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2017年10月31日火曜日

遠くからやってくる「侯孝賢とビクトル・エリセ」

数日前、偶然に出会った侯孝賢の「黃金之弦」(2011)ーーなぜこんなに(わたくしにとって)美しいのか、このわずか六分弱の映像に魂を奪われてしまう。

美には傷 blessure 以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独 solitude temporaire mais profonde にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳)

◆La Belle Epoque. Hou Hsiao-hsien



冒頭の樟のざわめき、犬の遠吠え、蝉しぐれ、そして艶光る渡り廊下での幼児の歩み、柱時計の音、逆光のなか、カーテンが風でゆれる小部屋の畳の上での、二人の女の親密な語らい⋯そのあと過去が匂いさざめく。

なによりもまずわたくしのプンクトゥムが書き込まれている。そう言おう。

たいていの場合、プンクトゥム punctum は《細部 détail》である。つまり、部分対象 objet partiel である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。(ロラン・バルト『明るい部屋』)


もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥム punctum とは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象 représentation pure である。(『明るい部屋』)

「それは = かつて = あった」のである、わたくしの単独的な身体の出来事として。

だが今はこれ以上記したくない。今はただこう記しておくだけにする、あの侯孝賢の『La Belle Epoque』には、ビクトル・エリセの『エル・スール』がいる、と。

◆Víctor Erice、El Sur (1982)



犬の遠吠え、扉の開く音、足音、ささやき声、女のよび声、……そして成熟した女の声によるナレーション、――それはすでに大人になった女、すなわちエストレーリアがその成熟した女としての視点から語る声なのだがーー、少女時代の根源的な体験を、もはや触れえない何ものかとして語る遠くからやってくる声である。

ふと少女の顔を風のように撫でるものがある、耳のそばを通りぬけてゆく。彼女は部屋の闇のなか大きく目をみひらく……すると成熟したのちの少女の声、それはあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える)。

⋯⋯⋯⋯

断っておくが、わたくしは映画を多く観るほうではない。最近はほとんど観ない。ひさしぶりに上質な映像に巡り合ったその新鮮さのせいで、軀のなかを閃光が走ったということもあるかもしれない。

だがそれだけではない、あそこには手に届かないところにある痛み、傷がある。《痛みとは、遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもない》(ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』)

ビクトル・エリセを知るようになったのは、次のインタヴューを読んでからにすぎない。

◆蓮實重彦「心もとなく闇の中を歩みはじめるように」(ビクトル・エリセへのインタヴュー1985年、『光をめぐって』所収)

――『エル・スール』の場合は、オフのナレーションが素晴らしいのですが、この構成はシナリオ段階から決まっていたわけですね。

エリセ) ええ、あのナレーションの声は、すでに大人になった女、つまりエストレーリアがその成熟した女としての視点から語っているのです。彼女が、少女時代の根源的な体験を、もはや触れえない何ものかとして語っているわけです。それは、内面の日記かもしれない。文学的な作品の一断片かもしれない、しかしそれが文学的なものとして語られることを私は望んだのです。

――その少女時代の根源的な体験の中で、父親が重要な役目を果たしています。ところが、この父親と娘という関係をめぐって「この発想はあからさまにフロイト的だ」という批評を「カイエ・デュ・シネマ」誌で読みました。好意的な文章なのですが、こういう言葉で単純な図式化が行われると、作品の豊かさが一度に失われて残念な気がしました。

エリセ) おっしゃる通り、私は仕事をしているときに、その種のことはまったく考えていない。もちろん、これまでの生涯で目にしたある種のイメージとか、体験したある種の感情とかを映画の中に生かそうとはするでしょう。でも、フロイト的な発想などというものが最初のアイディアとしてあるわけではもちろんありません。私は心もとなく闇の中に歩きはじめる。私が何かを理解するのは撮影が終わった瞬間なのです。映画とは、そうした理解の一形態なのであり、あらかじめわかっていることを映画にするのではありません。

⋯⋯⋯⋯

侯孝賢が北野武に問うている20年ほどまえの映像を眺めてみた。蓮實重彦の湿った声もきこえてくる。

◆たけし、「悲しみ」について語る。in国際映画シンポジウム(4)




※Rétrospective Hou Hsiao-Hsien - Présentation par Mathieu Macheret(2016)には、侯孝賢の過去の作品の「眩暈のするような」映像が切り取られている。


ドガの女



ーーいやあ、何度眺めても、こよなく美しい。

あなたの口は「いや」という、あなたの声とあなたの眼は、もっと優しい一言を、もっと上手に語っている

Votre bouche dit non,votre voix et vos yeux disent un mot plus doux,et disent bien mieux(Andre Chenier)

ーーあなたの心は「いや」という、あなたの魂としての軀は、もっと優しい一言を、 もっと上手に語っている。

……それにしても、アルベルチーヌのなかで生きていたのは、私にとっては、一日のおわりの海だけではなかった、それはまた、ときには、月夜の砂浜にまどろんでいる海だった。(プルースト『囚われの女』)

あれは横たわる女ではない。まどろむ海である。

マラルメは踊り子について、踊り子が踊る女であるというのは間違いであって、踊り子は女ではなく、また踊るのでもないと言っている。(ヴァレリー『ドガに就いて』)

 ヴィスコンティの遺作「イノセント」にも、ラウラ・アントネッリ Laura Antonelli による海があらわれる。






いや海というより海の精、水母というべきかもしれない。

水母はその幾つも重なった裾に急激に波を打たせ、それを何回となく、異様な、みだらな執拗さを以て上下するのを繰返しつつ、遂にはエロスの夢と変ずる。と、突然、振動するひだ飾りと、切り取られた唇のごとき衣装のすべてをかなぐり棄てて、逆立ちをし、彼女自身を狂おしいばかりに剥きだしに示す。(ヴァレリー『ドガに就いて』)

夏の回廊を一廻りして
くらげばかりの夜の海へ
半分溺れたまま
ぼくらの頭
光らぬものを繁殖する

ーー吉岡実「静物」

2017年10月30日月曜日

基本版:人間の生の図式




上の図式は、ラカンの四つの言説の基盤となる図式を、巷間にもいくらか馴染みのある用語に置き換えたものである(四つの言説それぞれの基本については、「基本版:「四つの言説 quatre discours」」を見よ)。

まずこの図をこう読んでおこう、ーー「トラウマに駆り立てられた欲望の主体は、エロス(他者との融合)を目指すが、究極のエロスは不可能である。ゆえに残滓が生じる。そして永続的にこの運動を繰返す」。

⋯⋯⋯⋯

ラカンの言説とは社会的つながり lien social のことである。

言説とは何か? それは、言語の存在によって生み出されうるものの配置のなかに、社会的紐帯(社会的つながり lien social)の機能を作り上げるものである。

Le discours c'est quoi? C'est ce qui, dans l'ordre ... dans l'ordonnance de ce qui peut se produire par l'existence du langage, fait fonction de lien social. (Lacan, ミラノ、1972)


この社会的つながりの基本構造図にはいくつかのヴァリエーションがある。




①左上の agent(代理人)の箇所が、semblant(見せかけ・仮象)や désir(欲望)となっている図がある。冒頭の図では、これを「欲望」とした。正確に言えば、欲望の主体である。

とはいえ欲望の主体とは、ラカンにとって、幻想の主体のことである。

欲望の主体はない il n 'y a pas de sujet du désir。あるのは幻想の主体 Il y a le sujet du fantasme である。 ( Lacan,REPONSES A DES ETUDIANTS EN PIDLOSOPFIE,1966)

ラカンの幻想の式は $ ◊ a であり、この代表的な読み方は、「シニフィアンの象徴的効果によって分割された主体$(幻想の主体)は、対象 a と関係する」である。冒頭の図は、この幻想の式の詳述版として捉えうる。


②右上の Autre(大他者)の箇所が、jouissane(享楽)となっている図がある。享楽は、不可能としてのエロスである。

大他者の享楽 jouissance de l'Autre について、だれもがどれほど不可能なものか知っている。そして、フロイトが提起した神話、すなわちエロスのことだが、これはひとつになる faire Un という神話だろう。…だがどうあっても、二つの身体がひとつになりっこない qu'en aucun cas deux corps ne peuvent en faire qu'Un、どんなにお互いの身体を絡ませても。

…ひとつになることがあるとしたら、ひとつという意味が要素 le sens de l'élément、つまり死に属するrelève de la mort ものの意味に繋がるときだけである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)

ーーもちろん生身の他者(典型的には異性)との融合だけを考えなくてもよい。 言語との融合、大地との融合、偉大な理論や芸術との融合、さらには神との融合も、大他者との融合である(プルースト的な時との融合も同様)。

だがこれらの大他者と真に「融合=エロス」してしまえば、主体の死である。すなわち究極の享楽=死。

死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S.17、26 Novembre 1969)


③ 右下の produit(生産物)の箇所は、剰余享楽 plus de jouir である。これはエロスの不可能性のために生産される「残滓」である。

剰余享楽 plus-de-jouir とは⋯⋯享楽の欠片 lichettes de la jouissanceである(LACAN, S17、11 Mars 1970)
彷徨える過剰は存在の現実界である。L’excès errant est le réel de l’être.(バディウ Cours d’Alain Badiou) [ 1987-1988 ]

剰余享楽とは、フロイトの快の獲得と等価とされる。

フロイトの「快の獲得 Lustgewinn」、それはシンプルに、私の「剰余享楽 plus-de jouir」のことである。 …oder unmittelbaren Lustgewinn… à savoir tout simplement mon « plus-de jouir ».(ラカン、S21、20 Novembre 1973)
まずはじめに口 der Mund が、性感帯 die erogene Zone としてリビドー的要求 der Anspruch を精神にさしむける。精神の活動はさしあたり、その欲求 das Bedürfnis の充足 die Befriedigung をもたらすよう設定される。これは当然、第一に栄養による自己保存にやくだつ。しかし生理学を心理学ととりちがえてはならない。早期において子どもが頑固にこだわるおしゃぶり Lutschen には欲求充足が示されている。これは――栄養摂取に由来し、それに刺激されたものではあるが――栄養とは無関係に快の獲得 Lustgewinn をめざしたものである。ゆえにそれは‘性的 sexuell'と名づけることができるし、またそうすべきものである。(Freud『Abriss der Psychoanalyse 精神分析学概説』草稿、死後出版1940年)

「快の獲得」自体、エロスの不可能性のための反復運動であるだろう。ラカン派ではこれを「享楽欠如 manque à jouir」(S17)の享楽とも呼ぶ。

欲望に関しては、それは定義上、不満足であり、享楽欠如 manque à jouir です。欲望の原因は、フロイトが「原初に喪失した対象」と呼んだもの、ラカンが欠如しているものとしての「対象a」と呼んだものです。それにもかかわらず、複合的ではあるけれど、人は享楽欠如を享楽することが可能です on peut jouir du manque à jouir。それはラカンによって提供されたマゾヒズムの形式のひとつです。(コレット・ソレール2013, Interview de Colette Soler pour le journal « Estado de minas », Brésil, 10/09/2013)


④左下の vérité(真理)が、穴 trou=トラウマ trauma(ラカン曰くの「穴ウマ troumatisme」)であるのは、「安吾の「無頼・アモラル・非意味」」にていくらか入念に記した。

なぜトラウマなのか。最も簡潔に言えば、言語を使用する存在は、われわれの根から切り離されてしまうからである。

ヘーゲルが何度も繰り返して指摘したように、人が話すとき、人は常に一般性のなかに住まう。この意味は、言語の世界に入り込むと、主体は、具体的な生の世界のなかの根を失うということだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

すなわち言語使用は《物の殺害 meurtre de la chose》(ラカン、E319)である。これは実は誰もが知っている「トラウマ」である。《われわれは皆、トラウマ化されている tout le monde est traumatisé》(ミレール、2013-2014セミネール)。ニーチェも既に繰り返して強調している(参照:言語による「物の殺害」)。

坂口安吾の《アモラルな、この突き放した》云々というくり返される表現を、この観点から捉えると、より「豊か」でありうる。

逆説的だが、「根を下ろす」ということは、「根」から突き放されることであり、いいかえればそのようにして「根」を感知することである。 (坂口安吾『坂口安吾と中上健次』)

「根」とは、ここでの文脈においては、トラウマ=穴であるだろう。ジジェクの表現なら、人は言語によって、《世界のなかの根を失う》である。

⋯⋯⋯

ところで「人間の生の図式」には、エロスという言葉があって、タナトスがない。

エロスの目標は、より大きな統一 Einheiten を打ち立てること、そしてその統一を保つこと、要するに「結び合わせ Bindung」である。対照的に、破壊欲動の目標は、結合 Zusammenhänge を「分解 aufzulösen」 することである。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)

エロスが融合・統一に向かう動きであるのはいいだろう。だがタナトスは、フロイトによれば分離・分解である。

わたくしの現在理解する限りでは、冒頭の図式における循環運動自体がタナトスである。《私は…欲動Triebを「享楽の漂流 la dérive de la jouissance」と翻訳する。》(ラカン、S20、08 Mai 1973)

人は循環運動をする on tourne en rond… 死によって徴付られたもの marqué de la mort 以外に、どんな進展 progrèsもない 。

それはフロイトが、« trieber », Trieb という語で強調したものだ。仏語では pulsionと翻訳される… 死の衝動(欲動 la pulsion de mort) …もっとましな訳語はないもんだろうか。「dérive 漂流」という語はどうだろう。(ラカン、S23 16 Mars 1976)

ラカン派における死の欲動とは、実際は永遠の循環運動であり、「不死の欲動」である(参照:「死の欲動」という「不死の欲動」)。

ニーチェの永遠回帰、権力への意志とは、実はこの循環運動のことでありうる。

・永遠回帰 L'Éternel Retour …回帰 le Retour は権力への意志の純粋メタファー pure métaphore de la volonté de puissance以外の何ものでもない。

・しかし権力への意志 la volonté de puissanceは…至高の欲動 l'impulsion suprêmeのことではなかろうか?(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年ーー「享楽という原マゾヒズム」)




2017年10月29日日曜日

安吾の「無頼・アモラル・非意味」

柄谷行人は、ごく最近、次のように言っている。

僕にとって、真に無頼派の名にふさわしいのは安吾ですね。この本の冒頭に書きましたが、 「無頼」という言葉は、一般に考えられているようなものではなく、「頼るべきところのないこと」 (『広辞苑』)です。つまり、それは他人に頼らないことです。その意味では、いわゆるヤクザは無頼とはほど遠い。組織に依存し親分に従い、他人にたかるのだから。その意味で、安吾はヤクザではなく、まさに「無頼」だった。太宰はそうではない。「無頼」であれば、そもそも共産党に入党しないし、転向もしない。彼は頼りっぱなしの人だった。自殺するときまで、他人に頼っている。そういうものを「無頼」とはいいません。言語の本来の意味では、「無頼派」 は安吾だけだったと思います。最初に読んだときから、自分には安吾が性に合っていた。(柄谷行人氏ロングインタビュー <すべては坂口安吾から学んだ>、2017年10月26日

無頼、すなわちアモラル、非意味だろう。

モラルがないといふこと自体がモラルであると同じやうに、救ひがないといふこと自体が救ひであります。

私は文学のふるさと、或ひは人間のふるさとを、こゝに見ます。文学はこゝから始まる――私は、さうも思ひます。 

アモラルな、この突き放した物語だけが文学だといふのではありません。否、私はむしろ、このやうな物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。…… だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があらうとは思はれない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのやうに信じてゐます。(坂口安吾「文学のふるさと」1941)

柄谷は以前に書かれた安吾論でこう言っている。

彼がいう「ふるさと」は、普通の意味でのふるさとではない。たとえば、小林秀雄が「故郷喪失」という場合の「故郷」ではない。それは、われわれをあたたかく包み込む同一性ではなく、われわれを突き放す「他なるもの」である。それは意味でもなく無意味でもなくて、非意味である。(柄谷行人『終焉をめぐって』)
逆説的だが、「根を下ろす」ということは、「根」から突き放されることであり、いいかえればそのようにして「根」を感知することである。 (坂口安吾『坂口安吾と中上健次』)


とはいえ、安吾はーー再掲すればーーアモラルをそれほど高く評価しない、と言っている。

アモラルな、この突き放した物語だけが文学だといふのではありません。否、私はむしろ、このやうな物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごではあるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。…… だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があらうとは思はれない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。(「文学のふるさと」)

ーーアモラルをそれほど高く評価しないが、このアモラルから生まれ育っていない文学は決して信用しない、と。これは、ヘーゲルが、人は「世界の夜 Nacht der Welt」に遭遇して、その否定性を見据えたときはじめて精神は力をもつ、というのとほとんど相同的である、とわたくしは思う。

精神は、否定的なものを見据え Negativen ins Angesicht schaut、否定的なもの Negativen に留まる verweilt からこそ、その力をもつ。このように否定的なものに留まることが、否定的なものを存在に転回する魔法の力 Zauberkraft である。(ヘーゲル『精神現象学』「序論」、1807年ーー血みどろになつた處

ラカンの格言《大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre》も、その究極的な意味合いは、神や存在の深淵に救いを求めてはならない、ということである。

柄谷の安吾論に出現する「非意味」とは、ラカン派も同様のことをいっている。《サントームの固有の享楽は意味からの排除(非意味)である。la jouissance propre au sinthome exclut le sens. 》(ミレール、2014)

後期ラカン自身の文なら次の通り。

la jouissance propre au symptôme. Jouissance opaque d'exclure le sens. (ラカン、AE570, JOYCE LE SYMPTOME、1975)

意味の排除、すなわち非意味(意味-不在 ab-sens)である。

フロイトは、非意味(意味-不在 ab-sens)が性を示すという手がかりをわれわれに与えてくれる。言葉が決着をつけるところでトポロジーが展開されるのは、この性的非関係(性不在-意味sens-absexe)の膨張によってである。 (ラカン、エトゥルディ、1972)

中期ラカンにおいては、《non-sensノンセンス》という言葉を使っているが、これも後期ラカンから遡及的に読めば、非意味のことであるだろう。

意味作用 signification の彼岸、あらゆるシニフィアンの彼岸、…非意味(ノンセンス)の、もはや還元されえぬ、トラウマ的なもの…これがトラウマの意味である。

au-delà de cette signification - à quel signifiant… non-sens, irréductible, traumatique, c'est là le sens du traumatisme (ラカン、S11、17 Juin 1964)

非関係 non-rapport、穴ウマ troumatismeという言葉もほぼ等価な表現である。すくなくともわたくしは(今のところ)そう考えている。

穴、それは非関係によって構成されている。un trou, celui constitué par le non-rapport(S22, 17 Décembre 1974)
我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋めるために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を生む。

nous savons tous parce que tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. Là où il n'y a pas de rapport sexuel, ça fait « troumatisme ». (ラカン、S21、19 Février 1974 )

※参照:「反アナーキー的作家」のために

⋯⋯⋯⋯

ここで、安吾の《救ひがないといふこと自体が救ひ》という表現に反応して、ギリシャの小説家、詩人、政治家であったニコス・カザンザキスの「救いがないことが救い」を引用しよう。

最も重要な救済は、まさに救済の考え方からの救済である。(ニコス・カザンザキス Nikos Kazantzakis,Report to Greco,1973)

わたくしはさるラカン派の引用でこの言葉を知ったにすぎないが、この救いがないという救い(無)に直面してどうすべきなのか。

《なぜ我々は新しいシニフィアンを発明しないのか? たとえば、それはちょうど現実界のように、非意味 aucune espèce de sens のシニフィアンを。Pourquoi est-ce qu'on n'inventerait pas un signifiant nouveau? Un signifiant par exemple qui n'aurait, comme le réel, aucune espèce de sens?》(ラカン, S24 、17 Mai 1977)

ラカンはこの自己によって創造されるフィクションを、サントームと呼んだ。…新しいシニフィアン或いはサントームの創造の文脈における創造とは、大他者の欠如の上に築き上げられるものである。すなわち 「creatio ex nihilo 無からの創造」においてのみ。(ポール・バーハウ、Paul Verhaeghe and Declercq"Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way"2002)

上にあるように、「無からの創造 Creatio ex nihilo」(非関係・非意味に遭遇して主体自らが固有の支えを創造すること)、これがラカンのサントームである。あるいは、《最後のラカンにおいて、父の名はサントームと定義されている défini le Nom-du-Père comme un sinthome》(ミレール、2013、L'Autre sans Autre、PDF)、大他者の大他者、すなわち象徴的大他者を支える大他者(父の名)はサントームである。

もっともサントームには別に原症状の意味もあるが、ーー《症状(原症状)は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps》(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME, AE.569、1975)

さて上のバーハウ他のサントーム論には「大他者の欠如」とあるが、これは最近の主流ラカン派による解釈に則れば、「大他者の穴」とするほうがより正確である。

◆ジャック=アラン・ミレール「後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan, 6 juin 2001」 LE LIEU ET LE LIEN Jacques Alain Miller Vingtième séance du Cours, pdfより

穴 trou の概念は、欠如 manque の概念とは異なる。この穴の概念が、後期ラカン教えを以前のラカンとを異なったものにする。

この相違は何か? 人が欠如を語るとき、場 place は残ったままである。欠如とは、場のなかに刻まれた不在 absence を意味する。欠如は場の秩序に従う。場は、欠如によって影響を受けない。この理由で、まさに他の諸要素が、ある要素の《欠如している manque》場を占めることができる。人は置換 permutation することができるのである。置換とは、欠如が機能していることを意味する。

欠如は失望させる。というのは欠如はそこにはないから。しかしながら、それを代替する諸要素の欠如はない。欠如は、言語の組み合わせ規則における、完全に法にかなった権限 instance である。

ちょうど反対のことが穴 trou について言える。ラカンは後期の教えで、この穴の概念を練り上げた。穴は、欠如とは対照的に、秩序の消滅・場の秩序の消滅 disparition de l'ordre, de l'ordre des places を意味する。穴は、組合せ規則の場処自体の消滅である Le trou comporte la disparition du lieu même de la combinatoire。これが、斜線を引かれた大他者 grand A barré (Ⱥ) の最も深い価値である。ここで、Ⱥ は大他者のなかの欠如を意味しない Grand A barré ne veut pas dire ici un manque dans l'Autre 。そうではなく、Ⱥ は大他者の場における穴 à la place de l'Autre un trou、組合せ規則の消滅 disparition de la combinatoire である。

穴との関係において、外立がある il y a ex-sistence。それは、剰余の正しい位置 position propre au resteであり、現実界の正しい位置 position propre au réel、すなわち意味の排除 exclusion du sensである。(ジャック=アラン・ミレール、後期ラカンの教えLe dernier enseignement de Lacan, LE LIEU ET LE LIEN , Jacques Alain Miller Vingtième séance du Cours, 6 juin 2001)

※より詳細には、 「S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴」を見よ

さて主体$は大他者の穴、すなわちȺに遭遇したとき、大他者の穴だけではなく、主体自身の穴にも遭遇する(ほとんどの場合)。

この穴Ⱥとは、原対象aのことでもある。

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S18, 27 Novembre 1968)

人はラカン派の注釈を読むとき、対象aの両義性につねに注意しなければならない。

対象a の根源的両義性……対象a は一方で、幻想的囮/スクリーンを表し、他方で、この囮を混乱させるもの、すなわち囮の背後の空虚 vide をあらわす。(Zizek, Can One Exit from The Capitalist Discourse Without Becoming a Saint? ,2016, pdf)

この対象aの両義性にじゅうぶん注意を払えば、ラカン理論の核心のひとつは次のように図示できる。




この図のaは、大他者と主体両方の穴としての原対象aであり、かつ幻想的穴埋めとしての対象aでもある。

欠如の欠如 Le manque du manque が現実界を生む。それは唯一、コルク栓(穴埋め bouchon)としてのみ現れる。このコルク栓は不可能の用語にて支えられている。

Le manque du manque fait le réel, qui ne sort que là, bouchon. Ce bouchon que supporte le terme de l'impossible(Lacan、1976 AE.573)
女性の享楽は非全体pas-tout の補填 suppléance を基礎にしている。(……)彼女は(a)というコルク栓 bouchon de ce (a) を見いだす(ラカン、S20、09 Janvier 1973)

こうして原対象a(穴Ⱥ)に遭遇したものは、主体の解任をする。

対象a としての分析家は、分析主体(患者)の言葉を⋯⋯脱主体化し、言葉から、一貫した主体の表白、意味への意図の質を奪い去る。目的はもはや分析主体が発話の意味を想定することではなく、非意味、不条理という非一貫性を想定することである。患者の地位は、脱主体化されてしまうのだ。ラカンはこれを「主体の解任 destitution subjective」と呼んだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012、私訳)

だが「主体の解任」、あるいは「非意味」に遭遇したままほうっておいてはならない。ほうっておいたら「原マゾヒズム」に貪り喰われてしまう。「無頼・アモラル・非意味」と同一化しつつも、そこから距離を取ることが必要である。

分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである。症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。

En quoi consiste ce repérage qu'est l'analyse? Est-ce que ce serait, ou non, s'identifier, tout en prenant ses garanties d'une espèce de distance, à son symptôme? savoir faire avec, savoir le débrouiller, le manipuler ... savoir y faire avec son symptôme, c'est là la fin de l'analyse.(Lacan, S24, 16 Novembre 1976)

こうして臨床的には次のようなことが言われる。

……精神分析実践の目標は、人を症状から免がれるように手助けすることではない……。正しい満足を見出すために症状から免れることではない。目標は享楽の不可能の上に異なった種類の症状を設置することである。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE,new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex,2009)

さて今示したような観点において、安吾は、ヘーゲル的な否定性、あるいはラカン的精神分析臨床には直接的にはかかわらないままで、だが彼等と相同的な内容を日本でいちはやく表現した作家である、とわたくしは考えている。

それは安吾の別の表現の仕方なら次のようなことでもある。

堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。即ち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、ただ自らに頼る以外に術のない宿命を帯びている。 

善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んで行く。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野のひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。(坂口安吾『続堕落論』初出1946年)

ーーこれもラカン的にいえば、 「大他者の応答 réponse de l'Autre」としての生ではなく、「現実界の応答 réponse du réel」としての生ということになる。

⋯⋯⋯⋯

ラカンの大他者とは何か。最後にジャック=アラン・ミレールの注釈を掲げておこう。

なぜラカンは、その教えの出発点で、法へ情熱をもったのか。そして「大他者の大他者は いない」と言ったとき、なぜそれを捨て去ったのか。ラカンは異なった法(言語、パロール、 言説等の)を我々に教え、この表明に到った。…

第一に、言語学の法がある。ラカンがソシュールから借りてきたものだ。それはシニフィア ンをシニフィエから、共時性を通時性から区別することに導く。ヤコブソンに見出した法も またある。それは、隠喩を換喩から分節化し区別する。ラカンはこれらを法として・メカニズ ムとして語った。

第二に、弁証法的法がある。ラカンがヘーゲルのなかに探しにいったものだ。この法は告 げる、言説のなかで主体は、他の主体の仲介を通してのみ、彼の存在を想定しうる、と。ラ カンはこれを承認の弁証法的法と呼ぶ。

第三に、我々はラカンのなかに数学的法を見出す(これはある時期とても人気があったが、 もはや我々のものではない)。例えば、ラカンが、最初の図式とともに、「盗まれた手紙」に ついてのセミネールにて探求したような法だ。あの α, β, γ, δ の図式は、無意識の記 憶にとってのモデルを提供した。

第四に、社会学的法がある。ラカンがレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』から採用し た同盟と親族の法である。

第五に、想定されたフロイトの法、エディプスがある。それは、初期ラカンが法へと作り上 げたものだ。すなわち「父の名」は「母の欲望」の上に課されなければならない。その条件 のみにおいて、身体の享楽は飼い馴らされ、主体は、他の諸主体と共有された現実の経 験に従いうる、と。

さて、私は面倒を厭わず、法の 5 つの領域を列挙した。言語学的・弁証法的・数学的・社 会学的・フロイト的である。ラカンが分析経験を熟考し始めたとき、少なくとも主体をめぐっ て教え始めたとき、この法の 5 つの領域は、彼にとって、象徴界と呼ばれるものを構成した。(……) なぜラカンは、このように法概念に中心的重要性を与えたのか。それは疑いなく、彼にとっ て法は合理性の条件だからだ。さらに具体的にいえば、科学の条件である。ラカンはあたかも「法がある場にのみ科学はある」という箴言に駆り立てられていたかのようだ。(ジャック=アラン・ミレール, L'Autre sans Autre (大他者なき大他者)、2013,pdf

もちろん大他者の大他者はない、あるいは無頼(「頼るべきところのないこと」 「他人に頼らないこと」)なのだから、究極的には、ラカンや安吾の考え方にも、人は頼るべきではない、ということになる。己自身によって無=穴に遭遇して、そして自らの支えを「無からの創造 creatio ex nihilo」しなければならない。

最も肝腎なのは、穴Ⱥ(穴ウマ=トラウマ)、あるいはȺ のシニフィアンS(Ⱥ) は、《ラカンがフロイトの欲動を書き換えたシンボル symbole où Lacan transcrit la pulsion freudienne》(ミレール、 LE LIEU ET LE LIEN, pdf)であり、各個人によって、欲動のあり方は異なることであるーー起源は個人単独的な《純粋な身体の出来事 pur événement de corps》(ミレール、2011)ーー、かつまたわれわれは《誰もがトラウマ化されている tout le monde est traumatisé》(ミレール、2013-2014セミネール)、つまり原症状のない主体はない。当然、この「Ⱥからの創造」も個人単独的なものとなる。ゆえに「無頼=他人に頼らないこと」なのだ。

ニーチェも「神の死=象徴界(仮象の世界)の支えはない」(象徴的大他者の支えとしての大他者はない)という認識に遭遇して、無からの創造を行おうとして作家であるだろう。《もし人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する己れの典型的経験 typisches Erlebniss immer wiederkommt を持っている。》(ニーチェ『善悪の彼岸』70番)

「仮象の scheinbare」世界が、唯一の世界である。「真の世界 wahre Welt」とは、たんに嘘 gelogenによって仮象の世界に付け加えられたにすぎない。(ニーチェ『偶像の黄昏』1888年)

クロソウスキーの言う「魂の調子 Stimmung」への応答を、わたくしはラカンの「現実界の応答 réponse du réel」とともに読む。《c'est le sujet, qui, comme effet de signification, est réponse du réel》(Lacan, L'étourdit)

《神の死 mort de Dieu》ーー「責任ある自我のアイデンティティを保証するものとしての神 du Dieu garant de l'identité du moi responsable」--その神の死は、…あらゆる可能な諸アイデンティティへと魂を切り開く。…ニーチェにおいて「神の死」は、「永遠回帰 Éternel Retour」のエクスタシー的刻限と同様に、(散乱する諸アイデンティティの)「魂の調子 Stimmung」への応答である。(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年)

2017年10月28日土曜日

目を閉じる方法

目を閉じると
風のにおいがする
まるで果実のような
ふくらみを持った風
ざらりとした果皮があり
果肉のぬめりがあり
種子のつぶだちがある

遠い日の湿った多肉質の実
果皮は匂いさざめき
果肉は溶けて快楽(けらく)となる
種子はやわらかな微粒子となり
私の魂にのめりこり
微かな痛みを残す

背筋をまっすぐにのばして目を閉じると、風のにおいがした。まるで果実のようなふくらみを持った風だった。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子のつぶだちがあった。果肉が空中で砕けると、種子はやわらかな散弾となって、僕の腕にのめりこんだ。そしてそのあとに微かな痛みが残った。(村上春樹『めくらやなぎと眠る女』)



スクリーンの前では、私は目を閉じる自由をもっていない。そんなことをしようものなら、目を開けたとき、ふたたび同じ映像を見出すわけにはいかなくなる。私はたえずむさぼり見ることを強制される。映画には他の多くの長所があるが、思考性 pensivité だけはない。私がむしろフォトグラム(映画のコマ写真)に関心をもつのはそのためである。(ロラン・バルト『明るい部屋』)





人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくこともある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。それを再び見出すことはできない。

再び見出すことができるのは、絵のなかの女たちである。絵のなかでも、街のなかでと同じように、人は偶然に女たちに出会う。しかし絵のなかでは、外部で流れ去る時間が停まっている。10年前に出会った女の姿態は、今もそのまま変わらない、同じ町の、同じ美術館の、同じ部屋の壁の、同じ絵のなかで。(加藤周一『絵のなかの女たち』)





わたくしはフェティストである。映画鑑賞者としては邪道者である。侯孝賢の美しい映像に満ち溢れている作品たちに使われる音楽は、不幸にもわたくしの音楽の趣味とはひどく懸け離れている。それにときに苛立つ。そしていまは長い物語には退屈する。ゆえにわたくしはテキストを切り取る。わたくしは倒錯する。

報告された快楽から、どのようにして快楽を汲み取るのか(夢の話、パーティの話の退屈さ)。どのようにして批評を読むのか。唯一の手段はこうだ。私は、今、第二段階の読者なのだから、位置を移さなければならない。批評の快楽の聞き手になる代わりにーー楽しみ損なうのは確実だからーー、それの覗き手 voyeur になることができる。こっそり他人の快楽を観察するのだ。私は倒錯する j'entre dans la perversion 。すると、注釈は、テクストにみえ、フィクションにみえ、ひびの入った皮膜 une enveloppe fissurée にみえてくる。作家の倒錯(彼の快楽は機能を持たない)、批評家の、その読者の、二重、三重の倒錯、以下、無限。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)


もちろん、神経症者(強迫神経症者、ヒステリー)やパラノイアたちの映画の鑑賞の仕方を否定するつもりは毛頭ない。

人は、読書の快楽のーーあるいは、快楽の読書のーー類型学を想像することができる。

それは社会学的な類型学ではないだろう。なぜなら、快楽は生産物にも生産にも属していないからである。それは精神分析的でしかあり得ないだろう。(⋯⋯)

フェティシストは、切り取られたテクストに、引用や慣用語や活字の細分化に、単語の快楽に向いているだろう。Le fétichiste s'accorderait au texte découpé, au morcellement des citations, des formules, des frappes, au plaisir du mot.

強迫神経症者は、文字や、入れ子細工状になった二次言語や、メタ言語に対する官能l a volupté de la lettre, des langages seconds, décrochés, des métalangages を抱くだろう (この部類には、すべての言語マニア、言語学者、記号論者、文献学者、すなわち、言語活動がつきまとうすべての者が入るだろう)。

偏執症者(パラノイア)は、ねじれたテクスト、理屈として展開された物語、遊びとして示された構成、秘密の束縛 textes retors, des histoires développées comme des raisonnements, des constructions posées comme des jeux, des contraintes secrètes を、消費し、あるいは、生産するだろう。

(強迫症者とは正反対の)ヒステリー症者は、テクストを現金として考える者、言語活動の、根拠のない、真実味を欠いた喜劇 comédie sans fond, sans vérité, du langage に加わる者、もはやいかなる批評的視線の主体でもなく、テクスト越しに身を投げる(テクストに身を投影するのとは全く違う)者といえるであろう。(ロラン・バルト『テキストの快楽』既存訳を一部変更)



とはいえ人は文学や映画を実は次のように味わうことが多いのではなかろうか。

ある言葉に一連の記憶が池の藻のようにからまりついていて、ながい時間が過ぎたあと、まったく関係のない書物を読んでいたり、映画を見ていたり、ただ単純に人と話していたりして、その言葉が目にとまったり耳にふれたりした瞬間に、遠い日に会った人たちや、そのころ考えたことなどがどっと心に戻ってくることがある。(須賀敦子『遠い朝の本たち』)



※最初の二つの画像は、辛樹芬(「戀戀風塵」1986)、後の三つは舒淇(「最好的時光」 2005、「千禧曼波」2001、「黃金之弦」2011)である。

2017年10月27日金曜日

夏の設楽女


(侯孝賢、童年往事、1985年)

ーーきっと夏休みだ。この景色だけでひどく魅せられてしまう。

わたくしの場合は、樟だったが、往時の祖父の屋敷には、見事な姿をしたこの喬木が揺らめき、梢をきらめかせていた。

ーーふと探ってみると、侯孝賢の「黃金之弦」La Belle Epoqueという2011年の短編作品の冒頭は「なんと!!」樟のゆらめきで始まる(この作品は日本での紹介はまったくないようだ)。




彼の作品の多くはこよなく美しい映像で始まる。たとえば『戀戀風塵』(1987年)の冒頭の汽車がトンネルをくぐりぬけていく、山あいの風景の美しさといったら! あのトンネルは「童年往事」に向かうトンネルに決まっているのだ(Dust in the Wind)。

そしてトンネルの向こうには少女辛樹芬が現われる。



ま、ようするにわたくしは田舎者であって、少年時代は海に向かう渥美線、山に向かう飯田線をよく使った。飯田線に乗るとあのトンネルの風景がまさにあった。高校時代の夏休み、ふだんは海の近くの学校の傍に下宿していた豪農の娘ーー名は夏子といったーーの故郷、 茶臼山近くの北設楽郡設楽(シタラ)町  にわたくしの「辛樹芬」に会いに行ったのである。シタラ、シタラと誘われたつもりでいったが、彼女の両親のいる古めかしい屋敷、あの村といってもよい小さな町で、そんなことがうまくはいくはずはない・・・

このようにして、わたくしは鬱蒼とした喬木や山あいの風景にいまでもひどく弱い。

他には? たとえば「縁側」、あるいは「渡り廊下」。この言葉を文章のなかに見出すだけで、過去が匂いさざめく。

三歳の記憶   中原中也

縁側に陽があたつてて、
樹脂が五彩に眠る時、
柿の木いつぽんある中庭は、
土は枇杷いろ 蝿が唸く。


「縁側に陽があたつてて」--、これだけでいいのである。少年は縁側で脚をぶらぶら垂し、西瓜の種をぷっと飛ばした。女たちは浴衣を着て、団扇を扇いでいた。祖父がいて祖母がいた。裏庭には夏みかんの木がいつぽんあり、土は鶉糞のにおいがして、虻が飛んでいた。

わたくしの母方の祖父は、戦争から帰って来た後、鶉卵事業で成功し、いまでもときにテレビで紹介されることがあるらしい。四人いた伯叔父たちのうち三人は、祖父の仕事をつぎ、そのうちの一人、生涯独身で通した、母の二歳下の美丈夫の叔父(母が50歳で死んだ後、二年後に同じ50歳で死んだ)は、中古だが美しい形をした銀色のベンツを乗り回していた。三人は伊良湖ゴルフ倶楽部でクラブチャンピオンを争っていた。




そう、あの縁側には井伏鱒二夫妻のような光景があったのである。




風鈴が鳴っていた。蚊遣の匂いもした。

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『『砂の上の植物群』)

締めの足りない水道の、蛇口の滴が、つと光ってゐたわ。お豆腐屋の笛だって方々で聞えてゐたわ。

閑寂

なんにも訪ふことのない、
私の心は閑寂だ。    
それは日曜日の渡り廊下、    
――みんなは野原へ行つちやつた。
板は冷たい光沢をもち、
小鳥は庭に啼いてゐる。
締めの足りない水道の、    
蛇口の滴は、つと光り!

土は薔薇色、
空には雲雀空はきれいな四月です。    
なんにも訪ふことのない、    
私の心は閑寂だ。




草がちつともゆれなかつたのよ、
その上を蝶々がとんでゐたのよ。
浴衣を着て、あの人縁側に立つてそれを見てるのよ。
あたしこつちからあの人の様子 見てたわよ。
あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。
お豆腐屋の笛が方々で聞えてゐたわ、
あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、
――僕、つてあの人あたしの方を振向くのよ、
昨日三十貫くらゐある石をコジ起しちやつた、つてのよ。
――まあどうして、どこで?つてあたし訊いたのよ。
するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、
怒つてるやうなのよ、まあ……あたし怖かつたわ。

死ぬまへつてへんなものねえ……


ーー「死ぬまへ」に、もういっぺん夜店に連れられて、香ばしい烏賊の串焼きで、お酒といっしょに頬張ってみたいわ


修羅街輓歌 

今日は日曜日  
縁側には陽が当る。  
――もういつぺん母親に連れられて  
祭の日には風船玉が買つてもらひたい、  
空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……


だがわたくしの母は病室に寝ていた。「神経」を患って。一度、台所でナイフが煌いた、祖母めがけて。部屋に入ると《微かに熱のにおいのする薄暗がりが、ぬるい風呂のなかに浸っている時の湯のように全身を包み込み、⋯⋯甘苦い刺激のある薬品と病人の身体から発しているらしい粘り気のある淀んだ熱のにおいが混じりあった重苦しい空気がたなびきつづけていた。》(金井美恵子『くずれる水』)

ああ旨い酒が飲みたし
母さん「蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿」(井伏鱒二)


2017年10月26日木曜日

私は音楽を愛する人間が嫌いだ

音楽がなければ、生には何の意味もありませんよ。音楽は私たちの深部に触れます。音楽は、私の人生で途方もなく大きな役割を果たしました。音楽を解さない人間にはまったく興味がありませんね。ゼロですよ。(シオラン『対談集』)

いやあ、ひどいこというな、シオランって。ツイッターで拾ったんだが、こういった文にすぐさま「共感」しちゃいけない、とくに音楽好きのみなさんは。

音楽とは何かを問うことがまず必要である。

幸福に必要なものはなんとわずかであることか! 一つの風笛の音色。――音楽がなければ人生は一つの錯誤であろう。(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」33番)

風の音、虫の音、人の声・・・、すべては音楽だ。

そしてなによりもあの波の音。《群青といふ名の囀りを聞いてゐし》(安東次男)。

ああ、あのボクの恋路ヶ浜ーー。




おお わが沈黙!……魂の中の建築、
だが千の甍の金の溢れる、屋根!

Ô mon silence!. . . Édifice dans l’âme,
Mais comble d’or aux mille tuiles, Toit!

ーーヴァレリー「海辺の墓地」

もちろん恋路ヶ浜には、「千の甍 mille tuiles」 だけではなく、「千のシーニュ mille signes 」「千の壺 mille vases」(プルースト)、「千の声 mille voix」「千の穴 mille orifices」(ドゥルーズ)もあった。ただし千の壺はおおむね閉ざされている(プルーストの云う「閉ざされた壺 mille vases clos」)。ようは「半ば開かれた箱 boîtes entrouvertes」(ドゥルーズ)に出会うのは僥倖であるだろう・・・

⋯⋯⋯話を戻そう。《――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。》(三好達治)

人は母胎内では母の声はもちろんのこと、母の心音や血液の流れなどをきいている。これこそ真の根源にある音楽だ。

出生後に限ってもよい。乳幼児の欲動興奮とは、なによりもまず身体の興奮だ。お腹が減った、喉が乾いた、寒い、暑い、糞尿が不快だ、寝れない等。

母(あるいは養育者)はこの身体の興奮の世話をする。世話をする箇所は、身体と外界との境界、つまり、口唇、肌、肛門、性器、目、耳などの箇所だ。

各々の母の世話の仕方には各々の癖がある。たとえば、性器を触って子供を寝かしつける癖のある母があり、肛門を入念に吹き清める潔癖症の母がある。耳たぶや首筋、あるいは髪を熱心に愛撫する癖のある母もいる。

こうして母は幼児の身体のうえに欲動興奮を飼い馴らすための徴をつける。ラカンはこれを《享楽の侵入の記念物》と呼んだ。そしてこの徴づけ、つまり母のどの世話の徴も(基本的には)「母の言葉」が伴っている。この母の言葉が「ララング」と呼ばれるものである。

ララング langage は、幼児を音声・リズム・沈黙の蝕 éclipse 等々で包む。ララング langage が、母の言葉 la dire maternelle と呼ばれることは正しい。というのは、ララングは常に(母による)最初期の世話に伴う身体的接触に結びついている liée au corps à corps des premiers soins から。フロイトはこの接触を、以後の愛の全人生の要と考えた。(コレット・ソレール、2011(英訳2016), Colette Soler, Les affects lacaniens)

これこそわれわれ誰にでも刻印されている音楽である。

かつて音楽は、まず人々の―特に作曲家の頭の中に存在すると考えられていた。音楽を書けば、聴覚を通して知覚される以前にそれを聞くことができると考えられていたんです。私は反対に、音が発せられる以前にはなにも聞こえないと考えています。ソルフェージュはまさに、音が発せられる以前に音を聞き取るようにする訓練なのです……。この訓練を受けると、人間は聾になるだけです。他のあれこれとかの音ではなく、決まったこの音あの音だけを受け入れられるよう訓練される。ソルフェージュを練習することは、まわりにある音は貧しいものだと先験的に決めてしまうことです。ですから〈具体音の〉ソルフェージュはありえない。あらゆるソルフェージュは必然的に、定義からして〈抽象的〉ですよ……。(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』)

西欧音楽のみにホモセンチしている連中は、たんなる聾である。

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。 (クンデラ『不滅』)

音楽、ーー魂をふくらませるポンプ。巷間の音楽愛好家は、《なぜ口を閉じ耳を開けておかないのだろうか。馬鹿なんだろうか》(ジョン・ケージ)

私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』)

私は音楽を愛する人間が嫌いだ。

何年か前のこと、十匹ぐらいの猫を飼っているある婦人がジャン・ジュネを咎めて尋ねた。

《あなたは動物が嫌いなんですね》

《私は動物を愛する人間が嫌いなんです》

とジュネは答えた。これこそまさしくサルトルが人類に等しくとった態度なのである。(ボーヴォワール『女ざかり』)

されには別の角度からこうも言いうる、《自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)

そもそもすでにカントが《すべての芸術のうちで音楽は最低の地位を占める》と書いているではないか。

感覚的刺戟と感動とを問題にするならば、言語芸術のうちで最も詩に近く、またこれと自然的に結びつく芸術即ち音楽を詩の次位に置きたい。音楽は確かに概念にかかわりなく、純然たる感覚を通して語る芸術である、従ってまた詩と異なり、省察すべきものをあとに残すことをしない、それにも拘らず音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にもせよいっそう深い感動を我々に与えるのである( …)これに反しておよそ芸術の価値を、それぞれの芸術による心的開発に従って評価し、また判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば、すべての芸術のうちで音楽は最低の(しかし芸術を快適という見地から評価すれば最高の)地位を占めることになる。(カント『判断力批判』篠田英雄訳)

せめてこのくらい廻り道をしてからーーいまだ迂回が十分でないのは承知しているがーー、「音楽がなければ、人生は錯誤だ」と独り心の内でーー他人にいうなら小声でーー、囁かなければならない。

音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』)

ーー 《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)

と引用したら、ヒトラーが愛した、いわゆる「総統のピアニスト」エリー・ナイ Elly Ney のシューマン、Etudes Symphoniques, Variations Posthumes, No. 5 がきこえてくる。





いやあ、二曲目の Antonietta Rudge のスクリャービンop. 11もやたらにいい。ボクハコノ美ヲ《解さない人間にはまったく興味がありませんね。ゼロですよ。》(シオラン)

ーー最後に悪い事例を示しておいた。賢明なる音楽愛好家のみなさんは、これをもって他山の石とすべきである。



2017年10月25日水曜日

「反アナーキー的作家」のために

「反アナーキー的作家」のために、だって? まさか!

でもアナーキーってなんだっけな? 穴空きだよな、まずは。《無根拠であり非対称的な交換関係》(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)ってのが、穴だ。

我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋めるために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を生む。

nous savons tous parce que tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. Là où il n'y a pas de rapport sexuel, ça fait « troumatisme ». (ラカン、S21、19 Février 1974 )

ーーこの文の「性関係はない」は、「性」を取り払って(たぶん多くの人が抵抗があるだろうから)、非関係といってもよいのである。《穴、それは非関係によって構成されている。un trou, celui constitué par le non-rapport》(S22, 17 Décembre 1974)

そして非関係の 穴埋めに耽るのが、我々の生だ。《倒錯者は、大他者の中の穴をコルク栓で埋める boucher ce trou ことに自ら奉仕する 》(ラカン、S18)ってわけさ。われわれは皆倒錯だ。ラカンの「皆妄想する」とはその意味だよ。父の名も倒錯の一種だ。《後期ラカンは父の隠喩について皮肉を言い得た。彼は父の隠喩もまた「一つの倒錯」だと言った。彼はそれを 「父の版 père-version」と書いた》ミレール、2013)。père-version とは、「父に向かう vers le père 」動きのヴァージョンという意味だ。

だが母のヴァージョンの倒錯と父のヴァージョンの倒錯があるんじゃないか、これはラカン派じゃなくて、最近のクリステヴァが言っているのだが、Mère-versionと。旧来の神経症というのは父の版の倒錯であり、前エディプス的症状(倒錯・精神病)が母の版だね、厳密さを期さずに言えばだが。

いずれにせよ穴埋めする人間はみんな反アナーキーさ。重度の分裂か自閉症以外はな。

そもそもアナーキーなんてまともに信じちゃいけない。言語自体が穴埋めの道具なんだから。せいぜいアナーキーとの境界をたむろするぐらいだね。ラカンは《知と享楽のあいだに、波打ち際がある entre savoir et jouissance, il y a littoral 》(「リチュラテールLituraterre」)と言っているが、やっぱりこの波打ち際はたまには彷徨わなくっちゃいけない。

・文学者は、社会がアナーキーに突入する前に、あらかじめアナーキーの境に住んでいる番人みたいなものだと思っています。

・作家という職業を外側から考えてみると、何で喰わしてもらっているのか、考え込んでしまいます。よせばいいのに、その理由をあれこれ探ります。やはり、生死の境のアナーキーな場所に居留守する役割に対して、銭をもらっているんじゃないですか?(古井由吉『人生の色気』)

ーーこの古井由吉の言い方を受け入れるなら、ではなぜこの作家=アナーキーの境の住人が、現在、たいして必要とされなくなったんだろうか? ほかの領域にいったって? たとえば映画人だって(アダルトビデオ作家でさえ)いまはみな小粒だよ、小指のない代々木忠やそのむこうにいる神代辰巳、若松孝二のたぐいってのはもはやいないだろ。代々木忠の少年時代の暴れ方の噂があるが、彼にくらべれば安吾の少年時代の暴れ方なんてカワイイもんさ。

⋯⋯⋯⋯

ところで社会自体がすでにアナーキーに突入していたらどうだろう? 母胎そのものが非秩序だったら? 

かつての作家とは、社会の象徴秩序という母胎を揺らめかす機能を、多寡はあれ、もっていた筈だ。そしてそれが尊ばれた。だが、現在の社会の母胎が、資本の欲動という非イデオロギー的イデオロギー=アナーキーに変貌してしまっているとしたら、現在の作家の機能とは(社会共同体的にいえば)時代に同調するイデオロギーに過ぎない。すくなくともアナーキーとの境を彷徨うことは、反時代的な行動様式ではない。

反時代的な様式で行動すること、すなわち時代に逆らって行動することによって、時代に働きかけること、それこそが来たるべきある時代を尊重することであると期待しつつ。(ニーチェ『反時代的考察』)

ラカン派文脈では、アナーキーは非全体 pastout(穴t rou、S(Ⱥ))という言葉で表現されものと相同的だ(参照:S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴)。たしかに人は、非全体に遭遇することは必要だが、遭遇したままではにっちもさっちもいかなくなる(たとえば「原マゾヒズム」が現われ、自傷・自殺への道が容易に開かれてしまう)。だからそこから距離を取らなければならない。

最後のラカンは、個人の臨床においてだが、次のように言っている(以下の文の「症状との同一化」の「症状」とは原症状のことであり、大他者の非一貫性(非全体 Ⱥ)という意味)。

分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである。症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。

En quoi consiste ce repérage qu'est l'analyse? Est-ce que ce serait, ou non, s'identifier, tout en prenant ses garanties d'une espèce de distance, à son symptôme? savoir faire avec, savoir le débrouiller, le manipuler ... savoir y faire avec son symptôme, c'est là la fin de l'analyse.(Lacan, S24, 16 Novembre 1976)

だがこれは「文化共同体病理学 Pathologie der kulturellen Gemeinschaften」(フロイト)においても同様である。現在、資本の欲動という非全体に遭遇していると仮定したら、そこから距離を取る方法を模索しなければならない。したがって現在、この「役割」を担う「真の知識人」という「反アナーキー的作家」が必要なのではないだろうか? 浅田彰が加藤周一の事例をだして「普遍的知識人」という講演をこの11月にするらしいがね。

ジジェクが次のように言うときも、バディウの「現在は真の(知的)リーダーが必要だ」という含意がその裏にある。

真の「非全体 pas-tout」は、有限・分散・偶然・雑種・マルチチュード等における「否定弁証法」プロジェクトに付きものの体系性の放棄を探し求めることではない。そうではなく、外的限界の不在のなかで、外的基準にかんする諸要素の構築/有効化を可能にしてくれることである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING, 2012)

ーーこれはイデオロギー的「父の名」を取り払って「非全体」に遭遇せねばならぬが(ジジェク文脈ではヘーゲルの「世界の夜 Nacht der Welt」との遭遇)、しかしながらそれだけでは精神病的な奈落に落ちこんでしまい、ゆえになんらかの別の支え(父の機能)が必ず必要だという意味でもある。

ラカンは次のように言っている。

人は父の名を迂回したほうがいい。父の名を使用するという条件のもとで。le Nom-du-Père on peut aussi bien s'en passer, on peut aussi bien s'en passer à condition de s'en servir.(Lacan,s23, 13 Avril 1976)

このラカンの「父の名を使用する」という「父の機能」は、柄谷行人文脈では「帝国の原理」と相同的である(参照:「帝国」と「帝国主義」の相違(柄谷行人、ラカン))。

この父の機能は、個人の臨床においては、サントームと呼ばれる。

父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない。父の名は、単に特別安定した結び目の形式にすぎないのだ。(Thomas Svolos、Ordinary Psychosis in the era of the sinthome and semblant、2009)

あるいは、《最後のラカンにおいて、父の名はサントームと定義されている défini le Nom-du-Père comme un sinthome》(ミレール、2013、L'Autre sans Autre、PDF)

⋯⋯⋯⋯

以下、上に記した観点がどのような考え方に由来するかを、わたくしなりにーージジェクに依拠しずぎているキライがあるかもしれないがーー示す。




「正常」な状態では現実界は欠如、すなわち(ロスコの絵の真ん中にある黒点のように)象徴的秩序の真ん中に開いた穴である。ところがここでは、現実界という水族館が象徴界の孤立した島々を包み込んでいる。

言い換えれば、意味作用のネットワークが織り上げられる核となる中心の「ブラックホール」の役割を担うことによって、シニフィアンの増殖を「駆り立てる drives」ものは、もはや享楽ではなく、象徴的秩序そのものなのである。それはシニフィアンの浮遊する島、すなわち享楽のどろどろした海に浮かぶ島に成り下がってしまった。(ジジェク『斜めから見る』1991)

マーク・ロスコ Mark Rothko からもうひとつ作品を掲げる。



享楽は赤色としたら、ジジェクが言っている「享楽のどろどろした海」に浮かぶ象徴界とはこの外枠の暗灰色を取り払った状態の中心の暗灰色箇所ということになる(ジジェクはそうは言っていないが、ここでは彼の表現を活かしたい)。



ーーすなわち暗褐色の享楽のどろどろした海に囲まれている灰褐色の象徴秩序である。これが資本の欲動の時代の図でありうる。

ジジェクが芸術について語っている言葉は、評判が悪いのを知らないわけではない。だが我々は、常に眉唾で読めばいいのであり、そして上の文は映画をめぐって書かれているのだが、比喩自体はとても「美しい」。かつまた示唆溢れる。

ジジェクのいう意味作用のネットワークとは「シニフィアンのネットワーク」のことである。ブラックホールとは、「現実界との出会い」にかかわる。そしてもちろん現実界は非全体のことである、《現実界は、外部の例外ではなく、形式化の非全体 pas-tout 以外の何ものでもない》(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012)。

ラカンは、アリストテレスの語彙に依拠しつつ、オートマン/テュケー(αύτόματον [ automaton ]/τύχη [ tuché ])の対比を論じて、シニフィアンのネットワーク réseau de signifiants」/「現実界との出会い rencontre du réel」と区別している(S11)。

そしてテュケーについての定義は次の通り。

テュケーの機能、出会いとしての現実界の機能ということであるが、それは、出会いとは言っても、出会い損なうかもしれない出会いのことであり、本質的には、「出会い損ね」としての「現前」« présence » comme « rencontre manquée » である。このような出会いが、精神分析の歴史の中に最初に現われたとき、それは、トラウマという形で出現してきた。そんな形で出てきたこと自体、われわれの注意を引くのに十分であろう。(ラカン、S11、12 Février 1964)

ラカンにとって現実界は、無法である。

…私は、現実界は法のないものに違いないと信じている je crois que le Réel est, il faut bien le dire, sans loi。…真の現実界は法の不在を意味する Le vrai Réel implique l'absence de loi。現実界は秩序を持たない Le Réel n'a pas d'ordre。(ラカン、S23, 13 Avril 1976)

そして1970年代前後に、主人の言説から資本の言説への移行ということを言っている。これは、若きジジェクの記した「象徴的秩序の真ん中に開いた穴(現実界)」から「享楽(現実界)のどろどろした海に浮かぶ孤島(象徴界)」に相当する。

危機 la crise は、主人の言説というわけではない。そうではなく、資本家の言説 discours capitaliste だ。それは、主人の言説の代替として、今、開かれている。

私は、次のようにあなた方に言うより他にない。すなわち、資本家の言説は醜悪な何か、そして対照的に、狂気じみてクレーバーな何かだと。そうではないだろうか?

カシコイ。だが、破滅 crevaison に結びついている。

結局、資本家の言説とは、我々が描き出した言説のなかで最も賢いものだ。もっとも、それにもかかわらず、破滅に結びついている。

この言説は、じじつ、支えられない。支えられない何かのなかにある。(⋯⋯)それはルーレットように作用する。こんなにスムースに動くものはない。だが事実は、あまりにはやく動く。

自分自身を消費する。とても巧みに、ウロボロスのように貪り食う。さあ、あなた方はその上に乗った…資本家の言説の掌の上に…。(ラカン、Conférence à l'université de Milan, le 12 mai 1972、私意訳, 原文pdf

ここでドゥルーズ&ガタリからーーやや異なった意味合いで使用している表現だがーー引用しよう。

・資本とは資本家の器官なき身体である…。Le capital est bien le corps sans organes du capitaliste, ou plutôt de l'être capitaliste.

・器官なき充実身体…死の欲動、これがこの身体の名前である。Le corps plein sans organes…nstinct de mort, tel est son nom, (『アンチ・オイディプス』)

資本家の言説、あるいは資本家の器官なき身体とは、市場原理主義あるいは新自由主義のことである(参照:《みずからのトゲを抜こうとする努力》から、《むき出しの市場原理》への移行)。

たとえば福島原発災害の後、資本の器官なき身体は、除染にはクモのように群がったが、金目になりそうにない被災者住宅建設には知らんぷりだ。これが器官なき身体である。

器官のない身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

現在の政治経済システムにおいてはーー日本はことさら目立ってーー「クモ」が跳梁跋扈している。欧米諸国ではかろうじて「父の機能」の残存物となっている「一神教」の国ではない不幸?!ーーいやこれには議論があるだろう(参照:母なる神々の国日本)。

だがすくなくともこうではある。

一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)

さて話を戻せば、最近のジジェクは次のように言っている。

カーニバル的宙吊りの論理は、伝統的階級社会に限られる。資本主義の十全な展開に伴って、今の「標準的な」生活自体が、ある意味で、カーニバル化されている。その絶え間ない自己革命化、その反転・危機・再興。そのとき、我々は、そのまさに原理が、絶え間ない自己変革機械である状態に対し、いかに変革をもたらしたらいいのか。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)

 ようは新自由主義の時代とは、母胎そのものがアナーキー(カーニバル)になってしまった時代だという考え方だ。「享楽のどろどろした海」にわれわれは浮かんでいるのである。享楽の海、すなわち「本源的な欲動のアナーキー l'anarchie de ses pulsions élémentaires」(ラカン)の海に。

ここでマルクスを挿入しよう。

利子生み資本では、自動的フェティッシュautomatische Fetisch、自己増殖する価値 selbst verwertende Wert、貨幣を生む貨幣 Geld heckendes Geld が完成されている。(⋯⋯)

ここでは資本のフェティッシュな姿態 Fetischgestalt と資本フェティッシュ Kapitalfetisch の表象が完成している。我々が G─G′ で持つのは、資本の中身なき形態 begriffslose Form、生産諸関係の至高の倒錯 Verkehrungと物件化 Versachlichung、すなわち、利子生み姿態 zinstragende Gestalt・再生産過程に先立つ資本の単純な姿態 einfache Gestalt des Kapitals である。それは、貨幣または商品が再生産と独立して、それ自身の価値を増殖する力能ーー最もまばゆい形態での資本の神秘化 Kapitalmystifikation である。(マルクス『資本論』第三巻)

柄谷行人は、この箇所を引用して次のように言っている。

株式資本あるいは金融資本の場合、産業資本と異なり、蓄積は、労働者の直接的搾取を通してではなく、投機を通して獲得される。しかしこの過程において、資本は間接的に、より下位レベルの産業資本から剰余価値を絞り取る。この理由で金融資本の蓄積は、人々が気づかないままに、階級不均衡を生み出す。これが現在、世界的規模の新自由主義の猖獗に伴って起こっていることである。(‟Capital as Spirit“ 2016, PDF

だれもが否定できない現在の(すくなくとも先進諸国の)世界の有様だろう。

1970年以前の主人の言説の時代ーーラカンにとって言説とは「社会的つながり lien social」という意味であるーーは、世界は多かれ少なかれ、政治的言説、宗教的言説(イデオロギー的言説)、文化的言説、そしてプラスアルファとして経済的言説で成り立っていた。

1968年の「父の死」をへて、1989年の「イデオロギーの死」により、(すくなくとも先進諸国の)世界の母胎は、ほとんど経済的言説(非イデオロギー的イデオロギー)のみになってしまっている。これが資本の言説の時代であり、「享楽のどろどろした海」とはこの比喩である。これまた誰が否定しうるだろうか。

このまま放っておけば、中心の灰褐色部分(ジジェクの別の表現では「小さな大他者たち little big Others」としての「倫理委員会」)は漸減してゆくに相違ない。



ま、現在の「ほどよく聡明な=凡庸な」インテリってのは、享楽の海という釈迦の掌で、小倫理委員会的活動をしている猿がほとんどだよ。母胎が決定的に変貌していることにいまだ無知のままの。これがジジェクや柄谷の認識だね。



2017年10月24日火曜日

ベルトルッチの女たち

わたくしはかつてから映画をそれほど観るほうではない。最近は環境が悪いせいもあり、まったくみない。新しい作品を小さな画面で観る気にはまったくならない。

だが愛する女優はいた。たとえばベルトルッチの二人の女は、強い印象が残っている。

マリア・シュナイダーとドミニク・サンダはまったく異なったタイプだなどというなかれ。それは外見だけである。









たぶん趣味があう(?)のであろう・・・ゴダールの女たちでも、コッポラの女たちでも、あるいはエリック・ロメールの女たちでもないのだ、今思い返せば、わたくしが真に思い返すのは。

◆『光をめぐって』(1991)より(ベルトルッチインタヴューは、1982.10帝国ホテルにて)

蓮實重彦)……ある一つの事実に気がつきました。それは、あなたの映画では、人は決してベッドで寝られないという事実です。まるで、ベッドから追いはらわれるように、公園とか庭先の椅子といったところで熟睡するのです。

ベルトルッチ)ああ、そうだろうか。

――ええ、もちろん、あなたの映画にベッドはたくさん出てきます。でも、そこでは誰も熟睡できず、むしろ不安な表情で目覚めている。『革命前夜』の美しい叔母は、一晩、ベッドの上で眠れぬ夜を過し、『暗殺の森』のコンフォルミストも、冒頭から正装のままベッドに横たわり目覚めていた。彼らは、ベッドの上で眠れないだけではなく、そこで愛戯にふけることもできない。『ラストタンゴ・イン・パリ』でも『1900年』でも、男女は、床の上や藁の中といったところで交わり、もっぱらベッドを避けているようです。後者でのロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューとは、女に誘われてその部屋に行き、着ているものを脱ぎすてさえするのですが、ベッドに裸身を横たえる女が突然引きつけを起してしまうのでそのまま何もできない。ベッドに横たわる唯一の人間は、『ラストタンゴ』のマーロン・ブランドの死んだ妻ばかりです。こうしてみると、あなたの映画ではベッドが不吉な場所ということになるのですが……。

ベルトルッチ)なるほど、おっしゃる通りです。そう、こういうことがいえるかもしれません。私の父の小説に『寝室』というのがあります。イタリア語では文字通りベッドのある部屋となりますが、その小説は私や兄弟たちの少年時代は、家庭では『ベッドルーム』と英語で呼ばれていました。父が、とりすましたふりをしてそう呼んでいたのです。もちろん、子供たちにはベッドルームという音の響きが何を意味しているかはわからなかった。十五、六歳になって英語を習ってから、はじめてこの小説の題の意味が理解できたのです。

もし私の映画にそうしたイメージが恒常的に現れるとすれば……。

――もっと多くの例も引けますよ(笑)。

ベルトルッチ)……それはまぎれもなく、タブーを意味しています。フロイトのいう原光景という奴です。つまり、そこで両親がセックスをする場所であったわけで、この原光景は、それを見る必要はない、想像されるだけでよいのだとフロイトはいっています。しかし、そんなことは、こうした場面を撮るときは考えてもいなかった。

――意図的な表現ではなかったわけですね。

ベルトルッチ)いや、自分ではあなたに指摘されるまで考えてもいなかったことです。私は、撮影にあたっては、理性的、合理的ではありません。私はちょっと音楽を演奏するように撮るのです。したがって理性に導かれてというよりは、情動に従って映画を作ります。ですからそうした問題を模索するといったことはしません。たしかピカソが、「私は探すのではない、発見するのだ」といいましたが、まあ、それに近い状態です。

しかし、こうした統一性を誰か他人が発見してくれるのは、何とも不思議な気がします。なるほどおっしゃる通り、ベッドはずいぶん出て来ますね(笑)。で、『革命前夜』では、二人はベッドの上にいるが、女が写真をベッドの上に置いてみたりして遊んでいて、実際に二人が抱き合うのは別の場所です。そう、こうした映画は、自分が成熟した大人とは思っていない人間たちを描いているわけだから、ベッドで抱擁することができない。ベッドで愛戯をするのは、大人になっていなければいけないのです。デ・ニーロはドミニク・サンダと農家の麦藁の中で寝るし、ドパルデューは人民の家で、ステファニア・サンドレッリと抱き合う。レーニンの肖像の前で。……











2017年10月23日月曜日

システムのゼロ度としての〈作家=女〉

私が、私は私だというとき、主体(自己)と客体(自己)とは、切り離されるべきものの本質が損なわれることなしには切り離しが行われえないように統一されているのではない。逆に、自己は、自己からのこの切り離しを通してのみ可能なのである。私はいかにして自己意識なしに、「私!」と言いうるのか?(ヘルダーリン「存在・判断・可能性」
どんなケースにせよ、われわれが欲する場合に、われわれは同時に命じる者でもあり、かつ服従する者でもある、ということが起こるならば、われわれは服従する者としては、強制、拘束、圧迫、抵抗などの感情、また無理やり動かされるという感情などを抱くことになる。つまり意志する行為とともに即座に生じるこうした不快の感情を知ることになるのである。しかし他方でまたわれわれは<私>という統合的な概念のおかげでこのような二重性をごまかし、いかにもそんな二重性は存在しないと欺瞞的に思いこむ習慣も身につけている。そしてそういう習慣が安泰である限り、まさにちょうどその範囲に応じて、一連の誤った推論が、従って意志そのものについての一連の虚偽の判断が、「欲する」ということに関してまつわりついてきたのである。(ニーチェ『善悪の彼岸』)

⋯⋯⋯⋯

上に見たように、ラカン派ではなくてもしばしば語られてきた「言説行為の主体/言説内容の主体」ーー直接的なラカン派の起源は、フロイトの《私は自分の家の主人ではない dass das Ich kein Herr sei in seinem eigenen Haus》(『精神分析入門』)であるーーをめぐるジジェクを記述をまず抜き出す。

プロソポピーア Prosopopoeia とは、「不在の人物や想像上の人物が話をしたり行動したりする表現法」と定義される。(……)ラカンにとってこれは発話の特徴そのものなのであり、二次的な厄介さなのではない。ラカンの「言表行為の主体」と「言表内容の主体」とのあいだの区別はこのことを指しているのではなかったか? 私が話すとき、「私自身」が直接話しているわけでは決してない。私は己れの象徴的アイデンティティの虚構を頼みにしなければならない。この意味で、すべての発話は「間接的」である。「私はあなたを愛しています」には、愛人としての私のアイデンティティーがあなたに「あなたを愛しています」と告げているという構造がある。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012、私訳)

「私はあなたを愛しています」をめぐっては、「私は嘘をついている」にて引用したラカンのセミネール9の次の箇所を抜き出しておこう。

…教授連中にとって「我思う」が簡単に通用するのは、彼らがそこにあまり詳しく立ち止まらないからにすぎない。

「私は思う Je pense」に「私は嘘をついている Je mens」と同じだけの要求をするのなら⋯⋯まずそれは「私は考えていると思っている Je pense que je pense」という意味がある。

これは想像的な、もしくは見解上の「私は思う」 、 「彼女は私を愛していると私は思う Je pense qu'elle m'aime」と言う場合に-つまり厄介なことが起こるというわけだが-言う「私は思う」以外の何でもない。(ラカン、S9、15 Novembre 1961)

かつまたラカンは「言表内容の主体 sujet de l'énoncé 」と「言表行為の主体 sujet de l'enonciation」が一致している思い込んでいる言説を、《私は私自身の主人 m'être à moi même》言説、《「私」支配 je-cratie》と呼んでいる。

私は主人(支配者 m'etre)だ、私は支配 m'êtrise の道を進む、私は自己の主人 m'être de moiだ、あたかも世界の支配者のように comme de l'Univers。これが…(主人のシニフィアンS1に)支配されたマヌケ con-vaincu のことである。(Lacan, S20, 13 Février 1973ーー資本の言説と〈私〉支配の言説)

さてだがいまは(直接的には)その話題ではない。冒頭の文に前段に書かれたジジェクの叙述がーーいままで何度か引用しているがいくらか訳語を変えてここに掲げるーー、わたくしにはすこぶる面白い。

ソクラテスは、その質問メソッドによって、彼の相手、パートナーを、ただたんに問いつめることによって、相手の抽象的な考え方をより具体的に追及していく(きみのいう正義とは、幸福とはどんな意味なのだろう?……)。この方法により、対話者の立場の非一貫性を露わにし、相手の立場を相手自らの言述によって崩壊させる。

ヘーゲルが女は《コミュニティの不朽のイロニーである》と書いたとき、彼はこのイロニーの女性的性格と対話法を指摘したのではなかったか? というのはソクラテスの存在、彼の問いかけの態度そのものが相手の話を「プロソポピーア」に陥れるのだから。

会話の参加者がソクラテスに対面するとき、彼らのすべての言葉は突然、引用やクリシェのようなものとして聞こえはじめる。まるで借り物の言葉のようなのだ。参加者は自らの発話を権威づけている奈落をのぞきこむことになる。そして彼らが自らの権威づけのありふれた支えに頼ろうとするまさにその瞬間、権威づけは崩れおちる。それはまるで、イロニーの無言の谺が、彼らの発話につけ加えられたかのようなのだ。その谺は、彼らの言葉と声をうつろにし、声は、借りてこられ盗まれたものとして露顕する。

ここで想いだしてみよう、男が妻の前で話をしているありふれた光景を。夫は手柄話を自慢していたり、己の高い理想をひき合いに出したりしている等々。そして妻は黙って夫を観察しているのだ、ばかにしたような微笑みをほとんど隠しきれずに。妻の沈黙は夫の話のパトスを瓦礫してしまい、その哀れさのすべてを晒しだす。

この意味で、ラカンにとって、ソクラテスのイロニーとは分析家の独自のポジションを示している。分析のセッションでは同じことが起っていないだろうか? …神秘的な「パーソナリティの深層」はプロソポピーアの空想的な効果、すなわち主体のディスクールは種々のソースからの断片のプリコラージュにすぎないものとして、非神秘化される。

(⋯⋯)対象a としての分析家は、分析主体(患者)の言葉を、魔術的にプロソポピーアに変貌させる。彼の言葉を脱主体化し、言葉から、一貫した主体の表白、意味への意図の質を奪い去る。目的はもはや分析主体が発話の意味を想定することではなく、非意味、不条理という非一貫性を想定することである。患者の地位は、脱主体化されてしまうのだ。ラカンはこれを「主体の解任」と呼んだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012、私訳)

主体の解任をめぐるラカン自身の言葉は、「主体の解任 destitution subjective/幻想の横断 traversée du fantasme/徹底操作 durcharbeiten」を見てもらうことことにして、ここではラカンの四つの言説の図から分析の言説の図をまず掲げる。




そしてベルギーのラカン派臨床家による分析の言説の注釈ーーひとつの注釈でありこれが全てではないーーを掲げる(参照:基本版:「四つの言説 quatre discours」)。

分析家の言説において、動作主としての分析家は、論理的に a と表記される、いわゆる対象a として、「他者」に直面する。この対象a は、欲動あるいは享楽に関係した残余(S16: 「享楽の私« Je » de la jouissance」を参照)を示す。それは名づけ得ないものであり、欲望を刺激する。例えば、分析家の沈黙ーーそれは、相互作用における交換を期待している分析主体(被分析者)をしばしば当惑させるーー、その沈黙は対象a として機能する(Lacan, S19, p.25)。

分析家は対象a のポジションを占めることにより、自由連想を通して、主体の分割($) が分節化される場所を作り出す。分析家は、患者の単独性にきめ細かい注意を払うために、患者についての事前に確立された「観念と病理」 (S2)を脇に遣る。こうして分析主体(被分析者)の主体性を徴す鍵となる諸シニフィアン S1 が形成されうる。それは、分析家の対象a としての地位を刺激する。(Stijn Vanheule, Capitalist Discourse, Subjectivity and Lacanian Psychoanalysis,2016,pdf)

ーーそれぞれのマテーム、a、$、S2、S1が簡潔に説明されている。


⋯⋯⋯⋯

さてジジェクに戻る。彼が指摘するように、女は(ときに)対象aとして(あるいは分析家として)機能するのである。

ここで想いだしてみよう、男が妻の前で話をしているありふれた光景を。夫は手柄話を自慢していたり、己の高い理想をひき合いに出したりしている等々。そして妻は黙って夫を観察しているのだ、ばかにしたような微笑みをほとんど隠しきれずに。妻の沈黙は夫の話のパトスを瓦礫してしまい、その哀れさのすべてを晒しだす。(ジジェク、2012)

とはいえ、もっとも注意すべきなのは、対象aの両義性である。

対象a の根源的両義性……対象a は一方で、幻想的囮/スクリーンを表し、他方で、この囮を混乱させるもの、すなわち囮の背後の空虚 vide をあらわす。(Zizek, Can One Exit from The Capitalist Discourse Without Becoming a Saint? ,2016, pdf)

女は男にとって幻想的囮/スクリーンとしての対象aとして機能している場合が多いだろう。だが肝腎なのは後者の空虚である。

対象aは、大他者自体の水準において示される穴である。l'objet(a), c'est le trou qui se désigne au niveau de l'Autre comme tel (ラカン、S16, 27 Novembre 1968)

原対象aとは、穴Ⱥのことである(参照:S(Ⱥ)、あるいは欠如と穴)。そして穴とは、欠如の欠如である。《欠如の欠如が現実界を作る。Le manque du manque fait le réel》(Lacan、1976 AE.573)。

ラカンは「カントとサド」(1963)において、《享楽が純化されたとき、黒いフェティッシュ fétiche noir になる(形態 forme 自体になる)》としているが、同時期のセミネール不安でも《pur objet, fétiche noir. 純粋対象、黒いフェティッシュ》とある。これはブラックホールのことだろう。

欠如とは空間的で、空間内部の空虚 void を示す。他方、穴はもっと根源的で、空間の秩序自体が崩壊する点(物理学の「ブラックホール」のように)を示す。(ミレール、2006,Jacques‐Alain Miller, “Le nom‐du‐père, s'en passer, s'en servir)

バルトが次のように言うとき、作家とは読者にとって穴として機能すべきだと、彼は考えていると捉えうる。

作家はいつもシステムの盲点(システムの見えない染み la tache aveugle des systèmes )にあって、漂流 dérive している。それはジョーカー joker であり、マナ manaであり、ゼロ度 degré zéroであり、ブリッジのダミー le mort du bridge である。 (ロラン・バルト『テクストの快楽』1973年)

ーー「システムの見えない染み la tache aveugle des systèmes」 とは、もちろんラカンの「絵のなかのシミ tache dans le tableau」=対象aである。

そしてときとして、女がこのシミとして機能するのは、たとえば安吾が「ジロリの女」で叙述した文が示している。

女の感覚は憎悪や軽蔑の通路を知るや極めて鋭く激しいもので、忽ちにして男のアラを底の底まで皮をはいで見破ってしまう。(坂口安吾「ジロリの女」)

安吾は女に次のように語らせているーーひょっとして「魂の孤独」を語り続けた安吾の自己分析でありうるーー。

彼のような魂の孤独な人は人生を観念の上で見ており、自分の今いる現実すらも、観念的にしか把握できず、私を愛しながらも、私をでなく、何か最愛の女、そういう観念を立てて、それから私を現実をとらえているようなものであった。(坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』)

分析家の言説とは、精神分析臨床だけの話と考えてしまいがちだが、人が、理想を語る夫に直面した妻のようにーー沈黙で他者に対応すれば、分析の言説と同じ機能を生む場合がある。そしてそれはまず、他者の《言説のヒステリー化 hystérisation du discours》(S17)を促す。

ここでのヒステリーとは巷間に流通する通念としてのヒステリーではない。たとえば症状なきヒステリーでありうる。《私は完全なヒステリーだ、……症状のないヒステリーだよ  je suis un hystérique parfait, c'est-à-dire sans symptôme〉(Lacan, S24、1976)

金井美恵子は次のように言っている。

中上健次は私の家に泊っていった時、ホモの家に来たみたいだな、と言ったものですが、私はといえば、彼を、まったくこれは中上のオバだ、と思いましたし、第一、彼の書く小説は、ある意味で女性的です――そして、それが秀れた小説の特徴なのです。(『小説論』)

すぐれた小説家の作品の多くは、たしかに、システムの染み、あるいは穴としての対象a、ジジェクのいう〈女〉として機能しているはずである(もちろん読み手の資質によるが)。

「男の言葉を女の言葉に/近づけることを考えなければならない」(西脇順三郎)

ーーとはいえ、そもそもここまでの記述自体が、女にバカにされうることは十分承知している・・・

おそらく最も肝腎なのは、ドゥルーズのいう「芸術のシーニュ」を創造することなのである。

社交のシーニュの神経的興奮、愛のシーニュの苦悩と不安。感覚的シーニュの異常な歓び(しかし、そこではなお、存在と無との間で存続している矛盾として、不安が現われている)。芸術のシーニュの純粋な歓び。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』ーー社交・愛・感覚・芸術のシーニュ」)

ああ、《何もかもつまらんという言葉が/坦々麺をたべてる口から出てきた》(谷川俊太郎)



2017年10月22日日曜日

享楽という原マゾヒズム

フロイトのマゾヒズムとサディズムの思考をいくらか追っていくと、起源にあるのは原マゾヒズムであり、つまり「原マゾヒズム(一次的マゾヒズム) → サディズム → 二次的マゾヒズム」と言っているように見える。

もっとも後年まで、《原サディズム Ursadismusーーはマゾヒズム Masochismus と一致する》(『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)という形で、原サディズムという言葉を使ってはいるが。

たとえば、1933年(77歳)のフロイトは次のように言っている。

マゾヒズムはサディズムより古い。der Masochismus älter ist als der Sadismus (フロイト 1933、『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」)

ーーすなわち自己破壊欲動は、他者攻撃欲動よりも先にある。そして、

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊欲動傾向から逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい暴露だろうか!

es sieht wirklich so aus, als müßten wir anderes und andere zerstören, um uns nicht selbst zu zerstören, um uns vor der Tendenz zur Selbstdestruktion zu bewahren. Gewiß eine traurige Eröffnung für den Ethiker!(同上)

この考え方を受け入れるなら、フロイトが攻撃欲動というとき、先にあるのは自己攻撃欲動なのである。

攻撃欲動 Aggressionstrieb は、われわれがエロスと並ぶ二大宇宙原理の一つと認めたあの死の欲動 Todestriebes から出たもので、かつその主要代表者である。(フロイト『文化の中の居心地の悪さ』1930年)

ここで挿入的に、ラカンの考え方をいくらか見てみよう。ラカンの核心概念「享楽」とは(究極的には)原マゾヒズムのことであるようにみえる。

真理における唯一の問い、フロイトによって名付けられたもの、「死の本能 instinct de mort」、「享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance」 …全ての哲学的パロールは、ここから逃げ出し、視線を逸らしている。(ラカン、S13, 08 Juin 1966)

ラカンは、フロイトが書いていないことまで書いていると言っている、《FREUD écrit :   « La jouissance est masochiste dans son fond »》(S16, 15  Janvier  1969)   。とはいえこの「享楽」を「死の欲動」に置きかえれば、フロイトはほぼそう言っている。

あるいは、《死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance 》(ラカン、S.17、26 Novembre 1969)とは、ラカンが享楽をどう考えたかを知るためのひとつの核心である。

さらには、

享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, フロイトはこれを発見した。すぐさまというわけにはいかなかったが。il l'a découvert, il l'avait pas tout de suite prévu.(ラカン、S23, 10 Février 1976)

たしかにすぐさまというわけにはいかなかった。1919年(フロイト63歳)においてもまだ次のように言っている。

マゾヒズムは、原欲動の顕れ primäre Triebäußerung ではなく、サディズム起源のものが、自我へと転回、すなわち、退行によって、対象から自我へと方向転換したのである。

…daß der Masochismus keine primäre Triebäußerung ist, sondern aus einer Rückwendung des Sadismus gegen die eigene Person, also durch Regression vom Objekt aufs Ich entsteht. (フロイト『子供が打たれる』1919年)

だが一年後に次の叙述が現われる。

自分自身の自我にたいする欲動の方向転換とみられたマゾヒズムは、実は、以前の段階へ戻ること、つまり退行である。当時、マゾヒズムについて行なった叙述は、ある点からみれば、あまりにも狭いものとして修正される必要があろう。すなわち、マゾヒズムは、私がそのころ論難しようと思ったことであるが、原初的な primärer ものでありうる。

Der Masochismus, die Wendung des Triebes gegen das eigene Ich, wäre dann in Wirklichkeit eine Rückkehr zu einer früheren Phase desselben, eine Regression. In einem Punkte bedürfte die damals vom Masochismus gegebene Darstellung einer Berichtigung als allzu ausschließlich; der Masochismus könnte auch, was ich dort bestreiten wollte, ein primärer sein.(フロイト『快原理の彼岸』1920年)

だが、決定的なのは1924年(フロイト68歳)の二つの記述である。

◆『マゾヒズムの経済論的問題』1924年

マゾヒズムは三つの形態で観察される。①性興奮に課された条件として、②女性的本質の表現として、③生活態度の規範として。したがって我々は、性愛的マゾヒズム、女性的マゾヒズム、道徳的マゾヒズム erogenen, femininen und moralischen を識別する。第一の性愛的マゾヒズム、すなわち苦痛のなかの快 Schmerzlustは、他の二つのマゾヒズムの根である。(⋯⋯)

もしわれわれが若干の不正確さを気にかけなければ、有機体内で作用する死の欲動 Todestrieb ーー原サディズム Ursadismusーーはマゾヒズム Masochismus と一致するといってさしつかえない。その大部分が外界の諸対象の上に移され終わったのち、その残余として内部には本来の eigentliche、性愛的マゾヒズム erogene Masochismus が残る。それは一方ではリピドーの一構成要素となり、他方では依然として自分自身を対象とする。

ゆえにこのマゾヒズムは、生命にとってきわめて重要な死の欲動とエロスとの合金化Legierung von Todestrieb und Eros が行なわれたあの形成過程の証人であり、名残なのである。ある種の状況下では、外部に向け換えられ投射されたサディズムあるいは破壊欲動 projizierte Sadismus oder Destruktionstrieb がふたたび取り入れられ introjiziert 内部に向け換えられうるのであって、このような方法で以前の状況へ退行する regrediert と聞かされても驚くには当たらない。これが起これば、二次的マゾヒズム sekundären Masochismus が生み出され、原初的 ursprünglichen マゾヒズムに合流する。(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』Das ökonomische Problem des Masochismus 、1924年)

ーーラカンは、セミネール10(「不安」)で、上にあるフロイトの三つの区分、性愛的マゾヒズム、女性的マゾヒズム、道徳的マゾヒズム erogenen, femininen und moralischen はあまり意味がないと言いつつ、次のように言い直している。《倒錯者のマゾヒズム、道徳的マゾヒズム、女性的マゾヒズム du masochisme du pervers, - du masochisme moral, - du masochisme féminin》。


◆『性欲論三篇』1905年における1924年の註

後に、心的装置の構造、そこで作用する欲動の種類についての確とした仮定に支えられた考究の結果、マゾヒズムについての私の判断は大幅に変化した。私は原初の primärenーー性愛 erogenen に起源をもつーーマゾヒズムを認め、そこから後に二つのマゾヒズム、すなわち女性的マゾヒズムと道徳的マゾヒズム der feminine und der moralische Masochismusが発展してくる、と考えるようになった。実生活において使い果たされなかったサディズムが方向転換して己自身に向かうときに、二次的マゾヒズム sekundärer Masochismus が生じ、これが原マゾヒズムに合流するのである。Durch Rückwendung des im Leben unverbrauchten Sadismus gegen die eigene Person entsteht ein sekundärer Masochismus, der sich zum primären hinzuaddiert.
(フロイト『性欲論三篇』1905年における1924年の註)

⋯⋯⋯⋯

以上のことは、わたくしも最近になってようやく気づいたのだが、上のフロイトの思考発展を受け入れるなら、たとえば柄谷行人と浅田彰が次のように語った内容は、二次的マゾヒズムであって、一次的マゾヒズム(原マゾヒズム)ではない、ということになる。

柄谷)文化に対して自然を回復せよというロマン派と、それを成熟によって乗り越えよというロマン派がいて、それらは現在をくりかえされている。後期フロイトはそのような枠組を脱構築する形で考えたと思います。文化あるいは超自我とは、死の衝動そのものが自分に向かったものだという、これはすごく大きな転回だと思う。彼はある意味で、逃げ道を絶ってしまった。

浅田)ニーチェが言っていたのもそういうことなんじゃないか。力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる。ドゥルーズやフーコーがニーチェから取り出したのもそういう見方なんで、それがさっきストア派的と言っていた姿勢にも結びつくわけでしょ。(「「悪い年」を超えて」『批評空間』1996 Ⅱ-9 坂本龍一 浅田彰 柄谷行人 座談会)

⋯⋯⋯⋯

なぜ原マゾヒズムが始原なのか。生物学的な思弁のなかでフロイトは《有機体はそれぞれの流儀に従って死を望む sterben will。生命を守る番兵も元をただせば、死に仕える衛兵であった》(『快原理の彼岸』)とはある。あるいは受動ー能動の用語で説明されることもあるが、わたくしはいまだ十分には納得できていない。

受動的立場 passive Einstellung は…やっきになって抑圧されるものであるenergisch verdrängt(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)
容易に観察されるのは、性愛の領域ばかりではなく、心的体験の領域においてはすべて、受動的にうけとられた印象が小児には能動的な反応を起こす傾向を生みだす、ということである。以前に自分がされたりさせられたりしたことを自分でやってみようとするのである。それは、小児に課された外界を征服しようとする仕事の一部であって、苦痛な内容をもっているために小児がそれを避けるきっかけをもつこともできたであろうような印象を反復しようと努める、というところまでも導いてゆくかもしれないものである。

小児たちの遊戯もまた、受動的な体験 passives Erlebnis を能動的な行為 aktive Handlung によって補い、いわばそれをこのような仕方で解消しようとする意図に役立つようになっている。医者がいやがる子供の口をあけて咽喉をみたとすると、家に帰ってから子供は医者の役割を演じ、自分が医者に対してそうだったように自分に無力な幼い兄弟をつかまえて、暴力的な処置をくりかえすのである。受動的なことに反抗し能動的役割 aktiven Rolle を好むということが、この場合は明白である。(フロイト『女性の性愛について』1931年)

原初の母子関係において、幼児はマゾヒスト的立場に置かれていることは確かだろう(参照)。

フロイトが気づいていなかったことは、最も避けられることはまた、最も欲望されるということである。不安の彼方には、受動的ポジションへの欲望がある。他の人物、他のモノに服従する欲望である。そのなかに消滅する欲望……。(ポール・バーハウ1988, Paul Verhaeghe 、THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE )

ーー《他者の欲望の対象として自分自身を認めたら、常にマゾヒスト的だよ⋯⋯que se reconnaître comme objet de son désir, …c'est toujours masochiste. 》(ラカン、S10,l6 janvier l963)

このラカンは、いくらかフロイトの原マゾヒズムの定義(自己破壊欲動)とは異なるが、幼児は誰もが「母なる大他者」の欲望の対象であるには相違ない。

…生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

 究極の「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」とは、母なる大他者と融合したい欲求あるいは欲動であるだろう。

母親への依存性 Mutterabhängigkeit(受動性)のなかに…パラノイア Paranoia にかかる萌芽が見出される。というのは、驚くことのように見えるが、母に殺されてしまう(食われてしまう?)というのはたぶん、きまっておそわれる不安であるように思われる。Denn dies scheint die überraschende, aber regelmäßig angetroffene Angst, von der Mutter umgebracht (aufgefressen?) zu werden, wohl zu sein.(フロイト『女性の性愛』1931年)

母なる大他者ーーフロイトのいう 《偉大な母なる神 große Muttergottheit》(『モーセと一神教』1939)ーーに貪り喰われるのが、究極の願いだったらどうだろう?

精神分析家は益々、ひどく重要な何ものかにかかわるようになっている。すなわち「母の役割 le rôle de la mère」に。…母の役割とは、「母の惚れ込み le « béguin » de la mère」である。

これは絶対的な重要性をもっている。というのは「母の惚れ込み」は、寛大に取り扱いうるものではないから。そう、黙ってやり過ごしうるものではない。それは常にダメージを引き起こすdégâts。そうではなかろうか?

巨大な鰐 Un grand crocodile のようなもんだ、その鰐の口のあいだにあなたはいる。これが母だ、ちがうだろうか? あなたは決して知らない、この鰐が突如襲いかかり、その顎を閉ざすle refermer son clapet かもしれないことを。これが母の欲望 le désir de la mère である(ラカン、S17, 11 Mars 1970)

死の枕元にあったとされる最後のフロイトの草稿をも掲げよう。

母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を彼(女)に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとっての最初の「誘惑者 Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性 Bedeutung der Mutterの根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版、1940、私訳)

ーーこの文は1926年に現れた《愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden》とともに読むことができる。

だが次の文はどうか? エスの目的には、《己を生きたままにすること、不安の手段により危険から己を保護すること》はない、と言っている。

エスの力能 (権力 Macht) は、個々の有機体的生の真の意図 Einzelwesens を表す。それは生得的欲求 Bedürfnisse の満足に基づいている。己を生きたままにすること、不安の手段により危険から己を保護すること、そのような目的はエスにはない。それは自我の仕事である。Eine Absicht, sich am Leben zu erhalten und sich durch die Angst vor Gefahren zu schützen, kann dem Es nicht zugeschrieben werden. Dies ist die Aufgabe des Ichs…(フロイト『精神分析概説』草稿、1940年)

⋯⋯⋯⋯

※付記

ニーチェ『ツァラトゥストラ』のグランフィナーレから引用してみよう。

おお、人間よ、心して聞け!
深い真夜中は何を語る?
「わたしは眠った、わたしは眠ったーー、
深い夢からわたしは目ざめた。--
世界は深い、
昼が考えたより深い。
世界の痛みは深いーー、
享楽 Lustーーそれは心の悩みよりもいっそう深い。
痛みは言う、去れ、と。
しかし、すべての享楽 Lust は永遠を欲するーー
ーー深い、深い永遠を欲する!「酔歌」

Oh Mensch! Gieb Acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
»Ich schlief, ich schlief –,
»Aus tiefem Traum bin ich erwacht: –
»Die Welt ist tief,
»Und tiefer als der Tag gedacht.
»Tief ist ihr Weh –,
»Lust – tiefer noch als Herzeleid:
»Weh spricht: Vergeh!
»Doch alle Lust will Ewigkeit
»will tiefe, tiefe Ewigkeit!«

ーー手塚富雄訳だが、「悦び lust」を「享楽」に変更した。

ここでのニーチェの「悦び(享楽 Lust)」とは、フロイトの《苦痛のなかの快 Schmerzlust》(『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)とほとんど等価である。

そしてラカンはこの《苦痛のなかの快 Schmerzlust》をなによりもまず「享楽」(jouisssance = déplaisir)とした。

享楽が欲しないものがあろうか。享楽は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。享楽はみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志が享楽のなかに環をなしてめぐっている。――

- _was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -(ニーチェ「酔歌」)

※現代ラカン派解釈におけるニーチェの永遠回帰をめぐっては、「ララングとサントーム」を見よ。

ニーチェによって獲得された自己省察(内観 Introspektion)の度合いは、いまだかつて誰によっても獲得されていない。今後もおそらく誰にも再び到達され得ないだろう。

Eine solche Introspektion wie bei Nietzsche wurde bei keinem Menschen vorher erreicht und dürfte wahrscheinlich auch nicht mehr erreicht werden.(フロイト、於ウィーン精神分析協会会議 1908年 Wiener Psychoanalytischen Vereinigung)

⋯⋯⋯⋯

最後にラカンの享楽をめぐる二つの語彙とクロソウスキーのニーチェ論の文を並べてみよう。

まずラカンによる「享楽への意志 volonté de jouissance」と「享楽回帰 retour de la jouissance」。

大他者の享楽の対象になること être l'objet d'une jouissance de l'Autre、すなわち享楽への意志 volonté de jouissance が、マゾヒスト masochiste の幻想 fantasmeである。(ラカン、S10, 6 Mars l963)
反復は享楽回帰 un retour de la jouissance に基づいている・・・それは喪われた対象 l'objet perdu の機能かかわる・・・享楽の喪失があるのだ。il y a déperdition de jouissance.(ラカン、S17、14 Janvier 1970)

そしてクロソウスキー解釈によるニーチェの「権力への意志 volonté de puissance」と「永遠回帰 Éternel Retour」。

・永遠回帰 L'Éternel Retour …回帰 le Retour は権力への意志の純粋メタファー pure métaphore de la volonté de puissance以外の何ものでもない。

・しかし権力への意志 la volonté de puissanceは…至高の欲動 l'impulsion suprêmeのことではなかろうか?(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年)

ラカンの「享楽回帰」・「享楽への意志」は、死の欲動という原マゾヒズム(苦痛のなかの快)である。他方、ニーチェの「永遠回帰」・「権力への意志」は、至高の欲動である。

ここで先ほど引用した「酔歌」の次の文を加えて読むと、ふたりはほとんど同じことを言っているようにみえる。

享楽 lust は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。享楽はみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志が享楽のなかに環をなしてめぐっている。(ニーチェ「酔歌」『ツァラトゥストラ』)


2017年10月21日土曜日

蚊遣線香の匂い

視覚の感受性、聴覚の感受性、嗅覚の感受性など、それぞれ作家には感度の鋭さや鈍さがあるだろう。どの作家に惹かれるのかは、これもまた読者の感受性による。たとえば谷崎潤一郎は触覚の作家だろう。一般に視覚の作家が愛でられることの多いのは、読み手も視覚の感受性が他の感受性に比べて際立つひとが多いせいではないか。

成人世界に持ち込まれる幼児体験は視覚映像が多く、稀にステロタイプで無害な聴覚映像がまじる。嗅覚、味覚、触覚、運動覚、振動感覚などはほとんどすべて消去されるのであろうか。いやむしろ、漠然とした綜合感覚、特に母親に抱かれた抱擁感に乳の味覚や流れ入る喉頭感覚、乳頭の口唇触覚、抱っこにおける運動感覚、振動感覚などが加わって、バリントのいう調和的渾然体harmonious mix-upの感覚的基礎となって、個々の感覚性を失い、たいていは「快」に属する一つの共通感覚となって、生きる感覚(エロス)となり、思春期を準備するのではなかろうか。(中井久夫「発達的記憶論」2002年初出『徴候・記憶・外傷』)

⋯⋯⋯⋯

たとえばわたくしは、こう書く吉行淳之介がひどく好きだ。

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『『砂の上の植物群』)

あるいはこう書くプルーストが。

……彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラⅡ」)

さらには、《その光は、ほとんど「聴くべきだ」といいたい。それほど音楽的な光なのだ》と書いたロラン・バルトが。

……私の二番目の南西部は一つの地方ではない。一つの線、体験したことのある一つの道のりだ。パリから自動車できて(この旅はいく度も繰り返している)アングレームを過ぎると、ある兆で私は自分が家の敷居をまたいで、幼児期の郷里に入ったことを知らされる。それは、道の脇の松林、家の中庭に立つ棕櫚の木、地面に影をおとして人間の顔のような表情を映し出す独特の雲の高さ。そこから南西部の大いなる光が始まる。高貴でありながら同時に繊細で、決してくすんだり淀んだりしない光(太陽が照っていないときでさえ)。それはいわば空間をなす光で、事物に独特の色あいを与える(もう一つの南部はそうだが)というより、この地方をすぐれて住み心地のよいものにするところに特徴がある。明るい光だ、それ以外にいいようがない。その光はこの土地でいちばん季節のいい秋にみるべきだ(私はほとんど「聴くべきだ」といいたい。それほど音楽的な光なのだ)。液体のようで、輝きがあり、心を引き裂くような光、というのも、それは一年の最後の美しい光だから。(ロラン・バルト「南西部の光」)

あるいはまた「女から発散するにおい」を書いた古井由吉が。

・石をおろしてひときわ深い息をついたとき、覚えのある甘い匂いが、怒った時も潤んだ時も同じ興奮した佐枝の匂いが、戸の内でもほのかにふくらんだ。

・佐枝が寄ってきて、背中の荷物を上手におろさせるとすばやく炉のほうへ押しやり、火照った頬を肩に埋めた。声が潤んで昨夜と同じ匂いをふくらませた。(古井由吉『聖』)

ボードレールを思いだしてもよい、《Aux émanations de ton corps enchanté》

両の眼を閉じ、………
お前の熱い乳房の匂いを嗅ぐと、
幸福の岸辺がひろがるのが見える

ーー「異国の薫り」Parfum exotique

ああ、さらには、ジボナノド・ダーシュ! 《知らなかった こんなにやわらかな匂いが立つとは 美しい女(ひと)の結いあげた髪に》 (『美わしのベンガル』)

《汗や脂や腋臭の粘り気のあるにおいと、食物が腐敗して行く死の繁茂のにおい》、あるいは《人々の体臭や汗のしみ込んで、それが蒸されて醗酵したような不快な汚物のようなにおい》を書いた金井美恵子だって好きだ。

腐敗した水のにおいだけではなく、路地の家々の壁には小便のにおいがしみついていて、粘り気のある有機質のにおいに混じったきな臭いアンモニアのにおいが充満してもいるのだ。腐敗した牛乳の匂いに似た、皮膚の表面から分泌する、汗や脂や腋臭の粘り気のあるにおいと、食物が腐敗して行く死の繁茂のにおいが建物の中庭に咲いているジャスミンと薔薇のにおいと混じりあり、甘ったるい吐き気のする睡気になって私の身体を包囲する。(金井美恵子『沈む街』)
(この中年男の)機械的に熱中ぶりを操作しているといったふうな長広舌が続いている間、わたしは濡れた身体を濡れた衣服に包んで、それが徐々に体温でかわくのをじっと待っていたが、部屋の空気は湿っていたし、それに、すり切れた絨毯や、 同じようにすり切れてやせた織糸の破れ目から詰め物とスプリングがはみ出ているソファが、古い車輌に乗ったりすると、時々同じようなにおいのすることのある、人々の体臭や汗のしみ込んで、それが蒸されて醗酵したような不快な汚物のようなにおいを発散させていたので、その鼻を刺激する醗酵性のにおいに息がつ まりそうになり、わたし自身の身体からも、同じにおいを発散させる粘り気をおびた汗がにじみだして来ては、体温の熱でにおいをあたりに蒸散させているよう な気がした。(金井美恵子『くずれる水』)

プルーストがいうように、《われわれの過去は、知性の領土の外、その勢力範囲の外で、何か思ってもみなかった物質的な対象の中に(その物質的対象が与えるであろう感覚の中に)隠されている》のである。

もちろん人には別々の「身体」がある。《私の身体はあなたの身体と同一ではない mon corps n'est pas le même que le vôtre》(ロラン・バルト)。これは冒頭に掲げた文にある《どの作家に惹かれるのかは、これもまた読者の感受性による》にかかわる。

プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって記憶が導き出される。しかし、その木目〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、記憶や欲望、死、不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それは匂いである。(『彼自身によるロラン・バルト』)

わたくしは下等人なのである。《見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう》。

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。 (ホルクハイマー&アドルノ『啓蒙の弁証法』)

わたくしは、理知的な人、あるいは視覚偏重主義者を「にぶい」といってバカにすることがあるが、彼等はじつは「敬すべき」高等人なのである。連中は嗅覚や聴覚、触覚よりも視覚が《常に先に来るのである》。魂の中に先に書き込まれることはないのである。

弁証法に対する批判の全部を要約してプルーストが言うように、理知は常に先にくるのである l'Intelligence vient toujours avant。

『失われた時を求めて』においては、これとは全く同じではない。質的生成、相互融合、《不安定な対立 instable opposition》は、魂の状態の中に書き込まれる inscrits dans un état d'âme のであって、もはや、物や世界の状態の中に記されるのではない。夕陽の斜めの光線・匂い・味・空気の流れ・束の間の質的複合体は、それらが入り込んで行く《主観的側面 côté subjectif》においてのみ価値を持つはずである。それが、レミニサンス réminiscence が介入してくる理由である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチロゴス」の章)

もっとも視覚についても、高村光太郎のような言い方ができる(彼にとっては香も味も音楽もすべて「触覚」である)。

私は彫刻家である。 

多分そのせいであろうが、私にとって此世界は触覚である。触覚はいちばん幼稚な感覚だと言われているが、しかも其れだからいちばん根源的なものであると言える。彫刻はいちばん根源的な芸術である。

人は五官というが、私には五官の境界がはっきりしない。空は碧いという。けれども私はいう事が出来る。空はキメが細かいと。秋の雲は白いという。白いには違いないが、同時に、其は公孫樹の木材を斜に削った光沢があり、春の綿雲の、木曾の檜の板目とはまるで違う。考えてみると、色彩が触覚なのは当りまえである。光波の震動が網膜を刺戟するのは純粋に運動の原理によるのであろう。絵画に於けるトオンの感じも、気がついてみれば触覚である。口ではいえないが、トオンのある絵画には、或る触覚上の玄妙がある。トオンを持たない画面には、指にひっかかる真綿の糸のようなものがふけ立っていたり、又はガラスの破片を踏んだ踵のような痛さがあるのである。色彩が触覚でなかったら、画面は永久にぺちゃんこでいるであろうと想像される。(高村光太郎「触覚の世界」)

ーー《赤ちゃんが最初に子宮の中で自分を認識するのは指しゃぶりであり、自分の身体を触ることなんですよね。》(中井久夫「統合失調症の経過と看護」『徴候・記憶・外傷』所収)

だが母胎内では、指しゃぶり以前に、母の心音や血液の流れ、かつまた母の声を聴き(聴覚)、羊水に揺られ(振動覚)、またそのにおいを嗅いでいる(嗅覚)。すなわち触覚以前の根源的な感覚がある筈である。いやいや、これらも皮膚感覚(触覚)と言いうるかもしれない・・・

わたくしは「きのこの匂い」を書いた中井久夫がひどく好きだ。

……実際、背の下にふかぶかと腐葉土の積み重なるのを感じながら、かすかに漂う菌臭をかぎつつ往生するのをよしとし、大病院の無菌室で死を迎えるのを一種の拷問のように感じるのは、人類の歴史で野ざらしが死の原型であるからかもしれない。野ざらしの死を迎える時、まさに腐葉土はふかぶかと背の下にあっただろうし、菌臭のただよってきたこともまず間違いない。

もっとも、それは過去の歴史の記憶だけだろうか。菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。恋人たちに森が似合うのも、これがあってのことかもしれない。公園に森があって彼らのために備えているのも、そのためかもしれない。(中井久夫「きのこの匂いについて」より『家族の深淵』所収)

灌木について語りたいと思うが
キノコの生えた丸太に腰かけて
考えている間に
麦の穂や薔薇や菫を入れた
籠にはもう林檎や栗を入れなければならない。
生垣をめぐらす人々は自分の庭の中で
神酒を入れるヒョウタンを磨き始めた。

ーー西脇順三郎「秋」


世界は、《小雨が降り出して埃の香いがする》(西脇順三郎『第三の神話』)、すると神々しいトカゲが走るのである。 《軽やかな音もなく走りすぎていくものたち、 わたしが神々しいトカゲ göttliche Eidechsen と名づけている瞬間》(ニーチェ『この人を見よ』) の閃光が走るのである。

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」手塚富雄訳)

わたくしは、「匂いの記号論」を書いた「詩人」中井久夫がひどく好きだ。精神科医とは、なによりもまず詩人でなければならない。

無意識は常に、主体の裂け目のなかに揺らめくものとして顕れる。l'inconscient se manifeste toujours comme ce qui vacille dans une coupure du sujet,ラカン、S11)

ーー《ポエジー poésie だけだ、解釈を許容してくれるのは。私の技能ではそこに至りえない。私は充分には詩人ではない。》(ラカン、S.24.1977)

最初の記憶のひとつは花の匂いである。私の生れた家の線路を越すと急な坂の両側にニセアカシアの並木がつづいていた。聖心女学院の通学路である。私の最初の匂いは、五月のたわわな白い花のすこしただれたかおりであった。それが三歳の折の引っ越しの後は、レンゲの花の、いくらか学童のひなたくささのまじる甘美なにおいになった。

家が建て込むにつれてレンゲは次第に私の家のあたりから影をひそめたが、家々がきそって花壇をつくるので、ことに三月下旬の初めごろの散歩は、次々にちがう花のかおりに祝われた祝祭となった。色彩も夕暮にはアネモネの赤が沈み、レンギョウの黄がはげしい自己主張をした。

青年時代の京都の生活は、腐葉土のかもしだす共通感覚、すなわち、いくばくかのキノコのかおりと焦げた落葉のにおいと色々の人や動物の体臭のごときものとを交え、さらに水の流れなくなってまだ乾かないうちの石づくりの流水溝の臭気を混ぜたうえで、冷気としめり気とをあたえてひんやりさせ、地を低くはわせたときの共通感覚と切り離すことができない。もっとも同じ京都とはいえ、嵐山のあたりは少しちがって、ある歯切れのよさがある。定家の晩年の歌にはそれを反映したものがあると私は思う。また西山の竹林の竹落葉には少しちがったさわやかさがあって私の好みではあるが、触発される思考の種類さえ京都の東部とは変わってしまう。

これに対して中年期の東京の私の記憶は、何よりもまず西郊の果樹の花のかおり、それも特に桃と梨の花の香と確実にむすびついている。蜜蜂の唸りが耳に聞こえるようだ。むろん、風の匂いは鉄道沿線によって少しずつ異なる。おそらく、その差異の基礎は、土のかおりのちがいであろう。国分寺崖線を境に土の匂いがはっきり異なって、私は、その南側のかおりの記憶のほうに親しみを感じる。国立、小平の家の庭の土と、調布上石原のあたりの土のかおりの差を感じないひとはあるまい。

立川段丘は地元で「ハケ」と呼ばれ、狛江から始まって、特に谷保のあたりでは立派な森になっている。樹種が多いのはむかしの洪水によって流れついたものの子孫だからであろう。ハケ下の小さな、今ではほとんど下水になっている流れが二千年前の多摩川である。川越からその北にかけてのさまざまな微高地の上に生えていた(今でもあるであろうか)樹々のつくる森とは、同じ腐葉土でも、かおりが決定的にちがう。秋にはハケの上の茂みにアケビが生った。珍しい樹種に気づいて驚くこともあった。私の住んだ団地の植栽はずいぶん各地から運んだらしく、ついてきて、頼まれないのに生えている植物を、日曜日ごとに同定してまわったら、六〇種を越えた。ハケの森の樹種はもっと多種だろう。

嗅覚はよくわからない、と首をかしげられる方は視覚のほうなら納得されるだろう。

まず中央線沿線の最初の印象は、長い水平の線が多いということだった。縦の線は短く、挿入されるだけである。これはたしかに譜面の与える印象に近い。京王線では、何よりもまず、葉を落とし尽した欅の樹がみごとな扇形を初冬の空に描いている。もっとも、分倍河原駅を出て多摩川を南西に越えると、匂いも視覚も一変する。小田急線は、多摩川を越えて読売ランドの南側の「多摩の横山」を背にした狭隘地を抜けると次第に匂いが変化して、京王線の西部のかおりに近づく。

もっとも、小田急線は長く、さまざまの文化を通過し、車窓の風の香もつぎつぎに変化する。本線が小田原に向かって大山を背に南下するところ、酒匂川が豊かな水量の布を盛大に流している、二宮尊徳の生家の東がわの、見えない海のかおりが、もうかすかに混じるのを感じさせるところに来るとほっとする。

塩味のまったくない空気は、どうも私を安心させないらしい。鎌倉の最初の印象は、“海辺にある比叡山”であった。ふとい杉の幹のあいだの砂が白かっただけではない。比叡の杉を主体とした腐葉土の匂いが、明らかに海辺の、それもほとんど瀬戸内海の夏の匂いでしかありえないものとまじるのが驚きのもとであった。もっとも、比叡山のかおりにも、杉とその落葉のかおりにまじって、琵琶湖の水の匂いが、なくてはならない要素である。この水の匂いゆえに、京都時代の私は、しばしば、滋賀県に出て屈託をいやした。比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちとでなければ登りたくない山であった。

ふつうは「匂いの記号論」とよばれるであろうか、実はそれを問題にしたところの個人史の一部をここに終る。本稿もこれで終りである。近畿のひとには、神社の森ごとにちがうかおりを語ればいちばんわかってくださるであろう。(中井久夫「世界における索引と徴候」)