているからだ。第一に、たったひとつの特徴unary traitは、まったく気まぐれなものである。もちろん、同一化の点において“その特徴を取り上げる”主体にとっての意義は、まったく気まぐれなものではない。この特徴の類なさとは、次の事実から湧き出ている。それは、主体の満足あるいは享楽enjoymentへの関係性を徴づけるのだ。すなわち、彼女らの結合の点(あるいは痕跡)を徴づけるのである。
This is quite apparent in the boarding school example. Something else is also obvious in this example: the hysterical attack of the first girl is the trait (in this case, already a symptom) that commemorates her love affair at the precise point where there is an imminent danger of the girl losing the (beloved) object; hence her jealousy. This is the second important point of emphasis that Lacan picks up from Freud, and which concerns the link between loss, the unary trait, and a supplementary satisfaction. According to Freud, in the event of the loss of the object the investment is transferred to the unary trait that marks this loss; the identification with a unary trait thus occupies the (structural) place of the lost object. Yet, at the same time, this identification (and with it the repeating and reenacting of that trait) becomes itself the source of a supplementary satisfaction.

これは寄宿舎の例において並はずれて明瞭である。この例においては何か別のものがまた明らかになっている。最初の少女のヒステリーの発作は、“特徴trait”である(この事例では、すでに症状だが)。この特徴が彼女の情事を想起させる。想起させるのは、少女が愛する対象を喪う切迫した危機にあるまさにその瞬間において、である。すなわち嫉妬によって、ということだ。これは、ラカンがフロイトから取り上げて強調した二番目の重要なポイントである。そして、それは喪失、たった一つの特徴unary trait、そして埋め合わされた満足supplementary satisfactionのあいだの連携にかかわる。フロイトによれば、対象の喪失の出来事において、注ぎ込みinvestmentは、この喪失に徴づけられた「たった一つの特徴」に移転される。このたった一つの特徴との同一化は、このようにして、喪われた対象の(構造的な)場所を占める。とはいえ、同時に、この同一化(それとともに、その特徴の反復と再演)がそれ自体、埋め合わされた満足となる。
Lacan transposes this into his conceptual framework by interpreting the unary trait as "the simplest form of mark, which properly speaking is the origin of the signifier" (52). He links the Freudian unary trait to what he writes as S1. Furthermore, he delinearizes and condenses the moments of loss and supplementary satisfaction or enjoyment into one single moment, moving away from the notion of an original loss (of an object), to a notion of loss which is closer to the notion of waste, of a useless surplus or remainder, which is inherent in and essential to jouissance as such. This thinking of loss in terms of "waste" is also what leads him to introduce the reference to the thermodynamic concept of entropy, to which we return below.

ラカンはこれを彼の概念的な骨組みframeworkに転置する。それはたった一つの特徴unary traitを次のように解釈することによってである。《徴の最もシンプルな形、それは正しく言うならば、シニフィアンの起源である》(S.17)。ラカンは、フロイトのたった一つの特徴を、彼がS1として書くものと繋げている。さらに、彼は、喪失の瞬間と埋め合わされた満足あるいは享楽enjoymentをある唯一の瞬間に、非線形化delinearizeし濃縮condenseする。原初の喪失(対象の)の概念から逃れ去り、喪失の概念は、残滓wasteの概念、無用の剰余あるいは残存物remainderの概念に、より近づく。それが、享楽jouissanceそれ自体に固有であり本質的なものなのである。喪失を“残滓waste”の用語にて捉えようとするこの考え方は、ラカンをエントロピーという熱力学の概念への言及に導く。それについては後述する。
So, jouissance is waste (or loss); it incarnates the very entropy produced by the working of the apparatus of the signifiers. However, precisely as waste, this loss is not simply a lack, an absence, something missing. It is very much there (as waste always is), something to be added to the signifying operations and equations, and to be reckoned with as such. In Seminar XX, Lacan will sum up this status of enjoyment as loss-waste by the following canonical definition: "jouissance is what serves no purpose [La jouissance, c'est ce qui ne serf a rien]"

こういうわけで、享楽とは残滓(あるいは喪失)である。それは、シニフィアンの装置の働きによって生れた、まさにエントロピーに化身するincarnate。しかしながら、残滓について精密さを期すなら、この喪失は、単純には、欠如、不在、何かが欠けていることではない。それはまさにそこにあるもの(残滓はつねにあるものとして)であり、何かがシニフィアンの働きと均等化につけ加えられ、それ自体として認知されるのだ。セミネールⅩⅩにて、ラカンはこの喪失-残滓の地位statusを要約している。次の正典的な定義によってである、《享楽はなんの用途にも奉仕しない[La jouissance, c'est ce qui ne serf a rien]と。
This is precisely what distinguishes waste from lack: something is there, yet it serves no purpose. What it does, on the other hand, is necessitate repetition, the repetition of the very signifier to which this waste is attached in the form of an essential by-product. "Jouissance is what necessitates repetition," says Lacan, and he goes on to show how it is precisely on account of this that jouissance goes against life, beyond the pleasure principle, and takes the form of what Freud called the death drive. This is indeed a very significant shift in Lacan's conceptualization of jouissance.

これはまさに欠如から残滓を区別するものである。なにかがそこにある。しかしそれは何の用途にもなさない。他方で、それがすることは、余儀ない反復である。この残滓が本質的に副産物の形ではりついたそのまさにシニフィアンの反復である。《享楽は反復を余儀なくさせるものである》とラカンは言う。そして続けて示すのは、いかにして、まさにこの理由で、享楽は生に反するのか、快原則を超えたものなのか、フロイトが死の欲動と呼んだものの形を取るのか、ということである。これは、ラカンの享楽の概念化において、実に意義深い移動shiftである。
There is an immediate link between signifier and jouissance: it is by means of the repetition of a certain signifier that we have access to jouissance, and not by means of going beyond the signifier and the symbolic, by transgressing the laws and the boundaries of the signifier. Lacan makes a point of stressing several times that "we are not dealing with a transgression" (56). Let me quote the most significant passage:

ここにはシニフィアンと享楽jouissanceのあいだにじかのリンクがある。あるシニフィアンの反復によって、われわれは享楽jouissanceにアクセスする。そして、それはシニフィアンと象徴界を超えることによってではないのだ。かつまた法を逸脱したりシニフィアンの境界線を超えることによってではないのである。ラカンはなんどもこの点を強調している、《われわれは逸脱を扱っているのではない》。最も重要なパッセージを引用しよう。
[Enjoyment] only comes into play by chance, an initial contingency, an accident. The living being that turns over normally purrs along with pleasure. If jouissance is unusual, and if it is ratified by having the sanction of the unary trait and repetition, which henceforth institutes it as a mark—if this happens, it can only originate in a very minor variation in the sense of jouissance. These variations, after all, will never be extreme, not even in the practices I raised before [masochism and sadism],

〔享楽は〕ただ、偶然によって、皮切りの偶発性によって、事故によって、これらによってのみ動き始める。生きている存在はひっくりかえる、それは通常は快楽pleasureにごろごとと喉を鳴らしているのだが。もし享楽が普通でないものであり、そして、たった一つの特徴unary trait“とその反復の拘束によって裁可されるなら、――すなわち徴としての“たった一つの特徴”を実施することによってーーもしこれが起こるのなら、それは、享楽の意味におけるひどく些細なヴァリエーションにただ起源を持つのみである。これらのヴァリエーションは、結局のところ、けっして異常なものではない。私が以前掲げたマゾヒズムやサディズムの実践においてさえ、そうでない。(S.17)
So, what do we have here? First an accident, an initial contingency in which a subject encounters a surplus pleasure, that is to say jouissance; this encounter might be unusual in respect to the pleasure principle as norm, yet this does not mean that it is in any way spectacular or colossal. It is unusual, since it represents a deviation from the usual path of pleasure in the direction of jouissance, yet this deviation or divergence is never extreme, not even in what seem to be the most extravagant practices of enjoyment. It is bound to the repetition of the signifier that institutes it as a mark, and in this sense it always remains within the realm of the signifier. The status of jouissance (and of the death drive) is thus essentially that of something intersignifying, so to speak: it takes place, or gives body to, a gap or deviation that is internal to the field of signifies.

というわけだが、われわれはここになにを見るだろう? まず事故、皮切りの偶発性があり、そこで主体は剰余快楽surplus pleasureに遭遇する。すなわち享楽jouissanceである。この遭遇は、規範としての快原則の観点からは、一風変わったものかもしれない。しかしそれは次ぎのことを意味しない。どんな形であれ、奇観であったり桁外れのもの、それを意味しない。それは一風変わっているというのは、快楽の普通の道のりからの脱線を表しているからだ。とはいえこの脱線や逸脱はけっして異常なものではない。最も法外な享楽enjoymentの実践のようにみえるものにおいてさえそうではない。それはシニフィアンの反復に拘束されているのであり、その反復は徴として実行されている。そしてこの意味で、それはシニフィアンの領野の内部につねに留まっている。享楽の(そして死の欲動の)地位は、このようなわけで、言わば、本質的にシニフィアンの相互作用intersignifyingのなにかの場所にある。それは、シニフィアンの領野に内的な裂け目あるいは逸脱として発生し、あるいは体現する。
One could say that for the Lacan of Seminar XVII jouissance is nothing but the inadequacy of the signifier to itself, that is to say, its inability to function "purely," without producing a useless surplus. More precisely, this inadequacy of the signifier to itself has two names, appears in two different entities, so to speak, which are precisely the two nonsignifying elements in Lacan's schemas of the discourses: the subject and the objet a. To put it simply: the subject is the gap as negative magnitude or negative number, in the precise sense in which the Lacanian definition of the signifier puts it. Instead of being something that represents an object for the subject, a signifier is what represents the subject for another signifier. That is to say that subject is the inner gap of the signifier, that which sustains its referential movement. The objet a, on the other hand, is a positive waste that gets produced in this movement and that Lacan calls the surplus enjoyment, making it clear that there is no other enjoyment but surplus enjoyment, that is to say that enjoyment as such essentially appears as entropy.

人は言うことができる、セミネールⅩⅦのラカンにとって、享楽とはシニフィアンのそれ自身に対する不十分性inadequacyにあると。すなわち、無用な剰余を生み出すことなしに、“純粋に”機能することの不可能性inabilityであると。より正確に言うなら、シニフィアンのそれ自身に対するこの不十分性とは、二つの名を持っている。言わば、二つの異なった実体entitiesにおいて現われるのだ。それはラカンのディスクール理論のシューマにおける二つの非シニフィアン化要素nonsignifying elementsである。すなわち主体と対象aである。シンプルに言おう。主体は、ネガティヴなマグニチュード、あるいはネガティヴな数としての裂け目である。それが、ラカンによるシニフィアンの定義におけるまさに正確な意味である。シニフィアンとは、主体に代わって対象を代表象する何かではなく、他のシニフィアンに代わって主体を代表象するものである。すなわち主体とはシニフィアンの内的な裂け目なのである。そしてそれがその参照の動きreferential movementを支えているのだ。他方、対象aは、この動きによってもたらされたポジティヴな残滓である。そしてそれがラカンが剰余享楽surplus enjoymentと呼んだものである。剰余享楽surplus enjoymentのほかには享楽enjoymentはない。すなわち享楽はそれ自体として本質的にエントロピーとして現われる。


途中、フロイトの『集団心理学と自我の分析』における「寄宿舎」の話が出てくる。その箇所の引用は、「三種類の同一化(コレット・ソレール)」の末尾にある。


…………

※附記

さて、途中に小笠原晋也氏の発言を「寝言」と書いてしまったが、氏はその独自の解釈の仕方の出処を説明している。このあたりの正否は諸家のあいだでおかませすることにするが、シツレイなことを書いてしまったので、ここでその説明箇所を附記しておくことにする。結局、セミネールⅩⅦの解釈の仕方によるものである。

小笠原晋也氏による以下の文以降の箇所。

le signifiant, c'est la jouissance, et le phallus n'en est que le signifié.「徴示素は悦であり,ファロスはその被徴示にほかならない.」

したがって,Lacan が jouissance と言うとき,必ずではないとしても,多くの場合,それは症状の剰余悦のことであり,したがって,signifiant a で形式化されます.

ーー小笠原氏の訳語「徴示素」はシニフィアン、「被徴示」はシニフィエである。そして「剰余悦」とは剰余享楽のこと。

そして上に訳出したジュパンチッチの次ぎの文以降の叙述。

シニフィアンと享楽jouissanceのあいだにじかのリンクがある。あるシニフィアンの反復によって、われわれは享楽jouissanceにアクセスする。そして、それはシニフィアンと象徴界を超えることによってではないのだ。かつまた法を逸脱したりシニフィアンの境界線を超えることによってではないのである。ラカンはなんどもこの点を強調している、《われわれは逸脱を扱っているのではない》。

おそらくこのあたりに、ひとつの分岐点があるのではないか。

ラカンが剰余享楽surplus enjoymentと呼んだもの……。剰余享楽surplus enjoymentのほかには享楽enjoymentはない。すなわち享楽はそれ自体として本質的にエントロピーとして現われる。(ジュパンチッチ)

【小笠原晋也ツイッターセミネールより】

Bonjour, mes amis ! 今,我々が多かれ少なかれ Lacan を読解することができるようになったとすれば,それは Jacques-Alain Miller のおかげです.それは,彼が Séminaire を編纂しているからだけではありません.

Jacques-Alain Miller 以前には Lacan の教えをその全体において把握し得た者はいませんでした.わたしは1986-88年に Paris VIII に留学し,Jacques-Alain Miller に直に Lacan 読解のしかたを学びました.

わたしだけでなく,世界中の lacaniens が Jacques-Alain Miller に恩義を感じている,と言ってもおおげさではありません.わたしがしていることは,Jacques-Alain Miller による Lacan 読解の模倣にすぎません.

わたしの作業は,Jacques-Alain Miller の Lacan 読解作業の延長線上に位置しています.しかし,Jacques-Alain Miller も,人間ですから,無謬ではあり得ません.彼の Séminaire のテクスト確立作業に対して批判があるのは事実です.

Jacques-Alain Miller も,これは Miller 版の Lacan だ,と公言しています.それだけではありません.一部の概念の解釈に関して,Jacques-Alain Miller の言っていることは misleading です.

実際,わたしは,Jacques-Alain Miller の解釈に基づいて Lacan を読み解こうとして幾つかの障碍を経験してきました.それらの障碍を克服するためには,改めて Lacan のテクストを読み込まなくてはなりませんでした.

加えて,Heidegger と神学を経由することが大いに手助けになりました.Jacques-Alain Miller の解釈のうちわたしが今は誤りだと思っているものを幾つか挙げてみましょう.

ひとつは,un signifiant représente le sujet pour un autre signifiant 「ひとつの徴示素は,主体を,もうひとつのほかの徴示素に対して代表する」という命題の解釈です.

Jacques-Alain Miller はこの命題を常に,支配者の言説の構造を表言するものと教えています:「S1 が $ を S2 に対して代表する」.第二に,欲望 désir は,欲望のグラフにおけるイタリック体で記された d として,imaginaire なものである.

第三に,jouissance = réel. 悦 = 実在.この解釈に準拠しつつ,Jacques-Alain Miller はしばしば,A / J barré という学素を黒板に書いていました.A は,徴示素の場処としての他 A です.J は jouissance です.

三番目のものから検討すると,1971-72年の Séminaire ...Ou pire で Lacan はこう言っています: le signifiant, c'est la jouissance, et le phallus n'en est que le signifié.

「徴示素は悦であり,ファロスはその被徴示にほかならない.」この命題は,我々の学素 a / φ barré を文字どおりに表言しています.a は,四つの言説においては le plus-de-jouir 「剰余悦」です.φ barré は,書かれぬことをやめない徴示素ファロスです.

したがって,Lacan が jouissance と言うとき,必ずではないとしても,多くの場合,それは症状の剰余悦のことであり,したがって,signifiant a で形式化されます.もうひとつ例を挙げるなら,Ecrits に収録されている1964年の短いテクスト

『フロイトの "本能" と精神分析家の欲望とについて』にこうあります:Le désir vient de l'Autre, et la jouissance est du côté de la Chose. 「欲望は他 A に由来し,そして,悦は物の側にある」.

ここでは欲望と悦とが対置されています.Lacan の欲望の概念は Freud の本能(欲動)の概念の取り上げ直しであり,悦の概念は Lust の概念を再検討することによって作られました.Freud は,本能の満足は Lust に満ちている,と公式化しています.それに照合すれば,

悦は,欲望の満足です.ただし,全的な満足ではなく,部分的な満足です.精神分析においてかかわる「本能」は常に「部分本能」ですから.ところで,欲望の満足は客体において達成されます.さきほどの命題では Lacan は客体を「物」と呼んでいます.そして,欲望は manque à être

存在欠如,他 A の場処のなかの欠如,つまり,欠如せる徴示素ファロス φ barré です.かくして,やはり a / φ barré の構造に準拠することによって,欲望は φ barré として signifié の座に位置づけられ,悦は徴示素の座の a です.

次に,欲望は imaginaire であるか?欲望のグラフでは確かに,欲望 d は幻想 ($◊a) と対にされて imaginaire な項として措定されています.しかし,1958-59年の Séminaire VI 『欲望とその解釈』にはこの命題が見出されます:

La chose freudienne, c'est le désir. 「フロイト的な物,それは欲望である」.先ほどの命題では「物」は客体 a でしたが,ここでは違います.「フロイト的な物」は,主体の存在の真理であり,四つの言説の構造において左下の真理の座に位置します.

つまり,欲望は φ barré です.この解釈は,欲望は manque à être 存在欠如である,という命題と合致します.かくして,欲望は,imaginaire ではなく,而して,不可能としての実在 le réel である,と言わねばなりません.

最後に un signifiant représente le sujet pour un autre signifiant については,1964年の書『無意識の位置』において Lacan は,「それは formation de l'inconscient すべての構造である」

と言っています.formation de l'inconscient 「無意識の成形」とは,精神分析において解釈されるべき夢,しそこない,言いそこない,Witz, 症状などの現象のことです.Freud が「夢が願望満就である」と言ったように,無意識の成形には悦が含まれています.

より正確には,無意識の成形は剰余悦の成形であり,したがって,a / φ barré の構造を有しています.このことは,1967年に Lacan がパスの手続きを提起した論文においても確認されます.

「ひとつの徴示素は主体をもうひとつのほかの徴示素に対して代表する」は,支配者の言説のことを言っているのではなく,分析家の言説の構造を表言しています.ひとつの徴示素 a は,主体の存在の真理 φ barré を,もうひとつのほかの徴示素 $ に対して代表しているのです.

このことに気づくことによってやっと Lacan を一貫したしかたで読むことができるようになった,とわたしは感じました.それまでは,四つの言説の構造をどう理解すべきかは,大きな難題でした.

しかし,Lacan のことを最も良く理解しているはずの Jacques-Alain Miller がどうしてこのような誤解をしてしまったのでしょうか?思うに,その根にあるのは,1964-65年の Séminaire XII で Lacan が提起した命題:

le a est de l'ordre du réel 「a は,実在の位のものである」です.Jacques-Alain Miller はその前年度の Séminaire XI から Lacan を聴講し始めました.彼は当時まだ20-21歳です.

彼の頭にはこの「a は実在の位のものである」が刷り込まれたはずです.しかも,彼は,Lacan の教え全体を見渡して,a の概念の変遷を chronologique なものと捉えました.まずは a は自我-他者として imaginaire であった.

次いで,signifiant として symbolique であった.今や a は réel である.ところが,a の概念の多様性は chronologique なもの,diachronique なものではなく,構造論的なもの,synchronique なものと考えるべきです.

a は,同時に,imaginaire であり,symbolique であり,réel なものです.このことは,RSI のボロメオ結びの中央部分,RSI 三者の交わりに a が置かれていることに表されています.

ところが,Jacques-Alain Miller は,imaginaire, symbolique, réel の順で a の概念は時間的に変遷したのだ,と捉えた.ですから,彼は,Encore の命題「a は semblant 仮象だ」の位置づけに困っていました.

Jacques-Alain Miller は,Lacan の教えをその時間的な展開において区切って整理しようとします.そのような考え方は「最晩年の Lacan」という Miller の表現にも表れています.それはひとつの解釈です.わたしも大いに助けられました.

しかし,今はわたしはむしろ,Lacan の教え全体を chronologique な発展の観点においてではなく,ひとつの一貫した構造として捉えたいと思っています.その一貫した構造の基礎を成すのが,「存在のトポロジー」と Heidegger が呼ぶもの,つまり,

φ barré という Ab-grund 深淵の場処,処有です.

《今はわたしはむしろ,Lacan の教え全体を chronologique な発展の観点においてではなく,ひとつの一貫した構造として捉えたいと思っています.》とある。

他方、ミレールやジジェク、あるいはジュパンチッチのように、chronologique、すなわち年代順に、大きな転換があるとする各々の立場もある。

ミレールは 2000-2001 年のセミネールにおいて、ラカンの教えを三つの時期に分けた。ラカンの体系の区分は研究者によって異なるが、ミレールは前期をセミネール 1 から 10までの時期(1953-1963)、中期をセミネール 11 から 21 までの時期(1964-1974)、後期を「第三の女」とセミネール 22 から 27 までの時期(1974-1980)とした 29)。そして、翌年のセミネールにおいて、 それぞれの時期に対応するものとして、 「ラカンの三つの臨床」を提示している。ラカン第一臨床は「同一化の臨床」、ラカン第二臨床は「幻想の臨床」、ラカン第三臨床は「サントームの臨床」とされている。(赤坂和哉『ラカン的臨床への助走』)

こういったミレール流のラカンは図式的すぎるとの批判は、ラカン派でなくても、いくらかラカンやジジェクに興味のある人はーーわたくしのような、という意味であるーー、おそらく耳にしたことがあるだろう。

蓮實重彦と浅田彰の対談『新潮』(2005年5月号)より  

ラカン派であれ何であれ、精神分析には分析を受けることでしか伝わらない何かがあって、それは映画作家から映画作家にしか伝わらないものがあるというのに近いんです。それを、ラカン派というのは要するにこういうものなんだよ、とマンガ的に図解した途端、それは嘘になってしまうわけです。(中略)……(ラカンの娘婿である)ミレールの校訂するラカンのセミネールより海賊版の方が正確なのに著作権継承者として海賊版の出版を差し止めたりするといった状況になっているとき、旧社会主義政権下のスロヴェニアの反体制知識人で、ヘーゲル=マルクス主義のベースを除けば、アメリカ文化への憧れから映画でも何でも貪欲に吸収してきたに過ぎないジジェクという野蛮人が無手勝流で乗り込んできて、ヒッチコックをラカン的に理解するというか、むしろラカンをヒッチコック的に理解してみれば、要するにこうだろう、とマンガ的に整理した、それでずいぶん風通しがよくなって、ラカン=ミレール派が世界的に流通することになったわけですね。

ここでは最後に、このブログで最近引用したり試訳したりすることの多いポール・ヴェルハーゲーー彼はミレールの「ふつうの精神病」概念に叛旗を翻している人物でもあるし、上に掲げた英訳のセミネールⅩⅦ版(2006)への諸家の解読論文において、冒頭のミレールの論文の次に続く形でその論が掲載されている人物でもあるーーその彼の見解を掲げておくことにする。

Studies of Lacan's work may start from two different points of view. Either one considers that everything is there, right from the start, and the rest of his work is just one long elaboration of what was contained in the beginning. The standard example of this approach is found in those Freud scholars who include the whole of his theory into the early Project for a Scientific Psychology. Or one considers his theory and teaching as a ‘work in progress' marked by an evolution consisting of drastic changes. Both approaches can be defended. I have opted for the second one, which does not mean that we will not also be confronted with the first option at times.(Paul Verhaeghe, P. (2001). Subject and Body. Lacan's Struggle with the Real._)


《Lacan の教え全体を chronologique な発展の観点においてではなく,ひとつの一貫した構造として捉えたいと思っています》だと? ーー「寝言」である。

それがソシュールであれ誰であれーーラカンであれーー、必ずしも一貫した言説を担い続けていたとはいいがたいひとりの作家を前にした場合、そのさまざまな発言の矛盾を弁証法的に統合することで、そこに初めてその“正しい”「全体像」がかたちづくられるはずだといったたぐいの議論など、にわかに信じることはできないからである。(蓮實重彦『「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって』)

いや、だが、「寝言」が目覚めているときの「思想」より正しいということは、時と場合によって、あり得る、とはしておこう。

というのは、夢に現れる思想の方がしばしば他の思想より力強くはっきりしていることがある以上、夢の思想のほうが他より偽であると、どうして確かに知りうるのであろうか。(デカルト「方法序説」)

‘work in progress' の選択をするヴェルハーゲ自身、これはラカンではないが、フロイトの読解において、初期フロイトーー『夢判断』以前の1890年代の仕事ーーに遭遇してしまった臨床医である(参照:フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」概念をめぐる現代の新しい「症状」)。




2015年2月25日水曜日

「それ自身の影を纏う」刻限(ジュパンチッチ=ニーチェ)

アレンカ・ジュパンチッチの2003年に上梓されたニーチェ論は、『The Shortest Shadow 』という名を持っている。今までその書名ぐらいは知っていたが、とくに気にすることもなかった。昨日たまたま、その書への短い批評文を二つほど(肯定的なものとやや批判的なものを)読んでみたが、たいしたことが判ったわけではない。

①”Unearthing Nietzsche's Bomb: Nuance, Explosiveness, Aesthetics”(Paul Kingsbury)
②”Nietzsche, Interrupted A review of Alenka Zupancic, The Shortest Shadow: Nietzsche's Philosophy of the Two”(Steven Michels)

いや、だが、肯定的な方の批評文には、ジュパンチッチが何を強調しようとしているのかは要領よく?ーーいやこういうことは批評の対象の書物を読んでいないものがいうものではないーー書かれている。

Zupančič rewires Nietzsche as follows: first, instead of simply reading Nietzsche as the postmodern big bang igniter of systematizing discourses, Nietzsche is also the “philosopher of the event” whose explosiveness is charged by the intense nuances of stillness, silence, and subtlety. Second, while Nietzsche is frequently praised for pitting multiplicity against the totality of the One, Nietzsche also affirms moments when “One turns to Two”, that is, when totalizing discourses of representation, truth, and subjectivity become internally fractured. (Paul Kingsbury,Unearthing Nietzsche's Bomb: Nuance, Explosiveness, Aesthetics)

おそらく通説となっている「超人」やら「価値の転換」、「権力への意志」やらをるのではなくーーこれはわたくしの推測であるーー、ニーチェは「出来事哲学者philosopher of the event」とされ、それは静けさ、沈黙、繊細さの密度あるニュアンスによって齎されることが強調されるとある。かつまたOne turns to Twoともある。これはどういうことなのか。ジュパンチッチの文が引用されているので、英文のまま孫引きしよう。

not the moment when the sun embraces everything, makes all shadows disappear, and constitutes an undivided Unity of the world; it is the moment of the shortest shadow. And what is the shortest shadow of a thing, if not this thing itself? Yet, for Nietzsche this does not mean that the two becomes one, but rather, that the one becomes two. Why? The thing (as one) no longer throws its shadow upon another thing; instead it throws its shadow upon itself, thus becoming, at the same time, the thing and its shadow. When the sun is at its zenith, things are not simply exposed (“naked,” as it were); they are, so to speak, dressed in their own shadows. (Zupančič, 2003, 27; emphasis in original)

ニーチェは、「正午」の哲学者なのである。その静けさに満たされた「正午」は、「最も短い影The Shortest Shadow」 の刻限である。すべての影は消え去る。そのとき二つのものが一つになるのではなく、一つのものが二つになる。事物は「それ自身の影を纏うdressed in their own shadows」。

なんとも「美しい」表現ではないか。しかも、ニーチェの核心にあのツァラトゥストラの「正午」を見るとは。

つつしむがいい。
熱い正午が野いちめんを覆って眠っている。
歌うな。静かに。世界は完全なのだ。

歌うな。草のあいだを飛ぶ虫よ。
おお、わたしの魂よ。囁きさえもらすな。
見るがいいーー静かに。
老いた正午が眠っている。
いまかれは口を動かす。
幸福の一滴を飲んだところではないか。――

ーー「正午」はまだ続くが、それは「神々しいトカゲ」を見よ。

正午とは神々しいトカゲの刻限でもある。

軽やかな音もなく走りすぎていくものたち、わたしが神々しいトカゲと名づけている瞬間を、ちょっとのま釘づけにするという、けっして容易ではない技術(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)
……この真っ昼間、……
トカゲも壁の割れ目にもぐり、
墓守ヒバリも見えない時刻なのに。
……
実もたわわなスモモの枝が
地面に向かってしなだれる。

――テオクリトス『牧歌(Idyllia)』第7歌(古澤ゆう子訳)

だが、そんなことはとっくの昔からわかっているだろう、 ニーチェの真の読者なら。わかっていないのは、「学者」たちだけである。ーーと書けば、わたくしがニーチェの真の読者である、などと不遜な主張をしているかに受け取られるかもしれないが、まあそれはこの際許してもらうことにする。

正午とは、母なる無時間的な刻限なのであり、、ジョイスの「父なる時間、母なる空間(あるいは種)」Father's time, mother's species(クリスティヴァ引用によるが原出典不詳)における「母なる空間」である。

「父なる時間/母なる空間」とは、「クロノス的(物理的)/カイロス的(人間的)」でもあるだろう。

狩猟採集民の時間が強烈に現在中心的・カイロス的(人間的)であるとすれば、農耕民とともに過去から未来へと時間は流れはじめ、クロノス的(物理的)時間が成立した。(中井久夫『分裂病と人類』)

もちろんカイロス的刻限は、ディオニュソスの秘戯によっても齎される刻限である。

ディオニュソス的密儀のうちで、ディオニュソス的状態の心裡のうちではじめて、古代ギリシア的本能の根本事実はーーその「生への意志」は、おのれをつつまず語るからである。何を古代ギリシア人はこれらの密儀でもっておのれに保証したのであろうか? 永遠の生であり、生の永遠回帰である。過去において約束され清められた未来である。死と転変を越えた生への勝ちほこれる肯定である。生殖による、性の密儀による総体的永世としての真の生である。このゆえにギリシア人にとっては性的象徴は畏敬すべき象徴自体であり、全古代的敬虔心内での本来的な深遠さであった。生殖、受胎、出産のいとなみにおける一切の個々のものが、最も崇高で最も厳粛な感情を呼びおこした。(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」『偶像の黄昏』原佑訳)

ここで唐突に文脈からいささか外れて?「カイロス」という語に導かれてロラン・バルトの写真論の文章を掲げる。




……見えない場の存在(力学)こそ、ポルノ写真からエロティックな写真を区別するところのものである、と私は思う。ポルノ写真は一般にセックスを写し、それを動かない対象(フェティッシュ)に変え、壁龕から外に出てこない神像のようにそれを崇拝する。私にとっては、ポルノ写真の映像にプンクトゥムはない。その映像は、せいぜい私を楽しませるだけである(しかもすぐに倦きがくる)。これに反して、エロティックな写真は、セックスを中心的な対象としない(これがまさにエロティックな写真の条件である)。セックスを示さずにいることも大いにありうる。エロティックな写真は観客をフレームの外へ連れ出す。だからこそ、私はそうした写真を活気づけ、そうした写真が私を活気づける。プンクトゥムは、そのとき、微妙な一種の場外となり、映像は、それが示しているものの彼方に、欲望を向かわせるかのようになる。といっても、ただ単にその裸体の《他の部分》に向かわせるということではない。ただ単に、ある行為をおこなう幻想に向かわせるということではない。魂と肉体を兼ねそなえた一個の存在の絶対的な素晴らしさに向かわせるのである。腕を伸ばして明るく微笑んでいるこの青年の場合、その美しさは決して型にはまったものではなく、彼の身体はフレームの一方に極端に片寄って、半ば外にとび出してしまっているが、しかし軽快な一種のエロティシズムを体現している。この写真は、重苦しい欲望、ポルノ写真の欲望と、軽やかな欲望、快い欲望、エロティシズムの欲動とを区別するようにうながす。要するに、これはおそらく《シャッター・チャンス》の問題なのであろう。写真家は、青年(メイプルソープ自身だと思う)の腕がうまいぐあいに広げられ、実に屈託のない形になった瞬間を固定した。あと数ミリの過不足があっても、青年の推測される肉体はもはや好意をこめて提供されることはなかったろう(ポルノ写真の肉体は濃密で、自己をみせびらかすが、しかしそれを与えはしない。そこには少しも寛容さがない)。「写真家」は欲望の好機を、カイロスをとらえたのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』「見えない場」より P70-71)

わたくしはここあるカイロスをとらえる仕方、あるいはブンクトゥムをとらえる仕方を、享楽をとらえる仕方と読む。もちろんそれは「神々しいトカゲ」をとらえることとしてもよいし、あるいは対象aをとらえる仕方としてもよいかもしれないが、それは後述する。ここではただ《欲望が享楽に向かって進もうとするときはいつでも、それはトカゲの尻尾のように落ちる[ca tombe]》(ラカン=ミレール)とだけしておく。

プンクトゥムと享楽の関係については「ベルト付きの靴と首飾り (ロラン・バルト)」を見よ。そしてカイロス的時間にまったく不感症であるらしい巷間の「知識人」なる種族への嘲弄は、「写真の本質の飼い馴らし、あるいは白痴が微笑む世界」で書いた。


ところで、Paul Kingsburyの書評には、次の文がある。

Nietzsche's beautiful notion of “doves' feet” (Taubenfüssen) suggests that many of the world's events are guided by the silent realms of thought. The German word “Taube” also refers to a deaf person.

すなわち「最も静かな時刻」も、ニーチェの核心であり、それは「鳩の足」とともに訪れる。

嵐をもたらすものは、もっとも静寂なことばだ。鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。(『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻」 手塚富雄訳)

真の詩人たちは、とっくの昔からわかっている(参照:逃げ水と海へ向かう道)。だが「詩人」ではなさそうな印象を受けていたジュパンチッチから出てきたたことが、わたくしには尊い。


(スロベニア「ラカン派哲学者」三人組)

この写真だけみると「詩人」的な繊細さを醸しだしていないでもないが、次の文章の印象が強すぎた。おそらく下品さの臭気を意図して?振り撒くジジェクの「悪影響」というものなのだろう。すなわち、《私の深い不信は、ハイデガーのようなパセティックなスタイルだ。私には物事を俗化させたい純然たる強迫がある。その俗化とは、物事を単純化するという意味ではなく、<物>へのパセティックな同一化を崩壊させたいという意味である。だから私は、最も高級な理論から、最も低劣な事例に、唐突に飛ぶのを好むのだ。》(『ジジェク自身によるジジェク』私訳

結局、「お前の妹(姉さん、母さん)、すぐにやらせてくれるって話じゃないか」などといった罵り文句は、「〈女性〉は存在しない」という事実、ラカンの言葉を借りれば、彼女が「完全ではない」、「完全に彼のものではない」という事実を、下世話な言葉で表現したものである。「女性は非-全体である」という命題は、女性ではなく男性にとって耐えがたい。それは、男性の存在の内、象徴界における女性の役割の内に注ぎ込まれた部分を脅かすのである。この種の中傷に対する男性の極端な、全く法外な反応――殺人を含む――を見てもいいだろう。これらの反応は、男性は女性を「所有物」だと見なしている、という通常の説明で片づけられるものではない。この中傷によって傷つけられるのは、男性がもっているものではなく、彼らの存在、彼らそのものである。関連する命題をもうひとつ紹介して、ドン・ジュアンに返ろう。「〈女性〉は存在しない」という命題を受け入れるなら、スラヴォイ・ジジェクが言うように、男性の定義は次のようなものになる――男性とは「自分が存在すると信じている女性である」。( アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理―カントとラカン』冨樫剛訳)

1949生まれのジジェクが脳溢血でくたばっても、1966年生まれのより繊細なラカン派ジュパンチッチはまだ長らく活躍してくれるだろうから、そろそろ馬を乗り換えてもよい時期かもしれない。ただし、「真の詩人」の宿命として、政治的な言動はやや欠けざるをえないだろう。

私ともあろう者がこの著者に先を越されるとは! こんなヤツは、本なんか書く前にさっさとくたばってしまえばよかったのだ! アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理』の序文(ジジェク)

…………

鳩歩む この静かな屋根は
松と墓の間(ま)に脈打って
真昼の海は正に焔。
海、常にあらたまる海!
一筋の思ひの後のこの報ひ、
神々の静けさへの長い眺め

(ヴァレリー『海辺の墓地』中井久夫訳)

坂を上つて行く 女の旅人
突然後を向き
なめらかな舌を出した正午

(西脇順三郎『鹿門』より)

不安がもだえそうに淡い炎がゆだっている
道端の青い小さな花を煮る六月十日は、
(ひそひそと話をしている)
(柑子の木のあたり、雨に濡れそぼって、ふたりで、小声で)
(おおそのうえ古語で、)
(聞き取れない話をしている。雨の庭の古い濡れた柑子の木のあたりで)
((ちがうよ、あれは鳩だよ))
(人の様な、くぐもってずっと話している。何十羽もいる。)
何十羽も鳩がいる。茂みのなかで鳴いている。
遠く潰れた緑のうえに、
誰かの面影が、こんもりと盛られて、動かないでいる。
今は時々きらっと反射して、
もうすぐ隠れて
見えなくなる。
暁方ミセイ「極楽寺、カスタネアの芳香来る」より)

ニーチェも正午を探していると言っていた。垂直に光が差す。影の消える刻限。一瞬だけ原型さえもが見えなくなる。夜は思い出でさえなくなり、昨日のなかへ遠ざかり、消滅する。樹々の影も一瞬消え失せ、キリコの絵のなかの街路も、また別の日常の神秘に覆われることになる。見回しても、輪遊びしている少女もいない。ありえない蒸発、停止。諸々の生の停滞、とランボーがうんざりして言ったのはこのことではない。そうではなく、ただひとつの停止。あっという間のことである。一瞬だけ感情も来歴も何もかもが外に追い出される。お払い箱なのだ。(鈴木創士「正午を探す街角」ーー見出された「権力への意志」=「死の欲動」より)

おわかりだろうか? こういったことに不感症になのが「学者」という種族の特徴である。とはいえ、わたくしはどちらかというと遠慮深いほうなので、鉤括弧をつけているが、出来事の哲学者は鉤括弧さえつけない。

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)

もちろんプルーストも大江健三郎も「詩人」である。

ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆる(す)(プルースト「見出された時」ーー見出された「権力への意志」=「死の欲動」

プルーストの、この時間が垂直的に立ち上がる静けさの刻限、あのカイロス的刻限が、どうして大江健三郎の「一瞬よりいくらか長く続く間」でないことがあろう。

――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。(大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』ーー「一瞬よりはいくらか長く続く間」より)


大江健三郎でさえも(シツレイ!)、こうやって「正午」を探しているのだ。〈あなたたち〉も探さなければならない。

…………

「それ自身の影を纏うdressed in their own shadows」とは、ジュパンチッチの書を読まないままのわたくしの臆断だが、「ドッペルゲンガーを纏う」とも読みたくなる。それは、フロイトの「異物Fremdkörper」やラカンの「外-密ex-timate」を纏うといしてもいいが、それでは話が長くなるので、「ドッペルゲンガー」に搾る(参照:天動説のままの阿呆鳥、あるいは「死の欲動」)。


ここで夏目漱石が真の「詩人」となった遺作『明暗』末尾近くの驚くべき文章をいくらか要約・引用してみよう。いやその前にこうやって引用してから始めよう。

『猫』は今日読む能わず、『こころ』は読み得るかも知れないが、我々の文学世界に何らの新しい現実を加えていない。新しい現実は、『明暗』のなかにある。私は、『明暗』によって、又『明暗』によってのみ、漱石は不朽であると思う。そして、『明暗』は、漱石の「知性人たる本質」によってではなく、知性人たらざる本質によって、その他のすべての小説が達し得なかった、今日なお新しい現実、人間の情念の変らぬ現実に達し得たと思う。(加藤周一「日本文学の変化と持続」)

…………

津田は到宿当夜、――翌朝、療養中のかつての女清子に果物籠を届けることになっているーーひと風呂浴びたあと自分の部屋に戻ろうとして、建て増しのために錯綜としている温泉宿の廊下に迷ってしまう。広い宿は深閑としており部屋の在り処を尋ねる女中も見当たらない。行き当たりばったりに、ふと筋違いの階子段を二、三段あがると、《洗面台の白い金盥が四つほど並んでいる中へ、ニッケルの栓の口から流れる山水だか清水だか、絶えずざあざあ落ち》ているのに、眼が、が、吸い込まれていく。《縁を溢れる水晶のような薄い水の幕の綺麗に滑って行く様が鮮やかに眺められた。金盥の中の水は後から押されるのと、上から打たれるのと両方で、静かなうちに微細な震盪を感ずるものの如くに揺れた。》津田はその水の渦巻に魅入られる。《ただ彼の眼の前にある水だけが動いた。渦らしい形を描いた。そうしてその渦は伸びたり縮んだりした。》大きな鏡があって、「自分の影像」が映る。《これが自分だと認定する前に、これは自分の幽霊だという気が先ず彼の心を襲った。》(『明暗』第百七十五章)――こうやって、彼自身のなかにあって彼以上のもの(対象a)、彼の分身、ドッペルゲンガーに出会う。

ここで津田は、「自分の中にある自分以外のもの」 , 「私」である手の出せない/思いもよらない対象」、すなわち対象aに出会っているのだ。「鏡に対する結果としてはこの自信(眼鼻立の整った「顔の肌理も男としてはもったいないくらい濃か」な好男子)を確かめる場合ばかりが彼の記憶に残っていた」その姿ではなく、「いつもと違った不満足な印象が鏡の中に現われた」。

ジュパンチッチは、「鳩の足」の刻限に、二つのものが一つになるのではなく、一つのものが二つになるとしている。それと同様に、「自己」=一つのものでしかなかった津田は、自己と「自分の影像」=斜線を引かれた主体$の二つのものになる動きに襲われたのではないか。このことが「それ自身の影を纏うdressed in their own shadows」なのではないか。そして自分の影を纏うとは、この対象aを纏う、ドッペルゲンガーを纏うことではないか。もっともジュパンチッチの次ぎの文章をそう読むのは牽強付会にすぎるという見解はあるだろう。


The thing (as one) no longer throws its shadow upon another thing; instead it throws its shadow upon itself, thus becoming, at the same time, the thing and its shadow.

いずれにせよ、『明暗』には、あの第175章(あるいはそれに引き続くいくつかの章)に、津田が襲われた「最も静かな時刻」がある。「それ自身の影を纏う」刻限はなにも「正午」だけでなくてもよい。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人の名だ。(……)

君たちは、眠りに落ちようとしている者を襲う驚愕を知っているか。――

足の指の先までかれは驚愕する。自分の身の下の大地が沈み、夢がはじまるのだ。

このことをわたしは君たちに比喩として言うのだ。きのう、最も静かな時刻に、わたしの足もとの地が沈んだ。夢がはじまった。

針が時を刻んで動いた。わたしの生の時計が息をした。――いままでこのような静寂にとりかこまれたことはない。それゆえわたしの心臓は驚愕したのだ。

そのとき、声なくしてわたしに語るものがあった。「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ」――

このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。しかしわたしは黙ったままだった。

と、重ねて、声なくして語られることばをわたしは聞いた。「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはそれを語らない」――

と、ふたたび声なくしてわたしに語られることばがあった、「欲しないというのか、ツァラトゥストラよ。そのことも真実か。反抗のなかに身をかくしてはならない」――

そのことばを聞いて、わたしは幼子のように泣き、身をふるわした。そして言った。「ああ、わたしはたしかにそれを言おうとした。しかし、どうしてわたしにそれができよう。そのことだけは許してくれ。それはわたしの力を超えたことなのだ」
と、ふたたび声なくしてわたしに語られることばがあった。「おまえの一身が問題なのではない、ツァラトゥストラよ。おまえのことばを語れ、そして砕けよ」――
(……)
と、ふたたびささやくようにわたしに語りかけるものがあった。「嵐をもたらすものは、もっとも静寂なことばだ。鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。

おお、ツァラトゥストラよ、おまえは、来たらざるをえない者の影として歩まねばならぬ。それゆえおまえは命令しなければならぬ。命令しながら先駆しなければならぬ」――

わたしは答えた。「わたしは羞恥を感ずる」と。

と、ふたたび声のない声はわたしにむかって語りかけた。「おまえはこれから幼子になり、そして羞恥の思いを放棄しなければならない。

青年期の誇らしさがまたおまえを離れない。おまえは青年になることがおそかったのだ。しかし幼子になろうとする者は、おのれの青年期をも乗り超えなければならぬ」――(『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻」 手塚富雄訳)

ここには《きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人の名だ》とある。あるいは、《彼女の名(女主人の名)をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか》ともある。

わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを!……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳

ニーチェの遺稿には、《迷路の人間は、決して真実を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ。》(ニーチェ 遺稿)とある。

賢くあれ、アリアドネ!……そなたは小さき耳をもつ、そなたはわが耳をもつ。(ニーチェ『ディオニュソスーディテュランボス』(Dionysos-Dithyrambus)第七歌「アリアドネの嘆き」(Klage der Ariadne)より

こうやって並べて、わたくしが何をいいたいのかを書くのは、蛇足というものだろう(参照:「ニーチェとフロイトの「エスEs」)。


…………

※附記1

二重自我のモティーフは、オットー・ランクの同名の研究論文で、きわめて詳細に論及されている。第二の自我の、鏡にうつる像、影の像、守護神、生霊説、死の恐怖などにたいする諸関係がここに研究されているが、このモティーフの驚くべき発展史もまたここに明らかにされている。というのは、ドッペルゲンゲル(二重自我)とは、そもそも自我の消滅にたいする保障、ランクの言葉によれば、「死の偉力を断固として否定すること」であったのである。どうやらあの「不死」の魂こそは、肉体の最初のドッペルゲンゲルであったらしいのである。死滅にたいして防御するための、そのような換え玉作製は、性器象徴の倍加、あるいは複数化によって去勢を表現したがる夢言葉の描写のうちにその対応物ともいうべきものをもっている。これこそ古代エジプト文化において、死者の像を永続する素材のうちに形どっておく技術の原動力となったものである。しかしこれらの諸表象は、原始人や子供の精神生活を支配している無限のナルシシズム、原始的ナルシシズムの基盤の上に生じきたったものであって、この段階を克服すると、ドッペルゲンゲルの形にも変化が起こって、かつては永生の保証であったものが、今は無気味な死の前触れとなるのである。

ドッペルゲンゲルという表象はこの原始的ナルシシズムとともに没落することを要しない。なぜならこの表象は、自我のその後の発展段階から新しい内容を獲得することができるからである、自我のうちには徐々に、爾余の自我と対立する特殊な一部分が形成されて、この一部分が自己観察、自己批評の役割を果たし、心的検閲の仕事を行ない、やがてわれわれの意識にたいして「良心」として立ち現われてくるものなのである。監視妄想の病的ケースにあってはこの一部分が孤立し、爾余の自我から分離されて、医師に気づかれるようになる。爾余の自我をまるで他人のもののように扱いうるような自我の一部分が存在するという事実、つまり人間は自己観察をする能力があるという事実が、古いドッペルゲンゲルの表象を新しい内容をもってみたし、またこの表象にいろいろなものを、なかんずく自己批評の眼には原始時代の、あの古い、すでに克服されたナルシシズムに属するかのように見えるもの一切をなすりつけることを可能にするのである。

しかし自己批評にとって不快な内容のみがドッペルゲンゲルになすりつけられるのではなくて、空想がいまだにそれに執着しているところ、実現されることのなかった運命形成の一切の可能性、また外的な不運によって貫徹されなかったところの、一切の自我の目標、同様にまた自由意志という錯覚を生んだところの、あらゆる禁圧された意志決定も同じくこのドッペルゲンゲルに委譲されるのである。(フロイト『無気味なもの』ーー「かつて二度訪ねたことのある家(フロイトと漱石)」より)

(Mark Rothko)


※附記2


【ラカンのテーゼ】

現実の領域は<対象a>の除去の上に成り立っているが、それにもかかわらず<対象a>が現実を枠どっている。(Ecrits)


◆ミレール(Montre a Premontre, in Analytica 1984)より


対象を<現実界>として密かに無視することによって、現実の安定が「ひとかけらの現実」といして保たれているのだ、とわれわれは理解している。だが、<対象a>がなくなったら、<対象a>はどうやって現実に枠をはめるのか。

<対象a>は、まさしく現実の領域から除去されることによって、現実に枠をはめるのである。

右の絵から斜線を引いた長方形を取り除くと、ちょうど額縁のようなものができる。それは穴にとっての枠であるが、同時に残りの表面にとっても枠である。こうした枠はどんな窓によっても作ることができる。、<対象a>というのはこのような表面の断片であり、それを取り除くことが、それに枠をはめることになるのである。主体とは、すなわち斜線を引かれた主体とは、存在の欠如であるから、この穴のことである。存在としては、この除去されたかけらにほかならないのである。主体と<対象a>は等価である、とはそういうことなのである。

このミレールの説明における主体とは、斜線を引かれた主体$のことであり、われわれはそれ以外にもイマジネールな自己やシニフィアンの主体を持っている。ここではそれを、仮に「シニフィアンの主体」と総称しておこう(想像界は象徴界によって、すでにーいつも構造化されているのだから)。対象aを取り除いたシニフィアンの主体として日常生活をおくっているわれわれは、あるとき己れの対象aに遭遇する。

ジュパンチッチの云う、一つのものが二つになる、あるいは事物は「それ自身の影を纏うdressed in their own shadows」とは、この遭遇のことを(も)意味するのだろうと取り合えず憶測しておく。








2015年2月24日火曜日

「脳軟化症」を理解し許すこと

少し前「「理解」することは「許す」こと」にて、《半月ほどまえに書いた文章だが、投稿せずのままのものである……なにか別のことをつけ加えようと思っていたのだが、なんだったか思い出せない(それは初老による脳軟化症のせいかもしれない)。というわけで、そのまま投稿する》と書いたが、なにか別のことを今頃思い出した。というわけで、ここにメモしておく。

…………

……私たちは病んでいた、――姑息な平和に、臆病な妥協に、近代的な然りと否の有徳的な不潔さの全部に。すべてを「理解する」がゆえにすべてを「許す」ところの、このような寛容や心の広さは、私たちにとっては熱風である。近代的な諸徳やその他の熱風のもとで生きるより、むしろ氷のうえで生きるにしかず! ・ ・ ・私たちは十分勇敢であり、おのれをも他人をも甘やかしはしなかった。しかし私たちは長いこと知らなかった、私たちの勇敢さをたずさえてどこへゆくべきであるのかを。私たちは陰鬱となり、人は私たちを運命論者と名づけた。私たちの運命――それは、力の充実、緊張、鬱積であったのである。私たちは電光と実行を渇望し、弱者の幸福からは、「忍従」からは最も遠ざかっていた・ ・ ・私たちの大気のうちには雷雨があった、私たちの自然の本性は暗澹となったーーなぜなら私たちはたどるべきなんらの道をもっていなかったからである。私たちの幸福の定式は、すなわち、一つの然り、一つの否、一つの直観、一つの目標・ ・ ・(ニーチェ『反キリスト者』原佑訳)

すなわち《すべてを「理解する」がゆえにすべてを「許す」ところの、このような寛容や心の広さは、私たちにとっては熱風である》である。なぜ失念してしまったのか。

神経科学者は記憶を短期記憶と長期記憶とにわけ、長期記憶を一般記憶とエピソード記憶(私は「個人的記憶」でよいと思う)と手続き記憶とにわける。ここにはフラッシュバック的記憶は座がない。(中井久夫「外傷性記憶とその治療――一つの方針」『徴候・記憶・外傷』所収)

 この区分から言えば。短期記憶であろうが、それを失念している。まあそうはいっても昔から記憶力はよいほうではない。そのよくない記憶力がより悪くなっているだけだが、愛すべきニーチェの文を忘れるとは嘆かわしい。ああアルツハイマー初期症状なり!(たぶん脳軟化症とアルツハイマーはいささか意味合いが異なるのだろうが、まだその二つの語彙を忘れないでいられたことに感謝してここに二つの言葉を並べておく)。

とはいえ、中井久夫さえ次のようであるそうだ。《私が同時に保持できる「チャンク」の数が減ってきたことを意識したのは、五十歳を二、三年過ぎた時であった》。わたくしは、五十歳を二、三年過ぎるよりはもうすこし過ぎている。ということでそんなに気にしないでおこう。

一般に思索においては、どこからか湧いてくる観念あるいはその前段階を脳裡に複数個保持しなければならない。それも、観念、より正確には「その反応ー結合ー融合性の高さ」によって私が仮に「観念のフリー・ラジカル」と呼んできた観念の前段階状態にあるものがむやみに反応し結合するのをある限度以上に抑え、時宜に応じて交代させつつ、保持しなければならない。発言や執筆においては何時間もこの保持を継続しなければならない。ところが観念というものはたえず変形しようつし、他の観念を呼び、また他の観念と結合しやすい不安定なものである。発言や執筆の際には、群がる観念を文章という一次元性のものに整頓しなければならない。それは、われわれと群がり、ともすればあちこちに散らばろうとする学童を一所懸命一列に並ばせようと声をからしている小学校の先生の努力に似ている。その際に、まず観念の数をミラーの法則の範囲内(七、あるいは四+三、四×二:引用者)に減らして、それからその相互の関係を考えるという順序となるだろう。この能力が年齢とともにどうなるかである。

私が同時に保持できる「チャンク」の数が減ってきたことを意識したのは、五十歳を二、三年過ぎた時であった。(……)万事がそうであるように、私もこの減少を意識したことによって改めて、かつての私が七つ前後の観念を「上場」できていたことに気がついたのである。それができていた当時は、私の意識はもっぱら思考の目標を見据えて観念を操作していて、上場観念の数などを意識することはなかった。何ごとであっても問題なしという時には意識されない。意識というのはその過程に何かの妨害や限界設定がなされた時の意識の意識として登場するものである。(中井久夫「記憶について」『アリアドネからの糸』所収 pp.115-116)

《ミラーの法則の減退は、老人にとって知的・感情的活動の大きな制約となると私は思う。私は自ら「思索の底が浅くなった」と感じる》などともあるが、思索の底が深かった覚えのない人間にとっては、これこそまったく気にすることができ難い。初老の身になって、その「幸福」を神に感謝しておくことにする。いわゆる「信仰なき者の祈り」である。アーメン!

「主よ、信じます。信仰のない私をお助けください」(マルコによる福音書9章24節)

ーー「主よ、憐れみたまえ"Erbarme dich, mein Gott"」(マタイ)





なにはともあれ、次のような「自由の特権」を享受できうる敷居を跨ぐ準備にそろそろ入ろうと思う、それは現代の日本的感覚から言えばやや早すぎるなどという非難がありうることを無視して。

その老学者はまわりの騒がしい若者たちを眺めていたが、突然、このホールのなかで自由の特権をもっているのは自分だけだ、自分は老人なのだから、と思った。老人になってはじめて人は、群集の、世間の、将来の意見を気にせずともすむ。近づいてくる死だけが彼の仲間であり、死には目を耳もないのだ。死のご機嫌をうかがう必要もない。自分の好きなことをし、いえばいいのだ。(クンデラ『生は彼方に』)

2015年2月23日月曜日

この「私」に何の価値があるのでしょう?

現在の私は、すでに消え去った、これはさまざまな私の個性の結果です。私はナイル河の船夫だった。カルタゴ戦役のころのローマでは女衒、シュビュルではギリシャの遊説家でした。そこで私は南京虫に食われました。私は十字軍の遠征でシリヤの海岸であまり葡萄を食いすぎたために死んだのです。私は海賊であり、僧侶であり、香具師、馭者もやりました。たぶん東洋の皇帝にもなったことがありましょう。

フローベールの『ジョルジョ・サンドへの書簡』(中村光夫訳)からだが、まるでニーチェが狂気に陥った日に書いたコジマ・ワーグナーへの書簡の言葉のようである。

「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」(ニーチェ Turin, January 3, 1889: Letter to Cosima Wagner)

とはいえ、この当時フローベールは狂気に陥りかけたわけではないだろう(もっとも彼の死因は、癲癇による発作によるものではあったが)。

芸術家はその作品の中で、神が自然における以上に現れてはならぬと思っています。人間とは何物でもない、作品がすべてなのです。この訓練は、ことによると間違った見地から出発しているのかもしれませんが、それを守るのは容易ではないのです。しかし少なくとも私にとって、これはみずから好んでなした絶え間のない犠牲でした。私だって自分の思ったことを言い、文章によってギュスタフ・フロオベル氏を救ったらずいぶんいい気持ちでしょう。だがこの先生にいったい何の価値があるのでしょう。(フローベール『ジョルジョ・サンドへの書簡』 中村光夫訳)

この先生にーーすなわちこの「私」にーーいったい何の価値があるのでしょう、などという文章を読んでしまえば、フローベールのよき読み手は、一人称単数代名詞の使用に敏感にならざるをえないはずだ。もちろんそれはフローベールの影響からだけくるものではないだろうが。

ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物――というより、むしろ複数の登場人物たち――によって語られているものと見なされるべきだ。(……)すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ロラン・バルトは、あるアメリカ人の学生が《主観性》と《ナルシシズム》とを同一視して、主観性とは自分自身について語ること、しかも自身を良く言うこと、つまり《主観性/客観性》という古めかしいパラディグマの犠牲者になっていると指摘しつつ次のように書く。

ところが今日では、主観ないし主体は《ほかのところに》成立するのであり、また「主観性ないし主体性」が再帰する場所も螺旋の上の別の位置でありうる。その主観性ないし主体性は分解し、分離し、方向をそれて、錨を失っている。

「自我」がもはや「自身」でない以上、私が「自我」について語っていけない理由はないではないか。

人称代名詞と呼ばれている代名詞、すべてがここで演じられるのだ。私は永久に、代名詞の競技場の中に閉じこめられている。「私」は想像界を発動し、「君」と「彼」は偏執病を発動する。しかしそれと同時に、読み取り手によっては、ひそかに、モアレの反射のように、すべてが逆転させられる可能性もある。「私ですか、私は」と言うとき、「私」は「私ですか」ではない、ということがありうる。つまり「私」は「自我」を、いわばカーニヴァルの喧騒のうちにこわしてしまうのだ。

私は、サドがやっていたように、私に向かって「君」と言うことができる。それは、私自身の内部で、エクリチュールの労働者、製作者、産出者を、作品の主体(“著者”)から切り離すためだ。(……)そして、「彼」と呼んで自身について語ることは、私は私の自我について《あたかもいくぶんか死んでいるもののように》、偏執病的強調という薄い霧の中に捉われているものであるかのように語っている、という意味にもなりうるし、それはさらにまた、私は自分の登場人物に対して距離設定(異化)をしなければならないプレヒトの役者の流儀によって私の自我について語っている、という意味にもなる。

《「自我」がもはや「自身」でない以上、私が「自我」について語っていけない理由はないではないか》とある。人はこうやって書き、かつまた他人の文章をこのような光の下で読むべきではないか。

わたくしは、もともと一人称単数を主語とした文章を書くのが苦手で、『ゴダール マネ フーコ― 思考と感性とをめぐる断片的な考察』で一箇所だけ「わたくし」と書いたほかは、一人称単数を主語とした文章だけは書くまいとして、日本語の慣行と真正面から向かいあうのを避けてきました。古井由吉さんの小説を読むと、一人称単数を主語とした文章を避けようとする姿勢がけしからんと思うほど見事で、思わずため息がでてしまう。(蓮實重彦+川上未映子対談

では<私>を連発する、たとえば柄谷行人をどう扱うべきか。

《私は小説作品として(「探究」シリーズを)読んでいる。彼(柄谷行人)は『探究Ⅱ』を、デカルトとスピノザと3人で書いている。しかも、ワープロを使って。》(蓮實重彦)

プルーストの作品は、「私 je」(語り手)を舞台にーーあるいはエクリチュールにーー登場させる。しかしこの「私」は、そう言ってよければ、すでにもはやまったく「自己 moi」(伝統的自伝の主体=主題かつ対象)ではないのです。「私」は、思い出し、打ち明け、告白する者ではありません。それは発話する者〔エノンセ〕なのです。この「私」が舞台に乗せるのは、エクリチュールの「自己」であって、この「自己」と戸籍上の「自己」との絆は不確かで、ずらされているのです。(ロラン・バルト「長いあいだ、私は早くから床についた」林好雄訳 ――『詩の起源 ――ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』をめぐってーー』より)

ニーチェの最晩年の『この人を見よ』の「私」の連発も、もちろん次ぎの文章を念頭に置きつつ読むべきだろう(あれは、至高のユーモアによる書き物だ)。

ある芸術家をその作品から切り離し、芸術家自身をその作品と同程度の真面目さをもって扱わないということは、確かに最もよい態度である。作者は結局その作品の予備条件であるにすぎない。母胎であり、土壌であり、場合によっては、その上に、またその中から作品が成長する糞土や肥料であるにすぎない。―――従って大概の場合には、作品そのものを楽しもうとすれば、作者のことは忘れてしまわなくてはならない。ある作品の系譜を洞察することは、精神の生理学者や解剖学者たちの仕事である。審美家や芸術家たちには金輪際、係わりのないことだ! (ニーチェ『道徳の系譜』第三論文「禁欲主義的理想は何を意味するか」木場深定訳)

たとえば女に生涯苦しめられた(はずの)ニーチェの次の文章を見よ!

わたしは、「永遠の女性」の本質に通じた最初の心理学者なのかもしれない。女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。男女同権のために戦うなどとは、病気の徴候でさえある。医者なら誰でもそれを知っている。 ――女は、ほんとうに女であればあるほど、権利などもちたくないと、あらがうものだ。両性間の自然の状態、すなわち、あの永遠の戦いは、女の方に断然優位を与えているのだから。 ――わたしがかつて愛にたいして下した定義を誰か聞いていた者があったろうか? それは、哲学者の名に恥じない唯一の定義である。すなわち、愛とはーー戦いを手段として行なわれるもの、そしてその根底において両性の命がけの憎悪なのだ。 ――いかにして女を治療すべきかーー「救済」すべきか、この問いに対するわたしの答えを読者は知っているだろうか? 子供を生ませることだ。「女は子供を必要とする、男はつねにその手段にすぎぬ。」こうツァラトゥストラは語った。 ――「女性解放」―― それは、一人前になれなかった女、すなわち出産の能力を失った女が、できのよい女にたいしていだく本能的憎悪だーー「男性」に戦いをいどむ、と言っているのは、つねに手段、口実、戦術にすぎぬ。彼女らは、自分たちを「女そのもの」、「高級な女」、女の中の「理想主義者」に引き上げることによって、女の一般的な位階を引き下げようとしている存在だ。それをなしうる最も確実な手段は、高等教育、男まがいのズボン、やじ馬的参政権である。つまるところ、解放された女性とは、「永遠の女性」の世界における無政府主義者、復讐の本能を心の奥底にひめている出来そこないにほかならない。 (ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

ユーモアとしたが、ユーモアによって「真理」が語られる場合もある。この文を、ニーチェの時代錯誤、アンチフェミニストぶりの典型として読むだけでよいわけはない。

ユーモアは、「同時に自己であり他者でありうる力の存することを示す」(ボードレール)ものである。
われわれは時々、自分自身から逃れて息ぬきをしなければおさまらない、――自分というものを見下ろし、芸術的な距離をおいて遠くから、自分の姿について笑ったり泣いたりすることによって、われわれは、認識の情熱のうちに姿をひそめている主役と同時に道化をあばかねばならない。自分の知恵に対するたのしみを持ちつづけられるように、自分の愚かさを時々槍玉にあげて楽しめねばならぬのだ!

そして、われわれは、究極のところ、重苦しい、生真面目な人間であり、人間というよりか、むしろ重さそのものなのだから、まさにそのためにこそ、道化の鈴つき帽子はど、われわれに役立つものはない。(ニーチェ、悦ばしき知107 番 秋山英夫訳)

たとえば、ニーチェの次の文に、ラカンの女性の論理(非-全体の論理)、ヴィトゲンシュタインの家族類似性の起源のひとつをどうして読まないでいられよう(参照:「人は他者と意志の伝達をはかれる限りにおいてしか自分自身とも通じ合うことができない」)。


女は真理を欲しない。女にとって真理など何であろう。女にとって真理ほど疎遠で、厭わしく、憎らしいものは何もない。――女の最大の技巧は虚をつくことであり、女の最大の関心事は見せかけと美しさである。われわれ男たちは告白しよう。われわれが女がもつほかならぬこの技術とこの本能をこそ尊重し愛するのだ。われわれは重苦しいから、女という生物と附き合うことで心を軽くしたいのである。女たちの手、眼差し、優しい愚かさに接するとき、われわれの真剣さ、われわれの重苦しさや深刻さが殆んど馬鹿馬鹿しいものに見えて来るのだ。(『善悪の彼岸』)

…………

さて、『道徳の系譜』に、《大概の場合には、作品そのものを楽しもうとすれば、作者のことは忘れてしまわなくてはならない》とあったが――「大概の場合には」と、いささかの保留があるし、またニーチェ自身《精神の生理学者や解剖学者たち》であることもはなはだ多いのだから、この文章を額面通りに受け取らなくてもよいのだろうが、そうはいっても、次ぎのヴァレリーの言葉を引用して念押ししておこう。

……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。

そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)

とはいえ、ヴァレリーは次ぎのようにも言っているらしい(出典は不明)。

@Valery_BOT: 僕に興味のあるのは――もちろん、興味のある時に限ることだが――作品ではない――作者でもない――作品になっているものだ。

とすれば、ニーチェの《作品そのものを楽しもうとすれば、作者のことは忘れてしまわなくてはならない》を額面通りは受けとってはならぬという態度も生れてくるだろう。ヴァレリーの《作品ではない――作者でもない――作品になっているもの》とは、これもツイッターで拾って出典不明なのだが、柄谷行人が次ぎのように書いているのとそのまま重なる。


作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切り離して作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。——柄谷行人

そもそも、われわれはすでにテクスト生成の研究によって、草稿から本稿への書き換えによる作者の隠された意図を探って楽しむことを知ってしまっている。

たとえば、プルースト草稿研究家のフィリップ・ルジェンヌは、かの有名なプルーストのマドレーヌは、女性器を連想させ、それに苛立たしさを覚えてしまうとしている。

ルジェンヌは、《スポーンのなかでとけて崩れるこの菓子の、色あせた昔の匂いとそのスポンジ状の質感に、なにかそれがいかがわしい、ひょっとすると淫らなことでさえあるかのような居心地の悪さを覚えていた》。

わたしの苛立ちもおそらくは、この居心地の悪さをおし隠そうとしてのことしかなかったのだ。

ところがある日、オヤッと思うことがあった。この挿話のすでに公表されている第一稿(『反サント・ブーヴ論』の序文)では、プチット・マドレーヌのところが、一切れのトースト・パンと単なるラスクになっていることに気づいたのだ。何故だろう、この変化は? わたしは、両テクストを見くらべてみた。そのときからである、一連の探求がわたしのなかで開始されたのは。それはおどろきにつぐおどろきの連続だった。……(フィリップ・ルジェンヌ「エクリユールと性」)

二つだけプルースト自身の叙述を挙げてみよう。

・溝の入った帆立貝の貝殻のなかに鋳込まれたかにみえる、<プチット・マドレーヌ>と呼ばれるずんぐりして丸くふくらんだおのお菓子の一つ。

・厳格で敬虔な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、お菓子でつくった小さな貝の身

―――鋳込まれた〔moulé〕:mouleは、女陰の意味がある。

というわけで、「私」に価値がないわけではない。作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きとしての「私」にはひどく価値がある。

……精神科医は、眼前でたえず生成するテクストのようなものの中に身をおいているといってもよいであろう。

そのテクストは必ずしも言葉ではない、言葉であっても内容以上に音調である。それはフラットであるか、抑揚に富んでいるか? はずみがあるか? 繰り返しは? いつも戻ってくるところは? そして言いよどみや、にわかに雄弁になるところは?

私たちは星座をみるのではない。星座はコンヴェンションだ。むしろ、新しい星のつながりのための補助線を引く。いやむしろ、暗黒星雲を探し求める。語られないことば、空白域の推論である。資料がなければ禁欲する歴史家と、そこが違う。

また、時に、私たちは患者の書いた日記などを読む。患者がみて育った風景をみにゆく。さらに、時には、患者の死への道行きの跡を辿る。患者の読んだ本を、あるいは郷土史を読む。それがすぐに何になるわけでもないが、そんなことをする。

テクスト生成の研究者は、もちろん草稿なしには語らない。その点では私たちよりも歴史家に似ているだろう。しかし、厖大な草稿の中で次第にテクストが選ばれてゆく過程を読むと、私には近しさが感じられる。それはものを書く時に、語る時に、私たちの中に起っていることだ。患者の中にもおそらく起っていよう。ただ、重症の患者の中では、揺らぎや置き換えが起らない。しかし、治癒に近づくと彼ら彼女らの文章はしばしばそんじょそこらの“健常者”をしのぐ。病いにはことばをきたえ直す力さえあるのだろうか? (中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007初出『日時計の影』所収)

とすれば、蓮實重彦が言い放つ「行間にはなにも書かれていません」などとは、笑ってやりすごすべきであろうか。

いや蓮實重彦は、《作者にそれなりの思想があり、「作品」にそれなりの意味がそなわっているのは当然のはなしだ》としている。だが、ひとびとの一般的な読み方、物語やイメージに従属した読み方、あるいは《「作品」は、その意味や作家の思想に従属》したものとする読み方は、《一人に作家がある目的を持って書いたものでありながらも、思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌として存在に迫ってくることをやめてしまう》と。むしろイメージや先入主、あるいは概念などに囚われた読み方をしてしまう読者・鑑賞者を諌めているのだ。

ほとんどの場合、《われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念》(プルースト)なのであり、あるいは《われわれはじかの現実として知覚するものは、じつは「判断」なのである》(ジジェク)。

蓮實重彦の「行間に何も書かれてしません」は、次ぎのように読むべきなのだ、つまり行間に何かが書かれているのは当たり前だ、だがそれに囚われると、《そのとき読者が無意識に身を譲りわたすものが、「生」と現在とをことが終れば廃棄しうる二義的な媒介に還元してしまう嘆かわしい頽廃にほかならぬという事実だけは、そうたやすく忘れられてはなるまい》。ーーこのように読まねばならない。

すなわち、まずは《思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌》や、《「生」=現在》に耳をすまし、驚き、かつ絶句するのが、われわれの「作品」、あるいは「作品になっている」ものに接するあり方であろう。

肝腎なのは、生なましく触知しえない現在に苛立つ者たちが、思考すべき切実な課題とやらを文学に導入し、何とか欠如を埋めようと善意の努力を傾けようとする点だ。思考とは、この欠如を充塡すべく演じられる身振りにほかならない、そしてその身振りは、いくつもの解決すべき問題を捏造する。(『凡庸な芸術家の肖像』p243)

要するに、このような捏造者たちへの苛立ちからの「行間になにも書かれていません」という挑発なのである。

さらに悪いことには、巷間には次のような輩ばかりが棲息している(そして、わたくしj自身も、少なくとも分野によっては、その巷間に棲息する一員として戯言を垂れ流す厚顔無恥な人種であることを否定するつもりはまったくない、それはインターネット上で誰もが気軽に書き込めるようになった時代の典型的な「時代の症状」であるだろう)。

「わかりたいあなた」たちにとっては、わかったかわからないかを真剣に問うことよりも、なるべくスピーディーかつコンビニエント に、わかったつもりになれて(わかったことに出来て)、それについて「語(れ)ること」の方がずっと重要なのです。(佐々木敦『ニッポンの思想』

「わかったつもりになれて」とは「何かを理解したような気分」になることである。

何かを理解することと「何かを理解したかのような気分」になることとの間には、もとより、超えがたい距離が拡がっております。にもかかわらず、人びとは、 多くの場合、「何かを理解したかのような気分」になることが、何かを理解することのほとんど同義語であるかのように振舞いがちであります。たしかに、そう することで、ある種の安堵感が人びとのうちに広くゆきわたりはするでしょう。実際、同時代的な感性に多少とも恵まれていさえすれば、誰もが「何かを理解し たかのような気分」を共有することぐらいはできるのです。しかも、そのはば広い共有によって、わたくしたちは、ふと、社会が安定したかのような錯覚に陥り がちなのです。

だが、この安堵感の蔓延ぶりは、知性にとって由々しき事態たといわねばなりません。「何かを理解したかのような気分」にな るためには、対象を詳細に分析したり記述したりすることなど、いささかも必要とされてはいないからです。とりわけ、その対象がまとっているはずの歴史的な 意味を自分のものにしようとする意志を、その安堵感はあっさり遠ざけてしまいます。そのとき誰もが共有することになる「何も問題はない」という印象が、む なしい錯覚でしかないことはいうまでもありません。事実、葛藤が一時的に視界から一掃されたかにみえる時空など、社会にとってはいかにも不自然な虚構にす ぎないからです。しかも、その虚構の内部にあっては、「何も問題はない」という印象と「これはいかにも問題だ」という印象とが、同じひとつの「気分」のう ちにわかちがたく結びついてしまうのです。(蓮實重彦の『齟齬の誘惑』序文)

《だが、知っているとはどういうことなのか》--。

だが、知っているとはどういうことなのか。ほとんどの場合、知っているとは、みずから説話論的な磁場に身を置き、そこで一つの物語を語ってみせる能力の同義語だと思われている。フローベールとは、十九世紀フランスの小説家で、『感情教育』などの客観的な長篇小説を書いた、というのがそうした物語である。青年時代に神経症の発作に見舞われていらい、世間との交渉を絶ち、ノルマンディーの田舎に閉じこもって、文章の彫琢に没頭した、というのも物語である。また、その他いろいろあるだろう。そんな物語の一つをつぶやくことができるとき、人は、そこで主題になっているものを知っていると思う。知は、物語によって顕在化し、また物語は知によって保証されもするわけだ。なにひとつ物語を語りええないものを前にして、人はそれを知らないという。だから、フローベールが未刊のままの草稿として残した倒錯的な辞典の題名をかかげてみても、知と物語との相互保証を導きだすことにしかならないだろう。ところで、フローベルが十九世紀の半ばに構想を得た辞典は、まさに、こうした知と物語との補完的な関係を断ち切ることにあったのだ。

実際、誰もがフローベールを知っている。そして、知っているという事実をたがいに確認しあうために、人は、フローベールをめぐって誰もが知っている物語を語りあう。その物語の中で、最も多くの人に知られているものこそ、フローベールが執筆を企てた辞典の項目たる資格を持つものである。誰にでも妥当性を持つことで、誰もがそれを口にするのが自然だと思われる物語。それが、知の広汎な共有を保証し、その保証が同じ物語を反復させる。かくして知は、説話論的な装置の内部に閉じこもる。まるで物語の外には知など存在しないかのように、装置は、知を潤滑油として無限に機能しつづける。するとどういうことになるか。

結果は目にみえている。人は、知っていることについてしか語らなくなるだろう。たまたま未知のものが主題となっているかにみえる物語においてさえ、人は、それを物語ることで、既知であるかの錯覚と戯れる。あるは逆に、既知であるはずのものを、あたかも未知であるかのようなものにする。だから、物語は永遠に不滅なのだ。

ところで、この物語の無限反復の中に辞典の題名を導入するとどうなるか。それはギュスターヴ・フローベールの未完の草稿だと口にするだけで、この辞典が説話論的な磁場の中へ姿を消してしまうのは明らかだろう。あとはすべてが円滑に進行する。その倒錯的な辞典の倒錯性そのものに出会うことなく、誰もが物語を納得してしまうのだ。だが、フローベールとしては、みずからを無謀な編纂者に仕立てあげることで、この寛大な納得を、物語の模倣を介して宙に吊ることを目ざしていたわけだ。というよりむしろ、説話論的な磁場の保護から出て、誰もがごく自然に口にする物語を、その説話論的な構造にそって崩壊させるというのが、彼の倒錯的な戦略であったはずだ。物語に反対の物語を対置させることではなく、物語そのものにもっとも近づいて、自分自身を物語になぞらえさえしながら、物語的な欲望を意気阻喪させること。つまり、失望の生産とは、知と物語との補完的な関係をくつがえし、知るとは、そのつど物語を失うことにほかならなぬのだと、実践によって体得すること。事実、具体的に何ものかと遭遇するとき、人は、説話論的な磁場を思わず見失うほかはないだろう。つまり、なにも語れなくなってしまうという状態に置かれたとき、はじめて人は何ごとかを知ることになるのだ。実際、知るとは、説話論的な分節能力を放棄せざるをえない残酷な体験なのであり、寛大な納得の仕草によってまわりの者たちと同調することではない。何ものかを知るとき、人はそのつど物語を喪失する。これは、誰もが体験的に知っている失語体験である。言葉が欠けてしまうのではなく、あたりにいっせいにたち騒ぐ言葉が物語的な秩序におさまりがつかなくなる過剰な失語体験。知るとは、知識という説話論的な磁場にうがたれた欠落を埋めることで、ほどよい均衡におさまる物語によって保証される体験ではない。知るとは、あくまで過剰なものとの唐突な出会いであり、自分自身のうちに生起する統御しがたりもの同士の戯れに、進んで身をゆだねることである。陥没点を充塡して得られる平均値の共有ではなく、ときならぬ隆起を前に、存在そのものが途方に暮れることなのだ。この過剰なるものの理不尽な隆起現象だけが生を豊かなものにし、これを変容せしめる力を持つ。そしてその変容は、物語が消滅した地点にのみ生きられるもののはずである。(蓮實重彦『物語批判序説』)

われわれの多くはこのようにしてしか語っていないのであって、すなわち上に掲げたプルーストの言い方ならあらかじめ先入主として植えつけられた「概念」でしか、人に、作品に接していない。蓮實重彦の上の文が分かりにくい人がいるのであるなら、次のような語りの文を附記しておいてもよい。

……かりに自分が自分の批評家であったとすれば、蓮實重彦のこれまでの仕事は、一貫して、魂の唯物論的な擁護であるということになるでしょう。魂の唯物論的な擁護ということが、僕自身にとっての批評の意味でもあるわけです。魂というのは、きわめて具体的な言葉なら言葉の魂ということです。記号でも作品でもいい。文章でもかまわない、それを、ものとして、物質として、それが語られているその場で、みずから輝かせることが批評ではないか。そして、自分自身の言葉が、他人によって輝いたという経験も記憶もないのです。それは、蓮實重彦を語る人の多くが、イメージを介してしか論じていないもどかしさを与えるのですが、もっと困るのは、そのイメージが、僕と適当に似ていることです。そしてその相似によって、魂の唯物論的擁護がいたるところで流産されていると感じる。ということは、批評の魂がものとして輝いていないという意味でもあるわけですが、僕のもどかしさは、むしろ、ほどよい類似にたどりつくしなないイメージの貧弱さです、そしてそのことは、ほとんどの批評について言える弱点となっている。(『闘争のエチカ』)




2015年2月22日日曜日

まったく不快のない快適な日々が続いたら、〈あなた〉は「幸福」だろうか?

どの享楽の断念も、断念することの享楽を生み出す。どの欲望の障碍も障碍への欲望を生み出す。

every renunciation of enjoyment generates an enjoyment in renunciation, every obstacle to desire generates a desire for an obstacle(ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012)

《私が最後にもう一度繰り返すならばこうである、--人間は欲しないよりは、まだしも無を欲するものである、と》

ニーチェの真の主著『道徳の系譜』はこう終わる。といってもジジェクの文と並べてみはしたが、これは何か関係があるのだろうか? たまたま思い浮かんだだけではないか? それはこの際どうでもよろしい。ただこうだけ書いておこう。

ーーどの愛の断念も、断念することの愛を生む。

《彼女にはそこに義務があった。(……)それはたんなる仕事ではなかった。そこには彼女の心がこもっていた。しかも奥深く。それが彼女が本当に願っていたことだった。(……)看護婦ラングトリーはふたたび歩きはじめた。颯爽と、恐れることなく、彼女はついに自分自身を理解した。そして、義務こそ、最も淫らな強迫観念であり、愛の別名であることを理解した》。(コリーン・マッカロウ『淫らな強迫観念』)

義務こそが「最も淫らな強迫観念」……。ラカンのテーゼ、すなわち、〈善〉とは根源的・絶対的〈悪〉の仮面にすぎない、〈物自体 das Ding〉、つまり残虐で猥褻な〈物自体〉による「淫らな強迫観念」の仮面にすぎない、というテーゼは、そのように理解しなければならないのである。〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり、〈善〉とは「〈悪〉の別名」である。〈悪〉は特定の「病的な」位置をもたないのである。〈物自体 das Ding〉、が淫らな形でわれわれに取り巻き、事物の通常の進行を乱す外傷的な異物として機能しているおかげで、われわれは自身を統一し、特定の現世的対象への「病的な」愛着から逃れることができるのである。「善」は、この邪悪な〈物自体〉に対して一定の距離を保つための唯一の方法であり、その距離のおかげでわれわれは〈物自体〉に耐えられるのである。(ジジェク『斜めから見る』ーー「蜘蛛のような私、妖しい魅力と毒とを持つ私が恐ろしい」(神谷美恵子)より)

ーー《すべての善はなんらかの悪の変化したものである。あらゆる神はなんらかの悪魔を父としているのだ》(ニーチェ遺稿「生成の無垢」)

〈あなた〉が正義という理念のために己の正義を果たしていると考えているとき(たとえば安倍晋三を罵倒するとき)、〈わたくし〉は知っている。〈あなた〉のふだんは行き場のない攻撃欲動をこのときばかりと発散し、それを享楽していることを。

あなたが義務という目的のために己の義務を果たしていると考えているとき、密かにわれわれは知っている、あなたはその義務をある個人的な倒錯した享楽のためにしていることを。法の私心のない(公平な)観点はでっち上げである。というのは私的な病理がその裏にあるのだから。例えば義務感にて、善のため、生徒を威嚇する教師は、密かに、生徒を威嚇することを享楽している。

when you are thinking that you are doing your duty for the sake of duty, secretly we know you are doing it for some private perverse enjoyment.The disinterested point of the law is a fake, as there are private pathologies behind them. The proverbial example is that of the teacher who terrorizes his pupils out of a sense of duty, for their own good, but secretly he enjoys terrorizing pupils. (『ジジェク自身によるジジェク』)

〈あなた〉は、「正義」やら「理念」やらのためにいきり立っているわけではない、と反発する。ただ不快のせいだと。そう、たとえばここで次の文章を抜き出してもよい。

僕が一番好きなフーコーの書物は『知の考古学』だけど、あれは徹底した不快さへの戦いですよね。言説という現実をめぐって世間一般に行きわたっている無感覚に対する不快感の表明以外の何ものでもない。またそうした不快感なしに何ごとかを論じうる人々への不快感の表明でもあるでしょう。フーコーの倫理は、その不快さに対する戦いからくるから、理不尽であり、無責任である。つまり全体化された理論には絶対にならない。そのかわり、柄谷さんのいう「生きながらの積極性」といったものが言葉にみなぎるわけです。フーコーを論じる日本人の言葉に、この不快さに対する戦いが見えますか。感じられないでしょう。それは、不快さに対する戦いを不正に対する戦いに利用しようとするさもしい根性が働いているからです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』

だがそうであっても〈わたくし〉は知っている。不快な出来事を「権力への意志」の発露のための刺激剤としていることを。

人間は快をもとめるのでは《なく》、また不快をさけるのでは《ない》。私がこう主張することで反駁しているのがいかなる著名な先入見であるかは、おわかりのことであろう。快と不快とは、たんなる結果、たんなる随伴現象である、──人間が欲するもの、生命ある有機体のあらゆる最小部分も欲するもの、それは《権力の増大》である。この増大をもとめる努力のうちで、快も生ずれば不快も生ずる。あの意志から人間は抵抗を探しもとめ、人間は対抗する何ものかを必要とする──それゆえ不快は、おのれの権力への意志を阻止するものとして、一つの正常な事実、あらゆる有機的生起の正常な要素である。人間は不快をさけるのではなく、むしろそれを不断に必要とする。あらゆる勝利、あらゆる快感、あらゆる生起は、克服された抵抗を前提しているのである。──不快は、《私たちの権力感情の低減》を必然的に結果せしめるものではなく、むしろ、一般の場合においては、まさしく刺戟としてこの権力感情へとはたらきかける、──阻害はこの権力への意志の《刺戟剤》なのである」((ニーチェ『権力への意志』「第三書 原佑訳)

まったく不快のない快適な日々が続いたら、〈あなた〉は「幸福」だろうか?

厳密な意味での幸福は、どちらかと言えば、相当量になるまで堰きとめられていた欲求が急に満足させられるところに生れるもので、その性質上、挿話〔エピソード〕的な現象としてしか存在しえない。快感原則が切望している状態も、そのが継続するとなると、きまって、気の抜けた快感しか与えられないのである。人間の心理構造そのものが、状態というものからはたいした快感は与えられず、対照〔コントラスト〕によってしか強烈な快感を味わえないように作られているのだ。(註)

註)ゲーテにいたっては、「楽しい日々の連続ほどたえがたいものはない」とさえ警告している。もっとも、これは誇張と言っていいかもしれない。(フロイト『文化への不満』人文書院 フロイト著作集3 P441)

ところで、「強い」人間、器量の大きな人間、愛の器も攻撃欲動の器も大きい人間、彼から愛された〈あなた〉が他人から危害を蒙ることがあったのなら、その他人を叩きのめす力をもっている人間、ーーいったい女は、この他人を叩きのめすことができない男を真に愛するだろうかーーすなわち、《君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえに君から善を期待する》(ツァラトゥストラ)の「君」であるような強い人間、そんな彼がとりわけ不快に陥るのはどんな場合だろうか。それは受動的な立場に置かれることである。どうして強い人間が受け身の状態に置かれて耐えられるだろう? もっとも現代では「善良」な人間ばかりが跳梁跋扈しているが。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

たとえば受動的な立場とは、政治の客体となることだ。

「私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。」(ブレヒト『政治・社会論集』)

そう、どうやって土足でやってきた「政治」に知らんぷりができるだろう、器の大きな〈あなた〉が。

私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた。(加藤周一「現代の政治的意味」あとがき 1979)

とはいえ、《みにくさは、たやすく美しくなるような顔立ちにおいて、いっそうよく目立つ》ように、《生まれつきよく出来た人といわれている人間は、自己統御をまったく怠ると、最悪のところまで、しかもひとより早く達することが、しばしばある》(アラン)

強い人間にもラカンの〈幻想の横断traversée du fantasme〉ーーフロイトの〈徹底操作working throughーdurcharbeiten〉は欠かせない。

……幻想の横断traversée du fantasmeの問い(ひとびとの享楽を組織する幻想的な枠組みから最小限の距離をとるにはどうしたらいいのか? その効力を宙吊りにするにはどうしたらいいのか?)は精神分析的な治療とその終結にとって決定的なことだけではなく、われわれのこの時代、レイシストの高揚が再活性化された、あるいは世界的な反ユダヤ主義のこの時代において、おそらくまた最前線の政治的な問いでもある。伝統的な啓蒙主義的態度の不能ぶりは、反レイシスト運動の連中がもっともよい例になる。彼らは理性的な議論のレベルでは、レイシストの〈他者〉を拒絶する一連の説得力のある理由を掲げる。しかし、それにもかかわらず、彼らは自らの批判の対象に明らかに魅せられている。結果として、彼らのすべての防衛は、現実の危機が発生した瞬間(たとえば、祖国が危機に瀕したとき)、崩壊してしまう。それはまるで古典的なハリウッド映画のようであり、そこでは、悪党は、――“公式的には”、最終的に非難されるにしろ、――それにもかかわらず、われわれの(享楽の)リビドーが注ぎ込まれる(ヒッチコックは強調したではないか、映画とは、ただひたすら悪人によって魅惑的になる、と)。

最も重要な課題は、敵を弾劾し打ち負かすことではない。その仕事は容易に、敵がわれわれを把持することを強めてしまう結果に終わる。肝要なのは、われわれを魅了させる(幻想的な)呪縛をどうやって中断させるかということだ。幻想の横断traversée du fantasmeのポイントは、享楽から免れることではない(旧式の左翼の清教徒気質モードのような)。むしろ、幻想にたいして最小限の距離をとるということは、いわば、幻想的な枠組みから享楽を“鉤から外し取る”ということであり、かつまた享楽は、非決定的な、分割的ない残余であることに気づくことである。すなわちそれは、歴史的な慣性の支持をする固有に“反動的”なものでもなく、かつまた既存の秩序の束縛を掘り崩す解放的な勢力でもないのだ。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING,2012)

 〈あなた〉は、自らの攻撃欲動、死の欲動、権力への意志、ここでは正確な定義を試みるなどという大それたことをしないで、一緒くたに並べるが、ーーそれは不遜ながらフロイトが『マゾヒズムの経済的問題』でやった並べ方と同様である、《破壊欲動とか征服欲動とか権力への意志 Destruktionstrieb, Bemächtigungstrieb, Wille zur Macht》ーー、これらの発露の機会を虎視眈々と窺い、その機会が訪れたならば、それを楽しんでいるのではないか。

ジジェクの云う《享楽を鉤から外し取る》とは、まずは、自らの楽しみ(享楽)に気づき、そこから最小限の距離をとることだ。なにも己れの攻撃欲動の過剰さを否定する必要はない。もっともらしく善人ぶって己れの権力欲を否定してもなにも始まらない。

ましてや攻撃欲動を己れに反転させて「良心の疚しさ」などを覚える必要など毛頭ない。

外へ向けて放出されないすべての本能は内へ向けられるーー私が人間の内面化と呼ぶところのものはこれである。(……)粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを人間自身の方へ向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源である。(ニーチェ『道徳の系譜』--ニーチェ派とルソー派

ーーとはいえ「毛頭ない」のだろうか? 器量の大きな〈あなた〉の力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる必要はないのか。

まあそれはこの際問わないことにしておこう。ただ〈あなた〉は君主のような人物だとだけしておこう。君主だと? いやシツレイ! 君主にもいろいろな君主がいる、土人の国の王様のようなわが天皇陛下のようではなく、ボルジアのような君主だとしておこう。

あらゆる君主にとって、残酷よりは憐れみぶかいと評されることが望ましいことにちがいない。だが、こうした恩情も、やはりへたに用いることのないように心がけねばならない。たとえば、チューザレ・ボルジアは、残酷な人物とみられていた。しかし、この彼の残酷さがロマーニャの秩序を回復し、この地方を統一し、平和と忠誠を守らせる結果となったのである。とすると、よく考えれば、フィレンツェ市民が、冷酷非道の悪名を避けようとして、ついにピストイアの崩壊に腕をこまねいていたのにくらべれば、ボルジアのほうがずっと憐れみぶかかったことが知れる。したがって、君主たる者は、自分の臣民を結束させ、忠誠を守らすためには、残酷だという悪評をすこしも気にかけてはならない。というのは、あまりに憐れみぶかくて、混乱状態をまねき、やがて殺戮や略奪を横行させる君主にくらべれば、残酷な君主は、ごくたまの恩情がある行ないだけで、ずっと憐れみぶかいとみられるからである。また、後者においては、君主がくだす裁決が、ただ一個人を傷つけるだけですむのに対して、前者のばあいは、国民全体を傷つけることになるからである。(マキャベリ『君主論』)

さて、なんの話だったか。引用すると、最近は話の接ぎ穂が混乱してしまう。やはり脳軟化症気味なのだろうか。すくなくとも固有名詞を忘れることがひどく多くなった。つい最近は馴れ親しんだプルーストの小説の登場人物の名前(ベルゴット)が一時間ほどでて来なくて呆然とした、ーーそうだ、権力欲の話だ。EVERNOTEの引き出しを「権力欲」で探ってみることにする。

われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提とすべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)
差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがない。差別された者、抑圧されている者が差別者になる機微の一つでもある。(……)

些細な特徴や癖からはじまって、いわれのない穢れや美醜や何ということはない行動や一寸した癖が問題になる。これは周囲の差別意識に訴える力がある。何の意味であっても「自分より下」の者がいることはリーダーになりたくてなれない人間の権力への飢餓感を多少軽くする。(中井久夫「いじめの政治学」)

ところで、わたくしが今こう書いているのも、差別欲望、あるいは権力欲の一種ではないのか。すくなくとも他人との差異を際立たせようとする試みであるには相違ない。

人間の社会的欲望には、他人を模倣して他人と同一の存在であると認めてもらいたい模倣への欲望と、他人との差異を際立たせ自己の独自性を認めてもらいたい差異化への欲望とのふたつがあるのである。(ヘーゲル=岩井克人 ───岩井克人「ヴェニスの商人の資本論」より)


2015年2月21日土曜日

「理解」することは「許す」こと

半月ほどまえに書いた文章だが、投稿せずのままのものである(そもそもこの類の下書きが30ほどあり、かつまたWordには下書きの下書きとでもいうべきものが、これも20ほどある)。なにか別のことをつけ加えようと思っていたのだが、なんだったか思い出せない(それは初老による脳軟化症のせいかもしれない)。というわけで、そのまま投稿する。

…………

イスラム教とは、コミュニズム衰退後にその暴力的なアンチ資本主義を引き継いだ「二十一世紀のマルクス主義」である。(ピエール=アンドレ・タギエフーージジェク『ポストモダンの共産主義』からの孫引き

ピエール=アンドレ・タギエフとは、他にどんなことを言っているのかをいくらか探ってみたおりにめぐり合った丸岡高弘氏の「フランスにおける反人種差別主義的ディスクールの危機」から抜粋してみる。

タギエフはまたテロや暴力やさまざまな社会的逸脱行為の原因を解明しようとする努力がそれらを容認することに転換しやすいという点についてもフィンケルクロートとその危倶を共有する。彼等にとってこの問題について「理解」することは「許す」ことなのである。タギエフによればフランスの知的エリート達は国家が形成される前のナショナリズムを民族自決運動として手放しで承認するために,テロリズムまでも容認してしまう。パレスチナ人は特権的な犠牲者となり,他の犠牲者の存在は顧みられず,テロをうみだす原因(シオニズム)ばかりに注目が集められる。だから極左のひとびとの聞では,テロリズムはアメリカ帝国主義の産物だという転倒した議論がされてしまう。「こんなふうに暴力行為を説明し理解しようとすることはそれを正当化することと等しい 。


冒頭のタギエフの文章それ自体が、イスラム教を理解しようとするものであるかに見えてしまうところがあるが、ここでは素直にタギエフやフィンケルクロートの主張(丸岡高弘氏の論は、フィンケルクロート論である)に従おう、このところパレスチナやらイスラム国などをめぐってメモしてきた自らを諌め、軌道修正のためにも。

……われわれが避けねばならぬのは,「理解するよう努める」ということの罠である.つまり,ボスニア紛争が神秘化される主要な理由は,誰もがそれを「理解しよう」と努めることにある.そういった態度の紋切り型の一つに従えば,「何が起きているかを説明しようとすれば,少なくとも過去 500年の歴史,様々な戦争と宗教的,民族的等々の争いのあれこれについて知識を得なければならない」ということになるが,情勢の「複雑さ」をこのように強制的に喚起させることが結局何に貢献するかといえば,バルカンに注がれる疑似人類学的眼差し,つまりはファンタスムの場としてのバルカンに対して西欧の観察者が保っている距離を維持することに貢献するのである.言い換えるなら,旧ユーゴスラヴィアでの出来事が証明しているのは,「理解することは許すことだ」というお定まりの知恵がもつ愚劣さなのだ.為さねばならぬのは,まさにその逆のことである.ポスト =ユーゴスラヴィア戦争に関しては,いわば逆転した現象学的還元を行ない,われわれに状況を「理解する」ことを許す夥しい過去の亡霊,意味の多様性を括弧に入れなければならない.「理解する」ことの誘惑にあらがい, TVの音を切ることと同じようなことを行なわなければならない.するとどうだ,声の支えを失ったブラウン管上の人物の動きは,意味のない馬鹿げた仕草に見えるではないか …….「理解力」のこのような一時的宙吊りを行なうことで初めて,ポスト =ユーゴスラヴィア危機において政治的,経済的,イデオロギー的に問題となっているもの,すなわち,この戦争を導いた政治的計算と戦略的諸決定の分析が可能になるのである.ジジェク『アンダーグラウンド 』

この文自体、いかようにも読めるだろうが、たとえば、理解しようとしている巷間の「にわか識者」ーーそれは名の知れた評論家のたぐいももちろん含まれるーー、彼らが「僕は理解力の宙吊りを行なったあとで分析しているのだ」などと言い逃れる文章としても使われてしまう可能性があるのではないか。そしてジジェク自身だって「解釈」やら「理解」ばかりしているではないか! と何処かからきこえてきそうだ。

万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのである(Human being cannot endure very much reality ---T.S.Eliot)(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』P264)

ただし、わたくし自身はどうあっても、たとえばイスラムやユダヤ問題、あるいはパレスチナ問題について、宙吊りなどしていると言い募る自信はない。このところようやくいささか調べてみただけなのだから。

そしてブログならまだしも、ツイッターというのはどうしても脊髄反射的な書き込みになりがちだ。あれはひとをいっそう阿呆にする装置ではないか。

彼の書くものの中には、二種類のテキストがある。テクストⅠは反応的(反作用的)であり、その動因となっているものは、さまざまな憤慨、恐怖、内心での反論、軽い偏執病、防衛、いさかいである。テクストⅡは能動的(作用的)であり、その動因は、快楽である。しかし、書かれ、訂正され、“文体”の虚構に順応するにつれて、テクストⅠそれ自体も能動的となっていく。そうなると、それはみずからの反応性の表皮を失い、その反応性は、わずか、ところどころに斑(ささやかな丸括弧にかこまれた斑点)としてしか残らない。(『彼自身によるロラン・バルト』)

せめて苛立ちは、《ところどころに斑(ささやかな丸括弧にかこまれた斑点)としてしか残らない》ようにしたいものだ。

さて上に引用したジジェクの文の、ジジェク自身による解釈のような文章を掲げよう、そこには「似非能動性」という言葉がある。ツイッターとは似非能動性の装置である。

人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。これが強迫神経症者の典型的な戦略である。現実界的なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべり続ける。そうしないと、気まずい沈黙が支配し、みんながあからさまに緊張に立ち向かってしまうと思うからだ。(……)

今日の進歩的な政治の多くにおいてすら、危険なのは受動性ではなく似非能動性、すなわち能動的に参加しなければならないという強迫感である。人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する。本当に難しいのは一歩下がって身を引くことである。権力者たちはしばしば沈黙よりも危険な参加をより好む。われわれを対話に引き込み、われわれの不吉な受動性を壊すために。何も変化しないようにするために、われわれは四六時中能動的でいる。このような相互受動的な状態に対する、真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ。この最初の一歩が、真の能動性への、すなわち状況の座標を実際に変化させる行為への道を切り開く。(ジジェク『ラカンはこう読め!』p54)

 どうだろうか、〈あなた〉は、事件がある度に、なにかを言わざるを得ない気分になることがないか。他人と同調しつつ、ある人物へ悪口をいうことが公認された義務のような感覚に襲われることはないか。《……公衆の面前で悪しざまに罵倒することができる数少ない公的存在として、世間が○○を選んでしまったのである》(蓮實重彦)

そう、この○○にはいろんな固有名詞が入ることだろう。そして○○に、折りある毎になにかの名を代入しつつ騒ぎ立てる、ツイッター上の振舞いを、ファシズムと呼ぶ。

あらゆる言葉のパフォーマンスとしての言語は、反動的でもなければ、進歩主義的でもない。それはたんにファシストなのだ。なぜなら、ファシズムとは、なにかを言うことを妨げるものではなく、なにかを言わざるを得なく強いるものだからである。(ロラン・バルト『文学の記号学』)

いや罵倒だけではない。「表現の自由」の擁護の無限連鎖! ーーつい最近もあったではないか。あれはファシズムではないのか。ある「真理」やら「理念」を一歩間違って狂信的に扱えば、集団神経症が生れる。

さてこうやって書いてくれば、表題の《「理解」することは「許す」こと》に全く反する文章が「意図せずに」、浮んで来ることになる。

スピノザは、身体からくる受動感情(情念)を”意志”によって克服しようとする姿勢を否定する。感情に対しては、われわれはその原因を知ろうと努めることしかできない。感情にとってかわるのは、意志ではなく、もう一つの感情である。いいかえれば、意志そのものが、われわれが複雑すぎるがゆえにその原因を知らないところの欲望(意識された衝動)にほかならない。くりかえしていうが、スピノザはそのような感情や欲望の不可避性を承認しようとするのであって、それを理性や意志によって克服しようとする態度を否定するのである。

《感情は、それと反対の、しかもその感情よりもっと強力な感情によらなければ抑えることができない》(『エチカ』)。これは、ある意味で、フロイトが宗教についていったことを想起させる。フロイトの考えでは、宗教は集団神経症である。神経症を意志によって克服することはできない。が。彼は、ひとが宗教に入ると、個人的神経症から癒えることを認めている。それは、ある感情(神経症)を除去するには、もっと強力な感情(集団神経症)によらねばならないということである。むろんフロイトは、神経症を集団神経症によって癒すことに反対である。困難であるとしても、個人的・集団神経症に対して立ち向かう方法がひとつある。それはスピノザのいったつぎのことである。

受動の感情は、われわれがその感情についての明瞭・判明な観念を形成するば、ただちに受動の感情ではなくなる》(『エチカ』)。

つまり、それについて「明瞭・判明な観念」をもつこと以外には、受動性のなかにある状態から出られないと、スピノザはいうのだ。この場合、彼は感情のみについて語っているけれども、「受動性」はすべての「意識」についてあてはまる。真理の意識さえでも表象であり、受動性においてある。真理としてのイデオロギーを越えるのは、いつも別の真理のイデオロギーである。

こ こで、すでに示唆してきたように、いくつかの疑問が生じる。それは先ず、真理の意識そのものを表象とみなす「観念」は、それ自体意識ではないのか、ということだ。これはつぎのようにもいいかえられる。われわれが自然史のなかにあり、受動性=表象のなかにあって、それを超越しうるという考えそのものが表象に すぎないとするならば、そのようにいうこと自体は超越なのではないか、と。あるいは、個としての主体を受動的な表象とみなすとき、なおそれをそのようにみ なす主体があるのではないか、と。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

さあて、オスキナヨウニ! 読み手しだいである。〈あなたがた〉は、それぞれいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのであるから、己れの都合のよいように解釈したらよろしい!

ところで、このわたくしは、なぜ〈あなた〉とか〈あなたがた〉などという二人称単数やら複数の代名詞を使っていま書いているのだろう? それはひょっとして、なにか悪意の意図があるのではないか。

人称代名詞と呼ばれている代名詞。すべてがここで演じられるのだ。私は永久に、代名詞の競技場の中に閉じこめられている。「私〔je〕」は想像界を発動し、「君〔vous〕」と「彼〔il〕」は偏執病(パラノイア)を発動する。……『彼自身によるロラン・バルト』)

そう、もちろんナイーヴな読み手をパラノイア化させる意図があるに相違ない。

いやひょっとしてこっち系かもしれない。

@Cioran_Jp: 街に出て人間どもを目にすると、まっさきに思いつくのは「皆殺し」という言葉だ。(シオラン『四つ裂きの刑』)

「おれの曲に拍手する奴らを機銃掃射で
ひとり残らずぶっ殺してやりたい」と酔っぱらって作曲家は言うのだ

ーー谷川俊太郎「北軽井沢日録」より『世間シラズ』所収

なにひとつまっとうな人間としてものを考えようとしないやつらは、生きてても目ざわりになるから首でもくくって死ね、そうすれば皮でもはいで肉を犬にでもくれてやる、と思ったのだった。(中上健次『鳥のように獣のように』)

…………

加藤周一は、《理解するとは、分類することである》とする。そして《愛するとは、分類を拒むことである》とも。

理解するとは、分類することである。一人の女が他の女に似ている点に注目する(「スイもアマイもかみわけた」見方は、そうでなければ、成立しないだろう)。あるいは、一人の男がもう一人の男に似ている点に(「男はみんなこういうものだ」)。しかし愛するとは、分類を拒むことである。その女を愛するのは、他の誰にも似ていないから、つまりかけ替えがないからである(「オレとオマエの仲だもの……」)。故に理解の内容は、社会的であって―――社会的でない理解はそもそも成立しない―――、愛の内容は、本来非社会的であり、純粋に私的であり、余人に伝え難い。

しかし恋人たちの感情もゆれ動くだろう。ある時の感情が、次の瞬間に、どう変わってゆくのか、たしかな保証はない。相手の心理を忖度しても然り、自分自身の気分を省みてもなおかつ然り。みずからそこにたしかな持続をもとめ、拠りどころを築き、全く衝動的ではない一聯の行動の動機をそこから抽きだすためには、それが「愛」であるとか「恋」であるとかみずからいうほかない。しかるに「愛」にしても「恋」にしても、何かを名づけ、何かをいうためには、言葉を用いざるをえない。しかるに言葉は決して純粋に私的ではなく、社会的なものである。いうことは、社会化することであり、余人を私的空間に引き込むことである。どうすれば余人に伝え難いことを余人に伝えることができるだろうか。

別の言葉でいえば、非社会的なものの社会化は、いかにして可能であろうか。個別的対象の個別性=かけ替えのなさを、切り捨てて分類するのではなく、それを特殊な時と特殊な場所のなかに固定したまま、安定化し、明確化し、その時と場所を越えての意識に対し―――それが自分自身の意識であろうと、第三者の意識であろうと―――、到達可能なものにするためには、どういう手段を用いることができるだろうか。その手段は芸術的表現である。(加藤周一『絵のなかの女たち』)

すなわち愛するとは、理解を拒むことであるといってよいだろう。精神分析的にも、愛するとは「無意識」の心的領域によって起こるものであり、なかんずく対象aにかかわるのだから。

欲望の対象と欲望の対象-原因(対象a)のギャップというのは決定的なんだな、その特徴が私の欲望を惹き起こし欲望を支えるんだから。この特徴に気づかないままでいるかもしれない。でも、これはしばしば起っていることだが、私はそれに気づいているのだけれど、その特徴を誤って障害と感じていることだね。たとえば、誰かがある人に恋に落ちるとする、そしてこう言うんだな、「私は彼女をほんとうに魅力的だと思う、ただある細部を除いて。――それが私は何だかわからないけれど、彼女の笑い方とか、ジェスチュアとかーーこういったものが私をうんざりさせる」。でもあなたは確信することだってありうるんだ、これが障害であるどころか、実際のところ、欲望の原因だったりするのを。欲望の対象-原因というのはそのような奇妙な欠点で、バランスを乱すものなのだけれど、もしそれを取り除けば、欲望された対象自体がもはや機能しなくなってしまう、すなわち、もう欲望されなくなってしまうのだ。こういったパラドキシカルな障害物だね。(『ジジェク自身によるジジェク』私訳)

だから、出会い系、--なんというのだったか? 日本での結婚相手探しのコンパ、あれは自分を商品として提示するという意味で、いかにもなんでも商品化の時代、「新自由主義」的風潮のひとつであろうだろうがーー、破廉恥な反−愛の装置である。

感情的諸関係に関わる過程でさえ、ますます市場関係の流れに即して組織されるようになっている。そうした手続きは自己の商品化に基づいている。インターネットの出会い系や婚活の代理店にとって、出会いや結婚相手を求める人びとは、その品質を列挙し、写真を掲載することに見られるように、自分自身を商品として提示しているのである。ここで見失われていることは、自分に即座に好意をもってくれるようにしてくれたり、自分以外を即座に嫌いにしてくれる特異な魅力を指す、フロイトのいわゆる1本の線 der einzige Zug である。愛は必然性として経験される1箇の選択である。ある点で、人間は、すでに愛しており、他にはどうしようもないという感情に襲われる。定義的に言えば、したがって、それぞれの候補者の品質を比較し、誰と恋に落ちるのかを決意するといったことは、すでに愛ではありえない。だからこそ、出会い系は優れて反−愛の装置である。(「永遠の経済的非常事態」 スラヴォイ・ジジェク 長原豊訳

愛することは理解を拒むことであるのなら、では憎むことはどうだろう(たとえばテロ行為を憎む)。

フロイトの“無意識”とは、……まさに反射性のなかに刻みこまれる。例をあげよう。だれかこの私がヒッチコックの映画の悪党のような人物を“憎むことを愛する”。私は一見この悪役を憎むだけだ。にもかかわらず無意識的には私は(彼を愛しているわけではない、しかし)彼を憎むことを愛するのだ。すなわち、ここにある無意識とは、わたしは反射的に私の意識的な態度に関連させる方法なのだ。(あるいは逆のケースをあげよう。だれかこの私は“愛することを憎む”。フィルムノワールのヒーローは、悪魔的な宿命の女(ファムファタール)を愛さざるをえない、しかし彼女を愛することを彼自身は憎んでいる)。これがラカン曰くの人間の欲望はつねに欲望することを欲望することだの意味である。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』2012 私訳)

悪党は、――「公式的には」、最終的に非難されるにしろ、――それにもかかわらず、われわれの(享楽の)リビドーが注ぎ込まれている、ヒッチコックは強調したではないか、映画とは、ただひたすら悪人によって魅惑的になる、と。なぜ〈あなた〉はホラー映画を観るのか、一度でも己れに問うてみたことがあるだろうか?

いや、やめておこう、このように安易に抜き出してしまえば、また「理解することは許すこと」になりがちだから。あるいはこれでさえも場合によっては、集団神経症という「宗教」を生みがちになるだろう。

フロイトによれば国家も宗教である。日本人なんたら、あるいは「国家とは国民を守る義務がある」やらの寝言をリツイートしつつ騒ぎ立てる〈あなたたち〉は典型的な集団神経症に罹っているのではないだろうか。

国家とは外部があるとき現われる、たとえば戦争によって、とか、国家=暴力=警察やら、国家とは収奪装置であるといったのは誰であったか。いやいや理解しない種族は、国家とは国民を守ってくれるものと思い込んでいればよろしい。

なんの話だったか、--。

いずれにせよ、ただここではひたすら、憎むことは、理解を拒むことだ、とだけしておこう。そして、これでよいのだろうか、われわれは。

第二次世界大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか。フランス軍が初期にドイツ国内への進撃の機会を捨て、ドイツ国内への爆撃さえ禁止したこと、ポーランドを見殺しにした一年間の静かな対峙、その挙げ句の一ヶ月間の全面的戦線崩壊、パリ陥落、そして降伏である。両大戦間の間隔は二十年しかなく、また人口減少で青年の少ないフランスでは将軍はもちろん兵士にも再出征者が多かった。いや、戦争直前、チェコを犠牲にして英仏がヒトラーに屈したミュンヘン会議にも外傷が裏で働いていたかもしれない。

では、ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P88))

「イスラム国」の連中を「理解を超えた悪魔」としているだけでよいのだろうか。




2015年2月20日金曜日

ラカン派の「記号」と「シニフィアン」

《記号とは、つねにある固定された意味を示す。赤信号は「停まれ!」の意味である。シニフィアンとは、底に横たわる絶え間なく変化するシニフィエを示す。結果として固定された意味について語るのは困難である。意味は、この個別のシニフィアンが使用される、より大きな言語学的かつ社会文化的なコンテクストによって決定される。》(ポール・ヴェルハーゲ)

医療診断学において、症状は、底に横たわる障害を指し示す記号として解釈される。その記号は、孤立化されると同時に一般化される。臨床的な精神診断学においては、われわれはシニフィアンに直面する。そのシニフィアンは、患者と〈他者〉とのあいだのその折々に見合った相互作用において絶え間なく移動する意味をもっている。(……)

臨床的な精神診断学の問いは、「この患者はどんな病気を持っているか?」というものではそれほどなく、むしろ「この症状は誰に、何に、差し向けられているのか?」というものである。底に横たわる、しかし目に見えない構造――患者に交差するすべてを決定する構造――があるに違いないというものである。

医療診断学は特定化(症状symptom)から始め、一般化に向かう(症候群syndrome)。それは、個々人の苦情に完全に焦点を絞った記号的なシステムsemiotic systemを基礎としている。臨床的な精神診断学は一般(化)(始まりの苦情)から始めて、個別化(N = 1)に進んで行く。それは、主体と〈他者〉とのあいだのより広い関係性の部分であるシニフィアンのシステムを基礎としている。(Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics 私訳)

ラカン派の臨床医ポール・ヴェルハーゲであり、この「記号」と「シニフィアン」の意味づけは、かならずしも一般的ではないかもしれない。だが、この二つの語の定義をめぐる消息にはわたくしは詳しくない。

ここでは、ラカンの60年代初頭の捉え方のみを復習しておくことにする。セミネールⅨ「同一化」L'identification (S IX), 1961-1962からである(向井雅明試訳 東京精神分析サークル)。

…………

同一化について語るときまず考えるのは、同一化する相手としての他者であって、そこからすぐに小文字の他者と大文字の他者の違いについて考えるための扉が開かれているということである。この違いはみなさんにとってもう親しみ深いものであろう。
……われわれは、思考にとって「AはAである」ということが昔からいかなる困難を引き起こしてきたかを知っている。「AはAである」というとき、AがかくもAならば、なぜAを自分自身から切り離し、すぐに置き戻すのであろうかというものである。

ラカンはここで何を言っているのか? ーー「俺は俺だよ」、「アタシはアタシよ」、われわれも時にこのように友や親などに言い放つだろう。だが、これは俺=俺でないために、そういうのだ。

“A = A”は、象徴秩序内においてのみ起こり得る。そこでは、Aの同一化は「唯一の特徴unary feature」によって支えられ構成されているのだ。その「唯一の特徴」は、その核心にある空虚を徴づけている(その空虚の代わりとなっている)。「あなたはジョンだ」が意味するのは次ぎのことである。あなたのアイデンティティの核心は、あなたの名前で示された言葉で言い表わせないje ne sais quoi深淵なのである。だからどのアイデンティティも、つねに挫折させられ、実質がなく、虚構である(ポストモダンの「脱構築主義者」の呪文のように)だけではない。アイデンティティそれ自身が、厳密な意味で stricto sensu、その反対物の徴、それ自身の欠如の徴、自己アイデンティティとして主張される実体は十全のアイデンティティを喪失しているという事実の徴なのである。(ジジェク LESS THAN NOTHING 私訳)

ーーこのジジェクの話は、セミネールⅨではなく、セミネールⅩⅦを、おそらく基礎においており、ややここでの文脈からは外れるが、参考として引用しておいた。


さて、もとに戻れば、「俺は俺だ」というときの、この「俺」はシニフィアンであり、記号ではない。

シニフィアン”私”は自分自身のアイデンティティに錯覚をあたえるものである。

……the signifier “I” which gives us the illusion of an identity of our own.(Paul Verhaeghe『 FROM IMPOSSIBILITY TO INABILITY: LACAN'S THEORY ON THE FOUR DISCOURSES』)

〈自己〉とは主体性の実体的核心のフェティッシュ化された錯覚である。そこには実際は何もない。

the Self is the fetishized illusion of a substantial core of subjectivity where, in reality, there is nothing.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"ーー「心的外傷後ストレス障害PTSD/フロイトのトラウマ」より)

もっとも〈私〉という代名詞は、主人のシニフィアンであるという議論ではなく、想像界を発動させるものという理解がかねてはしばしばなされたし、この考え方は、今でもある側面では充分に通用するだろう(上のジジェクの文における「自己」でさえ、そのレベルで読むことができる)。

人称代名詞と呼ばれている代名詞。すべてがここで演じられるのだ。私は永久に、代名詞の競技場の中に閉じこめられている。「私〔je〕」は想像界を発動し、「君〔vous〕」と「彼〔il〕」は偏執病(パラノイア)を発動する。……『彼自身によるロラン・バルト』)

いやむしろシニフィアンに過ぎない〈私〉を、人はイマジネールな領野に転化して読んでしまう。

ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物――というより、むしろ複数の登場人物たち――によって語られているものと見なされるべきだ。(……)すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ーーバルトはしきりにこの類のことをくり返すのだが、世間の悪習は容易に変わるものではない。

彼にとって、自分自身の《イメージ》はどれもこれも耐えがたく、名づけられることは苦痛である。人間的なかかわりあいを完全なものにするためには、イメージを欠落させることが肝要だと彼は思っている。すなわち、人間同士のあいだで、互いに《形容詞》を廃棄することが大切なのだ。形容詞化されてしまうようなかかわりあいは、イメージの領域に属し、支配と死の領域に属する。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ーーこれ以外も、「レッテル貼りとフライド・ポテト化」を見よ。


ラカンは、エピメニデスの《「すべてのクレタ人はうそつきである」とクレタ人は言った》に言及しつつ、「俺は~を思う」の類の発話を、「彼女は俺を愛していると俺は思う」と言っているに過ぎないとさえと説いている。

「我思う」に「私は嘘をつく」と同じだけの要求をするのなら……、それは「私は考えていると思っている」という意味…これは想像的な、もしくは見解上の「私は思う」、「彼女は私を愛していると私は思う」と言う場合に-つまり厄介なことが起こるというわけだが-言う「私は思う」以外の何でもない。(『同一化』セミネール)

ツイッターなどで一人称単数代名詞を多用する輩の発話に不快感を覚えたとき、このラカンのロジックを適用して読んでみると愉快になり、人生が生き易くなること間違いなし。「俺の見解では → 恋人の見解では」、「私は気にしない → 愛人は気にしない」……。


ラカンの言表行為の主体と言表内容の主体の区別とは、 私が話すとき、“私自身”が直接話しているわけでは決してないということだ。

私は己れの象徴的アイデンティティーの虚構を頼みにしなければならない。この意味で、すべての発話は“胡散臭い”。「私はあなたを愛しています」には、愛人としての私のアイデンティティーがあなたに「あなたを愛しています」と告げているという構造がある。(ジジェクーーソクラテスのイロニーとプロソポピーア

いずれにせよ、たとえば蓮實重彦が次ぎのように書くとき、ラカン派的に言えば、それは象徴界のレベルの話をしている。

「私」という語彙のごく日常的な言語操作に難儀する者はまずいないだろうが、だからといって、人称代名詞としての「私」がそのつど確かな指示対象を持っているかといえば、これは大いに疑わしい。それは「私」にかぎられたことではなく、「転位語」と呼ばれている「あなた」だの「ここ」だの「昨日」だのに見られる一般的な特徴にほかならず、その指示対象を確保するには、「私」を主語とする言説の主体が聞き手に現前していなければならない。すなわち、自分を「私」と呼ぶ何者かの存在は、そう口にする瞬間、その声と同様に視覚的にも認識されるという空間的な状況が成立した場合、そのときのみ、初めてその指示対象は明らかになる。だが、それに対して、聞き手もまた自分を「私」と名指しつつ応えることになるのだから、「私」が、「空」だの「花」だの「草」だののように固有の指示対象を持っていないことは明らかである。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』)

 転位語、すなわち転換子(シフター)である。

例えば、「私は優しい人間だ」という文章を発話したとする。これは私の「自我」が「優しい」という性質をもっていると発話するディスクールである。そのため、「優しい人間だ」と発話する「私」という言葉は転換子として、主体を指示はするが、主体を意味することはできない(Lacan E800)。このディスクールの次元は言表[enonce]の次元であり、転換子である「私」は、この自我のディスクールのメッセージに対して言及しているコード(メタ言語的なもの)である。

要はシフターとは、ラカン派的にはシニフィアンである。


In a concern for method, we can try to begin here with the strictly linguistic definition of / as signifier, where it is nothing but the shifter* or indicative that, qua grammatical subject of the statement, designates the subject insofar as he is currently speaking. That is to say, it designates the enunciating subject, but does not signify him. This is obvious from the fact that there may be no signifier of the enunciating subject in the statement—not to mention that there are signifiers that differ from I, and not only those that are inadequately called cases of the first person singular, even if we add that it can be lodged in the plural invocation or even in the Self [Soi] of auto-suggestion. (E.800 LACAN ECRITS TRANSLATED BY BRUCE FINK)

ここにある”enunciating subject in the statement”のstatementとは「言表内容 enonce」のことである。「言表内容 enonce」とは、実際に話された言葉(意味内容)であり、「言表行為 enonciation」はその言葉を発言する行為のことである。人間の発話にどうしようもなく本来的にそなわってしまう、言表内容enonceと言表行為enonciationとの間の還元不能な落差を語っているのは言うまでもない。

誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできま す。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)


◆ヤコブソンの コミュニケーションの六機能図式


だが〈私〉は、ただのシニフィアンではなく、時と場合によって、主人のシニフィアンでありうる。

ラカンは、‘master signifiers’(主人のシニフィアン)を‘points de capiton’(クッションの綴じ目)と呼んだ。

どの「主人のシニフィアン」も瘤のようなものであり、知識、信念、実践などを縫い合わせて、それらが横にずれることを止め、それらの意味を固定する(ジジェク)。

”なにがマスターシニフィアンを構成するのかといえば、《語りの残りの部分、一連の知識やコード、信念から孤立化されることによってである》(Fink 1995)。

この“empty”(空の)シニフィアン(主人のシニフィアン)が、正確な意味を持たないことによって、《雑多な観点、相相剋する意味作用のチェーン、ある特定な状況に付随する独特の解釈を、ひとつの共通なラベルの下に、固定し保証してくれる》(Stavrakakis 1999)


とはいえ、こういういささか厄介な話を好まない人は、ただニーチェの命令する〈私〉と服従する〈私〉を思い出しておけばよろしい。

どんなケースにせよ、われわれが欲する場合に、われわれは同時に命じる者でもあり、かつ服従する者でもある、ということが起こるならば、われわれは服従する者としては、強制、拘束、圧迫、抵抗などの感情、また無理やり動かされるという感情などを抱くことになる。つまり意志する行為とともに即座に生じるこうした不快の感情を知ることになるのである。しかし他方でまたわれわれは<私>という統合的な概念のおかげでこのような二重性をごまかし、いかにもそんな二重性は存在しないと欺瞞的に思いこむ習慣も身につけている。そしてそういう習慣が安泰である限り、まさにちょうどその範囲に応じて、一連の誤った推論が、従って意志そのものについての一連の虚偽の判断が、「欲する」ということに関してまつわりついてきたのである。(ニーチェ『善悪の彼岸』湯浅博雄訳)

あるいは「自我は自分自身の家の主人ではない」“dass das Ich kein Herr sei in seinem eigenen Haus”(フロイト)とだけ思い起しておけばよろしい。だが巷間の社会学者やらフェミニストやら、ーー標準的な「学者」もそうだろうがーー、あの輩たち、どうやら未だ、これさえ知りたくないような「確信者」ばかりが棲息している気がしてならない。

ラカン理論に固有の難解な特徴は、その典型的に抽象的なスタイルにあるとされる。これは部分的にしか正しくない。誤解の真の原因は、むしろ粘り強い、防衛的な「知りたくないnot-wanting-to-know」にある。というのは、彼の理論は、われわれの仕事の領域だけではなく、まさに人生の生き方においてさえ、数多くの確信を揺らつかせるので、これが概念上の孤立無援を齎している。(Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics 私訳)

だがあまり他人のことは言えないので、ここでは中井久夫のすぐれたエリオット超訳を示して自戒しておくことにする。

万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのである(Human being cannot endure very much reality ---T.S.Eliot)(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』P264)

逐語訳なら「人というものはあまりに大きな現実very much realityには堪えられない」となり、中井久夫の「超訳」とすることができるが、エリオットの『四つの四重奏』の「エピグラフ」に、ヘラクレイトスの《most people live as if they had a wisdom of their own.》とあり、この訳である、とすることもできる。

ーーとすれば中井久夫の永遠の恋人、神谷美恵子訳のマルクス・アウレリウスの言葉を想起することにもなる。

他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うて見る習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただしまず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳)

…………

さて「同一化セミネール」に戻る。

《まずいっておくが、シニフィアンは記号ではない。われわれが取り組もうとしているのはこの区別に厳密な定義を与えることである》(ラカン)

シニフィアンは記号とは逆に、誰かに何かを表象するものではなく、主体をもうひとつのシニフィアンに対して表象するものである。私の犬はご存知のように、私の印、記号を探し、そして話す。なぜこの犬は話す時に言語を使わないのであろう。それは、私はこの犬にとって記号を与えるもので、シニフィアンを与えることはできないからである。前言語的に存在し得るパロールと言語の違いはまさにこのシニフィアンの機能の出現にかかっているのである。

小文字の他者/大文字の他者との同一化は、想像的同一化/象徴的同一化(シニフィアン的同一化)である。

『一般言語学講義』の中でソシュールはシニフィアンの輪郭をはっきりさせることによって同一化の機能を究明しようとする。そして同一化に関するひとつの重要なイメージ、10時15分の急行の例、を出す。10時15分の急行といったときその同一性ははっきり定義されている。それは物質的素材の観点からは明らかに異なった急行であるにもかかわらず、それは毎日同じ時間に出発するやはり同じ10時15分の急行である。10時15分の急行のような存在が成立するには語られた存在を通して現実界の中への大々的なシニフィアン的組織の連鎖の介入を前提としているのである。これはシニフィアン的同一化としての同一化の法を例証してくれるものである。

われわれに思考にとってひとつの支えとなるような対立項を出しておこう。それは想像的同一化に対立するシニフィアン的同一化である。想像的同一化については鏡像段階は生けにある同種類の存在、似ているものという意味での同類のイメージの器質的効果と呼べるものによって示した。それは自然博物史のいくつかの点で見ることができる同化の効果で、私がよく挙げる例に、エジプトツチイナゴという虫の形態の変化がある。この虫の容貌、毛などの表皮性物質の総体の出現、発達は、この虫の発達段階、幼虫の変化のどの時期にこの虫が他の虫と出会うかに依存している。この虫が出会う同類の虫のイメージの特徴によって、この虫が単独型形態になるか群生型形態になるかが変わるのである。

要するに、動物は話す(=パロール)。だが、シニフィアンを使うことはない。パロールは想像界のレベルの発話であり、シニフィアンは象徴界のレベルにおける使用しかない。すなわち動物に象徴界はない(もちろん、人間には想像界も象徴界もある。かつまた現実界は動物にも人間にもあるだろうが、このセミネールⅨの段階では、現実界についてはおおくは語られていない。かつまたシニフィアンをめぐっては、セミネールⅩⅦにおける転回が重要であるだろうが、いまそれに触れることはしない)。


われわれが、ある一定の条件のもとにある主体に呼びかけるとき、同一化という事実、一種の誤認現象は様々な報告、証言によると限りなくあるということは常に知られてきたことであるし、われわれも確認できることである。

問題なのはどうしてこれらのことが人間存在に起こるのかということである。私の犬とは違って人間存在は、ある動物が出てくるとき、自分の失った人、家族とか、首長あるいは部族のほかの重要人物とかの姿をそこに認めるのである。あの野牛、それは彼だ、というわけである。

……ケルトのある農家の使用人の話からきた民話がある。そこの主人、領主が死んだとき、一匹のハツカネズミが領地を一回りして戻って来、農具のある納屋に入り、鋤、鍬、シャベルなどの農具の上を動き回り、それから消えてしまった。ハツカネズミが何を意味するのかもうわかっていた使用人はこの後、主人の亡霊が現われるのを見て確信を得るのであった。この亡霊は次のように告げる、「私はあの小さなハツカネズミだった。別れを告げるために領地を一周したのだ。農具を見なければならなかったのは、それが他の何にもまして愛着を感じていた大切なものだからだ。一回りしてやっと開放されることができた。等々」

…………


ラカンの犬の話をも抜き出しておこう。


【ジュスティーヌという雌犬】

私の取り巻きの中に、サドに敬意を表してジュスティーヌと名付けた一匹の雌犬がいる。(とはいっても、私がその犬をいじめるわけではない。)この犬は間違いなく話をするのである。この犬が言葉を持っているのは疑い入れない。だが、それだからと言ってこの犬が完全に言語を持っているということにはならない。言語に対して人間的な関係をもつことなしに、パロールを持っているということに関する問いをもとに、前言語的なものについての問題を取り扱うことができる。私の犬が私にとって話をするとき、彼女はいったい何をしているのであろうか。彼女は話をすると言ったが、どうしてであろう。彼女は常に話すわけではない。人間とは違って、彼女は必要なときだけ話すのである。彼女が話す必要を感じるのは、感情が高ぶったとき、私と何人かの人達と関わり合いを持つときである。喉からクンクンという小さな音を出し、ほとんど人間的な調子で表され胸を打つものとなる。ここからこれを取り上げようという考えが浮かんだのである。

これはボクサーの雌犬で、ネアンデルタールのようなほとんど人間的な顔をしている。この顔の上に表れる上唇のある種の震えが人間にしては少し高い鼻面の下に現れるのだが、人間でもこんなタイプの人がいるであろう。それはうちの管理人のおばさんはそっくりで、唇の震えについては、彼女が私に何かを言いたいくてたまらないとき、ほとんどおなじ表現となるのである。(……)

私の犬がパロールを持ってること、このことは疑う余地も、議論の余地もない。自分自身の努力―これはしっかりと分節化され、分解可能で、直接そこに表現できるものである―から生み出されるなきごえの抑揚だけからではなく、この現象が生じる時との相関関係からしてもそうなのである。この現象が起きるのは、われわれが会食をしている時で、経験上会食のいくばくかの残り物は自分のところに来るはずだということがこの犬には分かっているのである。そこでは食べるという欲求だけが問題になっていると考えるのは間違いである。この食べるという要素と関係があるのは間違いないであろうが、そこにいる人達と一緒に食べるという交流の要素もあるのだ。


【動物と人間の話す行為の違い】

結局、この犬がほしいものを得るためには十分なこのパロールの使用法と、人間のパロールとの違いはどこにあるのであろう。この動物の話と、人間が話すということとの間の違いは、驚くべきことに、言葉を話す人間に起こることとは反対に、この犬は私を誰か違う人と取り違えたりは決してしないということである。このことは大変はっきりとしている。この立派な体つきをした、そして私を愛しているこのボクサーの雌犬は、私の前で過剰な情熱に身を任すことがあり、気が小さい人がこわがるような態度をとることがある。耳を伏せて私に飛び掛り、うなったりして私の手首を歯でくわえてかもうとするのだ。でもそれは何でもない。私が何か言うとすぐにおさまるか、何度か繰り返した後やめてしまう。それだからこそ私を愛しているのだと言えるのだ。というのも、彼女は私だということがよく分かっており、誰かと取り違えたりすることは決してないからである。このことは、分析において、いわば純粋な語る主体を相手にすることによって経験上わかることとは逆である。

純粋の語る主体を相手にすることはそれ自体、われわれの経験の誕生そのものを意味することであるのだが、患者は純粋の語る者であることによって、常にわれわれを誰か他の人と取り違えるのである。私が教えることの意味は、患者はわれわれを他の人と取り違えることによって、われわれを大文字の他者Autreの水準に置くのだ、ということを理解することなのである。私が自分の犬に関して言うのはまさにこのことである。この犬にとっては小文字の他者autreしか存在しない。彼女の言語への関係から大文字の他者への道があると考えることはできないのである。


【動物と人間の感情的領域】

……分析の存在以前にはまだ固有のものとして成立していなかった転移能力と呼ばれる可能性が私の犬に欠けているとしても、私が通常の意味で人間関係と呼ぶ感情的領域がこの犬と私自身との関係において縮小されるわけではまったくない。私の犬の行動においても私自身の、たとえば社交界の婦人との間にあるような関係が部分的にはそこにそのままあるということは明らかである。私のベッドの上にこの犬が乗って特権的な場を占めるときにこの犬が私を見つめる目、自分でも完全に特権的な意味を知っているその場所を占めることの栄光と、そこから追い出そうと今にも来る私の指図の動作への恐れの間に宙づりになったときの目は、私が社交界の婦人と呼んだものの目とまったく同じである。それは社交界の婦人がたとえばある映画について熱狂的賛辞与えた後で、彼女が自分の上に、「私はその映画に心底退屈した」という発言が向けられているのを感じる時に見せる同じ目つきなのである。社交界の作法であるnihil mirari[何事にもさりげない顔をする]の観点からすると、このことは、私に最初に話をさせたほうが良かったのではないだろうかという疑念を彼女に持たせるのである。