2017年5月29日月曜日

もう騙されたくはなかった

プルーストの『失われた時を求めて』の核心箇所のひとつである。ドゥルーズは『プルーストとシーニュ』で以下の箇所を半分以上は引用している。ロラン・バルトのプンクトゥム概念も、彼が『明るい部屋』で言及している「心情の間歇」の章(「ソドムとゴモラ」)だけでなく、この箇所にも明らかに起源がある、とわたくしは思う。プルーストのテーゼ、「愛する理由は対象にはない」が最も切実に書かれている箇所である。誰でもそれぞれのバルベックやアルベルチーヌ、ヴァントゥイユがあるはずだろう。このプルーストの《またしてもまんまとだまされたくはなかった》をめぐる叙述を否定できる人はそれほど多くないはずだが、それにもかかわらず、われわれはついうっかり騙され続けて人生を送っている。

いくらか段落分けして引用する。

………私はつぎのことを知っていたからだ、――バルベックの美は、一度その土地に行くともう私には見出されなかった、またそのバルベックが私に残した回想の美も、もはやそれは二度目の逗留で私が見出した美ではなかった、ということを。私はあまりにも多く経験したのだった、私自身の奥底にあるものに、現実のなかで到達するのが不可能なことを。また、失われた時を私が見出すであろうのは、バルベックへの二度の旅でもなければ、タンソンヴィルに帰ってジルベルトに会うことでもないのと同様に、もはやサン・マルコの広場の上ではないということを。また、それらの古い印象が、私自身のそとに、ある広場の一角に、存在している、という錯覚をもう一度私の起こさせるにすぎないような旅は、私が求めている方法ではありえない、ということを。

またしてもまんまとだまされたくはなかった、なぜなら、いまの私にとって重大な問題は、これまで土地や人間をまえにしてつねに失望してきたために(ただ一度、ヴァントゥイユの、演奏会用の作品は、それとは逆のことを私に告げたように思われたが)、とうてい現実化することが不可能だと思いこんでいたものにほんとうに自分は到達できるのかどうか、それをついに知ることであったからだ。

それゆえ私は、無益におわると長いまえから私にわかっている手にのって、また一つよけいな経験を試みようとはしなかった。私が固定させようとつとめているいくつかの印象は、その場の接触でじかにたのしもうとすると、消えうせるばかりであり、直接のたのしみからそれらの印象を生まれさせることができたためしはなかった。それらの印象を、よりよく味わうただ一つの方法は、それらが見出される場所、すなわち私自身のなかで、もっと完全にそれらを知る努力をすること、それらをその深い底の底まであきらかにするように努力することだった。

これまで私は、バルベックにいることの快感をその場では知ることができず、アルベルチーヌと同棲することの快感をそのときには知ることができなかった、快感は事後でなくては私に感知されなかったのであった。ところで、これまで生きてきたかぎりにおける私の人生の失望は、私に、人生の現実は行動にあるのではなくてもっとほかのところにあるにちがいないと思わせたのだが、そんな失望をいま私が要約するとなれば、それぞれちがった落胆を、単なる偶然のなりゆきでむすびつけたり、私の生存の状況にしたがって関連づけたりするわけには行かなかった。私がはっきり感じたのは、旅行の失望も、恋の失望も、別段ちがった失望ではなくて、おなじ失望の異なる相であり、われわれが肉体的な享楽や実際的な行動で自力を十分に発揮できなかったときのその無力感が、旅行とか恋とかいう事柄にしたがって、そういう異なる相を呈する、ということだった。

そして、あるいはスプーンの音、あるいはマドレーヌの味から生じた、あの超時間的なよろこび joie extra-temporelle をふたたび考えながら、私は自分にいうのだった、「これであったのか、ソナタの小楽節がスワンにさしだしたあの幸福は? スワンはこの幸福をあやまって恋の快感に同化し、この幸福を芸術的創造のなかに見出すすべを知らなかったのであった。この幸福はまた、小楽節よりもいっそう超地上的なものとして、あの七重奏曲の赤い神秘な呼びかけが私に予感させた幸福でもあった。スワンはあの七重奏曲を知ることができないで死んだ、自分たちのために定められている真実が啓示される日を待たずに死んだ多くの人たちとおなじように。といっても、その真実は彼には役立つことができなかっただろう、なぜならあの楽節は、なるほどある呼びかけを象徴することはできたが、新しい力を創造する、そして作家ではなかったスワンを作家にする、ということはできなかったから。

しかしながら、記憶のそんな復活のことを考えたあとで、しばらくして、私はつぎのことを思いついた、――いくつかのあいまいな印象も、それはそれで、ときどき、そしてすでにコンブレーのゲルマントのほうで、あの無意識的記憶(レミニサンス réminiscences)というやりかたで、私の思想をさそいだしたことがあった、しかしそれらの印象は、昔のある感覚をかくしているのではなくて、じつは新しいある真実、たいせつなある映像をかくしていて、たとえば、われわれのもっとも美しい思想が、ついぞきいたことはなかったけれど、ふとよみがえってきて、よく耳を傾けてきこう、楽譜にしてみようとわれわれがつとめる歌のふしに似ていたかのように、あることを思いだそうと人が努力する、それと同種の努力で私もそうした新しい真実、たいせつな映像を発見しようとつとめていた、ということを。いつのまにか当時と同一の自分になっていることが私にわかったからであり、自分の性質の根本的な一つの特徴 trait fondamental de ma nature がとりもどされたからであった、また悲哀をもってというのは、その当時から自分がすこしも進歩していなかったのを考えさせられたからであったがーーすでにコンブレーで、私は自分の精神のまえに、何かの映像を注意をこめて固定させようとしていた、それが何であるかをはっきりながめるように強いられて、たとえば、雲とか、三角形とか、鐘塔とか、花とか、小石とかを私はながめていた、そしてそれらの表徴〔シーニュ〕の下には、自分が発見につとめなくてはならないまったくべつのものがあるだろう、と感じていた、そのものは何かある思想にちがいなく、雲や鐘塔や小石は、人にはただ具体的な事物しかあらわしていないと思われるあの象形文字 caractères hiéroglyphes のような形で、その思想を翻訳していたのだ、ということを。

いうまでもなく、それの判読はむずかしかった、しかしその判読だけが、何かの真実を読みとらせるのだった。というのも、理知が白日の世界で、直接に、透きうつしにとらえる真実は、人生がある印象、肉体的印象のなかで、われわれの意志にかかわりなくつたえてくれた真実よりも、はるかに深みのない、はるかに必然性に乏しいものをもっているからだ、ここで肉体的印象といったのは、それがわれわれの感覚器官を通してはいってきたからだが、しかしわれわれはそこから精神をひきだすことができるのである。

要するに、いずれの場合でも、それがマルタンヴィルの鐘塔のながめが私にあたえた印象であれ、両足のステップの不揃いやマドレーヌの味のような無意識的記憶(レミニサンスréminiscences)であれ、問題は、考えることを試みながら、言いかえれば私が感じたものを薄くらがりから出現させてそれをある精神的等価物に転換することを試みながら、それらの感覚を通訳して、それとおなじだけの法則をもちおなじだけの思想をもった表徴〔シーニュ〕にする努力をしなくてはならない、ということであった。

ところで、私にただ一つしかないと思われたその方法は、一つの芸術作品〔ウーヴル・ダール〕をつくることよりほかの何であっただろう? それに、諸般の結果は、すでに私の精神のなかにひしめいていた、それというのも、フォークの音とかマドレーヌの味とかのような種類の無意識的記憶(レミニサンス réminiscences)であれ、私が頭のなかでその意味を求めようと試みていた形象――鐘塔、雑草といった形象が、私の頭のなかで、複雑な、花咲き乱れた、ある魔法の書〔グリモワール〕を編んでいたーーそんな形象のたすけを借りて書かれるあの真実であれ、それらのものの第一の特徴は、私が勝手にそれらを選びだしたのではないということであり、それらがありのままの姿で私にあたえられたということであったからだ。

また、それこそが、それらのものの真性証明〔オータンテイシテ〕の極印になるのだと私に感じられた。私は中庭の不揃いな二つの敷石をさがしに行ってそこで足をぶつけたわけではなかった。そうではなくて、不可避的に、偶然に、感覚の出会 rencontrée がおこなわれたという、まさにそのことこそ、その感覚がよみがえらせた過去とその感覚がさそいだした映像との真実に、検印をおすものであった、その証拠に、われわれはあかるい光に向かってあがってこようとするその感覚の努力を感じるのであり、ふたたび見出された現実というもののよろこびを感じるわけなのだ。その感覚はまた、つづいてそのあとにひきだされる当時のさまざまな印象の、画面全体の真実を証明する検印ともなるのであって、それらの印象は、光と影、浮彫と省略、回想と忘却の、あのぴったりのプロポーションを伴ってひきだされるが、意識的な記憶や意識的な観察では、それらの点は、いつまでもなおざりにされるだろう。

未知の表徴 signes inconnus(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴 signes en relief)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。

だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。

しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー génie〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。ただ、口実は断じて芸術のなかにはいらないし、意図は芸術にかぞえられない、いかなるときも芸術家はおのれの本能に耳を傾けるべきであって、そのことが、芸術をもっとも現実的なもの réel、人生のもっとも厳粛な学校、そしてもっとも正しい最後の審判たらしめるのだ。そのような書物こそ、すべての書物のなかで、判読するのにもっとも骨の折れる書物である、と同時にまた、現実réalité がわれわれにうながした唯一の書物であり、現実 réalité そのものによってわれわれのなかに「印刷=印象 l'impression」された唯一の書物である。

人生がわれわれのなかに残した思想が何に関するものであろうとも、その思想の具体的形象、すなわちその思想がわれわれのなかに生んだ印象の痕跡は、なんといってもその思想がふくむ真理の必然性を保証するしるしである。単なる理知のみのよって形づくられる思想は、論理的な真実、可能な真実しかもたない、そのような思想の選択は任意にやれる。われわれの文字で跡づけられるのではなくて、象形的な文字であらわされた書物、それこそがわれわれの唯一の書物である。といっても、われわれが形成する諸般の思想が、論理的に正しくない、というのではなくて、それらが真実であるかどうかをわれわれは知らない、というのだ。

印象だけが、たとえその印象の材料がどんなにみすぼらしくても、またその印象の痕跡 trace がどんなにとらえにくくても、真実の基準となるのであって、そのために、印象こそは、精神によって把握される価値をもつ唯一のものなのだ、ということはまた、印象からそうした真実をひきだす力が精神にあるとすれば、印象こそ、そうした精神を一段と大きな完成にみちびき、それに純粋のよろこび pure joie をあたえうる唯一のものなのである。

作家にとっての印象は、科学者にとっての実験のようなものだ、ただし、つぎのような相違はある、すなわち、科学者にあっては理知のはたらきが先立ち、作家にあってはそれがあとにくる。われわれが個人の努力で判読し、あきらかにする必要のなかったもの、われわれよりも以前にあきらかであったものは、われわれのやるべきことではない。われわれ自身から出てくるものといえば、われわれのなかにあって他人は知らない暗所 l'obscurité qui est en nous et que ne connaissent pas les autres から、われわれがひっぱりだすものしかないのだ。………(プルースト「見出された時」井上究一郎訳、いくらか仏語等を付加)


2017年5月28日日曜日

眼差しの作家たち

(Elizabeth and I; 1933)

(Despite his mother's dying in early 1933, Kertész married Elizabeth on 17 June 1933)

「写真」には、私の目をまともに眼差す me regarder droit dans les yeux 能力がある(……)。

写真の眼差し regard には何か逆説的なところがあるが、ときにはそれが実人生においても起こることがある。

先日、一人の若者が、喫茶店で、連れもなく店内を見まわしていた。彼の眼差し regard はときどき私の上にそそがれた。そこで私は、彼が私を眼差している me regardait という確信をもったが、しかし彼が私を見ている me voyait かどうかは確かでなかった。それは考えられないような不整合であった。どうして見ることなしに眼差す regarder sans voir ことができるのか?

「写真」は注意 attention を知覚 perception から切り離し、知覚をともわない注意はありえないのに、ただ注意だけを向けるかのようである。それは道理に反することだが、ノエマのないノエシス noèse sans noème、思考内容のない思考作用 acte de pensée sans pensée、標的のない照準 visée sans cible である。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

(Kertesz and his wife Elizabeth, 1931)

…眼差し regard は、例えば、誰かの目を見る je vois ses yeux というようなことを決して同じではない。私が目 yeux すら、姿 apparence すら見ていない ne vois pas 誰かによって自分が眼差されていると感じる me sentir regardé こともある。なにものかがそこにいるかもしれない ことを私に示す何かがあればそれで十分である。

例えば、この窓、あたりが暗くて、その後ろに誰かがいると 私が思うだけの理由があれば、その窓はその時すでに眼差しregard である。こういう眼差しが現れるやいなや、私が自分が他者の眼差しにとっての対象になっていると感じる、という意味で、私はすでに前とは違うものになっている。(ラカン、セミネールⅠ、02 Juin 1954)

(Broken Plate,1929)

視野においてはすべてが、二律背反的な二つの項がある。

①物 choses の側には眼差し regard がある。すなわち、物が私を眼差す regardent。
②私にはそれらの物が見える voir。

聖書においてしきりに強調される、《彼らは、見えないかもしれない眼をもっている Ils ont des yeux pour ne pas voir》という言葉は、この意味で理解されなければならない。

何が見えないかもしれないのか Pour ne pas voir quoi ? それはまさしく、物が私を眼差している les choses me regardent ことである。(ラカン、S11、11 mars 1964)

(New York City,1979)

ーーアンドレ・ケルテスは、「このトルソーは妻に似ている、肩と首が」と言った(妻の死1977年後のこと[Jennifer Friedlander、Affecting Art: Barthes, Kertész, and Lacan、PDF])。

眼差しは意識の裏面で ある le regard est cet envers de la conscience、という表現はまったく不適切というわけではない。というのは、眼差しには実体を与える donner corps ことができるから。

サルトルは『存在と無』の中のもっとも見事な個所で、他者の実存 l'existence d'autrui という次元で、眼差しを機能させている。……

サルトルのいう眼差し regard とは、私に不意打ちをくらわす眼差しである。
私の世界のあらゆるパースペクティヴや力線を変えてしまい、私の世界を、私がそこにいる無の点を中心とした、他の諸々の生命体からの一種の放射状の網へと秩序づけるという意味で、私に不意打ちをくらわす眼差しである。

無化する主体としての私と私を取り巻くものとの関係の場において、眼差しは、私をして――見ている私をして――私を対象として眼差している人の目 œil de celui qui me regarde comme objet を《暗点化・ 盲点化 scotomiser》させるにまで至る、という特権を持つことになる。私が眼差しのもとにあるかぎり、私はもはや私を眼差している人の目 œil qui me regardeを見ることはできないし、逆にもし私が目を見れば si je vois l'œil、そのときは眼差しは消えてしまう le regard qui disparaît、とサルトルは書いている。

これは正しい現象学的分析だろうか。そうではない。私が眼差しのもとにあるとき、私が誰かの眼差しを求めるとき、私がそれを獲得するとき、私は決してそれを眼差しとしては見ていない je ne le vois point comme regard、というのは真実ではない。(…)

眼差しは見られる Le regard se voit 。つまり、サルトルが記述した、私を不意打ちするあの眼差し、私を恥 honteそのものにしてしまう――サルトルが強調したのはこの恥という感情である――あの眼差し、それは見られる。
眼差しとの遭遇 rencontre du regard はーーサルトルのテクストの中に読み取ることができるものだがーー見られる眼差し regard vu のことではまったくなく、私が大他者の領野 champ de l'Autre で想像した眼差しに過ぎない。

彼のテクストに当たれば判然とすると思うが、サルトルは視覚器官に関わるものとしての眼差しの出現のことを語っているのでは決してない。狩りの場合の突然の木の葉の音とか、廊下に不意に聞こえる足音とか――これはどういう刻限か?ーー鍵穴 trou de serrureから眼差すという行為 l'action de regarder において彼自身が露呈する刻限である――のことを言っている。覗いている voyeur ときに眼差しが彼に不意打ちをくらわせ、彼を動揺させ、動転させ、彼を恥の感情にしてしまう。

ここで言われている眼差しは、まさに他者そのものの現前 présence d'autrui comme telである。しかし、眼差しにおいて何が重要かということを我々が把握するのは、そもそも主体と主体との関係において、すなわち私を眼差している他者の実存 l'existence d'autrui comme me regardant という機能においてなのだろうか。むしろ、そこで不意打ちをくらわされたと感じるのは、無化する主体、すなわち客観性の世界の相関者ではなくて、欲望の機能の中に根をはっている主体であるからこそ、ここに眼差しが介入してくるのではないだろうか。

欲望がここでは視姦 voyure の領野において成り立っているからこそ、我々は欲望をごまかして隠すことができるのではないか。(ラカン、S11、26 Février 1964)

敬意を表しつつもいささかのサルトル批判があるが、ラカンは何を言おうとしているのか。

ーー目撃者としてつねにそこにいる〈第三者〉の眼差しのことである。

貧乏な田舎者が、乗っていた船が難破して、たとえばシンディ・クリフォードといっしょに、無人島に漂着する。セックスの後、女は男に「どうだった?」と訊く。男は「すばらしかった」と答えるが、「ちょっとした願いを叶えてくれたら、満足が完璧になるんだが」と言い足す。頼むから、ズボンをはき、顔に髭を描いて、親友の役を演じて欲しいというのだ。「誤解をしないでくれ、おれは変態じゃない。願いを叶えてくれれば、すぐにわかる」。女が男装すると、男は彼女に近づいて、横腹を突き、男どうしで秘密を打ち明け合うときの、独特の流し目で、こう言う。「何があったか、わかるか? シンディ・クリフォードと寝たんだぜ!」

目撃者としてつねにそこにいるこの〈第三者〉は、無垢で無邪気な個人的快感などというものはありえないことを物語っている。セックスはつねにどこかかすかに露出狂的であり、他者の視線に依存しているのである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳)


(André Kertész, Avec Elizabeth, Hongrie 1920)

きみは軀のどの部分をもっとも熱心に使うだろう? オナニーしているときのことだけど

ーー「耳だわ、もちろん」

《Which part of the body is most intensely used while masturbating? ーーThe ear. 》(“THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE” Paul Verhaeghe)


(Elizabeth and me,1921)

窃視者は、常に-既に眼差しに見られている。事実、覗き見行為の目眩く不安な興奮は、まさに眼差しに晒されることによって構成されている。最も深い水準では、窃視者のスリルは、他人の内密な振舞いの盗み見みされた光景の悦楽というより、この盗み行為自体が眼差しによって見られる仕方に由来する。窃視症において最も深く観察されることは、彼自身の窃視である。(RICHARD BOOTHBY, Freud as Philosopher METAPSYCHOLOGY AFTER LACAN,2001)

(André Kertesz Flowers for Elizabeth , 1976)

痴漢たちは、発見され処罰されることをきわめて深く懼れているものの、同時に、その危険の感覚なしには、かれの快楽は薄められあいまいになり衰弱し、結局なにものでもなくなる。禁忌が綱渡り師にその冒険の快楽を保証する。そして痴漢たちが安全にかれの試みをなしとげると、その瞬間、安全な終末が、サスペンスのなかの全過程の革命的な意味を帳消しにしてしまうのである。結局、いかなる危険もなかったのだから、いままで自分の快楽のかくれた動機だった危険の感覚はにせに過ぎなかったのであり、すなわち、いまあじわい終わったばかりの快楽そのものがにせの快楽だと、痴漢たちは気がつく。そして再びかれはこの不毛な綱渡りをはじめないではいられない。やがて、かれらが捕えられ、かれの生涯が危機におちいり、それまでのにせの試みがすべて、真実の快楽の果実をみのらせるまで……(大江健三郎『性的人間』)

◆Masters of Photography: Andre Kertesz





2017年5月27日土曜日

純粋過去の切片としてのプンクトゥム

ロラン・バルトのプンクトゥム概念が、ラカンのリアルにかかわるだろうことは「染みとプンクトゥム」で見た。ここではプンクトゥムが、ドゥルーズやプルーストの概念とも大いに関係していることを見る。

…………

たいていの場合、プンクトゥム punctum は《細部 détail》である。つまり、部分対象 objet partiel である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。(ロラン・バルト『明るい部屋』1980年)
潜在的対象はひとつの部分対象である。L'objet virtuel est un objet partial(ドゥルーズ 『差異と反復』1968年)

このようにバルトとドゥルーズを並べたからといって、プンクトゥムと潜在的対象とがまったく等価であるというつもりはない。だがプンクトゥムの、少なくとも或る側面は、潜在的対象であることは間違いないように思える。

『明るい部屋』の第19章、第20章は次のような章題をもっている。

19.Le Punctum : trait partiel.
20.Trait involontaire.

まず第19章【「プンクトゥム」--部分的徴 Le Punctum : trait partiel】を見てみよう。

たいていの場合、プンクトゥム punctum は《細部》である。つまり、部分対象 objet partiel である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。(……)

プンクトゥムは、どれほど電撃的なものであっても、多かれ少なかれ潜在的に、ある拡大の能力をもつ。この能力は、往々にして換喩的に働く。子供に手を引かれた盲目のジプシーのヴァイオリン弾きを撮った、ケルテスの写真(1921年)がある。ところで私が、写真に何かをつけ加えて見せる、あの《考える眼》によって見るのは、土が踏み固められた道である。この道の肌目は中部ヨーロッパにいるという実感を私に与える。私は指向対象 référent を知覚する(ここでは、写真は真にそれ自身を超えてしまっている la photographie se dépasse vraiment elle—même。これこそ写真の術を証明する唯一の証拠ではなかろうか? つまり、媒体としての自分を空無化し S’annuler comme médium、記号であることをやめ n’être plus un signe、ものそのものとなること mais la chose même ?)。私は、かつてハンガリーとルーマニアに旅行したとき横切った村々を、いまふたたび全身で感じ取る。

この文に引き続いて《プンクトゥムによる(よりプルースト的でない moins proustienne)他の拡大の例もある》とある。つまりバルトは《写真は真にそれ自身を超えてしまって》《媒体としての自分を空無化し、記号であることをやめ、ものそのものとなること》をプルースト的プンクトゥムにかかわるものとしていることになる。

このプルースト的プンクトゥム、バルトにとっての《かつてハンガリーとルーマニアに旅行したとき横切った村々》の《土が踏み固められた道》の肌理とは、純粋過去の切片 un lambeau de passé pur ではないか?

潜在的対象は純粋過去の切片である。 L'objet virtuel est un lambeau de passé pur(ドゥルーズ 『差異と反復』1968年)



バルトは写真の形式的な評価とはまったく異なったことを語っている。ゆえに《プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡す me livrer ことになる》。バルト単独的なものによって、つまり写真のなかにバルトの経験あるいは徴が書き込まれているから魅惑されるのである。《対象aは奇妙な対象で、じつは対象の領野に主体自身が書き込まれることにすぎない。それは染みにしか見えず、この領野の一部が主体の欲望によって歪められたときにはじめて明確な形が見えてくる。》(ジジェク、1991)

プンクトゥムとは、刺し傷 piqûre、小さな穴 petit trou、小さなシミ petite tache、小さな裂け目 petite coupureのことでもありーーしかもまた、骰子の一振りcoup de dés のことでもある。(『明るい部屋』第10章)

これは「染みとプンクトゥム」で見た通り。

ところでドゥルーズは、観念的リアルなもの réel idéal =潜在的なもの virtuel としているが、これはバルトのプルースト的プンクトゥムと果たして異なるところがあるだろうか?

アクチュアルではなくリアルであり、抽象的ではなく観念的》(プルースト「見出された時」))――この観念的なリアルなもの、この潜在的なものが本質である。« Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits. » Ce réel idéal, ce virtuel, c'est l'essence. . (ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』,1964-1970-1975)


第19章に引き続く第20章の章題は、まさにプルースト用語の「無意志的 involontaire」という語がつかわれた「無意志的徴 Trait involontaire」である。

ーー第20章を見る前に『明るい部屋』の核心の一つの第28章「温室の写真 La Photographie du Jardin d’Hiver」において、バルトはプルーストを引用して次のように語っていることを先に示しておこう、

ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した  dont pour la première fois je retrouvais dans un souvenir involontaire et complet la réalité vivante 》のである。

さて第28章【無意志的徴 Trait involontaire】である。

ある種の細部は、私を《突き刺す poindre》ことができるらしい。もしそれが私を突き刺さないとしたら、それはおそらく、写真家によって意図的にそこに置かれたからである。(……)

私の関心を引く細部は、意図的なものではない。少なくとも厳密に言えばそうではないし、またおそらく、そうであってはならないのである。私の関心を引く細部は、撮影された事物の場に、不可避でもあり無償でもある補足物として存在する。それは必ずしも写真家の技量を証明するものではない。ただ、写真家がその場にいたことを告げるだけである。あるいはまた、それよりもさらにわずかなこと、つまり、写真家がある対象全体を撮ると同時に、他の対象をも部分的に撮らざるをえなかったということを告げているだけである(道路とそこを歩き回るヴァイオリン弾きとを《切り離す》ことなど、どうしてケルテスにできたろう?)。

「写真家」の透視力は、《見る》ことによってではなく、その場にいることによって成り立つ。そしてとりわけ「写真家」は、オルフェウスと同じように、自分が写してきて見せるものを降りかえって見てはならないのだ!(ロラン・バルト『明るい部屋』1980年)

《写真家がある対象全体を撮ると同時に、他の対象をも部分的に撮らざるをえなかった il ne pouvait pas ne pas photographier l'objet partiel en même temps que l'objet total》とは、《写真家は全対象 l'objet total を撮ると同時に、部分対象 l'objet partiel を撮らざるをえなかった》とも訳せるだろう。

バルトにとっての部分対象=細部とは、《私をひきつけたり傷をおわせる細部(プンクトゥム) un détail (punctum) qui m'attire ou me blesse》である。

ところでバルトは、第39章「プンクトゥムとしての時間 Le Temps comme punctum」にて、「細部 détail」とは異なった、「時間としてのプンクトゥム」を語っている。

ある種の写真に私がいだく愛着について(……)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム le studium)と、ときおりその場を横切り traverser ce champ やって来るあの思いがけない縞模様 zébrure とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥム le punctum と呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象 représentation pure である。(『明るい部屋』)

だが「プンクトゥムとしての時間 Le Temps comme punctum」とは、やはり潜在的対象である。純粋過去の切片である。《潜在的対象は純粋過去の切片である。 L'objet virtuel est un lambeau de passé pur》(ドゥルーズ、1968)。すくなくともドゥルーズの解釈ではそうなる。それは《局在化した時間の本質 l'essence du temps localisée》なのである。

マドレーヌの味、ふたつの感覚に共通な性質、ふたつの時間に共通な感覚は、いずれもそれ自身とは別のもの、コンブレーを想起させるためにのみ存在している。しかし、このように呼びかけられて再び現われるコンブレーは、絶対的に新しいかたちになっている。コンブレーは、かつて現在であった été présent ような姿では現われない。コンブレーは過去として現われるが、しかしこの過去は、もはやかつてあった現在に対して相対するものではなく、それとの関係で過去になっているところの現在に対しても相対するものではない。それはもはや知覚されたコンブレーでもなく、意志的記憶 la mémoire volontaire の中のコンブレーでもない。コンブレーは、体験さええなかったような姿で、リアリティréalité においてではなく、その真理 véritéにおいて現われる。

コンブレーは、純粋過去 passé pur の中に、ふたつの現在と共存して、しかもこのふたつの現在に捉えられることなく、現勢の意志的記憶 mémoire volontaire actuelle と過去の意識的知覚 perception consciente ancienne の到達しえないところで現われる。それは、《純粋状態にあるわずかな時間 Un peu de temps à l'état pur》(プルースト)である。つまりそれは、現在と過去、現勢的なものである現在 présent qui est actuel と、かつて現在であった過去 passé qui a été présentとの単純な類似性ではなく、ふたつの時間の同一性でさえもなく、それを超えて、かつてあったすべての過去 tout passé qui a été、かつてあったすべての現在 tout présent qui fut よりもさらに深い、過去の即自存在 l'être en soi du passé である。《純粋状態にあるわずかな時間 Un peu de temps à l'état pur》とは、局在化した時間の本質 l'essence du temps localiséeで ある。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

こうして「純粋過去の切片 un lambeau de passé purとしてのプンクトゥム punctum」ということが言えるはずである。わたくしに言わせれば、バルトのプンクトゥムを語るのに、ラカンのリアルにも触れず、ドゥルーズ=プルーストの純粋過去にも触れず、などという巷間の研究者たちは、死刑に値する。

…………

上にドゥルーズがプルーストの「見出された時」から次の二つの文を引用しているのを見た(彼は別の書にても繰返し引用している)。

・アクチュアルではなくリアルであり、抽象的ではなく観念的 Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits

・純粋状態にあるわずかな時間 Un peu de temps à l'état pur

この二つの文が含まれる箇所をプルースト自身から引用しておく。疑いなく『失われた時を求めて』の核心箇所の一つである。

単なる過去の一瞬、それだけのものであろうか? はるかにそれ以上のものであるだろう、おそらくは。過去にも、そして同時に現在にも共通であって、その二者よりもさらにはるかに本質的な何物かである。これまでの生活で、あんなに何度も現実が私を失望させたのは、私が現実を知覚した瞬間に、美をたのしむために私がもった唯一の器官であった私の想像力が、人は現にその場にないものしか想像できないという不可避の法則にしばられて、その現実にぴったりと適合することができなかったからなのであった。

ところが、ここに突然、そのきびしい法則の支配力が、自然のもたらした霊妙なトリックによって、よわまり、中断し、そんなトリックが、過去と現在とのなかに、同時に、一つの感覚をーーフォークとハンマーとの音、本のおなじ表題、等々をーー鏡面反射させたのであった。そのために、過去のなかで、私の想像力は、その感覚を十分に味わうことができたのだし、同時に現在のなかで、物の音、リネンの感触等々による私の感覚の有効な発動は、想像力の夢に、ふだん想像力からその夢をうばいさる実在の観念を、そのままつけくわえたのであって、そうした巧妙な逃道のおかげで、私の感覚の有効な発動は、私のなかにあらわれた存在に、ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続 la durée d'un éclair、純粋状態にあるわずかな時間un peu de temps à l'état pur ――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆるしたのであった。

あのような幸福の身ぶるいでもって、皿にふれるスプーンと車輪をたたくハンマーとに同時に共通な音を私がきいたとき、またゲルマントの中庭の敷石とサン・マルコの洗礼堂との足場の不揃いに同時に共通なもの、その他に気づいたとき、私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。意志でもって築きあげられる未来とは、意志が、現在と過去との断片から築きあげる未来で、おまけに意志は、そんな場合、現在と過去とのなかから、自分できめてかかった実用的な目的、人間の偏狭な目的にかなうものだけしか保存しないで、現在と過去とのなかの現実性を骨ぬきにしてしまうのである。

ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわちアクチュアルではなくリアルであり、抽象的ではなく観念的 Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits である二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまちにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう? (プルースト『見出された時』井上究一郎訳だが、一部変更)

…………

以前、「純粋過去Ⱥと潜在的対象S(Ⱥ)」にてラカンのマテームを使用し、次のような図示をしてみたことがある。



この図を利用すれば、次のように図示できるはずである。




S(Ⱥ)とは初期フロイト概念の「境界表象 Grenzvorstellung」と等価である。なおかつS(Ⱥ)はS(a)、つまり原対象aのシニフィアンとしての対象aと書けることは(すくなくともS(Ⱥ)のある側面は)ブルース・フィンクがはやくから指摘している(Fink,1995)。

ジジェクの簡潔な言い方なら次の通り。

対象a の根源的両義性……対象a は一方で、幻想的囮/スクリーンを表し、他方で、この囮を混乱させるもの、すなわち囮の背後の空虚 void をあらわす。(Zizek, Can One Exit from The Capitalist Discourse Without Becoming a Saint? ,2016)

かつまたバルトは「プンクトゥムとしての時間」を言い表すのに「純粋表象 représentation pure」という語を使っているのは上に見た通りである。

再掲すれば、

もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥム punctum とは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象 représentation pure である。

Ce nouveau punctum, qui n’est plus de forme, mais d’intensité, c’est le Temps, c’est l’emphase déchirante du noème (« ça—a-éte’ »), sa représentation pure.(『明るい部屋』)

このようなプンクトゥムを見出すことにより、写真は、いやすべての芸術、あるいは愛の対象は、「関心の突然変異 mutation vive de mon intérêt」を生む。

(ここでバルトが愛したブレヒトの「異化効果 Verfremdungseffekt」という言葉を想い起しておいてもよいだろう)。

以下の文は第21章からであり「細部としてのプンクトゥム」を語っているが、「純粋過去の切片としてのプンクトゥム」も同じはずである。

ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻である。ある何ものかの徴がつけられることによって、写真はもはや任意のものでなくなる。そのある何ものかが一閃して、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過を生ぜしめたのでる(指向対象が取るに足りないものであっても、それは大して問題ではない)。

Un détail emporte toute ma lecture; c’est une mutation vive de mon intérêt, une fulguration. Par la marque de quelque chose, la photo n’est plus quelconque. Ce quelque chose a fait tilt, il a provoqué en moi un petit ébranlement, un satori, le passage d’un vide (peu importe que le référent en soit dérisoire).(ロラン・バルト『明るい部屋』)

こうして「愛する原因は対象にはない」というプルーストのテーゼを、ロラン・バルトも確認していることになる。愛の原因が対象にあるなどという思い込みに《またしてもまんまとだまされたくはなかった》(プルースト)。

われわれの愛は、われわれが愛するひとたちによっても、愛しているときの、たちまちに消え去る状態によっても展開されるものではない。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

※参照:愛の心理学:「女の笑い方、ジェスチャ」



2017年5月26日金曜日

ムッシュー・クロッシュ

クロッシュ氏は音楽評論を批判してこう言っている。

作品を通して、それらを生み出させた様々な衝動や、それらが秘めている内的な生命を見ようとするんです。めずらしい時計かなぞのように作品を分解することで成り立つ遊びより、ずっと面白くはありませんか ? (『ドビュッシー作曲論集 反好事家八分音符氏』)

ムッシュー・クロッシュとはもちろん、ドビュッシーが創り上げた架空の人物である。

小倉朗もこう言っている、《バッハの作品を見て、それが理論的であり、規則に厳格であると人はしばしば感嘆する。しかし、理論的であり、規則に厳格だからバッハの音楽が美しいと考えたら嘘になろう》。

ところでバーンスタインは、音楽における意味を四種のレベルに分類している。

①物語的=文学的意味 
②雰囲気=絵画的意味 
③情緒反応的意味 
④純粋に音楽的な意味  

そして④だけが音楽的な分析を行うに値するとしている。

音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない(バーンスタイン)

とはいえ何が④の「純粋に音楽的な意味」なのだろうか。まさか《めずらしい時計かなぞのように作品を分解することで成り立つ遊び》だけではあるまい。

そしてムッシュー・クロッシュのすすめる《作品を通して、それらを生み出させた様々な衝動や、それらが秘めている内的な生命》とは、バーンスタインの区分する③の「情緒反応的意味」とどこか違うのだろうか。

もちろんこの問いは、音楽だけに限らない。すくなくとも芸術全般にかかわる。

おそらく制作者サイドであれば、やはり④が肝腎なのだろう。

岡崎乾二郎)……だから、ぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。(共同討議「『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」『批評空間』 第3期第2号、2001)

だが受け手側はどうなのか。 ③の「情緒反応的意味」をどう捉えるかにもよるが、「情緒」を「わたくしを衝き動かす内的生命」として捉えれば、これが肝腎なのではなかろうか。

ただし「情緒」の危険性というのは常にある。多くの音楽ファンとはホモ・センチメンタリスである。

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。(クンデラ『不滅』)

◆Schumann Der Nussbaum Bernarda Fink



ああ、あああ、あああああああ、ブラヴォー! ブラヴォー!! 

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」)

「ブラヴォー、ブラヴォー」はやめなくてはならない・・・

すくなくとも次のようにひそやかに語る必要がある。

……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、…(プルースト『囚われの女』)

だがこう語ることは、バーンスタインが「寄生虫」と呼ぶ ①物語的=文学的意味、②雰囲気=絵画的意味、③情緒反応的意味とどう違うのだろうか。

そもそも音楽で最も美しいのは「寄生虫」、すなわち《くらがりにうごめくはっきりしない幼虫》ではなかろうか・・・

最後にバーンスタインの死の年のリハーサル風景の映像をかかげておこう。当時わたくしはこの映像をみて「情緒的に」ひどく感動した(ナレーションの声だけはなんとかしていただきたいとは思ったが)。エイズで喉を侵されているバーンスタインは掠れ声で、《くらがりにうごめくはっきりしない幼虫》で始めねばならない、といっている。






2017年5月25日木曜日

アリアドネという「システムの見えない染み la tache aveugle des systèmes」

「アリアドネ」とディオニュソスが言った。「おまえが迷宮だ。」

Ariadne, sagte Dionysos, du bist ein Labyrinth: (ニーチェ遺稿、1887年)

ラカンはセミネール11にて、対象a は「絵のなかのしみ tache dans le tableau」としている。《 il se fait tache, il se fait tableau, il s'inscrit dans le tableau》 (S11, 04 Mars 1964)

バルトは次のように言っているのを以前見た(参照:染みとプンクトゥム)。

作家はいつもシステムの盲点(システムの見えない染み la tache aveugle des systèmes )にあって、漂流 dérive している。それはジョーカー joker であり、マナ manaであり、ゼロ度 degré zéroであり、ブリッジのダミー le mort du bridge、つまり、(『テクストの快楽』1973年)
私は、私の中を通り過ぎて行くシンボル系とイデオロギー系列を、《そういうものとして》は舞台上に(テクストに)演出して見せることができない。というもの、私自身がそれらの残す盲目の染み la tache aveugle だからだ。(『彼自身によるロラン・バルト』1975年)
一人の立派なハジ(聖地巡礼をすませた回教徒の尊称)。短い灰色のひげをよく手入れし、手も同様に手入れし、真っ白い上質のジェラバを優雅にまとって、白い牛乳を飲む。

しかし、どうだ。鳩の排泄物のように、汚れが、きたないかすかなシミ tache がある。純白の頭巾に。une tache, un léger frottis de merde, comme un besoin de pigeon, sur la capuche immaculée.(ロラン・バルト『偶景』1969年テキスト、死後出版1982)
プンクトゥムとは、刺し傷 piqûre、小さな穴 petit trou、小さなシミ petite tache、小さな裂け目 petite coupureのことでもありーーしかもまた、骰子の一振りcoup de dés のことでもある…。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺すme point 偶然 hasard (それだけなく、私にあざをつけme meurtrit、私の胸をしめつけるme poigne)偶然なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』1980年)

ところで、『明るい部屋』には別に、《ある見えない場 un champ aveugle》という表現がある。これも《システムの盲点(システムの見えない染み la tache aveugle des systèmes )》の言い換えだろう。すなわち対象a としての「絵のなかのしみ tache dans le tableau」である。

プンクトゥム punctum は…この写真に、ある見えない場 un champ aveugle を与えている…

プンクトゥムは、そのとき、一種の微妙な場外 hors champ subtil となり、イマージュは、それが示しているものの彼方に、欲望を向かわせるようになる。

Le punctum est alors une sorte de hors champ subtil, comme si l'image lançait le désir au-delà de ce qu'elle donne à voir(『明るい部屋』)

--この文は、ラカンの次の文とともに読むことができる。

シミが現れるとともに、欲望の領野において、その背後に隠されたものの蘇りの可能性が準備される。Avec la tache apparaît, se prépare la possibilité de résurgence, dans le champ du désir, de ce qu'il y a derrière d'occulte(ラカン、S10、5 Juin l963)

 …………

バルトは、「温室の写真」(彼の母の五歳のときの写真)が、私のアリアドネだと言っている。

その特別の写真のなかには、何か「写真」の本質のようなものが漂っていた。そこで私は、私にとって確実に存在しているこの唯一の写真から、「写真」のすべて(その《本性》を《引き出す》こと、この写真をいわば導き手として私の最後の探求をおこなうことに決めた。この世にある写真の全体は一つの「迷宮」を形づくっていた。その「迷宮」のまっただなかにあって、私は、このただ一枚の写真以外に何も見出せないことを知り、ニーチェの警句を地で行くことにしたのだ。すなわち《迷宮の人間は、決して真実を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ》。「温室の写真」は、私のアリアドネだった La Photo du Jardin d'Hiver était mon Ariane。それが何か隠されたもの(怪物や宝石)を発見させてくれるからではない。そうではなくて、私を「写真」のほうへ引き寄せるあの魅力の糸が何で出来ているのかを私に告げてくれるだろうからである。これからは、快楽の観点に立つのではなく、ロマン主義的に言えば愛や死と呼ばれるであろうものとの関連において、「写真」の明証を問わなければならない、ということを私は理解したのだった。

(「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真、《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないであろう。それはいかなる点においても一つの科学の明白な対象とはなりえず、語の積極的な意味において、客観性の基礎とはなりえない。時代や衣装や撮影効果が、せいぜい読者のストゥディウムをかきたてるかもしれぬが、しかし読者にとっては、その写真には、いかなる心の傷 blessure もないのである。)(ロラン・バルト『明るい部屋』pp.88-89)

この文にはプンクトゥムという言葉は出現していないが、心の傷 blessureとある。「(心の)傷 blessure」とは、プンクトゥムのことである(参照)。

場面から矢のように発し、私を刺し貫きにやって来る…。ラテン語には、そうした傷 blessure、刺し傷 piqûre、鋭くとがった道具によってつけられた徴 marque を表す語がある。…句読点 を打たれたような効果 effet comme ponctuées、ときには斑点状 mouchetées になってさえいる、感じやすい痛点 points sensibles、…それゆえ、ストゥディウム studiumの場をかき乱しにやってくるこの第二の要素を、私はプンクトゥム punctum と呼ぶことにしたい。(『明るい部屋』)

鳩の足と狼の足」でもデリダを引用しつつ記したが、バルトにとってのアリアドネは、ラカン用語なら「外密extimité」なのである。

親密な外部、この外密 extimitéが「物 das Ding」である。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose (ラカン、S7、03 Février 1960)
私たちのもっとも近くにあるもの le plus prochain が、私たちのまったくの外部 extérieur にある。ここで問題となっていることを示すために「外密 extime」という語を使うべきだろう。(ラカン、セミネール16、12 Mars 1969)
対象a とは外密である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)
外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。それは、異物 corps étranger のようなものである(ミレール、Miller Jacques-Alain, 1985-1986, Extimité)

この外密とは、《自我であるとともに、自我以上のもの moi et plus que moi 》(プルースト『ソドムとゴモラⅠ』「心情の間歇」)あるいは《あなたの中にはなにかあなた以上のもの、〈対象a〉toi plus que toi, qui est cet objet(a) 》(ラカン、S11)と等価であり、起源はフロイトの「不気味なもの unheimlich=親密なもの heimlich」にある。もちろんあわせて『不気味なもの』に言及のある「分身 Doppelgänger」を想起すべきだろう。

分身 Doppelgänger とは、私 moi プラス対象aーー私のイメージに付け加えられた不可視の部分ーーと同じものである。…ラカンは「眼差し」を喪われた対象の至高の現前 presentationとした。鏡のなかで、人は自分の目を見る。しかし喪われた部分である眼差しを見ない。…分身が生み出す不安とは、対象の出現 appearance の最も揺るぎない徴 the surest signである。(ムラデン・ドラ―1991、Mladen Dolar, Lacan and the Uncanny,PDF

あるいはロレンツォ・キエーザ2007は、《分身とは i′(a) + a、想像的他者プラス対象a》としている。

このの二人のラカン派注釈者の観点に立って演繹すれば、アリアドネは対象aではなく、イマジネールな私+対象aである。それは 「一」が「二」になることである。

正午にそれは起こった。「一」は「二」となったのである。Um Mittag war's, da wurde Eins zu Zwei...(ニーチェ『善悪の彼岸』1886年「高き山々の頂きから Aus hohen Bergen」ーー正午、「一」は「二」となる)

とすればロラン・バルトの文から憶測した《アリアドネという「システムの見えない染み la tache aveugle des systèmes」》とは、厳密にいえば誤謬かもしれない。このあたりはわたくしはまだ考え切れていない。今はそれぞれの観点があるというしか言いようがない。

…………

ニーチェの生前に公刊された書のなかではアリアドネの名は二か所しか出現しない。

ディオニュソスはあるときこう言った、「場合によっては、私は人間を愛する」--そしてその際、彼はその場にいあわせたアリアドネのことをあてこすって言ったのだが、--「人間は私にとって、地上に比べるもののないほど愉快で、大胆で、創意に富む動物であって、この動物はどんな迷宮に迷いこんでも、正しい道を見つける。私は人間に好意をもっている………私はしばしば、どうしたら彼をもっと前進させ、いま以上により強く、より邪に、より深くさせてやれるかを、思案することがある。」(ニーチェ『善悪の彼岸』)
「おお、神々しいディオニュソスよ、なぜあなたは私の耳を引っぱるのですか?」と、アリアドネはかつてナクソス島であの有名な会話の一つでその哲学的愛人にたずねた。「私はおまえの耳に一種のユーモアをおぼえるのだ、アリアドネよ。なぜそれはもっと長くないのだろうか?」(ニーチェ『偶像の黄昏』)

まず最初の問いは、1908年に妹エリザベートによって出版された『この人を見よ』の次の文であろう(この文の直前には名高い「夜の歌」が引用されている)。

わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを !……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。(ニーチェ『この人を見よ』1888年)

《アリアドネが何であるか was Ariadne ist!》とあるが、グロデックによれば,当初はWer Ariadne ist(アリアドネは誰であるか》であったが、最終的に、was Ariadne ist! (アリアアドネは何であるか)に変えられているそうだ。

…………

最後にドゥルーズは次のように言っていることを掲げておこう。

迷宮あるいは耳。迷宮はニーチェにしばしば現われるイメージである。それはまず無意識を、自己を、指示する。アニマだけがわれわれを無意識と和解させ、無意識を探すための導きの糸をわれわれに与えることができる。次に、迷宮は永遠回帰そのものを指示する。迷宮は循環的であって、行きどまりの道ではなく、同一の地点に、また、現在、過去、未来の同一の瞬間にわれわれを導く道である。だがより根本的に言えば、永遠回帰を構成するものの観点からみると、迷宮は生成であり、生成の肯定である。ところで、存在は生成に由来し、生成そのものによって自己を肯定する。そのかぎり、生成の肯定は別の肯定(アリアドネの糸)の対象である。アリアドネがテセウスのところに足繁く通ったあいだは、迷宮は逆の意味にとられていた。それはましな価値に開放され、糸は否定と怨恨の糸、道徳の糸であった。だが、ディオニュソスは彼の秘密をアリアドネに教える。真の迷宮はディオニュソス自身であり、真の糸は肯定の糸である。「私はおまえの迷路なのだ。」ディオニュソスは迷路にして雄牛、生成にして存在であるが、その肯定そのものが肯定される場合にのみ存在であるような生成である。ディオニュソスはアリアドネにたんに耳を傾けることだけでなく、肯定を肯定することを要求する。「おまえの耳は小さい。私の耳と同じだ。その耳で私の細心の言葉を聞くがよい。」(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』)
アリアドネーーそれは〈アニマ〉である。彼女はテセウスに愛され彼を愛した。しかしそのときまさしく、彼女は糸を手に持っていた。彼女はいくぶんかは〈蜘蛛〉であった。あのルサンチマンの冷たい生き物である蜘蛛なのだった。テセウスは〈英雄〉であり、〈高位の人間〉のイメージである。それで〈高位の人間〉の劣等性をすべて持っている。つまり背負い、引き受けること、荷車から縁を切る仕方を心得ないこと、軽やかさを知らぬこと、などである。アリアドネがテセウスを愛し、彼に愛されている限り、彼女の女としての在り方は封鎖され自由を失い、糸によって結びつけられている。しかしディオニュソス‐牡牛が接近してくるとき、アリアドネは真の肯定がなにであるかを、真の軽やかさがなにかを知るのである。彼女は肯定する〈アニマ〉となり、ディオニュソスに〈然り〉と言う。彼ら二人は、それだけで〈永遠回帰〉を構成するカップルであり、そして〈超人〉を産み出す。なぜならば、「英雄が〈美しい魂の女性〉を棄てたとき、そのとき初めて夢のうちに、超英雄が近づくのである」から。(ドゥルーズ『ニーチェ』)

2017年5月24日水曜日

鳩の足と狼の足

嵐をもたらすものは、もっとも静寂なことばだ。鳩の足Taubenfüssenで歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。

(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」ーー「鳩の足」と「鳩歩む」

このところ「私の恐ろしい女主人meiner furchtbaren Herrin」をめぐっているのだが、デリダが次のように記しているのを見出した。2004年の会議であり、デリダ死の年である。

わたくしはデリダをほとんど読まないが、蚊居肢子と同じ(?)「洞察」に至った先行者がいるのを遺憾ながら認めざるをえない。

◆Le souverain bien – ou l’Europe en mal de souveraineté La conférence de Strasbourg 8 juin 2004 JACQUES DERRIDA

鳩が横ぎる。ツァラトゥストラの第二部のまさに最後で。「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」。

最も静かな時刻は語る。私に語る。私に向けて。それは私自身である。私の時間。私の耳のなかでささやく。それは、私に最も近い plus proche de moi。私自身であるかのようにcomme en moi。私のなかの他者の声のようにcomme la voix de l'autre en moi。他者の私の声のように comme ma voix de l'autre。

そしてその名、この最も静かな時刻の名は、《わたしの恐ろしい女の主人》である。

……今われわれはどこにいるのか? あれは鳩のようではない…とりわけ鳩の足ではない。そうではなく「狼の足で à pas de loup」だ…

デリダのいう《私に最も近い plus proche de moi。私自身であるかのようにcomme en moi》とは、もちろん《自我であるとともに、自我以上のものmoi et plus que moi 》(プルースト『ソドムとゴモラⅠ』「心情の間歇」)あるいは《あなたの中にはなにかあなた以上のもの、〈対象a〉toi plus que toi, qui est cet objet(a) 》(ラカン、S11)と等価である。すなわち外密 extimité である。

親密な外部、この外密 extimitéが「物 das Ding」である。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose (ラカン、S7、03 Février 1960)
私たちのもっとも近くにあるもの le plus prochain が、私たちのまったくの外部 extérieur にある。ここで問題となっていることを示すために「外密 extime」という語を使うべきだろう。(ラカン、セミネール16、12 Mars 1969)
対象a とは外密である。l'objet(a) est extime(ラカン、S16、26 Mars 1969)
外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。それは、異物 corps étranger のようなものである(ミレール、Miller Jacques-Alain, 1985-1986, Extimité)

しかしデリダは《私の耳のなかでささやくmurmure au creux de l'oreille》としているのが惜しまれる。これは蚊居肢散人の「洞察?」に依拠すれば、《内耳 labyrinthe のなかでささやく》としなければならない。内耳=迷宮であり、アリアドネのことである。すなわちアリアドネがささやくのである。

「アリアドネ」とディオニュソスが言った。「おまえが迷宮だ。」Ariadne, sagte Dionysos, du bist ein Labyrinth: (ニーチェ遺稿、1887年)
迷宮の人間は、決して真理を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ Ein labyrinthischer Mensch sucht niemals die Wahrheit, sondern immer nur seine Ariadne –(ニーチェ遺稿、 1882-1883)

デリダがすぐれているのは、鳩の足はじつは狼の足だとしたことであろう。残念ながら蚊居肢子はそこまで簡潔に言い切れていない(参照:人は探すのではなく、ただ耳に聞くのである)。この点にかんしてはマケを認めざるをえない・・・


2017年5月23日火曜日

幻聴というレミニサンス

特殊な幻聴として、過去にいじめたりした人の声が生々しく侵入してくることがある。これは阪神・淡路大震災で有名になったPTSDの一種で、フラッシュバックの聴覚型である。これは数秒しか続かず、そのまま夢にも出てきて、また、出そうと思えば出せるという特徴がある。薬が効きにくいが、睡眠を深くするとよくなる。(中井久夫「症状というもの」1996年『アリアドネからの糸』)

この幻聴は「いじめ」等々とは関係がなしに起こる場合があるはずである。中井久夫の「外傷性記憶」の叙述を追っていくと論理的にそう考え得る。

PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)

レミニサンスには一般に視覚映像が多いらしいが、そうでない聴覚、嗅覚、味覚、触覚、運動覚、振動感覚等々があって当然である。

成人世界に持ち込まれる幼児体験は視覚映像が多く、稀にステロタイプで無害な聴覚映像がまじる。嗅覚、味覚、触覚、運動覚、振動感覚などはほとんどすべて消去されるのであろうか。いやむしろ、漠然とした綜合感覚、特に母親に抱かれた抱擁感に乳の味覚や流れ入る喉頭感覚、乳頭の口唇触覚、抱っこにおける運動感覚、振動感覚などが加わって、バリントのいう調和的渾然体harmonious mix-upの感覚的基礎となって、個々の感覚性を失い、たいていは「快」に属する一つの共通感覚となって、生きる感覚(エロス)となり、思春期を準備するのではなかろうか。(中井久夫「発達的記憶論」2002年初出『徴候・記憶・外傷』)

たとえばロラン・バルトは次のように「におい」を強調している。

プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その木目〔きめ〕という点で実は音響的であるよりもむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や舗石やバルベックのナプキンの話にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻ってくるはずのないもののうちで、私に戻ってくるもの、それは匂いである。(『彼自身によるロラン・バルト』)

中井久夫は幼児型記憶と外傷性フラッシュバックの類似性を強調しているが、三歳以前の幼児型記憶だけではなく、《「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」》とすれば、三歳以後の記憶でも、レミニサンスとしての回帰はあるはずである。

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)

中井久夫は、プルーストのレミニサンスは、《フラッシュバックほどには強制的硬直的で頑固に不動でなく》としている。

敢えて私自身の言葉を用いれば、マドレーヌや石段の窪みは「メタ記憶の総体としての〈メタ私〉」から特定の記憶を瞬時に呼び出し意識に現前させる一種の「索引 ‐鍵 indice-clef 」である(拙論「世界における徴候と索引」一九九〇年、『徴候・記憶・外傷』みすず書房、二〇〇四年版所収)。もちろん、記憶の総体が一挙に意識に現前しようとすれば、われわれは潰滅する。プルーストは自らが翻訳した『胡麻と百合』の注釈において、「胡麻」という言葉の含みを「扉を開く読書、アリババの呪文、魔法の種」と解説したといっているが( …)、この言葉は、読書内容をも含めて一般に記憶の索引 ‐鍵をよく言い表している。フラッシュバックほどには強制的硬直的で頑固に不動でなく、通常の記憶ほどにはイマージュにも言語にも依存しない「鍵 ‐ことば‐ イマージュ mot- image-clef」は、呪文、魔法、鍵言葉となって、一見些細な感覚が一挙に全体を開示する。( …)それは痛みはあっても、ある高揚感を伴っている。敢えていえば、解離スペクトルの中位に位置する「心の間歇」は、解離のうち、もっとも生のさわやかな味わい saveurをももたらしうるものである。(中井久夫「吉田城先生の『「『失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)

だが他方で、次のようにも書いている。

おそらく、心の傷にもさまざまなあり方があるのだろう。細かな無数の傷がすりガラスのようになっている場合もあるだろうし、目にみえないほどの傷が生涯うずくことがあり、それがその人の生の決定因子となることもあるだろう。たとえば、おやすみなさいのキスを母親に忘れられて父母が外出をする気配を感受する子どもの傷である。(中井久夫「吉田城先生の『「『失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)
私には、『失われた時を求めて』の話者の記憶は、抑圧を解除されたフロイト的記憶よりも外傷的なジャネの記憶の色を帯びているように思える。プルーストの心の傷の中には、母親に暴言を吐き、ひょっとすると暴力を振るってしまったことによる傷があっても不思議ではないと私は思う(『ジャン・サントゥイユ』あるいはペインターの『プルースト伝』参照)。私は初めて『失われた時を求めて』を読んだ時、作家は家庭内暴力を経ている人ではないかと思った)。もっとも、『失われた時を求めて』は贖罪の書では決してない。むしろ、世界を論理的に言葉で解析しつくそうとするドノヴァンとマッキンタイアのいう子どもの努力のほうに近いだろう。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」初出2007年『日時計の影』所収)

プルーストのレミニサンスにも種類があるのである(レミニサンスではなく、より大きく無意志的記憶といったほうがいいかもしれがいが、プルーストは編集者ルネ・ブルム宛 1913年の書簡でほぼ同じ意味で使っている)。

中井久夫は2000年の論文では、心情の間歇の章にあらわれる記憶の回帰は遅発性の外傷性障害にかかわるとしている。

遅発性の外傷性障害がある。震災後五年(執筆当時)の現在、それに続く不況の深刻化によって生活保護を申請する人が震災以来初めて外傷性障害を告白する事例が出ている。これは、我慢による見かけ上の遅発性であるが、真の遅発性もある。それは「異常悲哀反応」としてドイツの精神医学には第二次世界大戦直後に重視された(……)。これはプルーストの小説『失われた時を求めて』の、母をモデルとした祖母の死後一年の急速な悲哀発作にすでに記述されている。ドイツの研究者は、遅く始まるほど重症で遷延しやすいことを指摘しており、これは私の臨床経験に一致する。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・外傷・記憶』)

ここでラカンは次のように言っていることを付け加えておこう。

私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンスréminiscenceと呼ぶものに思いを馳せることによって。…レミニサンス réminiscence は想起 remémoration とは異なる。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)

ようするにレミニサンスとは象徴界の症状ではなく、現実界の症状である。ファルス秩序(象徴秩序)に囚われ切った神経症圏の人々には起こりづらいのかもしれない。

このように見て来ると、ニーチェの 最も静かな時刻における「女主人」の声はーーこののところこの「女主人」に拘っているのだがーー、フィクションでない、というふうに捉えることも十二分に「可能」である。

クロソウスキーは次のように言っている。

・ニーチェは疑いなく信じた、永遠回帰の思想を抱いて以来、己れが狂気に陥ったと Nietzsche croit sans doute, depuis qu'il a cette pensée, qu'il est devenu fou 

・ニーチェにおいて「神の死」は、「永遠回帰 Éternel Retour」のエクスタシー的刻限と同様に、(散乱する諸アイデンティティの)「魂の調子 Stimmung」への応答である。(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』)

《神の死 mort de Dieu》の思想、「責任ある自我のアイデンティティを保証するものとしての神 du Dieu garant de l'identité du moi responsable」、その神を否定するということは、ファルス秩序から分離し、精神病的になるということでもある(参照)。

最後に、いままで断片的に引用してきた「女主人」の箇所をいくらか長く引用しておこう。

何事がわたしに起こったのか。だれがわたしに命令するのか。--ああ、わたしの女主人Herrinが怒って、それをわたしに要求するのだ。彼女がわたしに言ったのだ。彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるのだろうか。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人meiner furchtbaren Herrinの名だ。

………そのとき、声なき声 ohne Stimme がわたしに語った

声なき声が私に語った。「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ: 」--

このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。しかしわたしは黙ったままだった。

「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはそれを語らない」--

………「嵐をもたらすものは、もっとも静寂なことばだ。鳩の足Taubenfüssenで歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。

おお、ツァラトゥストラよ、おまえは、来らざるをえない者の影として歩まねばならぬ。」

…………「わたしは欲しない」

と、わたしのまわりに笑い声が起こった。ああ、なんとその笑い声がわたしのはらわたをかきむしり、わたしの心臓をずたずたにしたことだろう。(ニーチェ「最も静かな時刻」『ツァラトゥストラ』)

《特殊な幻聴として、過去にいじめたりした人の声が生々しく侵入してくることがある》と冒頭の中井文にあったが、いじめた人の声ではなくても、笑い声の幻聴というのは、ひどくこたえるものであろう・・・場合によっては「メドゥーサの首 Kopf der Medusa」の声なき声のような・・・

私はその驚きのことをときどき人に話してみたが、しかし誰も驚いてはくれず、理解してさえくれないように思われたので、私自身も忘れてしまった(人生は、このように、小さな孤独の数々から成り立っている)。(ロラン・バルト『明るい部屋』)






2017年5月21日日曜日

アリアドネから渡されてしまった糸

1995年1月17日は彼の37歳の誕生日である。この彼が誰であるかの憶測は一切お断りする。

一九九五年一月十六日は私の六十一歳の誕生日である。「ナルシス断章」は四十数年前、私が結核休学中に幼い翻訳を試みたヴァレリー最初の詩篇であった。私は再びこの詩に取り組んでいた。「今さらナルシスでもあるまい」と自嘲しながら四十数年前の踏みならし道をわりとすらすら通っていった。冒頭の一行が難所である。「いかにきみの輝くことよ。私の走る、その究極の終点よ」というほどの意味で、泉への呼びかけであるが、四〇年以上これ以上の訳を思いつかなかったと、「訳詩のミューズ」という目立たないミューズに謝って、えいやっと「水光る。わが疾走はついにここに終わる」とした。最後の一行を訳しおえて、睡眠薬の力を借りて眠った三時間後に地震がやってきた。(中井久夫「ヴァレリーと私」書き下ろし『日時計の影』所収、2008年)

彼の人生の最低点は37歳のときである。彼は中井久夫に1日遅れ、ニーチェに1年遅れととったことを悔やんでも悔やみきれないままでいる。

36歳のとき、わたしは、わたしの活力の最低点に落ちこんだーーまだ生きてはいたものの、三歩先を見ることもできなかった。当時――1879年のことだったーーわたしは、バーゼルの教授職を退いて、夏中まるで影のようにサン・モーリッツで過ごした。が、それにつづく、わたしの生涯でもっとも日光の希薄であった冬には、ナウムブルクで影そのものとして生きた。これがわたしの最低の位置だった。『さすらい人とその影』が、その間に生まれた。疑いもなく、わたしは当時、影とは何かをよく知っていたのである……(ニーチェ『この人を見よ』)

…………

1995年1月17日午前5時46分から

最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという。(……)私も眠っていた。私には長いインフルエンザから回復した日であった。前日は私の六一歳の誕生日であり、たまたまあるフランスの詩人の詩集を全訳して、私なりに長年の課題を果たした日でもあった。……

最初は覚醒前に「真っ白な夢」を見た。乳白色のスクリーンであって、これは精神分析においてもっとも退行した夢とみなされるものであるが、視覚的イメージのない悪夢の前駆であった。(……)地震の数日後から、妻が、覚醒前にうなされて大声をあげるのに気づいている。

私自身が、おそらく震後十日ごろから、悪夢を自覚するようになった。それは、透明な悪夢とでもいうべきもので、まったく内容がなく、ねじられ、よじられ、翻弄される体感感覚より成る悪夢だって、なかなか覚醒せず、私は非常に苦しんで、ようやく目ざめると時計は五時を少し回っていることが多かった。(……)

昼間の私は涙もろくなった、私の大学の学生が下宿で被災に、迫る火の中を攻めあぐむ救助隊に向かって「もういい、逃げてくれ、ありがとう」と言って死んでいったのを聞いた時には不覚にも泣いた。いっぽう、ふだんより声のオクターヴが高く、早口になっているのを感じた。しかし、躁状態といわれるのは何か不本意であった。むしろ、否定型精神病の興奮に近いと私は感じた。(……)

二月十一日(震後二五日、土)ハロペリドール二ミリ、エチゾラム四ミリえようやくはじめて五時間の深い眠りを得た。

このころ、一夜、石垣の上に多くの群衆に押しつぶされる夢をみた。しかし、ふわりとして、しかもしっかりした肉塊が私を圧死から護ってくれていた。もっとも、非常に苦しかった。

以後、夢は激流にもまれる透明な稚魚になった。私は稚魚であるが、どの一尾というのでもない。しかし、上に銀色に光る水面の天井から出られなくて苦しんだ。全体は依然透明であるが、かすかにピンクの混じる水色になった。(中井久夫「災害がほんとうに襲った時」『1995年1月・神戸』所収、1995年2月)

驚くべき文章である。この「災害がほんとうに襲った時」の最後にはこう書かれている。

私には、まだ不眠が続いており、昨夜はセパゾン四ミリによって一二時に就寝したが、早くも一時に醒めて以来ワープロを打ちつづけ、六時半から八時までベッドに横になっていた。しかし、これを書きおえることによって、私に好ましい変化が起こることを期待している。この書の完成は、たまたま神戸という災害の地にいあわせた私の義務と感じてきたからである。悪夢は再発しないままである。

《これを書きおえることによって、私に好ましい変化が起こることを期待している》--人はこの文章を次の文とともに読まなければならない。

言語化への努力はつねに存在する。それは「世界の言語化」によって世界を減圧し、貧困化し、論弁化して秩序だてることができるからである。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収 )

…………

アリアドネはご存じギリシャ神話の迷宮の王ミノスの娘で、迷宮の奥に怪物をさぐろうとするテセウスに、帰りの道に迷わないようにと糸を渡す。私がわざわざ「アリアドネからの糸」としたのは、その能力がないのに、準備不足なのに、糸を渡されてしまったという感覚をこめてのことである。あるいは、アリアドネからの糸をうかうかつかんでしまったといおうか。むしろアリアドネからの誘惑に私の中の何かがひそかに応じてしまったと告白すべきか。(中井久夫『アリアドネからの糸』「あとがき」1996年)

もはや明らかであろう、中井久夫にとってのアリアドネからの糸で何であるかは。《この第三エッセイ集がカヴァーする期間、すなわち1995年1月の阪神・淡路大震災から1996年10月の「こころのケアセンター」グループの第二次ロサンゼルス調査の責任者となるまでの2年足らずは、たしかに、私にとっての未知の、手なれていない、得手でない問題を何とか解こうとすることが多かった。》

巷間のほとんどの中井久夫論がひどく核心を外してしまっているのは、「分裂病」研究者としての中井久夫をいまだ強調し過ぎているからである。61歳以降の「トラウマ」の中井久夫が語られることがあまりにも少ない。フロイトがタナトス概念を公表したのは、64歳のときである。「タナトス」なしのフロイト、「快原理の彼岸」なしのフロイトなどどうしてありえよう? そして「トラウマ」なしの中井久夫などどうしてありえよう?

これらは、震災後、私が心身とともに‟復員”していなかった時期の作品である。作家の戦時中の作品に戦争と直接関係がないようにみえても「マルスの相のもとに書かれた」‟戦時下の作品らしさ”があるように、これらの長短さまざまのエッセイも、どこか震災の相をとどめているだろう。一種の冒険としての危うさがあり、学者の世界からは領域侵犯といわれるかもしれない。しかし、いっぽう、ほとんどすべては向こうからやってきた課題でもある。すなわち、この冒険には表に出ていない依頼者あるいは誘惑者がある。双方の接点に成りたったのが、これらのエッセイである。(『アリアドネからの糸』「あとがき」)

アリアドネからの糸とは、被災体験やPTSD患者の治療経験から来る糸だけではけっしてない。もっと大きく、外傷性記憶という迷宮からの糸である。それを端的に示しているのが、フラッシュバック的記憶(幼児型記憶)をめぐる「記憶について」(1996年)である(参照)。

そしてそのトラウマの穴・深淵を覗きこむことにより、自らのトラウマにも強く思いを致し、あるいはトラウマ治療において憔悴した。《おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。》(ニーチェ『善悪の彼岸』146節)

ここで深い井戸の底からの糸による憔悴を憶測させる2006年のエッセイ(『日時計の影』所収)から、引用しよう。

共感は、治療者にも基本的信頼の動揺と時間の停滞をもたらす。これは治療者の職場のあり方だけでなく、人によって程度はまちまちだが、全生活に深い影響を及ぼす。私はこれを破壊的にならない程度にとどめようとすれば、距離をおいて見守る姿勢になってしまう。……(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)
最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)

あるいは 2000年の論にはこうある。

外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。

しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。素質による程度の差はあるかもしれないが、どのような人でも、残虐ないじめや拷問、反復する性虐待を受ければ外傷的記憶が生じる。また、外傷を受けつづけた人、外傷性記憶を長く持ちつづけた人の後遺症は、心が痩せ(貧困化)ひずみ(歪曲)いじけ(萎縮)ることである。これをほどくことが治療戦略の最終目標である。 (中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年『徴候・記憶・外傷』所収)

中井久夫は被災体験・外傷患者治療において、原トラウマと言わずにも、みずからの外傷性記憶にあきらかに襲われている。

阪神・淡路大震災は私の中の何かを変えた。地面が揺れたごときで何が変わるかと自分に言いきかせたのは今から思えば笑止であった。

まず、私は沈黙している患者の側に何時間でもいるという精神科医にとって不可欠な能力をまだ回復していない。三十年以上続けられていたこのことができなくなった。私は一九九七年春に病院を定年で退くからおそらく回復の機会はないだろう。これは高揚状態というか躁状態で地震に続く事態に対応した後遺症ではないかと思う。

いっぽう、私は患者のこころの傷に敏感となった。幼年時代の虐待や学校でのいじめを受けた過去が現在に働いているのを察知するのに敏速になった。過去の過酷な体験のフラッシュバックに今も苛まれている患者がいかに多いか。(中井久夫「私の「今」」1996年8月初出『アリアドネからの糸』所収)

わたくしは上の文を(まずは)次の文とともに読む。

笑われるかもしれないが、大戦中、飢餓と教師や上級生の私刑の苦痛のあまり、さきのほうの生命が縮んでもいいから今日一日、あるいはこの場を生かし通したまえと、“神”に祈ったことが一度や二度ではなかったからである。最大限度を、“神”に甘えて四十歳代にしてもらった。この“秘密”をはじめて人に打ち明けたのは五十歳の誕生日を過ぎてからである。(中井久夫「知命の年に」初出1984年『記憶の肖像』所収) 

…………

たとえば『アリアドネからの糸』に所収されているヴァレリー論は、一見トラウマと関係がないようにみえる。だが《作家の戦時中の作品に戦争と直接関係がないようにみえても「マルスの相のもとに書かれた」‟戦時下の作品らしさ”がある》。

詩人は、1920年以来の才女カトリーヌ・ボッジとの出会いによって、「1892年に切り捨てたもの(エロス)が彼女の唇によって落雷のように彼を襲う」のを感じ、1929年の最終的な別れまで間歇的に熱烈であって常に不安定な関係を続ける。その期間は「セミラミス」が『旧詩帖』と『魅惑』との双方に入られている期間に対応する。ボッジは詩人に対する知的および感情的な支配者、情け知らず、科学実験と哲学体系制作に没入する「空中庭園」作者であって、まことにセミラミスのごとき人である。ひょっとすると、彼を雷撃のように震撼させたのは単なる男女の愛ではなくて、彼女が過去の「セミラミス」幻想の現実化、すなわち、幻想が肉体をまとって現れたのが彼女だったからかもしれない。「セミラテス」が『魅惑』から最終的に追放されるのが、ボッジとの最終的な精神的訣別と同じ1929年なのは偶然でなかろう。(中井久夫「脳髄の中の空中庭園」1996年4月「ユリイカ」)

このエッセイはヴァレリーの「私の恐ろしい女主人」(ニーチェ)をめぐって書かれているれている。

いとしい光の糸、ああ、曙の初の光がさしそめてこのかた……肉体が張っているあの何よりも強くしなやかな横糸を超えて向こう側にお出になり、むなしいほどの無力な努力を重ねてついに無限を汲みつくし……(ヴァレリー「セミラミスのアリア」中井久夫訳)

誤解のないように付け加えておくが、カトリーヌ・ボッジが女主人であるわけではない。語られるトラウマは二次受傷であり、その底に原トラウマとしての「女主人」がいる。あるいは原母が。

フロイトの新たな洞察を要約する鍵となる三つの概念、「原抑圧 Urverdrängung」「原幻想 Urphantasien(原光景 Urszene)」「原父 Urvater」。

だがこの系列(セリー)は不完全であり、その遺漏は彼に袋小路をもたらした。この系列は、二つの用語を補うことにより完成する。「原去勢 Urkastration」と「原母 Urmutter」である。(ポール・バーハウ1999, Paul Verhaeghe, Does the Woman exist?ーー原母・女主人・母なる超自我

だがより具体的に「女主人」や「原母」とは何か。ひとつの鍵としては「母語」にかかわる、と私は思う。

言語発達は、胎児期に母語の拍子、音調、間合いを学び取ることにはじまり、胎児期に学び取ったものを生後一年の間に喃語によって学習することによって発声関連筋肉および粘膜感覚を母語の音素と関連づける。要するに、満一歳までにおおよその音素の習得は終わっており、単語の記憶も始まっている。単語の記憶というものがf記憶的(フラシュバック記憶的)なのであろう。そして一歳以後に言語使用が始まる。しかし、言語と記憶映像の結び付きは成人型ではない。(中井久夫「記憶について」)
私のいう「深部構造」とはチョムスキーの概念とはちょっと違っている。文法の深部構造だけが問題ではない。音調、抑揚、音の質、さらには音と音との相互作用たとえば語呂合わせ、韻、頭韻、音のひびきあいなどという言語の肉体的部分、意味の外周的部分(伴示)や歴史、その意味的連想、音と意味との交響、それらと関連して唇と口腔粘膜の微妙な触覚や、口輪筋から舌筋を経て舌下筋、喉頭筋、声帯に至る発生筋群の運動感覚( palatabilityとはpalate 口蓋の絶妙な感覚を与えるものであって私はこの言葉を詩のオイシサを指すのに使っている)、音や文字の色感覚を初めとする共感覚がある。さらに非常に重要なものとして、喚起されるリズムとイメジャリーとその尽きせぬ相互作用がある。 (中井久夫「訳詩の生理学」『アリアドネからの糸』所収)
人間は胎内で母からその言語のリズムを体に刻みつけ、その上に一歳までの間に喃語を呟きながらその言語の音素とその組み合わせの刻印を受け取り、その言語の単語によって世界を分節化し、最後のおおよそ二歳半から三歳にかけての「言語爆発」によって一挙に「成人文法性 adult grammaticality」を獲得する。これが言語発達の初期に起こることである。これは成人になってからでは絶対に習得して身につけることができない能力であると決っているわけではないけれども、なまなかの語学の専門家養成過程ぐらいで身につくものではないからである。

それを疑う人は、あなたが男性ならば女性性器を指す語をあなたの方言でそっと呟いてみられよ。周囲に聴く者がいなくても、あなたの体はよじれて身も世もあらぬ思いをされるであろう。ところが、三文字に身をよじる関西人も関東の四文字語ならまあ冷静に口にすることができる。英語、フランス語ならばなおさらである。これは母語が肉体化しているということだ。

いかに原文に通じている人も、全身を戦慄させるほどにはその言語によって総身が「濡れて」いると私は思わない。よい訳とは単なる注釈の一つの形ではない。母語による戦慄をあなたの中に蘇えらせるものである。「かけがえのない価値」とはそういうことである。(同「訳詩の生理学」)

中井久夫のいう「母語」や「喃語 lalation」とは 、ラカンの「ララング lalangue」概念に近似している(参照:愛の享楽回帰(リトルネロ))。

真のトラウマの核は、誘惑でも、去勢の脅威でも、性交の目撃でもない。…エディプスや去勢ではないのだ。真のトラウマの核は、言葉 la langue(≒ララング)との関係にある。(ミレール、1998 "Joyce le symptôme" )

中井久夫の母語あるいは喃語をめぐる思考は、実は被災体験以前から始まっている。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。(中井久夫「「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底」1994年初出『家族の深淵』)

阪神大震災被災をへてこの思考が活性化したと言ってよい。

ーーさらに言えば、『徴候・記憶・ 外傷』(2004年)に初出ヘルメス1990年を隔てて14年後にようやく所収されている二つの論、「世界における索引と徴候」、「「世界における索引と徴候」について」がこの思考の始まりとして決定的だとわたくしは思うが、今はそれに触れない。

中井久夫は《人間は胎内で母からその言語のリズムを体に刻みつけ》あるいは《母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる》ことを強調している。これは、わたくしの知る限り、現代ラカン派のなかでさえそう語っている人はいない。だが、母語に囚われるのが母胎内からであるのは、言われてみれば当然である。

いずれにせよ「わたしの最も静かな時刻 meinestillsteStunde」には、《くらがりにうごめく幼虫》(プルースト)のようなララングの声ーー「リトルネロとしてのララング」ーー、あるいはニーチェの女主人の「声なき声」がきこえてくる場合があるはずである。《…そのとき、声なき声がわたしに語った Dann sprach es ohne Stimme zu mir「おまえはそれを知っているではないか Du weisst es」》ーー《このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。》(ツァラトゥストラ)ーーいやこの経験が一度もない人は幸せ者である・・・
ラカンは後年、眼差しと声を対象aの主要な化身として分離した。しかし彼の初期理論は眼差しが疑いようもなく特権化されている。だが声はある意味ではるかに際立ち根源的である。というのは声は生命の最初の顕現ではないだろうか?自身の声を聴き、人の声を認知する経験、これは鏡像における認知に先行するのではないか?そして母の声は最初の〈他者〉との問題をはらむつながりではないか?臍の尾に取って換わる非物質的な絆であり、最初期の生のステージの運命の多くを形作るものではないか?(ムラデン・ドラー  『Gaze and Voice as Love Objects』私訳)

これをめぐっては中井久夫の「詩の基底にあるもの」があまりにも優れている。それは「話す身体と分裂病的享楽」に詳細引用してある。

ここでもうひとつのエッセイから断片を引用しておこう。

母子の時間の底には無時間的なものがある。母の背に負われ、あるいは懐に抱かれたならば、時間はもはや問題ではなくなる。父子にはそれはない。父親と過ごす時間には過ぎゆくものの影がある。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」2003年初出『時のしずく』所収)

このエッセイには、胎内にいるときからの《母子関係の物質的コミュニケーション》の可能性、《味覚、嗅覚、触覚、圧覚などの世界の交歓》、あるいは《母の心音が乱れると、胎児の心音も乱れるのは知られているとおり》ともある。聴覚が、エロスの原型のひとつなのである。

私は、性の世界を胎内への憧れとは単純に思わない。しかし、老年とともに必ず訪れる、性の世界への訣別と、死の世界に抱かれることへのひそかな許容とは、胎内の記憶とどこかで関連しているのかもしれない(中井久夫「母子の時間、父子の時間」)

…………

最後に、中井久夫が「思い出すままにほとんどすべてを列挙する」として記述される幼児型記憶を掲げる。

(1)「誰かの背に背負われて、青空を背景に、白い花を見上げている」

これはそういう写真がないし、話題になったこともない。もっとも、「誰か」は祖父であるがこれは後の推定である。白い花は「アカシア」であると知っていて、それは聖心女学院小林分校への道のアカシア(正確にはニセアカシア)の並木道であるが、いずれも映像ではなく後から加わった命題記憶である。私は六〇年後に行ってみた。わずかに一〇メートルほどのあいだ、ニセアカシアの老木が残っていた。

(2)「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」

イチジクは映像の中にはない。裏庭にイチジクの木が何本も生えていたのは言語(命題)記録である。

(3)「ハコベの生えているところで太陽に向かって祖父と深呼吸をしている。祖父が「新鮮な空気を吸う」と言い、私が真似をしている」

記憶には、裏庭にはハコベが生えていたという映像がある。他にいろいろのものがつけ加わっているが、それらは命題記憶だけで、映像を欠いている。

(4)「窓から田んぼをへだてて向こうを走る自動車を眺めて数えている」

これは武庫川の堤であるというのは、消去法によって生まれた結論であると思われる。「田んぼ」には視覚的に初めから焦点が合っておらず、したがって季節は不明である。

(5)「応接セットがあってカンバスで覆われたまま、二つ横並びにしてある。そのあいだのひじかけにオモチャの機関銃を据えて撃つマネをしている。「わあ、かなわん。降参」と母方の祖父が言っている」

声ははっきりしない。応接セットであるというのも命題記憶である。並んだ椅子の肘かけだけが視覚映像である。機関銃を祖父からおみやげに貰ったというのも、命題記憶であろうと思われる。

(6)「ベランダのようなところから川の流れをみている。向こうに民家、その向こうに山」

これは宝塚遊園地の建物(大劇場か)にあった武庫川に臨む「納涼台」という屋外で軽食を食べさせるところから武庫川を眺めているのであろう。この時かどうか、ここの(と思おう)「キツネウドン」の味を覚えている。

(7)「人間が細く映る鏡や太って映る鏡に自分を映している」

これも宝塚の建物の中であると推定できる。

(8)「天井に鈴蘭灯が揺れている。天井は白い。鈴蘭灯はくもりガラスで、縁は金色」

これは阪急電車の車内に立っていて、大人の乗客のあいだから見上げた天井であろう。「阪急電車」というのは消去法である。

(9)「雑然とした茶褐色の家並みの間の道でおばさんが「ぼっちゃん、じろーじゃ」と言っている。私は「ちがう、じどうしゃ」と言い返す」

これは、命題記憶によって、母親の郷里の村のメインロードであり、おばさんが「森本さん」という人だと知っているが、映像の中には手掛かりはない、こういって私をからかって笑っている場面であることは確かである。

(10)「どこかの階段。木がまだ新しい。陽が照っている」

これは時も場所も状況も全然見当がつかない(この背後には大きな家族問題が隠れているかもしれない)。そういう記憶映像がいくつかある。朝日新聞が東京-ロンドン間を飛行させた「神風号」のニュース映画を観に行ったはずなのに、覚えているのはパラシュート降下する人の映像で「神風号は落ちたはずはないのに」と思ったとか。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)

これが中井久夫の幼児型記憶(外傷性記憶)である。

PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)
外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収ーー侵入・刻印・異物

わたくしの偏った読みーー人によれば「妄想的」と呼ぶ方々もいるだろうーーでの核心は二番目の「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」である。行ったり来たりするイチジクである。




迷宮の人間は、決して真理を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ Ein labyrinthischer Mensch sucht niemals die Wahrheit, sondern immer nur seine Ariadne –(ニーチェ断章、 1882-1883、KSA 10ーー「正午、「一」は「二」となる」)

原トラウマとは、大文字の母 (m)Other に受動的ポジションに置かれることにかかわる。ラカンがフロイトの遺言と呼んだ『終りある分析と終りなき分析』(1937年)に出現する「受動的立場 passive Einstellung」に置かれることである。すくなくともわたくしはそう考えている。

フロイトには《経験された無力の(寄る辺なき Hilflosigkeit)状況を外傷的状況と呼ぶ》《母を見失うという外傷的状況 Die traumatische Situation des Vermissens der Mutter》( フロイト『制止、症状、不安』1926年 )という表現があるとともに《誘惑者 Verführerin はいつも母である》(『新精神分析入門』1933年)、《母は、子どもにとっての最初の「誘惑者」になる》(『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)という表現がある。

行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ?(ラカン、セミネール5、15 Janvier 1958)
(最初期の母子関係において)、母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?…母は崩落するdéchoit……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能(の母) omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、セミネール4、12 Décembre 1956)

これは母なる《オルギア(距離のない狂宴)》(中井久夫)の状況でもある。《母の法 la loi de la mère…それは制御不能の法 loi incontrôlée…分節化された勝手気ままcaprice articuléである》(Lacan.S5、22 Janvier 1958)。母は両義的存在なのである。最初の愛の対象への両義性は、われわれに生涯影響を与える。ゆえに《われわれは他者を憎むことを愛する。あるいは他者を愛するを憎む》(ポール・バーハウ、2005、Sexuality in the Formation of the Subject)

…………

現代フロイト・ラカン派のなかで、突出したトラウマ研究者ポール・バーハウの見解は、 「原母・女主人・母なる超自我」にいくらか示した。そして中井久夫もバーハウも、いまではほとんど忘れられてしまっているフロイトの「現勢神経症」概念に注目していることを注記しておこう。
現勢神経症 Aktualneurose の症状は、しばしば、精神神経症 psychoneurose の症状の核であり、そして最初の段階である。(フロイト『精神分析入門』1916-1917)

※詳細は、ホロコースト生存者の子供たちのPTSD)を見よ。

ニーチェや中井久夫、すなわち最も静かな刻限における「私の恐ろしい女主人meiner furchtbaren Herrin 」との遭遇を経験したものが問いをめぐらす核心のひとつは、イチジクの実である。あるいはフロイトが「夢の臍 Nabel des Traums」「菌糸体 mycelium」「真珠貝の核の砂粒 das Sandkorn im Zentrum der Perle」「欲動の根 Triebwurzel」「我々の存在の核 Kern unseres Wesen」等々 と呼んだものである。

ラカン用語なら、「サントーム sinthome」--つまり原症状 Ursymptom(還元不能の症状 Il n'y a aucune réduction radicale)ーー、あるいは「身体の出来事 un événement de corps」「一のようなものがある Y'a d'l'Un」等々と呼んだものであり、これらはすべて「原トラウマ Urtrauma」にかかわる語彙群である。別にS(Ⱥ)、あるいは Lⱥ femme とも書かれる。S(Ⱥ)とは、Ⱥ(トラウマ)のシニフィアンということである。トラウマとは別に穴ウマとも呼ばれる。

我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋めるために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を作る。

nous savons tous parce que tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. Là où il n'y a pas de rapport sexuel, ça fait « troumatisme ». (ラカン、S21、19 Février 1974 )

S(Ⱥ)、あるいは Lⱥ femme は「原穴の名」と呼ばれるものでもある。

〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)

実は《誰もがトラウマ化されている tout le monde est traumatisé》(ミレール、2013-2014セミネール )のである。

聖書でイエスがイチジクを呪ったことになっているのは、何の真意であったかは、よく知られている・・・そもそも究極の迷宮がなんであるかは、誰もが(無意識的であれ)知っているはずである・・・

女性器 weibliche Genitale という不気味なもの Unheimliche は、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。したがって不気味なもの Unheimliche とはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの Heimische、昔なじみのものなの Altvertraute である。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴 un は抑圧の徴 Marke der Verdrängung である。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)
誕生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、すなわち睡眠欲動が生じたと主張することは正当であろう。睡眠は、このような母胎内への回帰である。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)



ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女性のある形態の光景、彼女のヴェールが落ちて、唯一ブラックホール trou noir のみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。(ラカン, « Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir »,Écrits, 1966)

いずれにせよ《精神分析は入り口に「女性というものを探し求めないものはここに入るべからず」と掲げる必要はありません。というのも、そこに入ったら幾何学者でもそれを探しもとめるのです。》(ミレール「もう一人のラカン」)

そして誤解のないようにつけ加えておくが、《「他の性 Autre sexs」は、両性にとって女性の性である。「女性の性」とは、男たちにとっても女たちにとっても「他の性 Autre sexs」である》(ミレール、Jacques-Alain Miller、The Axiom of the Fantasm)。

ルー・アンドレアス・サロメというアリアドネの化身を愛した二人の詩人は、ともにイチジクを歌っている。もっともすべての女にアリアドネの影は落ちているのであるが。

いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北風だ。

このようにいちじくの実に似て、これらの教えは君たちに落ちかかる。さあ、その果汁と甘い果肉をすするがいい。時は秋だ、澄んだ空、そして午後――(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)
いちじくの樹よ、すでに久しい以前からおんみはわたしに意味深いのだ、
いかにおんみは花期をほとんど飛び越えて、
遅疑することなく決意した果実のなかへ、
世の声高い賞讃もうけず、おんみの清純な秘密を凝集することか。
噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』)





2017年5月20日土曜日

人は探すのではなく、ただ耳に聞くのである

ニーチェによって獲得された自己省察(内観 Introspektion)の度合いは、いまだかつて誰によっても獲得されていない。今後もおそらく誰にも再び到達され得ないだろう。

Eine solche Introspektion wie bei Nietzsche wurde bei keinem Menschen vorher erreicht und dürfte wahrscheinlich auch nicht mehr erreicht werden." (フロイト、於ウィーン精神分析協会会議 1908年 Wiener Psychoanalytischen Vereinigung)

1908年に、ニーチェの妹エリザベートによって、『この人を見よ Ecce homo』が 出版された。すなわちそれを読んでのフロイトの感想である。

フロイトは後年次のように言っている。

ニーチェについていえば、彼の予見と洞察とは、精神分析が骨を折って得た成果と驚くほどよく合致する人であるが、いわばそれだからこそ、それまで,長い間避けていたのだった。(フロイト『自己を語る』1925)

…………

ところで、今でも代表的なニーチェ論として名高い『ニーチェと悪循環』の核心のひとつは次の文である。

《神の死 mort de Dieu》ーー「責任ある自我のアイデンティティを保証するものとしての神 du Dieu garant de l'identité du moi responsable」--その神の死は、…あらゆる可能な諸アイデンティティへと魂を切り開く。…ニーチェにおいて「神の死」は、「永遠回帰 Éternel Retour」のエクスタシー的刻限と同様に、(散乱する諸アイデンティティの)「魂の調子 Stimmung」への応答である。(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年)

「責任ある自我のアイデンティティを保証するものとしての神」、その神の死とは、ラカンの「大他者の大他者はない」と等価である。

そして神が死んだら女が現われる。

大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre、それを徴示するのがS(Ⱥ) である…« Lⱥ femme »は S(Ⱥ) と関係がある。(ラカン、S20, 13 Mars 1973)

このS(Ⱥ) あるいは Lⱥ femme が、ニーチェの「私の恐ろしい女主人」である。

何事がわたしに起こったのか。だれがわたしに命令するのか。--ああ、わたしの女主人Herrinが怒って、それをわたしに要求するのだ。彼女がわたしに言ったのだ。彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるのだろうか。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrin の名だ。

……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)

断定的に記しているが、すくなくともわたくしの理解するラカン理論ではそうなる、という意味であり、蚊居肢散人の頭の具合がおかしい可能性を人は疑わねばならない。

「大他者の(ひとつの)大他者はある il y ait un Autre de l'Autre」という人間のすべての必要(必然)性。人はそれを一般的に〈神〉と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に〈女 〉« La femme » だということである。 La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ».(S23、16 Mars 1976)

…………

ところでクロソウスキーはこうも言っている、《ニーチェは疑いなく信じた、永遠回帰の思想を抱いて以来、己れが狂気に陥ったと Nietzsche croit sans doute, depuis qu'il a cette pensée, qu'il est devenu fou》

人は、「責任ある自我のアイデンティティを保証するものとしての神 du Dieu garant de l'identité du moi responsable」を否定したら、精神病的になるのである。

これをラカン派では「主体の解任」、あるいは「幻想の横断」と呼ぶ。

〈他者〉の非一貫性の発見は、分析の帰結であり、反映的効果 mirror effect をもたらす。〈他者〉が非一貫的なら、同じことが主体にも当てはまる。したがって、〈他者〉も主体も、そのポジションから転げ落ちる。

これが、ラカンが「幻想の横断」と呼んだものである。ラカンの幻想の式 $◇a を適用すれば、この横断の意味は、主体は菱形紋◇を横切り、失われた対象a に同一化すること、すなわち主体自身の出現 advent の原因に同一化することである。

このようにして、主体は「主体の解任」に到る。すなわち、〈他者〉の不在と主体としての己れ自身の不在を想到するようになる。(バーハウ1998、Paul Verhaeghe、Causation and Destitution of a Pre-ontological Non-entity: 1998)

※参照:主体の解任 destitution subjective/幻想の横断 traversée du fantasme/徹底操作 durcharbeiten

上のバーハウの文にある〈他者〉とは「知を想定された主体 le sujet supposé savoir」と呼ばれるものであり、これは神のことである。《C’est au niveau de ce plus vaste sujet, le sujet supposé savoir…supposé savoir jusqu’à lui…à savoir Dieu. 》(S11,  03 Juin 1964)

つまり主体の解任とは神の死のことである。

そして「主体の解任」において、精神病的な象徴界の非機能化が起こる(参照)。したがって主体の解任が、分析の終りではない。

分析の道筋を構成するものは何か? 症状との同一化ではなかろうか、もっとも症状とのある種の距離を可能なかぎり保証しつつである。症状の扱い方・世話の仕方・操作の仕方を知ること…症状との折り合いのつけ方を知ること、それが分析の終りである。

En quoi consiste ce repérage qu'est l'analyse? Est-ce que ce serait, ou non, s'identifier, tout en prenant ses garanties d'une espèce de distance, à son symptôme? savoir faire avec, savoir le débrouiller, le manipuler ... savoir y faire avec son symptôme, c'est là la fin de l'analyse.(Lacan, Le Séminaire XXIV, 16 Novembre 1976)

この最晩年のラカンによる「分析の終り」も、「私の怖ろしい女主人」と同一化しつつ、それから距離をとること、と解釈できる。ニーチェの肯定や運命愛とはそのことである。

「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(……)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」--これが私には本来の価値尺度となった。(……)この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまでーー(……)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。(ニーチェ『権力への意志』原佑訳)
実際、インスピレーションに打たれたとき、自分は圧倒的に強い威力の単なる化身、単なる口舌、単なる媒体にすぎないのだという考えを、ほとんど払いのけることはできまい。啓示という言葉があるが、突然、名状しがたい確かさと精妙さで、人を心の奥底から揺り動かし、それに衝撃を与える或るものが、見えてくる、きこえてくる。…人は探すのではなく、ただ耳に聞くのである。誰が与えてくれるのかを問わず、ただ受けとるのである。稲妻のように、ひとつの思想がひらめく、必然の力をもって、ためらいのない形式で。ーーそのときわたしは、一度として選択したことがない。それは一つの恍惚状態 entzücken である。その凄まじい緊張はときに解けて涙の流れとなり、それに襲われれば足の運びは、思わず、あるいは急激になり、あるいはゆるやかになる。完全な忘我 vollkommnes Ausser-sich-sein の中にありながら、爪先にまで行きわたる無数の微妙なおののきが明確に意識されている。その幸福の深みにあっては、最大の苦痛も暗い思いも、さまたげとならず、その反対に、その幸福の前提として、それを引き立たせるべく呼び出されたものとして、またこのように充ち溢れた光明のなかで《なくてはならない》一つの色どりとしての働きをするのである。それはリズミカルな性格をもつ一つの本能であって、それが広い形相の世界をおおい包むのであるーーその持続性、大きくひろがるリズムに対する欲求が、ほとんどインスピレーションの力をはかる尺度であり、その圧力と緊張とに対抗する一種の調節となるのである。(ニーチェ『この人を見よ』)

主体の解任において己の裸の欲動に出会ったら、ひどく恐ろしいのである。それは穴、あるいはブラックホールなのだから。

私は欲動の現実界 réel pulsionnel を穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動 la pulsionを特徴づけたことを。(Lacan, à Strasbourg le 26 janvier 1975 en réponse à une question de Marcel Ritter
引力:抑圧されねばならない素材のうえに無意識によって行使された引力。それはS(Ⱥ) の効果である。あなたを吸い込むヴァギナデンタータ(歯のはえた膣)、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ) の効果。(ポール・バーハウ1999、PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?,1999、,PDF

おわかりだろうか? ニーチェはヴァギナデンタータという女主人S(Ⱥ) に遭遇したのである。くどくなることをおそれずにさらに引用すれば、それは次のようなものである。

内側に落ちこんだ渦巻のくぼみのように、たえず底へ底へ引き込む虚無の吸引力よ……。最後になれぞそれが何であるかよくわかる。それは、反復が一段一段とわずかずつ底をめざしてゆく世界への、深く罪深い転落でしかなかったのだ。(ムージル『特性のない男』)

以上がフロイトのいう、ニーチェの前代未聞の「自己省察(内観 Introspektion)」の内実であると、蚊居肢散人のささやかなインスピレーションは語る。

ところでフロイトの論文には《内観 Introspektion》という語彙の出現頻度はわずかである。そのわずかな出現のひとつ、『ナルシシズム入門』から抜き出しおく。

自己観察Selbstbeobachtungーーパラノイア観察妄想 paranoischen Beobachtungswahnes の意味における--…哲学的な素質のある、内観 Introspektion に習熟した人にはこれがはっきり現れるのかもしれない。(フロイト『ナルシシズム入門』1914年)

蚊居肢散人のささやかなインスピレーションとは、もちろん哲学的素養のない《パラノイア観察妄想 paranoischen Beobachtungswahnes 》である・・・

とはいえ蚊居肢散人は《探すのではなく、ただ耳に聞いたのである。》(ニーチェ)



2017年5月19日金曜日

生成変化としての永遠回帰/運命強迫としての永遠回帰

このところ「運命強迫としての永遠回帰」を強調し過ぎた記述をしているので、ドゥルーズの永遠回帰の定義を掲げておこう(ここでの強調は第一や第二の定義ではなく、第三の「生成変化」としての永遠回帰である。


【生成変化としての永遠回帰】
迷宮あるいは耳。迷宮はニーチェにしばしば現われるイメージである。それはまず無意識を、自己を、指示する。アニマだけがわれわれを無意識と和解させ、無意識を探すための導きの糸をわれわれに与えることができる。

次に、迷宮は永遠回帰そのものを指示する。迷宮は循環的であって、行きどまりの道ではなく、同一の地点に、また、現在、過去、未来の同一の瞬間にわれわれを導く道である。

だがより根本的に言えば、永遠回帰を構成するものの観点からみると、迷宮は生成であり、生成の肯定である。ところで、存在は生成に由来し、生成そのものによって自己を肯定する。そのかぎり、生成の肯定は別の肯定(アリアドネの糸)の対象である。

アリアドネがテセウスのところに足繁く通ったあいだは、迷宮は逆の意味にとられていた。それはましな価値に開放され、糸は否定と怨恨の糸、道徳の糸であった。だが、ディオニュソスは彼の秘密をアリアドネに教える。真の迷宮はディオニュソス自身であり、真の糸は肯定の糸である。「私はおまえの迷路なのだ。」ディオニュソスは迷路にして雄牛、生成にして存在であるが、その肯定そのものが肯定される場合にのみ存在であるような生成である。

ディオニュソスはアリアドネにたんに耳を傾けることだけでなく、肯定を肯定することを要求する。「おまえの耳は小さい。私の耳と同じだ。その耳で私の細心の言葉を聞くがよい。」(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』1962年)

永遠回帰の肯定的側面については、ニーチェの次の文がよく表している。

……何を古代ギリシア人はこれらの密儀(ディオニュソス的密儀)でもっておのれに保証したのであろうか? 永遠の生であり、生の永遠回帰である。過去において約束された清められた未来である。死と転変を越えた生への勝ちほこれる肯定である。生殖による、性の密儀による総体的永生としての真の生である。このゆえにギリシア人にとっては性的象徴は畏敬すべき象徴自体であり、全古代的敬虔心内での本来的な深遠さであった。生殖、受胎、出産のいとなみにおける一切の個々のものが、最も崇高で最も厳粛な感情を呼びおこした。密儀の教えのうちでは苦痛が神聖に語られている。すなわち、「産婦の陣痛」が苦痛一般を神聖化し、――一切の生成と生長、一切の未来を保証するものが苦痛の条件となっている・ ・ ・創造の永遠の快感があるためには、生への意志がおのれを永遠にみずから肯定するためには、永遠に「産婦の陣痛」もまたなければならない・・・これら一切をディオニュソスという言葉が意味する。すなわち、私は、ディオニュソス祭のそれというこのギリシア的象徴法以外に高次な象徴法を知らないのである。そのうちでは、生の最も深い本能が、生の未来への、生の永遠性への本能が、宗教的に感じとられている、――生への道そのものが、生殖が、聖なる道として感じとられている・ ・ ・キリスト教がはじめて、生に反抗するそのルサンチマンを根底にたずさえて、性欲を何か不潔なものにしてしまった。すなわち、キリスト教は、私たちの生の発端に、前提に汚物を投げつけたのである・ ・ ・(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」四 『偶像の黄昏』原佑訳)

「生成変化」については、こうも引用できる。

私の歴史において実現されるものは、もはやそうであったものとしての定過去 passé défini ではなく、私があるところの現在完了でさえもない。そうではなく私が生成変化 train de devenir の過程にあるところのそうなるであろうという前未来 futur antérieur である。

Ce qui se réalise dans mon histoire, n'est pas le passé défini de ce qui fut puisqu'il n'est plus, ni même le parfait de ce qui a été dans ce que je suis, mais le futur antérieur de ce qu'aurais été pour ce que je suis en train de devenir. (ラカン、 精神分析におけるパロールとランガージュの機能と領野 Fonction et champ de la parole et du langage「ローマ講演、1953」)
過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)

だがこれらの考え方は運命強迫としての永遠回帰がベースにあることを忘れてはならない。

【運命強迫としての永遠回帰】

もし人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する己れの典型的経験 typisches Erlebniss immer wiederkommt を持っている。(ニーチェ『善悪の彼岸』70番)

《常に回帰するimmer wiederkommt》とはフロイトの反復強迫のことである。

フロイトは『快原理の彼岸』にて、ニーチェの名を出さずにニーチェ用語「同一のものの永遠回帰 ewige Wiederkehr des Gleichen」を鍵括弧つきで引用して、反復強迫、運命強迫、デモーニッシュな性格等を語っている。

もっとも、「同一のものの回帰」については、ラカンやドゥルーズの「純粋差異」概念にていささかの修正が必要だろう(参照:永遠回帰・享楽回帰・純粋差異)。

だがニーチェの『善悪の彼岸 Jenseits von Gut und Böse』の応答として読みうるフロイトの『快原理の彼岸Jenseits des Lustprinzips』を人はまず素直に読まなければならない。《『快原理の彼岸』は、おそらくフロイトがこれこそ哲学的と呼ぶほかない考察のうちに、直線的に、しかも驚くべき才能をもって、透徹せる視線を注いだテキストであるに違いない》(ドゥルーズ『マゾッホとサド』)

精神分析が、神経症者の転移現象について明らかにするのとおなじものが、神経症的でない人の生活の中にも見出される。それは、彼らの身につきまとった宿命、彼らの体験におけるデモーニッシュな性格 dämonischen Zuges といった印象をあたえるものである。精神分析は、最初からこのような宿命が大かたは自然につくられたものであって、幼児期初期の影響によって決定されているとみなしてきた。そのさいに現れる強迫は、たとえこれらの人が症状形成 Symptombildung によって落着する神経症的葛藤を現わさなかったにしても、神経症者の反復強迫 Wiederholungszwang と別個のものではない。

あらゆる人間関係が、つねに同一の結果に終わるような人がいるものである。かばって助けた者から、やがてはかならず見捨てられて怒る慈善家たちがいる。彼らは他の点ではそれぞれちがうが、ひとしく忘恩の苦汁を味わうべく運命づけられているようである。どんな友人をもっても、裏切られて友情を失う男たち。誰か他人を、自分や世間にたいする大きな権威にかつぎあげ、それでいて一定の期間が過ぎ去ると、この権威をみずからつきくずし新しい権威に鞍替えする男たち。また、女性にたいする恋愛関係が、みなおなじ経過をたどって、いつもおなじ結末に終る愛人たち、等々。

もし、当人の能動的な態度を問題にするならば、また、同一の体験の反復の中に現れる彼の人がらの不変の性格特徴を見出すならば、われわれはこの「同一のものの永遠回帰 ewige Wiederkehr des Gleichen」をさして不思議とも思わない。自分から影響をあたえることができず、いわば受動的に体験するように見えるのに、それでもなお、いつもおなじ運命の反復を体験する場合の方が、はるかにつよくわれわれのこころを打つ。

一例として、ある婦人の話を想い起こす。彼女は、つぎつぎに三回結婚し、やがてまもなく病気でたおれた夫たちを死ぬまで看病しなければならなかった。(……)

以上のような、転移のさいの態度や人間の運命についての観察に直面すると、精神生活には、実際の快原理 Lustprinzip の埒外にある反復強迫 Wiederholungszwang が存在する、と仮定する勇気がわいてくるにちがいない。また、災害神経症者の夢と子供の遊戯本能を、この強迫に関係させたくもなるであろう。もちろん、反復強迫の作用が、他の動機の助力なしに純粋に把握されるのは、ごくまれな場合であることを知っておく必要がある。小児の遊戯のさいに、われわれは、その発生についてどのような別種の解釈ができるかをすでに指摘した(糸巻き遊び、fort-da「いないいないばあ」のこと:引用者)。

反復強迫 Wiederholungszwang と直接的な快い衝動満足 direkte lustvolle Triebbefriedigung とは、緊密に結合しているように思われる。転移の現象が、抑圧を固執している自我の側からの抵抗に奉仕しているのは明らかである。治療が利用しようとつとめた反復強迫は、快原理を固執する自我によって、いわば自我の側へ引き寄せられる。

運命強迫 Schicksalszwang nennen könnte とも名づけることができるようなものについては、合理的な考察によって解明できる点が多いと思われるので、新しい神秘的な動機を設ける必要はないように思う。もっとも明白なのは、災害の夢であろうが、ほかの例でも一層くわしく吟味すると、われわれがすでに知っている動機の作用によってはつくしがたい事態のあることをみとめなければならない。反復強迫の仮定を正当づける余地は充分にあり、反復強迫は快原理をしのいで、より以上に根源的 ursprünglicher、一次的 elementarer、かつ衝動的 triebhafter であるように思われる。(フロイト『快原理の彼岸』1920年)

…………

以下、基礎資料編。

最大の重し:もしある日、またはある夜、デーモン Dämon が君のお前のあとを追い、お前のもっとも孤独な孤独のうちに忍び込み、次のように語ったらどうだろう。

「お前は、お前が現に生き、既に生きてきたこの生をもう一度、また無数回におよんで、生きなければならないだろう。そこには何も新しいものはなく、あらゆる苦痛、あらゆる愉悦、あらゆる想念と嘆息、お前の生の名状しがたく小なるものと大なるもののすべてが回帰 wiederkommenするにちがいない。しかもすべてが同じ順序で―この蜘蛛、樹々のあいだのこの月光も同様であり、この瞬間と私自身も同様である。存在の永遠の砂時計はくりかえしくりかえし回転させられる。―そしてこの砂時計とともに、砂塵のなかの小さな砂塵にすぎないお前も!」

ー―お前は倒れ伏し、歯ぎしりして、そう語ったデーモンを呪わないだろうか? それともお前は、このデーモンにたいして、「お前は神だ、私はこれより神的なことを聞いたことは、けっしてない!」と答えるようなとほうもない瞬間を以前経験したことがあるのか。

もしあの思想がお前を支配するようになれば、現在のお前は変化し、おそらくは粉砕されるであろう。万事につけて「お前はこのことをもう一度、または無数回におよんで、意欲するか?」と問う問いは、最大の重しとなって、お前の行為のうえにかかってくるだろう! あるいは、この最後の永遠の確認と封印以上のなにものも要求しないためには、お前はお前自身と生とにどれほど好意をよせなければならないことだろう?(ニーチェ『悦ばしき知識 Die fröhliche Wissenschaft』341番 信太正三訳→独原文
私にとって忘れ難いのは、ニーチェが彼の秘密を初めて打ち明けたあの時間だ。あの思想を真理の確証の何ものかとすること…それは彼を口にいえないほど陰鬱にさせるものだった。彼は低い声で、最も深い恐怖をありありと見せながら、その秘密を語った。実際、ニーチェは深く生に悩んでおり、生の永遠回帰の確実性はひどく恐ろしい何ものかを意味したに違いない。永遠回帰の教えの真髄、後にニーチェによって輝かしい理想として構築されたが、それは彼自身のあのような苦痛あふれる生感覚と深いコントラストを持っており、不気味な仮面であることを暗示している。(ルー・サロメ、1984)

Unvergeßlich sind mir die Stunden, in denen er ihn mir zuerst, als ein Geheimnis, als Etwas, vor dessen Bewahrheitung ... ihm unsagbar graue, anvertraut hat: nur mit leiser Stimme und mit allen Zeichen des tiefsten Entsetzens sprach er davon. Und er litt in der Tat so tief am Leben, daß die Gewißheit der ewigen Lebenswiederkehr für ihn etwas Grauen-volles haben mußte. Die Quintessenz der Wiederkunftslehre, die strahlende Lebensapotheose, welche Nietzsche nachmals aufstellte, bildet einen so tiefen Gegensatz zu seiner eigenen qualvollen Lebensempfindung, daß sie uns anmutet wie eine unheimliche Maske.(Lou Andreas-Salomé Friedrich Nietzsche in seinen Werken, 1894)

ここでサロメは、永遠回帰は《不気味な仮面unheimliche Maske》と言っているが、フロイトの『不気味なもの』(1919年)--『快原理の彼岸』1920年の思想はこの前年の論文にすでに明確に現われているーーには《同一のものの反復の不気味さ das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr》、《この内的反復強迫を思い出させうるものこそ不気味なもの unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann》とある。

…………

以下、『この人を見よ』から、妹エリザベートが削除した記述(1969年に「本来」の原稿に戻されているが、手塚富雄訳や西尾幹二訳版は旧原稿訳であり、この箇所はない)。

わたしに最も深く敵対するものを、すなわち、本能の言うに言われぬほどの卑俗さを、求めてみるならば、わたしはいつも、わが母と妹を見出す、―こんな悪辣な輩と親族であると信ずることは、わたしの神性に対する冒瀆であろう。わたしが、いまのこの瞬間にいたるまで、母と 妹から受けてきた仕打ちを考えると、ぞっとしてしまう。彼女らは完璧な時限爆弾をあやつって いる。それも、いつだったらわたしを血まみれにできるか、そのときを決してはずすことがないのだ―つまり、わたしの最高の瞬間を狙ってin meinen höchsten Augenblicken くるのだ…。そ のときには、毒虫に対して自己防御する余力がないからである…。生理上の連続性が、こうした予定不調和 disharmonia praestabilita を可能ならしめている…。しかし告白するが、わたしの本来の深遠な思想である 「永遠回帰 ewige Wiederkunft」 に対する最も深い異論とは、 つねに母と妹なのだ。― (Friedrich Nietzsche Sämtliche Werke Kritische Studienausgabe, dtv/de Gruyter, 原文

通常は生成変化としての永遠回帰でいいのである。たとえば安吾のような経験がなければ。

母。――異体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。

私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だつてありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかつた。
三十歳の私が、風をひいたりして熱のある折、今でもいちばん悲しい悪夢に見るのがあの時の母の気配だ。姿は見えない。だだつぴろい誰もゐない部屋のまんなかに私がゐる。母の恐ろしい気配が襖の向ふ側に煙のやうにむれてゐるのが感じられて、私は石になつたあげく気が狂れさうな恐怖の中にゐる、やりきれない夢なんだ。母は私をひきづり、窖のやうな物置きの中へ押しこんで錠をおろした。あの真つ暗な物置きの中へ私はなんべん入れられたらうな。闇の中で泣きつづけはしたが、出してくれと頼んだ覚えは殆んどない。ただ口惜しくて泣いたのだ。
 ところが私の好きな女が、近頃になつてふと気がつくと、みんな母に似てるぢやないか! 性格がさうだ。時々物腰まで似てゐたりする。――これを私はなんと解いたらいいのだらう!

 私は復讐なんかしてゐるんぢやない。それに、母に似た恋人達は私をいぢめはしなかつた。私は彼女らに、その時代々々を救はれてゐたのだ。所詮母といふ奴は妖怪だと、ここで私が思ひあまつて溜息を洩らしても、こいつは案外笑ひ話のつもりではないのさ。(坂口安吾「をみな」)

上に「通常は生成変化としての永遠回帰でいい」と記したが、「運命強迫としての永遠回帰」の外傷的経験のない者が真の「生成変化としての永遠回帰」がありうるだろうか、という問いはいったん脇にやっての記述である。

「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(……)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」--これが私には本来の価値尺度となった。(……)この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまでーー(……)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。(ニーチェ『権力への意志』原佑訳)

この運命愛とは、フロイト・ラカンの次の言葉とともに読みたくなるところがわたくしにはある。《主体の解任 destitution subjective/幻想の横断 traversée du fantasme/徹底操作 durcharbeiten

精神分析による治療は抑圧を除去し、裸の欲動の固着を露わにする。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.(Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq).2002)

そして裸の欲動の固着とは 《わたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrin》(ニーチェ)にかかわる、と。


2017年5月18日木曜日

原母・女主人・母なる超自我

「原母」とは何か。そもそもーーフロイト・ラカン派に限るがーー原母などと言っている論者は、わたくしの知る限り一人しかいない。だが、原母という言葉の意味は、ラカンのいう「母なる超自我」であろう、と今のところ推測している。そしてニーチェのいう「女主人」はこの「母なる超自我」と相同的ではないか、と憶測している。

何事がわたしに起こったのか。だれがわたしに命令するのか。--ああ、わたしの女主人Herrinが怒って、それをわたしに要求するのだ。彼女がわたしに言ったのだ。彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるのだろうか。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrin の名だ。

……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)

※参照:正午、「一」は「二」となる

母なる超自我 Surmoi maternel…父なる超自我 Surmoi paternel の背後にこの母なる超自我 surmoi maternel がないだろうか? 神経症において父なる超自我よりも、さらにいっそう要求し、さらにいっそう圧制的、さらにいっそう破壊的、さらにいっそう執着的な母なる超自我が。 (Lacan, S.5, 15 Janvier 1958)

母なる超自我 surmoi maternel・太古の超自我 surmoi archaïque、この超自我は、メラニー・クラインが語る「原超自我 surmoi primordial」 の効果に結びついているものである。…

最初の他者 premier autre の水準において、…それが最初の要求 demandesの単純な支えである限りであるが…私は言おう、泣き叫ぶ幼児の最初の欲求 besoin の分節化の水準における殆ど無垢な要求、最初の欲求不満 frustrations…母なる超自我に属する全ては、この母への依存 dépendance の周りに分節化される。(Lacan, S.5, 02 Juillet 1958)

※詳細は、「二種類の超自我と原抑圧」を参照

…………

ポール・バーハウは、1999年の書で、「原母」「原去勢」ということを言っている(それ以外にも「原女主人」=死だと)。

フロイトの新たな洞察を要約する鍵となる三つの概念、「原抑圧 Urverdrängung」「原幻想 Urphantasien(原光景 Urszene)」「原父 Urvater」。

だがこの系列(セリー)は不完全であり、その遺漏は彼に袋小路をもたらした。この系列は、二つの用語を補うことにより完成する。「原去勢 Urkastration」「原母 Urmutter」である。

フロイトは最後の諸論文にて、躊躇しつつこの歩みを進めた。「原母」は『モーセと一神教 Der Mann Moses und die monotheistische Religion. Drei Abhandlungen 』(1938)にて暗示的な形式化がなされている。「原去勢」は、『防衛過程における自我分裂 Die Ichspaltung im Abwehrvorgang』 (1938)にて、形式化の瀬戸際に至っている。「原女主人 Urherrin」としての死が、最後の仕上げを妨げた。(ポール・バーハウ1999, Paul Verhaeghe, Does the Woman exist?)

彼の2003年の書には、「原母」は現れない。「原去勢」だけである。

ラカンはセミネールXIにて「ふたつの欠如 Deux manques」を導入した。最初にある欠如とは、ファルスに論理的に先行する、つまりファルスの彼方にある対象a・ラメラ・リビドーである。
とても興味深いのは、フロイトの理論でも同じことが起こっていることだ。その理論の進展において、フロイトは以前の概念をすべて二重化する必要があった(抑圧/原抑圧、幻想/原幻想、父/原父)。しかしフロイトは最終的核心を逃した。去勢から「原去勢」への移行である。原去勢とは、もはや去勢とは異なる何かである。(ポール・バーハウ2003, Beyond Gender: From Suject to Drive)

バーハウのいう「原去勢」の意味合いは、2009年の書に明晰に現われる。

袋小路はしばしば誤った前提の結果である。…フロイトによる「ペニス羨望」の議論、つまり少女が母から身を翻して父へと移行する動機としてペニス羨望を主張したとき、彼は常に数多くの他の動機に言及している。それらは通常、ポストフロイト派の議論において無視されてしまっているが。

核心は、受動的なポジションから能動的なポジションへの移行である。我々はこう言うことさえできる、他者の対象であることから主体性への移行だと。どんな「ペニス羨望」や「去勢不安」より前に、子供--少女だけではなく少年も含んだどの子供も、母との関係における受動的なポジションから離れて、能動的ポジションに移行しようと試みる。

私はこの移行に、はるかに重要な基本的動機を認める。すなわち、最初の母子関係において、子供はその身体的未発達のため、必然的に最初の大他者の享楽の受動的対象として扱われる。この関係は二者-想像的であり、それ自体として主体性のための障害である。平明な言い方をすれば、子供と彼自身の欲望にとっての余地がないということだ。そこでは二つの選択しかない。母の欲望に従うか、それともそうするのを拒絶して死ぬか、である。このような状況は、二者-想像的関係性の典型であり、ラカンの鏡像理論にて描写されたものである。

そのときの基本的動因は、不安である。これは去勢不安でさえない。「原不安 primal anxiety」は母(あるいは最初の養育者)に向けられた二者関係にかかわる。無力な幼児は母を必要とする。ゆえに、明らかに「分離不安 separation anxiety 」である。とはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。

フロイトは分離不安にあまり注意を払っていなかった。しかし彼は、より注意が向かない筈のその対応物を認知していた。すなわち母に呑み込まれる不安である。あるいは母に毒される不安である。これを、「分離不安」とは別に、もう一つの原不安としての「融合不安 fusion anxiety 」と呼んでみよう。この概念はフロイトにはない。だがアイデアはフロイトにある。それにもかかわらず彼の論証過程において、フロイトは頑固に、去勢不安を中心的なものとして強調した。

このようにフロイト概念の私の理解においては、去勢不安は二次的なものであり、別の、原不安の、防衛的な加工(elaboration)とさえ言いうる。原不安は、二つの対立する形態を取る。すなわち、他者が必要とされる時そこにいない不安(分離不安)、他者が過剰にそこにいる不安(融合不安)である。 (ポール・バーハウ2009, PAUL VERHAEGHE, New studies of old villains)

注意しておかねばならないのは、ボール・バーハウの用語を使っている他のラカン派注釈者は、わたくしの知る限りいない、ということだ。すなわち彼独自の用語である。だが「去勢不安」概念の実質的デフレについては、ラカン派論者のなかでもそれなりに語る人がいる。


2017年5月17日水曜日

正午、「一」は「二」となる

迷路の人間は、決して真理を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ Ein labyrinthischer Mensch sucht niemals die Wahrheit, sondern immer nur seine Ariadne –(ニーチェ断章、 1882-1883、KSA 10)

…………

最も肝腎なのは、アリアドネが何かを知っているかどうかではなかろうか?

わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを!……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。(ニーチェ『この人を見よ』1888年)

これをそれとなしにも感づいているか否かが、「精神の貴族 」(ニーチェ)に至る道の最初の分かれ道ではなかろうか?

・人々をたがいに近づけるものは、意見の共通性ではなく精神の血縁である。(プルースト 「花咲く乙女たちのかげにⅠ」)

・人間は自分の精神が属する階級の人たちの言葉遣をするのであって、自分の出生の身分〔カスト〕に属する人たちの言葉遣をするのではない、という法則……(プルースト「ゲルマントのほうⅠ」) 

ニーチェは到るところでアリアドネの秘密を語っている。

36歳のとき、わたしは、わたしの活力の最低点に落ちこんだーーまだ生きてはいたものの、三歩先を見ることもできなかった。当時――1879年のことだったーーわたしは、バーゼルの教授職を退いて、夏中まるで影のようにサン・モーリッツで過ごした。が、それにつづく、わたしの生涯でもっとも日光の希薄であった冬には、ナウムブルクで影そのものとして生きた。これがわたしの最低の位置だった。『さすらい人とその影』が、その間に生まれた。疑いもなく、わたしは当時、影とは何かをよく知っていたのである……(ニーチェ『この人を見よ』)
人生の正午 Mittag、ひとは異様な安静の欲求におそわれることがある。まわりがひっそりと静まりかえり、物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく。彼の心臓は停止している。彼の目だけが生きている、--それは目だけが醒めている一種の死だ。それはほとんど不気味でunheimlich、病的に過敏 krankhaftだ。しかし不愉快unangenehmではない。 (ニーチェ『さすらい人とその影Der Wanderer und sein Schatten』308番、1880年)

《正午。最も影の短い刻限 Mittag; Augenblick des kürzesten Schattens》(ニーチェ『偶像の黄昏』1888年)。そのとき何が起こるのか? 実は誰もが知っている。

正午にそれは起こった。「一」は「二」となったのである。Um Mittag war's, da wurde Eins zu Zwei...(ニーチェ『善悪の彼岸』1886年「高き山々の頂きから Aus hohen Bergen」)

ーー正午とは、それ自身の影をまとう刻限である。鷲は蛇をまとうのである。

…正午の太陽が彼の頭上にかかった。そのときかれは問いのまなざしを空にむけたーー高みに鋭い鳥の声を聞いたからである。と、見よ。一羽の鷲が大いなる輪を描いて空中を舞っていた。そしてその鷲には一匹の蛇がまつわっていた。鷲の獲物ではなく、友であるように見えた。鷲の頸にすがるようにして巻きついている。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部、1883年)

もっとも翳や蛇とは、(究極的には)「女主人」のことではなかろうか、と問うこともできる。

何事がわたしに起こったのか。だれがわたしに命令するのか。--ああ、わたしの女主人Herrinが怒って、それをわたしに要求するのだ。彼女がわたしに言ったのだ。彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるのだろうか。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人 meiner furchtbaren Herrin の名だ。

……彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)

実は誰でも知っている筈だ、「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」に遭遇したとき現れるのは、「メドゥーサの首 Kopf der Medusa」ーーすなわち、不気味なもの unheimlich=外密 extimité(《extériorité intime, cette extimité qui est la Chose》)だと(「侵入・刻印・異物」)




ーー「彼」も蛇をまとっているではないか?

……そのとき、声なき声がわたしに語った Dann sprach es ohne Stimme zu mir「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ: Du weisst es, Zarathustra? -」--

ーー《おまえは、来らざるをえない者の影 Schatten として歩まねばならぬ。》

もちろん正午でなくても、人はメドゥーサの首にめぐりあうことができる。たとえば真夜中に。

月明りのなかで偶然、自分の顔を鏡の中に見ること以上に不気味なものはない。(ハイネ)

Es gibt nichts Unheimlicheres, als wenn man, bei Mondschein, das eigene Gesicht zufällig im Spiegel sieht. (Heinrich Heine: Reisebilder
彼はすぐ水から視線を外した。すると同じ視線が突然人の姿に行き当ったので、彼ははっとして、眼を据えた。しかしそれは洗面所の横に懸けられた大きな鏡に映る自分の影像に過ぎなかった。………彼は相手の自分である事に気がついた後でも、なお鏡から眼を放す事ができなかった。………いつもと違った不満足な印象が鏡の中に現われた時に、彼は少し驚ろいた。これが自分だと認定する前に、これは自分の幽霊だという気がまず彼の心を襲った。凄くなった彼には、抵抗力があった。彼は眼を大きくして、なおの事自分の姿を見つめた。(夏目漱石『明暗』)

ゴダールももちろんよく知っている。



ゴダールは『JLG/自画像』で、二度、ネガに言及している。一度目は、湖畔でヘーゲルの言葉をノートに書きつけながら、「否定的なもの(le négatif)」を見すえることができるかぎりにおいて精神は偉大な力たりうると口にするときである。二度目は、風景(paysage)の中には祖国(pays)があるという議論を始めるゴダールが、そこで生まれただけの祖国と自分でかちとった祖国があるというときである。そこに、いきなり少年の肖像写真が挿入され、ポジ(le positif)とは生まれながらに獲得されたものだから、ネガ(le négatif)こそ創造されねばならないというカフカの言葉を引用するゴダールの言葉が響く。とするなら、描かれるべき「自画像」は、あくまでネガでなければならないだろう。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』)

もっともかつてより巷間の「精神の中流階級」の人間たちが、「分身」にはまったく不感症であったことは、伊東静雄「晴れた日」における「私の放浪する半身」の真意に、杉本秀太郎が指摘するまで誰もが気づいていなかったことが証明している。

とき偶に晴れ渡つた日に
老いた私の母が
強ひられて故郷に帰つて行つたと
私の放浪する半身 愛される人
私はお前に告げやらねばならぬ

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の「偉大な」問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』1882年)

精神の貴族であるルー・サロメはとっくの昔から気づいていた。ニーチェの永遠回帰が何のかを。

私にとって忘れ難いのは、ニーチェが彼の秘密を初めて打ち明けたあの時間だ。あの思想を真理の確証の何ものかとすること…それは彼を口にいえないほど陰鬱にさせるものだった。彼は低い声で、最も深い恐怖をありありと見せながら、その秘密を語った。実際、ニーチェは深く生に悩んでおり、生の永遠回帰の確実性はひどく恐ろしい何ものかを意味したに違いない。永遠回帰の教えの真髄、後にニーチェによって輝かしい理想として構築されたが、それは彼自身のあのような苦痛あふれる生感覚と深いコントラストを持っており、不気味な仮面であることを暗示している。(ルー・サロメ、1884年)

Unvergeßlich sind mir die Stunden, in denen er ihn mir zuerst, als ein Geheimnis, als Etwas, vor dessen Bewahrheitung ... ihm unsagbar graue, anvertraut hat: nur mit leiser Stimme und mit allen Zeichen des tiefsten Entsetzens sprach er davon. Und er litt in der Tat so tief am Leben, daß die Gewißheit der ewigen Lebenswiederkehr für ihn etwas Grauen-volles haben mußte. Die Quintessenz der Wiederkunftslehre, die strahlende Lebensapotheose, welche Nietzsche nachmals aufstellte, bildet einen so tiefen Gegensatz zu seiner eigenen qualvollen Lebensempfindung, daß sie uns anmutet wie eine unheimliche Maske.(Lou Andreas-Salomé Friedrich Nietzsche in seinen Werken, 1884)

おそらくフロイトもサロメ経由で感づいたのであろう、永遠回帰は《不気味な仮面unheimliche Maske》であることに。

フロイトの『不気味なもの』(1919年)--『快原理の彼岸』1920年の思想はこの前年の論文にすでに明確に現われているーーにはこうある。

同一のものの反復の不気味さ das Unheimliche der gleichartigen Wiederkehr がいかにして幼児の心的生活から演繹されうるかを、ここではただ示唆するにとどめて、そのかわりこれについてはすでに、これを別の関連において詳細に論じた仕事のあることをお知らせしておく。

つまり心の無意識のうちには、欲動生活から発する反復強迫 Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく諸欲動それ自身のもっとも奥深い性質に依存するものであって、快原理を超越してしまうほどに強いもので、心的生活の若干の面に魔力的な性格を与えるものであるし、また、幼児の諸行為のうちにはまだきわめて明瞭に現われており、神経症者の精神分析過程の一段階を支配している。そこで、われわれとしては、以上一切の推論からして、まさにこの内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を思い出させうるものこそ不気味なもの unheimlich として感ぜられると見ていいように思う。(フロイト『不気味なもの』1919年)

この文はもちろんニーチェへの直接的応答でもある。

もし人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する己れの典型的経験 typisches Erlebniss immer wiederkommt を持っている。(ニーチェ『善悪の彼岸』70番)

まだお分りにならない「精神の下層階級」の方々のためにこう付け加えておこう。

権力への意志が原始的な情動 Affekte 形式であり、その他の情動 Affekte は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)

この文の注釈はすでに40年以上前に語られている。

権力への意志の直接的表現としての永遠回帰 éternel retour comme l'expression immédiate de la volonté de puissance(ドゥルーズ『差異と反復』1968年)
・永遠回帰 L'Éternel Retour …回帰 le Retou rは権力への意志の純粋メタファー pure métaphore de la volonté de puissance以外の何ものでもない。

・しかし権力への意志 la volonté de puissanceは…至高の欲動 l'impulsion suprêmeのことではなかろうか?(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』1969年)

クロソウスキーにとっては、ニーチェ用語の情動 Affekte とは欲動 impulsion のことである。『ニーチェと悪の循環』の英訳者Daniel W. Smithによる序文から抜粋しておく。

Impulsion(衝動) は、仏語の pulsion(欲動) に関係している。pulsion はフロイト用語の Triebeを翻訳したものである。だがクロソフスキーは、滅多にこの pulsion を使用しない。ニーチェ自身は、クロソフスキーが衝動という語で要約するものについて多様な語彙を使用しているーー、Triebe 欲動、Begierden 欲望、Instinke 本能、Machte 力・力能・権力、Krafte 勢力、Reixe, Impulse 衝迫・衝動、Leidenschaften 情熱、Gefiilen 感情、Afekte 情動、Pathos パトス等々。クロソフスキーにとって本質的な点は、これらの用語は、絶え間ない波動としての、魂の強度intensité 的状態を示していることである。(PIERRE KLOSSOWSKI,Nietzsche and the Vicious Circle Translated by Daniel W. Smith)