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2015年6月30日火曜日

Chanson d'amour(Lois Marshall)

◆Henry Purcell - Dido & Aeneas - With drooping wings




ーーだいたい、わたくしは女優などより、音楽家のほうに魅せられるのだが、ここにも惚れそうになる女が何人かいるな・・・


◆Hart & Ziel : Purcell Dido




1、穏やか系→Purcell; Dido´s lament; Simone Kermes, soprano; Direction Teodor Currentzis
2、過激系→Jessye Norman, Dido's lament DIDO AND AENEAS, H. Purcell.


Lois Marshallはグールドとも共演しているのだが(Richard Strauss)、いいな、このオバチャンーー、いやこの美人。

◆Lois Marshall sings Gabriel Fauré's "Chanson d'amour"



Robert Schumann - Dichterliebe - Lois Marshall William Aide

…………

フォーレはシャンソン風に歌ってもいい、いやこの囁きつぶやき、ときに投げだすようなスタイルこそ真のフォーレのメロディの謳い方かもしれない。

◆Chanson d'amour - Alice





文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかない

《最も単純なシュルレアリスト的行為は、ピストル片手に街に飛び出し、無差別に群衆を撃ちまくる事だ》(アンドレ・ブルトン)

(大衆化社会では)ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

恥ずかしさの余り総毛立つ言葉が
多くの拍手を以て流通していると
「ひとり残らずぶっ殺してやりたい」
と思うことがないかい? 
機銃掃射でさ

なかったら幸せものだね

けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう。(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987)

権力の道具モロの「文化人」がなにやら最近目につくのだよな・・・
まあ彼だけではないさ
だが、あれらインターネット文化に「貢献」したらしい種族には
どうしてあれほどマヌケが多いのだろ?

・芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。

・自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている(……)。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが……。

・混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

新しいタイプの「芸術家」だろ? あいつら

わたしの戦争実施要項は、次の四箇条に要約できる。

第一に、わたしは勝ち誇っているような事柄だけを攻撃するーー事情によっては、それが勝ち誇るようになるまで待つ。

第二に、わたしはわたしの同盟者が見つかりそうにもない事柄、わたしが孤立しーーわたしだけが危険にさらされるであろうような事柄だけを攻撃する。わたしは、わたしを危険にさらさないような攻撃は、公けの場において一度として行なったことがない。これが、行動の正しさを判定するわたしの規準である。

第三に、わたしは決して個人を攻撃しないーー個人をただ強力な拡大鏡のように利用するばかりである。つまり、一般に広がっているが潜行性的で把握しにくい害悪を、はっきりと目に見えるようにするために、この拡大鏡を利用するのである。わたしがダーヴィット・シュトラウスを攻撃したのは、それである。より正確にいえば、わたしは一冊の老いぼれた本がドイツ的「教養」の世界でおさめた成功を攻撃したのであるーーわたしは、いわばこの教養の現行犯を押さえたのである……。わたしが、ワーグナーを攻撃したのも、同様である。これは、より正確にいえば、抜目のない、すれっからしの人間を豊かな人間と混同し、末期的人間を偉大な人間と混同しているわれわれの「文化」の虚偽、その本能の雑種性を攻撃したのである。

第四に、わたしは、個人的不和の影などはいっさい帯びず、いやな目にあったというような背後の因縁がまったくない、そういう対象だけを攻撃する。それどころか、わたしにおいては、好意の表示であり、場合によっては、感謝の表示なのである。わたしは、わたしの名をある事柄やある人物の名にかかわらせることによって、それらに対して敬意を表し、それらを顕彰するのである。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

ニーチェ先生は個人を攻撃はまずいといっているが
これを守るのはなかなかむずかしいよ・・・

三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。(夏目漱石)


2015年6月29日月曜日

エクリチュールとフィクション

野間易通対川上量生(東浩紀による)」に引き続く。

「事実確認的 constavive」/「行為遂行的 performative」にかかわるまとめを前々ブログでしたことがある(四年前)。だが、前々ブログはまるごと削除してしまったので、ここにその記事をそのまま掲げる(原発事故約半年後に書いたものであり、日本において、いわゆる「理系」と呼ばれる種族のナイーヴぶりにひどく苛立っていた時期に記したものである)。

…………

蓮實重彦は2005年5月、ソウルで開催された「世界文学フォーラム」(テーマ:平和のために書く)での講演で冒頭の簡単な導入後、次のように語り出す(「『赤』の誘惑」をめぐって)。

「葛藤」や「無秩序」への私の執着は、言語をめぐるごく単純な原則に由来している。それは、ある定義しがたい概念について、大多数の人間があらかじめ同じ解釈を共有しあってはならないという原則にほかならない。とりわけ、文学においては、多様な解釈を誘発することで一時の混乱を惹起する概念こそ、真に創造的なものだと私は考えている。そうした創造的な不一致を通過することがないかぎり、「平和」の概念もまた、抽象的なものにとどまるしかあるまい。

このように述べた後、《「フィクション」という単語の意味をめぐる大がかりな不一致》を取り上げる。今日の理論的な考察の基盤にある西欧的な思考にとって、「フィクション」は非=正統的な私生児であり、「フィクション」を捉え損なっているがゆえに、近代的思考は「現実」を描き尽くすことができていない、とは、蓮實重彦の長年の「宿題」のひとつと言える。

例えば、「小説の構造」(初出=「国文学」1977年)にはこう書かれている(ここでの「小説」を「フィクション」に読み替えてみても粗雑さの謗りを受けることはあるまい)。

もしかりに、ヨーロッパが真の反省的思考に目覚める瞬間があるとするならば、そのときヨーロッパが描きあげるだろうその自画像は「小説」を中心にした構図におさまることになるだろう。あるいは逆に「小説」を構図の中心に据えたヨーロッパ像が想定されぬ限り、ヨーロッパはその自意識を獲得することはなかろうというべきかもしれない。「小説」を視界におさめなかったが故に、デカルトは真の反省的思考を実践しえなかったし、マルクスも、またニーチェも、そしてフ ロイトも、「小説」を曖昧にとり逃がしてしまったが故に、ヨーロッパ的な現実を周到に描きつくすにはいたらなかったのだ。階級闘争も、永劫回帰も、無意識 も、「小説」に対してはひたすら無効の身振りしか演じてはいない。そしてその事実を自覚する瞬間に、ヨーロッパは初めて真の反省的な思考を獲得することに なるだろう。またそうでない限り、ヨーロッパは、ルイ十四世の時代と質的にはほとんど変わらぬ仕草で思考をめぐらせ続けるほかあるまい。
もしかりに、過去一世紀を「小説」の時代と呼ぶのであれば、それは、この身分の賎しくいかがわしい言葉の戯れから、賎しさといかがわしさを分離し、それを 見ずにすごすことの歴史であったといえる。それに視線を落とさずにいることがもはや不可能となったいま、「小説」の歴史は、必然的に近代がその真の反省的 意識に目覚めるという事件の生まなましい叙述たらざるをえないところにさしかかっていると思う。だがその具体的な叙述には、別の機会が設けられねばならない。

さて講演では、氏はドリット・コーンの『フィクションの特性』からいくつかの文を引用することになる。

この語彙の複数の意味は、辞書の『フィクション』という項目からもはっきりと見て取れるが、その唯一の共通分母は、それぞれの辞書の項目がすべて『捏造された何ごとか』と呼んでいるもののようだ。

ドリット・コーンは「フィクション」を文学的に論じるのではなく、人類の思考一般における考察をしているとされるのだが、次のような引用もなされる。

かくしてベンサムは法律的な「正義」という語彙をフィクションと呼び、カントは人間の知的な直感の産物(時間や空間という概念)を「体験的フィクション」と呼び、ニーチェは統一された主体(統一された自己を持つという)としての個人的な実存の感覚を、われわれが内面に持っている類似の状態はある基層の効果としてのフィクションにほかならぬと告げている。

つまりなにもかもが「捏造された何ごとか」なのである。蓮實重彦は上記の文に次のようにつけ加える。

この引用は、フィクションが文学の問題となる以前に、すでに哲学的な概念だったことを想起させるに充分である。「重力」を「フィクション」と呼んだニュートンを敷衍するなら、ジャン=ジャック=ルソーの「自然の状態」からフロイトの「無意識」まで、あらゆるものが「フィクション」と呼ばれかねないとコーン教授はいう。実際、彼女の著作以後に書かれた『政治という虚構』の著者フィリップ・ラクー=ラバルトにとっては、ナチズムもまた「フィクション」である。それ以前にも、『差異と反復』の著者ジル・ドゥルーズが哲学の書物は「サイエンス・フィクション」でなければならぬといい、ロラン・バルトが『テクストの快楽』でイデオロギーの体系を「フィクション」と断じ、ミシェル・フーコーが彼自身の哲学的=歴史学的な著作は「フィクション」にほかならぬといっているように、この語義は文学以外の場でもひたすら拡張の一途をたどっているかにみえる。

これを受けて、蓮實重彦のコーンの見解への齟齬をめぐる言述が始まる。

コーンは、「フィクション」という語彙の「混沌として頽廃した言語使用」を慨嘆する。そして「その語彙の定義をしたり、その複数の異なる意味を識別したりする」ことになるのだが、蓮實重彦は、それがいかに卓見にみちたものであろうと、新たな「フィクション」の定義を一つつけ加えるという退屈な事態の恒常化に貢献するしかない、と断じることになる。

もっともそれは、理論家の思考の混乱や、論理的な慎重さの欠如や、方法的な欠陥からくるものではなく、

本質という概念からおよそ遠く、その純粋状態というものを持ちえない、「フィクション」が、総合や分析をたやすく逃れるその非=カテゴリー的な力によって、“とは何か”という設問をいたるところで流産させてしまうからにほかならない。その点からして、「フィクション」を論じようとする者は、いたずらに厳密たろうとして、その語の「混沌として頽廃した言語使用」を怖れるべきではないというのがここでの私の立場である

とする。

さて次には有名なデリダ=サール論争への言及が始まる。それはオースティン=サールの「スピーチアクト理論」に対するデリダの厳しい批判に始まるものだが(1971年の「署名、出来事、コンテクスト」(『有限責任会社』所収)、ここではその詳細は差し控えて、参照として二つのリンクを貼付しておくだけにする。

1、哲学の「境界」を画定すること
2、デリダ「署名 出来事 コンテクスト」。反覆〔イテラシオン〕と反復〔レペティシオン〕

蓮實重彦は、デリダは、オースティン=サールの議論を、「書かれたコミュニケーション」と「話されたコミュニケーション」とを識別せず、「言表行為をコミュニケーション的行為」としてしか考察していないところにその欠陥を見ているとし、次の引用をする。

書かれたものが、書かれたものであるためには、それは依然として「働きかけ」つづけ、読解可能でありつづけるものでなければならないーーーたとえ書かれたものの著者と呼ばれる者が自らの書いたものに、自ら署名したと思われるものに責任をもつことがもはやなくなったとしても、当の著者が、彼が一時的に不在である場合にせよ、死んでしまった場合にせよ、あるいは一般的に言って、この著者が自らの絶対的に顕在的で現前的な意図=志向や注意に、また自らの<言わんと欲すること>の充実に依拠することをせず、「自らの名のもとに」書かれたもののように思われることそのものをこうした依拠によって維持しなくなった場合にせよ、それらのいずれの場合でもかまわない。(『署名、出来事、コンテクスト』)

オースティンの主張の眼目は、さきほど挙げたリンク1から引用するなら次のようなものであった。

行為遂行的発言はパロールにおいてはその発言当人の現前性に、エクリチュールにおいては著者の「署名」に帰せられる。この両方において、オースティンは、 パロールにはその「発言源」を、エクリチュールはその「記入源」を行為遂行的発言の成立条件として設定し、コミュニケーションをコンテクストの一義性の中に回収するのである。「発言源」や「記入源」は、オースティンの言語行為における〈自己への現前性〉を示すもの以外のなにものでもないだろう。

あるいは「フィクション」的な人物やものは指示対象たりうるというサールは、オースティンの「寄生」という概念を「装われた」と呼びかえ、「フィクション」における作者はあたかも「事実の主張をしているかに装っている」とも主張する。

しかし蓮實重彦はさきほどのデリダの引用文のあと、つぎのように語ることになる。

オースティンがコンテクスト構成の責任者とみなす言表の主体や、サールが「発話内意図」の起源だという作者などの概念を、デリダの指摘する「エクリチュール」の特性がことごとく無効にしていることは明らかである。話される言葉における主体の現前に対して、書かれたテクストにおける主体の不在という視点から書かれた文字の漂流性を論じるデリダの目には、「寄生的」ないし「装われた」という概念そのものが無意味になるほかないからである。なぜなら、「書かれた記号はおのれのコンテクストとなんらかの断絶力を含んでいる」のであり、「このような断絶力は、書かれたもののなんらかの遇有的述語であるのではなく、それの構造そのもの」だからである。

以下、「赤」をめぐって「フィクション」の分析が始まる。蓮實重彦の論としては核心部分であるが、この箇所はその後上梓された『赤の誘惑』にいっそう詳しい(ここでは割愛)。

ここでは、後半にもう一度デリダの文の引用がなされるのだが、その前段で蓮實重彦は、《デリダの指摘をまつまでもなく、書かれた言語記号は本質的に無責任な漂流性を生きるものであることをここで改めて想起しておきたい》として引用されるデリダ、《私はいわゆるデリダ派に属する人間ではないが(……)深く共感せざるをえない》として引用されるデリダの核心的な言葉にのみスポットライトを当てることにしよう。

いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……(「署名、出来事、コンテクスト」)

エクリチュールとは例えば英語圏ではwritingとされているだけで、つまり「書かれたもの」はすべてエクリチュール=書記である。

ところでサールの主張をもういちど持ち出せば、彼の目的は「フィクション的な発話と字義通りの発話の違いを究明することにある」ということだ。こうも言う、「批評家が作者の意図を完全に知りえないと想像することは非条理である」と。

そしてデリダはそれに対して、かりにサールのいう「真面目な発話」であろうと、それが「書かれた記号」であるかぎり、コンテクストの構成責任をになう主体はそこに不在である、という反論がなされたわけだ。

※詳しくはリンク1,2を参照のこと。

エクリチュールとは、作者という正当な起源を持たず、父親も母親もないまま生成されたものである。その「精神分裂病」的な「無政府」状態。それを受け入れ難い、あるいはデリダの指摘を頭の片隅にさえ置いていないとしか思えない「優秀」な「近代的思考」の持ち主が、依然、跳梁跋扈しているのは、誰もが知る通りである。

※もちろん民法的、あるいは刑法的には「作者」はいる、しかし「作者」はそこにしかいない、とも言えるのだ。また異なった側面からの「自己責任」をめぐっては、ここに少し触れた。→ カントの「自由」----柄谷行人、あるいはジュパンチッチ

デリダのいう「エクリチュール」は理論的に考え抜かれたものであるとしたら、ロラン・バルトの「エクリチュール」はより実践的に述べられているといってよいかもしれない、カント的な意味で。

※カントの三批判は次のようであった。

「我々は何を知りうるか」、「我々は何をなしうるか」、「我々は何を欲しうるか」という人間学の根本的な問いがそれぞれ『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』に対応している。(柄谷行人)

ここでロラン・バルトの言葉を『彼自身のロラン・バルト』から付記しておこう。

エクリチュールによって私は、きびしい除外作用に支配されることを余儀なくされる。それは、エクリチュールによって私が世間の常用の(「民衆の」)ことばづかいから分け距てられてしまう、という理由のみによるのではない。もっと本質的な理由は、エクリチュールが私に「自分を表現する」ことをさまたげるというところにある。だいいち、エクリチュールは《誰か》を表現しうるものだろうか。主体の非固形性、そのアトピー〔場所を問わないこと〕を裸かにしてさらし、想像界の疑似餌を撒きちらすことによって、それは、叙情表現(中心的な「心の動揺」をあらわす語法として)いっさいをなりたたなくさせてしまう。エクリチュールは、乾いた、禁欲的な、およそ心情の吐露といったもののない、享楽である。

あるいはバルトがニーチェのエクリチュールを読む快楽を語る言葉。

(それは)一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)

※テクストは楽譜のようなものだとしたらどうだろう? それなら「要約」は馬鹿げていることになる。

もうひとつ、違った側面から。

エクリチュールの実践に身を置く人は、あまり嫌がらずに、自分の思考の感度や管轄を縮小したり逸脱させたりすることを受け容れる(次のようなせりふを言う際によくもちいられる口調を辞すべきではないというわけだ、たとえば《それが私にとって何だというのです?》とか、《私が肝心な点を押さえていないとでもいうのですか?》とか)。エクリチュールの中には、ある種の惰性、ある種の精神的《安易さ》のもたらす快楽があるのかもしれない、私はしゃべるときよりも書くときのほうが自分の愚かしさに対していっそう平気でいられる、とでもいった感じなのだ(教師たちは作家たちより何倍も知的らしくはないか)。

※「フィクション」については、阿部和重と蓮實重彦の対談(「『ピストルズ』――小説という形式性の追求」(「群像」2010年5月号)から次の言葉を付記しておく。

(阿部) 語りの工夫や形式性の追求、何でそういうことを性懲りもなくやり続けてしまうのかというと、(……)やはりフィクションにおけるリアリティーの問題に関係します。フィクションのおけるリアルというのは、現実の出来事を自然な形でかたどることではなく、フィクションという形式を常に覆っている現実といいますか、その形式性を突き詰めれば突き詰めるほど浮き彫りになってしまうまがいものとしての不自然さをこそ指すのではないか。それはもちろん蓮實さんの著作を僕なりに読んできた中で考えついたことでもあるわけですが、自分にとっては創作上の基盤になっています。(……)フィクションを扱う創作において重要なのは、それぞれの表現形式に不可避的に備わっている不自然さ、その規則を忠実に守ることによって浮き彫りになってくる、これは現実ではないというリアリティーをこそ際立たせることなんじゃないかと思っています。

(蓮實)おっしゃる通りです。それは言葉で物を書くことが必然的にかかえこんでいる限界にどう目覚めるかということですよね。

ここでこの文の論旨をさらに「漂流」させることを試みよう。『表象の奈落―――フィクションと思考の動体視力』の「あとがき」よりの「引用」である。

「批評」は、本質的に言い換えの作業にほかならない。翻訳とも呼べるその作業は、言い換えるべき対象としての他者の言説の中でまどろんでいるしかるべき記号に触れ、それを目覚めさせることから始まる。数ある記号のどれに触れて目覚めさせるかで、読む主体の「動体視力」が問われることにもなろうが、それは、読むことで、潜在的なものを顕在化させる作業だといってよい。その覚醒によって、他者の言説は、誰のものでもない言説へと変容する。その変容は、“できごと”として生起し、「批評」の主体をもいくぶんか変容させずにはおくまい。言い換えれば、その二重の変容を通して、とりあえずの翻訳におさまるのだが、「批評」は、それがあくまでとりあえずのものでしかないことを知っている。また、それを知らねば、たんなる「厚顔無恥」に陥るほかはない。

※ここでの「厚顔無恥」とはバルト用語であり、「はしたなさ」と同義である。そして「フィクション」とは、バルトにとって、何よりもまず、「厚顔無恥」を欠いた、あるいは「はしたなさ」から最も遠く離れた言説であり、それは晩年のコレージュ・ド・フランスの講義『「中性」的なもの』『小説の準備』などでの「テーマ」のひとつである(もっともバルトに「テーマ」という語は似合わない)。《欲望とは、横断である。私は「中性」的なるものを横断する》。

「中性的なもの」とは、「威圧的な意味」の支配からのがれることであり、「意味作用を発揮していない、すなわち意味を免除されている」ことである。「意味」の固定化を避けようとするバルトの姿勢をあらわすいくつかの言葉は次のようである。

ニーチェは、《真理》とは古い隠喩の凝固したものに他ならない、といった。ところで、この理屈でいくと、ステレオタイプは《真理》に到る現実の道筋であり、案出された装飾を、記号内容の、規範的な、強制的な形式へと移行させる具体的な過程なのである。(『彼自身によるロラン・バルト』)
反作用〔反応〕による形成。あるひとつの《ドクサ》(世間の通念)を提示してみて、さて、それが耐えがたいものだとする。私はそれからそれるために、ひとつのパラドクサ〔逆説〕を要請する。次には、その逆説にべたべたした汚れがついて、それ自体が新しい凝結物、新しい《ドクサ》となる。そこで私はもっと遠くまで新しい逆説を探しに行かざるをえなくなる。(バルト「同上」)

ところで、バルトは「倦怠」の人でもあった。いやけがさしてうんざりすること。しかも、そのありさまが他人の目にもはっきり見えてしまうこと。そのバルトが「疲労」に肯定的な力を与える。

おそらく人々が疲労の諸秩序を受け入れる瞬間に、疲労は創造的なものとなる。疲労の権利(健康保険の問題ではない)は、新しさの一部となる。倦怠からーーうんざりした気分からーー新しいものが生まれるのである。(バルト『中性的なるもの』)

こうしてモーリス・ブランショの言葉をも援用されることになる。

疲労は、不幸のうちでもっともつつましいもので、中性的なものの中でもっとも中性的なものだ。それは、選択することが許されるなら、誰もが虚栄心から選択することのなかろう体験である。(……)疲労とは、所有的な状態ではなく、問題視することなく吸収する状態にほかならぬ。

このブランショの言葉を「ほぼ」完璧な記述だといいながら、「疲労」とは「厚顔無恥であるまいとして人が支払わねばならぬ対価」にほかならないとつけくわえざるをえないのが、バルトなのだ、と蓮實重彦は「バルトとフィクション」で書く。「所有」ではなく「吸収する状態」を維持するための「つつましさ」。

他方、「疲労」を知らないファルス的「自己表現者」への嫌厭。それらのあり様は、エクリチュールの享楽、《エクリチュールは、乾いた、禁欲的な、およそ心情の吐露といったもののない、享楽である。》、それから遠く離れた振舞いといえるだろう。

私はしばしば他者たちの疲労を知らぬ性格に驚かされる(唖然とするしかない)。(……)エネルギー ――とりわけ言語的なエネルギー ――は、私を唖然とさせる。それは、私には、狂気の徴候としか思えない。他者とは、疲れを知らぬ存在なのだ。(晩年のバルトの日記より『偶景』所収)。

過度で疲労困憊させる他者の言語的エネルギー、「合理」やら「実証」やら「冷静」、あるいは「誠実」、「無邪気」などの「仮面」を被った自己顕示欲の「厚顔無恥」な書記。それは「エクリチュール」の本来の姿からほど遠い。《「中性」的なるものを構造化するのでもなく分析するのでもなく、ただ「横断」することの「疲労」を代償として維持されるエクリチュール》(バルト=蓮實)

もっとも他者の疲れを知らぬ饒舌な言説ばかり蔓延っているとしたら、すぐれたテクストに「ひきこもる」より仕方がないのか? いや必ずしもそうではない(すぐそばでわめき散らかされているのではなくーーこれは耐えられないーー、例えばインターネット上のヒステリー的書記を楽しむために)。

あれらの「はしたなさ」を楽しむためには? 位置を移すこと。聞き手になるのではなく(楽しみ損なうのは確実だ)、その覗き手になること。そうすればフィクションにみえ、「ひびの入った皮膜」にみえてくる。もちろん、そこに欠けているのは、身振りや、声音、表情などなのだがそれは止む得ない。ほとんど発話行為に近い書記がなされている、そして書き手の意識では「現前性」が強いはずだと思われる、たとえばツイッターなどのパロール的書き言葉は、とても奇妙な形式を持っているし、そこに「新しさ」を見ている人もあるのだろうが、いかんせんそこに席巻する我勝ちな「これ見よ顔」(もちろん、ある偶然からしかるべき事件に立ち会ったり、何かを発見したり、特権的な知(専門知識)による時を得た啓蒙などによる即効性のある情報(今回の震災、原発事故で顕著であった)の有用性を否定するものではないが)。

「位置を移すこと」。それは、プルースト的方法でもある。

……なぜなら、私の興味をひくのは、人々のいおうとしている内容ではなくて、人々がそれをいっているときの言いぶりだからで、その言いぶりも、すくなくともそこに彼らの性格とか彼らのこっけいさがにじみでているのでなくてはいけなかった、というよりも、むしろそれは、特有の快楽を私にあたえるのでこれまでつねに別格の形で私の探求の目的になっていたもの、すなわち甲の存在にも乙の存在にも共通であるような点、といったほうがよかった。そんなもの、そんな点を認めるとき、はじめて私の精神は、突然よろこびにあふれて獲物を追いかけはじめるのだが、しかしそのときに追いかけているものは(……)、なかば深まったところ、物の表面それ自体からかなたの、すこし奥へ後退したところにあるのであった。そして、それまでの私の精神といえば、たとえ私自身、表面活発に話していても―――その生気がかえって精神の全面的な鈍磨を他の人々に被いかくしていて―――そのかげで精神は眠っていたのであった。したがって、精神が深い点に到達するとき、存在の、表面的な、模写的な魅力は、私の興味からそれてしまうというわけだ、というのも、女の腹の艶やかな皮膚の下に、それを蝕む内臓の疾患を見ぬく外科医のように、もはや私はそのような表面の魅力にとどまる能力をもたなくなるからだった。

以上、ここに「引用」を中心にして書かれた文はバルトのような「主体の希薄さ」、あるいはバルトが『ミシュレ』で、「これらの推移を記述することは、それらを愛撫することに似ている」と書いたありようとはほど遠く、「はしたなさ」の圏域から逃れることができないのは、書き手の未熟さ、あるいは「中性的なもの」への感性の欠如による。



野間易通対川上量生(東浩紀による)

他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うて見る習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただしまず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳)

…………

東浩紀氏が次ぎのようにツイートしている(2015.6.29.16:00前後)

@hazuma: 言語行為論で有名な区別に「事実確認的 constavive」と「行為遂行的 performative」というのがある。ぼくの読者だったら知っていることだろう。ツイートしやすくするため以下C型P型と呼称する。

@hazuma: たとえばAさんがBさんに「あなたの仕事、なんの意味があるんですか?」と尋ねたとする。事実確認的には単に意義を尋ねたにすぎない。けれど多くの場合、行為遂行的には「あなたの仕事意味ないと思うんすけど」という軽蔑を含む。そしてある文章をどちらで解釈すべきかは、形式的には決定できない。

@hazuma: ある命題がC型であるかP型であるかは、形式的な解析では決して決定できない。20世紀に哲学者や論理学者や言語学者や記号論者や社会学者は、この決定不可能性についてさまざまなかたちで分析している。とりあえず、このことは基礎的な常識として押さえておいてほしい。

@hazuma: というわけで、すべての命題は行為遂行的な読みに開かれている。つまり意味は確定しない。とはいえそれではコミュニケーションに支障が出るので、社会は「あらゆる命題を事実確認的にしか受け取らない」領域をいくつか作っている。たとえば学会はその一つだ。論文はベタにマジに読むことになっている。

@hazuma: さて、このうえで昨今話題の文系理系論争について呟くと、ぼくにはそれは、文系脳理系脳などという不毛な話ではなく、どちらかというと、ある命題を事実遂行的にとるか行為遂行的にとるかの解釈の水準、というよりも「解釈を安定させる社会的装置についての理解」が混乱しているためのように思われる。

@hazuma: つまりは、こうだ。川上さんは、対話とは合理的で論理的な意見交換であるべきだから、命題の解釈を事実確認的水準に限定したうえで行わなければいけないと考えている。ひらたくいえば、学会の質疑応答のようなものとして対話を考えている。このような理解のひとは、確かに「理系」のひとには多い。

@hazuma: しかし他方、野間さんは、ある特定の解釈の水準を標準的だと決定する、その「規則設定の暴力」こそを問うべきだと考えている。これはこれで、ベンヤミンの『暴力批判論』以来さんざん言われていることで、「文系」的には古典的な立場である。それゆえ野間さんは対話を行為遂行論的に展開しようとする。

@hazuma: というわけでなにが起きるかというと、川上さんと野間さんでは、相互の命題についての解釈の水準がきれいにすれ違うことになる。川上さんが事実確認的に述べたことを、野間さんは行為遂行論的に受け取る。逆に野間さんが行為遂行論的に述べたことを、川上さんは事実確認的に受け取る。

@hazuma: 事実確認論/行為遂行論の区別は、しばしば正誤(認識論)と善悪(倫理)の区別にも重ねられる。ぼくの考えでは、川上さんの「在特会もカウンターもどっちもどっち」はC的には正しいがP的には悪に近い。逆に野間さんの「オタクはキモい」はP的には有効性をもつかもしれないがC的には無意味だ。

@hazuma: 以上、ぼくなりに10日前の騒動について考えた。いずれにせよ、同じ「対話」という言葉で、「理系」は学会的な事実確認的命題の交換をイメージし、「文系」はもっと無秩序な行為遂行的命題のバトルをイメージすることが多いというのはあると思うので、まずはそこを整理すべきかと思います。

@hazuma: ちなみに追記だけど、いまたまたま読んでいるミハイル・バフチンは、まさに、対話を、事実遂行的な命題の交換ではなく、行為遂行的な命題のバトルとして考えたひとでした。ぼく的にはやっぱこっちのほうがしっくり来るんだけど、これ人文書に親しんでいないとわかりにくい考え方かもね。

@hazuma: ちなみに、参考図書をぼくの得意分野で挙げておくと、言語行為論では、J・L・オースティン、ジョン・サール、そしてサールとデリダの論争が必読。そこにベイトソンのダブルバインド論を加えればだいたいオッケーで、あと応用でバフチンのポリフォニー論とかフーコーのパイプの論文とかかしら。

すばらしいまとめである。「すばらしい」と書いたが、わたくし自身ほとんど忘れてしまっているので、つまりはとても勉強になる、ということだ(忘れてしまっている、すなわち元からたいして分かっていたわけではないということだ・・・)。

ところで、 「事実確認的 constavive」/「行為遂行的 performative」とは、ラカンの 言表内容enonceと言表行為enonciation とどう異なるのか(参照:「私が語るとき、私は自分の家の主人ではない」)。

誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできます。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)

《すべての発話はなんらかの内容を伝達するだけでなく、同時に、主体がその内容にどう関わっているかをも伝達する》(ジジェク『ラカンはこう読め』)

この「内容」が言表内容であり、その「内容にどう関わっているか」が言表行為である。

 「事実確認的 constavive」/「行為遂行的 performative」とは、究極的には、このフロイト・ラカン派のこの考え方に行き着くのではないか、--と、たいして分かっているわけではないわたくしが「厚顔無恥」にも書いてしまうのは、「行為遂行的」、あるいは「言表行為」としては何を示しているのだろう? たぶん、とりあえずは「知ったかぶり」をしたいということはあるに相違ないが、それ以外にも何かあるはずだ・・・

(いずれにしろ、 「事実確認的 constavive」/「行為遂行的 performative」と言表内容enonce/言表行為enonciation とはなにか違うところがあるはずだが、それが分からないほどの「知識」しかない、ということではあるし、いまは調べる気はしない)。

ーーなどとややこしい話はここで打ち切りにする。

今はロラン・バルトの平易な言葉を、ーーいささか本来の文脈からはずれる箇所はあるかもしれないがーー引用しておくだけにする。

対話者同士の定期的な会合から期待し得るものはただ好意だけである。すなわち、この会合が攻撃的な所を除去したパロールの空間を代表するということである。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」)

だが、〈あなた〉は、攻撃性の除去など容易ではないことを知っている。すくなくとも、この除去は抵抗なしには行なわれない。

第一の抵抗は文化の範疇に属する。暴力の拒否はヒューマニスト的な嘘とみなされる。慇懃さ(このような拒否の小型版)は階級的価値とみなされる。愛想のよさは鷹揚な対話に似た瞞着とみなされる。

第二の抵抗は想像界の範疇に属する。多くの者は、対決からの逃避は欲求不満を招くというので、鬱憤晴らしの闘争的パロールを願っている。

第三の抵抗は、政治の範疇に属する。論争は戦いの基本的な武器である。パロールの空間は、どれも、分裂して、その矛盾をあらわにしなければならない、監視の下に曝されなければならない、というのである。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」)

そう、〈あなた〉はうわべの慇懃さ、愛想のよさに吐気を催し、鬱憤晴らしの闘争的パロールを願っている、《私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。》(中井久夫『「踏み越え」について』)

質問とはあることを知りたいと思うことである。しかし、多くの知的論争においては、講演者の発表に続く質問は欠如の表明ではなく、充実の確認である。質問という口実で、弁士にけんかを仕掛けるのだ。質問とは、その場合、警察的な意味を持つ。すなわち、質問とは訊問である。しかし、訊問される者は、質問の意図にではなく、その字面に答えるふりをしなければならない。その時、ひとつの遊戯が成立する。各人は、相手の意図についてどう考えるべきか、わかっていても、遊戯は、真意にではなく、内容に答えることを強制する。誰かが、さりげなく、《言語学は何の役に立つのですか》と、私に質問したとする。それは、私に対して、言語学は何の役にも立たないといおうとしているのだが、私は、《これこれの役に立ちます》と、素直に答えるふりをしなければならない。対話の真意に従って、《どうしてあなたは私を攻撃するのですか》などといってはならない。私が受け取るのは共示〔コノタシオン〕であり、私が返さなければならないのは外示〔デノタシオン〕である。(ロラン・バルト「作家、知識人、教師」『テクストの出口』所収 沢崎浩平訳)

…………

※附記

学問の世界で、同僚の話がつまらなかったり退屈だったりしたときの、礼儀正しい反応の仕方は「面白かった」と言うことである。だからもし私が同僚に向かって正直に「退屈でつまらなかった」と言ったりしたら、当然ながら彼は驚いて言うだろう。「でも、もし退屈でつまらないと思ったなら、面白かったといえばいいじゃないか」。

不幸な同僚は正しく見抜いたのだーーこの率直な言明には何かそれ以上のものが含まれている、そこには自分の論文の質に関するコメントだけでなく、自分の人格そのものに対する攻撃が含まれているにちがいない、と。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)
よく定義されたことばをつかって書くことは およそ論議のなされるための原則と言えるだろう このこと自体がすでに 語り尽くすことができないものを わかったように語るという罠にかかっている ひとつのことばが厳密に定義できるなら それは意味するものとしての記号にすぎないだろう 世界のかわりにそれをあらわす記号を操作しても 無限を有限で置きかえるこの操作からのアプローチは 逆に無限回の操作を要求することになる 推論はかならず反論をよび 論理の経済どころか ことばは無限に増殖する(現代から伝統へ  高橋悠治

「葛藤」や「無秩序」への私の執着は、言語をめぐるごく単純な原則に由来している。それは、ある定義しがたい概念について、大多数の人間があらかじめ同じ解釈を共有しあってはならないという原則にほかならない。とりわけ、文学においては、多様な解釈を誘発することで一時の混乱を惹起する概念こそ、真に創造的なものだと私は考えている。そうした創造的な不一致を通過することがないかぎり、「平和」の概念もまた、抽象的なものにとどまるしかあるまい。(蓮實重彦「「『赤』の誘惑」をめぐって」)

※「事実確認的 constavive」/「行為遂行的 performative」のいくらかの参照として→「エクリチュールとフィクション



2015年6月28日日曜日

実存主義→構造主義→ポスト構造主義→ポスト・ポスト構造主義の変遷をめぐって

前回、唯名論と実在論のメモをして、柄谷行人の著作をひさしぶりに覗いてみたので、ここでも柄谷行人から、いくらかの備忘メモ。


【批評と批判】


柄谷) 僕は昔、批評と批判というふうに区別したことがあります。批判において、自分が含まれているものが批評、含まれていないものが批判というふうに呼んでいたことがある。

その意味で、カントの「批判」は、ふつうの批判とちがって批評と言いいんですけど、それは、彼の言葉でいえば、「超越論的」なのですね。自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかけるということです。だから、彼のいう「批判」は、「超越的」、つまりメタレベルに立って見下ろすものではなく、自己自身に関係していくものだと思う。しかし、これは「自己意識」とは別だと思う。小林秀雄はそれを自己意識にしてしまった。(……)僕は、以前に」ゲーテル的問題」とか「自己言及のパラドックス」ということをいっていましたが、それは自己意識とはちがいます。形式的なものにかかわるからです。ウィトゲンシュタインは「論理学は超越論的である」といっている。論理学は言語に対して自己関係するものだからです。(柄谷行人/蓮實重彦対談集『闘争のエチカ』1988)
カントがいう「批判」は、ふつうにわれわれがいう批判とはちがっている。つまり、ある立場に立って他人を批判することではない。それは、われわれが自明であると思っていることを、そういう認識を可能にしている前提そのものにさかのぼって吟味することである。「批判」の特徴は、それが自分自身の関係するということにある。それは、自らをメタ(超越的)レベルにおくのではない。逆に、それは、いかなる積極的な立場をも、それが二律背反に陥ることを示すことによって斥ける、つまり、「批判」は超越論的なのである。

しかし、カントの「批判」を、べつに「批判哲学」のように限定して考える必要はない。たとえば、今日デリダやド・マンのいうディコンストラクションは、「批判」以外の何であろうか。それは、一義的な意味(真理)を、決定不能性(二律背反)に追いこむことによって無効化するものだし、批判(解体)ではなく、「批判」(脱構築)なのである。「超越論的」という言葉も同様である。それをとくにフッサールのいう意味に限定する必要はない。(柄谷行人『探求Ⅱ』)


ここで柄谷行人は、「脱構築」はカントの「批判」の言い換えに過ぎないよ、と言っている。またこの『探求Ⅱ』の前に書かれた『探求Ⅰ』では、脱構築はソクラテスの「イロニー」の言い換えだよ、と言っている。

【イロニーと脱構築】


イロニーはソクラテスに於ては弁証法の主観的形態である。それは交際に際しての振舞いの仕方である。弁証法は事象の根拠であるが、イロニーは人間の人間に対する特殊な振舞いの仕方である。彼がイロニーによって意図したところは、人々をして自己を言表せしめ、自己の根本的な見解を提示せすめるにあった。そして一切の特定の命題からして、彼はその命題が表現していることの反対のものを展開せしめた。即ち彼は、その命題ないし定義に対して反対の主張をなしたのではなく、その規定をそのままとりあげて、その規定そのものに即して、いかにそれ自身と反対のものがそのうちにふくまれているかを指摘したのである。――かくしてソクラテスは、彼の交友たちに対して、彼らが何も知っていないということを知ることを教えたのである。(ヘーゲル『哲学史講義』)

ヘーゲルがいうように、ある命題を、いったん受け入れた上で、そこからそれに反対の命題を導き出して「決定不能性」に追いこみ、それを自壊させるというイロニーは、今日ではディコンストラクションとよばれている。というより、ディコンストラクショニストは、イロニーという語を避けることによって、自らの新しさを誇示してきたにすぎない。(『探求Ⅰ』)

【女は不朽のイロニーである】

ここでジジェクによるラカン的プロソポピーアLACANIAN PROSOPOPOEIAの叙述を抜き出してみよう。

ソクラテスは、その質問メソッドによって、彼の相手、パートナーを、ただたんに問いつめることによって、相手の抽象的な考え方をより具体的に追及していく(きみのいう正義とは、幸福とはどんな意味なのだろう?……)。この方法により対話者の立場の矛盾を露わにし、相手の立場を彼自身によって崩壊させる。(……)ヘーゲルが女は“コミュニティの不朽のイロニーである”と書いたとき、彼はこのイロニーの女性的性格と対話法を指摘したのではなかったか? というのはソクラテスの存在、彼の問いかけの態度そのものが相手の話を“プロソポピーア”に陥れるのだから。

会話の参加者がソクラテスに対面するとき、彼らのすべての言葉は突然、引用やクリシェのようなものとして聞こえはじめる。まるで借り物の言葉のようなのだ。参加者はおのれの発話を権威づけている奈落をのぞきこむことになり、彼らが権威化のありふれた支えに頼ろうとするまさにその瞬間、権威化は崩れおちる。それはまるでイロニーの聴きとれえない反響が、彼らの会話につけ加えられたかのようなのだ。その反響とは、彼らの言葉と声をうつろにし、声は、借りてこられ盗まれたものとして露顕する。

ここで想いだしてみよう、男が妻の前で話をしているありふれた光景を。夫は手柄話を自慢していたり、己の高い理想をひき合いに出したりしている等々。そして妻は黙って夫を観察しているのだ、ばかにしたような微笑みをほとんど隠しきれずに。妻の沈黙は夫の話のパトスを瓦礫にしてしまい、その哀れさのすべてを晒しだす。この意味で、ラカンにとって、ソクラテスのイロニーとは分析家の独自のポジションを示している。分析のセッションでは同じことが起っていないだろうか? (……)神秘的な“パーソナリティの深層”はプロソポピーアの空想的な効果、すなわち主体のディスクールは種々のソースからの断片のプリコラージュにすぎないものとして、非神秘化される。(……)彼は脱-主体化されてしまうのだ。これをラカンは“主体の解任destitution subjective”と呼んだ。

プロソポピーアとは、“不在の人物や想像上の人物が話をしたり行動したりする表現法”と定義される。(……)ラカンにとってこれは会話の性格そのものなのであり、二次的な厄介さなのではない。ラカンの言表行為の主体と言表内容の主体の区別はこのことを指しているのではなかったか? 私が話すとき、“私自身”が直接話しているわけでは決してない。私は己れの象徴的アイデンティティの虚構を頼みにしなければならない。この意味で、すべての発話は“胡散臭いindirect”。「私はあなたを愛しています」には、愛人としての私のアイデンティティーがあなたに「あなたを愛しています」と告げているという構造がある。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』2012 私訳)

【イロニーとユーモア】

かつては、イロニーはユーモアに対照されて語られることが多かった。それはおそらくドゥルーズのマゾッホ論に起源がある。そこでは、イロニーは超越的、ユーモアは超越論的だとされた(参照:「超越的/超越論的」と「イロニー/ユーモア」)。

ドゥルーズの『マゾッホとサド』には次のような表現がある。

法は、もはや原理への遡行によってイロニックにくつがえされるのではなく、帰結を深く究明することによって、ユーモラスなかたちで斜めによじまげられる。(p112)

このようにして、イロニーがサド、ユーモアがマゾッホという形で書かれており、こうもある。

サディズムの否定性と否定、マゾヒスムの否認と宙吊り的未決定性。(p163)

すなわち、ドゥルーズの叙述からすれば、サディズムが超越的、マゾヒスムが超越論的と捉えていいだろう。

超越的/超越論的は、ラカンの男の論理/女の論理でもある。すなわち、男性的アンチノミーが〈例外〉を伴う〈不完全性〉、女性的アンチノミーは境界を欠いた〈非全体〉の表層における〈矛盾(非一貫性)〉である(参照)。

だが、ジジェクは上の文で、《ヘーゲルが女は“コミュニティの不朽のイロニーである”と書いたとき、彼はこのイロニーの女性的性格と対話法を指摘したのではなかったか?》と記して、イロニーの女性的性格を主張し、かつて流通した見解をひっくりかえしているように思える。これは柄谷行人がイロニーを《メタレベルに立って見下ろすものではなく、自己自身に関係していくもの》としていることと同じであり、むしろイロニーはたんに超越的とはしがたいということだろう。


上の文にはまた、主体の解任destitution subjectiveという用語が出てきている(参照:ラカン派の「主体の解任destitution subjective」をめぐって)。

ラカンにはbouchon/trou(コルク/穴 )というのがある(S.XVII(pp. 56‒57)やSXIの英語版序文など)。

「〈他者〉の〈他者〉はある」の時代(セミネールⅥ以前)はしっかりしたコルク(父の名)だったが(参照:簡略版:「〈他者〉の〈他者〉は存在しない」)、「〈他者〉の〈他者〉は無い」になって、穴を塞ぐコルクは柔になった(父の諸名(複数形)、S1、対象a等)。

神経症治療の場合、コルクを除去するのが当面の目的(主体の解任)だとしても、それだけではシャンパンの泡(死の欲動)が噴出してしまう。主体独自のコルクを、無から(イデオロギー的にならずに)創造するのがサントームΣである。

【理論的な態度と実践的な態度の交替】

さてここでまた柄谷行人に戻る。

……カントの倫理性は、道徳論においてのみ見てはならない。理論的であることと同時に実践的であること、この超越論的な態度そのものが倫理的なのだ。われわれは、ここで、戦後のフランスで生じた実存主義、構造主義、ポスト構造主義という変遷を別の観点から見てみよう。たとえば、実存主義者(サルトル)は、人間が構造論的に規定されていることを認めながら、なお、自由があることを主張した。それはある意味で「実践的」観点である。一方、構造主義者が主体を疑いそれを構造の「効果」(結果)として見たとき、「理論的」な態度をとったのである。彼らがスピノザに遡行したのは無理もない。先に述べたように、カントの第三アンチノミーにおける正命題は、スピノザの考えーーすべてが原因によって決定されており、ひとが自由だと思うのは、原因があまりに複雑であるからだーーに帰着する。そうした自然必然性を超える自由意志や人格神は想像物であり、それこそ自然的、社会的に規定されている。ただしその原因はけっして単純ではない。そこではしばしば原因は結果によって遡及的に構成されている。

だが、このような考えに驚くべきではない。それは一つの括弧入れによって生じる「理論的」立場に固有のものである。実存主義と構造主義、あるいは主体と構造というかたちで問われた問題は、すこしも新しくない。それはカントが第三アンチノミーとして語った事柄の変奏にすぎない。構造主義的な視点に対して、主体を強調すること、あるいはそこに主体を見出そうとすることは無意味である。なぜなら、それを括弧に入れることによってのみ、構造論的決定論が見出されるのだから。逆に、構造論的な決定を括弧に入れた時点で、はじめて主体と責任の次元が出現する。ポスト構造主義者が道徳性を再導入しようとしたのは、当然である。しかし、それが何か新たな思想でもあるわけではない。実存主義、構造主義、ポスト構造主義という通時的過程に眼を奪われている者は、それが理論的な態度と実践的な態度の交替にすぎないことを見落とす。カントが明らかにしたのは、この二つの姿勢を同時にもたねばならないということである。わかりやすくいえば、われわれは括弧に入れると同時に、括弧をはずすことを知っていなければならないのだ。(柄谷行人『トランスクリティーク』P184)
注)構造主義が、むしろ、主体や責任から逃れようとしている人々によって歓迎されたことを見逃してはならない。彼らがこぞってサルトルに敵対したことに注意すべきである。彼らはサルトルを古くさいブルジョ的ヒューマニストに仕立て上げようとした。しかし、戦前『存在と無』で人間のあらゆる行為は挫折に終わると主張していたサルトルが、戦後において「ヒューマニズム」を唱えたのは、あるいは「倫理学」を書くことを試みたのは、ナチによる占領下の体験からである。戦後に人々は、露骨なナチ協力者を糾弾するとともに、レジスタンスの神話を信じようとした。しかし、サルトルは共産党以外にレジスタンスなど事実上なかったこと、彼自身もレジスタンスと呼ぶに値することなど何もしていなかったことを自認したのである。さらに、彼は、共産党もふくめてフランスの知識人たちが無視した戦前及び戦後の植民地主義の過去をまともに取り上げた。このような歴史的文脈において、主体性を否定する反サルトル的構造主義は、フランスにおける過去への責任意識を払拭する役割を果たし、またその結果、フランスの「自由と人権」の伝統を誇る自己欺瞞的で凡庸な「新哲学者」たちが登場したのである。

《実存主義、構造主義、ポスト構造主義という通時的過程に眼を奪われている者は、それが理論的な態度と実践的な態度の交替にすぎないことを見落とす》とある。これはおそらく現在流通しつつあるポスト・ポスト構造主義にもあてはまるのではないか(全く無知な身ではあるが)。

もっとも彼らが《自己欺瞞的で凡庸な「新哲学者」たち》などというつもりは毛ほどもない・・・

@cbfn: 送られて来た雑誌を見ると「ポスト・ポスト−構造主義」の字が躍る。いつこんな「アウフヘーベン」が起こったのかしらと、大体がテーゼもアンチテーゼも起動した記憶がないのに。思想の握手会みたいなもんなんでしょう。ガードマン不要、ってあたりがちとさみしいか、或いは自己防衛に覚えがあるか。

@cbfn: メイヤスーなんて、パンク気取りのエコール・ノルマル・エリートの御用達思想家みたいな人、そのうち翻訳攻勢がかかるのか、翻訳なんて業績にも換算してくれない手間仕事、もう誰もやらないか。(丹生谷貴志)

とはいえ柄谷行人、あるいはジジェク、丹生谷貴志氏のような言説自体さえもが、ある枠組みのなかでの言説であることを忘れてはならないだろう。

【われわれの問いは、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられていること】
人間が作ったものと自然が作ったものの差異はなにかという問いは、それ自体歴史的である。実際この問いが生じるのは、またテクネーの意味が問われるのは、 きまってテクノロジーが飛躍的に発展するときである。(……)サンボリストたちの問題意識は、19世紀のテクノロジーに密接に関係するのである。今日において、構造主義は、いうまでもなく、コンピューター・サイエンスの所産である。逆に、現代のテクノロジーに無関係にみえるような哲学者の言説においても、 本質的にこの関係が存する。たとえば、ジャック・デリダがアルシエクリチェールについて語るとき、分子生物学が遺伝子をエクリチュールとしてみているとい う事実の上である。

このことは何を意味するのだろうか。第一に、われわれはもはや伝統的な用語によって語るべきではなく、すくなくとも現代のテクノロジーの達成を前提としておかねばならない。さもなければ、それはわれわれを伝統的な思考の圏内に閉じこめてしまうだろう。だが、同時に、われわれは歴史的な過去に遡行しなければならない。それは、現代のテクノロジーが与えている「問題」が、そのなかで解かれるべきものであるどころか、一つの反復的な症候にすぎないことを知っておくべきだからだ。さらに、もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』 講談社版1983)

…………

※附記

【形式化の問題】

……ペレルマンは『レトリックの帝国』のなかで、伝統的レトリックではほとんどとりあつかわれない議論技術として「概念の分割」をあげている。「現象/実在」という対象概念は、その最も代表的な例であり、偶然/本質、相対/絶対、個別的/普遍的、抽象的/具体的、行為/本質、理論/実践といった二項対立もおなじみのものだ。ペレルマンはこれを「第一項/第二項」とよび、さらにそれらがたんなる二項対立ではないことをつぎのように説明している。

《現象/実在という対概念を手本として、哲学的概念を第一項/第二項の形で表すことができる。第一項は現象的なもの、最初に出てくるもの、現実的なもの、直接的なもの、直接に認識されるものを表わす。第二項は第一項との間には区別があるが、この区別は第一項に関連づけてのみ理解される区別であって、第一項の諸様相間に現れた不両立関係を除かんがため第一項内で行われた分割の産物が第一項と第二項との区別である。第二項は第一項の諸様相内で価値あるものと無価値なものとを区別することを可能にする基準、規範を示している。第二項はたんに与えられてそこにあるものではなく、第一項を分割するにあたってその諸様相間に上下関係を設定することを可能にする規則のための構成物(コンストラクション)でもある。何が実在であるかを決定する第二項の規則に合致しないものが、見かけのもの、誤っているもの、悪い意味で現象的なものである。第二項は第一項に対して規範であり、同時に説明でもあるのである。》(ペルレマン「説得の論理学」)

「説得の技術」としてみられているかぎり、どんなレトリック論も不毛である。(中略)「説得の技術」であるかぎり、レトリックは二次的であり、それはペレルマン自身のいい方でいえば、{(レトリック/哲学)哲学}という構図のなかにある。すなわち、レトリックと哲学の対立はメタレベルとしての哲学によって支えれれている、しかし、今日いわれている「レトリックの復権」は、そのような構図の“逆転”としてあらわれたのである。つまりレトリックそのものがレトリカルに逆転されたのであって、この自己言及性に注意しなければならない。それがもはやたんなる“逆転”でありえないことはいうまでもない。ペレルマンは、西洋哲学がそのような二項対立のなかにあると同時に、“独創的思想”が、これらの対概念の上下を逆転することによって生じてきたこと、しかしたんなる“逆転”にはとどまりえないことを、次のように説明している。

《独創的思考はためらうことなくこれら対概念の上下をひっくり返すものだが、しかし、その逆転も、対概念の二項のいずれかを手直しすることなしに起こることはまれである。逆転を正当化する理由を言う必要があるからである。こうしてたとえば個別的/普遍的という伝統的形而上学の特徴的な対概念を逆転すると、抽象的/具体的という対概念になる。なぜなら普遍がプラトン的イデアの如き高度の実在でなく、具体的なものから派生した抽象物とみなされるところでは、唯一の具体的存在でる個別的なものの方にこそ価値があるとされるからである。その場合直接に与えられたものの方が実在であり、抽象物は理論/実在の対概念に対応した派生的理論的産物にすぎないものとなる。》

そこからみれば、「形式化」が、たんに形式/内容の逆転ではありえず、{(形式/内容)内容}という構図そのものの逆転であらざるをえないことが明らかになるだろう。そして、この逆転は、{(内容/形式)形式}に帰結するだろう。デリダのいう「自己再固有化の法則」とはこのことである。そして、彼自身が{(差異/同一性)同一性}という形而上学的な構造を根本的に逆転するかぎり、{(同一性/差異)差異}に帰着してしまわざるをえない。彼自身が「自己再固有化」におちいらないようにするために、再び従来の構図を必要とするのである。

すでにのべたように、十九世紀後半からの「形式化」は、「知覚/想像力」・「実存/本質」・「不在/現前性」・「シニフィアン/シニフィエ」・「文字/音声」・「狂気/理性」・「精神/身体(知覚)」、その他ありとあらゆる二項対立(副次的なもの/一次的・本質的なもの)の“逆転”としてあらわれている。それが実存主義とよばれようと、構造主義とよばれようと、また当人がそのような名称を拒絶しようと、重要なのはそのような“逆転”ではない。むしろわれわれが問うべきなのは、いかにして“逆転”が可能なのかということだ。そのことは、すでにペレルマンが「分割」についてのべたことのなかに示唆されている。 すなわち、第二項は、「第一項/第二項」の対立に属すると同時に、第一項において不可避的に生じる「不両立関係」(パラドックス)を回避するために見出されるメタレベルであり、そしてこの上下(クラスとメンバー)の混同を禁止するところに、いわば「形而上学」がある。つまり、プラトン以来の哲学は、たんなる二分法によるのではなく、この対立がもつ自己言及的なパラドックスを“禁止”するところにあった。しかし、それはけっして“禁止”できない、というのは、それは形式的にコンシステントであろうとするかぎり、「決定不能性」におちいるからである。(柄谷行人「形式化の問題」『隠喩としての建築』(講談社版)P115-119)


2015年6月26日金曜日

「もし私が何者かということがあるなら、唯名論者じゃないことははっきしているよ」

「世界は存在しない、一角獣は存在する」マルクス・ガブリエルというまだ若い哲学者の言葉にツイッターで行き当たった。といってもこの哲学者に興味があるわけではない。ただ実在論/唯名論の話(普遍論争)を思い出したのでメモ(そもそもマルクス・ガブリエルの言葉がそれに関係があるのかも分からないが、なんだかノミナリズムに似ているな、と思ったわけだ)。

……たとえば、中世以来の「普遍論争」では、普遍(一般というべきであるが)と個物(特殊)のいずれが先行するかが争われてきた。普遍が先行するというのがリアリズム(実在論)であり、特殊が先行するというのがノミナリズム(唯名論)である。この議論は、集合論的にいえば、個々のものがあったうえで、集合が形成されるのか、集合が先行するのかということである。たとえば、個々の犬があって、犬という概念が形成されるのか、それとも犬という概念があって個々の犬が見いだされるのか。

この議論は、感覚が先行するという経験論と、概念が先行するという合理論との対立として変奏された。周知のように、カントは、これらの対立を、われわれは世界(もの自体)を感性によって受容し且つ先験的な形式によって構成するというふうに統合した。しかし、すでにこの時点では、固有名の問題が忘れられている。ノミナリストが一般概念に対置したのは、本当は、個物(特殊)ではなく、あるいは感覚や経験ではなくて、固有名なのだ。そのかぎりで、ノミナリズムの正当性がある。(柄谷行人『探求 Ⅱ』P23)

こう引用してみると、一角獣(固有名)は存在するというのは、柄谷行人のいうノミナリズムに似ていないでもない。

ところで「実在論と唯名論」については、なんと、かの池田信夫氏が、ドゥンス・スコトゥスの実在論とオッカムなどの唯名論の名をだして「華麗に」まとめている(わたくしのような無知のものは、池田信夫という固有名に抵抗をしめさずのぞいてみることをおすすめする)。

ーーというわけで、わたくしはすこしまえ訳してほうっておいた次の文を、この機会に貼りつけておくことにする。

もし私が何者かということがあるなら、ノミナリスト(唯名論者)じゃないことははっきしているよ。何が言いたいかといえば、私の出発点は、名前はネームプレートのような何かではないことだよ、リアルの上にそれ自体にくっ付いているようなね。そして人は選択しなくちゃならない。もし人が唯名論者だったら、弁証法的唯物論を完全に放棄しなくちゃな。…

ポイントは、中世の実在論者の意味での実在論者であることじゃない。普遍性の実在論という意味でのね。ポイントは次のことを強調することだな、我々の言説、我々の科学的言説は、見せかけsemblantの機能に依拠する限りのみ、唯一リアルを見出すことが出来るということだ。

何がリアルかといえば、この見せかけsemblantに穴を開けることだよ。この科学的の言説であるところの分節化された見せかけにね。……(Lacan, Le séminaire, Livre XVIII: D'un discours qui ne serait pas du semblant, )

ジジェクの『LESS THAN NOTHING』からの孫引きだが、彼はこの文を引用してこう記している。

象徴界の彼岸に現実界があるのではない。

享楽自体の地位は、ある意味で、二重化された見せかけsemblanceの地位である。享楽はそれ自体としては存在しない。享楽は象徴的過程、その内在する非一貫性と反作用の過程の残余あるいは生産物として、ただ己れを主張するだけである。言い換えれば、象徴的見せかけsemblancesは、ある揺るぎない実体的な現実界自体に関する見せかけではない。この現実界は(ラカン自身が定式化しているように)、ただ象徴化の袋小路を通してのみ識別できる。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING,2012)


…………

※附記:とくに意図があるわけではないが、たまたまEVERNOTEの引き出しのなかに入っていたので、ここに記載。

クセナキスの音楽に惹かれてピアノ曲を委嘱したら、『ヘルマ』の楽譜が送られてき た。確率論と集合論を勉強するように言われ、確率論からはじめ、電子音楽『フォノジェーヌ』もクセナキスとはちがう、自分で考えた確率論的方法で作曲し た。その後ヨーロッパでは数理論理学の本をよんだ。ウィトゲンシュタインの『論理哲学要綱』では、論理学からはずれて存在のふしぎに向かっていく後半が好 きだったし、ブローウェルの直感論理学やクワインに興味を持った。排中律の否定と、この黒犬やあの白犬がいるばかりで「イヌ」というものは名前にすぎない という唯名論に共感していた。( 方法からの離脱  高橋悠治 )  
論理的に一貫したrealismに対して、“唯名論 nominalism”的思考の方が、日本人には受け入れやすい。養老孟司の本がこれだけ売れるのも、唯名論的な無常感が日本人の琴線に触れるからではないかと思う(もっとも養老が唱えるのは、「唯名論」ではなく「唯脳論」だが……)。(桂川潤

ーーと引用すれば、ふたたび柄谷行人に戻ることになる。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」

経験論がドミナントである日本という国では、ことさら合理論が必要であるということになるのだろう。

重要なのは、(……)マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようがーー彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえるーーだめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしに存在しない。(柄谷行人『トランスクリティーク』P250)



2015年6月25日木曜日

「糸巻き」としての対象a


ラカンは対象aを糸巻きにたとえた。フロイトの孫が母の出発と出現を再演したあの糸巻き(Fort- Daいないないばあ)である。内部と外部、自身と異物の矛盾において、対象aは「主体の小さな部分、彼をそれ自身から切り離すもの、いまだ彼のままであり、いまだ失われないままでありながら」 (FFC, 62)というものである。

ここでは基本に戻って、フロイトの糸巻き=対象aをめぐる叙述をいくらか拾ってみよう。

…………

フロイトの『快感原則の彼岸』にでてくる「いない-いた Fort- Da」遊びは、フロイトに関する理解度をはかる上で恰好のテストになるかもしれない。標準的な解釈によれば、フロイトの孫は、糸巻きを投げることによって、母親の不在と回帰を象徴化している。「いない Fort!」──そして糸巻きをたぐり寄せて──「いた Da!」というふうに。したがって、事態は明確であるようにみえる。母親の不在というトラウマを経験した子供は、その不在を象徴化することによって不安を克服し、状況を操作するのである。母親を糸巻きに置き換えることによって、この子供は、母親の出現と消失を演出する舞台監督になるのだ。かくして不安は、子供がこの支配力を嬉々として行使するなかで、首尾よく「止揚される aufgehoben」。(ジジェク『操り人形と小人』中山徹訳)

以下続くが、手元に邦訳がないのでーー上の文はインターネット上で拾ったーー私訳(ZIZEK ,The Puppet and the Dwarf,2003)。

しかしながら事態はほんとうにそんなにはっきりしているのだろうか? 糸巻きが母の身代りではなく、ラカンが対象aと呼んだものの身代りだったらどうだろう。私のなかにある究極的な対象、母が私のなかに見るもの、私を母の欲望の対象にさせるものだったら? フロイトの孫が自らの消滅と回帰を上演しているのだったら?

この正確な意味で、糸巻きはラカンが呼ぶところの「二等分線biceptor」である。それはまさに子どもにも母にも属していない。二つの間のなかin-between、二つの組から締めだされた交線である。ここでラカンの名高い言葉を取りだそう、「私はあなたを愛する。だがあなたのなかには、私が愛するあなた自身以上のなにか、対象aがある。だから私はあなたを滅ぼす」。ーーこれが、あなたからあなたの存在のリアルな核を摘出する試みとしての、現実界への破壊的情熱の基本的な定式である。

これが〈他者〉の欲望との遭遇において不安を引きおこすものである。すなわち、〈他者〉が目指しているものは、たんに私自身ではなく、私のリアルな核である。それは私はのなかにあって私以上のもの、そして彼(女)はその核を摘出するために私を滅ぼす…。これは、対象aの究極の外-親密ex-timate的特徴の映画的表現ではないだろうか。私のなかにあって「エイリアン」ーー同じ名の映画のそれーーであるもの、まったく文字通り「私のなかにあって私自身以上のもの」、私自身のまさに中心にある「異物 foreign body」、それゆえ、私の破滅の代償を払ってのみ私から摘出されうるものでは?

したがって、我々は標準の配置をひっくり返すべきである。すなわち本当の問題は私(彼女の子ども)を享楽する母なのである。そしてこのゲームの本当の賭け金は、この閉鎖から逃げだすことである。ほんとうの不安は、こうやって〈他者〉の享楽に囚われていることなのである。

だから、私の母を失うことについての不安ではないのだ。(糸巻き遊びとは)私が母の出発/到着を支配しようとする試みではない。そうはなく、母の圧倒的な現存presenceについての不安である。私は必死になって空間を切り開こうとするのだ、その空間にて母への距離を獲得しうるように。そうしてやっと私の欲望を維持できるようになる

こうして我々はまったく異なった状況を見ることになる。ゲームを支配する子どもの代わりに、かつまた母の不在のトラウマを処理する子どもの代わりに、我々は母による息が詰まるような抱擁から逃れ、欲望するための開かれた空間を構築中しようとする子どもを見る。「いないいないばあ Fort- Da」の冗談めかした交換の代わりに、二つの軸のあいだーーどちらの軸も満足をもたらさないーーそのあいだの必死の揺れ動きを見るのだ、あるいはカフカ(エリオット? :訳者→参照)が書いたように、「私はあなたと一緒では生きられない。そしてあなたがいなくても生きられない」。そしてこれが心の認知科学において失われている側面、「いないいないばあ Fort- Da」遊びの最も初歩的な側面である。

このジジェク(あるいはラカン)の糸巻き遊びの捉え方は、一見やや極論すぎるという見方もあるかもしれない。《母の圧倒的な現存presenceについての不安》、はたしてそれだけだろうか、母がいなくなってしまう不安もあるのではないか。

たとえばその問いは、ポール・ヴェルハーゲによって、「融合不安/分離不安」として定式化されている(参照:古い悪党フロイトの女性論)。融合不安だけではなく、分離不安もあるに相違ない、と。

もっともヴェルハーゲ自身、90年代には、母との融合不安を強調していた。

構造的な理由により、女の原型は、危険な、貪り食う〈大他者〉と同一化する。それはもともとの原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。このようにして純粋な享楽の元来の状態を回復させようとする。 (Paul Verhaeghe,NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL,1995)

さて、ジジェク(あるいはラカン)のいわゆる極論、《私の母を失うことについての不安ではないのだ。(糸巻き遊びとは)私が母の出発/到着を支配しようとする試みではない。そうはなく、母の圧倒的な現存presenceについての不安である。私は必死になって空間を切り開こうとするのだ、その空間にて母への距離を獲得しうるように》について、いささか是正しうるなら、次ぎのヴェルハーゲの叙述がその核心部分である。

すなわち、「母を失うことについての不安」を分離不安、「母の圧倒的な現存presenceについての不安」を融合不安として読もう。

最初の母と子どもの関係では、子どもは、その身体的なsomatic未発達のため、必然的に、最初の〈他者〉の享楽の受動的対象として扱われる。この関係は二者-想像的であり、それ自体、主体性のための障害を表す。平明な言い方をすれば、子どもと彼自身の欲望にとっての余地がないということだ。そこでは二つの選択しかない。母の欲望に従うか、それともそうするのを拒絶して死ぬか、である。このような状況は、二者-想像的関係性の典型であり、ラカンの鏡像理論にて描写されたものである。

そのときの基本的動機(動因)は、不安である。これは去勢不安でさえない。原不安primal anxietyは母に向けられた二者関係にかかわる。この母は、現代では最初の世話人caretakerとしてもよい。無力な幼児は母を必要とする。これゆえに、明らかに分離不安separation anxietyであるとはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。

フロイトは分離不安にあまり注意を払っていなかった。しかし彼は、より注意が向かないと想定されるその対応物を見分けていた。母に呑み込まれる不安である。あるいは母に毒される不安である。これを融合不安fusion anxietyと呼んでみよう。もう一つの原不安、分離不安とは別に、である。この概念はフロイトにはない。だがアイデアはフロイトにある。しかしながら、彼の推論において、最初の不安は分離と喪失に関係し得るにもかかわらず、フロイトは頑固に、去勢不安を中心的なものとして強調した。

このように、フロイト概念の私の理解においては、去勢不安は二次的なものであり、別の、原不安の、防衛的な加工(エラボレーションelaboration)とさえ言いうる。原不安は二つの対立する形式を取る。すなわち、他者は必要とされるとき、そこにいない不安、そして他者が過剰にそこにいる不安である。

ラカン理論は後者を強調した。そしてそれを母なる〈他者〉 (m)Otherに享楽される単なる対象に格下げされる幼児の不安として解釈した。フロイトの受動的ポジションと同様に、である。

これはラカン理論における必要不可欠な父の機能を説明する。すなわち第三者の導入が、二者-想像的段階にとって典型的な選択の欠如に終止符を打つ。第三者の導入によって可能になる移行は、母から身を翻して父に向かうということでは、それ程ない。むしろ二者関係から三者関係への移行である。これ以降、主体性と選択が可能になる。(PAUL VERHAEGHE,『New studies of old villains』2009「古い悪党たちの新しい研究」)

ここで、フロイトにとって融合/分離とは、エロス/タナトスにかかわる用語であることにも注意しておこう。

エンペドクレスの二つの根本原理――philia 愛とneikos闘争 ――は、その名称からいっても機能からいっても、われわれの二つの根源的欲動、エロスと破壊beiden Urtriebe Eros und Destruktionと同じものである。その一方は現に存在しているものをますます大きな統一に包括しようと努め、他のものはこの統一を解消し、統一によって生れたものを破壊しようとする。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937)

《ますます大きな統一に包括しようと努》めることは、「融合」であり、かつエロス欲動である。

《統一を解消し、統一によって生れたものを破壊しようとする》ことは、「分離」であり、タナトス欲動である。

さて、われわれには、おそらくヴェルハーゲの解釈のほうが(一見は)納得的にみえるのではないか。だがジジェクは最近でもこう強調している。

最も根源的には、フロイトが語った小さな子どもについての無力helplessnessは、身体的な無力、自らの必要needsに備えることの不能力ではなく、〈他者〉の欲望の謎に直面した無力、〈他者〉の享楽の過剰に無力感にとらわれて竦むことである。(Zizek,LESS THAN NOTHING,2012)

分離不安も融合不安もあわせて、《〈他者〉の欲望の謎に直面した無力、〈他者〉の享楽の過剰に無力感にとらわれて竦むこと》とできないわけではなさそうだ。

このあたりの相剋は、欲動二元論/欲動一元論の立場の相違にもかかわってくるはずだ(参照:フロイトの欲動二元論と一元論をめぐって)。

通常、哲学派(超越論者)は欲動一元論(タナトス一元論)をとることが多い。他方、臨床派(経験論者)は、欲動二元論(エロス/タナトス)をとる傾向にある(あるいは「死の欲動」概念にそもそも抵抗を示して触れないままであることも多いようにみえる)。

…………

※附記1:

◆フロイトによる糸巻き遊びの叙述箇所(『快感原則の彼岸』1920)より

子どものfort-da(いないいないばあ)の糸巻き遊びの箇所だが長くなるので、なぜfort(いない)だけが倦むことなく繰り返される場合があるのか、という問いが書かれた後の文。


こうなれば遊戯の意味は、ほぼ解かれたもおなじである。それは子供のみごとな躾の効果と関係があった。つまり母親が立ち去るのを、さからわずにゆるすという欲動断念(欲動満足に関する断念)を子供がなしとげたことと関係があった。子どもは自分の手のとどくもので、同じ消失と再来を上演してみて、それでいわば欲動断念を埋め合わせたのである。この遊戯を情動の面から評価するさい、子供がみずから案出したのか、それとも何かに誘発Anregungされてわがものにしたのかは、むろん問題ではない。われわれの関心は、他の一点にむけられるであろう。母親の出発Fortgehenは、子供にとって好ましかったはずはなく、またどうでもよかったこととも考えられない以上、子供が苦痛な体験を遊戯として反復することは、どうして快感原則に一致するのであろうか。出発はよろこばしい再出現の前提条件として演じられるのに相違なく、再出現にこそ本来の遊戯の目的があったはずだ、と答えたくなるかもしれない。しかし、最初の行為、つまり出発が単独で遊戯になって演出され、しかもそれが、快い結果にみちびく完全形よりも、比較にならないほどたびたび演じられたという観察は、その答に矛盾することになるだろう。

このようなただ一つだけの場合の分析から、確実な結論はみちびけない。しかし、偏見なしに観察すれば、子供は別な動機から自分の体験を遊戯にしたてたのだという印象をうける。子供はこの場合、受け身だったのであって、いわば体験に襲われたのであるが、いまや能動的な役割に身を置いて、体験が不快であったにもかかわらず、これを遊戯として反復しているのである。この志向は、記憶そのものが快に充ちていたかどうかには関わりのない、征服Bemaechtigung欲動に帰することもできるかもしれない。しかしまた、別の解釈を試みることもできる。見えなくなるように、物を投げすてることは、子供〈のもと〉から出発fortgehenした母親にたいする、日ごろは禁圧された復讐欲動の満足でもありうる。さあ、出発fortgehenしろよ、お母さんなんかいらない、ぼくがお母さんをあっちへやっちゃうんだ、という反抗的な意味をもっているのかも知れないのだ。(……)ここで論議されたいくつかの例では、この衝迫が不愉快unangenehmな印象を遊戯のなかに反復したのは、この反復に、種類がちがってはいるが、ある直接的な快獲得が結びついているからでしかないかもしれないからである。

(……)子供たちは、生活のうちにあって強い印象をあたえたものを、すべて遊戯の中で反復すること、それによって印象の強さをしずめて、いわば、その場面の支配者になることは、明らかである。しかしこの反面、彼らの遊戯のすべてが、この彼らの年代を支配している願望、つまり大きくなりたい、大人のようにふるまいたいという願望の影響下にあることも充分に明白である。また、体験が不快だからといって、その不快という性格のせいで、体験を遊戯に利用できなくなるとはかぎらないことも観察されている。たとえば医者が子供の喉の中をのぞきこんだり、ちょっとした手術を加えたりすると、この恐ろしい体験は確実にすぐあとの遊戯の内容になるであろうが、そのさい他の理由から快感を獲得することも見落とすわけにはいかない。子供は体験の受動性から遊戯の能動性に移行することによって、遊び仲間に自分の体験した不快を加え、そして、この代理のものに復讐するのである。(フロイト『快感原則の彼岸』p156-158 人文書院旧訳)


※附記2:

◆FIGURATIONS OF THE OBJET (A Freud as Philosopher. New 2001,Richard Boothby)より

フロイトのdas Dingのラカンによる再概念化は、Nachtraglichkeitのフロイト理論をラディカルに拡張し一般化する。フロイトが、子どものトラウマの遅延した効果にとりわけ関心があった一方、ラカンにとって遡及性Nachtraglichkeitの一般的機能が、人間としての主体のまさに存在自体を構成する。ラカンのNachtraglichkeitは、言語と知覚とのあいだの関係にかかわる。

Nachtraglichkeitの本質的な活動は、イメージに対する言葉の優位性にかかわる。言語のシニフィアンーーもっとも、それは幼児によって十分に獲得されていないものであり、長い時を経て、ようやく知覚の機能が人格形成の決定的な効果をもたらすのだがーーそのシニフィアンは、つねに、すでに、決定的な役割をもっていると言いうる。シニフィアンの訴求性が意味するのは、どんな純粋かつ無垢な経験論もない、言語の構造化する影響によって汚染されていないどんな人間の知覚の生産物もない、ということだ。言葉の力は、いつも-すでに、イメージのいずれの記録の先鞭を付けている。そのオリジナリティを絶対化しようとする感覚についてのどんな主張も、劣質の思考によるものと烙印を捺されることになる。

さて我々は最後の決定的な話題に移ろう。言語の遡及性によって開かれた空間において、際立ったフォーム、イメージと言葉のあいだの交点の生産物が出現する。ラカンはそれを“対象a”と呼んだ。対象aはdas Dingの谺である。それはシニフィアンのシステムを循環している。ジジェク曰く、《対象aは〈モノdas Ding〉が象徴化のプロセスを被ったのちの〈モノ〉の残余を示す》(Slavoj Zizek, The Plague of Fantasies , 1997)。〈モノ〉と同じように、対象aは不確定性の座の徴である。それは身体的構造に繋がっているが、またあらゆる化身とは決定的に区別される。それがすべてのシニフィアン化の彼方を徴づける範囲で、意味作用のどの活動の構成要素である。


2015年6月24日水曜日

譲渡できる対象objet cessibleとしての対象a(Richard Boothby)

《譲渡できる対象objet cessibleーこれがobjet aです》(荻本芳信、セミネール不安をめぐる

…………

以下、メモ。下に引用(私訳)した譲渡できる対象をめぐる叙述が核心だが、その前段の対象aの一般的な説明箇所も掲げる。フロイトの糸巻き遊びFort- Daの糸巻きがラカンにとっては対象aだったことを忘れないでおこう。


◆“Richard Boothby, Freud as Philosopher, 2001”より“FIGURATIONS OF THE OBJET”の章から(私訳)(JACQUES LACAN Critical Evaluations in Cultural Theory Edited bySlavoj Zizek 2003所収)

対象aの概念は、たぶんラカンによる精神分析理論への最もオリジナルな貢献である。小文字の "a," "autre,"の最初の文字は、他者との本質的な関係を示すとともに、数学的な意味での、アルジェブラの変数、あるいは「機能」を示すことが意図されている。

対象aのコンパス内で、ラカンはよく知られている精神分析の部分対象を一つ一つ拾うのだが、フロイトの発展段階にかかわる口唇、肛門、ファルスだけでなく、彼自身によるいくつかをつけ加える。ラカンが対象aの形象化として引き合いに出すのは、「乳首、糞便、ファルス(想像的対象)、小便(尿流)、音素、眼差し、声」(E, 315)である。

たぶん対象aの最も挑発的な側面は、その閾的な特徴である。そしてそれは二つの意味において、である。まず、対象aは奇妙にも主体と他者のあいだに宙吊りになる。どちらにも属しているし、どちらにも属していない。同時に、〈他者〉のなかにある最も他者的なものを示すのだが、しかしそれは主体自身に親密につながれている。

ラカンは対象aを糸巻きにたとえた。フロイトの孫が母の出発と出現を再演したあの糸巻き(Fort- Daいないないばあ)である。内部と外部、自身と異物の矛盾において、対象aは「主体の小さな部分、彼をそれ自身から切り離すもの、いまだ彼のままであり、いまだ失われないままでありながら。」 (FFC, 62)ということになる。

おそらく対象aを思い描くに最もよいものは、ラカンの造語"extimate."である。それは主体自身の、実に最も親密なintimate部分の何かでありながら、つねに他の場所、主体の外exに現れ、捉えがたいものだ。

しかし、対象aはまた二番目の意味でも限界的である。それはラカンの基礎的なカテゴリー、想像界、象徴界、現実界の三つのすべてに関与しつつ、そのどれにも限定的には属さない。想像界において、いかにも身体のイメージされた部分(乳房、糞便…)として、最も原初の表象を見いだす対象aではありながら、ラカンによって意図されているのは想像的なものの限界を徴づけもする。、「欠如しているもの(としての対象a)、それは、非 -反射的non-specularであり、イメージのなかで把握されない」(S.I, 218)。



さらにまた、対象aは言語にかんするシニフィアンと密接に関係しており、意味作用の構成的効果でもある。こうしてラカンは次のように主張することになる、「(対象aは)、〈他者〉の座における主体の構成の残余として定義される。主体が自身を話す主体、斜線を引かれた主体$として構成する限りにて、である」(S.X, 6-12-63)。しかし、シニフィアンなしでは存在しないにもかかわらず、対象aはまた本質的に象徴化に抵抗する。

ラカン曰く、対象aは「シニフィアンの領域内で、つねにそれ自身を失われたものとして表す。意味作用への失われたものとしてである」(S.X, 3-13-63)。対象aは、想像界あるいは象徴界のどちらによっても吸収されえない残余、屑、滓なのだ。そういうものとして、対象aは現実界に起因する。ラカンがときに言うように、不可能な対象、逆説的にそれそのものとしてはけっして現れない対象である。

ラカンは、対象aを欲望の「対象-原因」として描写しつつ、その遡及的な特徴を強調している。この遡及性の効果において問題となっているのは、主体それ自体の構造以外のなにものでもない。

文法上の慣習に根ざしたコモンセンスの風潮としては、欲望が定着する対象のどんな問いがありうる前に、最初に主体があるにちがいないと思いこんでしまう。逆にラカンが主張するのは、欲望する主体が最初に構成されることにかかわる対象、その対象がいつも-すでにあるということだ。しかしそれはただのどんな対象でもない。欲望の原因として機能する対象は、原初に失われたもの、あるいは本質的に欠けている対象、底から否定的な対象なのである。それは不在である。それが現れうる前に不在なのであり、その非-存在non-beingはその存在beingに先行する。

その逆説的な構造のために、対象aは、そのまわりを欲動がまわる永遠に不在の座 として、トポロジカルに描写するしかない。こういうわけで、対象aはすぐれて精神分析的な対象である。

「…対象aは、主体が、自らを構成するために、器官として分離する何かだ。これは欠如のシンボルとして働く。いわばファルスのようにーーファルスそのものではないが、それが欠如している限りでファルスのように。それゆえまずは分離できる対象、次に欠如とある関係がある対象である」(FFC, 103) 。

ここまでの準備段階の指摘を要約しよう。対象aは主体の他者との関係において特殊な不可欠物として現れる。フロイトの〈モノ〉das Dingのようにーー対象aは〈モノ〉の一種の世襲物あるいは後継者であるーー、対象aは、表象プロセスから、吸収できない「何か他のもの」、考えられないものの座として、はじき出される。それは、想像界と象徴界と限界において絶えまず生みだされものである。


◆同Richard Boothby, Freud as Philosopherより「譲渡できる対象objet cessible」をめぐる

ここで再読解における鍵となる点は、「譲渡できる対象」(objet cessible)概念である。どの段階でも、子どもは母の胸や糞便などの対象を「譲渡する」、あるいは諦める。決定的な中心点は、「譲渡」それ自体の行動である。賭けられるのは、まさに主体とその欲望の構成である。

ラカンの念頭にあったことをよりはっきりと見るために、彼の乳離れの議論を取り上げよう。それは格別挑戦的なものである。少なくともフロイト派の教えの伝統的な解釈にとって。

標準的な見方、一般に流通している精神分析理論のクリシェの一つによれば、幼児は可能なかぎり母の胸に執着し、乳離れによって引き離さなければならない。(……)

対照的に、母の胸を「譲渡できる対象」として再構成しつつ、ラカンは、子どもが手放す、あるいは諦める何かとして、我々に考えるように促す。彼の見解は次の通り。「子どもが乳離れさせられるというのは本質的には真実ではない。彼は自ら乳離れする、乳房から距離をおく。彼は遊戯する、…乳房から距離を置いたり、ふたたび取りついたりと。」(S.X, 7-3-63).

この仮定から数多くの魅惑的かつ思い掛けない拡がりをもつ思考に馳せることができる。たとえば我々は思い起こさせられる、フロイトの『文化のなかの居心地の悪さ』の最初の箇所の議論を。そこでフロイトは自我が外部の世界から自らを漸やく分離していく過程を叙述している。

フロイト曰く、

《今日われわれが持っている自我感情は、自我と外界の結びつきが今よりも密接であった当時にはふさわしかったはるかに包括的なーーいや、一切を包括していたーー感情がしぼんだ残りにすぎない。多くの人々の心にこの第一次的な自我感情がーー多かれ少なかれーー残っているものと考えてさしつかえないならば、この感情は、それよりも狭くかつ明確な境界線を持った成熟期の自我感情と一種の対立をなしながらこれと並んで存続するだろうし、またこの感情にふさわしい観念内容とは、無限とか一切のものと結びついているとかいう、まさに私の友人が「大洋的な」感情の説明に用いたのと同じ観念内容であろう。》(フロイト『文化への不満』p434)

我々はまた生贄の議論…を想起させられる。ラカンの観点では、乳離れは生贄の原初の行動と等しい。子どもはある意味で母にその胸(自らのものとして見なされた母の乳房)を捧げるのだ。実に「譲渡できる対象objet cessible」のラカン概念の光の下では、世界の全ては主体の譲渡あるいは放棄の行動に起源をもつと想定することに導かれる。

究極的には、世界自体が犠牲の対象である。誰への、何のための生贄か?対象は不安を避ける方法として譲渡されるceded。ふたたび精神分析理論の常識ーー不安は喪失によってひき起こされるーーに反するラカンのアプローチは、不安は対象の喪失に先行するというものだ、「不安の機能は対象の譲渡に先立っている」(S.X, 7-3-63)。

さらに、対象は、まさに不安を静めるために譲渡されるceded。なぜか? 理由はラカンの際立った解釈に見いだされる、「不安は…私は〈他者〉の欲望にとってどんな対象aであるかわからないという事実につながっている。」(S.X, 7-3-63)

乳房に縋りつく幼児は、なによりも母の欲望の測りがたい問いに遭遇する。この問いへの直面において、母はdas Dingの深淵であると想定される。想像的対象、鏡像イメージの小さな他者ではなく、知りえない、支配されえない、怪物的な〈大他者〉として。

露骨に考えれば、この点における幼児の戦略は、トカゲのそれと比較できる。その戦略とは、捕食者の手中から逃れて、再生が可能であるように自らの尻尾を諦めることである。

このように、今までは幼児の自我それ自体だった母の胸は放棄される、もしくは譲渡されるceded。しかしラカンの視点はもっと微妙である。譲渡の行動はより不安定で曖昧だ。幼児は、全体を失なわないでいるために身体の一部を切断して、自身の身体から母の胸を引き離すのではない。むしろ母の胸からの分離、譲渡に伴って初めて身体としての自身を経験するようになる。

こうしてラカンは「この、分離した断片としての諦められた対象の機能…それは主体の構成と見なされる」(S.X. 6-23-63)と言う。

最も慎重を要する点は、幼児へ審級agencyを授けることにかかわる。あたかも譲渡する行為が生存のための意図的な戦術として考えられる…ということだけではない。ラカンの要点ははるかにラディカルで逆説的である。母の胸を自発的にあるいは故意に手放す幼児としての主体が(先に)存在するどころか、対象を放棄した瞬間にのみ初めて主体が存在しうるようになるということなのだ。

「この原初の神話的な主体、彼は最初に、(母なる〈モノ〉das Dingとの)遭遇において彼自身を構成しなければならないのだが、それを我々は決して把握できないーーはっきりした理由があるーーというのは、小さなa [little] a が主体に先行しているのだから。かつまた、この原初の代替によって徴づけられる仕方自体が〈彼方〉をふたたび出現させるに違いないのだから 」(S.x~ 6-26-63)

対象を譲渡することにおいて、主体の座がはじめて現れる。部分の喪失が全体を、ヴァーチャルに、否定的に、遡及的に、確立する。ここで賭けられているのは、ラカンが主張するように、「人が呼ぶところの主体の最もラディカルな本質性」(S.X, 6-26-63)である。

生贄の語彙に戻って言えば、生贄行為者の存在は、生贄の行動によって引き起こされた喪失に伴ってのみ、はじめて出現する。この問題のパラドックスは、他の視点から見ることもできる。対象の放棄と欲望の起源とのあいだの関係を考えることによってである。

対象が譲渡されるのは、すでに形成された欲望を保持するためではない。そうではなく、最もラディカルな意味で、欲望はまさにこの譲渡に起源がある。対象は、欲望されうるために、追いだされなければならぬ。…欲望は逆説的に、制限においてまた制約を通して生まれる。このように、欲望の沸き立ちは制止と合致する。

ラカンは続けている、「このように、欲望の最初の発展的形式はそれ自体、制止のオーダーに膚接している。欲望が最初に現れるとき、それはそれ自体を対立させる、まさに、その欲望としてのオリジナリティが導入されることを通した行動に対して、である。」(S.X, 7-3-63)

ラカンははっきりと譲渡しうる対象を生贄の対象とつなげている…。生贄の真の機能は、彼が主張するに、特別な処理、他者との代償quid pro quoを上演することであるよりは、〈他者〉を欲望を与えてくれる存在として決定づけることだ。特別な交換をもたらすものであるよりは、まさに交換の可能性を確立することにある。

生贄は、リアルから、das Dingの怪物的な領域から、他者の欲望をもたらす。そして象徴秩序のなかに欲望の錨を下ろさせる。こうしてラカンは言い放つ、「生贄は運命づけられているが、それは捧げ物や贈物では毛頭ない。…そうではなく欲望のネットワークにおけるそれ自体としての〈他者〉の捕獲としてである」(S.X, 6-5-63)

母の胸を譲渡することCeding。母なる〈モノ〉das Dingのリアルとの不安なる遭遇を避けるために、である。子どもは母にかんして反復するのだ、古代の神への生贄の本質的な仕草を。主体の譲渡は主体の欲望を見出す、まさに、それがフォームを与えるという範囲で。それは、対象の仲介を通して、〈他者〉の欲望へと向かうフォームである。

「すべての問いは知ることだった、これらの神は何を欲望しているのかを。生贄は彼らが我々のように欲望するかの如く振舞うように構成する…。これは意味しない、神たちが彼らに生贄にされたものを食べてしまうだろうことを。さらには、神たちに何の役に立たないことを意味するわけでもない。しかし重要なことは、彼らはそれを欲望するということだ。私はさらに言おう、これは彼らに不安を引き起こすのではない。…神を欲望の罠のなかで飼い馴らすこと、それは本質的なことだ、と」 (S.X, 6-5-63)。

ラカンの観点では、主体は、ある種の残余、対象を諦めることにおいて穿たれた否定的な空間の効果として、現れる。対象aとして、この対象は、主体と同じものではない。そうではなく、主体にとっての否定的な代役である。対象aは「主体の代替物 (suppleant) である」(S.X, 6-26-63)。

だが対象aが主体の代替物であるということは、またそれらのあいだのある分離をも意味でする。欲望の維持は、欲望の式$◇aのポワンソン(錐印)によって示された、差異、否定の瞬間による。

このように、ある関係の意味を見出すことができる。それはラカンの仕事に親しいどの読者をも驚かすにちがいない。その関係とは、ラカンの議論、譲渡されるcedable対象と“cedable”という語への彼の他の依存の関係である。後者は、「欲望において譲渡しないこと」という論点として精神分析の倫理的重要性を特徴づけるものだ。

「精神分析の視点からみれば、 我々が有罪であるとすれば,それはひたすら,欲望に関して譲渡したからである」 " la seule chose dont on puisse être coupable, au moins dans la perspective analytique, c'est d'avoir cédé sur son désir "

我々はこの二つの譲渡の使用法を、互いに関連付けて読めないだろうか? ここでの要点は、ラカン的主体は、欠如によって残された否定的空間を諦めるのではなくて、対象を諦めることを命令されているのではないか? ふたつの譲渡の出来事momentsは、まさに互いに補い合うものだ。主体は、欲望において譲渡cedeしないために、対象を譲渡cedeしなければならない

ここにあるフロイト起源の「母なるdas Ding(不可能なる怪物的な〈大他者〉」概念は、後年のラカンにとっては、いささか捉え方の変更があることに注意(とくにセミネールⅩⅦ以降)。それにもかかわらずこのセミネールⅩ(不安)をめぐる叙述は示唆溢れる。


以下、セミネールⅩⅦにおける態度変更をめぐるポール・ヴェルハーゲの叙述(詳しくは「子どもを誘惑する母(フロイト)」を見よ)。

彼女の小さな子どもをplus-de-jouirへ導くのは、〈他者〉としての母なのである。すなわち(限定された)享楽の道は、想定された原初の全体的享楽を断念するという条件のみで、子どもに開かれている。それは、今後、母の場にあると想像されるのだ。

これらの考え方をラカンのより以前の母-女の役割の理解と比較するならば、その相違は歴然としている。以前には、女-母、現実界、欲動、そして享楽は、多かれ少なかれ、共通の不安を掻き立てる恐怖を示していた。それに対する保護は、何らかの形で、男-父、象徴界、ファルスのシニフィアンから来ると期待された。そしてふたたび、これらの用語は、多かれ少なかれ、共通の制度を示していた。

後期ラカンの理論では、母は、ある役割を割り当てられた人物に降格される。彼女はその役割を求められることも、拒絶の可能性を殆どないままに割り当てられる。彼女は欲望される対象になるかもしれない。だが同時に、彼女はとりわけ禁じられた対象になる。ひとは、ひどく危険だとされるこの対象に、この禁止を超えて到達すべきか。こうして宿命の女La femme fataleがこのエディプスの劇場の生産物として現れる(Enjoyment and Impossibility, Paul Verhaeghe,2006)




2015年6月23日火曜日

女の愛と生涯(Bernarda Fink)

まずフォーレをレパートリーにもつ歌い手として、わたくしには比較的馴染みのあるバーバラ・ボニーとエリー・アーメリングによるシューマン「女の愛と生涯」を掲げる。

◆Du Ring an meinem Finger シューマン 女の愛と生涯 作品42- Barbara Bonney





◆Elly Ameling Live Sings Schumann's Du Ring an meinem Finger





そして次ぎは、Bernarda FinkとAnne Sofie von Otter次ぎのふたり。

1,Bernarda Fink: Du Ring an meinem Finger by Schumann
2, Anne Sofie von Otter;Du Ring an meinem Finger


ーーまた女に惚れちまった。どっちにいっそう惚れようかは悩むところだがーーなぜなら二人ともバッハの歌いのようだからーー、今回はBernarda Finkでいこう。





アルゼンチンからすぐれた音楽家が輩出するのはどういうわけのものだろう。ブエノスアイレス出身とのことだが、《Born in Buenos Aires to Slovene parents who escaped from the communist takeover of Slovenia》でもあるようだ。マルタ・アルゲリッチはどうなのか、と調べてみたら、父は経済学教授や会計士。母フワニータ(旧姓ヘラー)はベラルーシからのユダヤ系移民の二世とのこと。

ブエノスアイレスといえばボルヘスである。




女たちは美しい。とても美しい。

外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩といして結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収)

◆Hart & Ziel: Erbarme Dich Fink





夕顔のうすみどりの
扇にかくされた顔の
眼(まなこ)は李(すもも)のさけめに
秋の日の波さざめく

(西脇順三郎)


◆Messe en si agnus dei Herreweghe B Fink VIDEO





亜麻色の蜜蜂よ きみの針が
いかに細く鋭く命取りでも、
(……)
刺せ この胸のきれいな瓢を。
(……)
ほんの朱色の私自身が
まろく弾む肌にやってくるように!

素早い拷問が大いに必要だ。

 ーーヴァレリー「蜜蜂」中井久夫訳



◆Esurientes Implevit - Bernarda Fink






鶏頭の酒を
真珠のコップへ
つげ
いけツバメの奴
野ばらのコップへ。
角笛のように
髪をとがらせる
女へ
生垣が
終わるまで

(西脇順三郎)


◆Bernarda Fink, Bach, Passion selon Saint Jean, "Es ist vollbracht"





果実が溶けて快楽(けらく )となるように、
形の息絶える口の中で
その不在を甘さに変へるやうに、
私はここにわが未来の煙を吸ひ
空は燃え尽きた魂に歌ひかける、
岸辺の変るざわめきを。(ヴァレリー「海辺の墓地」第五節 中井久夫訳)


◆Bernarda Fink sings Schubert's "Du bist die Ruh"






2015年6月22日月曜日

無垢の視線という神話

私はそれを引用する
他人の言葉でも引用されたものは
すでに黄金化す
「植物の全体は溶ける
     その恩寵の温床から
           花々は生まれる」

ーー吉岡実「楽園」(『夏の宴』所収)

というわけで、ほとんど引用だけで、物申すことにする。

表題を「無垢の視線という神話」としたが、もちろん「無垢の耳の神話」としてもよい。

 かつて音楽は、まず人々の―特に作曲家の頭の中に存在すると考えられていた。音楽を書けば、聴覚を通して知覚される以前にそれを聞くことができると考えられていたんです。私は反対に、音が発せられる以前にはなにも聞こえないと考えています。ソルフェージュはまさに、音が発せられる以前に音を聞き取るようにする訓練なのです……。この訓練を受けると、人間は聾になるだけです。他のあれこれとかの音ではなく、決まったこの音あの音だけを受け入れられるよう訓練される。ソルフェージュを練習することは、まわりにある音は貧しいものだと先験的に決めてしまうことです。ですから〈具体音の〉ソルフェージュはありえない。あらゆるソルフェージュは必然的に、定義からして〈抽象的〉ですよ……。(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』--聾になるための訓練

…………

繰り返すが、ヴィリリオを引くまでもなく科学技術の問題はきわめて重要だし、「あくまで現実的に何が可能かを見極めようとする工学的な思考」はとことん徹底されなければならない。しかし、それがすべてだ、それ以外のいわゆる哲学的(あるいはもっと広く人文学的)な思惟などと いうのはノンセンスな夢想に過ぎない、という実証主義的批判は、それ自体、大昔から繰り返されてきた紋切型に過ぎず、受け入れることができない。必要なのは、すべてを工学的思考に還元することではなく、人文学的なものを工学的に思考すると同時に工学的なものを人文学的に思考することなのだ。私は「事故の博物館」の頃から(いや、もっと以前から)現在にいたるまで、そのような立場を一貫して維持してきたつもりである。(浅田彰『続・憂国呆談』)

なぜ今はこのようなことをあまり言わなくなったのだろうか? 工学的な思考ばかりが猖獗するようになってしまったのか。浅田彰の視点からは、いま人気があるのだろう、「哲学者」國分功一郎氏でさえ「工学的」なところがあるようだ。

僕は國分功一郎というのに驚いたんだけど、「議会制民主主義には限界があるからデモや住民投票で補完しましょう」と。

21世紀にもなってそんなことを得々と言うか、と。あそこまでいくと、優等生どころかバカですね。(……)

住民投票による「来るべき民主主義」とか、おおむね情報社会工学ですむ話じゃないですか。哲学や思想というのは、何が可能で何が不可能かという前提そのものを考え直す試みなんで、可能な範囲での修正を目指すものじゃないはずです。(SPA 2014/2/11・18合併号

とすれば、どこにいってしまったのだろう、人文学的知は。

浅田彰)まあ、ヒュームからプラグマティズムに至るアングロ=サクソン的な伝統が再び優位になっているということでしょう。およそ、ファウンデーショナリズム(基礎付け主義)というのは、いわば神学の世俗化に過ぎず、有害でしかない。そのようなファウンデーションを自己言及的なパラドクスに追い込んで脱構築するなどと言っても、いわば否定神学的な観念の遊戯の域を出ない。そもそも、ファウンデーションなしに、複数の独立したゲームを並列的にプレイしてみて、それぞれがそこそこうまくいけばいいではないか、と。そういうローティ流のプラグマティズムが、いまもっとも支配的な哲学―――というか反哲学でしょう。それが人工知能論などから見た「心の社会」論などともフィットするわけですね(「共同討議:トラウマと解離」(斎藤環/中井久夫/浅田彰)「批評空間」2001Ⅲ-1)

《@masayachiba: 根源的な問いを多様に議論するのをやめ、人それぞれだからという配慮で踏み込まなくなるというのは、精神医学の領域ですでに起こった変化だ。文明全体がそういう方向に向かっていると思う。残される課題は「現実社会の苦痛にどう対処するか」だけ。そもそも苦痛とは何かという問いは悪しき迂回になる。》(千葉雅也)

ーーという流れの一環であることを知らないわけではないが、あまりにも「退行的な」言説が多すぎる(例えば、「東浩紀と川上量生の文系と理系を巡るやりとり」における川上氏の発言を見よ)。

以下、柄谷行人と蓮實重彦を並べる。すなわち上の浅田彰とともに、いわゆる「知的スノッブの三バカ」、「知的スターリニスト」(吉本隆明)トリオを揃い踏みさせてみる。やはり知的スターリニストがいまこそ必要ではないのか。

経験科学の真理にかんしては、「確証可能性」をあげる論理実証主義者(カルナップ)と「反証可能性」をとなえるポパーとのあいだに、有名な論争があった。ポパーの考えでは、科学法則はすべて帰納的な支持をもつ仮説でしかなく、観察によってそれと衝突する「否定的データ」が発見されると、その例を肯定的事例として証明できるような新しい包括的な理論が設定され、理論の転換がおこる。したがって、「否定的データ」の発見が科学の進歩や発展の原動力である。

ところが、T.クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依存していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」が存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される、と。そして、それが極端化されると、「真理」を決定するものはレトリックにほかならないということになる。

しかし、こうした考えは、それ自体、“事物”や“意味”は言語的あるいは理論的網目組織によって分節化されたものだという「形式主義」的観点にほかならない。しかも、このような科学史(メタ科学)的認識は、その対象、たとえば量子力学やサイバネティックスにもとづいている。科学史をそのように変化させたのは、すでに現代の科学が経験・データではなく知的構成(建築)にもとづくといわざるをえない事実であうる。科学史あるいはもっと広く思想史において用いられる理論的枠組(たとえば構造主義)は、科学自体から導入されている。この関係はのちに説明するように自己言及的である。すなわち、科学史あるいは思想史は、それが対象とするものに逆に属してしまうのであって、それらはけっして外在的、あるいは“超越的”(メタ)であることができない。同じことが、フランス的な文脈で語られたフーコーの“アルケオロジー”についてもあてはまる。「構造主義」を知における一つの徴候として読む「立場」は、超越的なものではありえず、それ自体「構造主義」に内属している。このような「不思議な円環」(ホッフシュタッター)を不可避的にするものをこそ、私は「形式化」とよぶのである。(柄谷行人『隠喩としての建築』P96-98)

しかし、それにしても教育する風景といったものについて語ることほど退屈なはなしもまたとあるまい。あたりに行きかっているあまたの言説は、ほどよく身支度を整えた自意識過剰の哲学的なそれから無邪気な日常的な会話にいたるまで、またとうぜんのことながら文学という誇らしげな言葉の群であろうと、そのことごとくがそれと意識されざる風景論を形成しているからである。あらゆる存在は、いまおしなべて饒舌なる風景論者であり、教育装置としての風景がその事実を自覚させまいとして躍起になって忘却機能を演じたてているのだ。誰もが風景について論じながら、その論議の対象が風景ではないと錯覚したり、また風景について語りながら自分だけはその風景の汚染をまぬがれているかに確信する術を風景によって教えこまれているかのようだ

たとえば、驚くべき杜撰さでトーマス・クーンによって提起されたあの「パラダイム」なる概念、とうぜんその杜撰さにふさわしい希薄さで無償の饒舌を煽りたてたあの概念が提起者自身によって曖昧に撤回されたり部分的修正をほどこされたりもしたにもかかわらず概念として文化の領域に居すわり続けてしまったのは、それが斬新で革命的な概念であったからではなく、もちろん退屈なる風景論の薄められた変奏にすぎなかったからだ。すくなくとも『科学革命の構造』に述べられている限りにおいて、「パラダイム」が教育装置として機能する風景の一つであることは誰の目にも明らかだ。「ある一時期に おけるある分野の歴史を細かく調べてみると、いろんな理論が概念や観測や装置に応用される際に、標準らしき一連の説明の仕方が繰り返されていることに気付 く。これらがその専門家集団のパラダイムであって、教科書や講義や実験指導の際に現れてくるものである」と述べるクーンは、そのパラダイムなるものの教育 装置の側面を強調しながらこう結んでいる。「それを学び実地に適用することによって、その集団のメンバーは仕事に習熟してゆく」。パラダイムなるものが教育装置として機能するといっても、それは、パラダイムが、特定の「知」をめぐる個々の規則だの仮説だのの総体として、解釈すべき風景 の合理的整合性を存在に納得させるからではなく、「知」の体系性と真実の客観性の確証以前に律する拘束力がそこにそなわっているからである。

クーンは、いうまでもなくこうした立場を科学的視点から提起しているわけで、思考の「制度」としてある科学が必然的に露呈せざるをえない「制度」性を強調しながら、科学の客観性への制度的信仰、ならびに科学の「知」的発展の連続性への制度的確信などを再審に付したという意味でまんざら無駄な議論だったわけでもなかろうと思う。だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに 蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまって おり、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。それにもかかわらずクーンが提起したパラダイムの概念、およびそれが煽りたてたもろもろの議論に何がしかの意味があったとするなら、それは、科学の客観性と連続性という双生児的概念に人びとがようやく疑いの目を注ぎはじめたからではなく、科学をも含めたあらゆる今日的思考が、風景論の時代に属しているという現実をクーンが無意識ながら告白しているからにほかならない。またそれにもまして興味深いのは、風景論の時代に特有な認識の配置図や「知」の流通形態の全域を理論的に踏査しつくしたわけでもないのに風景論の時代の言説をもてあそび、そのことできわめて逆説的ながらみずからの立場を証拠だてているかにみえるクーンが、なおそのパラダイム概念の提起にあたって、ほとんどデカルト的というほかない認識のパターンに頼って自分を科学史という物語の話者に仕たてあげ、その視点を修正したり再強化したりしているという点である。その一点に限っていえば、あたかも彼は自分自身が世界の物語による分節をまぬがれ、風景の汚染に抗いうるとでも信じているかにみえる制度的楽天性がそこに露呈しており、その意味でクーンはいささかも革命的ではないし、ましてや反科学的でもない。彼は風景による教育にことのほか忠実なる風景論の饒舌な語り手にすぎないのだ。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批評宣言』所収)

だが、現在こういったことを言わなくなったのは、どうやら《「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている》わけのためではなさそうなのだ。であるなら、人はそれを「知の退行」と呼ぶべきだろう。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。科学の進歩は思ったほどの比重ではない。科学の果実は大衆化したが、その内容はブラック・ボックスになった。ただ使うだけなら石器時代と変わらない。そして、今リアル・タイムの取引で儲ける奴がいれば、ローマ時代には情報の遅れと混線を利用して儲ける奴がいた(……)。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」より(2000年初出)『時のしずく』所収

これも旧世代の一見解である。新しい世代は反撥するかもしれない。だがこの世代はこういったことを言われてもピンとこないほど「退行」してしまっているように思われないでもない。どこに退行したのか。戦前であったらまだよい。だが退行先は戦前でさえない(蓮實重彦曰くは、である)。

蓮實重彦:十九世紀が二十世紀の世紀末をじわりじわりと侵食していることは、手応えでわかっていましたが、二十一世紀に入って、これほど堂々と十九世紀が世界を覆うとは思わなかった。

(中略)「十九世紀」と言っても、フランス革命ではなく、一八四八年の二月革命の頃から始まる十九世紀が問題なのです。この「近代」は、われわれがよく言っているように、ポストモダンなしにはありえない近代です。そして、その近代がじわりじわりと日本を侵食し、ついに二十一世紀のいま、世界は完全に十九世紀の罠に落ちたという感じがしている。(中略)二十世紀末のポストモダンの議論など、その退屈な反復にすぎない。(「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田彰)中央公論2010年1月号

…………

※附記:蓮實重彦「風景を超えて」冒頭

風景は教育する。風景が風景としてあることの意義は、ほぼその点に尽きるといってよい。風景をめぐって口にされるあれやこれやの言説は、風景がまというるもろもろの表情がそうであるように、ときには教育とは無縁の体験へと人を導くかにみえるが、そうした体験も所詮は風景にとって二義的なものにすぎない。教育装置として機能することで、風景ははじめて風景となる。だから無償の風景というものは存在しない。それが風景であるかぎりにおいて、あらゆる風景は耐えがたく醜い。そして、風景に瞳を向けることは、おしなべて恥ずかしい身振りなのである。あらゆる視線は、習得する視線にほかならないからだ。風景を賛美し風景を貶めるといった振舞いは、恥ずかしさを何とか隠蔽せんとするものにのみ可能な貧しい延命の儀式にほかならない。

風景は教育する。風景は、教育装置として機能することではじめて風景となる。とはいえ、そうした教育的資質に自覚的な風景というものはごく稀であろう。ほとんどの場合、風景は悪意を欠いた無邪気さを露呈しながらあらゆる視線にその全貌をさらしているかにみえる。風景は慎ましく彼方にひかえ、みずから視線を選択したりはしないし、瞳という瞳を平等にうけいれてもいる。だから、驚嘆すべき眺めとして存在を刺激し、退屈な眺めとして存在をまどろませるとき、驚嘆し退屈するのは視線の特権だと思われてしまいがちなのだ。心象風景として内的視線を招き寄せるときも、想像力に同じ特権が委ねられているかにみえる。いずれにしろ、美しかったり醜かったり、またそのどちらでもなかったりするのが風景だと考えられているし、風景自身もそう信じこんでいるに違いない。

だが、そうした美的感性の篩などはあっさりかいくぐってしまう風景は、逆にその感性的な篩の網目を入念に組織する装置として機能しながら、視線から、審美的判断を下そうとする特権を奪ってしまう。つまり風景は、感性と思われたものを、想像力や思考とともに「知」の流通の体系に導き入れ、その交換と分配とを統御する教育装置として着実に機能しているのである。教育とは、存在を分節化し、装置としての風景にふさわしい体系に、思考と感性と想像力を馴致せしめる不断の活動にほかならない。だから風景に驚嘆し、退屈しもする感性は、装置としての風景が休みなく語り続ける美しさの物語に、しかるべく組みこまれてゆくまでのことだ。存在が風景を読むのではない。風景が存在を読みとってゆくのである。風景が教育するとは、この風景による解読の運動に存在が徐々に馴れ親しんでゆく過程を意味している。みずから「記号」として交換され、分配され、しかるべき物語の説話論的要素たることをうけいれながら、そこにいかなる痛みも怖れの感情をもいだかずにいられるまで、風景に犯されることを教育と呼ぶのである。だから風景に驚嘆し、退屈しもする感性は、装置としての風景が休みなく語り続ける美しさの物語に、しかるべく組みこまれてゆくまでのことだ。

では、そのとき風景はなぜ風景と呼ばれなければならないのか。「制度」、あるいは「イデオロギー」としてはなぜいけないのか。もちろん、「制度」は教育すると書き改めても事態にさしたる変化は生じまい。これまで、いろいろな場所で、いわゆる「制度」なるものの希薄にして執拗なる教育的資質には触れてきたつもりだ。だが、「制度」が「制度」として機能するとき、その機能ぶりは徹底して不可視であるとされながら、しかしその不可視性は決して純粋の透明性を誇るわけではなく、それじたいがすでに多少とも濁っている思考だの感性だの想像力だのをうけとめた結果、しかるべき汚点や斑点を表層にまとっているという意味で、むしろ絵画的光景として、つまり構図を持った風景として共有されているからである。それが現実の風景ではなく、内的なイメージのようなものとして共有されていようと問題ではない。人は「制度」を想像することができるし、「制度」を思考することもできるし、そのあり方に感性的な反応を示すことも可能なのだ。多くの困難と複雑なる戦略とを必要としていようと、「制度」を思い描くことは決して不可能でない。しかも、そのことが「制度」の真の「制度」性ということができる。つまり漠として捉えがたくはあっても「制度」はそのイメージを介して「知」としての交換と分配の体系上に位置づけうるように思われるし、またこのイメージを欠いた場合、それは流通する「記号」たりえないだろう。その意味で、「制度」はいささかも特権的な「記号」ではない。だがその特権性の不在は、それ自身がイメージとして流通しながら、ありとあらゆる思考と感性と想像力とにイメージを付着させずにはおかぬという意味で、きわめて逆説的な特権性を誇示しているともいえる。それが外的なものであれ内的なものであれ、人は瞳の向こう側に浮上する風景に思考や感性をなげかけながら、存在を組織してゆくのだ。想像力を平等にうけとめるこの不可視の幕のようなもの、不可視ではあってもそこで視線をうけとめてくれる透明な、しかも程よく汚れた壁のようなもの、これまで風景と呼ばれてきたものはそうしたものなのだ。誰もが暗黙のうちにその存在をうけいれているイメージの投影装置。風景が教育的なのは風景のそうした性格ゆえにである。それは、視線の対象であるかにみえて、実は視線を対象として分節化する装置にほかならない。というより、その装置は、何よりもまず思考を分節化する機能を顕著に発揮する。その不可視の表層に汚点や斑点を見ているのは決して視線ではないからである。そしてそこで分節化される思考は、想像力が見たと信じ込む表層の濁った部分をつなぎあわせ、輪郭や陰影をきわだたせて中心部と周辺地帯とを分離しながら構図を組織し、遂には生きた存在たちの顔、動かぬ物質どもの表情、あるいは想念の形象化された姿を浮きあがらせるに至る。そのとき人は、風景がおさまることになる構図がいかに奇態なものであれ、顔として、表情として、形象化された姿としてしかるべく配置される存在や物質や想念の戯れを肯定し、みずからの風景の構図を解読するという姿勢の積極性を錯覚しながら、「知」の磁場における存在の分節化をうけいれることになるだろう。その戯れが抽象的な構図を描きだそうが具象的な構図におさまろうが、思考はその全域を視界におさめながら、方向の意識だの距離の感覚だのを習得しえたと確信する。この確信が解読を支え、「知」の磁場の相貌に馴れつつそこに分節化される存在の痛みを忘れさせるのだ。だから風景とは、存在を説話論的要素として分節化しながら物語に組み入れるときの痛みを緩和する忘却装置として、その教育的資質を発揮しているのだということができる。あらゆる視線は、風景の構図を解読の対象であるかに錯覚し、かつその錯覚を一つの自然として思考に共有させんとする存在の、無意識であるが故に絶望的な自家撞着を露呈せざるをえず、風景の教育的資質は、その絶望をあくまで絶望とは意識させまいとする希薄な執拗さのうちに存している。誰もが何の恥じらいもなく風景に視線を向けることができるのは、風景が瞳に従順であるからではなく、従順を装う風景の演技がいかにも徹底しているからにほかならない。思考がすでにその構図に馴れ親しみ恐れることがないので、視線もまた、いかなる羞恥心もなく風景と対峙しうるというわけだ。

いかなる視線といえども、それが視界に展開される顔や表情や姿の戯れをまさぐりつつ構図の解読へと向かわんとする真摯な情熱に衝き動かされたものであろうと、解読を越えた何ものかを習得せんとする無意識的な欲望の運動を隠しおおすことはできない。だが、無償の視線がありえないとしても、それは決して無償の構図におさまることのない風景がその欲望を煽りたて、思考の貪欲ぶりをむしろ慎み深い善意であるかに勘違いさせ、そのことで風景が思考にとって過剰な何ものかを含むことなく存在と調和ある関係を生きているかに振舞うので、それを模倣する視線がみずからの欲望を意識化するにはいたらないというまでのことなのだ。ところで肝腎なのは、思考が満遍なくまさぐることで思うことで構図を解読しえたと確信しうる風景と、視線が捉える風景との関係をあくまで通俗的な比喩に貶めたままでおいてはならぬという点だ。無償の風景が存在しないが故に無償の視線もまた存在しないのであり、にもかかわらず視線が風景のかじょうなるものへの欲望を抑圧しつづけうる理由は、思考のそれと知らずに装われた善意を視線が模倣しているからにほかならないのだ。

教育する風景に汚染しきった思考は、みずからの視界に浮上する風景を瞳が捉える風景の比喩だと信じこんでいる。だが、実際には、人が現実に視界におさめることのできる風景とは、思考を解読へと誘っておきながらその代償として思考を分節化する教育の馴致装置としての風景の比喩的一形態にすぎず、事態はその逆なのではない。風景とそのしかるべき構図を必要としているのは思考の方であって、現実の瞳の知覚作用はそうした思考の身振りと欲望とを模倣しているにすぎない。思考の風景が視線の風景に先行しているということ、肝腎なのはその点だ。

無垢の思考と裸の視線とが原初の風景と交錯しあうといった抽象的なメロドラマを想像して思考と視線の優先権を競いあうといった事態であれば話は別だが、すくなくともわれわれが「文化」と呼ばれる「制度」の中で暮し、かつその「制度」そのものに何らかの働きかけを試みんとする現実的な場にあっては、視線は明らかに思考を模倣するものとしてある。つまりここで問題となる風景とは、視界に浮上する現実の光景の構図を一つの比喩にしたてあげもするあの不可視の、だが透明とはほど遠い濁った壁の表層にまといついた汚点や斑点の戯れそのものにほかならず、ほとんどの風景論者たちは、風景の教育的資質に言及しながらも、このモデルと模倣との関係にいたって無自覚であるといえる。それは、彼らがすでに風景の教育的資質に汚染し、その馴致=分節機能に従順に従いながら、自分自身にまだ語るべき物語が残されていると錯覚しているからであろう。

…………

さてこの見解とラカンの眼差しとはどう異なるのだろう? 初期ジジェク曰くは次ぎの通り。だが彼も最近はこういったことを「直接的には」あまり言わなくなった。なぜか? はたして誰もが知っている「退屈」な議論であることに思い至ったせいか。それとももうウンザリしてしまったのか。

――これまでで一番最悪だった仕事は?

 教師。私は生徒たちが嫌いだ。彼らのほとんどは、(全ての人々がそうであるように)アホだし退屈だ。(スラヴォイ・ジジェクに訊く Q&A: Slavoj Žižek, professor and writer 2008年08月09日)

…………

現代思想に精通している読者は、おそらく「視線」や「声」を、デリダ的な脱構築作業の第一の標的とみなす傾向があるに違いない。視線とは、「物自体」をその形式の厳然の中で、あるいはその現前の形式の中で捉えるテオリアでなくして何であろう。声とは、話す主体の、それ自体-への-現前を可能にする純粋な「自己作用」の媒体でなくして何であろう。声とは、話す主体の、それ自体-への-現前presence- to-itselfを可能にする純粋な「自己作用auto-affection」の媒体でなくして何であろう。「脱構築」の目的は、ほかでもない、視線がつねに・すでに「下部構造の」ネットワークによって決定されていることを暴露して見せることである。何が見え、何が見えないか、その境界を設定するのはそのネットワークである。見えないということはつまり、視線――「自己反省的」再専有によっては説明できない縁〔マージン〕あるいは枠――による捕獲から必然的に逃れるもののことである。それと同様に、脱構築は、声の自己現前がつねに・すでに書記writingの痕跡によって引き裂かれ/引き延ばされていることを暴露する。しかしここで、われわれが注目しなければならないのは、ポスト構造主義的脱構築とラカンの間には何の共通点もないことである。ラカンは視線と声の機能を脱構築とはほとんど正反対の方法で説明する。ラカンにとって、これらの対象は主体の側ではなく対象の側にある。視線は、対象の中の(絵の中の)ある一点に刻印を押す。対象を見つめている主体は、すでにその点から見つめられている。つまり対象が私を見つめているのである。視線は、主体とその視野の自己現前を保証するどころか、絵の中の染み・汚点として機能する。その染みは明白な可視性を侵害し、私と絵との関係に、埋めることのできない亀裂を導入する。絵が私を見つめている点からは、私は絵を見ることができない。つまり、眼と視線とは本質的に非対称的なのである。対象としての視線は染みであり、その染みが、私が安全で「客観的な」距離から絵を見ることを阻止し、私はその絵を自分の視線しだいでどうにでもなるようなものとして枠取りすることを妨害する。視線とは、いわば、(私の視線の)枠がすでに絵の「内容」の中に書き込まれているような点である。そして、このことはもちろん、対象としての声についてもあてはまる。声はーーたとえば特定の発声者に付属せずにwithout being attached to any particular bearer私に語りかけてくる超自我の声はーーやはり一つの染みとして機能し、その染みは目立たない形で現前することによって、異物として介入し、私が自己同一性を確立するのを邪魔する。(ジジェク『斜めから見る』p234-235)
声なるものを厳密にラカン的に捉えなければならない。すなわち、(デリダにおけるように)意味の充溢と自己現前の担い手としてではなく、意味のないオブジェ、つまり意味作用の物質的残滓、残り物として。声とは、意味を生み出す「キルティング」の遡及的作用をシニフィアンから引き去った後に残るものなのである。この声の物質的状態がもっとも明瞭活具体的に表現されたものが、催眠的な声である。同じ言葉が無限に反復されると、われわれは混乱し、言葉はその意味の最後の痕跡をもうしない、残っているものといったら、眠気を催させる一種の催眠力を発揮する。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)
脱構築はすぐれてモダニズム的手法である。それはおそらく「暴露(仮面を剝ぐ)」という論理の最も根源的な形である。この論理においては、意味の経験の統一性そのものが、意味作用のメカニズムの効果としてとらえられる。そしてその効果は、それを生んだテクストの運動を無視しているかぎりにおいて可能である。ラカンにおいてはじめて「ポストモダニズム的」断絶が生じる。というのも彼は、きわめて曖昧な地位を維持しているある種の現実界的で外傷的な核を論理化したからである。〈現実界〉は象徴化に抵抗するが、同時にそれ自身の遡及的産物でもある。この意味で、われわれは次のようにすら言うことができるーー脱構築主義者たちは根本的には依然として「構造主義者」であり、享楽こそが「真の〈物自体〉」であり、この中心の不可能性のまわりに、すべての意味作用のネットワークは構造化されている、と断言したラカンこそ唯一の「ポスト構造主義者」である、と。(ジジェク『斜めから見る』1991 P267)

…………

ジジェクのいっていることはーーここではシンプルに記すがーー〈他者〉にかかわる。そして下の文は精神分析的でなく、たんに「科学的」である場合、この〈他者〉は扱えるのか、という問いである。これがたとえば認知科学への基本的な問いかけである。

標準の哲学的観察は、我々は現象を知ること、それを認知すること、受けいれること、そしてそれを存在するものとして扱うことを区別すべきだというものだ。――我々は「本当に知って」はいない、我々の周りの他者が心をもっているかのかどうか、あるいはただ盲目的に行動するようプログラムされた単なるロボットであるのか。しかしながら、この観察は肝腎な点を外している。すなわち、もし私が対話者の心を「本当に知った」のなら、間主体・間主観性自体が消滅してしまうのだ。彼は主体的な地位を失い、私にとって透明な機械に変貌してしまう。言い換えれば、他者を知らないままできることが主体性の決定的な特徴である。その主体性とは、我々が「心」を対話者のせいにするとき、意味していることである。つまり心が私に不透明であるかぎりにてのみ、あなたは「本当に心をもっている」ということだ。それにもかかわらず、我々は、古き良きヘーゲル-マルクス主義者の題目ーー私の最も奥にある主体的経験の徹底した間主体摘出特徴の題目を更生すべきだろう。ゾンビ仮説が間違っているのは、もしすべての他の人びとがゾンビであるなら(より正確にいえば、私が彼らをゾンビだと知覚したなら)、私は自分自身を、十分な現象的意識をもっているとさえ知覚できないということことだ。(ジジェク『パララックス・ヴュー』私訳 2006)

2015年6月21日日曜日

暁の歌(Wolfgang Weller)

◆シューマンOP.133、第一曲暁の歌(Andras Schiff)

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◆第四曲




第ニ曲第三曲第五曲


シフのすくなくとも第一曲は、速すぎる(急いでいるようにさえきこえる)。AnderszewskiのOP.133はYOUTUBEから消えてなくなっているが、Anderszewskiの第一曲のテンポ、間の持たせ方が(私にとっては)、ずっと好ましい。

ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)

…………

バッハのシンフォニアで知ったWolfgang Wellerはやはりシューマン弾きだったようだ。彼のことを褒めたり貶したりしているが、この演奏にはひどく気に入ってしまった。いまのことろ第一曲と第四曲、(それに第五曲)がとりわけお気に入りだ。


◆Schumann, Gesänge der Frühe op. 133 Nr. 1, Wolfgang Weller 2013.






◆Schumann, Gesänge der Frühe op. 133 Nr. 4, Wolfgang Weller 2013.





…………

AnderszewskiのOP.133は、上に書いたようにYOUTUBEから消えてなくなっているが第四曲の冒頭はある(わたくしはAnderszewskのこの第四曲は好まない。効果をねらいすぎだ。シフの第四曲は思いがけない音が強調されていたりそのスカンシオンに魅惑される)。

◆Piotr Anderszewski talks about Schumann(グールドを撮りつづけたモンサンジョンの映像である)。





Anderszewskiが語っているが、このシューマンのOP.133は、わたくしには《未来のノスタルジー(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える)》ような感覚に(ときに)襲われる。

… ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトウーロ・べネデツティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのばらせる。(ミシェル・シュネーデル)

2015年6月20日土曜日

この日は不幸な日であつた

この日は不幸な日であつた
パウル クレー パウル クレー
最終のインク
最終の形
最終の色
最終の欲情
ホテルのランチでたべたやせた鶏も
砂漠にのさばるスフィンクスにしかみえない
藪の中にするオレーアディス ペディートゥース!
あいみてののちにくらべれば
セザンヌのこともピカソのことも思わなかつた
エビヅルノブドウの線
ツルウメモドキの色
ヤブジラミの点点
魚の瞑想
小鳥の鯱立ち
藪の中の眼
藪の中に落ちた手紙
存在のさびしみをしる男の寝酒の
コップはクコの花のように紫である

ーー西脇順三郎「失われた時」より

 「わたしの詩の世界は
藪の中の鶯のように
少年が撃つ空気銃の一発で破滅するかも知れない」

ーー吉岡実「夏の宴  西脇順三郎先生に」より)

 詩の世界がそうであるなら、
ラカンやらの世界はいっそう一発で破滅する

なにに?

一陣の風に。
神々しいトカゲの舌に。
あの無の彫刻に。
とつぜん遠くからやってくるものに。


死なずに生きつづけるものとして音楽を聞くのがわたしは好きだ。音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる。《遠くからやってくるように》、シューマン(<ノヴェレッテ>作品二一の最終曲、<ダヴィッド同盟舞曲集>作品六の第十八曲(第十七曲の間違いのようにも思われるが詳しいことは不明:※引用者))あるいはベルク(<ヴォツェック>四一九-四二一小節)に認められるこの指示表現は、このうえなく内密なる音楽を指し示している。それは内部からたちのぼってくるように思われる音楽のことだ。われわれの内部の音楽は、完全にこの世に存在しているわけではないなにかなのである。欠落の世界、裸形の世界ですらなく、世界の不在にほかならない。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』)

……音楽は遠ざかろうとするなにかであり、
人がつかまえたと思っても、どこかへ行ってしまうようななにかだ。
留まるものと逃れ去るもののあいだに張られた絆。
逃れ去る女。光が死に絶えてもなおあとに残る不定形のうごめき。



ビロードの肌ざわり BWV 793

四十年以上つづく「ある女」への恋」にてWolfgang WellerのBWV 792を「絶賛」したが、彼のBWV793はぜんぜんダメだ(つまりわたくしの好みではない)。ここに掲げる気にもならない。


◆グールド Moscow. May 7, 1957




◆スタジオ録音版(1964)



Schiff

スタジオ録音が絶対的にすぐれているとするグールドの主張は間違っていた。ストックホルムでのピアノ・ソナタ作品110の実況録音には厚みがある。時間に対してどこか緊張したところ、なにか奪われたもの、最後のシカゴ・コンサートで同じ曲も退くの演奏がどのようなものだったかを想像させるに足るなにかが存在する。時間の切迫が動作を鋭くし思考の速度をはやめるチェスの勝負のように、ある種の絶対的必然性があるのだ。スタジオの場合、時間はじゅうぶんにある。あらゆる方向で時間をたどりなおすことができる。自由だともいえるが、それなりの代価を払わねばならない。(シュネデール)

ベートーヴェンのOP110ではないが、この短いシンフォニアでも、やはりそうだ。大違いだ、モスクワライヴにはくらくらする。

あっ! ああ! あああ!!--ここにあるのは、
《軽やかな音もなく走りすぎていくものたち、
わたしが神々しいトカゲと名づけている瞬間を、
ちょっとのま釘づけにするという、
けっして容易ではない技術であるーー》(神々しいトカゲ

一陣の風がさっとふき渡るのだ、

風が起こる……生きる試みをこそ
大いなる風がわが書(ふみ)を開き、閉じ、
波は砕けて岩に迸る!
飛び去れ、まこと眩ゆい頁(ページ)!
砕け、高波、昂(たか)まる喜びの水で
三角(さんかく)の帆がついばんでゐた静かな屋根を! (ヴァレリー「海辺の墓地」中井久夫訳)

《丘のうなじがまるで光つたやうではないか/灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに》(大岡信)

ナオミさんが先頭で乗り込む。鉄パイプのタラップを二段ずつあがるナオミさんの、膝からぐっと太くなる腿の奥に、半透明な布をまといつかせ性器のぼってりした肉ひだが睾丸のようにつき出しているのが見えた。地面からの照りかえしも強い、熱帯の晴れわたった高い空のもと、僕の頭はクラクラした。(大江健三郎「グルート島のレントゲン画法」『いかに木を殺すか』所収)

くらくらするのは、何にか? 《「美」という概念が性的な興奮という土地に根をおろしているものであり、本来性的に刺激するもの(「魅力」die Reize)を意味していることは、私には疑いないと思われる》(フロイト)。

バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータなど組曲の6曲セットを作っている。当時のドイツは、ヨーロッパの田舎だった。文化の中心パリの流行は、周辺地の音楽家の手で古典性をおびる。それらはもう踊られるためのものではなく、むしろ音楽語法を身に着けるためのモデルであり、ヨーロッパ中心の音楽世界地図でもあった。その装飾的な線の戯れにはどこか、かつての性的身ぶりの残り香がある。若いバッハは、入念に粉を振った最新の鬘をつけ、若い女を連れ、パイプをくわえて街をそぞろ歩く伊達男だったと言われる。音楽がまだ化石になっていないのも、そこにただようエロティシズムの記憶のせいかもしれない。(踊れ、もっと踊れ  高橋悠治)


…………

アンドラーシュ・シフの2001年録音版に行き当たったので貼付。

◆J.S.Bach: Goldberg Variations BWV 988 4. Variatio 3- Canone all'Unisono [Schiff]2001




SCHIFF 1981


◆Gould 1955 studio





Glenn Gould in Russia 1957

Gould - Salzburg's Recital of 1959

1981DVD


ザルツブルグがもっとも薫り高い。ああ、ビロードの肌ざわり! もちろんビロードの肌ざわりは、齢を重ね性的情動が低下すれば、失われてゆく。

最晩年のより構成的な演奏は理知が摘みとった演奏でしかない。

理知が摘みとってくる真実――この上もなく高次な精神の理知であっても、とにかく理知が摘みとってくる真実――透かし窓から、まんまえから、光のただなかで、摘みとってくる真実についていえば、なるほどその価値は非常に大きいかもしれない。しかしながらそのような真実な、より干からびた輪郭をもち、平板で、深さがない、というのは、そこには、真実に到達するために乗りこえるべき深さがなかったからであり、そうした真実は再創造されたものではなかったからだ。心の奥深くに神秘な真実があらわれなくなった作家たちは、ある年齢からは、理知にたよってしか書かなくなることが多い、彼らにはその理知が次第に力を増してきたのだ、それゆえ、彼らの壮年期の本は、その青年期の本よりも、はるかに力強くはあるが、そこにはもはやおなじようなビロードの肌ざわりはない。

しかしながら、理知が現実から直接にとりだしてくるそのような真実も、私は一概に軽蔑すべきものではないと感じるのであった、なぜなら、そのような真実は、過去と現在との感覚に共通のエッセンスが時間のそとにもちだしてくれる例の印象を、純粋のままにではなくても、すくなくとも精神の透徹力によって、たいせつに収蔵することができるだろうからであった。(プルースト「見出されたとき」井上究一郎訳)



2015年6月18日木曜日

新自由主義社会のなかの居心地の悪さ

フロイトが『文化のなかの居心地の悪さ』(1930)で教えてくれたのは、社会と個人のあいだいは緊張の領域があり、個人の欲望は社会によって拘束されるということだ。彼が仕事を始めたのは、19世紀のいわゆるヴィクトリア朝モラルの社会、すなわち全き父権制社会がいまだ華やかかりし時代であり、そこでは伝統的な階級構造と支配的な宗教による「禁止」、あるいは超=強制倫理の支配する時代だった。この社会において「神経症」が生みだされた。精神分析が生れたのは、神経症のせいだとさえ言える。

その後、第一次世界大戦によって、西欧文化の超自我(父権制社会)が揺るがされる。ヴァレリーの「精神の危機」 (1919) とは、実は西欧文化の「父」の危機であった。さらに1968年の学生運動によって象徴的父の決定的な崩壊、1989年にはベルリンの壁の崩壊により、マルクスという父も死んだ(参照:1、「三つの「父の死」」、2、「神の二度めの死」=「マルクスの死」)。

現在は象徴的権威の崩壊により資本の論理のみが渦巻く社会だ。すなわち、《 自由、平等、所有そしてベンサム(Freiheit, Gleiheit,EigentumundBentham)だけである》(マルクス『資本論』)であり、ベンサム主義(経済の論理、効率の論理)、ほとんど非イデオロギーとさえいえる「新自由主義」が席捲する時代である。

それぞれの社会構造は、それぞれの異なった症状を生む。いまでは「神経症」、その代表症状であるヒステリーはーーすくなくとも強度のヒステリーはーーほとんど消えてなくなった。それは超自我社会でなくなったおかげである。

幸にして自然は緩和剤としての歇私的里(ヒステリー)を細君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起った。健三は時々便所へ通う廊下に俯伏になって倒れている細君を抱き起して床の上まで連れて来た。真夜中に雨戸を一枚明けた縁側の端に蹲踞っている彼女を、後から両手で支えて、寝室へ戻って来た経験もあった。 

そんな時に限って、彼女の意識は何時でも朦朧として夢よりも分別がなかった。瞳孔が大きく開いていた。外界はただ幻影のように映るらしかった。 枕辺に坐って彼女の顔を見詰めている健三の眼には何時でも不安が閃めいた。時としては不憫の念が凡てに打ち勝った。彼は能く気の毒な細君の乱れかかった髪に櫛を入れて遣った。汗ばんだ額を濡れ手拭で拭いて遣った。たまには気を確にするために、顔へ霧を吹き掛けたり、口移しに水を飲ませたりした。 発作の今よりも劇しかった昔の様も健三の記憶を刺戟した。 

或時の彼は毎夜細い紐で自分の帯と細君の帯とを繋いで寐た。紐の長さを四尺ほどにして、寐返りが充分出来るように工夫されたこの用意は、細君の抗議なしに幾晩も繰り返された。 或時の彼は細君の鳩尾へ茶碗の糸底を宛がって、力任せに押し付けた。それでも踏ん反り返ろうとする彼女の魔力をこの一点で喰い留めなければならない彼は冷たい油汗を流した。(夏目漱石『道草』)

一神教文化ではない、すなわち超自我の機能が弱かった日本社会(明治以降約半世紀強の天皇制のもとの疑似一神教文化)でさえ、かくの通り。西欧のT・S・エリオットの妻ヴィヴィアン、あるいはエドヴァルド・ムンクの恋人(オスロのワイン商人の美しい娘)などはどんな具合だったか・・・

「さいわいにも」こういった症状は稀になった。だが現在の社会構造においては、また別の異なった症状が生まれている。

現在、フロイトから百年経て、われわれはまったく異なった症状に直面している。恐怖症の構築のかわりに、パニック障害に出会う。転換症状のかわりに、身体化と摂食障害に出会う。アクティングアウトのかわりに、攻撃的な性的エンアクトメント(上演)に出会う、それはしばしば自傷行為と薬物乱用を伴っている。そのうえ、ヒストリゼーション(歴史化)等々はどこかに行ってしまった。個人のライフヒストリーのエラボレーション、そこにこれらの症状の場所や理由、意味を見出すようなものは、見つからないのだ。最後に、治療上の有効な協同関係はやってこない。その代りに、われわれは上の空の、無関心な態度に出会う。それは疑いの目と、通常は陰性転移を伴う。実際、そのような患者を、フロイトは拒絶しただろう。いささか誇張をもって言うなら、好ましく振舞う(行儀のよい)かつての精神神経症の患者はほとんどいなくなってしまった。これが、あなたがたが臨床診療の到るところで見出す現代の確信である。すなわち、われわれは新しい種類の症状、ことに、新しく取扱いが難しい患者に出会うのだ。(Lecture in Dublin, 2008 (EISTEACH) A combination that has to fail: new patients, old therapists Paul Verhaeghe 

以下に引用するポール・ヴェルハーゲの「資本主義と心理学:文化のなかの新しい居心地の悪さにおけるアイディンティティと不安」と題される論においては、この新しい症状を生み出している「社会構造」と闘わなくてよいのか、という問いがベースになっている。

もちろん、かりにこの社会構造を克服して、新しい社会になったとしても、そこにおいてまた別の新しい症状が生まれるという議論もあるだろう。とはいえ、ボール・ヴェルハーゲは、昨年にも一般公衆向けに 「新自由主義はわれわれに最悪のものを齎したNeoliberalism has brought out the worst in us"」Guardian(2014.09.29)という短い記事をガーディアンに書いている。


Capitalism and Psychology Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent(Paul Verhaeghe,2012)

どの社会秩序もアイデンティティの発展を決定づけるとともに、そのメンバーの潜在的な不調disordersを決定づける。超-厳格な超自我の圧制下、(フロイトの時代の)ヴィクトリア朝社会は神経症の市民を生みだした。彼らは、集団として、つねに自らの家父長にためにーー他の集団の家父長に対してーー、戦う用意があった。

エンロン社会は、互いに競合する個々の消費者を生みだす。ラカンにとって、ポストモダンの超自我の命令は「享楽せよ!」である。

ヴィクトリア朝時代の病いは、あまりにも多く集団にかかわり、あまりにも少なく享楽にかかわることだった。ポストモダンの個人たちの現代の病いは、あまりにも多く享楽にかかわり、あまりにも少なく集団にかかわることである。

我々は狂ったように自ら享楽しなければならない。いやより正しく表現するなら、狂ったように消費しなければならない。数年前に比べて、享楽の限界は最低限にしなければならない。草叢の蛇(目に見えない敵snake in the grass)は、文字通りあるいは比喩としても、首尾よく捕まえなければならないーーそれは我々の義務であるーー、その捕獲方法は、もちろん絶えまない他者との競争にてである。このようなシステムはトーマス・ホッブズの不安angstを正当化する、すなわち、Homo homini lupus est(人間は人間にとって狼である)。

結果はMark Fisherが印象的に呼んだ「抑鬱的ヘドニア(快楽)depressive hedonia」だ。能力主義システムは、自らを維持するため、急速に特定のキャラクターを特権化し、そうでない者たちを罰し始めている。競争心あふれるキャラクターが必須であるため、個人主義がたちまち猖獗する。融通性がまた高く望まれる。だが、その代償は皮相的で不安定なアイデンティティである。孤独は高価な贅沢となる。その場は一時的な連帯が取って代わる。その主な目的は、負け組からよりも仲間からもっと何かを勝ち取ろうとすることだ。

仲間との強い社会的絆は、実質上締め出され、仕事への感情的コミットメントは殆ど存在しない。疑いなく、会社や組織への忠誠はない。これに関連して、典型的な防衛メカニズムは冷笑主義である。それは己れをコミットすることの失敗あるいは拒否を反映している。個人主義、利益至上主義とオタク文化me-cultureは、擬似風土病のようになっている。…表面の下には、失敗の怖れからより広い社会不安までの恐怖がある。

この精神医学のカテゴリーは最近劇的に増え、薬品産業は莫大な利益をえている。私は、若い人たちのあいだでの自閉症の診断の増大はこの結果だと思う。私の意見では、それは伝統的な自閉症とはほとんど関係がない。そうではなく、社会的孤立の増大の反映、〈他者〉によって引き起こされる脅威からの逃走の反映である。(私訳)


冒頭近くに「エンロン社会」という語彙が出てくるが、それについては、「エンロンEnron社会」を泳がざるをえない「文化のなかの居心地の悪さ」を見よ。

一般には、エンロン事件をめぐるエンロンとは、次ぎのようなものである。

……マッキンゼー出身でエンロン社CEOになったジェフリー・スキリングは「ランク・アンド・ヤンク」方式を実施した。役員から社員までをランク付けしておいて、下位の者をクビにしていくという差別化方式だ。これがピーターの法則から免れるためのベストプラクティスだと思われたのだ。その後、ケネス・レイがCEOになった時期、アーサー・アンダーセンのコンサルが入り込み、結果は知っての通り、エンロンは最悪の社内状況を生み、瓦解した。その後、多くのコンサルティング・ファームでは「アップ・オア・アウト」方式を導入するようになった。「一定の期間に昇進できない者は会社をやめなければならない」というものだ。(コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする

ヴェルハーゲの文に、《急速に特定のキャラクターを特権化し、そうでない者たちを罰し始めている。競争心あふれるキャラクターが必須であるため、個人主義がたちまち猖獗する。融通性がまた高く望まれる。だが、その代償は皮相的で不安定なアイデンティティである》とあった。

新自由主義における「模範的な」キャラクターとは、たとえばドワンゴの社長川上量生氏のような人物ということになるのか、--彼については何も知らなかった身であるが。

@kadongo38@cracjp 君らと議論してもなんの得もしないじゃん。君らはもともと失うものないし、そっちが一方的に得するだけでしょ?まあ、ずっとネットで言い合ってきたよしみでいっぺんぐらいやってもいいけど、動機が今回とは別の理由だよね。それこそゲンロンカフェとかでいい。

これは何を言っているのか? オレは社会的地位もあり、名声もある。そのオレが君たちのようななにも失うもののない「雑魚」を相手にしてやってるんだよ、--とわたくしは読んでしまう・・・

こういった発言にひどく苛立つのはーーそしてこのツイートを垣間見ている筈の多数の人がたいして苛立つ様子がないらしいのを知るとーー、その苛立ちは、ただわたくしが浮世ばなれしているせいということになるかもしれない(わたくしは1995年に日本を離れている)。


…………

※附記

ヴェルハーゲはホッブスのHomo homini lupus(人間は人間にとって狼である)を引用しているが、もちろんそれはフロイトの『文化のなかの居心地の悪さ』の叙述を想起して書いているはずだ。

人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛本能が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃本能も含まれていると言っていいということである。

したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在である ばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃本能を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でもあるのだ。

「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はまずいないだろう。

通例この残忍な攻撃本能は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。

民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人――の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦中」の身の毛もよだつ事件までを想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 )

父なき時代、象徴的権威の崩壊の時代とは、実に《阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在》の時代のことでもあるだろう。

《阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。》





2015年6月17日水曜日

精神病、あるいは「父の名の周囲のシニフィアンたちがどんどん自力で歌い出す」症状

「精神病とは,対象が失われておらず,主体が対象を自由に処理できる臨床的構造なのです.ラカンが,狂人は自由な人間だというのはこのためです.同時に,精神病では,大他者は享楽から分離していません.パラノイアのファンタスムは享楽を大他者の場に見定めることを伴います.…

…パラノイアとスキゾフレニーの差異を位置づけることができます.スキゾフレニーは言語以外の大他者を持っていないのです.また同時に,パラノイアと神経症における大他者の差異を位置づけることも可能です.パラノイアにとっての大他者は存在しますし,大他者はまさに対象aの大食家なのです」Clinique ironique. Jacques-Alain Miller, La Cause freudienne 23 松本卓也訳

ーーというわけで、ラカン派的にも、パラノイア/スキゾフレニーの相違が肝要だろうが、あるいは現在なら自閉症などを絡めて、さらには日本的文脈では統合失調症とはほんとうにスキゾフレニーのことなのだろうかという問いもあるだろうが、ここでは精神病一般についてのメモ。

日本術語「統合失調症」の”区切り”より

オイゲン・ブロイラーが生きていたら、「統合失調症」に賛成するだろう。彼の弟子がまとめたブロイラーの基本障害である四つのAすなわちAmbivalenz(両価性)は対立する概念の、一段階高いレベルにおける統合の失調であり、Assoziationslockerung(連合弛緩)は概念から概念への(主として論理的な)「わたり」を行うのに必要な統合の失調を、Affektstorung(感情障害)は要するに感情の統合の失調を、そして自閉(Autismus)は精神心理的地平を縮小することによって統合をとりもどそうと試みて少なくとも当面は不成功に終わっていることをそれぞれ含意しているからである。ブロイラーがこのように命名しなかったのは、よいギリシャ語を思いつかなかったという単純な理由もあるのかもしれない。「統合失調症」を試みにギリシャ語にもとずく術語に直せば、syntagmataxisiaかasyntagmatismusとなるであろう。dyssyntagmatismusのほうがよいかもしれない。「統合失調症」は「スキゾフレニア」の新訳であるということになっているが無理がある。back translation(逆翻訳)を行えばこうだと言い添えるほうが(一時は変なギリシャ語だとジョークの種になるかもしれないが)結局は日本術語の先進性を示すことになると思うが、どうであろうか。(中井久夫『関与と観察』

なおフロイトやラカンがときに同じものと扱ったりそうでなかったりするAusstossung/Verwerfungについて、次のような見解さえあることを、ここでの文脈からはずれるが、先に示しておこう。

Ausstossung(排出)は、Verwerfung(foreclosure排除・拒絶)とは徹底的に異なったものだ。それは精神病に特有の機制であるどころか、〈他者〉自体の領野を開くものである。この意味で、それは象徴界の拒絶ではなく、それ自体、象徴化なのである。我々はここで精神病と妄想を考えるべきではない。そうではなく主体それ自体を考えるべきある。決定的なのは、これは排除foreclosureは精神病者を言語のなかに住むことを妨げることはないという事実にかかわる。(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être, Paris: Presses Universitaires de France 1999, p. 72.私訳)

…………

◆ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」 Jacques-Alain Miller, An Introduction To Lacan's Clinical Perspectives, in Reading Seminars I and II: Lacan's Return to Freud

ラカンはフロイトの著作のなかに、それぞれの構造に対する特異的な用語があることを指摘しました。[Verdrangung(repression)]、精神病では排除[Verwerfung(foreclosure)]、倒錯で は 否 認 [Verleugnung(disavowal,desaveu)] です 。 ラカンは最終的には否認[Verleugnung]に dementi(denial)という訳をあてることを好むようになりました。

ラカンの分析の教義の多くは、否定の三つの異なったモードを作ることにささげられています。ラカンはこのように言います――精神病における排除[Verwerfung] は 父のシニフィアンの否定であり、倒錯における否認[Verleugnung]はファルスのシニフィアンの否定の特別なモードであり、 神経症における抑圧[Verdrangung]は主体自身のより広範な否定である、 と。 これらのメカニズムには詳細なレクチャーが必要でしょう。

これらのカテゴリーのそれぞれには、もちろんさらなる区別があります。ラカンは何度も三つのカテゴリーに平行線を引いています。ラカンが新しい概念をつかんだとき、あるいは臨床的仕事の新しい観点を強調するとき、彼はそれを神経症・精神病・倒錯に適用します。精神分析においては、新しい観点を作るならば、この三つの領域に関連付けて複雑にしなければならないのです。神経症・精神病・倒錯の三つだけが領域なのではありません。例えば、男と女、男性的構造と女性的構造という臨床的カテゴリーもあります。これは三つの主要な臨床的カテゴリーをきれいに横断しています。例えば、ラカンは倒錯は男性的剥奪であり、男と女の二項構造を神経症・精神病・倒錯の三つ組みと結合させるとさらに複雑になると言っています。私たちが言いうるのは、倒錯は男性的剥奪であり、本物の精神病のすべては女性であろうということです。ラカンは精神病を「女性への衝迫[pousse a la femme]」とみなすという、今では有名となったフレーズを作りました。精神病は女性の領域にあるのです。神経症においては、 ヒステリーと強迫が区別され、 一般に女と男に関連付けられます。

しかし、だからといってヒステリーの男性がいないと主張するのではありません。私たちが神経症を語るとき、あるときはこのように注目しますが、また別の機会には、フロイトは強迫神経症をヒステリーの方言であり、ヒステリーが神経症の中核であると考えていたことを元にして、ヒステリー神経症と強迫神経症の区別について注目します。

とはいえ、ミレールは最近次ぎのような発言をしている。

……臨床において、「父の名」の名の価値下落は、前代未聞の視野に導いてゆく。ラカンの「皆狂っている、妄想的だ」という表現、これは冗句ではない。それは話す主体である人間すべてに対して、狂気のカテゴリーの拡張と翻訳しうる。誰もがセクシャリティについてどうしたらいいのかの知について同じ欠如を患っている。このフレーズ、この箴言は、いわゆる臨床的構造、すなわち神経症、精神病、倒錯のそれぞれに共通であることを示している。そしてもちろん、神経症と精神病の相違を揺るがし掘り崩す。その構造とは、今まで精神分裂病の鑑別のベースになっていたものであり、教育において無尽蔵のテーマであったのだが。(ジャック=アラン・ミレール 2012 The real in the 21st century by Jacques-Alain Miller

さて、一般には、精神病者が妄想をつくるのは、「回復の試み」(フロイト)であるとされる。父の名の隠喩のかわりに妄想的隠喩(métaphore délirante)を自ら導入することで、不安定な謎の意味作用を安定化させようとする。

かつまた、無意識は主体につねに真理を語りかけているのだが、《神経症者は、その無意識(=大他者)の声に耳をとざしてしまっている。一方、精神病では無意識の主体にむけた語りがダイレクトに届いている(=幻聴)。こういった意味で,精神病者のほうが認知が優れている、とラカンは考えた》(松本卓也ツイート)などともいわれる。

以下の文はその前提で読んでみよう(なお再三くり返しているが、このブログの書き手は、精神医学臨床にかんしてまったくシロウトである)。


◆ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012 私訳(「フロイトの欲動二元論と一元論をめぐって」より)。

…この決定的なポイントをはっきりさせるため、精神分析理論における眼差しと声の地位を明確化することから始めよう。そこでは、我々は常に神経症、精神病、倒錯の異なった地位を念頭に置かなければならない。

(1) 神経症において、我々はヒステリー的な盲目と声の喪失を取り扱う。すなわち、声あるいは眼差しは、その能力を奪われてしまう。精神病においては逆に、眼差しあるいは声の過剰がある。精神病者は己れが眼差されている経験をする(パラノイア)、あるいは存在しない声を聴く(幻聴)。これらの二つの立場と対照的に、倒錯者は声あるいは眼差しを道具として使う。彼は眼差し・声とともに「物事をなす」のだ。

(2) 眼差しと声のカップルは、また物表象Sach‐Vorstellungen と語表象Wort‐Vorstellungenのカップルにかかわる。「物表象」は眼差しを含んでいる(我々が物を見るとき)。「語表象」は声(声のイメージ)を含んでいる(我々が言葉を聞くとき)。

(3)さらに、眼差しと声はそれぞれ、イド(欲動)と超自我に関係する。眼差しは覗見欲動を動員し、声は超自我の審級ーー主体に圧迫をかけるーーの媒体である。しかしまたここで心に留めておく必要がある、超自我はイドからエネルギーを引き出していることを。その意味は、超自我の声もまた欲動を動員するということだ。

このように、欲動の用語において、声と眼差しは、エロスとタナトス、生の欲動と死の欲動に関係している。眼差しは「 一撃で打ちのめすsiderates」 、脱線させ、釘づけにする、あるいは主体の顔を不動化する、主体をメドゥーサのような恐怖ですくみ上がった実体にする。現実界への洞察は身体を苦しめる。それは死を表す(メドゥーサの頭自体、釘づけにされた/恐怖ですくみ上がった眼差しである。それを見ることは、私を盲目にしない。ーー反対に、私自身が釘づけにされた眼差しになる)。他方、誘惑的な声は、前エディプスの法の彼方/法の底にある母との繫がりを表す。(母の子守唄からから催眠術師に声までの)活気を帯びた臍の緒を表す。

(4) 四つの部分対象(口唇、肛門、声、眼差し)のあいだの関係は、二つの軸、「要求/欲望」と「〈他者〉へ/〈他者〉から」の軸に沿って構造化される四角形の関係である。

口唇対象は要求を伴う。それは〈他者〉へ向けられる(母へ、私が欲しいものを下さい!)。他方、肛門対象は、〈他者〉からの要求である(肛門経済において、私の欲望の対象は〈他者〉の要求へ降格される。ーー私は糞便を規則正しくしなければならない、 親の要求を満足させるため)。

同様に、覗見欲動は〈他者〉へ向けられた欲望を伴う(それを見せて!私に見させて!)。他方、声の対象は〈他者〉からの欲望を伴う(声は私から欲しいものを知らせる)。すこし異なったふうに言えばこうなる。主体の眼差しは〈他者〉を見ようとする試みを伴う。他方、声は懇願・呪文である(ラカンの懇願・祈り欲動 invocatory drive)。それは〈他者〉(神、王、愛された者)を駆り立てる試みである。この理由で、眼差しは〈他者〉に屈辱を与え-鎮定し-不動化するmortifies‐pacifies‐immobilizes。他方、声は〈他者〉を活気づけるvivifies。声は〈他者〉から言動を誘い出すのだ。

(5) 眼差しと声は、それでは、いかにして社会的領野に刻み込まれるのか。まずは、恥と罪である。過剰に視る・裸の私を見詰める〈他者〉による恥。他者たちが私について言っていることを聞くことにより引き起こされる罪。声と眼差しは、このように、超自我と自我理想の対照にかかわるのではないか? 超自我は、主体に纏いつき、主体の罪を見出す声である。他方、自我理想は、主体がその前で恥じ入る眼差しである。このようにしてトリプルな同等物の連鎖がある。「眼差しー恥ー自我理想」、そして「声ー罪ー超自我」である。(ジジェク ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012)


◆フィンク THE LACANIAN SUBJECT BETWEEN LANGUAGE AND JOUISSANCE by Bruce Fink(1995 私訳)

ラカンによれば、精神病は、幼児の“原”シニフィアンを取り込む失敗の結果である。“原”シニフィアンとは、その取り込みに失敗しなければ、子どもの象徴世界を構成するものである。失敗すれば、子どもは言語のなかに錨を下ろさないままになる。方向を示す磁石がないということだ。精神病者の子どもは言語をとてもよく取り入れるかもしれない。とはいえ、神経症の子どもと同じようではない。基本的な錨を下ろす点が欠けているため、取り入れられたシニフィアンの残りは、漂流に追い込まれる。
神経症者は珍しい用語をきくとき…その言葉をきいた最初の折を思い起こすかもしれない。…他方、精神病者はもっぱら音声や音波phonetic or sonicの側面に集中する。…言葉は物として、リアルな対象として捉えられる。

以下、Lorenzo Chiesa、ジジェクによるミレール吟味(サントーム/主人のシニフィアンをめぐる)の補遺でもある。


◆Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa. 2007より

1960年代から1970年代にかけて、ラカンの理論は、《〈他者〉の〈他者〉はない》(それはアルジェブラとしてはȺとして言い表される)という前提にしっかりと依拠しているようにみえる。ラカンの思考のこのフェーズは、別の思考に先行されているが、この事についてラカンはしばしば相反する言明を提供しており、この本質的な結論が、初めて十全に想定された特定の瞬間をはっきりと同定するのは難しい。

セミネールV(1957‒1958)は、議論の余地なく、「〈他者〉の「他者〉は存在する」という仮定のもとに、父の隠喩の機能を導入している。ラカン曰く、《分析の経験が我々に示してくれるのは、〈他者〉にかんする〈他者〉Other with respect to the Otherによって提供される背景[arrière-plan] の必須性である。それなくしては、言語の世界は自らを分節化できない》。

一年もたたないうちに、今度はセミネールVIで、躊躇なく宣言することになる、《〈他者〉の〈他者〉はない…シニフィアンのどんな表明の具体的な成り行きconsequenceを支えるシニフィアンは存在しない》(=メタランゲージは存在しない:訳者)。

我々はこの明らかに折り合いのつかない二つの引用文をどう取り扱えばいいのだろう? 私は示唆しておきたいのだが、せっかちに選定してしまうこと、すなわちセミネール V とVI のあいだのどこかに根本的な転回Kehreをみることは、おそらくラカンの思考の多面的かつ非線形の進化を見逃がすことになるだろう。

とはいえ、1958年から1963年にわたる実りの多い年月のあいだに、ラカン理論が目醒しく動いたのはたしかだ。それは1950年代の半ばに優勢だったものを超えて、「構造」概念に向う。その概念にとって「〈他者〉の〈他者〉はない」は、暗黙のモットーとして考えられるべきだろう。この公式が意味することを手短かに概括してみよう。

「(象徴的)〈他者〉の(象徴的)〈他者〉がいる」という事実が示すのは、シニフィアンの秩序としての〈他者〉は別の超越的な〈他者〉、すなわち父性の〈法〉に支えられているということである。〈法〉としての〈他者〉、〈他者〉の〈他者〉は、〈父の名〉に一致する。これがエディプスコンプレックスの消滅を許容する。その結果、主体は母とのあいだの不穏な関係から脱却する。

このようにして、主体は能動的に、間主体的な象徴領野に入ることが可能になる。私はこの点をグラフ4.1にて示そう。そこでは斜線を引かれた主体$、諸シニフィアンの〈他者〉S2、主人のシニフィアンS1、そして父の名としての〈他者〉の〈他者〉のあいだにある関係を示している。



主体が、言語によって引き起こされた分裂Spaltungの結果として、斜線をを引かれている限り、彼は次のように見なされることになる。すなわち、一つのシニフィアン(無意識のシニフィアンの鎖のなかのあらゆるシニフィアンS2)は他の(特権的)シニフィアン(S1)を表象する。標準のファルス的幻想の場合、主人のシニフィアンは象徴的ファルスΦと同じものであり、それは父の名の超越的な法を体現する。

グラフ4.1 は、まずは地形図的に「父の名」の超越性を表している。それは全ての他のシニフィアン(Φを含む)にかんして超越的である。父の名は「背景arrière-plan」の機能をもっており、「諸シニフィアンのなかのシニフィアンsignifier of signifiers」としてある。まさに父の名が全ての他のシニフィアンを取り囲んでいるがゆえ、この段階でのラカン理論は、自己完結的で自立した象徴的〈他者〉の存在を仮定しているようにみえる。《全ての言語はメタランゲージである》(セミネール III)

この結果として、現実界の審級は象徴界から完全に分離している。現実界はただ否定的に、象徴界でないものとして定義される。

この文脈で、ラカンが精神病者を次のように定義したのは偶然ではない。すなわち、主体が現実界とのダイレクトな接触のなかに自ら見出した故の、排除、父の名のラディカルな拒絶と。精神病者は〈他者〉の〈他者〉を欠いている。

これが、『精神病のあらゆる可能な治療に対する前提的問題について』(1957‒1958)にて、ラカンが提案が次のように提案した理由である。精神病はただtout court〈他者〉の不在に対応するのではない。むしろ、(諸シニフィアンのシニフィアンsignifier of signifiersとしての)父の名の欠如の効果にかかわる。《父の名と呼ばれるものは、〈他者〉のなかのある点に対応するかもしれない。単なる一つの穴に、である。その穴は、隠喩効果の不十分性によって、ファルスの意味作用の場に付随した穴を引き起こすだろう》。

言い換えれば、精神病者は言語との関係が欠けているどころか、彼は実は、言語的な〈他者〉に浸り切っている。その言語的〈他者〉とは、父性隠喩によって「ファルス的に」組織されていないものだ。

精神病者の場合、諸シニフィアン(S2) の〈他者〉は、法の〈他者〉に統整されていないので、精神病者は言語の犠牲者のままである。すなわち、彼は言語によって「話させられている」。これを私はグラフ4.2で図式化した。象徴的〈他者〉の〈他者〉は主体が現実界によって侵入されることを妨げる。精神病の場合に、その侵入が起これば、悲惨な結果をもたらす。


ラカンは確信していた、精神病者の精神生活は、諸シニフィアンによって完全に決定づけられていることを。彼はまた信じていたようにみえる、精神病者は想像的な意味作用を生みだしうると。実際のところ、精神病はしばしば潜在的である。逆に、妄想は、たいていの深刻な事例でさえ「部分的」だと考えられていた。精神病者ができないことーー父の名が欠けており、その結果として主人のシニフィアン (S1)が欠けていることによって、できないことーー、それは、一貫性した言説において生み出される意味作用の秩序である。

言い換えれば、精神病者の精神生活は、にシニフィアンからシニフィアンへの絶えまない換喩的な横すべりで単に成り立っているわけではない。隠喩的な過程もまた可能なのだ。ラカンは実際に「妄想的隠喩」について語っている。そこでは《シニフィアンとシニフィエが(一時的に)安定化される》(S3)。ある程度の象徴的分節化はあるのだ。その分節化は種々のシニフィアンの連鎖が重なることで意味作用が生み出されるおかげであるーー《これらの患者は、我々と同じ言語で我々に話しかけている》(S3)ーーしかしながら、これらの連鎖は、諸シニフィアンのシニフィアン(父の名)によってより広く秩序づけられてはいない。

ここから導きだされる最も重要な結論は、妄想がいかに深刻で根強いものであっても、精神病者はけっして、言語を超えた、純粋な、原初の現実界の神秘的な領野に囚われるわけではないことだ。そのような頻繁に生じる誤解を避けるために、注意深く、精神病についてのラカンの最も有名な定式のひとつ、「象徴界から排除されたものは、現実界のなかに回帰する」の重要性をふたたび見極めなければならない。

…………

以下、続くーー「ラカン派の「象徴界から排除されたものは現実界のなかに回帰する」の意味するところ」に掲げたーー 、がここに再掲しておこう。この定式についてラカンは実際にはそんなことを言っていないという見方もそこで示したが、それはわたくしにはよくわからないし、いまはたいした問題ではないだろう、と思っている。最も肝要な点は、排除されたものの回帰を、「排除された<もの>Das Dingの回帰」と読んではならぬということだろう(das Ding、すなわちフロイト的〈モノ〉 。不可能にして獲得不能な享楽の実体)。
@schizoophrenie: 向井先生と話し合って、「精神病において父の名は排除されるけど、その父の名は回帰しない」という結論に達した。

簡単に書いておくと、まずラカンが60年代までに父の名に関して「回帰する」とはっきり書いているところはない。『精神病』においては「父である」というシニフィアン(父の名の前駆的概念)という大きい道が排除されているときは、その周囲の小さな道を通って行かねばならない、と言われている。

ラカンの構造論的な精神病論のまとめである”D'une question preliminaire...”では「排除」は出てくるが「回帰」は一切でてこない。その代わりにあるのが「現実界のなかにシニフィアンが解き放たれる=脱連鎖するdéchaîner」という術語。

神の名を語ってはいけないのと同じように、父の名もあらわれてきてはいけないんですね、おそらく。その代わりに、父の名の周囲のシニフィアンたちがどんどん自力で歌い出す(連鎖が切れて現実界に現れる)、という風に理解するべきだという話。

というわけで、 Lorenzo Chiesaの叙述を再掲。

「象徴界から排除されたものは、現実界のなかに回帰する」が、第一に意味するのは次のことである。すなわち、象徴界の外部の支えexternal guarantorとしての父の名が排除されるなら、毎日の現実は言語の現実界へ変身しturns into the Real-of-language、妄想delusionsが起りうるということだ。

セミネールIIIにて、ラカンは文字通りには次のようにいっている、《象徴化されないものは現実界のなかに回帰する》(SIII, p. 86)そして《Verwerfung(排除)の対象は現実界のなかに再び現れる》(p. 190)。

子どもは、エディプスコンプレックス(その消滅)を通して象徴界への能動的な入場active entryをする前に、文字letterとしての言語、言語のリアルReal-of-languageに関係する。人は原初の肝所を思い描くことを余儀なくされる、肝所、すなわちペットのように言語のなかに全き疎外されている状態を。これはたんに神話的な始まりを表すだけに違いないとはいえ、それにもかかわらず、子どもは、いかに話すかを学んだのちも、(文字としての)言語によって話されbe spoken by language続ける。

精神病者は、もし諸シニフィアンのシニフィアンsignifier of signifiers (父の名)が排除されているなら、いかに意味作用あるいは意味されるものを生み出すのだろうか? 私は、精神病にて《S2sはそれら自身のあいだに関係をもつ》(B. Fink, The Lacanian Subject [1995])について十分に議論されていないと信じている。

もし、精神病にて、S2sのあいだの関係が、言語のリアル(文字)の領野を超えてゆくのなら、もし、精神病者がしばしば潜在的(非発病)で、その主体は意味作用の生産をなんとかやっているのなら、ある数のシニフィアンーーS2sを越えたものでありながら正当なS1の地位を獲得していないいくつかのシニフィアンの手段によってのみ、そうし得る。

これは次のラカンの言明を説明するだろう、《人間にとって、「正常normal」と呼ばれるためには、彼は「最低限の数」の縫合点 “a minimal number” of quilting points を獲得しなければならない》(The Seminar Book III, pp. 268‒269)。

言い換えれば、精神病者は縫合点がないわけではない……精神病者は、原初の(そして質的にはより重要な)縫合点、父性隠喩によって生み出された縫合点を排除している。とはいえ、それにもかかわらず、精神病者は(量的に不十分な数の)他の縫合点を持っている。それは定義上、S2の地位におとしめることはできないものだ。もしこれがそうでなかったら、彼はシンプルに「完全な狂人」だろう、彼は我々の言語を話さない……