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2015年12月31日木曜日

フロイトの美しい表現:「真珠を生む砂粒」と「夢の菌糸体」

フロイトは症状形成を真珠貝の比喩を使って説明している。砂粒が欲動の根であり、刺激から逃れるためにその周りに真珠を造りだす。分析作業はイマジナリーなシニフィアンのレイヤー(真珠)を脱構築することに成功するかもしれない。けれども患者は元々の欲動(砂粒)を取り除くことを意味しない。逆に欲動のリアルとの遭遇はふつうは〈他者〉の欠如との遭遇をも齎す。(new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex PAUL VERHAEGHE 2009)

フロイトはその理論のそもそもの最初から、症状には二重の構造があることを見分けていた。一方には欲動、他方にはプシケ(個人を動かす原動力としての心理的機構:引用者)である。ラカン派のタームでは、現実界と象徴界ということになる。これは、フロイトの最初のケーススタディであるドラの症例においてはっきりと現れている。この研究では、防衛理論についてはなにも言い添えていない。というのはすでに精神神経症psychoneurosisにかかわる以前の二つの論文で詳論されているからだ。このケーススタディの核心は、二重の構造にあると言うことができ、フロイトが焦点を当てるのは、現実界、すなわち欲動にかかわる要素、――フロイトが“Somatisches Entgegenkommen”と呼んだものーーだ。のちに『性欲論三篇』にて、「欲動の固着」と呼ばれるようになったものだ。この観点からは、ドラの転換性の症状は、ふたつの視点から研究することができる。象徴的なもの、すなわちシニフィアンあるいは心因性の代表象representation――抑圧されたものーー、そしてもうひとつは、現実界的なもの、すなわち欲動にかかわり、ドラのケースでは、口唇欲動ということになる。

この二重の構造の視点のもとでは、すべての症状は二様の方法で研究されなければならない。ラカンにとって、恐怖症と転換性の症状は、症状の形式的な外被に帰着する。すなわち、「それらの症状は欲動の現実界に象徴的な形式が与えられたもの」(Lacan, “De nos antécédents”, in Ecrits)ということになる。このように考えれば、症状とは享楽の現実界的核心のまわりに作り上げられた象徴的な構造物ということになる。フロイトの言葉なら、それは、「あたかも真珠貝がその周囲に真珠を造りだす砂粒のようなもの」(『あるヒステリー患者の分析の断片』)。享楽の現実界は症状の地階あるいは根なのであり、象徴界は上部構造なのである。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.、Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq,2002)

さてここで、咳や嗄れ声の発作に対して見出したさまざまな決定因を総括してみたい。最下部には器質的に条件づけれらた真実の咳の刺激があることが推定され、それはあたかも真珠貝がその周囲に真珠を造りだす砂粒のようなものである。この刺激は固着しうるが、それはその刺激がある身体領域と関係するからであり、その身体領域がこの少女の場合ある性感帯としての意味をもったいるからなのである。したがってこの領域は興奮したリピドーを表現するのに適しており、おそらくは最初の精神的変装、すなわち病気の父親に対するイミテーションの同情、そして「カタル」のために惹き起こされた自己叱責によって固着させられるのである。(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』フロイト著作集5 人文書院 P335)

「真珠貝」は、英訳では「oyster」となっている。

Let us next attempt to put together the various determinants that we have found for Dora's attacks of coughing and hoarseness. In the lowest stratum we must assume the presence of real and organically determined irritation of the throat - which acted like the grain of sand around which an oyster forms its pearl. This irritation was susceptible to fixation, because it concerned a part of the body which in Dora had to a high degree retained its significance as an erotogenic zone. And the irritation was consequently well fitted to give expression to excited states of the libido.  It was brought to fixation by what was probably its first psychical coating - her sympathetic imitation of her father - and by her subsequent self-reproaches on account of her catarrh.  (Freud - Complete Works Ivan Smith 2000, 2007, 2010)


原文はまったく読めない身であるが、“Muscheltierであるならば、shell fish


Wir können nun den Versuch machen, die verschiedenen Determinierungen, die wir für die Anfälle von Husten und Heiserkeit gefunden haben, zusammenzustellen. Zuunterst in der Schichtung ist ein realer, organisch bedingter Hustenreiz anzunehmen, das Sandkorn also, um welches das Muscheltier die Perle bildet. Dieser Reiz ist fixierbar, weil er eine Körperregion betrifft, welche die Bedeutung einer erogenen Zone bei dem Mädchen in hohem Grade bewahrt hat. Er ist also geeignet dazu, der erregten Libido Ausdruck zu geben. Er ist also geeignet dazu, der erregten Libido Ausdruck zu geben. Er wird fixiert durch die wahrscheinlich erste psychische Umkleidung, die Mitleidsimitation für den kranken Vater und dann durch die Selbstvorwürfe wegen des »Katarrhs«.

この真珠を生む砂粒が、ラカン曰くの「書かれぬことをやめぬもの“C'est ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire”」であり、フロイトの「自由連想」療法では対処できぬものである。ラカンが後年「症状のない主体はない」といった症状とはこの砂粒である。

“Je définis le symptôme par la façon dont chacun jouit de l'inconscient en tant que l'inconscient le détermine”(症状は、こう定義するしかない。それは、各人が無意識を享楽する様態である – 無意識がそう定めるがままに 。)(Jacques Lacan, le 18 février 1975, Séminaire XXII RSI.)

対象aは象徴化に抵抗する現実界の部分である。

固着は、フロイトが原症状と考えたものだが、ラカンの観点からは、一般的な特性をもつ。症状は人間を定義するものである。それ自体、取り除くことも治療することも出来ない。これがラカンの最終的な結論である。すなわち症状のない主体はない。ラカンの最後の概念化において、症状の概念は新しい意味を与えられる。それは純化された症状の問題である。すなわち、象徴的な構成物から取り去られたもの、言語によって構成された無意識の外側に外立するもの、純粋な形での対象a、もしくは欲動である。(J. Lacan, 1974-75, R.S.I., in Ornicar ?, 3, 1975, pp. 106-107.)

症状の現実界、あるいは対象aは、個々の主体に於るリアルな身体の個別の享楽を明示する。「症状は、こう定義するしかない。それは、各人が無意識を享楽する様態である – 無意識がそう定めるがままに 。」

ラカンは対象aよりも症状の概念のほうを好んだ。性関係はないという彼のテーゼに則るために。(Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq, ,Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.)


ここに見られるようにヴェルハーゲの解釈では、(純化された)症状とは対象aであるが、誤解のないようにつけ加えておけばーー何度もくり返しているがーー、対象aの定義はいくつかある。

【Lorenzo Chiesa2007による対象aの五つの定義の要点】

①S(Ⱥ)としての象徴的ファルスΦによって生み出された裂け目の想像的表象
②主体から想像的に切り離されるうる部分対象
③シニフィアン化される前の、すなわちS(Ⱥ)以前の Ⱥ
④母なる〈他者〉(m)Otherの得体の知れない欲望
⑤アガルマ、すなわち隠された秘宝、あなたのなかにあってあなた自身以上のもの(ただし厳密にはやや異なる)。

ヴェルハーゲの言っている対象a=症状は、③のことだとわたくしは捉えている。

「真珠を生む砂粒」と同じように、「夢の菌糸体」も対象a=純化された症状であるだろう。

……すなわち象徴的秩序以外の審級である。この点で、すべての啓蒙形式はなにかが不足している。それは治療においても同様である。言葉にできない何かがある。その何かを表わすには言葉が欠けている。もともとフロイトはこれをトラウマ的経験と考えた。だが後に彼はそれを"mycelium(菌糸体)"、“われわれの存在の核”、“原初に抑圧されているもの”と呼んだ。(Paul Verhaeghe「Teaching and Psychoanalysis: A necessary impossibility」

フロイトは、後年も不安神経症概念ーーこれはかぎりなく現実神経症概念に近いがーーをめぐって次ぎのように記している。

成長したからといって、原初のトラウマ的不安状況の回帰に対して、完全な防御の術があるわけではない。それぞれの個人は一定の限界をもっており、その限界を超えると、人の心的装置は、処理することが必要な多量の興奮を支配する機能を喪失する。(フロイト『制止、症状、不安』著作集6 p.361上からだが一部変更)

現実神経症概念は、現在の心の病いを考える上での核心のひとつであるだろう(参照:「忘れ去られたフロイトの現実神経症(現勢神経症)概念」)。現実神経症は、「分析」にフィットしない無意識の核にかかわる。

私は既に、無意識の核は「分析」にフィットしないことを論証した。無意識のうちの表象された部分のみが分析されうるのである。フロイト以後、症状symptomは防衛をベースに説明されてきたのだが、そこでは抑圧が特権的な位置を占める。忘れられてしまっているのは、抑圧自体は病因のダイナミズムの二次的重要性しかもたないということだ。実際は、抑圧は欲動の表象されたシニフィアンを処理しようとするメカニズム以外のなにものでもない。フロイト自身、症状の二重の構造を認めていた。一方は欲動であり、他方は象徴的なものである。同じ論法が夢にも当てはまる。ことさら驚くことはない。夢は症状なのだから。(Paul Verhaeghe『BEYOND GENDER』「DREAMS BETWEEN DRIVE ANDE DESIRE」
どんなにうまく解釈しおおせた夢にあっても、ある箇所は未解決のままに放置しておかざるをえないこともしばしばある。それは、その箇所にはどうしても解けないたくさんの夢思想の結び玉があって、しかもその結び玉は、夢内容になんらそれ以上の寄与をしていないということが分析にさいして判明するからである。これはつまり夢の臍、夢が未知なるもののうえにそこに坐りこんでいるところの、その場所なのである。判読(解読)においてわれわれがつき当る夢思想は一般的にいうと未完結なものとして存在するより仕方がないのである。そしてそれは四方八方に向ってわれわれの観念世界を網の目のごとき迷宮に通じている。この編物の比較的目の詰んだ箇所から夢の願望が、ちょうど菌類の菌糸体から菌が頭を出しているように頭を擡げているのである。(フロイト『夢判断』第七章「夢事象の心理学」新潮文庫 下 p279)

…………

もともとヴェルハーゲには、中井久夫のトラウマ論を読むなかで、フロイトやラカンはどんなことを言っているのだろうと探るなか三年ほど前だったかに出会ったのだが、いまのところ最も信頼のおけるラカン解釈者である(わたくしにとって)。

ところで、中井久夫も、阪神大震災の後、トラウマあるいはPTSDを研究するなか、現実神経症概念を連発している。それへの言及を五箇所見いだしたが、そのうちの一つを掲げておこう。

アラン・ヤングに言わせると、PTSDの症状はほかの病気にもある症状であり、PTSD特有の症状はないということです。そもそも神経症概念をDSM-Ⅲが捨てたということは、ある意味では正しいが半分しか正しくないのです。なぜならば確かにフロイトは神経症の概念をつくった人ではあります。しかしフロイトの立てた神経症には三つあり、それは精神神経症、現実神経症、外傷神経症です。精神病と神経症との境界は年々曖昧になってきています。昔は人格全体が犯されているものを精神病、人格が健康な部分が残っているものを神経症と明解に線を引いていたのですが、だんだんそれが怪しくなってきています。ヤングは「この撤廃は意味があるが、あとの二つの神経症をDSM-Ⅲは問題にしていない」と言っています。現実神経症は、例えば失恋して抑鬱になるなどというシンプルなもので、あまり研究の対象にはならないかもしれません。普通には心因反応と言われているものです。あるいはDSM-Ⅳになってから出てきた、ASD(急性ストレス障害)もあります。外傷神経症はフロイトも挙げているけれどもそれほど問題いしていません。この後身がPTSDです。DSM体系の中から神経症を追放するのは、よく考えてやっていないということいなります。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002.2『徴候・記憶・外傷』所収)


“ACTUAL NEUROSIS AS THE UNDERLYING PSYCHIC STRUCTURE OF PANIC DISORDER, SOMATIZATION, AND SOMATOFORM DISORDER: AN INTEGRATION OF FREUDIAN AND ATTACHMENT PERSPECTIVES” BY PAUL VERHAEGHE, STIJN VANHEULE, AND ANN DE RICK、2007という長い題名の論文には、次のような記述がある。

精神神経症と現実神経症は、互いに排他的なものとは見なされえない。(……)精神神経症は現実神経症なしではほとんど出現しない。しかし「後者は前者なしで現れるうる」(フロイト『自己を語る』1925)。これは、現実神経症的病理が単独での研究領域であることを正当化してくれる。さらにもっとそうでありうるのは、フロイトは、現実神経症を精神神経症の最初の段階の臍と見なしているからだ。

ACTUAL NEUROSIS AND PTSD The Impact of the Other Paul Verhaeghe,and Stijn Vanheule,2005年は、次ぎのような仮説を証明する試みである。

この論の中心的問いは見かけ上はシンプルである。すなわち、何がトラウマをトラウマ的にするのだろう? である。…酷いトラウマでさえも、自動的には、長引く精神病理に導かない。ある犠牲者は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を展開させるが、かなりの数の人はそうではないという事実がある。とすれば、他の要因があるに相違ない。

我々の仮説はこうである。

第一に、トラウマ的出来事は、犠牲者が、事前にすでに在る心理学的構造を持っているならば、PTSDに導かれる。その心理学的構造とは、フロイトが「現実神経症」として理解しているものである。

第二に、現実神経症構造は、初期に子どもを世話する人との相互作用を基盤としている。そしてトラウマあるいはPTSDに先立つものとして診断されうる。

わたくしの知るかぎりでの、中井久夫の最も直近の現実神経症への問いは次ぎの如し。

現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。DSM体系は外傷の原因となった事件の重大性と症状の重大性とによって限界線を引いている。しかし、これは人工的なのか、そこに真の飛躍があるのだろうか。

目にみえない一線があって、その下では自然治癒あるいはそれと気づかない精神科医の対症的治療によって治癒するのに対して、その線の上ではそういうことが起こらないということがあるのだろう。心的外傷にも身体的外傷と同じく、かすり傷から致命的な重傷までの幅があって不思議でないからである。しかし、DSM体系がこの一線を確実に引いたと見ることができるだろうか。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)

フロイトは、現実神経症内で、当初、神経衰弱と不安神経症を区分している。のちにヒポコンデリー(心気症)を付加。どの場合も、決定因は欲動からの緊張や圧迫にかかわる。

現実神経症は主にフロイトの「不安神経症」にかかわり、《事実上、DSM–IVにおけるパニック障害の叙述は、フロイトの不安神経症とほとんど全くおなじである》(Verhaeghe, 2004)。

…………

さてここで話を変えよう。ジジェクは、かなり以前の書評だが、「Does the Woman Exist? From Freud's Hysteric to Lacan's Feminine By Paul Verhaeghe Translated by Marc du Ry」について次ぎのように言っている。

A miraculous answer to the confusions surrounding Freud's and Lacan's theory of feminine sexuality . . . After reading this book, it should be clear that, far from being outdated, the psychoanalytic approach to feminine sexuality enables us to find our way in the . . . deadlocks of our allegedly ‘permissive' postmodern society . . . A must for anyone who wants to grasp what psychoanalysis has to say today.” – Slavoj Žižek

女性のセクシュアリティのラカン理論を理解する上で、ヴェルハーゲの著作はなくてはならないものであるのは、現在も同じく。フェミニストたちが、ヴェルハーゲを読まないのは致命的だよ。ジジェクやバディウを読んでいるだけではなんのことかいつまでも分からない(もっとも常に見解の一致があるわけではないが→「フロイトの欲動二元論と一元論をめぐって」)。

彼の最近の著(“new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex”、PAUL VERHAEGHE 2009)からのいくらかの抜き書きは、「古い悪党フロイトの女性論」にある。序文は、イギリスのラディカル・フェミニスト・グループの創設者の一人であったジュリエット・ミッチェルJuliet Mitchellが書いている、序文にしてはいささか長すぎるほどの文を。

とはいえ、フロイトやラカン理論を押しつけるつもりはないさ、人それぞれでいいよ。

ラカン理論に固有の難解な特徴は、その典型的に抽象的なスタイルにあるとされる。これは部分的にしか正しくない。誤解の真の原因は、むしろ粘り強い、防衛的な「知りたくないnot-wanting-to-know」にある。というのは、彼の理論は、われわれの仕事の領域だけではなく、まさに人生の生き方においてさえ、数多くの確信を揺らつかせるので、これが概念上の孤立無援を齎している。(Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics 私訳)

これはまずは、「私は自分の家の主人ではない」にかかわるだろう。わたくしのこの文もある原動因によって衝き動かされているのかもしれない。より深い動因はあるだろうが、まずわたくしの気づく範囲の「表層的な部分」での動因は、母がわたくしが六歳前後「精神分裂病」と診断されたが、実はPTSDではなかったかという問いだ。あるいは現実神経症(不安神経症)ではなかったかという問いだ。実際、太平洋戦争のニュースがテレヴィであると、たちまち頬を紅潮させるか蒼ざめるかして座を立つか、テレヴィを消すかをくり返した。不安神経症とは、まずはソマティック(身体的な)ストレス反応だ(たとえば動悸、呼吸器系の支障、身震い )。

ホロコーストの生存者たちの子どもは、他の親の子どもたちに比べて、PTSDを発現させる傾向が大きい。しかし、奇妙なことがある。子どもたちのほうが、彼らの親たち以上に、心的外傷後ストレス症状を経験していることが示されているのだ(Yehuda, Schmei-dler, Giller, Siever, & Binder-Brynes, 1998).

これはどういうことかーー。ホロコースト生存者の親は、子どもにとって「他者」として機能しない(あるいはし難い)。最初に子どもを世話する(m)Otherとしての子どもの鏡となりがたい。《現実神経症構造は、初期に子どもを世話する人との相互作用を基盤としている。そしてトラウマあるいはPTSDに先立つものとして診断されうる》(ヴェルハーゲ、他、2005)。だから子どもは「象徴化」の不得手な人間として生育する。すなわち欲動のなすがままの人間として育ち、欲動は欲望に変換されない(あるいはされることが少ない)。

一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。(……)患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けいれていることのほうが普通である。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P95)

…………

フロイトが我々に示してくれたのは、人が話すとき、我々自身には知られていない真理によって駆り立てられているdrivenということだ。この真理のポジションが、いずれの言説においても動因 motor として、出発点として、機能する。

真理のポジションはアリストテレス的な原動因であり、すべての言説構造に影響を与える。その最初の帰結は、エージェント(動作主)はどう見てもただのエージェント(代理人)に過ぎないということだ。自我は話さない。自我は(何かによって)話させられる。もちろんこの結論は自由連想の過程にて観察できるが、ふつうの発話行為でさえ同じ結果を生む。実に私が話すとき、私は何を言っているのか知らない。もし私が暗記してその話を覚えていないのなら。あるいは書かれた物から話を読んでいないのなら。

そうでないなら、私は話すのではなく、話させられている。そしてこの話は欲望によって駆り立てられている。意識的な同意があろうとなかろうとそうである。これはシンプルな観察による事実だ。だが人のナルシシズムを根本的に傷つける。だからフロイトは人間における第三番目のナルシシズムの屈辱と呼んだ(コペルニクスが人間を宇宙の中心から追い出し、ダーヴィンが人間を生物界の特権的位置から追い出したのに引き続く第三の屈辱である)。

フロイトはそれをとてもはっきりとした表現で刻印している、“dass das Ich kein Herr sei in seinem eigenen Haus”、「私は自分の家の主人ではない」と。フロイトの公式のラカン版は次の通り。“Le signifiant, c'est ce qui représente le sujet pour un autre signifiant”(シニフィアンは他のシニフィアンに対して主体を代表象する)。(「四つの言説」(ラカン)概説(Paul Verhaeghe)

2015年12月30日水曜日

カヴァフィスと谷川俊太郎の第一行

知っているか
詩にはさまざまな書きっぷりがある
カーヴァーの書きっぷり
カヴァフィスの書きっぷり
シェークスピアの書きっぷり
みなそれぞれに胸を打つ
ぼくは翻訳で読むだけだけれど
(ありがとう翻訳家の皆さん・名訳と誤訳の数々)

みんな死ぬまで自分の書きっぷりで書いた
書きっぷりはひとつの運命

だがぼくはいろんな書きっぷりに惑わされる
ひとつ ふたつ みっつ よっつ……

そのどれもに夢中になり
そのどれもにやがて飽きてしまう
ドンファンみたいに

女に忠実
詩には不実?

だがもともと詩のほうが
人間に不実なものではなかったか


ーー谷川俊太郎「北軽井沢日録」『世間知ラズ』所収)

……カヴァフィスの詩の第一行を並べてみるとよい。彼は、われわれをいきなり「事件の核心」に降り立たせる。

「みたことがなかったな、何世紀も、こんなすてきなお供えは、デルフォイに……」(「アレクサンドリアからの使節」)

「夜中の一時だったか、それとも一時半。酒場の隅だったね」(「憩い」)

「何をみたことがなかったのか? 何世紀もだって? すごいお供え? デルフォイに? いったい何ごと?」「夜更けに? 酒場の隅で? 何が?」もし紙幅が許せばいくらでも例を挙げることができるであろう。いつもわれわれは状況の中に文字どおり投入される。前触れも、前置きも、助走も、序曲もなく、いきなりテティスとペレウスとの結婚の場に、帝政ローマの末期のアゴラに、彫刻家ダモンの工房に、ネロの寝室に、あるいはローソクを一本だけともした彼の部屋に。急に状況のただ中に投入された者が皆そうなるように、われわれはしばらく戸惑い、うろたえ、耳をすませ、何かを待つ。劇の開幕直後の、困惑と期待との混ざった独特の沈黙。これはカヴァフィスの詩の発端が持つ独特の力であり、それが私に彼を劇詩人といわせる第一の理由である。意識的に磨きぬかれたものであろう。彼の未完詩編にはこれを欠くものがあるからである。

彼を劇詩人という第二の理由は、カヴァフィス詩が持つ、われわれを巻き込む力である。われわれは詩を読みすすめるにつれて、現場にいあわせるか、登場人物に語りかけられるか、あるいは詩人の打ち明け相手にさせられてしまう。カヴァフィスの詩は、決して人なき部屋の中の独り言にはならない。歴史上の人物がひとりごつ場合でさえ、われわれがすぐ側に位置して聞いているか、あるいは詩の中の聞き手が黙っているだけである。

エリティスなり、セフェリスなり、リッツォスの詩と比べていただきたい。エリティスは青空の下で遠くから澄んだ声で、セフェリスはじゅんじゅんとしばしば小暗い室内で、リッツォスは時には朗々と舞台で、時にはしみじみとランプの下で語る。しかし、いずれもモノローグである。われわれは「聞き手」「読み手」である。(……)

カヴァフィスは、自分は小説家や劇作家にはならないだろうが、歴史家にはなれたはずだと内心ひそかに自負している。彼はどういう歴史家となったであろうか。この楽しい空想にはむろん答えがないけれども、すべての時代を同時代と感覚するような歴史家であったろうと私は思う。「すべての時代を同時代と感じる」ことを歴史的感覚 historical sense というならば彼を「歴史的感覚の詩人」といってよいだろう。(中井久夫「劇詩人としてのカヴァフィス」『家族の深淵』所収)


音楽だってそうさ
前触れや前置きや助走だっぷりの
協奏曲なんて最近はウンザリだな
モーツアルトのピアノコンチェルト9番とか
ベートーヴェンの4、5番があるだろ、ーーだって?
わざとらしいよあれ、
逆張りでしかないな

「リッツォスは時には朗々と舞台で」とあるけれど
いい齢して「月光」をバックによく朗読するもんだよ

Yiannis Ritsos ヤニス・リッツォス
Ρίτσος - Η σονάτα του σεληνόφωτος



でもいい声してるよ 意味がわからなくても
声だけで惚れ惚れするんだけど
ベートーヴェンのムーンライトソナタが邪魔だな

どうもギリシャ人ってのはそういうところがあるのかね
そういうところってなんだろうな
よくいえば悲劇を演じるってのかな
わるくいえばメロドラマ風だな

ーーいやオレが齢をかさねてひねたせいだけさ

テオ・アンゲロプロスにも晩年はいささかついていけなくなったからな





いきなり「事件の核心」に降り立たせる第一行をもつ詩集は
日本では『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』だね
谷川俊太郎の最高傑作じゃないだろうか
1931年生まれの谷川俊太郎の1972年の作品だ
谷川の多くの詩を知っているわけじゃないけどさ
『世間知ラズ』とどっちをとれっていわれたら迷うな


「男と女ふたりの中学生が/地下鉄のベンチに坐っててね」(1)

「飲んでいるんだろうね今夜もどこかで」(2) 武満徹に

「きみが怒るのも無理はないさ」(4) 谷川知子に

「きいた風なこと言うのには飽きちゃったよ」(5)

「全然黙っているっていうのも悪くないね」(6)

「題なんてどうだっていいよ/詩に題をつけるなんて俗物根性だよ」(9)

「寝台の下にはきなれた靴があってね」(10)


ーー『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』より

ゴシップ性もふんだんにある詩の集まりで
谷川が後年カヴァフィス詩を愛したのがよくわかるよ

(8)  飯島耕一に

にわかにいくつか詩みたいなもの書いたんだ
こういう文体つかんでね一応
きみはウツ病で寝てるっていうけど
ぼくはウツ病でまだ起きている
(……)
でも何もかもつまらないよ
モーツァルトまできらいになるんだ
せめて何かにさわりたいよ
(……)
きみはどうなんだ
きみの手はどうしてる
親指はまだ親指かい?
ちゃんとウンコはふけてるかい
弱虫野郎め

ただ、カヴァフィス詩には、たしかにどこか「ゴシップ」的なものがある。われわれ皆がゴシップを楽しむ、その感覚に訴える何ものかがある。上質のゴシップというものなしでは「サロン」は成り立たない。レプシウス街十番地も盛んにゴシップが飛び交っただろう。カヴァフィス詩の「ゴシップ感覚」的側面である。この感覚が、登場人物とわれわれとの近しさをつくりだしているのももしれない。ヘレニズム期ギリシャの市井笑劇家ヘロダスのパピルスはカヴァフィスの若い時にエジプトの砂漠から発見され、それにカヴァフィスは感激している。このヘロダスの「ミーモセス」(擬曲)はゴシップ的快楽から成り立っている。これを「普遍的ゴシップ性」といおうか。

シェイクスピアにはゴシップ的要素がないか、当時の時代的背景の中におけば、たとえば「アントニーとクレオパトラ」にもその要素がある。エリザベス一世とその寵臣エセックスとの重ね合わせである。T・S・エリオットがその「荒地」においてシェイクスピアのこの劇を引く時には、明らかにこの二重性を意識している。また「荒地」自体、特にその前半は「普遍的ゴシップ性」にみちみちている。エズラ・バウンドの手がはいる前の原稿にはいっそう著しい。

状況を共有し、演出者となり、「ゴシップ」感覚を享楽するという、一見矛盾した点からであろうが、カヴァフィス詩の読者の中には、あるふしぎな感覚、「コミットしながらも醒めている」という奇妙な状態が生じる。すなわち、われわれはカヴァフィス詩の状況に共感し共振するが、決して主人公に同一化することはない。彼が感傷的になっている時でさえ、われわれは、その感傷からある距離を保ち、決してこの距離を失うことはない。おそらく、詩人自身が対象との距離を失わないからであろう。カヴァフィス詩の現代性は、安易な感情移入と同一化を許さないというところにある。(中井久夫「劇詩人としてのカヴァフィス」『家族の深淵』所収)

中井久夫はカヴァフィス絶賛ってわけだろうか
でも訳詩の自負はカヴァフィスでもヴァレリーでもなく
エリティスの『アルバニア戦線に倒れた少尉にささげる英雄詩』だそうだ
(前回一部掲げたけどさ)

『日時計の影』の「あとがき」次のように書いている。

…拙い翻訳ながら、私の訳詩の中では最良のものかと、ひそかに思っている。翻訳をしながら、また読み返しながら、涙がこみあげてきたのは、他にも絶無ではないが、訳者を泣かせるパワーがいちばん大きかったのはこの詩である。

実際とてつもなく美しいよ
西脇順三郎のいくつかの詩句とどっちを選ぼうか
迷っちまうぐらいにさ

「向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうっている」

「美容師と女あんまは愛らしいひょうたんを
かたむけてシェリー酒をのんでいる」

「女神は足の甲を蜂にさされて
足をひきずりながら六本木へ
膏薬を買いに出かけた」

でもきのこの匂いはしないな
晩年の西脇みたいにさ

「灌木について語りたいと思うが
キノコの生えた丸太に腰かけて
考えている間に」

「もう秋は四十女のように匂い始めた」

ギリシャの文学に親しんでいささか参るのは、裏も表もない若さの賛美である。山間で老人が背を曲げて碁でも打っているといった南画の世界がギリシャから一番遠いものであるという、どなたかの指摘を読んでなるほどと思ったことがある。だから、カヴァフィスのような現代ギリシャ詩人も若い時から老・病・死を恐れる強迫を持ち、この強迫がその詩に隠顕するのだろう。私はたまたま彼の詩をだいたい全部訳したけれども、時には非常に違和感を感じて手に取れないことがある。それは一言にしていえば、菌臭の持つ安らぎから実に遠いということである。(中井久夫「きのこの匂いについて」1986年初出『家族の深淵』所収)

ところでキノコの匂いのする音楽ってのはあるんだろうか
さてとーー。
ちょっと思いつかないな
キノコ研究家のケージの音楽にもにおいを嗅いだおぼえはないよ
武満徹にだってないな

東欧あたりの民謡にはすこしはあるのかな





バルトークは性格わるかったらしいからな
「あんた方はみんなつんぼだっていったんだ。
そら、あれが聞こえないのかい?」 (バルトーク

キノコのにおい嗅ぐまえに性格の悪さきいちまうな
で「アンタ方はみんな鼻がきかないっていったんだ。
ほら、このにおいに気づかないのかい?」ってわけだ

ヤナーチェクあたりにもキノコはあるのかもな
でもこのところヤナーチェク鼻ずまり症でね

どれもに夢中になり
そのどれもにやがて飽きちまうんだな

女に忠実
音楽には不実?

ショパンにあるとしたらマズルカだけだよ
しかも地元出身のピアニストじゃないとな
Maryla Jonasとかさ
彼女には忠実なままだな今のところ


2015年12月29日火曜日

世界は光る、きらりと

世界は光る、きらりと、
朝まだき露の滴が山裾の野に光るように。

Beethoven - Bagatelle op. 119 no. 9



今、動かない髪の毛を
風が静かになぶる
忘却の枝が左の耳に刺さる
きみは焦げたマントの上に横たわる
鳥がいっせいに飛び立った後の庭のように
暗闇の中で立ち往生した歌のように
止まってしまった時計のように
睫毛があるかなきかのさようならをささやき
戸惑いがその場で凝固する…… (オディッセアス・エリティス)




ささった槍は 今も揺れてる (ペーター・ハントケ)




2015年12月28日月曜日

使命感あふれるジャーナリストの薄気味悪さ

以下、ジャーナリストについてあまり知らない者が書いている。1995年に日本を出て以降、日本の新聞雑誌やテレヴィにもほとんど触れたことがない。ただこの3カ月ほどのあいだ、シリア情報をいくらか得てみようと思い、ツイッター上で中東に詳しそうなジャーナリスト(一部は研究者)10人前後のツイートをやや熱心に眺めてみての感想がまずはこの文の出処である。

やや批判的な文であり、現在では下に記される良質=凡庸なジャーナリストさえーー典型的にはテレヴィのキャスターなどの位置にある人物たちがーー追放されるらしい時代なので、やや時代錯誤的な観点といいうるかもしれないが、引用を中心としたメモとして公表しておく。

下の文を記した後、精神分析的観点ーーラカンの「四つの言説」理論観点ーーから言えば、ジャーナリストの言説とは、知の言説(大学人の言説)と構造的にはおそらく同じであるだろうことに気づいたが、ここではそれには触れない(参照:ラカンの「四つの言説」における「機能する形式」)。ただ「大学人の言説」の隠蔽された「真理」とは、中立的な「知」を流通させるという見かけの背後に、主人の身振りがあるということだ。そしてときにそれが人を苛立たせることがある。

…………

個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論』「まえがき」)
イデオロギーの最も基本的な定義は、おそらくマルクスの『資本論』の次の文である、"Sie wissen das nicht, aber sie tun es" 、すなわち、「彼らはそれを知らないが、そうする」。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』1989)

…………

あらかじめ謀しあわせていたわけではなかろうし、ましてや模倣への意志が等しく彼らの筆をつき動かしていたとも思えないのに、資質も違えば方法意識も異る何人ものジャーナリストたちが、いつとはなしに同じ囀りを呟いている。書き手の素養や意気込み、その経験や訓練の風土はまるで似たところがないようにみえるのに、かなりの数の記事やらときにそれなりに臨場感あふれないでもない断片的なツイートやらが同じ言説構造におさまってしまうのだ。

いま、われわれのまわりで書きつがれつつある多くの「情報」なるものは、見たところ何の共通点も持たない発想から出発しながらも、書き手が演じつつあるジャーナリストの「使命」なるもの、すなわち果たすべき行為の形態という点で多くの細部を共有し、まるで一つの言説を多様に変奏しつつあっているように見える。しかも、変奏の多様性がかえって説話論的な構造の同一性をきわだたせてしまうという点がいささか薄気味悪い。いったい、ジャーナリストたちは、読む意識を戸惑わせるこの薄気味の悪い符合ぶりに意識的なのだろうか。


(ーーもちろんこの文は以下に引用する作家たちのひとりのバスティーシュである。いやわずかな語句を変えただけのパクリ文といったほうが正しい。)


もちろんそのことは、 才能というものが完全に失われ、 凡庸さそのものがすべてを支配しつくしているということを意味しはしない。 このようにして生産された 「ジャーナリスト」の中には、多少とも独創性に恵まれていたり、いなかったりする書き手はいるだろう。 だがそうした才能は、現代的な言説の維持にのみ貢献し、その説話論的な構造にいかなる変化も導入することはない。 ほどよく面白い記事を綴ったり、 それに失敗したりするだけのことだ。刺激的な「問題」の提起もあれば、こくありきたりな「問題」の提起もあるだろう。もちろん、面白い記事を語りうる才能の持ち主はそれなりに評価されるべきだし、 刺激的な 「問題」 の提起者もまた、それにふさわしく評価されるべきである…


…………

現象に立ちどまって、「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うだろう。いや、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ、と。われわれは、いかなる事実「自体」をも確かめることはできない。おそらく、そのようなことを欲するのは背理だろう。(ニーチェ『力への意志』)

仮にある情報が、その情報だけでのみなら、限りなく「事実」に近いものであるとしても、世界にある数多くの事象からその情報を選択する行為は「解釈」であるだろう。なおかつ強調点や詳述部分の移動、ディテイルの比重の置き方などが変わっていけば、事態の意味と重みと位置づけがおのずと変わる。そのとき「事実」とはどこにあるのだろう?

……描写はすべて一つの眺めである。あたかも記述者が描写する前に窓際に立つのは、よくみるためではなく、みるものを窓枠そのものによって作り上げるためであるようだ。(ロラン・バルト『S/Z』)




人は、真実と物語の真実らしさの許容度をいつもとり違えている。というより、正確には、その許容度こそが真実と信じられているものの実態だとすべきかもしれぬ。真実の物語があるわけではなく、物語の真実らしさの許容度があるだけなのだ。物語にあって人が読むものは、本当らしく見せるための配慮の体系でしかない。この配慮の体系と許容度とは、時代によって、また文化によって、そしておそらくは階級によって異なってくるだろう。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P.414)
……抽象的な数字の持つ意味を具体的な量に換算して人を納得させながら論を進める場合、具体的なものとして示された「地球の円周」そのものが実は人間の想像を越えた距離なので、説得されたはずの意識はかえってまどろんでいるだけであり、何ごとかを理解したわけではない。にもかかわらず、その数字は、あくまで客観的なものだと主張する論者にきまって有利に働く。つまり、客観性そのものとしてある数字を親切に解説する言説として、この種の試みは多くの人に容認されてしまうのだ。こんにち人びとが情報と呼ぶところのものがそこへ提示されているからである。

(……)その数字の具体性をたやすく想像しえないものでありながら、それが数字として引用されているというだけの理由によって、読むものを納得させる力を持っている。納得といっても、人は数字の正しさを納得するものではなく、その数字を含んでいる物語の本当らしさに納得するのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』p.432)





寺田寅彦氏はジャアナリズムの魔術についてうまい事を言っていた、「三原山投身者が大都市の新聞で奨励されると諸国の投身志望者が三原山に雲集するようなものである。ゆっくりオリジナルな投身地を考えている余裕はないのみならず、三原山時代に浅間へ行ったのでは『新聞に出ない』のである。このように、新聞はその記事の威力によって世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撒き拡げ、あたかも世界中がその類型で充ち満ちているかの如き錯覚を起させ、そうすることによって、更にその類型の伝播を益々助長するのである」。類型化と抽象化とがない処に歴史家の表現はない、ジャアナリストは歴史家の方法を迅速に粗笨に遂行しているに過ぎない。歴史家の表現にはオリジナルなものの這入り込む余地はない、とまあ言う様な事は一般常識の域を出ない。僕は進んで問いたいのだ。一体、人はオリジナルな投身地を発見する余裕がないのか、それともオリジナルな投身地なぞというものが人間の実生活にはじめから存在しないのか。君はどう思う。僕はこの単純な問いから直ちに一見異様な結論が飛び出して来るのにわれながら驚いているのだ。現実の生活にもオリジナルなものの這入り込む余地はないのだ。(小林秀雄「林房雄の「青年」」)

たとえば、われわれは現在シリア情報に踊っている。パリテロ事件後はいっそうにそうだ。だがシリア内戦は長いあいだほとんど座視されていたのではなかったか。リビアとシリアの反政府デモ(2011年)はほぼ同じ時期に起きているが、国連などはリビアのみに武力介入し、石油埋蔵量がわずかなためか、自国の利害にあまりかかわらないせいかはいざ知らず、シリアには介入していない。2013年のアサド側による化学兵器使用疑惑において、ようやくジャーナリズムの餌食の顕著な対象となったといってよいだろうが、そこでもロシアと米国に代表される「西側」の、おそらく利害の相克などにより、オバマに代表される西側諸国の指導者は、武力介入をぎりぎりのところで思い留まることになる。

2015年になって大々的に武力介入がなされるようになったのは、イスラム国の仕業だと想定されるテロ事件やシリア難民の大流入により、西側諸国の安全保障感が脅かされるようになったせい(ほとんどそのせいだけ)ではないだろうか。そうでなかったら座視し続けていたのではなかろうか。

いずれにせよ我々がシリア内戦にこの今注目するのは、ジャーナリズムの多量な情報のせいであり、世界にはほかにも「人道的に」痛ましい事象が多数あるはずだ。だがそれさえ小林秀雄のいうように(非人権状況を歎くための)オリジナルなものではないといえるだろう。

ここでもし、この世界資本主義の時代において限りなくオリジナルに近いものがあるとするなら、イデオロギー、ヘゲモニー、エコノミーの三幅対におけるエコノミーと口にだしてなにやら言ってみたい誘惑にはかられるが、それはここでは慎んでおく。

とはいえ、この資本の論理の席捲する現代とは、《 自由、平等、所有そしてベンサム(Freiheit, Gleiheit,EigentumundBentham)だけである》(マルクス『資本論』)ーーにおけるベンサム主義(経済の論理、効率の論理)、ほとんど非イデオロギー的イデオロギー「新自由主義」の時代ではあろう。

ここでは新自由主義時代のバイブルとして、米国でよく読まれているらしいアイン・ランドの書から次ぎの文を抜き出しておくだけにする。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)




中井久夫は、ほぼ20年前だが、次ぎのように記している。

さて、有史以来、民族は移動するものであった。現在紛争の特に烈しいバルカン半島、インドシナ半島、南アフリカは民族移動が何世紀も続いているところである。十九世紀末、英国、フランス、ドイツは世界を分割して、旗の立っていない土地を消滅させた。二回の大戦は少し地図を変えたけれども、すべての土地に旗が立っていることは変わらなかった。大戦による国力の衰微と、大戦への植民地人の協力の代償としての自治の約束と、植民地人の民族主義と、冷戦の力学とは、これらの植民地を、植民地時代の境界のままの独立に導いた。ほかに選択肢はなかった。国連はこの境界を保障する機構となった。実際、コンゴからカタンガ分離運動が起こった時、国連軍はこれを抑えるために軍を送った。ナイジェリアからの独立を賭けたビアフラ戦争では大量の死者を出して敗北するビアフラを世界は座視した。 (中井久夫「治療文化論再考」初出1994年『家族の深淵』所収)

現在にも座視されている「ビアフラ」はたくさんある。




もちろん「良心的な」ジャーナリストは、来年あたりからもうすこしは騒がれるかもしれないイエメンなどに今から触れつつ、「人道的」ジャーナリストとしてアリバイづくりをしていないわけではない。とはいえ、ジャーナリストの言説は基本的には次ぎの機制、あるいは誘惑をまぬがれないだろうし、マルクスのいうとおり、「彼らはそれを知らないが、そうする」。

十九世紀の初めのフランスのジャーナリストで、エミール・ド・シラルダンという人が、カルチエラタンの屋根裏部屋の火事のほうが、リスボンの革命よりも、新聞記事としては絶対に読者を喜ばせると言う。(蓮實重彦『闘争のエチカ』(柄谷行人との対談)

集団的事故で子を失くした両親のPTSDをジャーナリズムは問題にするけれども、交通事故も同程度かそれ以上の悲惨だと思うのに、視野に入ってこない。(中井久夫「トラウマと解離」(「批評空間」2001Ⅲ―1 斉藤環、中井久夫、浅田彰共同討議)
十九世紀半ばの西欧には今では考えられないほど鉄道事故が頻発しており、事故の結果、医学的所見がないのに心身の障害を訴える人が続出した。これは学界では「機能的神経障害」と呼ばれた。治療よりも補償が問題であった。補償をめぐる被害者対鉄道会社の攻防の両側に医師がいた。

それ以前はどうであったのか。一般に災害は個人が耐え忍ぶものとされていた。十九世紀半ばに至って、西欧では個人の権利意識が向上し、また鉄道事故は今日の航空機事故のようにジャーナリズムの餌食となり、百パーセント企業の責任として訴訟の対象となった。むろん、百パーセントの被害者は他になかったわけではない(たとえば馬車による交通事故)が社会問題とならなかった。現在でも、航空機事故に比してその数千倍、数万倍の自動車事故は無視され、ほとんど近代社会を運転するためのコストとみなされている。(中井久夫「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」初出2000年『徴候・記憶・外傷』所収)





…………

以下、メモとして蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』からいくらか抜き出しておこう。ここでの文脈では、「凡庸なジャーナリストの肖像」とすることができるが、ただし、ジャーナリストだけではなく、だれもがその凡庸さを免れていない。それは凡庸な知識人の肖像とすることもできるだろうし、知識人でないわたくしもあなたも免れるわけではない。

すなわち、《誰もが凡庸と呼ばれる思考の風土からもっとも離れた地点に自分を位置づけようとしており、 そうした姿勢のはば広い共有ぶりが、ことによると凡庸さの実態だといえるのかもしれぬ》のであり、ドゥルーズの言い方なら次のごとし。

耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)


《つまりあたりに氾濫する無自覚な凡庸さを何とか超えようとする姿勢そのものがまさしく凡庸さを回避しようとする身振りの単調さによって、 (……)それを攻撃する側の人間までが凡庸さをあたりに蔓延させる運動そのものというべきもので帝国の独裁者の振舞いをも嘲笑してみせることで、 自分の立場を相対的に高めようとする凡庸な精神が作用している。それがそっくりわれわれの精神と共鳴しているかもしれぬその凡庸さが、改めて痛ましく思われる。》


《帝国の独裁者の振舞いをも嘲笑してみせる》とあるが、わが国の指導者層の言動を嘲笑してみせる一般人の振舞いは、もはや日常茶飯事になってしまった。

およそあらゆる人間の運命のうち最も苛酷な不幸は、地上の権力者が同時に第一級の人物ではないことだ。そのとき一切は虚偽であり、ゆがんだもの、奇怪なものとなる。

さらに、権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」とーー(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部「王たちとの会話」手塚富雄訳)



【人類の大義と真実を口にする記者】

従軍記者になるための条件は、それが一般的に保守的と呼ばれるものであれ革新的と呼ばれるものであれ、きまって人類の大義と真実の二語を口にし、それを口にすることでみずからの成熟を確信し、いまある自分自身を肯定し、しかも強要されたわけでもないのに、他者の群に向かってそう物語ってみせる人間のことである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P.344)


【本当らしく見せるための配慮の体系】 

自分一人が特権的な証人たりえたできごとを本当のこととして他人に報告しようとするとき、人は、みずから語りつつある物語が真実であると立証すべく、本当らしさへの配慮で思わず武装してしまう。語ることは、語ることの真実らしさに支えられることなしに遂行されはしないからである。しかも、物語に耳を傾ける者たちは、語ることの真実らしさを確信しえたときに、初めて説話論的な安心を獲得する。つまり、物語は、本当らしく見せるための配慮が共有されるとき、初めて語る者と聞く者とを結びつけるのである。その意味で、物語とは、本当らしく見せるための配慮の体系だといってよい。p.412


【言説が真実として受け入れられる条件】

(大衆化社会では)ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。p.754


【その場にいない人間に何が語れようかという、疲れを知らぬ旅人】

(これらの)著者それぞれの政治的姿勢の違いにもかかわらず同じ構造の言説に属しており、基本的には、誰がより多くの正しい情報を持っているかという点にすべてが還元されるだろう。その場にいない人間に何が語れようかという、疲れを知らぬ旅人マクシムの一貫した立場と、コミューン擁護派のリザガレーのそえとはほぼ同じものなのである。

ところで、その場にいたという説話論的な特権の虚構的な肥大化こそがジャーナリズムの基盤なのだから、こうした立場はこんにちまで根強く生き残っている。(……)実際、ロンドンに亡命中のドイツ人が、事態の推移に寄りそうようにして『フランスの内乱』を書きえたのは、マルクスがそのような知の配置に敏感であり、またその配置の変換に創造的に関わりえたからにほかならない。その説話的な戦略は、話者の説話論的な特権の否定だといってよかろうが、それは同時に、その場にいたという説話論的な特権の虚構的な肥大化としてあるジャーナリズム的磁場の徹底的な批判ともいえるだろう。あるいはまた、語ることそのものに露呈される階級性批判としてもよいものが、別のいい方をするなら、旅行記的な言説の根本的な否定ということにもなろう。

(……)実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P.508)


【デマゴギーと呼ぶところのもの】

人がデマゴギーと呼ぶところのものは、決してありもしない嘘出鱈目ではなく、物語への忠実さからくる本当らしさへの執着にほかならぬ(……)。人は、事実を歪曲して伝えることで他人を煽動しはしない。ほとんど本当に近い嘘を配置することで、人は多くの読者を獲得する。というのも、人が信じるものは語られた事実ではなく、本当らしい語り方にほかならぬからである。デマゴギーとは、物語への恐れを共有しあう話者と聴き手の間に成立する臆病で防禦的なコミュニケーションなのだ。ブルジョワジーと呼ばれる階級がその秩序の維持のためにもっとも必要としているのは、この種のコミュニケーションが不断に成立していうことである。P.563


さて、蓮實重彦の文章を引用してみたが、これらは、《三面記事的な偽の現場主義が支える物語的な真実の限界》とでも要約できる内容である。そして、《カルチエラタンの屋根裏部屋の火事のほうが、リスボンの革命よりも、新聞記事としては絶対に読者を喜ばせる》のであるならば、読者に読まれるために書かれる「営利行為」としてのジャーナリズム全体が、三面記事的な側面をもっている。

これらの内容に対して、マルクスの天才をもっていないにもかかわらず、現場を歩かないですませようとする書斎派の戯言だという反駁も憶測されはする。いずれにせよ、《万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている》(エリオット)のであり、ジャーナリストも批評家もそれぞれ都合よく自らの正当性を語りがちだ。

ただし、ここでレヴィ=ストロースの自伝の冒頭は思い起しておこう、それは「私は旅と探検家がきらいだ」で始まる。文化人類学者として現場を歩き廻った彼の言葉である。さらにこうもある。

研究の目的に到達するために、これほどの努力とむだな消耗が必要だということは、私たちの仕事のむしろ短所とみなすべきで、なんらとりたてて賞賛すべきことではない。私たちがあれほど遠くまでさがし求めにいく真理は、このような挟雑物を取り去ったのちに、初めて価値をもつのである。(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』川田順造訳)

忘れてはならないのは、「その場にいない人間に何が語れようかという、疲れを知らぬ旅人」であるのみでは、レヴィ=ストロースのいうように、ラチが明かないことだ。もちろん「思想家」や「分析者」らの下請けに徹するつもりなら別だが。

旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話しは別ですけどね。だから、私はとても旅をしようという気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの一文に感銘を受けたことがあります。『放浪の民とは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らは放浪の民になるのだ』というのがそれです。(ドゥルーズ「哲学について」『記号と事件』)

ほかにも、蓮實重彦のあれらの文章は、1980年代に書かれたものであり、たとえば最後のデマゴギーでも、現在では意図的なフレームアップ(捏造)を流すデマも思いの外多くなっているのかもしれない。とすれば蓮實重彦のこれらの文は、今では、むしろ「良質な」ジャーナリスト、「良質な」知識人の書き物にのみ当てはまる「批判」だろう。

ただし、その「良質な」彼らにおいてさえ、《自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかける》姿勢はーージャーナリストの宿命とさえいえるかもしれないがーー、彼らの標準的な言説構造においてはきわめて稀であり、《超越的、つまりメタレヴェルに立って見下すものではなく、自己自身に関係していくもの》(柄谷行人『闘争のエチカ』)としての「超越論的」姿勢を、彼らの文章に垣間見ることは僥倖でしかない。すなわち《自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない》(蓮實重彦、同『闘争のエチカ』)のであり、これはもちろん今こうやって記しているわたくしも免れがたい。その免れがたさは、ほとんど「文体」の問題とさえいえる。

「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムージル観念のエロス』)

古井由吉の文体で、ジャーナリストが記事を書けば、ほとんど誰も読まなくなるだろう。だが新聞記者に典型的なジャーナリストの問題の中心のひとつは、やはりその「文体」にあるには相違ない。それはジャーナリスト共同体(業界)内部でよく訓練されたジャーナリストであればあるほど目立つとさえいいうる。

……言語へのあるタイプの禁欲も必要である。この禁欲が意識的に破壊された時、しばしば「ジャーナリストの文体(むしろ非文体)」が生まれる。ジャーナリストを経験した作家は、大作家といわれる人であっても、ある「無垢性の喪失」が文体を汚しているのはそのためである。(中井久夫「「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて」)


さて、ここまでは、エラそうなことはまったく言えない海外住まいの初老のディレッタントが記しているものとして読んでほしいが、とはいえ誰であっても忘れてはならないのは、次のことなのだろう。

重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』1983年)

…………

いささかジャーナリスト嘲弄気味の文を掲げすぎたので、最後にこうつけ加えておこう。マルクスはジャーナリスティックな批評家であっただろう、と。

重要なのは、(……)マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようがーー彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえるーーだめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしの存在しない。(柄谷行人『トランスクリティーク』P250)


そしてジャーナリスト的非文体においても、マルクス的な態度が場合によっては可能でありうるのは、ジジェクの次の文が示唆する(実際、ジジェクの英文体はそれだけ読めばひどくジャーナリスティックであり、一見魅力に乏しい)。

ショート(short circuit 短絡)が起こるのはネットワーク回路に誤った連結があるときだ。「誤った」とはもちろんネットワークの円滑な機能という立場からの意味である。とすればショートによる火花はクリティカルな読解にとって最もすぐれた隠喩のひとつではないだろうか。最も効果的な批評critical行為の一つはふだんは触れ合うことのない電線を交差させることではないか?

名高い古典(テキスト、作家、概念)を取り出しそれをショート回路的方法で読むこと、それは「マイナー」な作家あるいは概念的装置のレンズを通してだ(「マイナー」とはここではドゥルーズがいう意味で理解しなければならない。すなわち「劣った質」ではなく、支配的イデオロギーから外れたり否認された、あるいは「より低く」、威厳に劣った話題を扱うということに)。もしこのマイナーな参照がよく選ばれていれば、このようなやり方はわれわれの通念を完璧にかき乱し掘り崩す洞察へと導きうる。

これはマルクスが哲学と宗教にかんしてやったことだ(政治的経済のレンズを通して哲学的考察のショート回路、すなわち経済的考察)。そしてフロイトとニーチェが道徳についてやったことだ(無意識のリビドー経済のレンズを通して最高級の倫理的概念をショートさせること)。

このような読み方が獲得するものはたんに「脱崇高化」だけではない。より高い知的内容をより低い経済的あるいはリビドー的原因に引き下げるだけではない。このような接近法は、むしろ解釈されるテキストへの独自の脱中心化であり、「思考されていないもの」、否認された仮定と結果に光を照射するのだ。(ジジェク編集「Short Circuits 2007」の序文、私訳)

※冒頭近くの「パクリ文」は、最初のものが『小説から遠く離れて』からであり、その後の文は『物語批判序説』からである。




2015年12月27日日曜日

女の脚のあいだの白い虫

半年ほど前植木鉢から土に還したジャスミンが枯れた。ひっこぬくと何の幼虫だかが五六匹、うじゃうじゃと白くふとった裸体を黒く匂いたつ土のなかでくねらしている。ジャスミンの木はそれなりに大きくなったものもふくめてほかに数株あるが、葉っぱにも蝶の幼虫がつき、世話のやける灌木だ。油断をしていると貪食の青虫が一夜で葉を食い尽くして丸裸になってしまう。

オレがひっこぬいたわけではない。妻ともう一人見知らぬ若い女が枯木を取り去ったのだ。女は普段はごみ集めを仕事にしているらしい浅黒い顔色をした少女で、妻がこの午後めずらしく庭仕事をしていたところ、その手伝いに呼び寄せたようだ。門の脇にごみ収集用の金属網のおおきな籠を荷台につけた自転車がとまっている。オレの左膝は回復途上だが、まだ何度も曲げ伸ばしはしたくはなく、手伝う気はない。

少女はバッキーで、言葉がごつごつしている。バッキーとは北のほうの出身ということで、南出身はナンキーという。むかしは罵倒語だったらしいが、いまは割りと平気で使う。

小柄な少女がジャスミンをひっこぬいた穴をまたぐようにして、スコップで白い虫をすくう。顔色はわるいが、笑うと白い歯が可憐だ。うつむき加減にすこし睨むようにしてこちらを見るまなざしだってわるくない。

妻は働き者の貧しい少女たちとすぐ仲良くなる。おそらく彼女もかつてはそうだったはずだ。今でも仕事の手際のよさには眼を見張らされる。



朝の歌  黒田喜夫


朝の病院の一室で
若い女が尻をむいてしやがんでいるのを
覗いた しやがんだ女の
脚もとに尻から
だらりと条虫の白い突端がたれ
そのまま動かない
おれも動けない数十分
とつぜん倒れるように手を前についた
手をついてがまの姿勢になつた
女の脚の間で白い虫がくねりだし
くねりだしたと思うと尻のなかへ
じりじり戻りだした 排するちからと
抗するちからが極まり
ながく女が呻きだしたとき おれの
烈しい今朝の嘔吐感がきた
そのとき
突端をちぎりすてた白い虫が
卑猥を超えた姿態のおく
寄生虫の延安へ
くねり還る瞬間をおれは見た


2015年12月26日土曜日

「そうだ、賄賂で難民制限しよう」

他国に難民せざるをえない状況に陥ったとき人はどこを選ぶだろう?
まずは近隣の国だろうが、そこは居心地がよくないのが明らかだとしたらどうする?
世界中に目をはせて難民支援をしてくれそうな国を探すんじゃないか
知合いが住んでいるのも大切だがね
もちろん当面の旅費があればの話だが
最低限の生活保護してくれるならそれに越したことはない

で、「他人の金で難民しよう」ってのはどうして非難されるんだろ
オレはこれで各国の難民生活支援額をしらべてみる気になったけどな
難民の苦しみへの想像力不足だって?
シリア難民などにまったく無関心のヤツラとどっちが想像力不足なんだ?

ヨーロッパ共同体はトルコに金払ったな、まずは4000億円ほどだ
トルコに賄賂を贈って EUへの難民流入を制限する破廉恥な方法だろ?
「おれらの金で難民の世話してくれ、こっちはもう目一杯だから」ってわけだな

あの正義面した連中の「そうだ、賄賂で難民制限しよう」ってのむかつかないかい?
オレは我慢がならないのだけど
現実主義者であるらしいきみたちにとってはへいっちゃららしいな

やあワルカッタねオレは性格がひねたほうでさ
どうもみんなと同じ言葉をみんなと同じように語るってのが苦手なのさ
同じ人に対して同じように怒りをぶつける
同じ人に対して同じように賞賛するってのがね

2015年12月25日金曜日

「天道は畜生道」と「神は無意識的」

阪神・淡路大震災は私の中の何かを変えた。地面が揺れたごときで何が変わるかと自分に言いきかせたのは今から思えば笑止であった。

まず、私は沈黙している患者の側に何時間でもいるという精神科医にとって不可欠な能力をまだ回復していない。三十年以上続けられていたこのことができなくなった。私は一九九七年春に病院を諦念で退くからおそらく回復の機会はないだろう。これは高揚状態というか躁状態で地震に続く事態に対応した後遺症ではないかと思う。

いっぽう、私は患者のこころの傷に敏感となった。幼年時代の虐待や学校でのいじめを受けた過去が現在に働いているのを察知するのに敏速になった。過去の過酷な体験のフラッシュバックに今も苛まれている患者がいかに多いか。(中井久夫「私の「今」」1996年8月初出『アリアドネからの糸』所収)

この文は、まずは阪神大震災における中井久夫の「トラウマ」にかかわる。そしてそのトラウマによって(中井久夫自身さえも)過去のいじめ体験の記憶が如実に復活したと捉え得る。中井久夫はしばしば小学生時代のいじめ体験について語っている。たとえば50歳のときに書かれた文には次のようにある。

笑われるかもしれないが、大戦中、飢餓と教師や上級生の私刑の苦痛のあまり、さきのほうの生命が縮んでもいいから今日一日、あるいはこの場を生かし通したまえと、“神”に祈ったことが一度や二度ではなかったからである。最大限度を、“神”に甘えて四十歳代にしてもらった。この“秘密”をはじめて人に打ち明けたのは五十歳の誕生日を過ぎてからである。(……)

ヒトラー・ユーゲントの日本版「大日本少年団」で、私はことごとにいじめられた。多少は、反戦的言辞を弄する祖父のせいもあったろうが、周囲と比べれば富裕そうな家であり、しかも権力者ではなかったからだろう。

私が何とか切り抜けられたのは、幼年時代に漢文の素読や何やかやを叩き込まれたおかげで、最上級生の宿題までやってやったためであるが、これを思い出す時、ルネサンスの人文主義者の悲哀もこうであったろうと思うことがある。村の小学校の卑屈な小知識人という役まわりである。(中井久夫「知命の年に」初出1984年『記憶の肖像』所収)

冒頭の文に戻れば、いじめ体験とは井戸の底にあるトラウマのひとつだっただろうと憶測できる(いや実は三歳以前の幼児型記憶が真の井戸の底のトラウマでありうるのだが、それについてはここでは触れない。それは『徴候・記憶・外傷』にあるいくつかの論文に詳しい→参考:「初期フロイトのトラウマ概念をめぐる備忘」)。

最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収 )

別に冒頭に引用したエッセイには、《地面が揺れたごときで何が変わるかと自分に言いきかせた》とあるが、中井久夫はどこで言ったのだろうか。ひとつだけそれにかかわるだろうと思われる文章をまずは掲げる。冒頭の文の約一年前のエッセイからである。

震災の後、おまえの何が変わったかという質問を受ける。新しい体験、新たな教訓というものは多々あるが、つけ加わったものでなく、芯のところで揺らいだもの、変わったものと尋ねられると、さてどうであろうかとみずからいぶかる。

理性の時代といわれる十八世紀の中ごろ、リスボンに大地震が起こって、十万ほどの人が亡くなった。いや、それは誇大な風聞であるともいうが、とにかく、ヴォルテールやライプニッツのような第一級の哲学者が神は世界を可能な中で最善のものにつくりたまうていなかったと愕然としたというふうに聞いている。私には、それが不思議でならない。

西欧のみならず、中国においても「天道是か非か」が極限の叫びでありえたが、私は「天道は畜生道なり」と喝破した二宮尊徳の系譜に繋がる者であって、自然災害によって身体は揺らいでも、思想が揺らぐということはどうも腑に落ちない。

もし、私が震災直後に、仕事場と自宅との往復において、襲撃を絶えず警戒して、暗闇を窺ってはうさんくさい広場を身を低くして足早やに横切ることの繰り返しを強いられたならば、私も少しは変わったかもしれない。実際、江戸末期から関東大震災まで、地震とは常に略奪の機会であった。アウエハント教授が名著『鯰絵』に示されたように、オランダのライデンに多く残る地震絵の中で鯰が小判を降らせているとおりである。

また、少数民族虐殺が起これば、戦後とはいったい何だったかと私は思ったであろう。さらに、もしそういう場面に遭遇すれば身を以て立ちはだからなければならない。そういう場合の勇気と怯懦とが紙一重の差であることが若くない私にはわかっており、咄嗟に私の中の何かがどちらに動くかは充分なほどには自信がなかった。

しかし、最初に外に出た時すでにそういうことははなから問題にならないことがわかった。神戸への精神科医療派遣の際に、東京方面では、もし事故が起こったらどこが補償するかがなかなか決まらなくて弱っているとある先生から電話があった時、「こちらは大丈夫ですが、こちらよりも東京のほうが危なくないですか」と言った私の冗談は日ならずしてほんとうになってしまった。その頃には私もテレビを見る余裕があったので、非常な不消化物をこれでもかこれでもかと精神の胃に詰め込まれてくる感じがして、オウム真理教、それいチチェン、ボスニアの内戦のほうが精神的重圧であった。もっとも、人間はひどく残酷にもやさしくもなれる生き物であって、その差は紙一重でしかない場合があることもかねてから知らないではなかった。(中井久夫『家族の深淵』「あとがき」一九九五年七月四日、神戸にて)

さて冒頭の文とこの文を重ね合わせて読めば、二宮尊徳の「天道は畜生道なり」という命題は否定されたことになるのだろうか。

あるいは、《ヴォルテールやライプニッツのような第一級の哲学者が神は世界を可能な中で最善のものにつくりたまうていなかったと愕然としたというふうに聞いている。私には、それが不思議でならない》とあるが、それに対してはどうなのだろう?

ここでは当面この問いを曖昧なままにしておくが、そもそも中井久夫は、「「祈り」を込めない処方は効かない(?)」というエッセイを書いているぐらいだ。これはある意味で、「〈神〉を信じない処方は効かない」とすることができるのではないか(もっともこの〈神〉をどうとらえるかについては、後述する)。

……サルの実験の際に頭をなでて「すまない」と思いつつ注射するのとそうでないのとではサルの反応が違うという友人の話もある。「利きますように。副作用が出ませんように」と心の中でつぶやきながら処方箋を渡す時には何かが受け手に伝わり、ひいては薬の効き目にも影響するのではないかと私は本気で思っている。薬は、その作用に心身が「賛成」するかどうかで効力がちがってくることが少なくないと私は信じている。
来世を私は願わない。おのれのみの転生を求めて生涯をかけて修業するのはエゴイズムであると私は思う。私の人生にはもう破滅かと思うことが何度かあった。それでも、私はベストの人間に会い、能力以上に仕事をし、若い時の予想より多く「世界を味わった」と思っており、そう思いつづけていたい。死後は無であろうが、ただ、勝手に「明るい無」であると思うことにしている。(中井久夫「「祈り」を込めない処方は効かない(?)」初出1999年『時のしずく』所収)


かつまた、中井久夫のすくなくともライプニッツに対する捉え方は、「表面的」であるという観点が、哲学研究者からはあるのかもしれない。

私自身、ヴォルテールやライプニッツの考え方についてはほとんど無知なのだが、たとえば次ぎのような指摘が若い哲学研究者の方の論文にある。

それは、「ライプニッツ的オプティミズムの現代的可能性について ―未来の「弁神論」に向けて―」(伊豆藏好美、30-Nov-2013)であり、ヴォルテールやライプニッツがリスボン地震のとき、どのようなことを言ったのかの引用のあとに、伊豆藏さんはライプニッツの「弁神論」をめぐって、レヴィナスの名を出しながら、次ぎのように書いている。

しかし、もしもそうであるなら、レヴィナスの言う意味での「広義の弁神論」は、21世紀の現在でもなおさまざまな形で生き続けている、ともみなせるのではないだろうか。実際、東日本大震災の直後にも、指導的立場に ある少なくない人々があろうことか「天罰」や「神の仕業」といった言葉を口にして物議を醸したのは記憶に新 しいことであるし ( 6 ) 、近年の一連の大災害や無差別テロに対する知識人たちの反応は、 「悪に関する彼らの考察が『弁神論』の段階から何ひとつ変わっていないこと を証明している」との指摘もあるほどなのである ( 7 ) 。

すると問われるべきはむしろ、恐るべき災厄や破局はなぜ、必ずやある種の「弁神論」を、もはやいかなる神も信じているようには思えない人々の間にさえ呼び起こすのか、という問いではないだろうか。そして、こう考えられないだろうか。私たちは通常深く自覚することな く「弁神論的思考」によりさまざまな不安や苦痛に対処 しているのだが、それが不可能なほどに法外な災厄や試練に直面したときにとりわけ、当の思考の有効性が改めて問われ、あるいはその失効が繰り返し主題化されてきたのだと。

ーー彼女は、結論近くで、アランをも持ち出し、彼の「オプティミズム」の定義、「それによって自然的なペシ ミズムを退けるような意志的判断」と引用してもいる。

わたくしもひとつアランを引用しておこう。

私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである。(アラン「オプチミスム」)

あるいは、第二次大戦が始まる直前に、ドイツでひそかに呟かれることが多くなったらしい《ルターの言葉》ーー実際にはルターの言ではないという話もあるがーーを引用してもよい。

たとえ明日この世界が滅びることを知っていても、私は、それでもなお、今日、私のリンゴの若木を植えるだろう。

これ以上の寄り道はやめておこう。ここでの核心のひとつは、「ライプニッツ的オプティミズムの現代的可能性」を読んで、まずラカンの「神は無意識的である」という命題を思い出したことである。ここではそれをめぐるジジェクの説明を掲げる。

もっともこれに付随する「騙されない者は間違える」をめぐっては、ジジェクは、かつて「私のラカンはミレールのラカンである」(『ジジェク自身によるジジェク』)とさえ言明した師匠ジャック=アラン・ミレールの解釈さえも批判しており、ラカン派内でも見解の統一はない(参照:Lorenzo Chiesa、ジジェクによるミレール吟味(サントーム/主人のシニフィアンをめぐる))。

ここではその解釈の当否を当面保留しつつ、次の文を掲げる。

人は直接的には大他者の不在を手に入れえない。人は先ず大他者に騙されなければならない。というのは、「父の名 le Nom‐du‐Père 」とは、「騙されない者は間違える les non‐dupes errent」を意味するからだ。「知を想定された主体」の錯覚 illusion への屈服を拒絶する者たちは、この錯覚によって隠されている真理を失う。

このことは、我々に「神は無意識的である」へと引き戻す。すなわち〈神〉(知を想定された主体としての神、大他者としての神、経験上のすべての受け取り手を超えた究極の受け取り手としての神)は、半永久的な、言語の構成的構造である。〈彼〉なしでは、我々は精神病となる。ーー〈神-父〉の場なしでは、主体はシュレイバー的妄想に陥る(Lacan, “La méprise du sujet supposé savoir,” 1968)。

「知を想定された主体」としての神は、この上ないものであり、大他者、真理の場の基盤的側面である。このように、大他者は神性のゼロレヴェルである。…「もし私にこの言葉遊びが許されるのなら、le dieu—le dieur—le dire (神ー神話すー話す)がそれ自体を生みだす。話すことは無から神を創りだす。何かが言われる限り、神の仮説はそこにあるだろう」(Lacan, Le séminaire, Livre XX: Encore)。

我々が話す瞬間、我々は(少なくとも、無意識的に)神を信じている。ここで我々は、ラカンの「神学的唯物論」に、最も純粋な形で遭遇する。発話行為(究極的には、我々自身)そのものが神を創造する。……(ZIZEK,LESS THAN NOTHING,2012,私訳)

ーーラカンの「神学的唯物論」とは、蓮實重彦の「魂の唯物論的擁護」を思い起させる言葉だが、ここでそれに触れるのは--長くなりすぎるのでーー、やめておこう・・・(参照)。

ジジェクの文には、《〈神-父〉の場なしでは、主体はシュレイバー的妄想に陥る》とある。ここでさらに柄谷行人の次ぎの文を並べてみよう。

ふつうの歴史的思考は、現代の認識論的枠組みで過去を構成し解釈することでしかない。ニーチェがこのような「歴史主義」を攻撃する一方で、「歴史的に考える」ことを説いたことは矛盾しない。後者は、前者を超越論的に考察することにほかならない。

混乱を避けるために、後者を「系譜学的」と呼ぶことにしよう。系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす「認識の遠近法的倒錯」をえぐりだすことである。

(中略)そもそも、このような系譜学はこえること(超越的)ではなく、超越論的なのである。たとえば、マルクスやニーチェが何といおうと、ひとは(彼ら自身も)”目的論的”に生きている。それを否定することはできない。だが、それをカッコにいれることはできる。たとえば、日常的にもの(客観)が私(主観)の前にあるという考え方を否定するならば、ひとはまず生きていけない。その自明性をとりあえず還元(カッコ入れ)しようとするのが超越論的ということであって、本当にその通りに生きてしまえば、分裂病者になるだろう。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

さらにはこうも引用することができる、《理念を嘲笑する人たちは、それが超越論的仮象だということ、それがなければ人が生きていけないということを知らない。》(柄谷行人、第一回長池講義

この文は「超越論的仮象としての〈神〉を嘲笑する人たちは、それがなければ人が生きていけないことを知らない」、とすることができるだろう。中井久夫の「「祈り」を込めない処方は効かない(?)」もこの文脈で読むことができる。われわれは、つねに、すくなくとも無意識的には、”目的論的”に生きているのだ。

この超越論的にかかわる柄谷行人の詰め将棋の話はとても示唆溢れる。

一般的な通念では、カントは、『純粋理性批判』において、感性を触発してそれに内容を与えるものを物自体とみなし、『実践理性批判』では、超越論的主観を物自体とみなしたとされる。つまり、前者は理論的な問題、後者は実践的(道徳的)問題だとみなされている。しかし、このような区別はおかしい。たとえば、ハンナ・アーレントは、「理論的」の反対概念は「実践的」ではなく「思弁的」であるといっている。実は、科学における理論も「実践的」であるほかない。それは自然が解明されるはずだという「統整的理念」なしにはありえないからだ。カントは「理論的信」についてこう語っている。

《ところで実践的判断の意見には信という語が適合するから、これに倣って理論的判断における信を理論的信と名づけてもよい。私達に見える遊星のうちの少なくともどれか一つに住民がいるということを、もしなんらかの経験によって確めることができるものなら、私はこの命題の真であることに対して全財産を賭けたいとさえ思っている。つまり私が言いたいのは、地球以外の世界にも居住者があるということは、単なる意見ではなくて強固の信だということである(私はかかる確信が正しいということに対しては、私の生涯の数多の利益を賭けてもよいくらいである)。(『純粋理性批判』)

これは、科学認識(綜合的判断)はスペキュレーション(思弁)ではないが、ある種のスペキュレーション(投機)をはらんでいるということを示している。だからこそ、それは「拡張的」でありうるのである。

しかし、理論的/実践的を簡単に分けることができないように、物自体を物と他我(主観)に分けて考えることはできない。科学的仮説(現象)を否定(反証)するのは、物ではない。物は語らない。未来の他者が語るのだ。しかし、この他者は、反証するためには、必ず感性的なデータ(物)を伴っていなければならない。したがって、物自体が他者であるということは、物自体が物であるということと背反しない。肝心なのは、物であれ、他者であれ、その「他者性」である。とはいえ、それは何ら神秘的なものではない。「物自体」によって、カントは、われわれが先取りできないような、そして勝手に内面化でいないような他者の他者性を意味している。したがって、カントは、われわれが現象しか知りえないということを嘆いているのではない。「現象」の認識(綜合判断)の普遍性は、むしろそのような他者性を前提するかぎりで成立しうるのである。

カントは、そうした他者を先取りしてしまうことを「思弁的」と見なす。だが、他方で、彼はそれが仮象であるとしても不可欠な仮象(超越論的仮象)であると考えた。たとえば、われわれが自然を認識できるだろうという「統整的理念」は、事実、発見的に働くのである。マンハッタン・プロジェクトに関与したというノーバート・ウィーナー(サイバネティックスの創始者)は、原爆製造に成功した後、防諜上最大の機密とされたのが、原爆の製造法ではなく、原爆が製造されたという情報であったといっている。同時期にドイツ・日本でもそれぞれ原爆の開発を進めていたので、それが製造されたという事実がわかれば、たちまち開発に成功するからである。詰め将棋の問題は実戦におけるよりはるかに易しい。かならず詰むという信が最大の情報である。自然界が数学的基礎構造をもつというのもそのような理論的な「信」である。この意味で、もし近代西洋においてのみ自然科学が誕生したとしたら、このような「理論的信」があったからだといってよい。(柄谷行人『トランスクリティーク』 p83-84)

さて、二宮尊徳の「天道は畜生道なり」をどう考えたらよいのだろう。我々は、すくなくとも「事前的」には、天道は畜生道ではない、そういいうるのではないか。

事後的(思弁的)には天道は畜生道であるかもしれない。だが事前的(倫理的)には、そうではないのだ、「思弁は後ろ向きであり、倫理は前向きである」(キルケゴール)。

とはいえ、ラカンも最晩年に向けて、〈神〉をめぐっていろんなことを言っている。たとえば、我々は次ぎの文をどう読むべきだろうか?

神は、我々が世界と呼ぶところのものの作者じゃない。我々が神に帰するのは、職人の仕事だな、最初のモデルは、ヨク知ラレテイルヨウニ、陶器作りだよ、型に入れて作ったといわれるがーーダガドンナ材料デダロ?ーー、偶然じゃないよ。世界、それはただ一つの事を意味する、y a d'l'Un(「一」のようなものがある)だ。

Yad'l'un、ーーだが何処にあるのかわからない。 この「一」が世界を構成したなんてことはあるはずがないさ

〈他者〉の〈他者〉、現実界、それは不可能だ、そんなものはゴマカシさ。われわれのはぐらかし……ハ・グ・ラ・カ・シ……詐欺だね。(ラカン、S.23、粗訳ーー「réel/réalitéの混淆」)

わたくしは、ラカン自身、事後的/事前的なあいだで常にその発言が揺れ動いているというふうに(とりあえずは)読む。だからその都度の発言のみをとらえて、こういう立場だということは言い難い。それは中井久夫もしかり。

…………

ラカンの〈神〉? わかってるさ、そんな単純なものでないのは。

神とは シンプルに〈女〉のことさ、他者の他者があるなら、〈女〉が存在するってことさ(ラカン、セミネール、.ⅩⅩⅢ)

というわけで、「難解版:「〈他者〉の〈他者〉は外-存在する」(ジジェク=ラカン)」なんてどうだろ? 〈神〉は対象aとして外立 (Ex-sistenz) するのさ。

そして、対象aとは、究極的には幼児型記憶のトラウマさ、下の③④だね

Lorenzo Chiesa2007による対象aの五つの定義の要点
①S(Ⱥ)としての象徴的ファルスΦによって生み出された裂け目の想像的表象
②主体から想像的に切り離されるうる部分対象
③シニフィアン化される前の、すなわちS(Ⱥ)以前の Ⱥ
④母なる〈他者〉(m)Otherの得体の知れない欲望
⑤アガルマ、すなわち隠された秘宝、あなたのなかにあってあなた自身以上のもの(ただし厳密にはやや異なる)。

要は「スフィンクスの謎」だよ、「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」(中井久夫)

いちじくの樹よ、すでに久しい以前からおんみはわたしに意味深いのだ、
いかにおんみは花期をほとんど飛び越えて、
遅疑することなく決意した果実のなかへ、
世の声高い賞讃もうけず、おんみの清純な秘密を凝集することか。
噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』第六 手塚富雄訳)

で、きみたちの神はつねに無意識的に存在しているのさ

父の機能を基礎づけるのは父親殺しだと主張さえしてフロイトが父なるものを守っているように、無神論の真の公式は「神は死んだ」ではなく、「神は無意識的である」である。(ラカンセミネールⅩⅠ)

きみたちの無信仰(無神論)? 日本人の宗教はいまだアニミズムだよ(中井久夫曰く)。意識的に信仰している連中のほうがまだましじゃないかい? アニミズム信仰なんてのは「現実主義者」であるらしい科学者たちの信仰と同じ穴の狢だぜ

アルチュセールがおもしろいことをいっている。科学者は最悪の哲学を選びがちである、と(笑)。 細かい実験をやってて、そこではすごくハードな事実に触れているのに、それを大きなヴィジョンとして語り出すと、 突然すごく恥ずかしい観念論になっちゃうことがあるわけ。それこそアニミズムとかね。(浅田彰ーー村上龍との対談、2000)



2015年12月24日木曜日

不滅の差別言動の飼い馴らし

何度も引用しているが、差別は純粋に権力欲の問題であり、権力志向という「人間性」はいくら頑張っても変わらない。

差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがまずない。差別された者、抑圧されている者がしばしば差別者になる機微の一つでもある。(中井久夫「いじめの政治学」)
われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提とすべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

この二つの見解からひき出せるのは、差別意識は「人間性」の(主要な)特徴であり、それがなくなることを前提とすべきではないということだ。ジャン=ピエール・デュピュイは、階級が無い社会では、差別がむしろいっそう渦巻くだろう、とさえ言っている(参照)。

ここで、エロス/タナトスを愛/闘争としたり、タナトス(死の欲動)をニーチェの権力への意志と同じものとして扱っているフロイトを持ち出してもよいが(あるいは、分離不安/融合不安などの最近のラカン派の議論)、議論が長々しくなるので参照文のひとつだけを提示しておこう→「「権力への意志Wille zur Macht」と「死の欲動Thanatos」」。

もし差別が攻撃欲動や死の欲動にかかわるのなら、それは根源的なものであり、なくなるはずはない。そしてわたくしはこの見解をとる(エロス/タナトスを、受動性/能動性ととる考え方もある。人はいつも受動性のままでいることはできない)。

すなわち、差別など昔からあったし、今後もなくならない。

ここでは、差別といじめのあいだの区別を曖昧なままで(参照Hate speech and bullying ‘two sides of the same coin')、ノーベル賞作家でありかつまたかつてのフェミニストのアイコンのひとりだったドリス・レッシングの自伝から、次の文を引用しておこう。

子どもたちは、常にいじめっ子だったし、今後もそれが続くだろう。問題は私たちの子どもが悪いということにあるのではそれほどない。問題は大人や教師たちが今ではもはやいじめを取り扱いえないことにある。(ドリス・レッシングーー「The Collapse of the Function of the Father and its Effect on Gender Roles」 Paul Verlweghe 2000より孫引き))

ーー子どもたちのいじめっ子ぶりは、たとえばフローベールの『ボヴァリー夫人』の冒頭を読めば、たちどころに分かる。

問題は、ドリス・レッシングのいうように、社会が差別をうまく処理できなくなったことだ。ネトウヨのたぐいの種族は実は昔からいる。だが彼らがおおっぴらに振舞うようになったのは、1989年において最後の権威が消滅してからだ(ほとんどそうである、といくらかの保留はしておこう。そしてもちろんインターネットの普及にもかかわる)。

「穏健」右翼と「極」右との違いは、前者が考えているだけであえて口には出さないことを、後者はずけずけ言ってのける、ということである。(ジジェク『斜めから見る』 )

ずけずけ平然と差別的振る舞いをするようになったのは、権威の機能が消滅して(参考)、先ずはその振舞いへの恥の感情が消滅もしくは希薄になったせいであるだろう。

かつまた次ぎの権力/権威の相違の理解もすこぶる肝腎なはずだ。

重要なことは、権力powerと権威authorityの相違を理解するように努めることである。ラカン派の観点からは、権力はつねに二者関係にかかわる。その意味は、私か他の者か、ということである(Lacan, 1936)。この建て前としては平等な関係は、苦汁にみちた競争に陥ってしまう。すなわち二人のうちの一人が、他の者に勝たなければいけない。他方、権威はつねに三角関係にかかわる。それは、第三者の介入を通しての私と他者との関係を意味する。

明らかなことは、第三者がうまくいかない何かがあり、われわれは純粋な権力のなすがままになっていることだ。(社会的絆と権威(Paul Verhaeghe)

出発点はこれらからなのであり、いくら人種差別にかかわるヘイトスピーチの連中を叩いても、モグラ叩きのように別の穴から頭を出すに決まっている。別の穴? たとえば、「障碍者差別」「老人差別」「浮浪者差別」等々いくらでもある。

もちろん差別には種々の要因がある。中井久夫は1986年の段階だが、「いじめ≒差別」の要因を三つに分け、《第一に、ある発達段階において意地悪あるいはいじめの現象には、人間あるいはそれ以前の動物において広くみられる永遠の問題だという部分》、《第二の側面、すなわち時代の流れの中での問題》を掲げ、三番目に日本的要因をあげている。

第三の側面がほの見える。つまり、日本文化に内在するいじめのパターンがあるのではないか。戦時中のいじめーー新兵いじめをさらに遡れば、御殿女中いじめがある。現在でも新人いじめがあり、小役人の市民いじめがあり、孤立した個人にたいする庶民大衆のいじめがある。医師の社会にもあり、教師の社会にもあるだろう。ねちねちと意地悪く、しつこく、些細なことをとらえ、それを拡大して本質的に悪い(ダメな)者ときめつけ、徒党をくんでいっそうの孤立を図る。完全に無力化すれば、限度のないなぶり、いたぶりに至る。連合赤軍の物語で私を最もうんざりさせたのは、戦時中の新兵いじめ、疎開学童いじめと全く同じパターンだったことである。そういえば、シベリアの捕虜の間でも「暁に祈る」という、死に至らしめるいじめがあった。忠臣蔵という芝居が江戸時代を通じて上演記録の一、二を(佐倉宗五郎とともに)争い、今日もくり返しテレビに登場して高い視聴率を挙げているのは、いじめに対して反撃して挫折した者の感情がこめられているのではないか。幕府は冷酷だった。しかし(実際の被害者は通常もてないところの)家来たちがかたきをとってくれる。幻想の中の解放感である。

この第三の側面は、私には日本人のいちばんいやな面である。戦時中の日本兵の残虐行為も、このパターンであったろう。

こういうものは何によって生まれるのか。私には急に答えられないが、思い合わせるのは、実験神経症である。些細な差にたいする反応のいかんによって賞か罰かが決まるような状況におけば、無差別的な攻撃行為や自分を傷つける行為が起こる。新兵いじめでは些細な規律違反が問題になった。御殿女中では些細な行動が礼儀作法にかなっているかどうかが問題になった。連合赤軍では些細な服装や言葉づかいが、かくれた「ブルジョア性」のあらわれではないかと問題になった。いずれも、閉鎖社会であり、その掲げる目的を誰もほんとうには信じていない状況であった。

戦時中の教師はよく殴ったが、それで日本精神を注入して戦争に勝てるとはほんとうに思っていなかったにちがいない。人間は、自分が信じていないということを自覚しないで、信じているぞと自他に示そうとするとかなり危険な動物になる。

もちろん、信じていないことをしなければならないことはしばしば起こる。誰もが英雄ではないし、英雄には英雄の問題がある。最低、必要なのは、自分の影をみつめることのできるユーモア精神だと私は思う。(中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」1986年初出『記憶の肖像』所収)

ーーこれはまずは閉ざされた社会の村八分習性とでもいえるものだが、それだけではないのは、上に黒字や下線で強調した通り。

流行という要因もあるだろう。流行だけなら、たとえば「ヘイトスピーチ〔差別)なんてダサイ」と周知徹底すれば、しだいになくなる可能性はある。だが根となる差別者の鬱憤は消えることはない。別の対象にその攻撃性は向かうことになるに違いない。

誰にも攻撃性はある。自分の攻撃性を自覚しない時、特に、自分は攻撃性の毒をもっていないと錯覚して、自分の行為は大義名分によるものだと自分に言い聞かせる時が危ない。医師や教師のような、人間をちょっと人間より高いところから扱うような職業には特にその危険がある。(中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」)

実際、被差別者(参照:「被害者意識」(蓮池透氏))や反差別運動をしている人びとでさえ、この攻撃性の毒からまぬがれることはないし、教師や医師などの「聖職」もしかり(むしろ、いっそう危ないとさえ言える)。

一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは、一歩下がって考えなお してみてからでも遅くない。そういうときは視野の幅が狭くなっていることが多い。 このようなことが問題になるのは、風邪のように、あまりこちらのこころが巻き込まれずにす む病気が精神科には少ないからである。精神科治療者の先祖は、手軽な治療師ではな い。シャーマンなど、重い病気にいのちがけで立ち向かった古代の治療者である。 しかし私たちは、一部の民間治療者のように、自分だけの特別の治療的才能を誇る者ではない。 私たちを内面的にも外面的にも守ってくれるのは、無名性である。 本当の名医は名医と思っていないで、日々の糧のために働いていると思っているはずで ある。 しかし、ベテランでもライバル意識や権力欲が頭をもたげると、とんでもない道に迷い込む ことがある。これらは隠れていた劣等感のあらわれである。特別の治療の才を誇る者がも っともやっかみの強い人であるのは、民間治療者だけではない。 (中井久夫『看護のための精神医学』 )


ところで、現在の差別主義者の鬱憤の根はどこにあるのだろう。以下は、上にも引用したが、ベルギーのラカン派精神分析医ポール・ヴェルハーゲの見解である。 一般公衆向けの記事であり、ラカン用語を使わずに簡明な言葉で記されている(これとほどんど同じ主張でありながら、フロイト・ラカン用語を使用してのやや詳細な論の断片はここにいくらかある→ 「新自由主義社会のなかの居心地の悪さ」)。



◆「新自由主義はわれわれに最悪のものを齎したNeoliberalism has brought out the worst in us"」Guardian(2014.09.29

我々は、自らのアイデンティティが安定したもので、外的な影響力からおおむね独立したものだと見なしがちだ。しかし、数十年を越えた研究と治療実践をへて、私が確信するようになったのは、経済的変化が我々の価値観のみならず、我々のパーソナリティにも深刻な影響をもたらすということだ。三十年のあいだの新自由主義、市場経済と民営化が大きな打撃を生んだ。というのは、目的を達成しようとする容赦ない圧迫が標準的になったためだ。もしあなたがこのことに懐疑的なら、あなたに次の単純な申し立てを提示しよう。すなわち、能力主義的新自由主義は、あるパーソナリティの特徴を好み、別の個性を罰する

今日、キャリアを築くには、ある特定の理想的個性が必要とされる。第一に、自分の考えを明確に表現すること、可能な限り多くの人びとに勝ち抜く目標志向性。他人との触れ合いは皮相的でありうる。とはいえ、現在これはほとんどの人のあいだの交流に当てはまるので、実際のところ気づかれていない。

重要なのは、自分の能力を可能な限りずばずばと語ることができることだ。ーーあなたはたくさんの人を知っている。多くの経験を積んでいる。最近大きなプロジェクトを成し遂げた。後に、人びとはほとんど大風呂敷だったことを見出すだろう。しかし、彼らが最初はかつがれたという事実は、別のパーソナリティの特徴を教えてくれる。すなわち、あなたは確信をもって嘘がつけ、わずかな罪悪感しか抱かない。これが、あなたが自身の振舞いに決して責任をもたない理由だ。(……)

いじめは、かつては学校に限られた。今では、どの仕事場にもある特徴だ。これは、欲求不満を弱者にぶちまける典型的な無力感の症状だ。心理学では、いじめは「置き換えられた攻撃性」として知られている。そこには覆い隠された恐怖感がある。パフォーマンス不安から、より広く脅威をあたえる他者という社会不安まで。

仕事上での絶えまない査定は、自主性の衰退を引きおこし、外部の、しばしば移り変わる規範への増えつづける依存をもたらす。これは、社会学者リチャード・セネットがぴったりと言い表したように「働き手の幼児化」を生む。大人たちは、幼児的な癇癪の暴発を示し、些細なことで嫉妬する(「彼女のは新しい事務椅子になったのに、私のは古いままなんて!」)、白々しい嘘をついたり、ペテンに訴える。他人の失墜に大喜びしたり、つまらない恨みを心に抱く。これは、人びとが独自に考えることを妨げ、従業員を大人として扱いえないシステムの帰結である。

とはいえ、もっと重要なことは、人びとの自尊心の深刻なダメージである。自尊心は、ヘーゲルからラカンまでの思想家が示してくれたように、他者から受け取る承認に大きく依存する。セネットは同様な結論に達している。それは、彼が最近の従業員にとっての主要な問い、「誰が私を必要としているのか?」を観察したときであり、答えは「誰も必要としていない」だった。

我々の社会は、絶えまなく言い張っている、誰もがただ懸命に努力すればうまくいくと。その特典を促進しつつ、張り詰め疲弊した市民たちへの増えつづける圧迫を与えつつ、である。 ますます数多くの人びとがうまくいかなくなり、屈辱感を覚える。罪悪感や恥辱感を抱く。我々は延々と告げられている、我々の生の選択はかつてなく自由だと。しかし、成功物語の外部での選択の自由は限られている。さらに、うまくいかない者たちは、「負け犬」あるいは、社会保障制度に乗じる「居候」と見なされる。

新自由主義的な能力主義は、我々に信じこませようとする、成功は個人の努力と才能しだいだと。その意味は、すべてが個人の責任にかかっており、当局は、この目的を獲得するために、人びとに可能なかぎりの自由を与えるべきだというものだ。拘束なしの自由というおとぎばなしを信じている連中にとっては、自己統治と自己管理が卓越した政治的メッセージである。なかんずく、それらが自由を約束するものとして現れるなら。完璧になりうる個人という考え方とともに、我々が自ら「西側」にはあると見なしている自由とは、今の時代の最大の虚偽である。

社会学者ジクムント・バウマンは、我々の時代のパラドックスを手際よく要約している。すなわち「かつてなく自由で、かつてなく無力を感じる」時代と。我々は以前よりも自由だ。宗教を批判できたり、セックスへの新しい自由気ままな態度の効用をえたり、どんな政治運動をも好きなように支持できるという意味で。とはいえ他方、我々の生活は、カフカの足を竦ませた官僚主義との絶えまない闘争である。なにもかもに規制がある。パンの塩の量から都市部の養鶏にまで。

我々が思い込んでいる自由とは、ひとつの中心の条件に縛りつけられている。すなわち、我々は成功しなければならない。つまり、我々自身の何かを「作らなければならない」。あなたはその例を遠くまで探しにいく必要はない。高度に熟練した個人が、育児を自らのキャリアより優先したら、批判に曝される。よい仕事をもった人が、他の事に時間を注ぎこむために方向転換したら、クレイジーと見なされる、もしその他の事が成功を約束するのでなかったら。小学校の先生になりたい若い女性は両親に告げられる、あなたは経済の博士課程を経て始めるべきだよ、小学校の先生だって? いったい何を考えているんだい?

絶えまない嘆きがある、いわゆる我々の文化における規範と価値観の喪失について。しかしながら、我々の規範と価値観は、我々のアイデンティティにとって不可欠な本質的な部分である。だから喪われえない。ただ変化するだけだ。そしてこれがまさに起こっていることだ。変化をこうむった経済は、変化をこうむった倫理を映し出す。そして変化をこうむったアイデンティティをもたらす。現在の経済システムは、我々に最悪のものをもたらしている

ーーこのあたりの見解は、通常の「知識人」からは出てきにくい。というのは、彼らは、この新自由主義の能力主義システムのなかをそれなりにたくみに泳ぎつつ、みずからの「知識人」としての位置を獲得したか、しつつある者たちであるだろうから。ヴェルハーゲの言葉を抜き出せば、《能力主義的新自由主義は、あるパーソナリティの特徴を好み、別の個性を罰する》のであり、あれらの「言論人」の多くは、前者のパーソナリティの要素をもっていることが多いだろうから。

さて、上のヴェルハーゲの文からは、現在の差別者は、新自由主義システムの被害者でありうると読むことができる。そして《いじめは「置き換えられた攻撃性」》であるとか、《「働き手の幼児化」》という表現が出てくる。すなわち、いささか幼児的になった新自由主義の囚人たちが、その苛酷なシステムから来る目にみえない暴力に脅える。

資本主義社会では、主観的暴力((犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)以外にも、主観的な暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)がある。(……)暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている。(ジジェク『暴力』)

そのシステムの暴力への反動として手頃な弱者を探し出し攻撃する。《差別された者、抑圧されている者がしばしば差別者になる機微》が働く。彼らは子どもではないにしろ、ヴェルハーゲの指摘する通りいささか幼児的になっており、そのメカニズムとしては次ぎのごとくだろう。

子どもの社会は権力社会であるという側面を持つ。子どもは家族や社会の中で権力を持てないだけ、いっそう権力に飢えている。子どもが家族の中で権力を制限され、権力を振るわれていることが大きければ大きいほど、子どもの飢えは増大する。

いじめる側の子どもにかんする研究は少ない。彼らが研究に登場するのは、家族の中で暴力を振るわれている場合である。あるいは発言したくても発言権がなくて、無力感にさいなまれている場合である。たとえば、どれだけ多くの子どもが家庭にあって、父母あるいは嫁姑の確執に対して一言いいたくて、しかしいえなくて身悶えする思いでいることか。(中井久夫「いじめの政治学」初出1997年『アリアドネからの糸』所収)

さてここまでで、新自由主義、あるいは世界資本主義が1990年以降の差別猖獗の原因(大きな原因のひとつ)だということが憶測できる(もっとも中井久夫が指摘する日本的な差別に注目すれば、日本は差別先進国だともいえる。これについては、日本はもともと権威=超自我の機能が弱かったという議論があり、それに思いを馳せないでもないが(参照:「いつのまにかそう成る「会社主義corporatism」」)、いまは触れ得ない)。

とはいえ、現在の新自由主義システムは容易に変わらないとしたらどうしたらいいのだろう? 当面、人びとの攻撃性を飼い馴らす仕方として、次のような例を参照することはできないだろうか。

教育の前段階において若者をあつめて何らかの集団をつくるようにしている部族は多いはずである。ブッシュマンの社会においては、親族関係によって冗談を言ってよい相手――ジョーキング・パートナー ――と言ってはいけない相手がきまっているというが、これは攻撃性を放電する一つの回路としての冗談(からかい)の制度化という、すぐれた解決法である。

冗談、からかい、地口、皮肉――これらの中には攻撃性が薄められてはいっている。しかし、薄められた攻撃性は遊びに接続しており、むきだしの攻撃性にたいする一種の免疫効果がある。冗談と言葉遊びと遊戯との三者の間に密接な関係があるのは、遊戯の多くが冗談的な言葉遊びを伴奏として行なわれること一つを考えてみてもわかる。これれは、先の三Cを教えるものである。他者との妥協は自分(の欲望など)との妥協でもある。それなしには他者と交わることができないのを遊びは教える。(中井久夫「精神科医からみた子どもの問題」1986年初出『記憶の肖像』所収)

われわれの攻撃性を飼い馴らす遊戯としての「冗談」までを糾弾してしまうとどうなるのか(たとえばそれは、ツイッター社交界での「正義派」がしばしばしている現象としてよい)。それでは攻撃性の行き場が(ネットしか鬱憤晴らしの場がない者たちにとってはことさら)なくなってしまうのではないか。するとその攻撃性はむしろ悪い方向に向かうのではないか。

ここでも基本であり出発点の考え方のひとつは、次ぎの中井久夫の次の文であるとわたくしは思う。

日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」2003年初出『徴候・記憶・外傷』所収)

2015年12月23日水曜日

アメリカ憲法? コミュニストが作ったんだろ

以下、ジジェク、2012をまずは私訳して掲げる。「人権語りのふたつの誤り」とでも題することができる断章である。

人権の話題を扱うとき、イデオロギー批判は二つの(逆方向の)間違いを犯しがちだ。最初の方ははっきりしている。ある領野の症状=徴候的点(過剰、自己批判、対立)は、必然的に生じるものではなく、単なるアクシデント、経験的不完全さに還元されてしまう。普遍的人権概念は、実際のところは特定の文化的価値の限定された一組(ヨーロッパの個人主義など)を特権化する。その意味は、それらの普遍性はまがい物である。

しかしながら、逆方向の間違いもある。全ての領野はその症状=徴候へ崩壊されてしまうというものだ。ーー「ブルジョア的」自由と平等は、直にかつまた唯一の資本家イデオロギーの仮面、支配と搾取の仮装であり、「普遍的人権」は、直にかつまた唯一の、帝国主義的植民地主義者の介入を正当化する手段だ等々。

最初の間違いは、イデオロギー批評の常道の部分であるが、二番目の間違いは、ふつう等閑視されておりいっそう危険だ。「形式的自由」の正統マルクス主義の批評概念は、はるかに洗練されたものだ。そう、「ブルジョア的自由」はたんに形式的なものだ。しかしそれ自体として、実際の自由の顕れの唯一の形式(あるいは潜在的な場)である。要するに、人が「形式的」自由を早まって廃止してしまえば、実際の自由(の可能性)まで失ってしまう。あるいはもっと実践的にいえば、そのまさに抽象性のなかに、形式的自由は実際の不自由を不明瞭にするだけでなく、同時に実際の不自由の批評的分析の空間を開くのだ。

さらに状況を複雑化することは、世界資本主義における空白の空間の増加は、それ自体がまた、資本主義はもはや自由と民主主義の普遍的市民秩序を許容しないことの証拠であることだ。資本主義はますます排除と支配を求めている。中国の天安門事件の弾圧はここでは典型的である。野蛮な軍事介入によって制圧されたものは、自由民主的な資本家秩序への素速い入場の見通しではなく、より民主的でより正義の社会の純粋にユートピア的可能性だった。

1990年以降の野蛮な資本主義の爆発は、非民主主義の「党」のルールの再強調と手に手を取り合って進んだ。思い起こそう、初期の近代イギリスの古典的マルクス主義者のテーゼを。すなわち、政治権力を貴族制に委ねたのはブルジョア自身の利害であり、自身の経済的権力を保つためだった。たぶん似たようなことが今日の中国でも起こっている。新興の資本主義者の利害において、政治権力を共産党に委ねているのだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、私訳)

ーーこの文は、かなり以前に読んで、どこかで似たような話を読んだ覚えがあるな、と思いつつ、ほうってあった。昨晩たまたま柄谷行人の「形式的民主主義」をめぐる語りに遭遇したので、ここに並べて備忘録としておく。

討論「ポストコロニアルの思想とは何か」(鵜飼哲・酒井直樹・鄭暎恵・冨山一郎・村井紀・柄谷行人ーー『批評空間』Ⅱ 11-1996)からである。

柄谷)……ブルジョワ革命は単純にいうと、自由・平等・友愛というスローガンに集約されるけれども、革命後のブルジョワジーは平等をたんに形式的にとどめて、それ以上はやらなかった。そこで、内容的な「平等」を実現すべく社会主義が現われる。しかし、これは、初期マルクスの場合でも、ブルジョワ革命の徹底化として考えられていたことを忘れてはならない。産業資本主義が興っても、ブルジョワ革命的なものがほとんど実現されていない国はたくさんあったわけです。そういうところで「社会主義」が実行されれば、「自由」がないどころか、「平等」までなくなる。つまり、ブルジョワ的なものをたんに否定してしまえば、それ以前よりひどいものになってしまう。

ブルジョワ革命、あるいはブルジョワ的思想は、具体的なブルジョワジーとは違います。ただ、それはきわめて形式的なものです。たとえば、ブルジョワ的思想家として、ぼくはカントを考えていますが、彼のいう実践理性はまったく形式的です。だから、ヘーゲルはカントの思考が形式的であり、内容をもたないことを批判した。しかし、内容をもたないからこそ、この形式はいつも革命的なものとなりうるのです。逆に、ヘーゲルは保守的になってしまう。つまり、国家や民族などといった内容が支配的になる。

たとえば、「人間は平等である」ということは形式的です。その中に、具体的な内容はない。しかし、六〇年代のアメリカの市民権運動のころに行われた世論調査で、合州国憲法を市民に見せて回って、調査員が誰がこれを書いたと思うかと尋ねたところ、コミュニストだろうと言った人が多かったらしい(笑)。この憲法を書いた連中は、その時点では、「人間」の中に黒人をいれていなかったはずです。しかし、それが形式的であるために、どのような内容をももちうるのです。要するに、ブルジョワ的憲法を本気で徹底化したらどうなるか。人種差別などありえない。男女差別ありえない。同性愛者差別なんてありえない。現在の運動は、まさに人間の自由・平等という「形式」の具体化であり、またこの「形式」を徹底的に活用するほかないと思います。(……)

……この間、衛星放送でアメリカの大統領候補ドールの演説を聞いていたら、アメリカは偉大だとしゃべっているんですけど、何が偉大かというと、われわれはもともとみんなよそから来たにもかかわらず、アメリカはわれわれを市民として受け入れているからだ、その意味において世界に例のない偉大な国だと言っている。彼は、ナショナリズムをいうとこに、民族の伝統とかいうことはいわない。社会契約を実行しているのはわれわれだけだという。もちろん、それは形式であって、「契約」してみたところ、実際はスラム街に住むということになる(笑)。内容は伴なっていない。にもかかわらず、われわれは社会契約としてのネーションなのだということを誇る。フランス人もそう思っていると思う。

2015年12月22日火曜日

わが仏尊しと地獄の釜の蓋

またきみか? もうオレはラカンはしばらくおりるつもりだからさ、--たぶん四つの言説理論くらいはいつまでも生き残るだろうが、他は専門家ではないのだから、あまりもうゴタゴタ言いたくないというのがあるーー、いずれにせよ、すこし前記したことと見解はなにも変わっていない。

文句があるなら、ほかにどういう立場があるのか、逆に教えてくれないかね?

…………

理論というものは、その信奉者を「わが仏尊し」といわせるように追い込む性格を持っている。これはそれだけで陥穽である。精神療法家も、この陥穽を免れるとは限らない。実際、いかに平凡な事実ながら、おのれの対象の重大性を、すべての専門家はそれぞれ強調するものである。さらに、治療者の場合、対象とする事態の悲劇性を過度に感受することも、悲劇の実現性を高める副作用を持つであろう。(中井久夫「分裂病の陥穽」1992年初出『家族の深淵』所収)
サリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追及に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造の癒しが最後には破壊に終る機微を述べているように思われる。 (中井久夫「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」初出1996『アリアドネからの糸』所収)

で、やはり理論の(無批判に近い)信奉者はヤバイのだよ、私はラカンに転移しています、などと「留保なしに」公言しているオッチャンはとくにな。

Lacan を読むためには,Lacan を愛していることが必要です.聖書を読むためには,神を愛していることが必要です.「愛している」,つまり転移において初めて,テクストは単なる文字の羅列ではなく,生きた言葉として語り始めます.(小笠原晋也ツイート、2015年04月12日)

もちろんこのツイート自体だけを取れば、間違いではない。

最初に、教えること。教育とは、要するにつねに送り届けるシニフィアンpassing signifiers、知の過程ということになる。教師から生徒への、である。この送り届けることは、陽性転移があるという条件の下でのみ効果的である。人は愛する場所で学ぶ。これは完全にフロイト派のタームで理解できる。主体は〈他者〉のシニフィアンに自らを同一化する。すなわち、この〈他者〉に陽性転移した条件の下に、この〈他者〉によって与えられた知に同一化する。ラカン派の観点からなら、この同一化はつねに疎外である。〈他者〉によってもたらされたシニフィアンを取り入れることは、主体を、存在論的に、自らの異邦人strangerに変える。この疎外は、獲得と喪失をともに意味する。もちろん知の獲得がある。しかしこの過程はよりいっそう先に進む。主体によって取り入られた数々のシニフィアンに依存することによって、その外的な現実が同様に成長する。というのは、この現実は、まさに象徴的秩序によって決定づけられたものだからである。他方、われわれは喪失に捉われる。それは構造的に決定づけられており、先ずは現実界にかかわる。さらに具体的にいえば、存在-の-喪失"le manque-à-être"にかかわる。次に象徴界である。より具体的に言えば選択の喪失である。すなわち自らの欲望は〈他者〉の欲望につねに疎外される。

これらの影響は生徒たちに適用される。教えることは、避けがたく、結合と集団の形成の効果をもたらす。そこではおのおのの個性ある主体が消滅する。教師にとっては、教えるという行動、――シニフィアンを生み出すことーーは、避けがたく、彼の知の限界に直面する。かつまた言語化を超えて横たわる真理の部分に直面する。これが、教えることは不可能な職業だと考えられる構造的な理由である。(「教えることと精神分析」Paul Verhaegheーーラカンの四つのディスクール論

だが彼には文字通り「前科」があるわけでね。

・わたしが殺人罪で服役した経歴を持ちながらも敢えて精神分析家として仕事を続けるのは,精神分析がわたしの lifework だからです.Lifework とは,存在 barréが請求していることです.

・他殺であれ自殺であれ,それは,死そのものである φ barré が a を破壊し,呑み込んでしまうことです.わたしは身をもってその極限状態を経験しました.文字どおり,突然足もとに穴が開いて,そこに呑み込まれてしまう感覚でした.実存構造の突然にして急激な解体が起きた場合,そのようなことが起こり得ます.

かつまた、ラカン理論を根本的に捉え損なっているいるように、わたくしには見える、ーー それについては、「旧態依然の破廉恥な精神分析家」に批判の対象の固有名詞を掲げずに書いた。

肝腎な点はラカンの「主体の解任destitution subjective」の捉え方だ。これは一歩間違えると地獄の釜の蓋を開けっ放しになる。

フロイトは、エロスという性(生)への傾斜とともに「タナトス」という死への傾斜を人間の心の深層にかいま見たけれども、このフロイトの「タナトス」は、どうも血の匂いのする、攻撃性の基盤になるようなイメージのものではなかろうか。それは強迫という現象と結びつけてフロイトが考えたからであろう。一般に強迫症的な取り澄ましたきちんとした表層の一枚下には血みどろの幻想が渦を巻いている。うっかり精神分析でこの地獄の釜の蓋を開けないようにという警告が精神療法家の間では行き渡っている。(中井久夫「きのこの匂いについて」1986初出『家族の深淵』所収)
最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」2006初出『日時計の影』所収 )


「地獄の釜の蓋」を開けるとは次ぎのようなことを意味するとわたくしは理解している。専門家ではないわたくしの理解であり、誤解があるかもしれないことは断わっておこう。

◆「エディプス理論の変種としてのラカンのサントーム論」より
精神分析による治療は抑圧を除去し、裸の欲動の固着を露わにする。(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.(Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq).2002)
ラカンは、分析は終結する、ということをはっきりと確信していた。…精神分析は結局のところ治癒不可能なものを前景化させてしまうことになる。しかしラカンは、逆説的にも、症状のこの治癒不可能な部分…を肯定し、これこそが分析の終結を可能にすると考える(松本卓也『人はみな妄想する』)

…………

で、ラカン理論尊しのラカン派、とくに前中期のラカン理論で固まってしまっているように見受けられるあの人物は、下にロレンツォが驚くべき誤解として掲げる《半永久的な「主体の解任 subjective destitution」》を主張しているわけではないだろうが、無からの創造などと文学的=神学的に主張することに終始していて、ほとんど具体性がない。

小笠原晋也@ogswrs さらに,救済と無関係のように見えますが,もうひとつ:無からの創造.また,罪の赦しは,対立ないし差異の和解とも言い換えられます.死からの復活,罪の赦し(差異の和解),無からの創造:それらは,キリスト教だけでなく,精神分析の究極目標です.そしてそれらをすべて包括する語が「救済」です.2015年10月27日(火)

肝腎なのはヴェルハーゲの次の見解であるはずだ。

(これはまた)精神分析実践の目標が、人を症状から免がれるように手助けすることではない理由である。正しい満足を見出すために症状から免れることではない。目標は享楽の不可能の上に異なった種類の症状を設置 install することだ。(PAUL VERHAEGHE,new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex,2009ーーエディプス理論の変種としてのラカンのサントーム論

ヴェルハーゲはミレール派ではないが、ミレール派もこの点については同様と、わたくしは読む→①《症状のない主体はない》(ラカン)、②「父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない」


以下、ロレンツォ・キエーザの凡庸なラカン派への罵倒文。


◆「象徴界のなかの再刻印・再象徴化(ジョイス=サントーム)」より

ここで、私はことさら強調しなければならない、ラカンが JȺ ーーそれを彼はまた名高いサントームとも呼んでいるーーの出現と、現実界の名付け、かつ享楽の徴付けmarkingの話を結びつけて考えていることを。これは長いあいだ据え置かれたままの問いだった。これが関わっているのは、主体が象徴界のなかに再刻印すること、そして象徴界の再象徴化a reinscription in and a resymbolization of the Symbolic を成し遂げるやり方である。それは主体が〈他者〉におけるリアルな欠如 Ⱥ を一時的に引き受けた後のことだ。ラカンにとって、ジョイスは実に“Joyce-le-sinthome.”だった。

もし一方で、ジョイスが「シンボルを破棄した」こと…が本当なら、他方、それは同様に当てはまるのだ、(人の現実界の名付けとしての)「サントームとの同一化」、ーーラカンが精神分析の目標としての最後の仕事において提唱したそれーーは決して半永久的な「主体の解任 subjective destitution」、精神病的な象徴界の非機能 nonfunctioning にはならないことが

このような誤った結論に対して、私は次のことを強調しなければならない。

(1) ジョイスはーーDarian Leader によって提案された公式を採用するならーー「引き金を引かれていない non-triggered」精神病である。彼はもともと神経症と精神病との「どっちつかずの in between」状態にあった。そして引き続いて(部分的な)個人化された象徴界をなんとか生み出した。

(2) 神経症者はいつかは彼らのイデオロギー的症状ーー支配的な根本的幻想によって課された享楽ーーを非精神病的サントームに変えることができる。無論「幻想の横断」を経た時の話である。すなわちそれは、象徴界からの「分離」の瞬間、そしてそれに引き続いた過程、新しい個人的な「主人のシニフィアン S1」を通した象徴的再刻印の過程による。これがまた意味するのは、ジョイスははっきりとした「精神病者」ではなかったにもかかわらず、彼はもともとどんな「根本的幻想の横断」をする必要なかったということだ。

神経症者と異なり、ジョイスは既に象徴界から分離されていた。その代わりに、彼は彼を基礎づける主人のシニフィアン S1を創造する必要があった。 ( 『Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa 』2007 )

ところできみはあのおっちゃんに転移気味じゃないのかね?

オレは中井久夫のように、私の見解を信じ込んではいけない、というメッセージを常に送ってくれる作家に「転移」する程度の凡人だからな

まことに、わたしは君たちに勧める。わたしを離れて去れ。そしてツァラトゥストラを拒め。いっそうよいことは、ツァラトゥストラを恥じることだ。かれは君たちを欺いたかもしれぬ。(ニーチェ)

きみは、せいぜい神の救済とか存在論的深淵とかなんたらとまぐわっていたらいいのだよ、そうすれば答えが見つかるらしいからな

中井久夫先生の或る文章に関連して御質問をいただきましたが,あの手の心理学的言説に捕らわれないようにしましょう.そこにおいては適切に問いを立てることができませんから,答えも見つかりません.(小笠原晋也、2014.6.04)

ハイデガー信者のあのおっちゃんの「存在論的深淵」なるものが寝言系である(ありうる?)のは、「“A is A” と “A = A”」などでいくらか触れた。

まあ好きなようにしてくれたまえ! オレはごめんこうむる、というだけさ、最近はツイートもみてないからな、

というわけで、アバヨ!






文学の中心のありか

やはり文学を志す人間がすべて小説家たらんというのは、はっきりいって、おかしいわけよ。中心はどこかにあるはずだ。(「群像」2004年8月号平出隆対談)

とツイッターの古井由吉botで拾って、素朴に問いを発するとすれば、「文学」ってのはいったいなんなのだろうね、このbot を遡ると古井由吉はいろんなことを言っているのだが、たとえばこうある。

文学の中心は芝居と法なのかもしれないね。宗教、哲学、政治も含んだ広い意味の法。そのわきで活躍するのが小説とか。詩は、本来芝居の一部だったわけですね。芝居から独立して、ちぎれていった部分が詩なんです。(「群像」2004年8月号平出隆対談)

・これも不幸というか宿命なんですけれども、近代及び現代の作家が小説を書くとき、ただの物語にならないんですよ。どうしても認識論が伴うんです。これで人は苦労している。だから、小説が小説にならないともいえる。(「群像」2004年8月号平出隆対談)

認識論などという言葉も出てくる。

・でも、認識論含みじゃないと、やっぱり読者には読めないんじゃないかという気がするんですね。もちろん、認識論に社会全体として定まったものがあったら、殊さらやる必要はないわけで、それは本来小説の舞台となるはずです。(「群像」2004年8月号平出隆対談)

あるいはごく最近の大江健三郎との対談でも、こうある。

自分のことは自分が一番よく知っている、というのが私小説の出発点でしょう? しかし、自分のことこそ自分でわからない、ということもある。さらに、書き表す自分と、書き表される自分との分離。これを突き詰めると、難しい認識論、自己認識論に至ります。(「新潮」2015年10月号大江健三郎対談)

「書き表す自分と、書き表される自分との分離」というのは、哲学的にいえば「超越論的」にかかわってくるだろうし、精神分析的には「言表行為と言表内容の分離」にかかわってくる。

だがここではあまりややこしいことをいわずに、小説家古井由吉のまだ若い頃の名高い作品(のとても魅力的な箇所)と、精神科医の中井久夫のエッセイの一部を並べてみよう。わたくしにはどちらが魅力的だとも言いがたいし、どちらが「文学的」だともいいがたい。すくなくとも古井由吉と同様に、中井久夫は現代でも活躍する最もすぐれた「文学者」のひとりだとわたくしは思っている。

片隅に電話台の置いてある真四角の踊り場から向きを変えて階段を昇っていくと、杳子の姉の一家の住まう階下の雰囲気からいきなり隔てられて、彼はふと場所の意識を眩まされ、まるで初めて来た家ではなくて勝手を知った家の、幾度となく通いなれた階段をたどっているような気がした。階段を昇りきったところで左手の扉をゆっくり明けると、薄暗がりの中から、階下よりも濃密なにおいが彼の顔を柔かくなぜた。かなり広い洋間の、両側の窓が厚地のカーテンに覆われ、その一方のカーテンが三分の一ほど引かれて白いレースを透して曇り日の光を暗がりに流していた。その薄明かりのひろがりの縁で、杳子はこちらに横顔を向けてテーブルに頬杖をついていた。白っぽい寝間着姿だった。その上から赤いカーディガンを肩に羽織っている。戸口に立つ彼の気配を感じると、杳子は頭を掌の中に埋めたまま、彼のほうを向いて笑った。湯から上がりたてのような、ふっくらと白い顔だった。

「どうしたの」という言葉が二人の口から同時に洩れた。だがどちらも答えを求める気はすこしもなく、いつもの続きのように自然にテーブルに向かいあって坐り、目だけを動かして、お互いの軀を物珍しげに眺めあった。

テーブルからすこし遠めに置いた椅子に杳子は尻をあずけるようにのせ、腰から上をぬうっと前へ伸ばして、テーブルに肘だけでもたれかかっていた。いつだか病気の頃の姉について彼女の語ったとおりの恰好だった。しかし杳子の軀は固さに苦しんでいる様子も、重さに苦しんでいる様子もなく、どことなく自足した感じで重みを椅子とテーブルに分けていた。水色のネグリジェがたしかに薄汚れている。薄い布地が軀の円みにびったりとついた肌着を透かしていたが、その肌気も純白ではなかった。ゆったり開いた襟からのぞく肌も、気のせいか、いつもより濃く濁った光を漂わせている。だが不潔な感じも、淫らな感じもなく、杳子にも彼にも馴れ親しんだ穏和しい動物を、二人して眺めているような気持だった。

「大変な恰好じゃないか」
「このままで待っているって、ゆうべ、言ったでしょう」
「いつから、そんな恰好をしてるんだい」
「寝間着を脱がなくなってから、今日で三日目。肌とキレの温かさがすっかりひとつに馴染んで、いい気持ちよ」
「汚い子だなあ。臭ってくるよ」

そう言って彼は薄暗い空気を胸いっぱいに吸いこんで見せた。たしかにたえず沁み出る体液の、無恥なにおいがかすかにこもっていたが、それも段々に鼻に馴染んで円みを帯びていった。いかにも人がここにこもっているというにおいだな、と彼は素朴な感慨を抱いた。杳子もネグリじゃの胸をふくらまして、ゆっくり息を吐きながら、物憂げに目を細めて笑った。あっさり彼は秘密を売り渡してしまった。

「姉さんが、病院に行くように君を説得してくれって言ってたよ」
「あなたが行けって言えば、今すぐにでも行くわよ」
「病院に行ってどうなるの」
「健康になるよ」
「健康になるって、どういうこと」
「まわりの人を安心させるっていうことよ」

投げやりというよりも、病気と和んで、こうしてこのままでもいられると確めた満足感の中で、あとは家族の心配のことも考えて、成行きを待っているという風だった。五日前から杳子が昔の姉のように風呂に入ろうとしなくなったわけが、彼にはわかる気がした。(……)杳子は彼の顔を見つめて、しばらく掌の中で首をかしげていたが、それから頬杖をゆっくり倒して唇を近づけてきた。唇を触れ合っていると、暗がりに閉じこめられた子供の、汗と涙の混ったにおいがじかに伝わってきた。目を細く開くと、依怙地さを失った肌に、毛穴がひとつひとつ開いていた。(……)

その時、階段から杳子の姉の上がってくる足音がした。彼は杳子から顔を離そうとした。すると杳子は逆に顔を近づけてきて、唇を触れながら目を大きく見開いて足音に耳を傾けていた。それから彼女は唇を彼の耳もとにまわして、「あの人のすることを、細かく見ててちょうだい」とささやき、顔を引いてもとの頬杖にもどった。(……)姉が敷居をまたいで二、三歩を運んだとき、彼はその足どりの、妙にこちらの神経を疲れさせる固さに、目を惹きつけられた。(……)

やがて規則正しい足音が階段をゆっくり沈んでゆき、彼はほっとした気持で軀をテーブルのほうにもどして腰をおろした。見ると、いつのまにか杳子は右手にスプーンを短刀のように握りしめて、物狂わしい目つきをしていた。(古井由吉『杳子』)

…………

往診して初めて解けた初歩的な謎がいくつもあった。たとえば、ある少女が、十年来、まったく眠れないと訴えつづけていた。また、傍らに魔女がいるとも。私は、外来でその謎が解けないまま、何年も診てから、友人に後を頼んで転勤した。しかし、二度目の転勤先に頻繁にかかってきた電話は、現主治医とともに往診することを私に決心させた。それは患者の希望でもあったが、私の心の中に謎を解きたいという気持ちが動いてのことだったのも否めない。

市営住宅の一つに少女の家はあった。父は去り、母と二人住まいであった。少女は白皙といってよい容貌に、二十歳を過ぎているとは思えないあどけなさを残していた。十歳にならないこと、まず母の診察に伴って私の前に現れ、次いで診療の主役となった当時の面影はほとんそそのままであったが、十年の閉じこもりが、そのうえに重なっていなかったわけではない。旧知の母は私を歓迎した。私たちは道に迷い、夜になっていた。豪雨であった。

十年の全不眠はありにくく、まして体重が減少しないでそうであるということはまずありえない。質問に応じて少女は頭痛と眼痛と脚の痛みとを訴えた。私は、脈をとった。一分間に一二〇であった。速脈である。これは服用中の抗精神病薬いよるものかもしれなかった。しかし、彼女はまったく気づいていない。私は舌を診た。ありえないほどの虚証であった。長年の病いは、「雨裂」と地理学でいう、雨に侵食された山の裸のような甚だしい裂け目を舌の実質に作り、舌の厚さは薄く、色も淡かった。それにしても脈は細く数が多い。私は脈を取りつづけた。少女は静かにしていた。私は、椅子にすわっている少女の前の床に座って、もう一方の手を足の裏にそっと当て、そのままじっとしていようとした。

なぜ足の裏かといえば、身体のもっと上部にふれることは危険があり、実際、少女は必ず不快を訴えるだろうからである。足の裏には重要なセンサーが集中していて、だから人間は二足歩行ができ、さらに一本足で立つこともできる。なぜ床にすわったか。私は少女をすこし仰ぐ位置にいたかった。それは私の臨床眼であった。私は彼女に強制しているのではないことを態度で示したかった。

時間がたっていった。母親が話しかけようとするたびに私は指を口唇にあてて制止した。私はこの家の静寂を維持しようとした。私は、ここまできたら、何かがわかり、少女が眠るまでは家を動かない決意をしていた。じっと脈をとっていると、私の脈も次第に高まってきた。身体水準での「チューニング・イン」が起こりつつあった。この能力に私は恵まれているが、それは両刃のやいぱであって、しばしば、私はこの状態からの脱出に苦労してきた。ついに彼女の脈と私の脈は同期してしまい、私の脈も一分間一二〇に達した。しかも、ふだん六〇である脈が倍になれば、ふつうならば坂道を登る時のような息切れがあるのに、今の私には、まったく何の苦痛もなかった。逆に時間の流れがゆっくりになった。眼前の時計の歩みの速さがちょうど半分になった。すべてが高速度写真のようにゆっくりし、すべての感覚が開かれ、意識が明晰になった。これはおそらく少女が日々体験しているものに他ならないものであった。何の苦痛もないことが奇妙であった。ふと私は身の危険を感じた。五十歳代の半ばに近づいており、循環器系を侵す病気を持っているーー。

感覚の鋭敏さの中で、私はガシャガシャガシャという轟音を聞いた。その轟音の音源はすぐわかった。母親が食事を作っている音である。力いっぱいフライパンを上下しているのだ。ついで鍋の中をかきまわす音。この音のつらさは、静寂の中で突然起こり、ほとんど最大限に達して、突然消えることであった。その耐えがたさは、静かな瀬戸内の島に橋がかかり、特急列車が通過する時に島の人が耐えられないと感じる、その理由と同じものである。それは、音の大きさの絶対値だけではない。それもあるが、さらに苦痛なのは絶対に近い静寂が突如やぶられる突発性である。静かな場に調整されている耳は、騒音に慣れている耳とは違う。そもそも、聴覚は視覚よりも警戒のために発達し、そのために使用され、微かな差異、数学的に不完全を承知で「微分回路的な」(実際には差分的というほうが当っているだろう)という認知に当っている。声の微細な個人差を何十年たっても再認し、声の主を当てるのが聴覚である。この微分回路は「突変入力」に弱いのである。ゼロからいきなり立ち上がる入力、あるいは突然ゼロになる入力のことである。その苦痛であった。

いま私は少女の状態に一時的に近づいている。私が耐えがたい轟音として聞いている、この台所仕事の音は、長年これを聞いている少女にはさらに耐えがたいであろう。突変入力がはいるたびに、少女の微分回路は混乱するにちがいなかった。「家にいる目に見えない悪魔」とは「突変入力」によるこの惑乱ではないかと私は仮定した。母親の側には突然最大限の力を出すという特性があり、少女には慣れが生じにくいという特性があるのあろう。それは不幸な組み合わせであるが、生活の他の面にも浸透しているにちがいなかった。

私は突然気づいた。眼前の掛け時計の秒針の音が毎分一二〇であることに。ひょっとすると、少女の脈拍は時計に同期しているのかもしれない。私はよじ登って時計をとめた。私は一家にしばらくこの掛け時計なしで過してもらうことに決めて、時計を下駄箱の中に隠した。

仮説は当たっていた。彼女の脈拍はしだいにゆっくりとなった。私の脈も共にゆるやかになった。母親は、別の部屋で主治医が相手になっていてくれるらしかった。

私は、あらためて思った。ある種の患者は、そのまったき受動性において、あらゆる外界からの刺激を粘土が刻印を受け取るように受け取るーー少なくともそういう時期があるということを私は指摘したことがある。私は、少女が時計の音にも脈が同期してしまう、まったき受動性において日常外部あるいは内部に発生する入力を処理している、いやむしろ一方的に受け入れているのではないかという仮説を立てた。解決方法は、入力の制限か、入力に耐えられるように少女に変わってもらうことだ。しかし、それは大変な問題である。差し当たって、少女が眠れれば、少なくとも、好ましいほうに何かが変わる可能性がある。母親にも本人にもある希望が、かすかにせよ、起こるかもしれない。

私の指圧は、この場合のとっさの行為である。このような未知数の多い状況においては、他の選択肢はすべて危険をはらんでいた。頭の指圧など、それだけで少女に破壊的であり、抗精神病薬なら、これまでに少女が大量に服用していないものはなく、いまさら処方するものはなかった。そして、それはそもそも主治医の問題であった。私は足の裏への軽い接触を続けた。この少女の病んできた膨大な時間の塊りの前で、それはほとんど無にひとしいが、ほかに方法は思いつかなかった。ことばも無力であった。「おりこうさん」的な返事しか返ってこないことを私は十二分に経験していた。

医学とは別に私は指圧を少しはできないではない。私の大叔父の一人は、若いころは放蕩者だったというが、私の知る晩年は、村外れの小さな家で、村人に灸を据え、指圧し、愚痴を聴く、一種の「お助けじいさん」であった。その老人のの何かを私は受け継いでいるのかもしれなかった。しかし、鍼灸指圧の職業人ではない私は、通常一人か二人でへとへとになるので、ふだん患者の指圧はしないようにしている。後の患者を診る力がぐっと減るのである。

一時間半後、頭痛は去り少女は眠気を訴えた。いい眠けか、いやーな眠けかと私は問うた。いい眠けであった。私は「隣りの自分の部屋に行ってもいいよ」といった。少女はそっと部屋に滑り込んだ。頭痛などは筋緊張のせいであり、少女の筋緊張がゆるむのを先ほどから私は彼女の足の裏に感じていた。

ここで当然、母親が世話をやこうとした。当然といえば当然の行為であるが、私は、母親のいつもながらの、声帯をいっぱいに緊張させた声でこの一幕を台無しにしたくなかった。思いついたのは、釈迦が自分の出身部族を攻撃に来る王の軍隊の踵を二度めぐらせた、その方法である。私は、その部屋のまえで座禅を組んだ。われながら三文芝居と思ったが他に方法はあっただろうか。「悟り」を求めようとさえしなければ、まあ無念無想というのであろう状態に入ることはむつかしくない。外からみれば周囲の事物あるいは風景の一部になってしまうこととなろう。母親はさすがにたじろいだ。二十分も経ったろうか。隣室から寝息が聞えてきた。とにかく私は何かを達成したのだ。

しかし、問題は、よい残留効果を残しつつどのようにしてこの一幕を閉ざすかであった。私は、母親に、今日は少女を食事に起こさず、このまま眠らせて、明日も起こさないことを頼んだ。実際どれほど大量の眠りが溜まっていたことだろう。そして、掛け時計をしまったKとおを告げ、私の腕時計をとっさに渡してしばらくこれでやってほしいといった。母親は頷いた。そして、隣室に盛大に用意されている食事に誘った。

私は迷った。彼女は福祉の保護を受けている身である。せいいっぱいの献立であった。しかし、私の目的は母親ではなかった。母親とは当人である少女以上にここで親しくなってはならなかった。動きたく、世話をやきたい彼女を抑えて少女を眠らせつづけることに私はエネルギーを使いつつあった。食事は、当然、私の緊張をほぐし、母親とのいささか馴れ合いを含んだ関係を作るだろう。しかし、いただかなければ、母親がこの食事を捨てる時の気持ちは、索漠とした、受容されなかったという感情となるにちがいない。それは少女にどうはね返るだろうか。

結局、私は、合掌して真ん中のごちそうに象徴的に箸をつけた。そうして合掌したまま、後ろずさりに家を出た。主治医がいくばくかのことばを交して私の後を追った。

閉じ方がこうであってよかったのか、今も思い返すが、結論はまだ揺れている。私は、ある漢方薬を医師に勧めた。主治医にどう見えたかを聞くと「何か芝居がかったことをしていたとしかわからない」といい「しかし、あの家で静寂が二時間あったということはなかったでしょう。二時間の状況をあそこにつくり出したということですね」と答えた。

私はまだまだいろいろなことを語ることができるだろう。しかし、もはや語るには、私の内心の抵抗が大きすぎる。私が経験したことをすべて語るならば、それは、さすがに憚って、かつて公刊されたことのない、精神分析のほんとうの生の記録を公開するに等しいことになるだろう。むろん、その際に私の中で起こっていたこと、私のその都度その都度の仮説とその修正とを詳細に述べなければ、事態は、半面しか見えず、フェアでなく、また読む者を誤った方向に連れてゆくであろう。

ここで、精神分析においては詳細な記録とされるものが、往診においては単なるフィールド・ノート程度であることに注意していただきたい。個人は、抵抗のすえに初めて無意識の秘密をいくらか明らかにするが、家族、少なくとも危機にある家族への往診は、一挙に家族の意識を越えた深淵を明らかにする。しばしば、それは「見えすぎる」のである。(中井久夫「家族の深淵」)

2015年12月21日月曜日

空爆はない方がいい、でもね…

人が引き込まれるべきでないのは、左派リベラルの常套的繰り言、「我々はテロによってテロと戦うことはできない、暴力はもっと暴力を生み出すだけだ」というヤツだ。今はすでに次の不愉快な問いを掲げる時だ。すなわち、如何に可能だというのだろう、イスラム国が生き延びるなどということが? と。(ジジェク、Slavoj Žižek: We need to talk about Turkey、9 DECEMBER 2015)

とはいえ、われわれは引き込まれがちなのだ、空襲などやってなんとなる、と。

本日の朝、次のようなツイートを見た。

@shamilsh: 青山弘之氏とそのお仲間のアサド礼賛、非武装市民虐殺擁護の主張が日本で主流と化してしまっているのは憂慮すべき事態です。 https://t.co/rmq792BoO9

@shamilsh: シリアで起きている虐殺には一言の言及もないが、フランスが兵器を売るためにIS空爆を実行しているかのような空想に基づく情報は満載… 政府に弾圧されたという古賀茂明さん、たいした「リベラル」っぷりである。 https://t.co/fvHbqF7dmG

以下は、中東を渡り歩いておられる上のツイート主であるフリージャーナリスト常岡浩介氏と中東研究者の同志社大学教授内藤正典氏のやりとりである。

@masanorinaito: ロシアであれ、有志連合であれ、「テロとの戦い」を掲げれば、一般市民の犠牲などコラテラル・ダメージ(付随する犠牲)で済ませると思うなら大間違いだ。市民の犠牲こそ、怒りと報復へのマグマとなる。当然だろうが。

@shamilsh: ロシア&アサド政権と有志連合を「空爆」で一括りにしていてはシリア情勢の説明はできませんし、青山教授や古賀茂明氏のような偽リベラルと違いはありません。 https://t.co/mCVulrKw3H

@masanorinaito: 正直に言えば、私はシリア情勢のディテイルの説明には倦む気持ちのほうが強くなっています。心情的には常岡さんと共有する部分もありますが、バアシストや偽リベラルを罵ったところで、犠牲となる人々の困難とは比較になりません。 https://t.co/8rree2Rvnd

@shamilsh: @masanorinaito 「どっちもどっち」と投げるのは一番簡単ですが、それは解決への道筋を探す行為の放棄です。我々記者は事実を伝えるのが仕事ですが、専門家はそれだけではなく、どうすればいいのかを示してゆく責任があるのでは?

@masanorinaito: 投げているのではありません。いずれの空爆の下にあっても逃げ惑う人々に安心と安全を確保するために何ができるかを真剣に考えているのです。私は専門家である以上に、今は教育を通じて最悪の人道の危機にほんの僅かでも何ができるかを追求します https://t.co/Hy0Wrrfkb2

@shamilsh: @masanorinaito 先生は有志連合の空爆が難民流出の原因だとおっしゃっていますが、その根拠はなんですか?ISは非武装市民1800人を殺害しており、有志連合の誤爆死者は260人。IS支配下の市民は有志連合に殺されるよりISに殺される恐怖を大きく感じているのでは?

@shamilsh: 少なくとも現在、現地の事実を知る我々は青山、国枝、高岡一派のアサド・プロパガンダに完全に負けています。ひとえにぼくら自身の力のなさの責任です。

@shamilsh: シリア民衆から有志連合への批判の声は連日激しく上がっていますが、それはISを空爆していることに対してではなく、アサド政権や露と妥協し、虐殺を容認し続けていることに対してです。有志連合に空爆をやめろと要求しても、シリア民衆にとってほぼ意味はなく、紛争解決には結びつかないでしょう。

@shamilsh: まともな学者、専門家が一人もいない。

…………

以下、いくらかのシリア情勢をめぐる記事ーー僅かな情報を垣間見たなかでわたくしが印象に残るものーーを主に列挙したものである。

@spearsden: 空爆はない方がいいです。民間人被害が必ず出るので。それは何度も言ってきました。でもね…

この続きのツイートはないが、イスラム国を叩くにはある程度の民間人の犠牲はやむえない、という立場であると憶測する。毎日新聞の記者の方(米国特派員)だが、彼のツイートはあくまで個人的見解だろうことを念押しておく。そしてわたくしはこのツイートを批判する者ではないことをも。

ここで毎日新聞の別の記者による記事を掲げておこう。

アサド政権は有志国連合によるシリア領内での空爆を「主権侵害だ」と非難しつつも、ISなど敵対勢力への攻撃は事実上黙認してきた。一方、ロシア軍も9月以降、政権の要請に基づき空爆を続けている。11月にはトルコ軍が国境付近で露軍機を撃墜する事件も起きており、空爆を巡る緊張が高まっている。(毎日新聞2015年12月7日:シリア 有志国連合空爆で政府軍に死者3人「悪質な侵略」)

有志国連合の空爆では、最近とくにロシアの空爆による民間人被害が注目されている。




シリアへの武力介入に慎重だった英軍が空爆に踏みきり、有志連合による過激派組織「イスラム国」(IS)に対する軍事介入は加速した。一方でアサド政権を支えるロシアによる空爆はISにとどまらない。民間人の犠牲も多く出ており、空爆下の市民は恐怖におびえる。

 「今の状態が続けば、空爆に遭わなくても、子どもも妻も私も心が壊れる。シリアを逃れるしかない」

 11月末、トルコ南部ガジアンテップで記者が会ったフッサム・フセインさん(36)はシリア北部イドリブ県ガダファ出身だ。空爆の激化を受けて、家族でトルコに逃れることにした。

 トルコには、内戦を逃れた約210万人のシリア難民が身を寄せている。(朝日新聞 2015年12月4日:(時時刻刻)空爆「まるで無差別」 ロシア介入後に急増「シリアを逃れるしか」)
ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、ドイツ連邦議会でシリア情勢に関して、「問題(シリアの危機を解決するための外交努力)はアサドなしにシリアの戦争を終わらせることに関わるものであり、アサドが長期的な解決策の一部分をなすことは不可能だ」と述べた。(ARA News(12月16日付)などによる、青山弘之 )

ところで少し前にはこのように言われた。ロシア空爆は対象を絞れ、と。

ウクライナ和平協議が行われたパリからの報道によると、オランド仏大統領は2日、プーチン露大統領に対し、ロシアがシリアで行っている空爆は「イスラム国」だけを対象にすべきだと伝えた。メルケル独首相も、シリアとウクライナの問題には「何の関連もない」と指摘。シリア空爆で米欧と対峙(たいじ)し、ウクライナをめぐる態度軟化を引き出す思惑だったプーチン政権は肩透かしを食った形だ。(産経新聞 2015.10.4:露の空爆 仏大統領、プーチン氏に「対象絞れ」)

だが。現在においても、ロシア空爆が対象を絞っていないようにみえるのに、他の有志国連合はなぜロシアの空爆を止めようとしないのだろう? なぜいまだにアサド援助のようにみえる空爆をほうっておくのだろう。

だが、どうも事情はこのような単純な問いですませるわけにはいかないようだ。とはいえ、ここでは、2011年にいわゆる「西側」がシリアに人道的介入を行わなかったこと(ほとんど同時に起きたリビアでの反政府デモには介入したのに)やら、2013年のアサド政権化学兵器使用に対しても、結局のところ介入しなかったことなどには触れないでおこう。




冒頭に掲げたーーわたくしが比較的依拠することのおおいーージジェクは次ぎのように言っている(参照:さあイスラム国抜きでわしらはどうなる?)。

11月終りに発表されたEUとトルコのあいだの取引(その取引の下、トルコはヨーロッパへの難民流入を抑制するというものだ。EUからの気前のよい財政援助、最初は30億ユーロ(約3900億円)を拠出することによって)ーーこれは、恥知らずの胸がむかつく振舞い、厳密な意味での倫理-政治的災厄である。これが「テロとの戦争」のなされ方だというのか? トルコの恐喝に屈服して、シリアにおけるイスラム国台頭の主要な刑事被告国のひとつに報酬を与えることが。

この取引の日和見-実利的正当化ははっきりしている(トルコに賄賂を贈ることが難民流入を制限する明瞭な方法ではないか?)。しかし長い目でみた帰結は破局的だ。このどんよりした背景が明らかにしていることは、イスラム国に対する「全面戦争」は本気に取られていないに違いないことだ。彼らは全面戦争などとは本当には思っていない。

我々はまったく文明の衝突を取り扱っているのではない(西側キリスト教徒対ラディカルイスラム)。そうではなくそれぞれの文明内部での衝突だ。すなわち、キリスト教徒の宇宙のなかでの米国と西側ヨーロッパ対ロシア。ムスリムの宇宙のなかでのスンニ派対シーア派である。イスラム国の醜怪さは、これらの闘争を覆う「フェティッシュ(呪物)」として機能している。そこでは、どちらの側も、本当の敵を叩くために、イスラム国と闘うふりをしているのだ。

最後に、大前研一氏の記事「ロシアはなぜ、シリアに軍事介入したか? 」(プレジデント:2015年12月02日)を全文掲げておくことにする。


【宗教紛争の構図も抱えるシリア内戦】

泥沼の内戦が続くシリア。9月末にはイスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国(IS)」の掃討を名目にロシアが空爆を開始した。ロシア政府が戦果を繰り返し強調する一方で、「ロシアの空爆の90%は(アメリカが支持している)穏健派の反政府勢力を標的にしていて、民間人の死者も出ている」とアメリカ政府は強く非難している。アフガニスタンで「国境なき医師団」の病院を誤爆して死傷者を出したアメリカが言えた義理ではない。アメリカと有志連合は1年前からシリア領内のIS拠点を空爆してきたが、相手は夜陰や民間人に紛れて活動するから目標の選定も容易ではない。インフラを破壊しただけに終わったり、民間人が犠牲になることも多い。

それに比べればロシアの空爆ははるかに精度が高い。ロシア、シリア、イラン、イラクの4カ国で情報センターを創設してISに関する情報は逐一共有する仕組みになっている。ISがどこでどんな活動をしているのか、現場から送られてくる地上レベルの精密な情報に基づいて空爆目標を定めているのだ。ロシアのテレビ(RTR)では作戦本部を公開し、逐次戦況を説明している。相当な自信があるのだろう。

ISに狙いを定めつつ、アサド政権に敵対する反政府勢力もついでに叩くというのがロシアの狙いだろう。ロシアの軍事介入でシリア情勢はどう動くのか。それを考える前提としてシリアの現状を簡単に整理する。そもそもの発端はチュニジアから始まった「アラブの春」の流れを受けて2011年に起きた反政府運動であり、アサド政権派の国軍と反体制派による武力衝突だった。アサド大統領の宗教はイスラム教シーア派の分派とされるアラウィー派で、政権の主要ポストもアラウィー派で占められている。これに対してシリア国民の大多数はスンニ派であり、内戦は宗教紛争の構図も抱えている。

反体制派は多種多様の組織があって決して一枚岩ではない。当初に結成された武装組織の「自由シリア軍」にしても、欧米が支援してきた「国民評議会」「国民連合」などの中核組織にしても、内部分裂を起こして統制が取れていない。ポストアサドの受け皿として政権を担えるとは到底思えず、もしアサド政権が倒れたらイラクの二の舞いだろう。

混乱に乗じてアルカイダやISといったイスラム過激派、クルド人勢力などが参戦して、反体制派と結びついたり、逆に衝突して、今では反政府勢力同士が各地で戦闘を繰り広げている有り様。アサド政権打倒やIS掃討を目的とした諸外国の空爆も加わって、シリアの国土荒廃はすさまじい。



【アメリカの中東政策の綻びが生み出したもの】

今日のシリア情勢は結局のところ、アメリカの中東政策の不始末だ。アメリカ主導の中東民主化で何が起きたか。ムバラク亡き後のエジプトでは民主的選挙でイスラム原理主義組織のムスリム同胞団が政権を握ったが、これを嫌ったアメリカ(とイスラエル)が軍事クーデターを仕掛けて政権を転覆させた。カダフィー亡き後のリビアでも“春”は一瞬で終わり、後には混乱だけが残った。アラブ世界から独裁者を取り除いても西側世界のように民主的には治まらない、というのがこの15年のアメリカの苦い経験だったはず。にもかかわらず、シリアにおいてもアサド政権を敵視して、軍事顧問団を送り込んだり、武器や資金を供与して反体制派を支援してきた。

なぜアメリカが同じ間違いを繰り返すのかといえば、彼らの中東政策は内政上ユダヤ勢力の支持を取り付けるためにイスラエルを守ること、そして石油権益を確保することしか眼中にないからだ。つまりイスラエルを脅かすアラブの独裁者はすべて“悪”であり、サウジアラビアは王政独裁ながら石油権益で結びついているから“善”なのだ。

さらに言えばアメリカの中東政策には、イスラム教スンニ派とシーア派の葛藤という視点が欠如している。スンニ派の独裁者サダム・フセインをイラクから取り除いて民主的に事を運べば、多数派のシーア派政府ができるのは当然。だがシーア派には統治能力はなく、少数派のスンニ派は追い込まれてテロリスト化する。それがイラクの現状だ。イラクがシーア派政権になって隣国のシーア派大国イランと接近していることに、強い嫌悪感と警戒感を抱いているのがスンニ派大国のサウジ。サウジはスンニ派の勢力拡大を狙ってイラクやシリア領内のスンニ派系過激派組織を援助して、それがISの元祖の一つにもなった。アルカイダやIS、ナイジェリアの「ボコ・ハラム」などのテロ組織は、アメリカの中東政策の綻びから生まれたモンスターなのだ。


【ロシアがアサド政権を応援する最大の理由】

シリアのアサド政権はシーア派の一派とされ、イランとイラクのシーア派政権とは仲がいい。ロシアとシリアは米ソ冷戦時代からの長い付き合いで、シリアのエリートは皆ロシアで教育や軍事教練を受けている。ロシア人と結婚したシリア人も多く、今や子供や孫の世代になっている。そうしたロシア系シリア人やシリア系ロシア人が30万~60万人いるともいわれている。ロシアがアサド政権を応援する最大の理由はこの歴史的な血のつながり。シリアをないがしろにしたらロシアの内政が持たないという、ちょうどアメリカとイスラエルのような関係なのだ。また、シリアの地中海沿岸タルトゥースにはロシアの海軍基地があり、それを死守するという軍事的な必然性もある。

では、なぜこのタイミングでロシアは空爆に踏み切ったのか。無論、アサド大統領の要請もあったが、何よりヨーロッパの空気の変化をプーチン大統領が敏感に嗅ぎ取ったからだと思われる。この数カ月、ヨーロッパの国々は難民問題で頭が一杯になっている。一つ間違えればEU崩壊につながりかねないほど事態は深刻だ。10月は1カ月で20万人以上の難民がヨーロッパに押し寄せたが、そこには内戦やISの暴力から逃がれてきたシリア難民も大勢含まれている。内戦で減少したシリアの人口は約1800万人(2014年)。約400万人がシリアを逃げ出したといわれ、その1割、約40万人がすでにヨーロッパに到達、今年中には70万人に達するといわれている。残りの9割はトルコ、レバノン、ヨルダンなどの周辺国に留まっている。さらには自分たちが住んでいた村や家々を破壊されて、十分な水や食料もないまま放浪を余儀なくされている国内難民が700万人以上いるとされる。つまり、今後、シリア発だけでも1000万人の難民がヨーロッパに押し寄せてくる可能性があり、シリア内戦に歯止めをかけなければ難民問題は解決しない、という危機感がヨーロッパでは共有されている。


【いざとなればプーチンはアサドを切る】

以上のような認識がないと、シリア情勢の先行きは見えてこない。集団的自衛権行使を容認した日本はいずれやってくるアメリカの召集令状に従って、唯々諾々と自衛隊をシリアに派遣するのだろうが、ヨーロッパでは「これ以上アメリカ側にくっついていたらヤバい」というムードが強まっている。アメリカ軍が1年以上も空爆を続けても、ISの勢力が弱まる気配はない。アメリカが支援している反政府組織も満身創痍のアサド政府軍に勝てずに後退を繰り返している。アメリカは事態を収束させるどころか、混乱が拡大して難民問題は深刻化するばかり。難民問題がヨーロッパ最大の関心事となり、「アメリカではシリア問題が収まらない」という空気を察知して、「我々がフィニッシュしてやろう」とロシアは空爆に乗り出した。ロシアはアサド政権の強固な後ろ盾だが、いざとなればプーチン大統領はアサドを切るつもりでいる。仮にシリアが収まった場合、アサド大統領を退場させても現行政府が残れば構わないというのがプーチンの腹。統治機構がなくなれば、再び「アラブの春転じて混乱」に陥るからだ。

すでにアメリカ抜きでプーチン大統領とドイツのメルケル首相、フランスのオランド大統領が話し合いを重ねているし、イランもそこに入っている。ヨーロッパではウクライナ問題でロシアに科した金融/貿易制裁を緩和しようという動きも出てきている。ロシアのシリア空爆がすべてうまくいくとは思えないし、ISのロシア民間機爆破で国内世論も厳しくなるだろう。しかし、そうした不測の事態があるにせよ、ロシアが難民問題解決の一助にはなるのではないか、という雰囲気がヨーロッパには生まれつつある。日本がアメリカべったりであるのに対して、ヨーロッパのアメリカ離れ、ロシアとの是々非々の距離感。これが新しい地政学上のうごめきになってきている。

大前研一のいっけん「すぐれた」説明だが、ではロシアがなぜクラスター爆弾を使うのか、ーー《ロシアの空爆ははるかに精度が高い》、《ISに狙いを定めつつ、アサド政権に敵対する反政府勢力もついでに叩くというのがロシアの狙い》とあるがーーさてそんなにあっさりと言えるのだろうか?




2015年12月20日日曜日

拷問とイニシエーション儀式

人はよく…頽廃の時代はいっそう寛容であり、より信心ぶかく強健だった古い時代に対比すれば今日では残忍性が非常に少なくなっている、と口真似式に言いたがる。…しかし、言葉と眼差しによるところの障害や拷問は、頽廃の時代において最高度に練り上げられる。(ニーチェ『悦ばしき知』)



アブグレイブ(刑務所)は、単に第三世界に対するアメリカ人の傲慢さの事例ではない。恥辱をあたえる拷問に服従させることによって、イラク囚人は事実上、アメリカ文化へとイニシエーションを果たすのだ。彼らは、個人の尊厳、民主主義と自由の公的な価値への欠かせない補足を形作る猥雑な裏面を味わうのだ。(ジジェク、2004)

ーーという文を拾ったので、いくらかのメモ(MOVE THE UNDERGROUND! .........What's Wrong with Fundamentalism? - Part II .........Slavoj Zizekより)。




以前次ぎのような文章を拾ったことがある(参照:世界資本主義のガン/イスラム対抗ガン)。

この「排斥主義」は元を正せば欧米のイスラム教徒排斥の裏返しです。国家であれば「自衛のための攻撃」と呼ばれ、国家でなければ「テロ」と呼び捨てるのはアルカイダやタリバンを相手にしたときだけではなく、イスラエルとパレスチナの関係でもそうでした。

そうした卑劣な「近代国家」像に「神の国家」の力を対峙させる──それは斬首された米国人ジャーナリストたちがその公開動画でオレンジ色の服を着せられていたことでも明らかです。あれは米国の、アブグレイブ刑務所の囚人服の再現なのです。私たちは私たちの拠って立つ世界の基盤への本質的な問いかけに直面しているのです。(「イスラム国」とは何か?(北丸雄二)

…………

以下の貼付された画像はAbu Ghraibで検索したものだが、その真贋は読み手がじかに確認していただくことを願う。

まずは「MOVE THE UNDERGROUND! .........What's Wrong with Fundamentalism? - Part II .........Slavoj Zizek」からではなく、この論が書かれた後に(おおよそ2年後に)上梓されたジジェクの超自我をめぐる叙述をかかげる(邦訳が手許にあるのと類似した叙述があるからだ)。

二〇〇五年十一月、ブッシュ大統領は「われわれは拷問していない」と声高に主張しつつ、同時に、ジョン・マケインが提出した法案、すなわちアメリカの不利益になるとして囚人の拷問を禁止する(ということは、拷問があるという事実をあっさり認めた)法案を拒否した。われわれはこの無定見を、公的言説、つまり 社会的自我理想と、猥雑で超自我的な共犯者との間の引っ張り合いと解釈すべきであろう。もしまだ証拠が必要ならば、これもまたフロイトのいう超自我という 概念が今なお現実性を保っていることの証拠である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)



公的な法はなんらかの隠された超自我的猥褻さによる支えを必要とする事実が、今日ほど現実的になったことはかつてない。ロブ・ライナー監督の『ア・フュー・グッド・メン』を思い出してみよう。ふたりの米海軍兵士が、同僚を殺した罪で軍法会議にかけられる。軍検察官は計画的殺人だと主張するが、弁護側(トム・クルーズとデミ・ムーアという最強コンビだから裁判に負けるはずはない)は被告人たちがいわゆる「コード・レッド」に従っただけなのだということを立証してみせる。この掟は、海兵隊の倫理基準を破った同僚を夜ひそかに殴打してもよいという、軍内部の不文律だった。このような掟は違法行為を宥恕するものであり、非合法であるが、同時に集団の団結を強化するという役目をもっている。夜の闇に紛れ、誰にも知られず、完璧におこなわれなければならない。公の場では、誰もがそれについて何も知らないことになっている。いや積極的にそのような掟の存在を否定する(したがって映画のクライマックスは、予想通り、殴打を命じた将校ジャック・ニコルソンの怒りの爆発である。彼が公の場で怒りを爆発させたということは、彼の失脚を意味する)。

このような掟は、共同体の明文化された法に背いている一方で、共同体の精神を純粋な形で表象し、個々人に対して強い圧力をかけ、集団の同一化を迫る。明文化された<法>とは対照的に、このような超自我的で猥雑な掟は本質的に、人から見えない所で密かに口にされる。そこに、フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』の教訓がある。カーツ大佐という人物は野蛮な過去からの生き残りなどではなく、現代の権力そのもの、<西洋>の権力の必然的結果である。カーツは完璧な兵士だった。そしてそれゆえに、軍の権力システムへの過剰な同一化を通じて、そのシステムが排除すべき過剰へと変身してしまったのである。『地獄の黙示録』の究極の洞察はこうだーー権力はそれ自体の過剰を生み出し、それを抹殺しなければならなくなるが、その操作は権力が戦っているものを映し出す(カーツを殺すというウィラードの任務は公式の記録には残らない。ウィラードに命令を下す将軍が指摘するように、「それは起きなかった」ことなのである。)(ジジェク『ラカンはこう読め!』P152-153)

…………

さてここからが2004年の論(私訳)である。

…バグダッドのアブグレイブ刑務所で起こっている異様な出来事についてのスキャンダラスなニュース、それが突然暴露されたとき、我々は、米国人が彼ら自身をコントロールしていないというまさにこの側面を瞥見することになる。



2004年4月の終りに公けになった米兵によって拷問され凌辱されたイラク囚人を示す画像、これに対するブッシュ大統領の反応は、予想通りに、次のことを強調している。すなわち、兵士たちの振舞いは、民主主義、自由、個人の尊厳の価値のために、米国人が表したり闘ったりするものを反映することのない孤立した犯罪であると。そして実際に、米国行政を守勢のポジションに置いたこのケースが公的スキャンダルになった事実自体が、ポジティブな兆候だ、ーーほんとうの「全体主義的」体制では、このケースは単純にもみ消されるだろうと。(……)




しかしながら、数多くの心をかき乱す特徴が単純な画像を複雑化する。この数ヶ月のあいだ「国際赤十字」は、イラクにおける米軍当局を定期的に責め立てていた。それは、イラクにおける軍監獄での虐待についての報告書をもって、である。そして報告書は意図的に無視された。というわけで、米国当局は何が起り続けていたかについての信号を得ていなかったのではない。彼らが飾り気なく犯罪を認めたのは、メディアによる情報の暴露に直面したとき(そしてそのため)のみである。

何も不思議ではない、再発防止方策が、米軍看守に対して、デジタルカメラとヴィデオディスプレイ付きの携帯電話の所有禁止だったことは。ーー(虐待)行為ではなく、その公けの流通の禁止というわけだ…。二番目に、米軍司令官の即座の反応が、控え目にいっても、驚くべきものだった。すなわち、兵士たちはジュネーブ条約の規則を正しく教えられていない、という説明だ。ーーあたかも囚人を虐待や拷問しないように教育しなければならない、とでも言うがごとく!




しかし主要な特徴は、以前のサダム体制における囚人拷問の「標準的」方法と米軍の拷問とのあいだにあるコントラストである。以前の体制では、直接的かつ野蛮に苦痛を与えることにアクセントが置かれていた。他方、米兵たちのやり方は心理的屈辱を与えることに焦点がある。さらに、彼らはカメラで虐待を記録するのだが、その画像のなかに拷問実施者が含まれており、彼らの顔は囚人の捻じ曲げられた裸体と一緒に愚かにも微笑している。これが拷問過程のなくてはならない一部なのであり、サダム体制の拷問の秘密主義とはまったく対照的だ。




私はあのよく知られた画像を見たときーー頭を黒い頭巾でおおった裸の囚人の画像で、彼の肢には電気ケーブルが付着され、椅子の上に滑稽な演劇的ポーズで立っているヤツだーー、最初の反応は、これはマンハッタンの下町での最新のパフォーマンスアートショウのショットだというものだ。まさに囚人の姿勢や衣装が劇場風の構成、活人画 tableau vivant の一種のようであり、思い起さずにはいられないのは、アメリカパフォーマンスアートの全領野、あるいは「残酷劇」、メイプルソープの写真、デヴィット・リンチの映画の風変わりな場面…だった。



そしてこの特徴なのだ、事態の臍を我々に示してくれるのは。あの画像は、アメリカの生活様式の現実に慣れ親んでいる者にとっては誰にでもすぐさま、アメリカのポピュラーカルチャーの猥褻な裏面を思い起こさせる。そう、拷問と屈辱の入会儀式だ、閉じられたコミュニティへと受け入れられるための、人が耐え忍ばなければならないイニシエーション儀式である。

我々は、米国の出版物にて定期的な間隔で、似たような写真を見ないだろうか? それはたとえば、軍隊や高校のキャンパスでスキャンダルが暴発したときだ。そこでは、入会儀式がいき過ぎて、兵士や学生が許容されるレヴェルを超えて犠牲になる。屈辱的なポーズや下劣な仕草(たとえば仲間の前でビール瓶を肛門に突っ込まれるような仕草)を余儀なくさせられたり、針で突き刺されたり等々。(ついでながら、ブッシュ自身が、イエール大学の最も特権的な秘密結社、「髑髏と骨 Skull and Bones」の会員であり、彼はどんな儀式を忍んだのかを知るのは興味深いことだ…)。

次ぎの画像はブッシュ元大統領、そして現在ならケリー国務長官出身の「髑髏と骨」パーティのものらしい(女性会員は、1991年から許されることになったそうだ、参照→Yale's Skull and Bones Admits Women)。


WEB EXCLUSIVE: Every Yale Secret Society, 2009-2010 (or, A Tribute to Rumpus)


ジジェクは上の論では米国悪罵に終始しているが、入会儀式の一種の「拷問」はどこでもみられるだろう(おそらく少なくとも先進諸国では)。その過剰さの相違はあるだろうが(日本での新入生あるいは新入社員歓迎儀式を思い起こせばよい)。

ここでは英国名門のケンブリッジ大学の入学儀式の画像を貼り付けておこう。“Cambridge don warns bullying students to stop 'sadistic' Freshers initiations(17 Oct 2015)”からである。




まさにアブグレイブ風であるといってよいだろう。

ここでなぜかクンデラを引用しておくが、小説のなかの文であり、なにも信用する必要は毛ほどもない。

戦争が男たちによって行われてきたというのは、これはどえらく大きな幸運ですなあ。もし女たちが戦争をやってたとしたら、残酷さにかけてはじつに首尾一貫していたでしょうから、この地球の上にいかなる人間も残っていなかったでしょうなあ」(クンデラ『不滅』)




「私は、女性は男性と同じ超自我を持っていない、そして彼女達は男よりもこの点ずっと自由で、男の行動、活動に見られるような限界が無い、という印象を持っている。」(フロイト

とはいえ、ここでフロイトの使っている「超自我」は、冒頭近くに掲げたジジェクのいう超自我とは違う(ジジェクの文には、《社会的自我理想と、猥雑で超自我的な共犯者との間の引っ張り合い》とあった)。

フロイトの言っているのは、ラカン派文脈では「自我理想」あるいは「父の名」のことであり、ジジェクの言っているのは、「母なる超自我」あるいは「享楽の父」である。

後者は、欲望が隠喩化(象徴化)される前の「父」の欲望の体現者、あるいは原初の全能の母であり、それは、猥雑で獰猛な、限度を弁えない、言語とは異質の、そしてNom-du-Père(父の名)を与り知らない超自我である。これはラカンが超自我を「猥褻かつ苛酷な形象」[ la figure obscène et féroce ] (Lacan ,1955)と形容したことに基づく。

日本でも中井久夫が「母性のオルギア(距離のない狂宴)と父性のレリギオ(つつしみ)」のあいだのコントラストを語っている。

フロイトがほぼ自我理想=超自我としているのに対しーーフロイト自身の微妙な表現はあるにしろ、すくなくとも主著『自我とエス』からの標準的解釈では今でもほぼ自我理想=超自我であるーー、標準的なラカン派の捉え方(おそらく?)をいささかくどくなるが、ここに貼り付けておこう。

<理想自我>は主体の理想化された自我のイメージを意味する(こうなりたいと思うような自分のイメージ、他人からこう見られたいと思うイメージ)。

<自我理想>は、私が自我イメージでその眼差しに印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文字の他者>であり、私が憧れ、現実化したいと願う理想である。

<超自我>はそれと同じ媒体の、復讐とサディズムと懲罰をともなう側面である。

この三つの術語の構造原理の背景にあるのは、明らかに、<想像界><象徴界><現実界>というラカンの三幅対である。理想自我は想像界的であり、ラカンのいう<小文字の他者>であり、自我の理想化された鏡像である。自我理想は象徴界的であり、私の象徴的同一化の点であり、<大文字の他者>の中にある視点である(私はその視点から私自身を観察し、判定する)。超自我は現実界的で、無理な要求を次々に私に突きつけ、なんとかその要求に応えようとする私の無様な姿を嘲笑する、残虐で強欲な審級……((『ラカンはこう読め』2006)

…………

最後に注記しておくが、フロイトやラカンが男や女というとき、解剖学的な性別のことではない。

父の権威の斜陽の時代、それはことさら1990年代以降顕著になっているが、その時代には、人は女性化の方向に不可避的に追いやられるというのがラカンの考え方である(ラカン曰く、「女性への推進力」)。すなわち、父性隠喩の不成立によって「母のファルスになる」という欲望を「ファルスをもつ」に変換できなかった主体が、「母に欠けたファルスになることができないならば、彼には、男性たちに欠如している女性になるという解が残されている」(エクリ、566)ことに気づくためである。

この観点からは、21世紀は、猥雑で獰猛な、限度を弁えない、言語とは異質の、そしてNom-du-Père(父の名)を与り知らない超自我の時代である。すなわち「母性のオルギア(距離のない狂宴)」の時代ということになる。

精神分析的な用語ではなく、ごく日常的な言い方をすれば、「理念」というオブラートなしの「えげつない」時代であるといってもよい。

・歴代の経団連会長は、一応、資本の利害を国益っていうオブラートに包んで表現してきた。ところが米倉は資本の利害を剥き出しで突きつけてくる……

・野田と米倉を並べて見ただけで、民主主義という仮面がいかに薄っぺらいもので、資本主義という素顔がいかにえげつないものかが透けて見えてくる。(浅田彰 『憂国呆談』2012.8より)

※参照:フロイトとラカンの「父の機能」(PAUL VERHAEGHE)