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2015年11月21日土曜日

四国出身のネトウヨ予備軍のメンヘラボクチャンへ

なんだ、そこの「想像的ディスクール」に終始する四国出身のネトウヨ予備軍のメンヘラボクチャン! 相手をしてほしいのか? だれにも相手にされていないようで、わたくしはつい「同情」してしまうが。

同情は、おおまかに言って、淘汰の法則にほかならない発展の法則をさまたげる。それは、没落にひんしているものを保存し、生の勘当され、断罪された者どものために防戦し、同情が生のうちで手離さずにいるすべての種類の出来そこないを充満せしめることによって、生自身に陰鬱な疑わしい相貌をあたえる。人はあえて、同情を徳と名づけてきた(――あらゆる高貴な道徳においては、同情は弱さとみなされているのだがーー)。さらにすすんで、同情から徳そのものを、すべての徳の地盤と根源をでっちあげるにいたった、――もちろんこれは、このことこそたえず眼中にしておかなければならないことだが、ニヒリズム的な、生の否定を標榜した哲学の観点からのことであるにすぎない。ショーペンハウアーは、この点では正しかった。すなわち、同情によって生は否定され、いっそう否定に値するものたらしめられるからである、――同情とはニヒリズムの実践なのである。(……)ショーペンハウアーは生に敵対した、このゆえに彼にとっては同情が徳になったのである・・・アリストテレスは、周知のごとく、同情のうちに、ときどきは一服の下剤でなおすのが好ましい、病的な危険な状態をみとめた。彼は悲劇を下剤と解したのである。ショーペンハウアーの場合が(そしていかんながら、セント・ペデルブルグからパリまでの、トルストイからヴァーグナーまでの現代の全文学的芸術的デカタンスもまた)示しているような、同情のそうした病的な危険な鬱憤に一撃をくわえる手段が、生の本能からこそ事実探しもとめられなければならないであろう、すなわち、この鬱積が炸裂するためにである・・・(ニーチェ「反キリスト』原佑訳)

ああ、ニーチェの逆鱗にふれてしまわないで、貴君のような「馬鹿」を相手にするにはどうしたらいいのだろう?

なにか糖菓入りの壺はないだろうか。

小さい愚行やはなはだ大きい愚行がわたしに加えられても、わたしは、一切の対抗策、一切の防護策を―――従って当然のことながら一切の弁護、一切の「弁明」を自分に禁ずるのである。わたし流の報復といえば、他者から愚かしい仕打ちを受けたら、できるだけ急いで賢さをこちらから送り届けるということである。こうすれば、たぶん、愚かしさの後塵を拝さずにすむだろう、比喩を使っていうなら、わたしは、すっぱい話にかかりあうことをご免こうむるために、糖菓入りのつぼを送るのである。(……)

わたしはまた、どんなに乱暴な言葉、どんなに乱暴な手紙でも、沈黙よりは良質で、礼儀にかなっているように思われるのである。沈黙したままでいる連中は、ほとんど常に、心のこまやかさと礼儀に欠けているのである。沈黙は抗弁の一種なのだ、言いたいことを飲み下してしまうのは、必然的に性格を悪くするーーそれは胃さえ悪くする。沈黙家はみな消化不良にかかっている。--これでおわかりだろうが、わたしは、粗暴ということをあまり見下げてもらいたくないと思っている。粗暴は、きわだって”人間的な”抗議形式であり、現代的な柔弱が支配するなかにあって、われわれの第一級の徳目の一つである。--われわれが豊かさを十分にそなえているなら、不穏当な行動をするのは一つの幸福でさえある。……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

いやいやシツレイ! 貴君を馬鹿としたが、わたくしも馬鹿の一員である。ただいささか相対的にはカナリ……、いやいやヤメテオコウ。

「私はただ相対的には愚かに過ぎないよ、つまり他の人たちと同じでね。というのは多分私はいくらか啓蒙されてるからな」

“I am only relatively stupid—that is to say, I am as stupid as all people—perhaps because I got a little bit enlightened”?  (Lacan“Vers un signifiant nouveau” 1979)

ジジェクはこの文を引用して、《この「相対性」は、"完全には愚かではない"と読むべきだ、すなわち厳密な意味での非-全体の論理として。…ラカンの中には愚かでないことは何もない。愚かさへの例外はない。ラカンが完全には愚かでないのは、彼の愚かさのまさに非一貫性にある》(ジジェク「『LESS THAN NOTHIG』私訳)と説明している。

ーーところが貴君には愚かさの一貫性しかないようにみえないでもない・・・

なにはともあれ「大量の馬鹿が書くようになった時代」の典型的な人物なようだから、貴君だけがわるいわけではない・・・わたくしもその時代の波をかぶって、こうやって毎日のようにカイエを公表している。

とはいえ、まずディスクールを移行させることだよ、君になによりも必要なのは(参照:「言説の横断と愛の徴」)。その言説では誰にも相手にされないまま一生終るぜ。いやいやきっと四国のオカアチャンがそんな貴君を愛で続けるのだろう。

さて贈り物をしておこう、糖蜜入りだ。この見解に対して、想像的ディスクールでなく応じたら、貴君を見直すことにしよう、

…………

「イスラム原理主義」についての西側諸国の主張の殆どが仮に真実だったとしてもーーイスラム原理主義のテロは我々の最大の脅威だ、一般大衆をターゲットにした振舞いはなによりも許しがたい等々ーー、西側諸国の反イスラムはいまだ病理的だ。というのは、それは本当の理由を抑圧しているからだ。その理由とは、米国あるいは仏国などが「なぜこの今」反ISが「必要か」にかかわる。それは、(まずは)米国にとってはイラク攻撃がIS出現の条件を作ったを忘れたいためであり、仏にとってはオランドの9月シリア空爆がパリテロを生んだことを忘れたいためだ。

だから、反イスラム原理主義の場合、イスラム原理主義者が「実際にどのようであるか」についての知はまやかしであり見当ちがいである。他方、真理の場にある唯一の知は、なぜ欧米諸国は彼らのイデオロギー的体系を支えるためにーーすなわち、非イデオロギー的イデオロギー「新自由主義」、「世界資本主義」あるいは「新植民主義」を支えるために ーー イスラム原理主義の形象が必要か(なぜその形象のもとに「連帯」したいのか)についての知である。

…………

さあてどうだろうか、この見解にたいしては、わたくしもいささか自ら批判したい心持はある。だがここでは貴君に批判はまかせよう。そもそも《「批判」とは相手を非難することではなく、吟味であり、自己吟味である》(柄谷行人「トランスクリティーク』)、--そのことを忘れないようにしよう。かつまた《自分が知らないこと、あるいは適切に知っていないことについて書くのではないとしたら、いったいどのようにして書けばよいのだろうか》(ドゥルーズ『差異と反復』「はじめに」)なのであり、貴君の腕の見せ所を示してくれたまえ!

想像的ディスクールでなく、かつまた 私はこう思うとのみ宣言して解釈さえ放棄する無邪気な「無神論者」にも陥らず、反論できたならば、貴君の将来を愛でることにしよう。

いずれにせよ「どうでもいい」やら「処世術にすぎない」やらとオッシャッテイルにもかかわらず、いつまでもこのブログの読者でいる必要はない。かつて一度罵倒したはずだが。

それとも「この窪地に朝鮮人が来てからというもの、谷間の人間は迷惑をこうむりつづけでしたが! 」メンタリティのボクチャンよ、この罵倒がよほど応えてのルサンチマンかね?

貴君のような人物のアカウント名をさらすつもりも、貴君の片言隻語を引用する気にもならないのだが、あえて忠告すれば、実にひどい悪臭がただよっていることを自覚したほうがいい。

《おそらく粗悪な血のせいだろうが、わたくしの観察に誤りがないなら、わたしの潔癖性に不快の念を与えるように生れついた者たちの方でも、わたしが嘔吐感を催しそうになってがまんしていることを感づくらしい。だからとって、その連中の香りがよくなってくるわけではないのだが……》

人々をたがいに近づけるものは、意見の共通性ではなく精神の血縁である。(プルースト 「花咲く乙女たちのかげに Ⅰ」井上究一郎訳)
人間は自分の精神が属する階級の人たちの言葉遣をするのであって、自分の出生の身分〔カスト〕に属する人たちの言葉遣をするのではない(プルースト「ゲルマントのほう Ⅰ」同上訳) 

ーーおわかりだろうか、わたくしは実のところ「差別主義者」であり、貴君とは精神のカストが天と地ほど懸け離れている気がする。貴君はひょっとしてわたくしよりもずっと島国日本の土人カーストでいえば「上流階級」であるのだろう。

 さて、さきほどのイスラム原理主義の文は以下の文の変奏だ。

ここで、ふたたび思い起こしておこう、ラカンの法外な言明を。すなわち、嫉妬深い夫が彼の妻について言い張るーー彼女はそこらじゅうの男と寝るーー、それが真実だとしても、 彼の嫉妬はいまだ病理的 pathological である、と。

この同じ線で言いうるだろう、ユダヤ人についてのナチの主張のほとんどがかりに真実だったとしてもーーユダヤ人はドイツ人を食いものにする、ドイツ人の少女を誘惑する…ーー、彼らの反ユダヤ主義はいまだ病理的だ、と。というのは、それは本当の理由を抑圧しているからだ、その理由とは、ナチスは 「なぜ」反ユダヤ主義が「必要だったのか」にかかわる。それは、ナチスのイデオロギー的ポジションを維持するためである。

だから、反ユダヤ主義の場合、ユダヤ人が「実際にどのようであるか」についての知はまや かしであり見当ちがいである。他方、真理の場にある唯一の知は、なぜナチは彼らのイデ オロギー的体系を支えるためにユダヤ人の形象が「必要か」についての知である。(ラカンの「四つの言説」における「機能する形式」(ジジェク)


いずれにせよ、現在 IS( Islamic State:イスラム国))は、主人のシニフィアンとして機能しつつある側面があることはまちがいないだろ? なあ、ボクチャンよ!!

ドイツにおける1920年代の反ユダヤ主義について考えてみよう。人びとは、混乱した状況を経験した。不相応な軍事的敗北、経済危機が、彼らの生活、貯蓄、政治的不効率、道徳的頽廃を侵食し尽した……。ナチは、そのすべてを説明するひとつの因子を提供した。ユダヤ人、ユダヤの陰謀である。そこには〈主人〉の魔術がある。ポジティヴな内容のレベルではなんの新しいものもないにもかかわらず、彼がこの〈言葉〉を発した後には、「なにもかもがまったく同じでない」……。たとえば、クッションの綴目le point de capitonを説明するために、ラカンは、ラシーヌの名高い一節を引用している、「Je crains Dieu, cher Abner, et je n'ai point d'autre crainte./私は神を恐れる、愛しのAbner よ、そして私は他のどんな恐怖もない。」すべての恐怖は一つの恐怖と交換される。すなわち神への恐怖は、世界のすべての出来事において、私を恐れを知らなくさせるのだ。新しい〈主人のシニフィアン〉が生じることで、同じような反転がイデオロギーの領野でも働く。反ユダヤ主義において、すべての恐怖(経済危機、道徳的頽廃……)は、ユダヤ人の恐怖と交換されたのだ。je crains le Juif, cher citoyen, et je n'ai point d'autre crainte. . ./私はユダヤ人を恐れる、愛する市民たちよ。そして私は他のどんな恐怖もない……。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012,私訳


ああ、貴君のおかげで本日、三つも投稿してしまったじゃないか、イケネ、しばらく休むことにしようか、実はこのブログの下書きが76ほど溜まってしまっているので、この際、それをすべて連投するという手もあるが。

そもそもこのブログでのわたくしの基本は次ぎの文の前半だ。想像的ディスクールの、すなわち夜郎自大言説の貴君には思いもよらぬ態度かもしれぬが。

「きみにはこんな経験がないかね? 何かを考えたり書こうとしたりするとすぐに、それについて最適な言葉を記した誰かの書物が頭に思い浮かぶのだ。しかしいかんせん、うろ覚えではっきりとは思い出せない。確認する必要が生じる──そう、本当に素晴らしい言葉なら、正確に引用しなければならないからな。そこで、その本を探して書棚を漁り、なければ図書館に足を運び、それでも駄目なら書店を梯子したりする。そうやって苦労して見つけた本を繙き、該当箇所を確認するだけのつもりが、読み始め、思わずのめりこんでゆく。そしてようやく読み終えた頃には既に、最初に考えていた、あるいは書きつけようとしていた何かのことなど、もはやどうでもよくなっているか、すっかり忘れてしまっているのだ。しかもその書物を読んだことによって、また別の気がかりが始まったことに気付く。だがそれも当然だろう、本を一冊読むためには、それなりの時間と思考を必要とするものなのだから。ある程度時間が経てば、興味の対象がどんどん変化し移り変わってもおかしくあるまい? だがね、そうやってわれわれは人生の時間を失ってしまうものなのだよ。移り気な思考は、結局、何も考えなかったことに等しいのだ」(ボルヘス 読書について──ある年老いた男の話)

なあ、貴君よ!

どこの馬の骨ともわからぬ老境の男の文など読まなくてよろしいのだよ、迷信に凝り固まった「将来ある」まだ若いはずの蛆虫くんよ。 しかも「難民」と口にだしたら、《……宗教家の覚悟も、王の覚悟もないものが》などと意味不明のことをオッシャル。

…また、私は、民衆から迷信を取り去ることは恐怖を取り去ることと同時に不可能であることを知っている。最後に、民衆が自己の考えを変えようとしないのは恒心ではなくて我執なのであること、また民衆はものを賞讃したり非難したりするのに理性によって導かれず衝動によって動かされることを知っている。ゆえに、民衆ならびに民衆とともにこうした感情にとらわれているすべての人々に私は本書を読んでもらいたくない、否、私は、彼らが本書を、すべてのものごとに対してそうであるように、見当違いに解釈して不快な思いをしたりするよりは、かえって本書を全然顧みないでくれることが望ましい。彼らは本書を見当違いに読んで自らに何の益がないばかりか、他の人々に、――理性は神学の婢でなければならぬという思想にさまたげられさえしなかったらもっと自由に哲学しえただろう人々に、邪魔立てするだろう。実にそうした人々にこそ本書は最も有益であると、私は確信するのに。(スピノザ『神学・政治論』1670年序文)

もちろん、わたくしはスピノザではないが、スピノザのように言ってみたくなるときがあるのだよ、蛆虫くんたちには。

わたくしは悪臭にはとてもよわいたちなので、それを振り払うには、ブログを変えたほうがいいのだろうかーー、ただし文体をかぎつけてくるルサンチマンくんがいるんだよな、ネット上には。

わたくしはひょっとして「寄生虫に取りつかれる」存在なのだろうか・・・貴君たちの病を伝染させないでくれたまえ・・・

いろいろ問題があったけれども、やはり<強者>と<弱者>の問題というのが重要だと思うんです。これはさっきのファシズム問題ともつながるけれども、ニーチェの<強者>というのは普通の意味での強者、例えばヘーゲルの意味での強者と徹底的に区別しないと、プロトファシストみたいになってしまうわけです。実際、普通の意味でいうと、ニーチェの<強者>というのは物凄く弱い。ニーチェは能動的なものと反動的なもの、肯定的なものと否定的なもののおりなす系譜をたどっていくのだけれども、なぜか世界史においては必ず反動的なもの・否定的なものが勝利し、能動的なもの・肯定的なものは全面的に敗北しているわけです。

これはなぜかというと、<弱者>の側が力で勝っているからではなく、<弱者>が<強者>に病いを伝染させ、それによって<強者>の力を差っ引くからであるというんですね。これはほとんど免疫の話になっているんですが、たまたま『ニーチェの抗体』という変な論文を書いた人がいて、83年ぐらいに既にAIDSの問題が出かかったときそれとの絡みで書かれた(……)思いつき倒れの論文なんだけれども、面白いことに、ニーチェの<強者>というのは免疫不全だと言うんです。何でもあけっぴろげに受け入れてしまう。それにつけ込んで有毒なウィルスを送り込むのが<弱者>なんです。事実、その論文は引いていないけれど、ツァラトゥストラも、最高の存在というのは最も多くの寄生虫に取りつかれると言っている。全くオープンなまま常に変転しているから、それをいいことにして寄生虫がパーッと入って来て、ほとんどAIDSになってしまうわけです(笑)。だから「<強者>をつねに<弱者>の攻撃から守らなければならない」。(『天使が通る』(浅田彰/島田雅彦対談集))

彌縫策とユートピア

さてテロの話を続けたので、今回はもうすこし一般論を掲げよう。もともとテロやら連帯やらの話はここへの遠回りの道であったのだから。いままで種々に記した原動因は「ここ」、すなわち「資本主義」批判にある。

イスラム教とは、コミュニズム衰退後にその暴力的なアンチ資本主義を引き継いだ「二十一世紀のマルクス主義」である。(ピエール=アンドレ・タギエフーー「新しい形態のアパルトヘイト」

ーーただし、このタギエフの見解に「直接的には」賛同するものではない。それを以下に示そう。

…………

真に偉大な哲学者を前に問われるべきは、この哲学者が何をまだ教えてくれるのか、彼の哲学にどのような意味があるかではなく、逆に、われわれのいる現状がその哲学者の目にはどう映るか、この時代が彼の思想にはどう見えるか、なのである。(ジジェク『ポストモダンの共産主義  はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』)

ジジェクが最近やっているのは、ヘーゲルなら、あるいはマルクスなら、今の時代ーーとくに2015年ーー をどう捉えるのか、という試みである。ヘーゲルやマルクスでなくてもよい、カントなら、ニーチェやハイデガーなら、どうこの2015年を捉えるのか、〈あなたがた〉の関心の深いらしいフーコー、ドゥルーズ、デリダの目にはどう映るのか、それをやっている人物が日本にはいるのだろうか?

〈あなたがた〉のほとんどは、あれらの「哲学者」たちが《何をまだ教えてくれるのか、彼の哲学にどのような意味があるか》のみしかやっていないのではないか。〈あなたがた〉はフーコーやドゥルーズ、デリダほどには「聡明」ではなさそうなので、稚拙さを怖れているのかもしれない。だがそれをやらなくて、ーーわれわれのいる現状がたとえばドゥルーズの目にはどう映るか、この時代が彼の思想にはどう見えるかーーをやらなくて、なんの研究をしているというのか。

たとえばジジェクなら「革命幻想」があるという批判があるだろう。では〈あなたがた〉に何があるのだろう、ただひたすら彌縫策幻想しかないのではないか。

2015年の前半、ヨーロッパはラディカルな解放運動(ギリシャの Syriza とスペインの Podemos)に没頭した。他方で後半は、関心が難民という「人道的」話題へと移行した。階級闘争は文字通り抑圧され、寛容と連帯のリベラル-文化的話題に取って代わられらた。

11月13日金曜日のパリテロ殺人にて、今ではこの話題(それはまだ大きな社会経済問題に属していた)、その話題さえ覆い隠されて、テロ勢力とのシンプルな対決ーー無慈悲な戦いに囚われた凡ての民主勢力によるーーに取って代わられた。

次に何が起こるのかは容易に想像できる。難民のなかの ISIS エージェントの偏執狂的 paranoiac 探索である(メディアはすでに嬉々としてレポートしている、テロリストのうちの二人が難民としてギリシャを経由してヨーロッパに入った、と)。パリテロ攻撃の最大の犠牲者は難民自身である。そして本当の勝者は、「je suis Paris 」スタイルの決まり文句の背後にあって、どちらの側においてもシンプルに全面戦争を目指す愛国者たちだ。

これが、パリ殺人を真に非難すべき理由だ。たんにアンチテロリストの連帯ショウに耽るのではなく、シンプルな cui bono(誰の利益のために?)の問いにこだわる必要がある。

ISIS テロリストたちの「より深い理解」は必要ない(「彼らの悲しむべき振舞いは、それにもかかわらず、ヨーロッパの野蛮な介入への反応だ」という意味での)。彼らはあるがままなものとして特徴づけられるべきだ。すなわちイスラムファシストはヨーロッパの反移民レイシストの対応物だ。二つはコインの両面である。 (Slavoj Zizek: In the Wake of Paris Attacks the Left Must Embrace Its Radical Western Roots、2015,11,16)

…………


アフリカや中東からヨーロッパに移民・難民が押し寄せるのは、ただたんに彼らの国の内戦のせいではない。環境変化による水不足が甚だしくなり、失業が溢れかえったり飢餓に襲われつつあるせいでもある(参照:Why More Conflict is Inevitable in the Middle East)。





さて「「われわれはみんなシリア難民なのだ」にて、以下の文を私訳して掲げたが、その後の文も続けよう。

今知られているのは、フクシマ原発の炉心溶融のあと、いっときだが日本政府は、思案したことだ、全東京エリアーー2000万人以上の人びとーーを避難させねばならないと。この場合、彼らはどこに行くべきなのだろう? どんな条件で? 彼らに特定の土地が与えられるべきだろうか? それともただ世界中に四散させられただけなのだろうか?

ーー同じく、「 Slavoj Zizek: We Can't Address the EU Refugee Crisis Without Confronting Global Capitalism」からである(読みやすさのために、いくらか行わけしている)。


【新しい民族大移動の時代】
シベリア北部がより居住や耕作に適したエリアとなり、サハラ地域の周囲がひどく乾燥して、そこに住む多数の人口を支えられなくなったらどうだろう。どうやって人口の再配置がなされるべきか。過去に同様なことが起こったとき、社会変化が野蛮かつ自発的な仕方で生じた。それは暴力と破壊を伴って、である(想起しよう、ローマ帝国の終焉時の壮大な移動を)。そのような予想は、現代では破滅的である。というのは多くの国で大量破壊兵器が利用できるのだから。

したがって、学ばれるべき主要な教訓は、人類はもっと「可塑的 plastic」かつ遊牧的な仕方で生きるように準備すべきだということだ。地域と世界の急速な環境変化は、前代未聞の壮大な規模の社会変容を要求している。

ーージジェクは民族大移動を記しつつ、フロイトの次の文を間違いなく想起しているはずだ。

《「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はまずいないだろう。

通例この残忍な攻撃本能は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。

民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人――の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦中」の身の毛もよだつ事件までを想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。》(フロイト『文化への不満』 )


 【国家主権の再定義】
一つのことが明らかだ。すなわち、国家主権はラディカルに再定義されなけばならない。そして世界的協調 cooperation を創造しなければならない。計り知れない経済の変化にどう対応したらいいのか、新しい気候のパターンによる環境保全、あるいは水やエネルギーの不足をどうしたらいいのか。(…)


【我々の未来としての難民】 
第一に、ヨーロッパは、難民の品位ある生存のための手段を提供するために、十全なコミットメントを改めて約束しなければならない。ここにはどんな妥協もない。多数の移民は我々の未来である。このようなコミットメントの唯一の代替は野蛮状態の復活である(人が呼ぶところの「文明の衝突」だ)。


【難民たちが支払うべき代価】
第二に、このコミットメントの必要不可欠な帰結として、ヨーロッパは自身を組織し、明確な規則と法を課さなければならない。難民の流れの国家コントロールは、全ヨーロッパ共同体を網羅する壮大な行政ネットワークを通して実施されるべきだ(ハンガリーやスロヴァキアの行政のそれのような地域の野蛮行為を避けるために)。

難民は、彼らの安全にかんして保証されなければならない。しかし難民に対して明確にしておくべきことは、彼らはヨーロッパの行政当局によって割り当てられた居住エリアを受け入れなくてはならないということだ。それにつけ加えて、ヨーロッパ各国間の法と社会規範に敬意を払わなければならない。すなわち、どんな側面でも、宗教的、性差別的、民族的暴力への寛容はない。自身の生活様式あるいは宗教を他者に押し付ける権利はない。彼/彼女の共同体の慣習を捨て去るすべての個人の自由への敬意、等々。

もし女性が顔をヴェールで覆いたければ、その選択は尊重されなければならない。しかしもし 顔を覆わないことを選ぶなら、彼女の自由が保証されなければならない。そう、こうした規範は西洋的生活様式を特権化するが、それがヨーロッパでの受け入れの代価である。 こられの規範は明文化されて必要に応じて強制的に施行されなければならない (国内のレイシストに対するのと同様に外国の原理主義者に対しても、である)。


 【新しい形での国際的介入】
第三に、新しい形の国際的な介入が創造される必要がある、すなわち新植民地主義の罠に陥らないような軍事的かつ経済的介入が。リビアやシリア、コンゴにおける平和を国連軍は保証しただろうか? このような介入は、新植民地主義に密接に関連しており、徹底的な予防措置が必要となる。

イラクやシリア、リビアの事例は、いかに間違った介入が、不介入と同様に、同じ袋小路に陥るかを示している。間違った介入、すなわちイラクとリビアであり、不介入、すなわちシリアだ(シリアでは、表面的な不介入の仮面の裏に、ロシアからサウジアラビア、米国までの外国勢力が深くかかわっている)。


【究極的な理念】
第四が、最も困難かつ重要な仕事だ。それは、難民が生み出される社会的条件の廃絶のためのラディカルな経済的変化である。難民の究極的な原因は、現在の世界資本主義自体とその地理的ゲームにある。これをラディカルに変容させないかぎり、ギリシャやほかのヨーロッパ諸国からの移民が、アフリカ難民にまもなく合流するだろう。

私が若い頃は、このようなコモンズ commons を統整する組織された試みは、コミュニズムと呼ばれた。我々は、おそらくそれを再発明すべきだ。これが長い目でみた唯一の解決策である。

これらの全てはユートピアだろうか。たぶんそうかもしれない。だがそうしなかったら、我々はほんとうに敗北してしまう。そしてなにもしなければそれに値する。

…………

当面以上だが、ここで、これらを「ユートピア」と考えるだろう〈あなたがた〉のために、こうつけ加えておこう。

人々は私に「ああ、あなたはユートピアンですね」と言うのです。申し訳ないが、私にとって唯一本物のユートピアとは、物事が限りなくそのままであり続けることなのです。(ジジェクーーユートピアンとしての道具的理性instrumental reason主義者たち

もちろん、ジジェクのような提案ではなく、ほかの提案もあるのかもしれない。だがそれらの殆どすべては、わたくしの知るかぎりたんなる「彌縫策」にすぎない。

資本主義的な現実が矛盾をきたしたときに、それを根底から批判しないまま、ある種の人間主義的モラリズムで彌縫するだけ。上からの計画というのは、つまり構成的理念というのは、もうありえないので、私的所有と自由競争にもとづいた市場に任すほかない。しかし、弱肉強食であまりむちゃくちゃになっても困るから、例えば社会民主主義で「セイフティ・ネット」を整えておかないといかない。(『可能なるコミュニズム』シンポジウム 2000.11.17 浅田彰発言)

彌縫策とは、中井久夫の名著『分裂病と人類』で明かされたように、日本人の得意技でもある。二宮尊徳を例に挙げ、立て直し/世直しの対比で叙述されている(二宮自身は「立て直し」論理だけではない強靭さがある、と中井久夫は強調していることを注記しておこう)。

そこでは、二宮の倫理は、《世界は放置すればエントロピーが増大し無秩序にむかう、したがって絶えず負のエントロピーを注入して秩序を再建しつづけなければならない》ものとされつつ、こうある。

その裏面として「大変化(カタストロフ)」を恐怖し、カタストロフが現実に発生したときは、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始するものである。反復強迫のように、という人もいるだろう。この倫理に対応する世界観は、世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合である。この世界観は「縁辺的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫「執着気質の歴史的背景」『分裂病と人類』所収)

さて話を戻せば、彌縫策でない提案は、どうしてもジジェクと似たようなものとなるのではないか?たとえばピケティの提案などは、ジジェクや柄谷にとっては彌縫策にすぎない(参照→「世界は驚くほど「平和」になっている(戦死者数推移)」の末尾)。

各地の運動が国連を介することによって連動する。たとえば、日本の中で、憲法九条を実現し、軍備を放棄するように運動するとします。そして、その決定を国連で公表する。(……)そうなると、国連も変わり、各国もそれによって変わる。というふうに、一国内の対抗運動が、他の国の対抗運動から、孤立・分断させられることなしに連帯することができる。僕が「世界同時革命」というのは、そういうイメージです。(柄谷行人『「世界史の構造」を読む』)

すなわち、ジジェク=柄谷行人は次ぎのような考え方である。

一般に流布している考えとは逆に、後期のマルクスは、コミュニズムを、「アソシエーションのアソシエーション」が資本・国家・共同体にとって代わるということに見いだしていた。彼はこう書いている、《もし連合した協同組合組織諸団体(uninted co-operative societies)が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府主と周期的変動を終えさせるとすれば、諸君、それは共産主義、“可能なる”共産主義以外の何であろう》(『フランスの内乱』)。この協同組合のアソシエーションは、オーウェン以来のユートピアやアナーキストによって提唱されていたものである。(柄谷行人『トランスクリティーク』)
確かに、ヨーロッパは死んだ。しかし、どのヨー ロッパが死んだのか、と。これへの回答は、以下である。ポスト政治的なヨーロッパの世界市場への組み込み、国民投票で繰り返し拒絶されたヨーロッパ、ブリュッセルのテクノクラ ットの専門家が描くヨーロッパ──死んだのはそうしたヨーロッパなのだ。ギリシアの情熱と 腐敗に対して冷徹なヨーロッパ的理性を代表してみせるヨーロッパ、そうした哀れなギリシ アに「統計」数字を対置するヨーロッパが、死んだのだ。しかし、たとえユートピアに見えようとも、この空間は依然としてもう1つのヨーロッパに開かれている。もう1つのヨーロッパ、 それは、再政治化されたヨーロッパ、共有された解放プロジェクトにその根拠を据えるヨー ロッパ、古代ギリシアの民主制、フランス革命や10月革命を惹き起こしたヨーロッパである。(ジジェク、2010

結局、非イデオロギーという名のイデオロギー「新自由主義」国の面々、あるいは東アジア的破廉恥な資本主義国の連中にまかしておけるはずがない。新自由主義も東アジアのやり方も《世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合》である。

私は確信している、我々はかつてなくヨーロッパが必要だと。想像してごらん、ヨーロッパなしの世界を。二つの柱しか残っていない。野蛮な新自由主義の米国、そして独裁的政治構造をもった所謂アジア式資本主義。あいだに拡張論者の野望をもったプーチンのロシア。我々はヨーロッパの最も貴重な部分を失いつつある。そこではデモクラシーと自由が集団の行動を生んだ。それがなくて、平等と公正がどうやってあると言うんだ。(Zizek,The Greatest Threat to Europe Is Its Inertia' 2015.3.31)


《人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである》(ニーチェ『偶像の黄昏』)

世界資本主義の条件の下では、我々は、イデオロギー的には、「みなイギリス人=アングロサクソンである」。

そこから逃れるには(今では、虫の息として残存するだけかもしれない)あのヨーロッパ精神しかない。そのヨーロッパはシリア空爆に精を出すヨーロッパとはまったく異なったヨーロッパだ。




「〈ソリダリテ〉(連帯)」の悲しい運命

《ブッシュのアメリカをあれほど批判していたフランスも結局は同じことをしていると言わざるを得ない》としたのは、 今年初めの「シャルリー・エブド事件」後の浅田彰だ。

ヴァルス首相が国会での演説で「フランスはテロリズム、ジハード主義、過激イスラム主義との戦争状態にある」と踏み込み(*注)、オランド大統領もIS(「イスラム国」)空爆のためペルシア湾に向けて出港する空母シャルル・ドゴールに乗り込んで「対テロ戦争」に参加する兵士たちを激励する、それによって低迷していた支持率が急上昇する、といったその後の流れを見ていると……(「パリのテロとウエルベックの『服従』」)

ーーに続く文として冒頭のコメントが現われる。

ところで、昨晩、日本国籍だが元フランス人(たぶん)のエリック・Cという方のツイートを眺めた。

 @x__ok: 戦闘を拡大して行ったら泥沼に嵌まって行くに決まっているのに今回のテロでフランス人の81%が空爆賛成とコロっと大きく変わってしまった。感情的に人間はこうやって変わるものだから冷静に考えられる内にしっかり平和について考え守りを固めておく必要がある。日本はその最後のチャンスの所にいる。

@x__ok: 日本国憲法の反戦の意義を良く知っている者にとっては昨日からコロッと変わって戦争に力をいれるフランス人達と距離を感じ始めた。人間の感情は一日にして大きく変わるものだ。戦争に関わってはいけない。日本は早く元に戻るべきだ。早く安倍の安保法や秘密保護法を廃案にしなければ大変に危険だ。

@x__ok: だんだん知り合いのさらに関係する人とかでテロの被害に遭って殺害された人や入院している人達の話が耳に入って来る様になってきた。パリの人間関係は有機的に繋がっている。それと同時にテロとの戦いを支援する話も入って来てこちらとしては心が痛い。フランスは後戻りできない所まで来てしまった。

@x__ok: 同時テロ主犯格の死が確認されたとフランス政府は喜こんでいるが、これもまたビンラデンの時と同じ様に生け捕りにして裁判にかけるなどという事がないまま消されてしまった。しかしここ数日、大統領の支持率は大きく上がっている。政治とはこんなものだ。

@x__ok: 原因は貧困というより、不当な格差にです。テロリスト達が存在しだした理由も不当な格差があるからです。人間という生き物は不当な格差の中で生きる事ができない生き物なのです。 https://t.co/qbaFOk2UyQ

要はーーここでは焦点を絞るがーー、フランス人たちはどうやら集団神経症的な「連帯」をして、《空爆賛成とコロっと大きく変わってしまった》のだ。

フロイトの考えでは、宗教は集団神経症である。神経症を意志によって克服することはできない。が。彼は、ひとが宗教に入ると、個人的神経症から癒えることを認めている。それは、ある感情(神経症)を除去するには、もっと強力な感情(集団神経症)によらねばならないということである。(柄谷行人

フランスの「知識人」層は「ブッシュのアメリカをあれほど批判していた」にもかかわらず、いざテロ行為で多くの犠牲者が出れば、同じ穴の狢であり、平等やら博愛やらの「理念」などすぐさまふっとんでしまう。怒りと悲しみによって人は報復に向う。反空爆デモの気配は、寡聞にしてか、窺えない。

……行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にして全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない。(……)

さらに、逆説的なことであるが、行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。(……)

行動化は集団をも統一する。二〇〇一年九月十一日のWTCへのハイジャック旅客機突入の後、米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない。

もっとも、だからといって十月七日以後のアフガニスタンへの介入が最善であるかどうかは別問題である。副作用ばかり多くて目的を果たしたとはとうてい言えない。しかし国内政治的には国論の排他的統一が起こった。「事件の二週間以内に口走ったことは忘れてくれ」とある実業家が語っていたくらいである。すなわち、アメリカはその能動性、統一性の維持のために一時別の「モード」に移行したのである。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』所収ーー「一にして全」による 「イスラム国」攻撃の激化?

《米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない》とあるように、今回のフランスも「連帯」、すなわち「一にして全」となって矛盾や葛藤を一時的にしろ吹き飛ばすために、空前の「報復」空爆をせざるをえない世論なのだろう。この「一時的」な処置が泥沼への道であるのは、「冷静」になれば誰もが知っていることだ。

彼らの国々であってそうである。日本においては言わずもがな、だ。

……国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。醒めている者も、ふつう亡命の可能性に乏しいから、担いでいるふりをしないわけにはゆかない(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収ーー「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ

「正義の味方」を自称するいわゆる「カウンター」運動をしている連中も、あきらかに報復活動熱烈派予備軍である。それは「構造的な類似(ネトウヨ/カウンター)」や「「パリ10 区・11 区という場所」がなぜテロのターゲットになったのか」などでみたのでくり返さない。

ーーこう記しているわたくしももちろん「予備軍」である。たとえば愛する人をテロで失ったとき、どうやって人は冷静でいられよう?

ランク(1913年)はちかごろ、神経症的な復讐行為が不当に別の人にむけられたみごとな症例を示した。この無意識の態度については、次の滑稽な挿話を思い出さずにはいられない。それは、村に一人しかいない鍛冶屋が死刑に値する犯罪をひきおこしたために、その村にいた三人の仕立屋のうちの一人が処刑されたという話である。刑罰は、たとえ罪人に加えられるのではなくとも、かならず実行されなければならない、というのだ。(フロイト『自我とエス』ーー「血まみれの頭ーー〈隣人〉、あるいは抑圧された〈悪〉」)

シリア人たちは、おそらくアサド側からサリン爆弾攻撃を受けた(2013)。復讐行為はアサド直接に対してでなくてよろしい。アサドを支援しているらしき先進諸国であったら誰に対してさえーーひょっとしてサリンを使用してーー、あのトラウマを晴らすかもしれない。それはちょうど毒ガス負傷兵であったヒトラーのように、である。

(第一次世界大戦後)ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収)

私はテロで妻を殺されたが報復などしない、と決然と宣言するすぐれた方がいる。だが彼のトラウマは消えない。するとそのトラウマから生じる破壊衝動は、外部に向うのを抑制すれば、内へと向う。

以下の文はややここでの文脈と異なるが、メカニズムとしては同じである。

想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって定期的に引き起こされることをだ。生き残ったことについての彼らの内密な反応は、いかに深刻な分裂によって刻印されているかについて。意識的には彼らは十分に気づいている、彼らの生存は無意味なめぐり合わせの結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない、ひたすら責めをおうべき加害者はナチの拷問者たちであると。だが同時に、彼らは“非合理的な”罪の意識にとり憑かれる(それは単にそれ以上のようにして)。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。――よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生き残り者の多くを自殺に追いやるのだ。これが露わにしているのは、最も純粋な超自我の審級である。不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。(ジジェク、2012)

さて冷静で入られるうちに、こうやってジジェクでも引用しておくのだ。いずれにしろわたくしはきみたちの《おみこしの熱狂》をあまりみたくはない。

我々が考えるべき、別の、もっと形式的な側面……すなわち、普通の日常生活の束の間の残酷な途絶である。意味深いことに、攻撃された対象は、軍事施設や政治施設ではなく、日常の大衆文化ーーレストランやライヴハウス、サッカースタジアムだ。このようなテロリズムの形式--束の間の破裂ーーは、主に西側の先進諸国における攻撃を特徴づける。そこにはハッキリとした対照がある。多くの第三世界の国々では、暴力は生活の半永久的な事態だ。考えてみるがいい、コンゴやアフガニスタン、シリア、イラク、レバノンでの日常生活を。いったいどこにあるのだ国際的連帯の叫びは? 数多くの第三世界の人びとが死んでいるときに。(The Paris Attacks and a Disturbance in a Cupola BY SLAVOJ ŽIŽEK 11/18/15

ーーおまえら、第三国の連中をウサギあつかいしてるだろ? パリテロ後、「連帯」やら「祈り」やらと「涼しい顔をして」ほざいているそこのオマエラだ!!




ジジェク) リオ・デ・ジャネイロのような都市には何千というホームレスの子供がちがいます。私が友人の車で講演会場に向っていたところ、私たちの前の車がそういう子供をはねたのです。私は死んで横たわった子供を見ました。ところが、私の友人はいたって平然としている。同じ人間が死んだと感じているようには見えない。「連中はウサギみたいなもので、このごろはああいうのをひっかけずに運転もできないくらいだよ。それにしても、警察はいつになったら死体を片づけに来るんだ?」と言うのです。左翼を自認している私の友人がですよ。要するに、そこには別々の二つの世界があるのです。海側には豊かな市街地がある。他方、山の手には極貧のスラムが広がっており、警察さえほとんど立ち入ることがなく、恒常的な非常事態のもとにある。そして、市街地の人々は、山の手から貧民が押し寄せてくるのを絶えず恐れているわけです。……

浅田彰) こうしてみてくると、現代世界のもっとも鋭い矛盾は、資本主義システムの「内部」と「外部」の境界線上に見出されると考えられますね。

ジジェク)まさにその通りです。だれが「内部」に入り、だれが「外部」に排除されるかをめぐって熾烈な闘争が展開されているのです。(浅田彰「スラヴォイ・ジジェクとの対話」1993.3『SAPIO』初出『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収ーー「ルソー派とニーチェ派」)




川上泰徳@kawakami_yasu: シリア人権ネットワーク(SNHR)が2011年3月から今年10月末までのシリア内戦の民間人死者を集計。計188502人。政府軍や政府系民兵による死者180879(96%)、反体制組織2669、イスラム国1712、クルド勢力379、ヌスラ戦線347、ロシア軍263、有志連合251。

シリア人権ネットワークは反体制地域各地で情報を確認しつつ者数を集計。政権支配地域では直接活動はしていないが、政権の拷問による死者も集計。政治的な偏向があるとか、数字が偏っているなどの批判があるとしても、空爆や樽爆弾をする政権軍が圧倒的に民間人を殺害していることは動かないでしょう。

シリア政権軍の空爆が圧倒的多数の民間人を殺している一方で、昨年9月からの有志連合の空爆による民間人死者が251いるのも重大。9月末から空爆を始めたロシア軍は263人。太平洋戦争で米軍による徹底的な都市爆撃を経験した日本人は、空爆の無差別性と非人道性にもっと敏感になるべきでしょう。

私はイスラム国を深刻な脅威であると考えるが、いまのシリアでの政権軍の非道が続く限り、ISを止めることはできないと危惧する。ISに参加する若者たちやISを支持する部族がISの暴力はイスラムを守るためでも、民衆を守るためでもないと気けば、ISは支持を失うだろうが、状況は悪化するばかり



2015年11月20日金曜日

傷口に塩を塗る「連帯」理念

なにやら意味不明のことを言ってくる人がいるが、「「パリ10 区・11 区という場所」がなぜテロのターゲットになったのか」において、別にむずかしいことをいっているわけではない。

「被害者意識」とは、人を正義の場に立たせてくれるのだから、おおくの人はそこに憩う。その悪臭をかぎつけただけだ。あの程度の露骨な悪臭であるなら、ニーチェほどの鼻が利く必要はまったくない。

最後に、わたしの天性のもうひとつの特徴をここで暗示することを許していただけるだろうか? これがあるために、わたしは人との交際において少なからず難渋するのである。すなわち、わたしには、潔癖の本能がまったく不気味なほど鋭敏に備わっているのである。それゆえ、わたしは、どんな人と会っても、その人の魂の近辺――とでもいおうか?――もしくは、その人の魂の最奥のもの、「内臓」とでもいうべきものを、生理的に知覚しーーかぎわけるのである……わたしは、この鋭敏さを心理的触覚として、あらゆる秘密を探りあて、握ってしまう。その天性の底に、多くの汚れがひそんでいる人は少なくない。おそらく粗悪な血のせいだろうが、それが教育の上塗りによって隠れている。そういうものが、わたしには、ほとんど一度会っただけで、わかってしまうのだ。わたしの観察に誤りがないなら、わたしの潔癖性に不快の念を与えるように生れついた者たちの方でも、わたしが嘔吐感を催しそうになってがまんしていることを感づくらしい。だからとって、その連中の香りがよくなってくるわけではないのだが……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)


◆「メモ:「被害者意識」(蓮池透氏)」より一部再掲。

被害者意識というのはやっかいなものです。私も、被害者なのだから何を言っても許されるというある種の全能感と権力性を有してしまった時期があります。時のヒーローでしかたらね。(……)

被害者意識は自己増殖します。本来、政治家はそれを抑えるべきなのに、むしろあおっています。北朝鮮を「敵」だと名指しして国民の結束を高める。為政者にとっては、北朝鮮が「敵」でいてくれると都合がいいのかもしれません。しかし対話や交渉はますます困難となり、拉致問題の解決は遠のくばかりです。

拉致問題を解決するには、日本はまず過去の戦争責任に向き合わなければならないはずです。しかし棚上げ、先送り、その場しのぎが日本政治の習い性となっている。拉致も原発も経済政策も、みんなそうじゃないですか。

(……)日本社会は被害者ファンタジーのようなものを共有していて、そこからはみ出すと排除の論理にさらされる。被害者意識の高進が、狭量な社会を生んでいるのではないでしょうか。(蓮池透発言(元「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長))
……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)

両方とも日本民族の被害者幻想を指摘しているが、これは多かれ少なかれどの民族にもある。

他方、多文化主義者の他民族との連帯意識は、たとえばフランス人であればアルジェエリア戦争の《過去の戦争責任に向き合》うことを忘れさせてくれる(参照:「フランス人のマグリブ人に対する敵意」)。

ーーようはムスリムたちが、パリにおける自由・平等・博愛的「集団神経症」に鼻を抓みたくなる心性ぐらいは気づけよ、ということだけだ。

そもそもムスリムたちはパリ郊外というゲットーに隔離されて生活してる連中が多いのだ。次ぎの文も何度も引用しているが、再掲しておこう。

そもそも「他者に開かれた多文化社会」を目指しつつ、実際は移民をフランス人の嫌がる仕事のための安価な労働力として使い、「郊外」という名のゲットーに隔離してきたわけで、そういう移民の若者の鬱屈をイスラム原理主義が吸収したあげく今回のようなテロが起きたと考えられる。 (浅田彰「パリのテロとウエルベックの『服従』」

フランスは、《わが国こそ世界で最も自由、平等、友愛の理念を実現した国だという自負そのものが、ナショナリズムや愛国心を生み、他国、他民族を蔑視し差別するメカニズムが働いてしまっている》(参照)のであり、自由と連帯と他者に開かれた多文化社会の象徴であるパリ10 区・11 区に、鬱屈をかかえたムスリムたちが、仏人の過去の搾取や暴力的支配の実践を隠蔽する仕草、そして《傷口に塩を塗りつけるように、反対物、すなわち自由・平等・民主の仮面の下で、野蛮な現実をプレゼンする》現場を幻想的に見出してもなんの不思議でもないだろう、--そういうことを記しただけだ。

…………


同情されて怒り狂うドストエフスキーの誇り高い登場人物たち。

彼にとっては、愛と過度のにくしみも、善意とうらぎりも、内気と傲岸不遜も、いわば自尊心が強くて誇が高いという一つの性質をあらわす二つの状態にすぎないのです。そんな自尊心と誇が、グラーヤや、ナスターシャや、ミーチャが顎ひげをひっぱる大尉や、アリョーシャの敵=味方のクラソートキンに、現実のままの自分の《正体》を人に見せることを禁じているというわけなのです。(プルースト『囚われの女』)


2015年11月19日木曜日

「パリ10 区・11 区という場所」がなぜテロのターゲットになったのか

謎はかくの如し。ムスリム過激派ーー疑いもなく搾取、植民地主義の支配や破滅的かつ屈辱的な側面に曝されいるーー、その彼らが、なぜ西側の遺産の最もすぐれた部分(少なくとも我々にとって)をターゲットにするのか、すなわち我々の平等主義や個人的自由を。ハッキリした答はこうだ、彼らのターゲットはよく選ばれている。リベラルな「西」をひどく我慢できないものにするのは、彼らの搾取や暴力的支配の実践だけではない。傷口に塩を塗りつけるように、反対物、すなわち自由・平等・民主の仮面の下で、野蛮な現実をプレゼンするからだ。(Slavoj Zizek: In the Wake of Paris Attacks the Left Must Embrace Its Radical Western Roots、2015,11,16)

ジジェクのこの文は、直接には、「パリ10 区・11 区という場所」が標的にされたことには触れていない(かつひどく異なった文脈で記されている)。そもそもこのコラムはすこし以前に記されたコラムへの批判に応じる文であり、やや遠回しに書かれている。

だが、なぜ「パリ10 区・11 区という場所」がターゲットにされたのかの解釈としても読むことができるのではないか。

このコラムの冒頭をいくらか粗訳しておこう。

2015年の前半、ヨーロッパはラディカルな解放運動(ギリシャの Syriza とスペインの Podemos)に没頭した。他方で後半は、関心が難民という「人道的」話題へと移行した。階級闘争は文字通り抑圧され、寛容と連帯のリベラル-文化的話題に取って代わられらた。

11月13日金曜日のパリテロ殺人にて、今ではこの話題(それはまだ大きな社会経済問題に属していた)、その話題さえ覆い隠されて、テロ勢力とのシンプルな対決ーー無慈悲な戦いに囚われた凡ての民主勢力によるーーに取って代わられた。

次に何が起こるのかは容易に想像できる。難民のなかの ISIS エージェントの偏執狂的 paranoiac 探索である(メディアはすでに嬉々としてレポートしている、テロリストのうちの二人が難民としてギリシャを経由してヨーロッパに入った、と)。パリテロ攻撃の最大の犠牲者は難民自身である。そして本当の勝者は、「je suis Paris 」スタイルの決まり文句の背後にあって、どちらの側においてもシンプルに全面戦争を目指す愛国者たちだ。

これが、パリ殺人を真に非難すべき理由だ。たんにアンチテロリストの連帯ショウに耽るのではなく、シンプルな cui bono(誰の利益のために?)の問いにこだわる必要がある。

ISIS テロリストたちの「より深い理解」は必要ない(「彼らの悲しむべき振舞いは、それにもかかわらず、ヨーロッパの野蛮な介入への反応だ」という意味での)。彼らはあるがままなものとして特徴づけられるべきだ。すなわちイスラムファシストはヨーロッパの反移民レイシストの対応物だ。二つはコインの両面である。


さて最初に掲げた文の文脈に戻るが、昨晩、カウンター諸君が、パリ在住の音楽関係の仕事をされているらしい對馬敏彦氏の文章を絶賛していた。

私が何十年も仕事として関わっている音楽、私が信頼して愛しているこのパリの町、そのヴァリューは私たちが守らなければならないと思うのです。それに死刑を宣告する思想には断じて屈服してはならないのです。断じて!(カストール爺の生活と意見

カウンター諸君は、音楽ファンがおおいので、彼らの絶賛は(気持ちとしては)よくわかる。

おまえは死に値する。
おまえは音楽が好きで、スポーツが好きで、混じり合ったパリが好きで、金曜日の夜に華やいだ町で友だちと会って飲むのが好きだ。
 おまえは死に値する。
銃口が私やあなたに向けられたのです。なぜ? おまえは音楽が好きだろう。
私は13日夜から14日未明まで事件を報道するテレビを見続けて、何発も何発を銃弾を撃ち込まれたのです。パリはその論法からすれば、何百回でも何千回でも殺戮テロに襲われなければならない人たちの集まりなのです。(同 カストール爺)

こういった文章に素直に感動できるカウンター諸君は善人である。

まえに出ろ。はなしによれば おまえは善人だそうだな。
お前は金では動かん。だが 家に落ちるかみなりも 金では動かん。
おまえはいったことをまもる。 だがなにをいった?
おまえは正直に意見をいう。 どんな意見だ?
おまえは勇敢だ。 だれに対して?
おまえはかしこい。 だれのために?
おまえは自分が得をしたいとはおもわない。
ではだれの得を考えているのだ?
おまえはよき友だ。 善良な人々のよき友でもあるのか?
おれたちの話をきけ。
おれたちにはわかっている おまえはおれたちの敵だ。
だからおれたちは おまえを壁のまえに立たせる。
だが、おまえのためになるし、おまえはいいやつだから
おれたちはおまえを善良な壁のまえに立たせる、
そしておまえを撃つ 善良な銃から発射される善良な銃弾で、
そしておまえを埋める 善良なシャベルで、善良な地中に

— ベルトルト・ブレヒト「善人の尋問」

われわれはブレヒトだけでなく、過去の古典や歴史により、「善人」や「愛」などは、場合によってはもっとも憎悪を生むことを学んでいる。

・よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、もっとも害のある害である。

・善い者、(……)かれらの精神は、かれらの自身の「やましくない良心」という牢獄のなかに囚われていた。測りがたく怜悧なのが、善い者たちの愚鈍さだ。(ニーチェ、ツァラトゥストラ)
《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

たとえばフランス人のアルジェリアの植民地支配。それは日本の植民地支配のような「愛」によるものではなかっただろう。だが、現在のパリ市民によるアルジェリア系を中心にしたムスリムへの対応は、「表面的には」愛、連帯だろう。それが憎悪に結びつく可能性にたいして、「在日」シンパとして活躍するカウンター諸氏がほとんど不感症であるのをみると、いささか驚いてしまう。

日本の植民地政策の特徴の一つは、被支配者を支配者である日本人と同一的なものとして見ることである。それは、「日朝同祖論」のように実体的な血の同一性に向かう場合もあれば、「八紘一宇」というような精神的な同一性に向かう場合もある。このことは、イギリスやフランスの植民地政策が、それぞれ違いながらも、あくまで支配者と被支配者の区別を保存したのとは対照的である。日本の帝国主義者は、そうした解釈によって、彼らの支配を、西洋の植民地主義支配と対立しアジアを解放するものであると合理化していた。むろん、やっていることは基本的に同じである。だが、支配を愛とみなすような「同一性」のイデオロギーは、かえって、被支配者に不分明な憎悪を生み出すこと、そして、支配した者に過去を忘却させてしまうことに注意すべきである

こうした「同一性」イデオロギーの起源を見るには、北海道を見なければならない。日本の植民地政策の原型は北海道にある。いうまでもなく、北海道開拓は、たんに原野の開拓ではなく、抵抗する原住民(アイヌ)を殺戮・同化することによってなされたのである。その場合、アイヌとに日本人の「同祖論」が一方で登場している。(……)

この点にかんして参照すべきものは、日本と並行して帝国主義に転じたアメリカの植民地政策である。それは、いわば、被統治者を「潜在的なアメリカ人」とみなすもので、英仏のような植民地政策とは異質である。前者においては、それが帝国主義的支配であることが意識されない。彼らは現に支配しながら、「自由」を教えているかのように思っている。それは今日にいたるまで同じである。そして、その起源は、インディアンの抹殺と同化を「愛」と見なしたピューリタニズムにあるといってよい。その意味で、日本の植民地統治に見られる「愛」の思想は、国学的なナショナリズムとは別のものであり、実はアメリカから来ていると、私は思う。岡倉天心の「アジアは一つ」という「愛」の理念でさえ、実は、アメリカを媒介しているのであって、「東洋の理想」ではない。

札幌農学校は、日本における植民地農業の課題をになって設立されたものである。それが模範にしたのは、創設においてクラーク博士が招かれたように、アメリカの農業、というよりも植民地農政学であった。われわれは、これを内村鑑三に代表されるキリスト教の流れの中でのみ見がちである。しかし、そうした宗教改革と農業政策を分離することはできない。事実クラーク博士は宣教師ではなく農学者であったし、また内村鑑三自身もアメリカに水産科学を学びに行ったのであって、神学校に行ったのではない。さらに、内村と並ぶキリスト教徒の新渡戸稲造は、のちに植民地経営の専門家となっている。

北海道は、日本の「新世界」として、何よりもアメリカがモデルにされたのである。そして、ここに、「大東亜共栄圏」に帰結するような原理の端緒があるといえる。(……)日本の植民地主義は、主観的には、被統治者を「潜在的日本人」として扱うものであり、これは「新世界」に根ざす理念なのである。ついでにいえば、こうした日米の関係は、実際に「日韓併合」にいたるまでつづいている。たとえば、アメリカは、日露戦争において日本を支持し、また戦後に、日本がアメリカのフィリピン統治を承認するのと交換に、日本が朝鮮を統治することを承認した。それによって、「日韓併合」が可能だったのである。アメリカが日本の帝国主義を非難しはじめたのは、そのあと、中国大陸の市場をめぐって、日米の対立が顕在化したからにすぎない。(柄谷行人「日本植民地主義の起源」『岩波講座近代と植民地4』月報1993.3初出『ヒュ―モアとしての唯物論』所収)


さて、もうすこし「カストール爺」のブログから引用しておこう。わたくしは決してこれらの文を批判するものではない。ただカウンター諸君のナイーブさは、社会運動をするものたちとしては、いささかいただけない、と感じたまでだ。

報道では「無差別」や「乱射」という表現のしかたをされているようですが、これは場所も 人間もテロリストに意図的に選択されたものでしょう。11 月 13 日、テロリストたちはこれらの場所とこれらの人間たちを狙い撃ちにしたのです。

テレビの報道番組に出たパリ市長アンヌ・イダルゴがこの 10 区・11 区という場所の特殊性を強調して、この場所が選ばれた理由を説明しました。ここはパリで最も若い人たちが集まる地区であり、多文化が最も調和的に同居し、アートと食文化が町にあふれ、音楽が生れ、リズムとダンスを老いも若きも分かち合う、古くて新しいパリの下町です。パリで最も躍動的でポジティヴな面を絵に描いたような「混じり合う」町です。私たちの新しいフランス はこの混じり合いで良くなってきたのです。この混じり合いの端的な成功例が 10 区・11 区 なのであり、今の「パリ的」なるものを誇れる最良の見本なのです。これをテロリストたちは 狙い撃ちしたのです。混じり合いや複数文化やアートを分かち合うことを全面的に否定し、 憎悪し、抹殺してしまおうという考え方なのです。11 区にはあのシャルリー・エブドの編集 部もあった。11 区にはかの事件のあと市民 100 万人を結集させたレピュブリック広場もあ った。テロリストたちはこの町をますます呪うようになったのです。


仮面の下には、なにも隠していない、と彼らは言うかもしれない。われわれには搾取も支配も微塵もないと。だが憎悪とはもともと幻想(ファンタジー)の領域にある。

「見せかけsemblance」の鍵となる公式は、ジャック=アラン・ミレールによって提案された、「見せかけは無の仮面(ヴェール)である」と(Jacques‐Alain Miller, “Of Semblants in the Relation Between Sexes,” 1999)。ここには、もちろんフェティッシュとのリンクが提出されている。すなわち、フェティッシュとはまた空虚を隠す対象である。見せかけ(サンブラン)は、ヴェールのようなものであり、無をヴェールで覆う。ーーその機能は、ヴェールの裏には隠された何かがあるという錯覚 illusion を生み出すことである。(ジジェク、2012)


※追記:異議がある方は、補遺「傷口に塩を塗る「連帯」理念」を読んでから文句を言ってきてください。



2015年11月18日水曜日

祈りとさむいぼ

カトリックの連中が《パりで起きたてロの犠牲者たちと彼ら彼女らの家族のために祈りましょう》などとツイッターで言っているのをみて、オレはすぐさま「さむいぼ」がたったんだが、きみらはそんなことないのだろうか?

ーーそれはムスリムたちのジハードをいっそう刺激するんじゃないのか、と

ここでは素朴に言うが、史上最大の大虐殺といえば、やっぱりキリスト教徒の「信心深い」十字軍戦士たちによって行われたわけでね

とっくに忘れていたはずの十字軍的な情熱を鼓舞してんじゃないだろうな、あの連中のお祈りってのは・・・

フランスにはイスラム政権ーームスリムの大統領ーーができるほうが上手くいくんじゃないか。それはまったく非現実的なことではない。時間の問題であり、そのうち必ずそうなる(大虐殺がなければね)。

…………

ヨーロッパのいくつかの都市では、あと 25年ほど内で、ムスリムが多数派になるだろう(Muslims will be majorities in some European cities within 25 years)。




なにも問題はない。ムスリムたちはヨーロッパ諸国の社会保障制度を支えている。ヨーロッパ人たちだけでどうして少子高齢化社会を支えることができよう。かつまた税金、仮に彼らの所得が低くて所得税支払いにわずかの貢献しかなくても(移民当初は)、彼らは一律に消費税(付加価値税)20%前後を払ってくれている。





たとえばフランスにいる500万人ほどのムスリムが月10万ほど消費したとしよう。付加価値税20%なら、月2万円ほど税金を支払っていることになる。年20万円強である。500万人×20万円=1兆円ほど貢献していることになる(計算(桁)まちがいないかな・・・)。

アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムThe 50 plus million Muslims (in Europe)が、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう。(カダフィ大佐Muammar Gaddafi)

ーーとは2010年のメルケル独首相による記事からである(Germany Will Become Islamic State




これは仮にかつての十字軍のような史上最大の大量虐殺(街路に逃げまどう非戦闘員も含めてのイスラム教徒大量虐殺である)が起こらなければ、必然的な「来るべき」未来である。

いくらかの抄訳(メルケル首相「ドイツはイスラム国家になるだろう」)もウェブ上にあるので貼り付けておこう。

「我々の国は変わり続けるでしょう。また、移民の問題解決を取り上げるにあたっては同化が課題です。」

「長い間我々は、それについて自国を欺いてきました。例えばモスクです。それは今までよりずっと、我々の都市において重要な存在となるでしょう。」

「フランスでは20歳以下の子供の30%がムスリムです。パリやマルセイユでは45%の割合まで急上昇しています。南フランスでは、教会よりモスクが多いのです。

イギリスの場合もそれほど事態は変わりません。現在、1000を超えるモスクがイギリスには存在します。──ほとんどが教会を改築したものです。

ベルギーでは新生児の50%がムスリムであり、イスラム人口は25%近くに上るといいます。同じような調査結果はオランダにも当てはまります。

それは住民の5人1人がムスリムのロシアにも言えることです。」

すくなくとも「表面的には」次のようなデータがでている。




ダイジョウブだ、ひとは「表面的には」が大切である。

ここで避けなければならない誘惑は、「公然と自分の(人種差別的、反同性愛的)偏見を認めている敵の方が、人は実は密かに奉じていることを公には否定するという偽善的な態度よりも扱いやすい」という、かつての左翼的な考え方である。この考え方は、外見を維持することのイデオロギー的・政治的意味を、致命的に過小評価している。外見は「単なる外見」ではない。それはそこに関係する人々の、実際の社会象徴的な位置に深い影響を及ぼす。人種差別的態度が、イデオロギー的・政治的言説の主流に許容されるような姿をとったとしたら、それは全体としてのイデオロギー的指導権争いの釣り合いを根底から変動させるだろう。 (……)

今日、新しい人種差別や女性差別が台頭する中では、とるべき戦略はそのような言い方ができないようにすることであり、それで誰もが、そういう言い方に訴える人は、自動的に自分をおとしめることになる(この宇宙で、ファシズムについて肯定的にふれる人のように)。「アウシュヴィッツで実際に何人が死んだのか」とか「奴隷制のいい面」は何かとか「労働者の集団としての権利を削減する必要性」といったことは論じるべきでないことを強調しておこう。その立場は、ここでは非常にあっけらかんと「教条的」であり「テロリズム的」である。 (ジジェク『幻想の感染』)




【「IS空爆」に向かう政治的意図と未確認情報】 

アバウード容疑者がシリア東部のIS支配地にいるならば、パリでの作戦を遠隔操作で立案したり、指揮をとったりすることは、全く不可能だろう。ブリュッセルなり、フランスにいて、実際に作戦を立案し、自爆者をリクルートし、当日の手配をとるなど、実質的な指揮をとったというなら、まさに「首謀者」だが、今年1月に仲間と武器とアジトを準備したために、警官に踏み込まれて逃げた若者に、そのような経験と能力があるだろうか。

 もし、アバウード容疑者がパリに来て実際に動いたにしろ、IS支配地にいる彼の指令を受けてフランスにある組織が動いたにしろ、重要なのは、イスラム国の指令によるテロ作戦というよりも、フランスとその周辺国を含めたイスラム過激派組織による大規模なテロ作戦が実行されたという事実である。「イスラム国の指令」はあったとしても、二次的な要素である。

 どうも、この間の数日の報道や情報の流れを見ていると、「IS空爆」という戦争を激化させようとする政治的な意図のもとに、未確認情報が飛び出し、それによって世論操作が行われ、政治が動いているように思えてならない。その陰で、フランスや欧州の足下で重大な危機が広がっていくのではないかという危惧を抱かざるをえないのである。

《テロの目撃者は、劇場に立てこもった実行犯の一人が「おまえ達がシリアでやっていることの代償を払うのだ」と叫んだと語った。》(「シリアで空爆を続けるフランスへの報復」)




1970年に20歳であった少女




一般に第二次インドシナ戦争(1960年12月 - 1975年4月30日)、あるいはわたくしの現在住んでいる国では対米抗戦あるいは対米救国戦争と呼ばれる戦争は、当地での感覚ではそれほど昔のことではない。たとえば1970年に20歳であった少女は、いままだ65歳である。




そしてゲリラ戦とはある意味で「テロ」的な戦い方である。かつて20歳だった少女たちが、わたくしに向ってかつての記憶をベラベラと喋るわけではない。だがときおりふと洩れる言葉を聞くことができる環境にわたくしは住んでいる。彼女たちは銃をもった感触をその軀に記憶している。

そしてその後訪れた大量難民時代に海外にでた知り会いならいくらでもいる。いまだ海外に住んだままでテト正月に帰って来る親族だけに限っても10人前後いる。海外にある時期居住して現在こちらに帰って来ている友人たちの数をここで数えあげるのはやめておこう。

たとえば現在アロエジュース工場を営んでいるテニス仲間の一人は、オーストラリア国籍だが、彼は大量難民時代に東ドイツの大学で化学の博士号をとっている。その後ドイツに住むのが居心地が悪くなったらしく、オーストラリアに住むこれまた難民の親族を頼って移住している。そしてドイモイ後、当地に帰郷した。彼はドイツ語辞書の編纂者でもある。

もうひとりのテニス仲間は隣国からのクメール難民だ。彼は左手の小指がない。彼の娘はわたくしの妻としばしばダブルスのペアを組む。美しい娘だが当地ではなかなか結婚できない。35歳をすぎてようやくカンボジア出身の配偶者を見出した。

ようするに身近に戦争あるいはテロの記憶、難民の記憶をもって生きている人たちがたくさんいる環境にわたくしは住んでいる。

だからテロにも難民にも、70年平和が続いた島国日本の標準的な〈あなたがた〉よりはすこしは関心が深いだろう、ということだけだ。〈あなたがた〉は自らの関心の分野に専念しておればよろしい。

世界には、「だから知りたくない」という人間と、「それでも知りたい」という人間がいる。それはあくまで「ある出来事」に対してであり、〈あなたがた〉も別の出来事に対しては「それでも知りたい」人間であるはずだろう。ひとつも「それでも知りたい」ことのない人間は、わたくしは信用しない。





※附記:「だから知りたくない」という人間と、「それでも知りたい」という人間をめぐって。

……最近になって、ある新聞記事を読むまでは、南ヴェトナムの子供たちがどれほど殺されたのかということも、ほとんど知らなかった。一九六一年から六六年まで、ナパームで爆撃された南ヴェトナムの村では二五万人の子供が死んだ」とその新聞の記事は報告していた、「七五万人が手肢をもぎとられ、負傷し、火傷を負った……」(記事のもとになったのは、米国のカトリックの学校で、子供のための研究所を指導していた人のヴェトナム視察報告である。)そこに書かれていた数字は、正確ではなかったかもしれない。しかし故意に誇張されていたのではなかっただろう。たとえ殺された子供が、二五万人でなく、実は二〇万人であったとしても、三〇万人であったとしても、そのことの意味に変わりはない。それをどうすることも私にはできない。とすれば、なんのために、遠い国のみたこともない子供たちのことを、私は気にするのであろうか。――その「なんのために」に、私はみずからうまい返答を見出すことができない。
新聞記事を読んだ日の夕方に、私は旧知の実業家とハンガリア料理の店で、夕食をしていた。(……)久しぶりで会った私たちは、飲食の評判をしたり、最近の下着の流行の話をしていた。(実業家の若い妻君は、そういうことに詳しかった。)私はそういう話が少しつづいたところで、「どうも経済的繁栄の第一の徴候は、瑣末主義のようですな」といった。私はそれを、自ら嘲りながら、皮肉な冗談としていったのである。しかし実業家の妻君は、それを真面目な非難としてうけとったらしい。「それはどういう意味ですか」と彼女は笑わずに反問してきた。「ヴェトナム戦争の真最中に、私たちが出会って、流行の袖の長さが一糎長いか短いかという話をしているということですよ」と私は説明した。「いいじゃないか」と実業家はいった。「二五万人の子供が殺されている、という話を知っていますか」「ぼくは信じないね」「そう気軽にいいなさんな」と私はいった、「そもそもあなたは、ヴェトナム戦争についてはどんな初歩的なことも知らないのでしょう。交戦している一方の側の言分は漠然と知っていても、他方の側の言分は一度も読んだことさえない。ジュネーヴ協定の内容も、三国監視委員会の公式報告も見たことがない。それでは、私のいったことが、ありそうもない、と考える根拠もないでしょう。基礎資料を見もしないで、ぼくは信じない、などといっているから、あなた方は、ナチが何百万人も殺してしまった後になって、強制収容所と毒ガス室のことは知らなかった、といい出すのだ。彼らは知らなかったのではなく、知りたくなかったのだ。あなたが信じないのではなく、信じたくないのだ……」。 
「ぼくはそういうことを知りたくないね、平和にたのしんで暮したいのだ」とその実業家はいった、「知ったところで、どうしようもないじゃないか」――たしかに、どうしようもない。しかし「だから知りたくない」という人間と、「それでも知りたい」という人間とがあるだろう。前者がまちがっているという理くつは、私にはない。ただ私は私自身が後者に属するということを感じるだけである。しかじかの理くつにもとづいて、はるかに遠い国の子供たちを気にしなければならぬということではない。彼らが気になるという事実がまずあって、私がその事実から出発する、また少なくとも、出発することがある、ということにすぎない。二五万人の子供――役にたっても、たたなくても、そのこととは係りなく、そのときの私には、はるかな子供たちの死が気にかかっていた。全く何の役にもたたないのに、私はそのことで怒り、そのことで興奮する。……(加藤周一『羊の歌』1968--「古きよき日の想い出」の章 P167 )


加藤周一は『続 羊の歌』「格物到知」の章で同じような議論を繰り返して書く。

いくさの間語り合うことの多かった旧友の一人は、中国の戦線へ行き、病を得て還った。戦後の東京で出会ったときに、「政治の話はもうやめよう」と彼はいった。「ぼくはひっそりと片すみで暮したいよ」「しかし君を片すみからひきだしたのは戦争だね、戦争は政治現象だ」と私はいった。「戦争はもう終ったではないか」「政治現象は、決して終らない」「しかしどうにもならぬことではないか」「たとえどうにもならないことであるとしても」とそのときに私はいった、「ぼくはぼくの生涯に決定的な影響をあたえたし、またあたえることのできるだろう現象を、知りたいし、見きわめたいと思う。たとえどうにもならないとしても、女房の姦通の相手を知りたいと思うのと同じことだ」「ぼくは知りたくないね」と彼はいった。「それは、どうにもならないから、ではないだろう。知りたくないということがまずあって、どうにもならない、という理くつがあとから来るのだ」「そうかもしれない、そうしておいてもいいよ」「しかしその理くつはおかしいのだ。君はしずかに暮したいという。しずかに暮らすための条件は、君の女房の行動よりも、もっと決定的に、われわれの国の政府がどういう政策をとるかということだ。それは知りたくない……」「何も知らずに暮しているのが、いちばん幸福だね」と彼は呟き、私は彼を理解していた。いくさの傷手は、私の想像も及ばぬほど深かったにちがいない。それは私の想像も及ばぬ経験があったからだろう。もはやそれ以上いうことは何もなかった。しかし私は物理的にそれが不可能でないかぎり、私自身を決定する条件を知らなければならない。歴史、文化、政治……それらの言葉に、私にとっての意味をあたえるためには、私自身がそれらの言葉とその背景につき合ってみるほかない。(『続 羊の歌』P183-184)


そして、85歳時の加藤周一の講演でも繰り返される。

聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。(第2の戦前・今日  加藤周一 2004)www.wako.ac.jp/souken/touzai06/tz0605.pdf
第2次大戦が終わって、日本は降伏しました。武者小路実篤という有名な作家がいましたが、戦時中、彼は戦争をほぼ支持していたのです。ところが、戦争が終わったら、騙されていた、戦争の真実をちっとも知らなかったと言いました。南京虐殺もあれば、第一、中国で日本軍は勝利していると言っていたけれども、あんまり成功していなかった。その事実を知らなかったということで、彼は騙されていた、戦争に負けて呆然としていると言ったのです。

戦時中の彼はどうして騙されたかというと、騙されたかったから騙されたのだと私は思うのです。だから私は彼に戦争責任があると考えます。それは彼が騙されたからではありません。騙されたことで責任があるとは私は思わないけれども、騙されたいと思ったことに責任があると思うのです。彼が騙されたのは、騙されたかったからなのです。騙されたいと思っていてはだめです。武者小路実篤は代表的な文学者ですから、文学者ならば真実を見ようとしなければいけません。

八百屋のおじさんであれば、それは無理だと思います。NHK が放送して、朝日新聞がそう書けば信じるのは当たり前です。八百屋のおじさんに、ほかの新聞をもっと読めとか、日本語の新聞じゃだめだからインターナショナル・ヘラルド・トリビューンを読んだらいかがですかとは言えません。BBCは英語ですから、八百屋のおじさんに騙されてはいけないから、 BBC の短波放送を聞けと言っても、それは不可能です。

武者小路実篤の場合は立場が違います。非常に有名な作家で、だいいち、新聞社にも知人がいたでしょう、外信部に聞けば誰でも知っていることですから、いくらでも騙されない方法はあったと思います。武者小路実篤という大作家は、例えば毎日新聞社、朝日新聞社、読売新聞社、そういう大新聞の知り合いに実際はどうなっているんだということを聞けばいいのに、彼は聞かなかったから騙されたのです。なぜ聞かなかったかというと、聞きたくなかったからです。それは戦前の社会心理的状況ですが、今も変わっていないと思います。

知ろうとして、あらゆる手だてを尽くしても知ることができなければ仕方がない。しかし手だてを尽くさない。むしろ反対でした。すぐそこに情報があっても、望まないところには行かないのです。(同)

…………

外国人差別も市民レベルではなかったといってよい。ただ一つベトナム難民と日本人とが同じ公園に避難した時、日本人側が自警団を作って境界に見張りを立てたことがあった。これに対して、さすがは数々の苦難を乗り越えてきたベトナム難民である。歌と踊りの会を始めた。日本人がその輪に加わり、緊張はたちまちとけて、良性のメルトダウンに終ったそうである。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

ーー何度か記しているが、わたくしはこの現場に「偶然」遭遇した。そしてわたくしは1995年に日本をでている。

君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に
残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを
焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを
白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを
踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを
森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで
私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-
「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に
声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく
立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に

ーーー『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之訳より

◆ベルギーに移住したベトナム難民の娘のBonjour Vietnam - Pham Quynh Anh



一般的に、池で溺れている少年、あるいはいじめられようとしている少女を目撃した場合に、見て見ぬふりをして立ち去るか、敢えて救助に向かうかの決定が紙一重となる瞬間がある。この瞬間にどちらかを選択した場合に、その後の行動は、別の選択の際にありえた場合と、それこそハサミ状に拡大してゆく。卑怯と勇気とはしばしば紙一重に接近する。私は孟子の「惻隠〔みてしのびざる〕の情」と自己保存の計算との絞め木にかけられる。一般に私は、救助に向かうのは最後までやりとおす決意とその現実的な裏付けとが私にある場合であるとしてきた。中途放棄こそ許されないからである。「医師を求む」と車中で、航空機中で放送される度に、外科医でも内科医でもない私は一瞬迷う。私が立つことがよいことがどうか、と。しかし、思いは同じらしく、一人が立つと、わらわらと数人が立つことが多い。後に続く者があることを信じて最初の一人になる勇気は続く者のそれよりも大きい。しかし、続く者があるとは限らない。日露戦争の時に、軍刀を振りかざして突進してくるロシア軍将校の後ろに誰も続かなかった場合が記録されている。将校は仕方なく一人で日本軍の塹壕に突入し、日本軍は悲痛な思いで彼を倒した。(中井久夫「一九九六年一月・神戸」『復興の道なかばで  阪神淡路大震災一年の記憶』所収)

少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。好むと好まざるとにかかわらず、この事態が進行する確率は大きい。東アジアに動乱が起こればなおさらである。アジアに対する日本の今後の貢献は、一七世紀のヨーロッパにおけるオランダのように、言論の自由を守り、政治難民に安全な場所を提供することであると私は考えている。アジアでもっとも言論の自由な国を維持することが日本の存在価値であり、それがなければ百千万言の謝罪も経済的援助もむなしい。残念ながらアジアにおいてそういう国は一七世紀のヨーロッパよりもさらに少ない。政治難民が数万、数十万人に達する時に、かつての関東大震災の修羅場を反復するか否かが私たちの真価をほんとうに問われる時だろう。それは日本が世界の孤児となるか否かを決めるだろう。難民とは被災者であり、被災者差別を論じる時に避けて通ってはならないものである。『中井久夫「災害被害者が差別されるとき」 ーー異質なものを排除するムラ社会の土人


非対称脅威(asymmetric threat)≒テロの心理的効果



非対称脅威(asymmetric threat)という言葉は、1990 年代に議論が始まったと見られるが、公式文書に現れるのは1997 年の米国のQDR (10) (4 年毎の国防計画の見直し)と言われている。当時米国では、非対称戦(asymmetric warfare)について、軍隊同士の交戦ではなく、弱者が、敵の強みを避け、敵の弱みに対して予期できないあるいは従来型でない斬新な方法で攻撃することである。

結論から言ってしまえば、非対称脅威とは、 「実行する主体、実行の対象、実行の手段、実行の方法、そして実行の目的が、通常の脅威に対してほとんど全て非対称であって、一般には、強者に対して弱者が何らかの政治的意図あるいは宗教的・民族的・文化的意図を持って臨もうとする場合の、甚大な影響をもたらす行為である」と定義できよう。 (秋山昌廣、21 世紀の脅威、テロ、非対称脅威の定義と対応)

ーーーと「弱者による唯一の抵抗手段「テロ」」で引用したが、これをテロと呼ぼうが呼ぶまいが、「テロ」とはほぼこういった内容・効果を狙うものだ。







かつまた敵に注意のむらを起こさせたり、原因集中の罠、士気の畏縮をおこさせたりすることを狙う。それは恐怖や不安によってであったり、超=覚醒によってであったりするだろう。

これらは、たとえばイスラム国のテロもーー現代的になっているのは当然だがーー、心理的効果としての狙いはたいした変わりはない。

現在では、弱者だけでなく強者からでさえも、たとえば無人戦闘機、いわゆるドローンで、コンピューター・ゲームのようにして、標的を殺害するなどという方法は、テロ恐怖と似たような心理的効果を敵に与えるのではないか。弱者/強者にかかわらず、戦争とは心理戦の側面がかならずあるだろう。それは効率的に勝ちをおさめたいという動機のひとつから(も)来るはずだ。

テロ行為者が嗜癖に陥りやすいのも昔も今もそれほど変わらない。

暴力は、終えた後に自己評価向上がない。真の満足感がないのである。したがって、暴力は嗜癖化する。(……)

また、同じ効果を得るために次第に大量の暴力を用いなければならなくなる。すなわち、同程度の統一感に達するための暴力量は無限に増大する。さらに、嗜癖にはこれでよいという上限がない。嗜癖は、睡眠欲や食欲・性欲と異なり、満たされれば自ずと止むという性質がなく、ますます渇きが増大する。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』所収)




…………


◆中井久夫「危機と事故の管理」1993年初出(『精神科医がものを書くとき [Ⅰ]』所収)より


【超=覚醒度】
事故が続けて起こるのはどういうことかについては、飛行機の場合はずいぶん研究されてるようで、私はその全部を知ってるわけではありませんが、まずこういうことがあるそうです。

一つの事故が起こると、その組織全体が異常な緊張状態に置かれます。異常な緊張状態に置かれるとその成員が絶対にミスをしまいと、覚醒度を上げていくわけです。覚醒度が通常以上に上がると、よく注意している状態を通り過ぎてしまって、あることには非常に注意を向けているけれど、隣にはポカッと大きな穴が開くというふうになりがちです。




【注意のむら】
注意には大きく分けて二つの種類があって、集中型(concentrated)の注意と、全方向型(scanning)の注意があるわけですけれども、注意を高めろと周りから圧力がかかりますと、あるいは本人の内部でもそうしようと思いますと、集中型の注意でもって360度すべてを走査しようとしますが、そういうことは不可能でありますし、集中型の注意というのは、焦点が当たっているところ以外には手抜きのあるものですから、注意のむらが起こるということです。

注意の性質からこういうことがいえます。最初の事故の後、一般的な不安というものを背景にして覚醒度が上がります。また不安はものの考え方を硬直的にします。ですから各人が自分の守備範囲だけは守ろうとして、柔軟な、お互いに重なりあうような注意をしなくなります。各人が孤立してゆくわけです。



【原因集中の罠】
また、最初の事故の原因とされるものが、事故の直後にできあがります。一種の「世論」としてです。人間というのは原因がはっきりしないものについては非常に不安になります。だから明確な原因がいわば神話のように作られる。例えば今ここで、大きな爆発音がしますと、みんなたぶん総立ちになってどこだということと、何が起こったんだということを必死に言い合うと思います。そして誰か外から落ち着いた声で、「いや、今、ひとつドラム缶が爆発したんだけれど、誰も死にませんでした」というと、この場の緊張はすっとほぐれて私はまた話を続けていくと思います。たとえその原因なるものが見当違いであっても暫くは通用するんですね。そして、原因だとされたものだけに注意が集中して、他のものへは注意が行かなくなります。

以上のように、それぞれ絡み合って全体として次の事故を起こりにくくするような働きが全然なくなる結果、次の事故に対して無防備になるのでしょう。(……)




【士気の萎縮】
demoralization――士気の萎縮――というのは経験した人間でないとわからないような急変です。これを何に例えたらいいでしょうか? そうですね、こどもが石合戦をしているとします。負けてるほうも及ばずながらしきりに石を放っているんですが、ある程度以上負けますと急に頭を抱えて座り込んで相手のなすがままに身を委ねてしまう。これが士気の崩壊だろうとおもいます。つまり気持ちが萎縮して次に何が起こるかわからないという不吉な予感のもとで、身動きできなくなってくるということですね。



2015年11月17日火曜日

われわれはみんなシリア難民なのだ

ヨーロッパは移民の波を浴びている唯一の場所ではない。「南アフリカ」では、ジンバブエからの百万人以上の難民がいる。彼らは南アフリカの地方の貧困層からの攻撃に晒されている、「彼らの職を奪っている」と。

A mother and baby crawl under the barbed wire to cross the border from Zimbabwe into South Africa

今知られているのは、フクシマ原発の炉心溶融のあと、いっときだが日本政府は、思案したことだ、全東京エリアーー2000万人以上の人びとーーを避難させねばならないと。この場合、彼らはどこに行くべきなのだろう? どんな条件で? 彼らに特定の土地が与えられるべきだろうか? それともただ世界中に四散させられただけなのだろうか?

日本の「来るべき難民」の皆さん、あなたがたは「そのとき」どうするのか?

北海道を開拓すればいいじゃないか、だって?




国家機能が麻痺し経済の具合も当然おかしくなっており財政崩壊が訪れ公共サービスさえ止っていなければーー年金給付も生活保護も止まり、餓死する人が続出して北海道開拓どころでなければーー、人口500万ほどの北海道に2000~3000万人ほどは移住できるかもしれない。

だがごく標準的には、世界に四散するよりほかないだろう。そのとき〈あなた〉も難民だ。

以下、冒頭の文と同じくジジェクの「 Slavoj Zizek: We Can't Address the EU Refugee Crisis Without Confronting Global Capitalism」からである(読みやすさのために、いくらか箇条書きにした)。


A young Syrian boy cries as his father carries him past Hungarian police after being caught in a surge of migrants attempting to board a train bound for Munich, Germany at the Keleti railway station on September 9 in Budapest, Hungary.

古典的な研究『死ぬ瞬間 On Death and Dying』にて、エリザベート・キューブラー=ロス Elisabeth Kübler-Ross は五段階の名高いスキーマを提唱した。我々が末期症状の病いに冒されたことを知ったときに、いかに反応するかについてである。

①否認:人はシンプルにその事実を拒絶する、「こんなことはあり得ない、私に起こっているのではない」)

②怒り:もはや事実を否定できないとき怒りが爆発する、「いったいどうしてこんなことが私に起こりうるのかしら!」)

③取り引き bargaining:事実をなんとか延期あるいは低減しうる希望、「何でもいいから子どもが卒業するまで生きさせて!」

④意気消沈:リビドーの(注ぎ込みの)撤退、「私は死につつある、だからもうかまわないほしいの」

⑤受容:「事実に歯向かうわけにはいかない、死の準備をしたほうがましだわ」

後にキューブラー=ロスは、これらの段階はどんな悲惨な個人的喪失の形にも当てはまるとした(失業、愛する人の死、離婚、薬物中毒)。そしてまた、必ずしも同じ順序で起こったり、全ての症候者に五つの段階すべてが経験されるわけでもないとした。
この反応は似ていないだろうか、アフリカと中東からの難民の流入に対する西欧の大衆の見解や権威の必死の反応と。

1.そこには否認があった。今は消滅しつつある否定、「たいして深刻じゃないさ、とにかく無視しておこうぜ」

2、怒りがある。「難民は我々の生活様式への脅威だ。彼らのなかにはイスラム原理主義者が紛れ込んでいる。どんな犠牲を払っても流入を止めなければならない!」

3、取り引きがある。「分かったよ、 分担を決めて彼らの母国の難民キャンプをサポートしよう!」

4、意気消沈がある。「どうしたらいいんだ、ヨーロッパは、ヨーロッパスタンと化しつつある!」

欠けているものは受容である。この場合、それが意味するのは、難民をいかに取り扱うかの一貫した全欧のプランだ。

さて、島国日本の〈あなたがた〉の大半は、おそらく③のままであろう。

つまりは世界は、北海道に難民キャンプを作るのを支援してくれる。だがきみたちの移住の受け入れは拒否する。それでよし、とする態度だ。

あるいはこう言ってもいい。朝鮮半島で大きな騒乱があり、100万人単位の難民がボートピープルとして海を渡ってきても、それを拒否する態度だ。

左派リベラルの「良心」派はどうだろうーーわたくしもその一員かもしれないーー、《彼らは清き正しい「美しい魂」を演じ、腐敗した世界に対して優越感に浸っているのだ、秘かにその腐敗した世界に参加しながら、である》。

だが何が必要なのかと言えば、《難民をいかに取り扱うかの一貫した》プランを提示しなければならないことだ。

とすれば、どうするべきだろう、北アフリカの何百万人もの死にものぐるいの人びと、戦争と飢餓から逃れるようとし、海を渡ってヨーロッパに避難所を見出そうとする人びとを。

二つの主な答がある。左派リベラルは激怒をあらわにする、いかにヨーロッパは何千もの人びとが地中海で溺れるのを許容しているか、と。彼らの申し立ては、ヨーロッパは門戸を広く開けて連帯を示すべきだというものだ。移民排斥ポピュリストは主張する、我々の生活様式を護るべきだ、と。そしてアフリカ人たちには彼ら問題を彼ら自身で解決させよう、と。

どちらの解決法がましか? スターリンをパラフレーズするなら、どちらも最悪だ。国境を開放しようなどと提唱している連中はいっそうの偽善者だ。彼らは秘かにとてもよく知っている、そんなことは決して起こらぬことを。というのはそれは即座にポピュリストたちの反乱の引き金をひくからだ。彼らは清き正しい「美しい魂」を演じ、腐敗した世界に対して優越感に浸っているのだ、秘かにその腐敗した世界に参加しながら、である。

移民排斥ポピュリストはまた、我に返れば left to themselves、とてもよく知っている、アフリカ人たちは彼らの社会を変えることに成功しないだろうことを。もちろんそうだ。というのは、我々欧米人はそれを邪魔しているから。

リビアを混沌に陥れたのは欧州の介入だ。ISIS『イスラム国』の出現にとっての条件を作ったのは米国のイラク攻撃だ。中央アフリカ共和国における進行中の内戦は、たんに民族憎悪の爆発ではない。そうではなく、フランスと中国のあいだの石油利権をめぐっての代理戦争である。




以下は、ジジェクの1991年に出版された書からであり、鈴木晶訳をそのまま付すが(ここでも行わけ・箇条書きにして)、いくらか英文を挿入した。ジジェクはこの当時からエリザベート・キューブラー=ロス の『死ぬ瞬間 On Death and Dying』(1969)を参照していたのだろうことが分かる。

おそらく政治の世界においても、一種の「症候との同一化identification with the symptom」を必然的にともなうような経験がある。よく知られている、「われわれはみんなそうだ!We are all that!」という感傷的なpathetic経験だ。それはすなわち、耐えがたい真実の闖入として、すなわち社会的メカニズムは「機能しない doesn't work」という事実の指標として、機能するfunctionsある現象に直面したときの、同一化の経験である。

たとえば、ユダヤ人虐待のための暴動を例にとろう。そうした暴動にたいして、われわれはありとあらゆる戦略をとりうる。

①たとえば完全な無視。

②あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う(ただし本気で憂慮するわけではない。これは野蛮な儀式であって、われわれはいつでも身を引くことができるのだから)。

③あるいは犠牲者に「本気で同情する」。こうした戦略によって、われわれは、ユダヤ人迫害がわれわれの文明のある抑圧された真実に属しているという事実から目を背けることができる。

われわれが真正な態度に達するのは、けっして比喩的ではなく「われわれはみんなユダヤ人である」という経験に到達したときである。このことは、統合に抵抗する「不可能な」核が社会的領域に闖入してくるという、あらゆる外傷的な瞬間にあてはまる。「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」等々。

これらの例について、次のことを明らかにしておかねばならない。「症候との同一化identification with the symptom」は「幻想を通り抜ける "going through the fantasy“」ことと相関関係にあるということである。(社会的)症候へのこうした同一化によって、われわれは、社会的意味の領域を決定している幻想の枠、ある社会のイデオロギー的自己理解を横断し、転倒する traverse and subvert the fantasy。その枠の中では、まさしく「症候symptom」は、存在している社会的秩序の隠された真実の噴出の点としてではなく、なにか異質で不気味なものの闖入 some alien, disturbing intrusionとしてあらわれるのである。(ジジェク『斜めから見る』 p253-260 鈴木晶訳)

「われわれはみんなボートピープルなのだ」、--すなわち「われわれはみんな難民なのだ」である。すべてはこの認識、この「受容」から始まる。

若くすぐれた詩人の暁方ミセイが、二年目の「あの追悼」の日、次のように呟いていた。

@kumari_kko: 「東北が被災した」と思うことに、まず断絶を生む原因があると思う。被災したのはわたしたちで、日本だと、感じられたらいいよね。そして本当にはそうなんだけどね。

@kumari_kko: いや、それはわたしが特に、自分のことだと思わないと無関心になりがちな人間だからなのかもしれないけど!去年、一人で中国にいて、新聞のトップ記事が追悼記事だったの。嬉しいなと素直に思えた。


ところで、フランスのシリア空爆にたいして、なぜ反対デモがフランスで起こらないのか、わたくしにはそれが不思議でならない。






なにはともあれ、今年70万人以上難民が海を渡って欧州に入り、3千人以上が溺死しているという異常事態がこの今発生している。

「私たちは、国連が創設されて以来、最も人道支援を必要とする歴史的瞬間に生きています。」(ステファン・デュジャリック国連報道官 2015.08.19)


弱者による唯一の抵抗手段「テロ」

恐怖政治とは、

投獄、殺戮、等の苛烈な手段によって、反対者を弾圧して行う政治のこと。(フランス語: terreur)

フランス革命時にロベスピエールを中心とするジャコバン派(山岳派)が行ったそれ(恐怖政治)のこと(仏:la Terreur、英:Reign of Terror)。(Wiki





そろそろ学校の教科書を、ロベスピエールの「テロ政治」としたほうがいいんじゃないか

ーーすくなくとも「テロ」という言葉はわが愛するフランス国の発明さ





テロの教訓とは、自らの平和は、他の場所での破滅的な事態という代価を払ってあがなったものということだ。やらなくちゃいけないことは、このような出来事が起きないようにするための唯一の可能な方法をさぐること、それは〈他のどこでも〉このような出来事が起きないようにすることだ。





…………

で、「現代」におけるテロとはいったいなんだったっけな

「《テロ》という概念に,国際的に合意された明確な定義がない」(坂本義和「テロと《文明》の政治学」,藤原帰一編『テロ後一世界はどう変わったか一』岩波新書,2003年)

ツイッター社交界のみなさん、清き正しき「美しい魂」のみなさん、根っからの猫かぶりチャン!

どんなテロも許してはならない! ーーだって? 

ーー強者の論理にすぎないさ、戦争だったらやってもいいが、テロは困る、というな。

オベンキョウとは「体制派」になることだったっけ?

「哲学は何の役に立つのか?」と問う人には、次のように答えなければならない。自由な人間の姿を作ること。権力を安定させるために神話と魂の動揺を必要とするすべての者を告発すること、たったそれだけのこととはいえ、いったい他の何がそれに関心をもつというのか。(ドゥルーズ『意味の論理学』)

《権力を安定させるために神話と魂の動揺を必要とするすべての者を告発する》ってあるな、

とすれば「どんなテロも許してはいけない」などと寝言をいう連中を罵倒するのが考える仕事のひとつではないか? 

すくなくともテロ行為者はたんなる追剥ではないよ
おわかりだろうか、「美しい魂」のみなさん!

虚栄の強い人間のうちの最も厭うべきあの《種属》、あの嘘つきの出来損いども…『美しい魂』を見せびらかそうと企み、詩句やその他の襁褓にくるまれて台なしになった者らの官能を『心情の純潔』と銘うって市場へ持ち出そうと狙っている。道徳的自慰者・『自己満足者』の《種属》がそれだ( ニーチェ『道徳の系譜』)


戦争は国対国、兵士対兵士の闘いだけど、民間人が犠牲になるテロは許せない!ーーだって?

ーーああそうさ、で、戦争でなんで民間人死んでるんだ? はあん?

もし米国が《アフガンの無実の民間人犠牲者については,誠実に補償し,責任者を法の裁きに付す》と公約して武力行使をするのであれば,それは《新しい戦争》と呼ぶにふさわしい,国際法に新例をひらく行動と言えるだろう」(同、坂本義和)

ーー司令官たちを死刑にしろよ


いずれにせよ、戦争状態にあるのさ、フランスとムスリムはな、

フランスは中東で戦争状態にある。オランド大統領はイラクに爆撃機を出動させ、過激派を空爆している。ただ、国民はそれを意識していない。(エマニュエル・トッドーーテロ事件後の電話インタビュー

これらの攻撃に対抗するために、ムスリムたちには「テロ」以外の手段があると思うかい?

IS(イスラム国)かい、連中の残虐性?

IS自体が、その前身は、イラク戦争後にイラクで反米ジハード(聖戦)を始めた「イラク・アルカイダ」であり、シリア内戦を経て、アルカイダから離れ、アルカイダに対抗する組織となった。(川上泰徳

米国の報復が連中を育てたんだよ、さらにシリア空爆していっそう育てたいわけかい?

さて、テロを定義するなり規定することはできるのであろうか。

まず、テロはどんなものでも悪であり犯罪である、従ってこれを防ぐためにテロ集団を壊滅させなければならない、という考えが一般的にあると思う。これは、テロが起るとその背景は何か、原因は何か、民族的、宗教的、経済的理由を探し出し、これに対応しなければ根絶できないとの議論に対して、テロへの弾力的対応すなわち妥協はさらにテロを呼ぶとして断固これを排除し、テロを人類社会に対する犯罪として一貫して厳しく対応しなければならないという立場である。特に国内では、政治目的であろうと、民族目的であろうと、テロは犯罪として警察と軍が厳しく取り締まるのを常とする。

しかしながら、戦後植民地が独立する過程では、優越した軍事力や警察力を保持した統治権力に対して、反権力側はテロ行為を織り交ぜながら戦い、結局は宗主国から独立を勝ち取った、という歴史的プロセスがある。(秋山昌廣、21 世紀の脅威、テロ、非対称脅威の定義と対応)

テロとは、強者側にとっては「非対称脅威」のことさ、
そして弱者側にとってはほとんど唯一の「戦争」の仕方だよ

場合によったらほとんど唯一の世界を変える仕方さ

《哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。大切なのは世界を変えることだ。》(マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)


オレはこうみえても、《統治権力に対して、反権力側はテロ行為を織り交ぜながら戦い、結局は宗主国から独立を勝ち取》った世界で唯一の対米戦勝国、「テロの鑑」の国に住んでるからな。




非対称脅威(asymmetric threat)という言葉は、1990 年代に議論が始まったと見られるが、公式文書に現れるのは1997 年の米国のQDR (10) (4 年毎の国防計画の見直し)と言われている。当時米国では、非対称戦(asymmetric warfare)について、軍隊同士の交戦ではなく、弱者が、敵の強みを避け、敵の弱みに対して予期できないあるいは従来型でない斬新な方法で攻撃することである。

結論から言ってしまえば、非対称脅威とは、 「実行する主体、実行の対象、実行の手段、実行の方法、そして実行の目的が、通常の脅威に対してほとんど全て非対称であって、一般には、強者に対して弱者が何らかの政治的意図あるいは宗教的・民族的・文化的意図を持って臨もうとする場合の、甚大な影響をもたらす行為である」と定義できよう。 (同上)

2015年11月16日月曜日

最悪のレイシズム国フランス

フランスは、《わが国こそ世界で最も自由、平等、友愛の理念を実現した国だという自負そのものが、ナショナリズムや愛国心を生み、他国、他民族を蔑視し差別するメカニズムが働いてしまっている》、そしてそれが最悪レイシズム国を生みだしたーー The French are much worse than either the Germans or the British (『ジジェク自身によるジジェク』摘要)。

…………

イデオロギーの最も基本的な定義は、おそらくマルクスの『資本論』の次の文である、"Sie wissen das nicht, aber sie tun es" 、すなわち、「彼らはそれを知らないが、そうする」。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』1989)
我々は忘れるべきではない、強制収容所は、「自由主義的な」イギリスの発明だったことを。それは(南アフリカにおける)ボーア戦争に起源がある。またアメリカ合衆国においても使われた、日本国籍の住民等をを隔離するために。(同ジジェク)

で、1989年ベルリンの壁崩壊以降の、新自由主義のイデオロギーの時代、《我々はそれを知らないが、そう》していることは何だ?

そもそも「他者に開かれた多文化社会」を目指しつつ、実際は移民をフランス人の嫌がる仕事のための安価な労働力として使い、「郊外」という名のゲットーに隔離してきたわけで、そういう移民の若者の鬱屈をイスラム原理主義が吸収したあげく今回のようなテロが起きたと考えられる。(浅田彰
ベルリンの壁は崩壊しましたが、新しい壁や分断があらゆる場所で勃興しているのです。ほとんどの国家において、富裕層と貧困層の間だけでなく、分断は強化されています。(ジジェク - アルジャジーラ・インタビュー:今や領野は開かれた)

で、オランドは空爆再開したそうだが、なんで自国のムスリムたちを強制収容所に隔離しないんだろ? 人数が多すぎるってわけかい?

それとも、テロを誘発してんのかな

アルジェリアでアンゴラで、ヨーロッパ人はたちまち殺害される。ブーメランの時代、暴力の第三の時期が来たのだ。暴力はわれわれの上に跳ね返り、われわれを襲う。ところがわれわれは依然としてそれが自分自身の暴力にすぎぬことを理解しないのだ。(サルトル、1961)

あの馬鹿どもめ!

《ファノンは、お前たちが彼の本を読むかどうかについてなど、何を気にすることがあろうか。彼がわれわれの古い計略を告発しているのは、彼の兄弟たちに向ってなのだ》

ヨーロッパの人々よ、この本を開きたまえ。そのなかに入ってゆきたまえ。暗闇を数歩あゆめば、見知らぬ人々が火を囲んで集うさまが見えるだろう。近づいて耳を傾けたまえ。彼らは、お前たちの商業センターと、それを護る傭兵に、どのような運命を与えてやろうかと議論している。おそらく、彼らはお前たちの姿を目に留めよう。だが声を低めもせずに、彼ら同士で話を続けるだろう。この無関心さが心に突き刺さる。彼らの父親たちは、影の人物であり、お前たちの被造物であり、死せる魂だった。お前たちは光を分け与えてやった。彼らはお前たちに向ってしか語らなかった。そしてお前たちは、このようなゾンビどもにあえて応答しなかった。(……)順番はめぐり、新しい曙が現われようとしているこの暗闇では、ゾンビとはお前たちのことだ。(サルトル序文――ファノン『地に呪われたる者』)

…………

アルジェリアは、 フランスが1830年の軍事占領した後、フランスの国内県に編入されて130年以上にもわたり仏の統治下にあった。アルジェリアを2012年12月に訪問したオランド仏大統領は、アルジェリア議会での演説で、132年間にわたる植民地主義は「極めて不正義で野蛮」な制度だと位置づけ、暴力、不正義、虐殺、拷問についての真実を認識する義務があり、全ての記憶を尊重すると述べた。一方、その前日の公式記者会見では、ある記者より「過去の問題について悔恨の意を表したり、謝罪をするのか」と質問されたのに対し、 同大統領は、 「過去や植民地主義、 戦争や悲劇についての真実を語る」と述べつつ、謝罪や悔恨の意図はないことを暗に示した)。現在の価値基準に照らせば、植民地主義が不適切な政策であったと認めつつも、旧宗主国側が一貫して謝罪に消極的なのは、当時は合法かつ正当な施策として行ってきたとの考え方に加え、謝罪は容易に責任問題としての賠償に結びつきやすいとの側面も考えられる。(「和解 ―そのかたちとプロセス― 河原 節子 (一橋大学法学研究科 教授(外務省より出向) )」よりーーフランス人のマグリブ人に対する敵意


連中には、過去の植民地政策、あるいはアルジェリア戦争の記憶ーーある意味で隠蔽された記憶ーーがある。

すなわちフランス人は負債があるからこそ、ムスリムを憎むのさ、日本人が中国人、韓国人を憎むようにな。

《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

で、ル・ペン父娘が今後いっそう大衆に愛されるってわけだ

アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだったル・ペンのような人物が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽っている。(柄谷行人―浅田彰対談より(初出 『SAPIO』 1993.6.10 『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収)

ーーフランス人はムスリムを憎んでいないよ、だって? ああ、そうさ、表面的にはな。彼らのほとんどは、「意識的には」ムスリムに好意を抱いているさ

最も基本的な幻想とは何か。幻想の存在論的逆説(スキャンダルといってもいい)は、それが「主観的」と「客観的」という標準的な対立を転倒するという事実である。もちろん幻想はその定義からして客観的(何かが主体の近くからは独立して存在する)ではありえない。しかし、主観的(主体の意識的・経験論的直観に属している何か、彼あるいは彼女の想像の産物)でもない。むしろ幻想が属しているのは「客観的主観性という奇妙なカテゴリー」である。「自分には事物がそのように見えているとは思われないのに、客観的にはそのように見えてしまう」のである。たとえば、われわれがこう言ったとするーーあの人は、意識的にはユダヤ人に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反ユダヤ的な偏見を抱いている、と。このときわれわれは、(彼の偏見は、ユダヤ人が実際にどうであるかではなく、ユダヤ人が彼にどう見えるかを反映しているのだから)、彼がユダヤ人が実際に彼にどう見えているかに気づいていないと主張しているのではないか。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

テロがあるたびに(現実の危機が発生した瞬間)、悪党ル・ペンはさらに人気急上昇ってわけさ、アメリカ三文映画を観るよりはずっとオモシロイぜ

彼らは理性的な議論のレベルでは、レイシストの〈他者〉を拒絶する一連の説得力のある理由を掲げる。しかし、それにもかかわらず、彼らは自らの批判の対象に明らかに魅せられている。結果として、彼らのすべての防衛は、現実の危機が発生した瞬間(たとえば、祖国が危機に瀕したとき)、崩壊してしまう。それはまるで古典的なハリウッド映画のようであり、そこでは、悪党は、――“公式的には”、最終的に非難されるにしろ、――それにもかかわらず、われわれの(享楽の)リビドーが注ぎ込まれる(ヒッチコックは強調したではないか、映画とは、ただひたすら悪人によって魅惑的になる、と)。(ジジェク、2012)



2015年11月15日日曜日

「一にして全」による 「イスラム国」攻撃の激化?

フランスも米国も、今回のパリのテロを受けて、さらにIS攻撃を激化させることになろう。しかし、オランド大統領には9月下旬からIS対応として、IS空爆に参加しながら、その実、最悪のテロが国内で起こったことの責任が問われるべきだろう。国内の怒りを中東のISに向けるだけでは、国内のイスラム教徒の若者が過激化することへの対応が、さらに遅れることになりかねない。(IS空爆どころではないパリ襲撃事件の脅威、川上泰徳

ここで、今から記そうと思う文脈からはずれた見解をなぜか唐突に想起したので、先に挿差しておく。

ジジェクはフランスについて、《わが国こそ世界で最も自由、平等、友愛の理念を実現した国だという自負そのものが、ナショナリズムや愛国心を生み、他国、他民族を蔑視し差別するメカニズムが働いてしまっている》、そしてそれが「最悪の国」を生みだしたーー The French are much worse than either the Germans or the British ーーという意味合いのことを言っている。(『ジジェク自身によるジジェク』)。

…………

ファシズム的なものは受肉するんですよね、実際は。それは恐ろしいことなんですよ。軍隊の訓練も受肉しますけどね。もっとデリケートなところで、ファシズムというものも受肉するんですねえ。( ……)マイルドな場合では「三井人」、三井の人って言うのはみんな三井ふうな歩き方をするとか、教授の喋り方に教室員が似て来るとか。( ……)アメリカの友人から九月十一日以後来る手紙というのはね、何かこう文体が違うんですよね。同じ人だったとは思えないくらい、何かパトリオティックになっているんですね。愛国的に。正義というのは受肉すると恐ろしいですな。(中井久夫「「身体の多重性」をめぐる対談――鷲田精一とともに」『徴候・記憶・外傷』所収)

辺見庸はそのブログ「私事片々」で、《いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる》としている。もちろんこれは今年の 8・30のデモのありようを想起しつつ書かれているにちがいない。

あるいはこうもある。

わたしに言わせれば、たとえば、遵法的服従はしばしば犯罪よりもよりいっそう犯罪的な〈暴力〉となりうる。それはミルグラムが『服従の心理』(山形浩生訳)の第1章「服従のジレンマ」で引用しているC.P.スノーのことば「人類の長く陰気な歴史を考えたとき、反逆の名のもとに行われた忌まわしい犯罪よりも、服従の名のもとに行われた忌まわしい犯罪のほうが多いことがわかるだろう」にもかかわる。服従という非〈暴力〉は、無関心という非〈暴力〉とともに、反逆的〈暴力〉よりもはるかに暴力的で犯罪的である……とわたしは年来おもっている。

この考え方にかかわる思いは、「構造的な類似(ネトウヨ/カウンター)」で記した。

さて、ここで浅田彰の『シャルリー・エブド』 事件についてのコメントを参照することにする。

こうした世論を受けたフランス政府の対応を一瞥しておこう。事件をフランスの「9.11」ととらえる向きもあったが、総じて「9.11」後のブッシュのアメリカの対応とは違う方向を目指そうとしたことは、一応認めておいてよい。オランド大統領は「敵はテロリストであってイスラム教徒ではない」と明言し、1月11日に行われた抗議の行進(フランス全土で370万人が参加したと言われる)に欧州各国の首脳に加えイスラム諸国の首脳も招いた(オランド大統領を中心とする列にはパレスチナのアッバス議長とイスラエルのネタニヤフ首相も並んだ)。イスラム圏でもトルコのエルドガン首相などは言論弾圧で悪名高く、他方、イスラエルのネタニヤフ首相にいたってはパレスチナ側のジャーナリストを多数殺害してきたのだから、彼らが言論と表現の自由のために行進するというのは噴飯ものだが、政治ショーというのは元来そうしたものだろう。

しかし、ヴァルス首相が国会での演説で「フランスはテロリズム、ジハード主義、過激イスラム主義との戦争状態にある」と踏み込み(*注)、オランド大統領もIS(「イスラム国」)空爆のためペルシア湾に向けて出港する空母シャルル・ドゴールに乗り込んで「対テロ戦争」に参加する兵士たちを激励する、それによって低迷していた支持率が急上昇する、といったその後の流れを見ていると、ブッシュのアメリカをあれほど批判していたフランスも結局は同じことをしていると言わざるを得ないだろう。

また逆に、行進に左右すべての党派を招きながら極右の国民戦線は排除した、これは結果的に国民戦線の立場を強めることになりかねない。そもそも「他者に開かれた多文化社会」を目指しつつ、実際は移民をフランス人の嫌がる仕事のための安価な労働力として使い、「郊外」という名のゲットーに隔離してきたわけで、そういう移民の若者の鬱屈をイスラム原理主義が吸収したあげく今回のようなテロが起きたと考えられる。国民戦線はそういう多文化主義の偽善を右翼の側から批判して大衆の支持を集めてきたのだ(とくに、古臭い極右だったジャン=マリー・ル・ペンに対し、後継者である娘のマリーヌは移民問題などをめぐって大衆の生活感情をとらえるのがうまく、今回は事件後ただちに『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿するといったしたたかな国際感覚も見せている)。「多文化主義の建前を奉ずる偽善的言説のアゴラから排除された国民戦線こそが、そのようなアゴラの外の現実的矛盾を直視し解決しようとしているのだ」という主張にいっそうの説得力を与えてしまったとすれば、国民戦線の排除は賢明だったとは言い難いのではないか。

いずれにせよ、テロ後のフランスは、「9.11」後のアメリカほどではないにせよ、やはり大きく右傾化したと見るべきだろうし、「9.11」で始まった世界的な流れを再び加速することになったと言うべきだろう。移民問題に集約されるグローバル資本主義の矛盾の激発が、「文明の衝突」の焦点としての「宗教戦争」というイデオロギー的な表象に回収されてしまい、ユダヤ=キリスト教の側でもイスラム教の側でも宗教的情熱が火に油を注ぐ結果となっている——もともと、移民の若者たちも、彼らをリクルートしたと言われるISなどのイスラム原理主義組織も、本来のイスラム教主流とはほとんど無関係であるにもかかわらず。21世紀はいまだ「9.11」の呪縛から抜ける道を見いだせずにいるかに見える。

『シャルリー・エブド』後の抗議の行進において、マリー・ル・ペンひきいる極右の国民政党を排除したとある。このときの浅田彰の論調は、《国民戦線の排除は賢明だったとは言い難い》とあるように、その排除は、結果的にいっそうの右傾化を促すという見方だ。

さて、今回は逆にマリー・ル・ペンを排除したあのフランスの指導者たちや「良心層」の心性が、無謀な行動化を抑制する動きとして現われるという「僥倖」をもたらさないか? そんなことを期待するのは馬鹿げているのだろうか。

フランスではマリー・ル・ペンに投票したのはとりわけかつての社会主義者たちです。労働者階級は言うわけです。「オーケー、あいつらは我々にではなく、移民のことにしか興味が無いんだな」と。(中道体制の崩壊(シャンタル・ムフのインタビュー)

ーーどうだろう、《行動というものには「一にして全」という性格がある》のであり、《今回のパリのテロを受けて、さらにIS攻撃を激化させる》のならば、彼らは「マリー(ヌ)・ル・ペン」と合体することになる。それに恥じ入るという意識を抱かないものだろうか。

(マリーヌの父ジャン=マリー・ル・ペンは、アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだった。その彼が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽りつづけた。)





それとも選挙での投票の影響を考え、これ以上「労働者階級」の支持を失いたくないという「一にして全」志向のメカニズムがやはり働くのだろうか。

浅田彰から再掲すれば次の文である。

ヴァルス首相が国会での演説で「フランスはテロリズム、ジハード主義、過激イスラム主義との戦争状態にある」と踏み込み(*注)、オランド大統領もIS(「イスラム国」)空爆のためペルシア湾に向けて出港する空母シャルル・ドゴールに乗り込んで「対テロ戦争」に参加する兵士たちを激励する、それによって低迷していた支持率が急上昇する、といったその後の流れを見ていると、ブッシュのアメリカをあれほど批判していたフランスも結局は同じことをしていると言わざるを得ないだろう。


以下、中井久夫の「行動化」あるいは「暴力」論であるが、読みやすさのためにいくらか行分けした。

ここでは、《行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。》を中心にして、わたくしは読むことにする。

行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にして全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない。

時代小説でも、言い争いの段階では話は果てしなく行きつ戻りつするが、いったん双方の剣が抜き放たれると別のモードに移る。すべては単純明快となる。行動には、能動感はもちろん、精神統一感、自己統一感、心身統一感、自己の単一感、唯一無二感がある。

さらに、逆説的なことであるが、行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。

時代小説を読んでも、このモードの変化とそれに伴うカタルシスは理解できる。読者、観客の場合は同一化である。ボクサーや球団やサッカーチームとの同一化が起こり、同じ効果をもたらすのは日常の体験である。この同一化の最中には日常の心配や葛藤は一時棚上げされる。その限りであるが精神衛生によいのである。

行動化は集団をも統一する。二〇〇一年九月十一日のWTCへのハイジャック旅客機突入の後、米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない。

もっとも、だからといって十月七日以後のアフガニスタンへの介入が最善であるかどうかは別問題である。副作用ばかり多くて目的を果たしたとはとうてい言えない。しかし国内政治的には国論の排他的統一が起こった。「事件の二週間以内に口走ったことは忘れてくれ」とある実業家が語っていたくらいである。すなわち、アメリカはその能動性、統一性の維持のために一時別の「モード」に移行したのである。

DVにおいても、暴力は脳/精神の低い水準での統一感を取り戻してくれる。この統一感は、しかし、その時かぎりであり、それも始まりのときにもっとも高く、次第に減る。戦争の高揚感は一ヶ月で消える。

暴力は、終えた後に自己評価向上がない。真の満足感がないのである。したがって、暴力は嗜癖化する。最初は思い余ってとか論戦に敗れてというそれなりの理由があっても、次第次第に些細な契機、ついにはいいがかりをつけてまでふるうようになる。

また、同じ効果を得るために次第に大量の暴力を用いなければならなくなる。すなわち、同程度の統一感に達するための暴力量は無限に増大する。さらに、嗜癖にはこれでよいという上限がない。嗜癖は、睡眠欲や食欲・性欲と異なり、満たされれば自ずと止むという性質がなく、ますます渇きが増大する。

ちなみに、賭博も行動化への直行コースである。パチンコはイメージとも言語化とも全く無縁な領域への没入であるが、パチンコも通常の「スリル」追求型の賭博も、同じく、イメージにも言語化にも遠い。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』所収pp.311-313)

…………

ちなみに、ラカンは「一にして全」をめぐって考え続けた思想家だった。

ラカンが「一」the One に反対するとき、彼が標的にしたのはその二つの様相 modalities だ。すなわちイマジネールな「一」(「一性」 One‐ness への鏡像的融合)とシンボリックな「一」(還元的な、「一の徴 le trait unaire」にかかわる「一」、そこへと対象が象徴的登録のなかに還元されてしまう「一」、すなわちこの one は差分的分節化の「一」であり、融合の「一」ではない)である。

問題は次のことだ。すなわち、リアルの「ひとつの一」a One of the Real もまたあるのか? ということだ。この役割は、ラカンが「アンコール」にて触れた Y a d'l'Un が果たすのか? Y a d'l'Un は、大他者の差分的分節化に先行した「ひとつの一」a One である。境界を画定されない non‐delimitated 、にもかかわらず独特な「一」である。「ひとつの一」a One、それは質的にも量的にも決定づけられないひとつの「一の何かがある there is something of the One」であり、リビドー的流動をサントームへともたらす最小限の収縮 contraction 、圧縮 condensation だが、それが、リアルの「ひとつの一」a One of the Real なのか?(ジジェク、2012,私訳ーーréel/réalitéの混淆

そして現在 IS( Islamic State:イスラム国))は、「〈一〉のシニフィアン」( l'Un-signifiant)あるいは主人のシニフィアンとして機能しつつあることはまちがいない。

ドイツにおける1920年代の反ユダヤ主義について考えてみよう。人びとは、混乱した状況を経験した。不相応な軍事的敗北、経済危機が、彼らの生活、貯蓄、政治的不効率、道徳的頽廃を侵食し尽した……。ナチは、そのすべてを説明するひとつの因子を提供した。ユダヤ人、ユダヤの陰謀である。そこには〈主人〉の魔術がある。ポジティヴな内容のレベルではなんの新しいものもないにもかかわらず、彼がこの〈言葉〉を発した後には、「なにもかもがまったく同じでない」……。たとえば、クッションの綴目le point de capitonを説明するために、ラカンは、ラシーヌの名高い一節を引用している、「Je crains Dieu, cher Abner, et je n'ai point d'autre crainte./私は神を恐れる、愛しのAbner よ、そして私は他のどんな恐怖もない。」すべての恐怖は一つの恐怖と交換される。すなわち神への恐怖は、世界のすべての出来事において、私を恐れを知らなくさせるのだ。新しい〈主人のシニフィアン〉が生じることで、同じような反転がイデオロギーの領野でも働く。反ユダヤ主義において、すべての恐怖(経済危機、道徳的頽廃……)は、ユダヤ人の恐怖と交換されたのだ。je crains le Juif, cher citoyen, et je n'ai point d'autre crainte. . ./私はユダヤ人を恐れる、愛する市民たちよ。そして私は他のどんな恐怖もない……。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012,私訳

人は忘れるのだ。深く考えなかったことは早く忘れる

人は忘れるのだ。深く考えなかったこと、他人の模倣や周囲の過熱によって頭にタイプされたことは、早く忘れる。周囲の過熱は変化し、それとともにわれわれの回想も更新される。外交官以上に、政治家たちは、ある時点で自分が立った見地をおぼえていない、そして、彼らの前言とりけしのあるものは、野心の過剰よりは記憶の欠如にもとづくのだ。社交界の人々といえば、ほとんどの事柄はおぼえていないにひとしいのである。(プルースト「囚われの女」)

しかし「深く考え」ただけで、人は忘却をまぬがれるだろうか。

烙きつけるのは記憶に残すためである。苦痛を与えることをやめないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。(ニーチェ『道徳の系譜』第二論文「「負い目」・「良心の疚しさ」・その他」)

もっともーー誤解のないようにつけ加えておくがーープルーストの「深く考え」るとは、烙印されたことのみを言っている。通念の「深く考える」とは異なることを強調しておこう。

『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴスと文学機械」の部)

ドゥルーズ=プルーストは何を言っているのだろう、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈、ことば/名、意味作用/シーニュなどを対照させて。

理知が白日の世界で、直接に、透きうつしにとらえられる真実は、人生がある印象、肉体的印象のなかで、われわれに意志にかかわりなくつたえてくれた真実よりも、はるかに深みのない、はるかに必然的に乏しいものをもっている……(プルースト「見出された時」)

「見出された時」のライトモチーフのひとつは、forcer(強制する)ということばであるーー、プルーストは《あらかじめ考えられた決意》による思考の動きである前者を攻撃し、《思考させる》、つまり無理に思考させるもの、思考に暴力をふるう何か=シーニュによる「思考のイマージュ」を称揚する。

哲学者には、《友人》が存在する。プルーストが、哲学にも友情にも、同じ批判をしているのは重要なことである。友人たちは、事物や語の意味作用について意見が一致する、積極的意志のひとたちとして、互いに関係している。彼は、共通の積極的意志の影響下にたがいにコミュニケーションをする。哲学は、明白で、コミュニケーションが可能な意味作用を規定するため、それ自体と強調する、普遍的精神の実現のようなものである。プルーストの批判は、本質的なものにかかわっている。つまり、真実は、思考の積極的意志にもとづいている限り、恣意的で抽象的なままだというのである。慣習的なものだけが明白である。つまり、哲学は、友情と同じように、思考に働きかける、影響力のある力、われわれに無理やりに考えさせるもろもろの決定力が形成される、あいまいな地帯を無視している。思考することを学ぶには、積極的意志や、作り上げられた方法では決して十分ではない。真実に接近するには、ひとりの友人では足りない。ひとびとは慣習的なものしか伝達しない。人間は、可能なものしか生み出さない。哲学の真実には、必然性と、必然性の爪が欠けている。実際、真実はおのれを示すのではなく、おのずから現れるのである。それはおのれを伝達せず、おのれを解釈する。真実は望まれたものではなく、無意志的である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

さらにここで、積極的意志/無意識的強制などの二項対立の前者は、ほとんどすべては「好奇心」にかかわるといっておこう。

快楽も、愛も、好奇心から生まれるものではない(……)。好奇心とは、感覚器官の粗雑さを忘れるために、知的に遂行されるストリップのごときものであり、自信にみちた心の動きだ。ニーチェにならって、「われわれは、精緻さが欠けているから、科学的になるのだろう」とバルトが書くとき、科学の名で指し示されているのは、まだ見えていないものへの究明へと人を向かわせるものが好奇心だとする社会的な、それこそ粗雑きわまる暗黙の申し合わせのことである。(蓮實重彦「倦怠する彼自身のいたわり」『表象の奈落』所収)

…………

《誰もが、性急かつ臆病に、己れが潜在的なターゲットであると知りかつ感じている。》(JACQUES-ALAIN MILLER ON THE CHARLIE HEBDO ATTACK


われわれは一年もたたない出来事ーーシャルリエブド事件ーーを忘れている。もちろん四年以上まえの出来事などすっかりと忘れている。東京エリアの二三千万人が運命のさいころのわずかな転がりぐあいの違いで、すべて「難民」になっただろうことなどは、もはや須臾の間さえ想像をすることはない。あれらの出来事が「烙きつけ」られたのは、わずかな人ーーたとえば掛け替えのない愛する人を失った者や移住や生活習慣の変更を余儀なくされた人たち、いまだ悪夢にうなされている人たちーーだけだ。





身近なフクシマだって忘れてしまっているのだ。今回のパリテロ事件も三ヶ月後にはすっかり忘れているさ。島国日本では、身近にムスリムや仏人の知合いがいるひとは、稀だろうしな。

通念としての「憐れみ」の思想家ルソーでさえこういっている、《人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ》(『エミール』)

……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』所収)

そもそもいつ起こるかしれない地震を忘れて生活していかなくちゃいけない民族なのだから、やむえないね、これは皮肉ではまったくないさ。

中国人は平然と「二十一世紀中葉の中国」を語る。長期予測において小さな変動は打ち消しあって大筋が見える。これが「大国」である。アメリカも五十年後にも大筋は変るまい。日本では第二次関東大震災ひとつで歴史は大幅に変わる。日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない。為政者は「戦々兢々として深淵に臨み薄氷を踏むがごとし」という二宮尊徳の言葉のとおりである。他山の石はチェコ、アイスランド、オランダ、せいぜい英国であり、決して中国や米国、ロシアではない。(「日本人がダメなのは成功のときである」1994初出『精神科医がものを書くとき Ⅰ』所収 広英社)

それに戦争トラウマがなかったら、戦争のにおいを嗅ぎつける嗅覚も弱いに決まってるさ、オレも人のことはまったく言えないよ、

戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない。(中井久夫「戦争と平和についての観察」)