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2016年7月23日土曜日

資本の欲動という海に浮かぶ孤島

「正常」な状態では<現実界>は欠如、すなわち(ロスコの絵の真ん中にある黒点のように)象徴的秩序の真ん中に開いた穴である。ところがここでは、<現実界>という水族館が<象徴界>の孤立した島々を包み込んでいる。

言い換えれば、意味作用のネットワークが織り上げられる核となる中心の「ブラックホール」の役割を担うことによって、シニフィアンの増殖を「駆り立てる drives」ものは、もはや享楽ではなく、象徴的秩序そのものなのである。それはシニフィアンの浮遊する島、すなわち享楽のどろどろした海に浮かぶ島に成り下がってしまった。(ジジェク、1991)

初期ジジェクのすぐれた隠喩である。なんの隠喩かといえば、


であり、《みずからのトゲを抜こうとする努力》の時代から、《むき出しの市場原理》の時代への移行の隠喩である(参照)。

この移行は、欠如の時代から穴の時代への移行にともなうものだ。

穴の概念は、欠如の概念とは異なる。この穴の概念が、後期ラカンと以前のラカンとを異なったものにする。

この相違は何か? 人が欠如を語るとき、空間は残ったままだ。欠如とは、空間のなかに刻まれた不在を意味する。欠如は空間の秩序に従う。空間は、欠如によって影響を受けない。これがまさに、ある要素が欠けている場に他の諸要素が占めることが可能な理由である。その結果、人は置き換えすることができる。置き換えとは、欠如が機能していることを意味する。

欠如は失望させる。というのは欠如はそこにはないから。しかしながら、それを代替する諸要素の欠如はない。欠如は、言語の組み合わせ規則における、完全に法にかなった権威である。

ちょうど反対のことが穴について言える。それは、ラカンが後期の教えでこの概念を詳述したように。穴は、欠如とは反対に、空間の秩序の消滅を意味する。穴は、組み合わせ規則の空間自体の消滅である。これが、Ⱥの最も深い特性である。Ⱥ は、ここで(以前のラカンと異なって)、大他者のなかの欠如を意味しない。そうではなく、むしろ大他者の場のなかの欠如、つまり穴、組み合わせ規則の消滅である。穴との関連において、外立がある。それは、残余にとっての正しい場であり、現実界の正しい場、すなわち意味の追放の正しい場である。(ジャック=アラン・ミレール,Lacan's Later Teaching、2002、私訳)

この欠如から穴(ブラックホール)への移行とは、個人の症状だけではなく、社会構造自体がこのように移行したのだ(そもそも症状は社会構造によって生まれる。神経症はヴィクトリア朝の超自我モラルのもとに生まれた。市場原理主義の現在は「ふつうの精神病」、「ふつうの妄想」の時代である)。

カーニバル的宙吊りの論理は、伝統的階級社会に限られる。資本主義の十全な展開に伴って、今の「標準的な」生活自体が、ある意味で、カーニバル化されている。その絶え間ない自己革命化、その反転・危機・再興。そのとき、我々は、そのまさに原理が、絶え間ない自己変革機械である状態に対し、いかに変革をもたらしたらいいのか。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

ジジェクの冒頭の文は、初期ジジェクということもあり、ミレールが定義しなおした「欠如」と「穴」という概念が混在しているということはあるが、社会構造の移行のすぐれた隠喩として読むことができる。

神経症の時代においては、象徴秩序の真ん中に「欠如」があった。




これをわかりやすく示せば、かつては次のような形でシニフィアンが増殖した。





だが、「ふつうの精神病」の時代においては、われわれは資本の欲動という〈現実界〉に浮かぶ孤島なのだ。



ようは、Mark Rothkoの世界(神経症)から、草間彌生の世界(精神病)への移行。

ラカンは主人の言説の時代から資本家の言説の時代へ、と1968年の学生運動を機縁にして言った。これはーー厳密さを記さずに言うがーー、支配のイデオロギーの時代から資本の欲動という非イデオロギーの時代へということだ。



これは、ラカン主流派の臨床的観点からは「20世紀の神経症の時代から、21世紀の精神病の時代へ」(ミレール)ということになる(参照:ふつうの妄想・ふつうの父の名・原抑圧の時代)。


…………

いささかここでの話とは異なる箇所もあるが、冒頭に掲げたジジェク文の前後も含めて、もうすこし長く引用しておく。ミシェル・シオンの美しいフレーズ、《まるで生まれたばかりの生命のようにゆっくり脈打っている、形のない灰色の霧》という表現も引用されている。これはジジェク、2012にある《今の「標準的な」生活自体が、ある意味で、カーニバル化されている。その絶え間ない自己革命化、その反転・危機・再興》という表現と重ねて読めないだろうか。

現代の音響技術は、「本物の」「自然な」音を忠実に再現できるだけでなく、それを強化し、もしわれわれが映画によって記録された「現実」の中にいたとしたら聞き逃してしまうであろうような細かい音まで再現することができる。この種の音はわれわれの奥にまで入り込み、直接的・現実的次元でわれわれを捕らえる。たとえば、フィリップ・カウフマンがリメイクした『SF/ボディ・スナッチャー』で、人間がエイリアンのクローンに変わるときの、ぞっとするような、どろどろべたべたした、吐き気を催させるような音響は、セックスと分娩の間にある何か正体不明のものを連想させる。

シオンによれば、このようなサウンドトラックの地位の変化は、現代の映画において、ゆっくりした、だが広く深い「静かな革命」が進行していることを示している。音が映像の流れに「付随している」という言い方はもはや適切ではない。いまやサウンドトラックは、われわれが映像空間の中で方向を知るための「座標」の役割を演じている。サウンドトラックは、さまざまな方向から細部を雨のように降らせることによって(……)、ショットの地位を奪ってしまった。サウンドトラックはわれわれに基本的視点、すなわち状況の「地図」をあたえてくれ、その整合性を保証する。一方、映像は、音の水族館を満たしている媒体の中を浮遊するばらばらの断片になってしまった。精神病の隠喩としてこれ以上ふさわしいものは他にはあるまい。

「正常」な状態では<現実界>は欠如、すなわち(ロスコの絵の真ん中にある黒点のように)象徴的秩序の真ん中に開いた穴である。ところがここでは、<現実界>という水族館が<象徴界>の孤立した島々を包み込んでいる。

言い換えれば、意味作用のネットワークが織り上げられる核となる中心の「ブラックホール」の役割を担うことによって、シニフィアンの増殖を「駆り立てる drives」ものは、もはや享楽ではなく、象徴的秩序そのものなのである。それはシニフィアンの浮遊する島、すなわち享楽のどろどろした海に浮かぶ島に成り下がってしまった

このように「描出された」<現実界>は、フロイトのいう「心的現実」のことに他ならない。そのことをはっきり示しているのが、デイヴィッド・リンチの『エレファント・マン』における、エレファント・マンの主観的体験をいわば「内側」から表現している、神秘的な美しいシーンである。「外部の」「現実的な」音や騒音の発生源は保留され、少なくとも鎮められ、後景へ押しやられている。われわれの耳に入ってくるのは律動的な鼓動だけである。その鼓動の位置は定かではなく、「心臓の鼓動」と機械の規則的な律動の間のどこかである。そこにあるのはもっとも純粋な形での描出されたものrenduである。その鼓動は、何物をも模倣あるいは象徴化しておらず、われわれを直接的に「掴み」、<物自体>を直接的に「描出 render」している。だがその<物自体>とは何か。それにいちばん近くまで接近する言い方をしようと思えば、やはり「まるで生まれたばかりの生命のようにゆっくり脈打っている、形のない灰色の霧」と言う他ないだろう。目には見えないが質量をもった光線のようにわれわれを貫くその音響は、「心的現実」の<現実界>である。……(ジジェク『斜めから見る』1991、鈴木晶訳)

日本でも若きすぐれたラカン派の松本卓也氏が、最近、M.-H.ブルースに依拠しつつつ「〈父の名〉の後に誰が来るか?」という論文にて、次のような内容のことを記しているようだ(守中高明氏ツイートによる)。

「象徴的な法の単一性のシニフィアンであるところの〈父の名〉の権力の終焉」→「〈父-の-諸名〉」という「複数的なもの」への移行→〈父の名〉に「症状としての資格」を付与すること→「普通精神病においては、患者は象徴的組織化に欠如している例外の機能を自らに受肉しようとはしない」。

それでは「今日の〈父の名〉」とは何か:それは「正規分布の中央」「ポリティカル・コレクトネス」「コンセンサス」「エヴィデンスの保証」等であり、それが形成する「社会秩序」においては、「統計学的超自我」が支配し「曲線の中央値によって定義されるような凡庸さへの従属」が問題となる→そこから同氏(松本氏)の批判:しばしば「法の支配」を言う「本邦の恥ずべき首相」は「〈父の名〉の補足的なつくりものの一種」に過ぎず、しかも「つくりものとしても不十分」なことを自覚していない、と。

これも、マーク・ロスコから草間彌生への移行の変奏である。

上に記した文脈からいえば。われわれは、資本の欲動という「ゆっくり脈打っている形のない灰色の霧」の海に浮かぶ孤島として、「〈父-の-諸名〉」という「複数的なもの」になんとかあやうく頼りつつーージジェクには、「小さな〈大文字の他者たち〉little big Others」(”numerous little others or partial big Others”(Zizek=Tony Myers - 2004) としての「倫理委員会」,「小委員会」という言い方があるーー「ポリティカル・コレクトネス」「コンセンサス」等を大文字の他者の代替物として生きている、ということになる。

具体的な現象の例としては、大澤真幸の次の文が先ずはよいのではないか。

現代社会においては、伝統的な規範の枷がその効力を徐々に失い、原理的には、他者危害要件(他人に危害を及ぼさないという留保条件)さえみたしていれば、すべてが許されているように感じられるのである。つまり、少なくとも規範との関係でいえば、ほぼ完全な(消極的)自由が保証されているように見えるのだ。

だが、これと連動して、まったく逆方向の傾向も見出すことができる。すなわち、個人の幸福や厚生の水準の向上の名のもとに――つまり他者危害要件によって――、従来ではありえなかったような規範が急速に増大しつつあるのだ。(…)喫煙を限定する規制、望ましい食事を規定する規範、家庭内での暴力を禁止する規範、あるいはセクシュアル・ハラスメントやストーカー行為を禁止する規範などが、そうした規範に含まれる。(大澤真幸――『<自由>の条件』ーーラカン派による「現在の極右主義・原理主義への回帰」解釈

ーーもちろん、以上は(ひとつの)ラカン派観点からであり、別の見方もあるだろう。



2016年7月22日金曜日

女客と来た日には、顔とお作りを見せに来て、 給金なしで一しょに芸をしてくれる

思って御覧なさい。あなた方は軟い木を割る役だ。
誰を相手に書くのだか、目を開いて見て下さい。
退屈まぎれに来る客もあれば、
えらい馳走に逢った跡で、腹ごなしに来る客もある。
それから一番の困りものは
新聞雑誌を読み厭きてから遣って来る。
仮装舞踏へでも行くように、うっかりして駆け附ける。
その足を早めるのは、物見高い心持ばかりです。
女客と来た日には、顔とお作りを見せに来て、
給金なしで一しょに芸をしてくれる。
一体あなた方は詩人の高みでなんの夢を見ているのです。

ーーゲーテ『ファウスト』森鴎外訳

場中の様子は先刻見た時と何の変りもなかった。土間を歩く男女の姿が、まるで人の頭の上を渡っているように煩らわしく眺められた。できるだけ多くの注意を惹こうとする浮誇の活動さえ至る所に出現した。そうして次の色彩に席を譲るべくすぐ消滅した。眼中の小世界はただ動揺であった、乱雑であった、そうしていつでも粉飾であった。 

比較的静かな舞台の裏側では、道具方の使う金槌の音が、一般の予期を唆るべく、折々場内へ響き渡った。合間合間には幕の後で拍子木を打つ音が、攪き廻された注意を一点に纏めようとする警柝の如に聞こえた。 不思議なのは観客であった。何もする事のないこの長い幕間を、少しの不平も云わず、かつて退屈の色も見せず、さも太平らしく、空疎な腹に散漫な刺戟を盛って、他愛なく時間のために流されていた。彼らは穏和かであった。彼らは楽しそうに見えた。お互の吐く呼息に酔っ払った彼らは、少し醒めかけると、すぐ眼を転じて誰かの顔を眺めた。そうしてすぐそこに陶然たる或物を認めた。すぐ相手の気分に同化する事ができた。(夏目漱石『明暗』)

(La Loge. Pierre-Auguste Renoir)

二人の話はただ吉川夫人の双眼鏡に触れただけであった。お延はわざと手真似までして見せた。

「こうやって真ともに向けるんだから、敵わないわね」

「ずいぶん無遠慮でしょう。だけど、あれ西洋風なんだって、宅のお父さまがそうおっしゃってよ」

「あら西洋じゃ構わないの。じゃあたしの方でも奥さんの顔をああやってつけつけ見ても好い訳ね。あたし見て上げようかしら」

「見て御覧なさい、きっと嬉しがってよ。延子さんはハイカラだって」(同、漱石)




とはいえ、現代日本のクラッシック音楽演奏会では(形式的には)こういったことは少ないだろう・・・

実際コンサート・ホールという場にあっては、音楽はめったに人の心に届かないと彼はすでに感じていた。うとうとしている人々、終わったあとの食事を思い浮かべている人々、翌日になって演奏会に行ったと語るのが目的で来ている人々、彼らを除いてしまえば、ほとんど誰もいなくなる。ぬるま湯につかったような態度で音楽に接する人々や、音楽を聞きながら夢想や計算をやめずにいられる人々に比べれば、音楽に恐れをなして逃げ出してしまう人々のほうがよかった。(シュネデール『グレン・グールド paino solo』)

◆Southern Cross (Juan María Solare). Piano: Yuji Takahashi



人びとがあつまるとき、
行事であれ、儀式であれ、
ただ人びとが会うことの悦びのためであれ、
音楽がそこにあれば、楽しい。
それがなくても、人びとはあつまるが、
音楽は集いを、ともにあることのしあわせと、
ふかいやすらぎで飾る。
コンサートの語源は「合意にもちこむ」ということらしい。
争っていたものたちが和平を結ぶ場を想像してみれば、
そこには飲み食いがあり、唄があり、踊りがあり、
それらすべてが音楽ではなかったろうか。
いまコンサート会場には、飲み物食べ物はもちこめず、
踊る場所もなく、歩くことも、立つこともできず、
音楽家と、見物人に分かれ、区切られて、座っている。
それでも、コンサートは否定されるべきものだ、
と言うことはない。
コンサートは現実の場であり、そこに来る人たちがいる限り、観念で否定しても、なくなることはない。
それに替わるものがなければ、いくら貧しくても、
コンサートは音楽の場でありつづける。
別な場をつくりだすのは、音楽家のしごとではない。
人びとのあつまりかた、人間関係、社会が変わらなければ、
音楽の場は変わらないだろう。(高橋悠治「音楽の反方法論的序説」)

◆Yuji Takahashi plays Bach Six Partitas



ピアノは生活の手段だった。(……)ピアニストとみなされると、人が聞きたがるものを弾くことになる。バッハを弾いているとそればかり求められるが、日本では数十年前のグレン・グールドの代用品にすぎないから、弾くだけむだと最近は思うようになった。(……)

確信をもっていつも同じ演奏をくりかえす演奏家がいる。この確信は現実の音を聞くことを妨げる障害になるのではないかと思うが、感性のにぶさと同時に芸の傲慢さをしめしているのだろう。演奏が商品でありスポーツ化している時代には、演奏家の生命は短い。市場に使い捨てられないためには、いつも成長や拡大を求められているストレスがあるのかもしれない。(高橋悠治「ピアノを弾くこと」

◆Gould - Bach's bourree takes




家具になった音楽  高橋悠治

グレン・グールドが死んだ。クラッシック演奏のひとつの演奏はおわった。

現代のコンサートホールで2000人以上の聴き手をもつようなピアニストは、きめこまかい表現をあきらめなければならない。指はオーケストラ全体にまけない大きい音をだす訓練をうけ、小さな音には表情というものがないのもしかたのないことだ。容量のわずかなちがいによってつくられる古典的リズム感覚は失われた。耳をすまして音を聴きとるのではなく、ステージからとどく音にひたされていればいい耳は、なまけものになった。

音の技術が進む中で
1950年代にレコードがLPになり、テープ編集技術ができあがり、「電子音楽のゆめ」がうまれた。

どんな音もスタジオのなかでおもうままにつくり、くみあわせることができる、と音楽家たちはおもった。材料は自然の音にしろ、人間の声やピアノの音にしろ、聴き手がうけとるのは電圧の変化によるスピーカー膜の振動なのだから、どんな音も電子音の一種に変えられて耳にとどいている。おなじ空間のなかで、つくり手と聴き手がわかちあう音楽ではなく、聴き手のいないスタジオでうまれ、つくり手のみえないスピーカーからながれる音楽がある。音楽は密室の家具になった。テレビが映像をふくむ照明装置であるように。

グレン・グールドは、コンサートホールを捨てて、スタジオにこもった。なまの演奏の緊張と結果のむなしさに神経がたえられなかったのかもしれないが、それを時代の要求にしたてあげたのが、彼の才能だったのか。

グールドのひくバッハは、1960年代にはその演奏スタイルでひとをおどろかした。極端にはやいか、またはおそいテンポ、かんがえぬかれ、即興にみせかけた装飾音、みじかくするどい和音のくずし方。だが、それは18世紀音楽の演奏の約束ごとを踏みはずしてはいない。1970年代には古楽や古楽器の演奏にふれることもおおくなり、グールドの演奏も耳あたらしいものではなくなった。マニエリズムというレッテルをはることもできるようになった。

だが、1960年代のグールドのメッセージは、演奏スタイルではなかった。コンサートホールでは聴くことができない、ということに意味があった。おなじころ、グールドの住んでいた町、カナダのトロントからマーシャル・マルクーハンが活字文化の終わりを活字で主張していた。「メディアがメッセージだ」というのが時代のあいことばだった。

この「電子時代のゆめ」は、数年間しかもちこたえることができなかった。1968年がやってきた。プラハの町にソ連の戦車が姿をあらわし、フランスとドイツで若者たちが反乱をおこし、やがてベトナムはアメリカに勝つ。中国の文化革命もあらしを過ぎ、石油危機を通りぬけると、テクノロジー信仰も、それと対立するコミューンの実験を道づれにしてくずれおちた。次の世代には身をあずけられる原理も、すすむべき道ものこされていなかった。いまメディア革命やその反対側の対抗文化にしがみついている少数は、うしろめたさを感じないではいられないはずだ。いらなくなった文明が病気となって人間にとりついている。文明に反逆する人間も、おなじ病気にかかっている。どちらも船といっしょにしずむのだ。

われわれのしらない明日がやってくる。そこにたどりつこうとしてはいけない。明日やってくる人たちのために、今日のガラクタをしまつしておくのはいい。世界というからっぽな家をひきわたして、でていけばいいのだ。

マルクーハンが死んだときは、もう忘れられていた。グールドも「メディアとしてのメッセージ」の意味がなくなったあとは、演奏スタイルの実験をくりかえすことしかできなかった。レコードというかたちがあたらしくなくなれば、聴いたことのない曲をさがしだしてくるか、だれでもがしっている曲を、聴いたことのないやり方でひくしかない。どちらにしても、そういう音楽はよけいなぜいたくで、なくてもすむものだ。

あすへのつらい希望
音楽なんか聴かなくても生きていける。メッセージがあるとすれば、そういうことだ。クラッシク音楽が、聴き手にとってはとっくに死んだものであることに気づかずに、または気づかぬふりをして、まじめな音楽家たちは今日もしのぎをけずり、おたがいをけおとしあい、権力欲にうごかされて、はしりつづけている。音楽産業はどうしようもない不況で、大資本や国家が手をださなければなりたたないというのに、音楽市場はけっこう繁栄している。これほどのからさわぎも、そのななから、人びとにとって意味のあるあたらしい音楽文化をうみだすことに成功してはいない。

グレン・グールドは50歳で死んだ。いまの50歳といえば、まだわかい。だが、かれの死ははやすぎはしなかった。

かれだけではない。だれが死んだって、やりのこしたしごとなどないだろう。しごとの意味の方がさきに死んでしまっている。どこかでそれとしりながら、しごとを続けているのがいまの音楽家の運命だ。こういう仕事をしていれば、いのちをすりへらしても当然だ。

音楽というものがまだほろびないとすれば、明日には明日の音楽もあるだろう。だが、それを予見することはわれわれのしごとではない。いまあるような音楽が明日までも生きのびて明日をよごすことがないとおもえばこそ、音楽の明日にも希望がもてるというものだ。音楽家にとってつらい希望ではあっても。(讀賣新聞 1982年10月21日付け夕刊のグールド追悼記事)

…………

さて、ここで引用の文脈の腰を折って、デュシャンを持ち出す。

デュシャンが「泉」と題して便器を美術展に提示したとき、彼は芸術を芸術たらしめるものが何であるかをあらためて問うたのだが、それはまさにカントが提起したポイントの一つであった。すなわち、物をそれに対する日常的諸関心を括弧に入れて見ること。もう一つのポイントは、美的判断には普遍性が要求されるにもかかわらずそれがありえないということ、われわれが普遍的と見なすものは歴史的に形成された「共通感覚」にもとづいているということである。(柄谷行人『トランスクリティーク』岩波定本 P.172)



超越論的態度は暗黙に「括弧に入れよ」という命令をふくんでいる。たとえば、私は先にデュシャンが便器を美術館に展示したことについてふれた。その場合、彼はそれを芸術として見ること、つまり、日常的関心を括弧に入れることを命じてはいない。しかし、それが美術展に置かれているということが、人にそれを美術として見ることを「命令」しているのであり、そのことに人は気づかないのだ。同様に、超越論的な視点がそのような「命令」をはらんでいることが忘れられている。のみならず、超越論的な視点そのものが一つの命令に促されているということが。そのことは、超越論的視点そのものがどこから来るのかと問うとき、明らかになる。それは根本的に「他者」にかかわっている。超越論的視点そのものが倫理的なのだ。(同上 P.181)




いや、ひょっとしたら、わたくしの愛する古代キクラデス諸島の彫刻 と同じくらい美しいかもしれない。





とはいえ、グレン・グールドと高橋悠治のバッハの美のわずかな差異よりは、より大きな差異があるようにみえないでもない・・・


…………



対象a は象徴的体系内部の非徴示的変調 non-signifying glitch であるにもかかわらず、それは、場のなかを埋め合わせるものとしての要素から形式的構造を分離する裂け目の背景においてのみ把握できる。ジャック=アラン・ミレールは最近、構造と変換の話題についてのこに裂け目を詳述した。彼はラカンの四つの言説の母体を取り上げる。そこでは、時計回りとは逆の動きで、四つの用語のそれぞれ(主体―$、主人のシニフィアン―S1、知識の連鎖―S2、対象―a)が、構造における(代理人、他者、真実、生産物)の四つの場すべてを占めていく。いかになにかが不変であり、同時に何かが変わるかの事例である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)




 ※参照:ラカンの「四つの言説」における「機能する形式」

何が不変なのだろうか? 場、関係性と場のあいだの関係性である。何が変化するのかは、それらの場を占める用語である。……これは、われわれにまさにこう言い得ることを許してくれる。すなわち、構造において、変形は置換である、と。また置換による発話は、構造を力動的にさせる方法、試みであると。さらに言い得ることは、一と多を分節化するためのある構造的な解決だと。場は固定されており、そして用語の置換により、われわれはヴァリエーションを得る。この(固定された)構造的場と、これらの場を占める(変化する)用語のあいだの相違は、その場の用語のフェティシュな凝固作用を崩すために決定的である。それはわれわれに気づかせてくれる、ある範囲までは、対象から発するアウラは対象の直接的な特性ではなく、それが占める場であるということを。

この場への依存の古典的な例は、もちろん、マルセル・デュシャンのよく知られた小便器である。それは、小便器自体が展示されることによってアートの対象となった。デュシャンの成果は、たんに、アート作品においてなにが重要とされるか(小便器でさえも)の範囲を拡げたことになるのではない。

彼がなしたことはーーそのような普遍化の形式的条件としてーー、対象とそれが占める(構造的な)場のあいだの区別の導入である。すなわち小便器をアート作品とするのは、それに内在する特性ではなく、それが占める場(アートギャラリイ)なのである。あるいはマルクスが遠い昔に商品フェティシズムに関して言ったように、「ひとびとはある人を王とみなすのは、彼が王だからではない。人々が彼を王とみなすから、彼は王なのだ」ということだ。

日常生活において、われわれはこの種の具象化の犠牲者なのである。すなわち、われわれは純粋な形式的あるいは構造的決定性を対象の直接の特性として誤認する。これがデュシャンの展示会におけるまったく正当的なある挑発を想像できる理由である。すなわち観客が小便器に向けて放尿しはじめるという場面。驚いた傍らの見物人が、ここはアートギャラリーですよ、トイレではありません、と彼に注意を促す。彼は応じる、「おお、あなたは分かっていない。私がアート作品の展示空間に入り込めば、私の行動もパフォーマンスになるのだよーー私がしたことは下品な脱崇高化じゃないんだ。私は単にアートの崇高な空間に新しい内容物を満たしただけさ…」。(同ジジェク、2012) 

たとえば、デュシャンの遺作 Étant donnés の狙いは、究極的には、覗き見のパフォーマ―になることではないだろうか。





鍵穴を覗き込む窃視者は、自分自身の見る行為に没頭しているが、やがて突然背後の小枝のそよぎに、あるいは足音とそれに続く静寂に驚かされる。ここで窃視者の視線は、彼を対象として、傷つきうる身体として奈落に突き落とす眼差しによって中断される。(コプチェク『女なんていないと想像してごらん』)





すなわち、ここには、《女客と来た日には、顔とお作りを見せに来て、 給金なしで一しょに芸をしてくれる》ーーということの現代版があるのではないだろうか。




2016年7月21日木曜日

価値形態論と例外の論理

権力のフェティシズム(ジジェクによる柄谷行人吟味)」補遺。

…………

【商品の価値形態の自己言及的な体系】

それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成している獅子や虎や兎やその他すべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個体的化身が存在しているようなものである。(マルクス『資本論』)

…………

普遍性と構成的例外の論理は、三つの段階において展開されるべきである。

(1)まず、普遍性への例外がある。どの普遍性も特殊な要素を含んでいる。その要素は、形式的には普遍的次元に属しているにもかかわらず、突出しており、普遍的次元にフィットしない。

(2) 次に、普遍性のどの特殊な例あるいは要素も、例外であるという洞察が来る。「標準的な」特殊性はない。どの特殊性も突出している。それは、普遍性の観点からは、過剰/欠如している(ヘーゲルが示したように、存在するどの国家も「国家」の概念にフィットしない)。

(3) 次に弁証法プロパーのひねりが来る。例外への例外である。それはいまだ例外であるが、唯一の普遍性としての例外・要素である。その要素の例外は、普遍性自体に直接な繋がりがある。それは普遍性を直接的に表す(ここで注意しておこう、この三つの段階はマルクスにおける価値形態論と共通していることを)。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)


◆THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE Slavoj Zizek、2002

セミネールXXにて、ラカンは「非全体 pas-tout の論理」と普遍性を構成する「例外の論理」を展開した。

(普遍性に属する要素の)シリーズ series とその例外のあいだの関係性のパラドックスとは、たんに「例外が普遍的規則を基礎づける」という事実にあるのではない。すなわち、どの普遍的シリーズもある例外の除外を含んでいる--例えば、すべての男は譲渡することのできない権力を持っている。狂人、犯罪者、未開人、無教養者、子供等の例外を除いて--という事実にあるのではない。

正当的弁証法の核心は、むしろある意味で、シリーズと諸例外は直接的に一致するいうことだ。シリーズは常に「諸例外」のシリーズである。すなわち、ある例外的な質を示す実体のシリーズであり、それがシリーズに所属するための資格を付与する(英雄の、我々のコミュニティのメンバーの、真の市民の、等々のシリーズ)。

思い起こそう、標準的なスケコマシ male seducer の女性征服リストを。どれも「例外」である。どの女も、特殊な「言葉で言い表しえないもの je ne sais quoi」のために誘惑される。そしてこの女性のシリーズは、まさに例外的な人物像のシリーズである。(私訳)


注)《私はこの点をアレンカ・ジュパンチッチとの会話に負っている。もう一つ例を挙げよう。ここにはまた、ジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ボーヴォワールとのあいだの「開かれた結婚」関係の袋小路がある。

彼らの書簡を読むことから明瞭になるのは、二人の「パック」は、事実上、非対称的であり機能していないということだ。それはボーヴォワールに数々のトラウマを引き起こした。彼女は期待した、サルトルは他の愛人の「シリーズ」を持つにもかかわらず、彼女は「例外」、唯一の本当の愛の関係だと。

他方、サルトルにとっては、ボーヴォワールは「シリーズ」のなかの唯一の女ではなかった。彼女は、まさに諸例外の一人だった。サルトルのシリーズは、女たちのシリーズであり、どの女も彼にとっては「例外的な何か」だった。》

…………

◆柄谷行人によるマルクス価値形態論の説明(『トランスクリティーク』2001)。

価値形態論は次のように展開されている。先ず、「単純な価値形態」において、商品Aの価値は商品Bの使用価値によって表示される。そのとき、商品Aは相対的価値形態、商品Bは等価形態におかれている。マルクスは単純な価値形態を次のような例で示している。

(相対的価値形態)    (等価形態)
二〇エレのリンネル =   一着の上衣


この等式が示すのは、二〇エレのリンネルは、自らに価値があるということができず、一着の上衣と等値されたあとで、はじめてその自然形態によって価値を示されるほかない、ということである。一方、一着の上衣は、いつでも前者と交換できる位置にいる。等価形態が、一枚の上衣にあたかもそれ自身のなかに交換価値(直接的交換可能性)が内在しているかのように見えさせるのだ。《商品が等価形態にあるということは、その商品が他の商品と直接に交換されうるという形態にあるということなのである》(『資本論』第一巻第一篇第一章第三節)。

貨幣の謎はこうした等価形態にひそんでいる。マルクスはそれを商品のフェティシズムと呼んだ。むろん、この単純な等式においては、一着の上衣がつねに等価形態にあるわけではない。二〇エレのリンネルもまた等価形態に立ちうるからである。

《もちろん、リンネル20エレ=上衣1着 あるいは、二〇エレのリンネルは一着の上衣に値するという表現は、上衣1着 =リンネル20エレ あるいは一着の上衣は二〇エレのリンネルに値するという逆の関係も、含んではいる。だが、そうではあるけれど、上衣の価値を相対的に表現するには、この等式を逆にしなければならず、そしてそうすると、たちまち上衣にかわってリンネルが、等価になるのである。したがって同じ商品が、同じ価値表現で、同時に両方の形態え登場することはできないのである。両形態は、むしろ対極的に排除しあうのだ。

いまや、ある商品が、相対的価値形態にあるか、それとも対置された等価形態にあるかは、もっぱらそれが価値表現において、そのつど占める位置に、つまりその商品が自分の価値が表現される商品であるか、それとも自分に価値が表現される商品であるかに、かかっている。》(『資本論』第一巻第一篇第一章第三節)

大切なのは、或る物が商品であるか貨幣であるかは、それがおかれた「位置」によるということである。或る物が貨幣となるのは、それが等価形態におかれるからである。その或る物は、金や銀であろうと、相対的価値形態におかれるときは、商品である。《相対的価値形態と等価形態は、たがいに依存しあい、交互に制約しあう不可分の要因であるが、しかし、同時に、互いに排斥しあう、あるいは対置される両端である》(同前)。単純な価値形態においては、リンネルは相対的価値形態にあるのか等価形態にあるのか決定できない。具体的にいうと、リンネルの所有者がリンネルと上着を交換したとき、リンネルで上着を買ったと考えているなら、リンネルは等価物であるが、他方、上着の所有者は上着でリンネルを買ったと考える。つまり、上着等価物であるということがありうるのである。

つぎに、形態Ⅱ「拡大された価値形態」は次のようなものである。



ここでは、リンネルは上着以外の多くの物と交換される。しかし、この場合でも、リンネルが相対的価値形態にあるのか等価形態にあるのかはまだ決定できない。それが決定されるのは、形態Ⅲ、「一般的な価値形態」が形成されるときである。



このとき、リンネルは一般的等価物となる。いいかえれば、それのみが購買力(直接的交換可能性)をもつ。それとともに、他のものが等価形態に立つことができなくなる。平たくいえば、貨幣でないすべての商品は、買われることはあっても買うことができなくなるのである。この第三の形態の形成は、ホッブスが『レヴァイアサン』で述べた社会契約と似ている。マルクス自身、それを「商品間の共同事業」と呼んでいる。
第四の形態、「貨幣形態」は「一般価値形態」の発展としてある。しかし、貨幣形態の核心はすでに一般形態において示されているので、ここでは述べない。大事なのは、このような発展を歴史的な発展と混同してはならないことである。マルクスは、その逆に、より発展した形態がおおいかくすものを超越論的=系譜学的な遡行によって見いだしているのである。貨幣形態においては、金や銀のみが一般的な等価形態の位置を占め、他のすべての物は相対的価値形態におかれる。その結果、次のように考えられてしまう。


一商品は、他の諸商品が自分らの価値を全面的にこの一商品で表わすがゆえに、はじめて貨幣になるとは見えないで、逆に、この一商品が貨幣であるがゆえに、他の諸商品が自分らの価値を一般的にこの一商品で表わす、というように見えるのだ。

過程を媒介する運動は、運動そのものの結果のなかに消えさっていて、何らの痕跡もとどめていないのだ。諸商品は、自分では何もしていないのに、自分自身の価値の姿が、自分の外に、自分と並んで存在する商品体として、感性されているのを見いだすわけである。この物は、金や銀は、地球の奥底から出てきたままで、同人あらゆる人間労働の直接の化身なのである。だからこそ、貨幣の魔術が生ずるのだ。》(『資本論』第一巻第一篇第二章)


貨幣形態が消してしまうのは価値形態そのものである、といってもいい。つまり、或る物を貨幣あるいは商品たらしめる、その「形式」が見失われる。その結果、重商主義者や重金主義者がそうであったように、金そのものに特別な価値があるかのように考えられてしまう。一方、古典派経済学者(スミス、リカード)はそれを否定し、それぞれの商品に内在的な価値があり、貨幣はたんにそれを表示しているだけであると主張した。この考えに基づいて、リカード左派やプルードンらは、貨幣を廃棄して、労働証票や交換銀行を作ることを構想した。マルクスがいう貨幣形態において、金がレヴァイアサンであるとするならば、古典派はそのような絶対王権体制を倒して、それをいわば立憲君主制にした、といってよい。さらに、その意味では、社会主義者たちは、商品の民主主義体制を作ろうとしたといってよい。つまり、彼らは貨幣=王なしにすまそうとしたのである。
しかし、それは本当に貨幣=王を揚棄することではない。たとえば、絶対主権者(絶対王政)を倒して出現した国民国家において、人民主権が唱えられるが、そのような人民がすでに絶対王政によって輪郭づけられたものだということが忘れられている。人民はすでに国家の人民なのである。同様に、商品を残しておいて貨幣を否定するのはおかしい。商品も貨幣と同様に価値形態いおいてはじめて存在するのである。したがって、古典派経済学において貨幣が無視されているということは、貨幣形態、すなわち、価値形態が無視されているということにほかならない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)


◆ホップス「レヴァイアサン」をめぐる箇所

……マルクスが『ブリュメール一八日』で明らかにしたのは、代表制議会や資本制経済の危機において、「国家そのもの」が出現するということである。皇帝やヒューラーや天皇はその「人格的担い手」であり、「抑圧されたもの(絶対主義王権)の回帰」にほかならない。

絶対主義王権においては、王が主権者であった。しかし、この王はすでに封建的な王と違っている。実際は、絶対主義的王権において、王は主権者という場(ポジション)に立っただけなのだ。マルクスは、金は一般的な等価形態におかれたがゆえに貨幣であるのに、金そのものが貨幣であると考えることを、フェティシズムとよんだ。そのとき、彼は、それを次のような比喩で語っている。《こういった反省規定はおよそ奇妙なものである。たとえば、この人が王であるのは、ただ他の人々が彼に対して臣下として振舞うからでしかない。ところが、彼らは逆に、彼が王だから、自分たちは臣下なのだと信じているのだ》(『資本論』第一巻第一篇第三章註)。しかし、これはたんなる比喩ではなくて、そのまま絶対主義的な王権に妥当するのである。古典経済学によって重金主義が幻想として否定されたのと同様に、民主主義的なイデオローグによって絶対主義的王権は否定された。しかし、絶対主義的王権が消えても、その場所は空所として残るのである。ブルジョア革命は、王をギロチンにかけたが、この場所を消していない。通常の状態、あるいは国内的には、それは見えない。しかし、例外状況、すなわち恐慌や戦争において、それが露呈するのだ。

たとえば、シュミットが評価するホップスについて考えてみよう。ホップスは主権者を説明するために、万人が一人の者(レヴァイアサン)に自然権を譲渡するというプロセスを考えた。これはすべての商品が一商品のみを等価形態におくことによって、相互に貨幣を通した関係を結び合う過程と同じである。ホップスはマルクスの次の記述を先取りしている。《最後の形態、形態 Ⅲにいたって、ようやく商品世界に一般的・社会的な相対的価値形態が与えられるが、これは、商品世界に属する商品が、ただ一つの例外を除いて、ことごとく一般的等価形態から排除されているからであり、またそのかぎりでのことである》(『資本論』第一巻第一篇第三節C)。すなわち、ホップスは国家の原理を商品経済から考えたのである。そして、彼は主権者が、貨幣と同様に、人格であるよりも形態(ポジション)において存するということを最初に見いだした。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

…………

※付記:蓮實重彦のポジション批判の叙述

王殺しなどかつては起こりはしなかったかのごとくに振る舞いながら、記憶喪失に徹すること。また一方で、忘れられた王殺しにもかかわらず、空位になった王座に誰もが自分を位置づける権威だけはあると確信すること。その二つの契機が、あらゆる人に、自分が始めたわけでもない遊戯の終わりを予言する資格を賦与することになるのだが、そのとき未来形に置かれている動詞はすぐさま過去形に混同され、何れにしても終わりを潜在的な主題とするいくつもの短い物語を生産する。その主題を潜在的な領域におしとどめておくことも二重の倒錯を健康ととり違えることに有効かもしれない。(蓮實重彦『物語批判序説』)
説話論的磁場。それは、誰が、何のために語っているのかが判然としない領域である。そこで口を開くとき、人は語るのではなく、語らされてしまう。語りつつある物語を分節化する主体としてではなく、物語の分節機能に従って説話論的な機能を演じる作中人物の一人となるほかないのである。にもかかわらず、人は、あたかも記号流通の階層的秩序が存在し、自分がその中心に、上層部に、もっと意味の濃密な地帯に位置しているかのごとく錯覚しつづけている。

近代、あるいは現代と呼ばれる同時代的な一時期における自我、もしくは主体とは、この錯覚に与えられたとりあえずの名前にすぎない。(蓮實重彦『物語批判序説』)
ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなければならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

※参照:蓮實重彦による il n'y a pas d'Autre de l'Autre




権力のフェティシズム(ジジェクによる柄谷行人吟味)

民主主義についてのカントの限界は、貨幣のアンチノミー(我々は、《「貨幣があってはならない」」と「貨幣がなければならない」というアンチノミー》(柄谷行人、p455)という X が必要だ)についての柄谷行人の「超越論的」解決法の限界と相同的である。柄谷が権力にこの解決法を再適用するとき(我々はある中心化された権力が必要である。しかし、「権力」自体であるところの実体にフェティシズム化されない権力が必要である)、ーーそして彼がマルセル・デュシャンとの構造的相同性をあからさまに持ち出すとき(対象が芸術作品になるのは、その固有の属性ではなく、シンプルに構造のなかのある場を占めることによってだ)ーー、クロード・ルフォールの民主主義理論化と完全に合致しないだろうか? すなわち、権力の場はもともと空虚であり、選挙で選ばれた代表によって一時的に占められるのみであるという政治的秩序としての民主主義の理論化と。

この線に沿えば、柄谷の、選挙と「くじ引き」よる選択を組み合わせるという一見エキセントリックな提案は、その印象よりは伝統的なものだ(柄谷自身、古代のギリシアに言及している)。逆説的にそれは、ヘーゲルの君主制理論と同じ機能を実現する。

ここで柄谷は英雄的なリスクを取っている。それは、ブルジョア独裁とプロレタリア独裁とのあいだの相違の気違いじみた crazy‐sounding 定義を提案することによってである。《もし匿名投票による普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョア的な独裁に形式であるとするならば、くじ引き制こそプロレタリア独裁の形式だというべきなのである》。このようにして、《中心は在ると同時に無いといってよい》。すなわち、空虚な場、「超越論的統覚 X」として存在し、確たる能動的な実体としては存在しない。

しかし、「権力のフェティシズム」を掘り崩すためには、これで本当にじゅうぶんなのだろうか? ふつうの個人が権力の場を占めることを一時的に許されたとき、権力のカリスマが彼に授けられる。フェティシュの否認の標準的な論理に従いつつ、である。「私はよく知っている。これは私と同じようなふつうの人物だと。でもそれにもかかわらず…(権力のなかにあるとき、彼は超越的な力の道具となり、権力が彼を通して話し行動する)!」

これやカントの解決法ーー形而上学的命題(神、不死、等々)は、「抹消の下に」仮説として強く主張されるーーの一般的な母体に合致しないだろうか? したがって、真の課題は、権力の場の神秘性そのものを取り除くことではないだろうか。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

ラカンの弟子オクターヴ・マノーニの古典的論文『よく知っているが、それでも……』のフェティシズムの論理は、「よくわかっている、しかし、それでも……」という形式において、「それでも……」以下に語られる無意識的信念へのリビドーの備給を示すフェティシズムの定式である(「母さんにペニスがないことは知っている、しかしそれでも……[母さんにはペニスがあると信じている]」)、--というもの。

これを権力のフェティシズムに結び付けて語れば、次の通り。

物事は私の目の前に映った通りだということはよくしっている。私の目の前にいるのは堕落した弱虫だ。それにもかかわらず私は敬意をこめて彼に接する。なぜなら彼は裁判官のバッジ(ファルス:引用者)をつけているので、彼が話すとき、法が彼を通して語っているのだ。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

…………

◆柄谷行人による「くじ引き」叙述の箇所

……われわれはアテネの民主主義から学ぶべきことが一つある。アテネの民主主義は、僭主制を打倒するところから生れたと同時に、僭主制を二度ともたらさないような周到な工夫によって成立している。アテネの民主主義を特徴づけるのは議会での全員参加などではなく、行政権力の制限である。それは官吏をくじ引きで選ぶこと、さらに、同じくくじ引きで選ばれた陪審員による弾劾裁判所によって徹底的に官吏を監視したことである。実際、こうした改革を成し遂げたペリクレス自身が裁判にかけられて失脚している。要するに、アテネの民主主義において、権力の固定化を阻止するためにとられたシステムの核心は、選挙ではなくくじ引きにある。くじ引きは、権力が集中する場に偶然性を導入することであり、そのことによってその固定化を阻止するものだ。そして、それのみが真に三権分立を保証するものである。かくして、もし匿名投票による普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョア的な独裁の形式であるとするならば、くじ引き制こそプロレタリア独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無いといってよい。すなわち、それはいわば「超越論的統覚X」(カント)である。

一方、アテネ民主主義システムから多くを学んだにもかかわらず、プルードンはブルジョア的普通選挙を批判したとき、それをくじ引き同然だといって非難している。しかし、くじ引きは選挙を否定するものではなく、むしろ選挙を真に活かすために不可欠である。代表者選挙においては、代表するものと代表されるものが固定的に分離されてしまうが、コンミューンにおける選挙も結局はそうならざるをえないだろう。決まっておなじ人が選ばれることになり、また内部的な派閥が生み出されることになる。とはいえ、全部をくじ引きで決めることは無意味であり、結局、それ自体が否定されてしまう結果になるだろう。たとえば、アテネでも、軍人はくじ引き制にもとづいていない。ただ、将軍を毎日交替させることで、権力の固定化を阻止したのである。今日、くじ引きが採用されるのは、陪審員や、誰がやってもよく、そして誰もがやりたがらないようなポストに関してのみである。つまり、くじ引きは、能力が等しいか、あるいは能力が問われない時にのみ採用される。しかし、くじ引きを採用すべき理由はその逆である。それはむしろ選挙を腐敗させないため、また、相対的に優れた代表者を選ぶためである。

それゆえ、われわれにとって望ましいのは、たとえば、無記名(連記)投票で三名を選び、その中から代表者をくじで選ぶというようなやり方である。そこでは、最後の段階が偶然性に左右されるため、派閥的な対立や後継者の争いは意味をなくす。その結果、最善でないにせよ、相対的に優れた代表者が選出されることになる。くじに通った者は自らの能力を誇示することができず、くじに落ちた者も代表者への協力を拒む理由がない。このような政治的技術は、「すべての権力は堕落する」などという陳腐な省察とはちがって、実際に効力がある。このように用いられるとき、くじ引きは、長期的に見て、権力を固定させることなく、優秀な経営者・指導者を選ぶ方法である。くりかえすが、われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提とすべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない。労働者の自主管理や生産協同組合においても、この問題は消滅しない。特に資本制企業と競争しなければならないとき、それらは大なり小なり資本制企業の組織原理を採用するか、さもなければ消滅するかを迫られる。であれば、最初から、ハイアラーキー(位階)が存在することを前提しておくべきである。ただ、それが各人の合意によって成立し権力の固定化が生じないように、選挙とくじ引きを導入すればよい。

ところで、国家と資本に対抗する運動は、それ自身において、権力の集中する場に偶然性を導入するというシステムを導入していなければならない。そうでなければ、こうした運動は、それが対抗するものと似たようなものになるほかはない。他方、集権主義的なピラミッド型組織を否定するところから始まった、様々な市民運動は、逆に、離散的で断片的なままの離合集団に留まっている。そして、結局、議会政党の票田となるだけである。そうであるかぎり、それらが資本と国家に対して、有効な対抗をなしうるとは思えない。しかるに、もしこのような政治的技術を導入すれば、中心化をすこしも恐れる必要はないのだ。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

※補遺:価値形態論と例外の論理


2016年7月20日水曜日

岩井克人版「人間の真のパートナーは、言語、法、貨幣」

交換価値とは、人と人とのあいだの関係である、というのが正しいとしても、それは物という外被におおわれた関係、ということをつけくわえる必要がある。(マルクス『経済学批判』)

――コミュニケーションとは、人と人とのあいだの関係である、というのが正しいとしても、それは言語という外被におおわれた関係、ということをつけくわえる必要がある。

・貨幣とは、言語や法と同様に、純粋に「共同体」的な存在である。

・貨幣共同体とは、伝統的な慣習や情念的な一体感にもとづいているのでもなければ、目的合理的にむすばれた契約にもとづいているのでもない。貨幣共同体を貨幣共同体として成立させているのは、ただたんにひとびとが貨幣を貨幣として使っているという事実のみなのである。

・貨幣で商品を買うということは、じぶんの欲しいモノをいま手にもっている人間が貨幣共同体にとっての「異邦人」ではなかったということを、そのたびごとに実証する行為にほかならない。いささか大げさにいえば、それは貨幣を貨幣としてあらしめ、貨幣共同体を貨幣共同体として成立させた歴史の始原のあの「奇跡」を、日常的な時間軸のうえでくりかえすことなのである。(岩井克人『貨幣論』)

もちろん、岩井克人が「貨幣」が「共同体」的なものとしているとしても、次のマルクスの言葉と矛盾しているわけではない。

商品交換は、共同体の終わるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まるのだ。しかし物は、ひとたび共同体の対外生活において商品となれば、たちまち反作用的に共同体の対内生活でも商品となる。(マルクス『資本論』)



ーー表題を、「人間の真のパートナーは、言語、法、貨幣」としたが、法も貨幣も、結局「言語」だろう。

とはいえ、こうは引用しておこう。

貨幣を言語と比較することも、これ(貨幣を血液と比較すること)におとらずまちがっている。(……)類推は言語のうちにあるのではなく、言語の異国性 Fremdheit のうちにある。(マルクス『グルントリセ』)
…主体の最も深刻な疎外は、主体が我々に彼自身について話し始めたときに、起こる。

Car c'est là l'aliénation la plus profonde du sujet de la civilisation scientifique ele sujet commence à nous parler de lui (Lacan,Ecrits, 281)

ラカンにとっての疎外とは、同一化のことである。この「疎外」は言語との同一化によって起こる。《ここには、パロールを妨害する言語の壁がある[Ici c'est un mur de langage qui s'oppose à la parole]》 (Ecrits, 282)

…………

言語、法、貨幣の媒介があって、個々の人間ははじめて普遍的な意味での人間として、お互いに関係を持つということが可能となります。

言語があるからこそ、生活体験をともにしてこなかった他人とも、同じ人間としてコミュニケーションが可能になります。

また、法があるからこそ、個人の腕力や一族の勢力が異なった他者であっても、同じ場所で生活することが可能になります。

そして、貨幣があるからこそ、どのような欲望をもっているか知らない他人とでも、交換をするが可能になります。

人格の問題は、このようなお互いが関係を持つことができる人間社会が成立した中で、はじめて発生することになります。

そして、そこではじめて二重性(ヒトであってモノである)をもった存在としての人間が出てくるのだろうと思います。(岩井克人『資本主義から市民主義へ』、2006)

資本主義は、人間の本性に根ざしています。

つまり、自己とは一個の他者ということであるなら、人間は自分の身体をあたかも他者の身体のように所有する存在ということになります。

このこと(所有の概念)が、(資本主義)社会の起源になっているということです。

われわれを人間にしている言語、法、貨幣というのは、人間の遺伝子の中には書き込まれたものではありません。

言語、法、貨幣を扱う能力は遺伝子に入っているはずですが、言語そのもの、法そのもの、貨幣そのものは遺伝子には入っていません。

つまり、言語、法、貨幣は、人間にとって外部の存在であり、他者ということになります。

個々の人間にとっては、遠い過去から連綿とつづいている外部(他者)ということです。

フロイトにいわせれば文化ということになります。

個々の人間にとっては外部(他者)になるのですが、われわれの一番の根底にあるものといえます。

人間を人間とする言語、法、貨幣が個々の人間にとっては外部の存在(他者)であるということが、つまり根源的な発想になるということです。

しかも人間を人間とするこれらの言語、法、貨幣は、人間社会がなくなれば消えてしまうという自己循環論法というか、相互連関にあります。

相互依存はするけれども、お互いにとってはそれぞれが外部(外部)ということです。

どちらにも完全に還元は出来ません。(同上)

後期のヴィトゲンシュタインが強調したように、記号(言語)の意味とはその「使用」である。実際、ソシュールとパースの対立は、記号の使用を記号モデルの 外に置くか内に据えるかの違いに解消される。それは、前者においては記号同士の全体論的な関係を呼び起こし、後者では一つの記号を他の記号で置き換えてい く解釈項を作動させることになる。いずれの場合も、モノの標識という意味づけを失った記号は、他の記号との関係の中に投機的に導入され、その使用を通して 自らの意味を事後的に確定していくより他はない。それゆえ、記号の意味とは本質的に「投機的」であり、必然的に「再帰」(自己実現)の問題を抱え込むこと になる。記号についての考察とは、窮極的に、記号の再帰の困難さについての考察に他ならないのである。

田中氏は本書の結語で、人間は記号の再帰を自然に処理しているのに対し、コンピュータは「再帰が苦手」であり、その発展は再帰をどう扱うかにかかっている と述べている。だが、ここで評者の考えを差し挟むならば、実は、人間も記号の再帰が苦手である。人間とは言語や法や貨幣といった記号を媒介として初めて実世界に関わり、社会関係を築ける存在である。ファシズムやポピュリズム、官僚主義や全体主義、恐慌やハイパーインフレといった人間世界の危機状況は、すべ て記号の再帰の困難さの現れである。人間の運命も記号の再帰をどう扱うかにかかっているのである。(岩井克人書評2010:『記号と再帰』―― 記号論の形式・プログラムの必然)
21世紀──言語と法と貨幣が生み出す社会の「危機」はさらに激しさを増すはずです。……おそらく人間は、言語や法や貨幣といった異物の介入を嫌悪し、知り合ったもの同士が身を寄せ合っていた、小さく安定していた共同体的な集団に回帰したい願望を、本能的に持っているはずです。だが、……もはや閉じた小さな社会への後戻りは不可能です。すでに人間は「自由」なるものを知ってしまったからです。

自由への欲望は無限です。人間が自由を求める限り、言語と法と貨幣の媒介が必要になります。自由を知った社会的生物としての人間は、いくら母胎回帰の願望が強くても、見知らぬもの同士が同じ人間として関係し合える「人間社会」の中で生きていかざるをえません。そして、それが、必然的に生み出していく人間社会の「危機」を、その場その場で一つ一つ解決していくよりほかにないのです。(岩井克人『経済学の宇宙』2015)

…………

もっともこれらはラカン派が「言語」というときと、視点が(やや)異なる(参照:人間に「死の欲動」があるのは、言語を使うせいじゃないか?

《どうだろう、人間が動物を凌駕するのは暴力の能力の点においてである理由が、まさに言語を使うせいだったら?》(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)

我々は動物がけっしてしないことをするように見える。我々は、我々がそうあるべきだと思っている標準、絶対的な標準、規範、水準に照らし合わせて、享楽を判断している。標準や基準は、動物界にはない。標準などは言語によってのみ可能となる。言い換えれば、言語は、我々が得ている享楽が標準には達していない、基準に達していない、そうあるべきものではない、と思わせるのだ。

言語は、我々に「言う」ことを可能にする、我々が種々の方法で得ている満足は取るに足りないもので、別の満足、より良い満足、決して我々を裏切らない満足、決して期待外れに終わらず、失望させない満足があると。我々はかつて一度でもそのような期待通りの満足を経験することができただろうか? 大抵の人にとっては、おそらく「否」だろう。だが、そのことは信じることを止めはしない、きっとそのような満足があるに違いない、何かより良いものがあるに違いない、と。たぶん我々は、ある他の集団ーーユダヤ人、アフリカ系アメリカ人、ゲイ、女性ーーにその徴を見ると考えるかもしれない。そして憎悪したり羨望したりする。たぶん、我々はある集団にそれを投影するのだ。というのは、我々はそれが存在すると信じていたいのだから(私はここでレイシズムやセクシズムなどの全ての局面を、このひどく単純化した形式で説明するつもりは毛頭ないことを断っておく)。

いずれにせよ、我々は、何かより良いものがあるに違いないと思い、何かより良いものがあるに違いないと言い、何かより良いものがあるに違いないと信じる。そのように何度もくり返しして言うのだ、我々自身に、あるいは友人に、さらには分析家に。そうすることによって、我々はこの他の満足、この〈他者〉の享楽に一貫性を与える。結局、それにとても大きな一貫性を与えることそのものが、我々が実際に得ている享楽はひどく不十分なものに見えてしまうことに導く。そのため、我々のもつ僅かな享楽は、更に先細りになってしまう、我々がひどく重要だと思い込んでいる享楽の理想との比較によって、いっそう色褪せてしまうのだ。そして我々はその享楽を決して諦め切れない。(Bruce Fink“Knowledge and Jouissance”2002)
本源的なアタッチメントは、身体の上に言語の痕跡を刻印することである。根本的出来事・情動の痕跡化の原理は、誘惑ではない。去勢の脅かしでもなく、愛の喪失でもない。両親の性交の目撃でもなく、エディプスでもない。そうではなく、言語との関係である。(……)

情動の痕跡を生みだす出来事の総合的定義は、フロイトがトラウマと呼んだものである。トラウマ化とは、それが快原理の失敗した効果によって生みだされる限りで、快原理の規範に従って消し去りえない要素である。すなわち、トラウマは、快原理の統制の失敗を引き起こす。情動の痕跡の根本的出来事は、次のようなものだ…それは、身体のなか、精神のなかに、興奮の過剰を持続させるもの・再吸収されえないもの。我々は、ここで、トラウマ的出来事の総合的定義を得る。それは、言存在 parlêtre のその後の人生において痕跡を残すものである。 (Miller, J.-A. (2001). The symptom and the body event (Trans. B. Fulks).)

※さらに、ここでは触れえなかった側面については、「われわれを途方にくれさせる「構造主義者」マルクスとラカン」を見よ


2016年7月19日火曜日

主体の生活の真のパートナーは、人間ではなく言語自体である

ある子供が怪我をして、泣き喚く。すると、大人たちがその子に話しかけ、叫ぶことを教え、さらに後に、文を教える。彼らは子供に、痛いときの新しい振る舞い方を教えるのである。  

「すると、『痛み』という語は実際には泣き喚くことを意味していると仰有るのですか?」――逆である。すなわち、痛みの言葉による表現は、泣き声の代わりなのであって、それを記述しているのではないのだ。 (ウィトゲンシュタイン『探究』244)

…………

私はここで、Jean-Louis Gault の談話に言及しようと思う。それは、主体のパートナーに関するものだ。彼は言う、主体の生活の真のパートナーは、実際は、人間ではなく言語自体である、と。あなたがたは、主体のなかに、他者たちの世界の独自の谺を観察しうる。…しかし、あなたがたは、それらの他者たちによって生み出された烙印のような何かを持っている。とすれば、事実上、それは言語との基本的な関係のような何かである。人間との関係ではない。(Ordinary Psychosis Revisited Jacques-Alain Miller ,2008、PDF
法の病理は、法との最初の遭遇から、主体のなかに生み出される。私がここで法と言っているのは、制度的あるいは司法的な意味ではない。そうではなく、言語と結びついた原初の法である。それは、必然的に、父の法となるのだろうか? いや、それは何よりもまず母の法である(あるいは、母の代役者の法)。そして、ときに、これが唯一の法でありうる。

事実、我々は、この世に出るずっと前から、言語のなかに没入させられている。この理由で、ラカンは我々を「言存在parlêtre」と呼ぶ。というのは、我々は、なによりもまず、我々を欲する者たちの欲望によって「話させられている」からだ。しかしながら、我々はまた、話す存在でもある。

そして、我々は、母の舌語のなかで、話すことを学ぶ。この言語への没入によって形づくられ、我々は、母の欲望のなかに欲望の根をめぐらせる。そして、話すことやそのスタイルにおいてさえ、母の欲望の刻印、母の享楽の聖痕を負っている。これらの徴だけでも、すでに我々の生を条件づけ、ある種の法を構築さえしうる。もしそれらが別の原理で修正されなかったら。( Geneviève Morel ‘Fundamental Phantasy and the Symptom as a Pathology of the Law',2009、PDFーー「お父さんのようにはならないで下さいお願いだから」)

後期ラカンは、フロイトの「無意識」という言葉を「言存在parlêtre」に置き換えている。« le sujet se supportant du parlêtre, qui est ce que je désigne comme étant l'inconscient »(S.23)

※Jacques-Alain Miller も Geneviève Morel も言語の物質性をふくめて「言語」と言っているはず(参照:純シニフィアンの物質性

…………

人間は自分じしんの歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつくるのである。死せるすべての世代の伝統が夢魔のように生ける者の頭脳をおさえつけている。またそれだから、人間が、一見、懸命になって自己を変革し、現状をくつがえし、いまだあらざりしものをつくりだそうとしているかにみえるとき、まさにそういった革命の最高潮の時期に、人間はおのれの用をさせようとしてこわごわ過去の亡霊をよびいだし、この亡霊どもから名前と戦闘標語(スローガン)と衣装をかり、この由緒ある扮装と借物のせりふで世界史の新しい場面を演じようとするのである。かくてルッターは使徒パウロに仮装し、一七八九年から一八一四年までの革命はローマ共和国とローマ帝国の衣裳をつぎつぎに身にまとい、そして一八四八年の革命は、あるときは一七八九年をもじり他のときは一七九三年から一七九五年にいたる革命的伝統をもじるぐらいのことしかできはしなかったのである。(マルクス『ルイ・ポナパルドのブリュメール一八日』)

ーーこの時期の諸党派を支配していたのは、過去の亡霊であり観念であった。彼らは現にやっている行為をそれらの言葉で了解していたのであり、すなわち言葉が彼らを支配していたのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

…………

《われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念なのである。》(プルースト)

「知った人に会う」とわれわれが呼んでいる非常に単純な行為にしても、ある点まで知的行為なのだ。会っている人の肉体的な外観に、われわれは自分のその人についてもっているすべての概念を注ぎこむ。したがってわれわれが思いえがく全体の相貌のなかには、それらの概念がたしかに最大の部分を占めることになる。そうした概念が、結局相手の人の頬にそれとそっくりなふくらみをつくり、その鼻にぴったりとくっつけた鼻筋を通してしまい、その声に、それがいわば振動する二つの透明な膜にすぎないかのように、さまざまなひびきのニュアンスを出させることになるのであって、その結果、われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念なのである。

なるほど、私の一家の人たちは、自分で組みたててしまったスワン像のなかに、彼の社交生活の無数の特徴をふくませることを、その事情に暗いために、怠ってしまった、一方他の人たちは、そんな特徴を知っていたから、彼のまえに出たとき、エレガンスが彼の顔に領域をひろげていて鷲鼻のところで自然の境界のようにストップしているのを、目にとめたのであった、しかしまた、私の一家の人たちは、彼の威信を落としている、空虚な、だだっぴろいその顔のなかや、彼の評価をさげているその目の奥に、私たちが田舎のよい隣人として生活していたあいだ、毎週私の家の夕食後に、カルタ・テーブルのまわりや庭で、彼といっしょに過ごしたひまな時間の、漠然とした、甘美な残留物――なかばは記憶、なかばは忘却――を沈殿させることができたのであった。

私たちのこの友人の肉体の膜は、そうした残留物や、また彼の両親に関するいくつかの回想で、ぎっしり詰まっていたから、そんなスワンがかえって生きた完全な存在のようになってしまったのだし、またそののち私が正確に知ったスワンから、私の記憶のなかで、この最初のスワンに移るときには、一人の人物とわかれて、それとは異なるもう一人の人物のところへ行くような印象を私はもつのである。この最初のスワンーーそんな彼のなかに私は自分の少年時代のかわいらしい過失を見出すのであるが、その彼はまた、のちのスワンよりもむしろこの当時に私が知った他の人々に似ているのであって、この人生にあっては、あたかも一つの美術館のように、そこにあるおなじ時代の肖像画はすべて同一の調子をもち、同一家族のように見えるものなのだーーこの最初のスワンは、ひまな時間に満ち、大きなマロニエの匂、フランボワーズのかごの匂、タラゴンの若芽の匂をただよわせていた。(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)

→ 岩井克人版「人間の真のパートナーは、言語、法、貨幣」


2016年7月18日月曜日

「芸能人」と「政治家」が置かれる同一構造の場

個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(マルクス『資本論』第一巻「第一版へのまえがき」1867年)

私は仕事のための場をふたつもっている。ひとつはパリに、そしてもうひとつはいなかに。二ヶ所に、共通の品物はひとつもない。何ひとつとして運んだことがないからだ。それにもかかわらず、これらふたつの場所は同一性をもっている。なぜか? 用具類(用紙、ペン、机、振子時計、灰皿)の配置が同じだからである。空間の同一性を成立させるのはその構造なのだ。この私的な現象を見ただけでも十分に、構造主義というものがはっきりわかるだろう。すなわち、体系は事物の存在より重要である、ということだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)

諸関係、体系、--すなわち構造が、個人の「アイデンティティ」を作る。

たとえば、芸能人と政治家、場合によってはジャーナリストは同じ構造の場に置かれている。




三宅洋平 ‏@MIYAKE_YOHEI

昭恵さんは、その場で総理と俺を繋いでくれた。「立場は各々ながら、国を思い世界を憂う国士として同じ気持ちだと思っています。選挙では多少口を荒らしましたが、失礼します。」と伝え「大丈夫です、それが選挙ですから」と。



岡崎乾二郎 ‏@kenjirookazaki

@MIYAKE_YOHEI  君に会うことで寛容を誇示したのは安倍夫妻である。それを歓迎した君は自身の小人物、人間ラシサという欺瞞への弱さを示した。この欺瞞と闘ってきたはずの君は裏切られた者たちに代わって『あなたを人間として絶対信じることはできない』というべきだったのではないか?
情にほだされ、ナアナアに騙される芸術家多すぎる。人間味を感じさせない芸術家はつまらないが情を知りつつ、その情を毅然と断ち切るのが芸術のディグニティだろう。ならば、そこに何者にも流されず、自律的判断があるという信頼も確保されうる。芸術家自ら情に溺れることは結局は外部の排除を意味する

ーーとくにコメントはない・・・

さて話を元に戻せば、文学者や芸術家でさえ、出発点がかりに異なることが多いとはいえ、芸能人と同じ構造の場に置かれてしまうことがある。

芥川賞を初め、文学賞受賞作と受賞後第一作との相違を次のように定式化することができる。受賞作にあるあらゆる萌芽的なもののうち、受賞第一作においては、受賞によって光を当たられた部分が突出しているとーー。しばしば、受賞作にある豊穣さは第一作においては単純明快化による犠牲をこうむっている。(中井久夫「創造と癒し序説」『アリアドネからの糸』所収)

《あきらかなことだが、われわれを連れ去ろうとする人たちは、はなばなしくもそうぞうしい外観の花火により、賞賛により、侮辱により、皮肉により、恥辱により、威嚇によって、われわれの注意をおびえさせ、疲れさせ、がっかりさせることからまずはじめる。》(アラン『プロポ』)

…………

何度もくりかえし引用しているが、もっともわかりやすい説明としてクンデラの叙述をふたたび掲げる(参照:「manque à être(存在欠如)」としての「承認欲望」の必然

クンデラは他者の眼差しの四つのカテゴリーを次ぎのように記している。

《誰もが、誰かに見られていることを求める。どのようなタイプの視線の下で生きていたいかによって、われわれは四つのカテゴリーに区分される。》(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)。

【第一のカテゴリー】

第一のカテゴリーは限りなく多数の無名の目による視線、すなわち別のことばでいえば、大衆の視線に憧れる

クンデラはこのように書き、そこでその小説の登場人物の例があげられている、《これはドイツの歌手、アメリカの女優、それにまた、大きなあごをした編集者のケースである.。彼は自分の読者に慣れており、ある日ロシア人が彼の週刊新聞を廃止したとき、百倍も薄い大気の中に残されたように感じた。何人〔なんびと〕も、知らない人びとの目という視線を彼におぎなってやることはできなかった。彼は息がつまるように思えた。するとある日のこと、たえず警察につけられ、電話が盗聴され、それどころか路上で密かに写真を撮られていることに気がついた。無名の目が突然いたるところで彼と共にあり、彼はふたたび息をふきかえすことができた。幸福になった! 壁に仕込まれたマイクに芝居のせりふのように話しかけた。警察の中に失われた大衆を見出したのである》、と。

もちろん、このカテゴリーには「政治家」も含まれる。

例えば政治家になる道を選ぶ人間は、その人間が大衆の好意を得るという、素朴でむき出しの信仰を持って、自らすすんで大衆を自分の判定者にする。

【第二のカテゴリー】

第二のカテゴリーは、生きるために数多くの知人の目という視線を必要とする人びとから成る。この人たちはカクテル・パーティや、夕食会を疲れを知らずに開催する。

――そして、《この人たちは大衆を失ったとき、彼らの人生の広間から火が消えたような気持ちになる第一のカテゴリーの人たちより幸福である。このことは第一のカテゴリーの人たちのほとんどすべてに遅かれ早かれ一度はおこる。それに反して第二のカテゴリーの人はそのような視線をいつでも見つけ出す》、と。


【第三のカテゴリー】

次に愛している人たちの眼差しを必要とする、第三のカテゴリーがある。この人たちの状況は第一のカテゴリーの人の状況のように危険である。愛している人の目が、あるとき閉ざされると、広間は闇となる。

――こう書かれ、そして彼の小説の主人公の二人の名があげられる、《この人たちの中にテレザとトマーシュが入る》と。


【第四のカテゴリー】

そしてもう一つ、そこにいない人びとの想像上の視線の下に生きる人たちという、もっとも珍しい第四のカテゴリーがある。これは夢見る人たちである。

――ここでも小説の登場人物の名があげられる。

・《フランツ。彼はただサビナのためにのみカンボジア国境まで歩を運んでいる。バスはタイの道路をがたがたと走り、フランツは彼のことをじっと見ているサビナの長い視線を感ずるのである。》

・《トマーシュの息子。……憧れを抱く目はトマーシュの目である。署名運動にまき込まれた後、彼は大学からほうり出された。彼がつき合っていた娘は田舎の仔細の姪であった。彼女と結婚し、集団農場のトラクター運転手、カトリック信者、父親になった。そのあと誰かから、トマーシュも田舎に住んでいることをきき、喜んだ。運命が二人の人生をつり合のとらた道へと導いた! このことが、トマーシュへ手紙を書かせる勇気を与えた。返事は要求しなかった。ただトマーシュが視線を彼の人生にあてることだけを欲した。》

…………

以下、最も標準的だと思われるアイデンティティ論を付記(参照:「アイデンティティ」という語の濫用/復活

◆ポール・ヴェルハーゲ、2013の「アイデンティティ」レクチャア冒頭の私訳。

ーーPaul Verhaeghe“ Identity, trust, commitment and the failure of contemporary universities”


【あなたは誰?】

私的な質問から始めさせて下さい、「あなたは誰?」と。これは昔からある問いです。そしてことさら現代では、答えるのにとても難しいものです。どうして難しいのかといえば、アイデンティティとはどのようなものかについて、全く間違った考え方が見出されるからです。数多くの歴史的理由で、私たちは考えています、私たちのアイデンティティとは、なにか実体的なもので、私たちのなかに深く根ざしたほとんど不変のエッセンスのようなもの、生得の、遺伝的、などなどの何かだと。私は最初から私自身であり、その後いささかの変化はあるにもかかわらず、私は、生涯、私自身のままだろう、と。

これは完全に間違っています。あなたはその考えから、出来るだけはやく逃れれば逃れるほどよいでしょう。これが間違っているのを明らかにする最も簡単な仕方は、養子について考えてみることです。インドのラジュスタンで生まれた女児で、スウェーデン人の親によってウプサラで育ったのなら、スウェーデンの女性になります。同じ子どもがフランス人の親の養子になりパリで育ったのなら、パリジェンヌになります。逆もまた真です。おそらくいっそう受け入れがたいでしょうが。もしあなたが、赤子として、スーダンのムスリムカップルによって養子にされてハルツームで育ったのなら、あなたはスーダンアイデンティティをもつようになります。つまり、あなたはまったく異なった誰かになります。

結論としては、アイデンティティとは構築 construction に帰着するのです。そこでは文化が決定的な役割を果たします。これは私たちに別の二つの問いをもたらします、どうやって構築されるのか、そしてこの構築の内容はなんなのだろう、と。この問いに答えるための十分な科学的根拠があります。そこには二つの過程が働いています。すなわち同一化 identification と分離 separation です。


【同一化】

同一化は今ではミラーリング mirroring(鏡に反映すること・鏡像化)と呼ばれます。そして、それは同一化を言い換えるとても相応しい仕方です。このミラーリングは私たちの生の最初の日から始まります。赤子はお腹がへったり寒かったりして泣き叫びます。そして魔法のように、ママが現れます。彼女は心地よい声を立て、赤ちゃんに話しかけます、彼女が考えるところの、なにが上手くいってないのかを乳児に向けて語り、彼女自身の顔でその感情を真似てみせます。このシンプルな相互作用、何百回とくり返される効果のなんと重要なことでしょう。私たちは、何を感じているのか、なぜこの感情をもつのか、そしてもっと一般的には、私たちは誰なのか、を他者が告げ私たちに示してくれるのです。空腹とオシメから先に進み、世話をやく人から子どもへのメッセージは、すぐに、よりいっそう入り組んだものになり、かつ幅広くなります。

幼児期以降、私たちは継続的に、なにを感じ、なぜそう感じ、これらの感じをどのように取り扱うか、取り扱うべきでないかを教えられています。私たちは聞くのです、良い子なのかいたずらっ子なのか、美しいのか醜いのか、おばあちゃんのように頑固なのか、パパのように賢いのか、と。同時に、自分のカラダや他人のカカラダで何ができて何ができないのかを聞かされます(すこしは大人しく座ってなさい! あなたの弟にかまいすぎないで! ダメよ、耳にピースなんてしたら!)。こういったことすべては、私たちは誰で、どうすべきで、どうすべきではないかを明らかにします。


【母の鏡に映るグラン・ナラティヴ】

どの心理学理論も認めています、これらの乳幼児と母のあいだの最初のやり取り、そして子どもと親たちのあいだのそれの重要性を。それはアイデンティティの構築のためのものなのです。とはいえ、この重要性はある片寄った観点を導き入れます。私たちは忘れがちになってしまうのです、両親はただ彼ら自身が受け取ったもののみを鏡に反映するということを。彼らのメッセージは無からは生まれません。私たちの家族は、自分の文化、ーー地方の、宗教の、国民の等々ーーの重要な考え方を鏡に反映させるのです。物語や考え方、それは、家族や私たちが所属する社会階級、わたしたちがその部分である文化によって、私たちに手渡されるのですがーー、こういったものすべての「鏡像」が、混じりあって、象徴的秩序、より大きな集団の偉大なる語り the Great Narrative を作り上げるのです。それが多かれ少なかれ共通のアイデンティティを生みます。より多くの語り(ナラティヴ)が共有されれば、よりいっそう私たちは似たもの同士になります。

この共有された語りの重要性は計り知れません。というのは、それは私たちの存在の関するexistential 問いに答えてくれるからです。「真の」男とはなに? あるいは「真の」女とは? 男女の関係はどうあるべきか? キャリアと親であることの場と意義とはなんだろう? 男にとってと、女にとっての違いは? 権威への態度はどうあるべきか? どうやって取り扱うべきか、性、病い、死を? 私たちは答えを探すなか、象徴秩序 symbolic order や偉大なる語りたち the great narratives に頼ります。それは複数形です。というのは、異なった語りがあり、異なった答えがあるからです。たとえばあなたがスウェーデンで育ったなら、デンマークで育った誰かとは異なります。鏡に反映されるものがやはりわずかにでも異なるのですから。より高いレベルでは、両者ともスカンジナビアンです。その意味は、南ヨーロッパ人とは異なるということです。さらに高いレベルでは、西ヨーロッパ人です。アメリカ人等々とは異なるということです。そして確かなことは、これは人種とはまったく関係ないことです。もう一度、養子について考えてみてください。

というわけで、私たちのアイデンティティの構成の最初の過程は同一化です。まだラテン語をご存知の方にとっては、アイデンティティと同一化は同じ語源を共有しているのがお分かりでしょう、“IDEM”の意味、それは、“同じ”、“相似”です。私たちは他者と同類になることによって己れのアイデンティティを築いてゆくのです。そしてこれはふつう気づかれていません、私たちは皆異なると思っているのです。(…)


【独立心という錯覚】

さて、「私はそうではない “I am not” 」と人が言うとき、私たち二番目の過程に導かれます。分離、それは相違を導入します。私たちは異なったようになります、というのは、初期の段階以降、私たちはある同一化のモデルを拒絶し、他のモデルを好むようになるからです。どの親も経験します、二歳のよちよち歩きの子どもがムズカシクなり、自分の意志を示すようになります。そのとき彼もしくは彼女が、同時に二つの新しい単語を発見するのは偶然ではありません。その単語とは、「イヤ no」と「自分 me」であり、とてもしばしば、その二語を組み合わせて使います。自立の要求がふたたびほとばしり出るのは思春期で、それはその時期のホルモン分泌の強度のなかでです。今度は独立心の錯覚を伴っています(ぼくが自分自身で決めるよ!)。ある範囲で、この独立心は錯覚なのです。というのは基本的には、分離は、ある同一化を拒絶し、他の代替を選ぶことに帰結するからです。その意味は別の鏡に反映させるということです。同一化と分離の組み合せが意味するのは、最初期から、私たちのアイデンティティは、類似と相違のあいだの天秤だということです。私たちは引き裂かれるのです、他者に溶け込む促しと、他者から距離をとる促しのあいだで。

最初の過程はいかにも逃れようがありません。二番目の過程はもっと自由があります。というのは自身で選択できるからです。注意しましょう、変化の可能性そのものが、まさに私たちのアイデンティティを構成する仕方なのです。変化は二つの方向からやって来ます。鏡が変わるかもしれないこと、あるいは私たち自身が異なった選択をすること。さてこれから以降の話は、現代の鏡に集中します。そしてその鏡が私たちのアイデンティティに齎すものについて。


【重要な他者と関係する私独自の仕方】

今度は、二番目の問いに関わります。私たちのアイデンティティの内容についてです。ここでふたたび、私は「私は誰なのか」についての直感的な考え方を訂正しなくてはなりません。個人主義のこの時代、私たちは数多くのパーソナリティーの特徴をもって、その質問に応答するでしょう。そして忽ち、それでは満足させてくれるものからほど遠いのを見出します。より格段に興味深く、かつ私たちのアイデンティティを表わすために訂正したほうがいいことは、数多くの鍵となる点における「私たちは誰なのか」――それを明らかにする基礎的な関係の見地です。

基本的に、「私が私である」のは、ある重要な他者と関係する私独自の仕方によります。もっと個別的に言うなら、私が他のジェンダーに関わる仕方、他の世代に、私の同僚に、そして最終的には、私自身に関わる仕方です。実に、幼児期以来受け取ってきたジェンダーのアイデンティティを鏡に映すことは、同時にジェンダーの関係を鏡に映すことでもあります。私の男性性は、いかに女性性に気づき学んできたかによって決定されます。もし私が女性をすべての悪の根源、私を罪に陥れるものと思い込んでいたなら、私は恐々とした、厳格な男ーー己れの煩悩に打ち勝つための闘争を女性に投影する男ーーになるでしょう。もし私が女性を優しく思いやりのある、けれども、支配的な存在だと感じていたなら、私はそこから永遠に逃れようと努める大きな息子 man-son になるでしょう。等々。これ等は、男と女の本質を定める努力の運命づけられた特質です。

ジェンダーの関係についての社会の信念は、二番目の重要な他者との係わりにそのすべてがあります。その他者と私たちは多かれ少なかれ継続的な関係を打ち立てます、その名は権威としての他者です。私たちの権威の形象 figure への態度は、私たちのアイデンティティの別の重要な部分を形作ります。批評的かつ反抗的? 服従的かつ支持的? 攻撃的かつ競争的? これもまた、私たちの同一化を通して獲得されたなにかです。私のアイデンティティの三番目の重要な内容は、私の同輩、はじめは兄妹、のちには同僚や隣人との関係にかかわります。嫉妬的? 支持的? 競争的? 私たちのほとんどは、同輩との関係の典型的な仕方を持っています、しばしば十分に、そして自らそれに気づかないままで。


【「私 me」を判定する「私 I」】

これらの三つの関係に、私たちのアイデンティティが構成される仕方を容易に認めることができます。でもまだ四番目があります。それは驚くかもしれませんが、私たち自身と持つ関係です。一見びっくりするように思えるかもしれませんが、それを描写するのはたいして難しくありません。毎朝、バスルームの鏡で、私たちは私たち自身と対話を交わすことから始め、それは終日続きます。私は私自身に怒っているかもしれません。喜んでいるかも、失望しているかも。というのは「私 me」を判定する「私 I」は、判定される「 私 me」とは異なった同一化を基盤にしているからです。「私たち自身 ourselves」への怒りや満足は、継続することもあり得ます。すると、それは自己嫌悪や自己愛 self-hatred or self-loveに導かれます。自己敬愛と自己尊重 self-esteem and self-respect の高い低い、等々。これらの語彙の接頭辞 ‘自己self' が生み出すのは、私たちのアイデンティティはある本質的な生得の個性を構成するという印象です。私たちは忘れています、そのような個性は、他者が私たちの振舞いを解釈し鏡に反映させる仕方によって決定されていることを。他者が決定するのです、私が私自身について考える仕方を。自己信頼、自己敬愛、自己尊重はよりよく理解されるでしょう、他者の信頼、他者の敬愛、他者の尊重というもともとの文脈で。すなわち、他者が私たちを信頼し、敬愛し、尊重した範囲が、私たちの自己信頼、自己敬愛、自己尊重に反映されるのです。


【地層にあるイデオロギーを基盤としたアイデンティティ】

こういうわけで、私たちのアイデンティティの内容は、重要な他者との継続的な関係というタームでもっともよく理解することができます。でも、これは、説明としては、いささか控え目すぎるようにきこえます。私はつけ加えなければなりません、なにかもっとリアルに響くような重要なことを。異性という他者、権威、同輩、そして最終的には私たち自身との関係は、けっして偏らないものではありません。権威の人物は、最初の段階で、私たちに告げます、私たちはなにができるのか、私たちの体や他者の体でなにができないのか、と。それは楽しみが犠牲にされたり、また犠牲にされなかったりします。こういったことすべては、していいこととしてはいけないことの議論へダイレクトに餌づけします。この意味で、規範や価値観は、私たちのアイデンティティの全面的なものなのです。そんなに昔のことではありません、こういった特徴が美徳という形で表現されたのは。たとえば、注意深さ、正義、自己コントロール、忍耐深さ。あるいは逆に基本的な悪として。たとえば、傲慢、強欲、好色、憤怒、等々。これは驚きをもって聞かれるかもしれない結論を引き起します。すなわち、私たちのアイデンティティは、個人の特徴の中立的な盛り合わせではけっしてないのです。そうではなく、私たちが同一化した(あるいは同一化しなかった)道徳的な、なにをするべきか、なにをすべきではないのかにすべてかかわるのです。

これが意味するのは、どのアイデンティティも地層にあるイデオロギーを基礎としているということです。そのイデオロギーという用語は、私がとても幅広く解釈する意味では、人間関係、そしてその関係を調節する異なった仕方についての考え方の集合体ということです。歴史は示してくれます、イデオロギーは他のイデオロギーに対抗して考案されることを。その結果、私たちのなかに他のイデオロギーに反対する思考態度を生み出します。異なった特色のある規範と価値観をともなう異なったイデオロギーは、異なったアイデンティティを決定づけます。考えてみてください、“本当の”社会主義者、“典型的な”カソリック、さらには“本当のフィンランド人”さえをも。言い換えれば、彼らのイデオロギーとそれに付随したアイデンティティは、重要な他者にむかっての、“標準的な”、あるいは“正しい”態度として見なされることの異なった解釈にあるのです。


【社会的動物としての人間】

さてここで、これまで説明してきたことを要約してみましょう。私たちのアイデンティティは構築物です。それは私たちの文化の支配的な語りを基礎としています。その語りとは、他の性、権威、私たちの同輩、私たち自身に向けて基本的な関係の立場を定めます。これはけっして中立的なものではなく、つねに倫理的に操られています。私は想像することができます、あなた方はこれらすべてにおいて遺伝学の場所について思いを巡らしているのを。答えはまったく単純です。遺伝子それ自体のレベルでは、私たちの心理学的なアイデンティティの内容が遺伝的に決定されているなんの証拠もないのです、けれども、この点に関して、格段に重要な別の遺伝的形質の形式があります。進化生物学は、私たちは社会的な動物であることを教えてくれます。その意味は、私たちは集団にて生きていくことになっていることです。もし私たちが独りだけになった社会種族を見出すのなら、可能な答えは二つしかありまでん。病気か、集団から追い払われたか。そしてふつうはその両方です。

霊長類の研究からの二番目の発見、なかんずくオランダの生物学者フランス・ドゥ・ヴァールFrans de Waal によれば、私たちは二つの異なった振舞いにあらかじめ配置されているのです。一方では、協調と連帯。他方では、競争的個人主義とエゴイズム。そして彼の調査から得られるさらにいっそう重要な結論があります。それは、どの振舞いが優位になるかを決定するのは環境だということです。

あなた方がこれらの二つの振舞いについて考えるのなら、アイデンティティの構築の二つの過程をその二つの振舞いに戻って見出すのはそんなに難しくはないでしょう。同一化は集団への傾向にかかわり、分離は個人主義の必要にかかわる、と。けれども、ーーふたたび強調しますがーー私たちはまずなによりも忘れるべきではありません、私たちが社会的動物であることを。フランス・ドゥ・ヴァールによる美しい実験があります、それは私たちの生得の公正への感情を明らかにしています。それは相互作用と感情移入のより大きな研究の部分です。あなた方は見るでしょう、それはすべてモラルについてなのです。すなわちアイデンティティについて、という意味です。

《みずからのトゲを抜こうとする努力》から、《むき出しの市場原理》への移行

柄谷行人)『資本論』で、マルクスは、ヘーゲルにしたがって、内部的な論理的発展として記述するんだけれども、ヘーゲルと違うのは、その都度の段階に、論理的には演繹できないような外部をその都度導入しているわけです。それがいわば歴史(出来事)ということですね。(……)

岩井克人)…それはマルクスのいちばん有効なヘーゲル批判だと思うんですね。歴史の出来事性というのは、じつは、資本の「論理」、ヘーゲル的な意味での「論理」ではない資本の「論理」があってはじめて可能になるんです。資本の「論理」の徹底的な形式性が同時に出来事性を生み出してしまうことになる。(『終りなき世界』柄谷行人・岩井克人対談集1990)

…………

現代思想・文芸という「支配的思想=支配階級の思想」」にて、柄谷行人の次の文を引用した。

「形式化」が、たんに形式/内容の逆転ではありえず、{(形式/内容)内容}という構図そのものの逆転であらざるをえないことが明らかになるだろう。そして、この逆転は、{(内容/形式)形式}に帰結するだろう。デリダのいう「自己再固有化の法則」とはこのことである。そして、彼自身が{(差異/同一性)同一性}という形而上学的な構造を根本的に逆転するかぎり、{(同一性/差異)差異}に帰着してしまわざるをえない。彼自身が「自己再固有化」におちいらないようにするために、再び従来の構図を必要とするのである。(柄谷行人「形式化の問題」『隠喩としての建築』所収ーー実存主義→構造主義→ポスト構造主義→ポスト・ポスト構造主義の変遷をめぐって

そして、{(差異/同一性)同一性}→{(同一性/差異)差異}という記述を、ラカン理論であるならば、{(非全体/例外 )例外}→{(例外/非全体)非全体}、デリダ的なら、{(女/男)男}→{(男/女)女}となるだろう、とした。

ここではこの想定をもう少し詳しくみてみることにする。

…………

以下、冒頭の文と同じく、『終りなき世界』柄谷行人・岩井克人対談集1990)より(岩井克人発言)。


【ふたつの資本主義】
じつは、資本主義という言葉には、二つの意味があるんです。ひとつは、イデオロギーあるいは主義としての資本主義、「資本の主義」ですね。それからもうひとつは、現実としての資本主義と言ったらいいかもしれない、もっと別の言葉で言えば、「資本の論理」ですね。

実際、「資本主義」なんて言葉をマルクスはまったく使っていない。彼は「資本制的生産様式」としか呼んでいません。資本主義という言葉は、ゾンバルトが広めたわけで、彼の場合、プロテスタンティズムの倫理を強調するマックス・ウェーバーに対抗して、ユダヤ教の世俗的な合理性に「資本主義の精神」を見いだしたわけで、まさに「主義」という言葉を使うことに意味があった。でも、この言葉使いが、その後の資本主義に関するひとびとの思考をやたら混乱させてしまったんですね。資本主義を、たとえば社会主義と同じような、一種の主義の問題として捉えてしまうような傾向を生み出してしまったわけですから。でも、主義としての資本主義と現実の資本主義とはおよそ正反対のものですよ。


【社会主義の敗北=主義としての資本主義の敗北】 
そこで、社会主義の敗北によって、主義としての資本主義は勝利したでしょうか? 答えは幸か不幸か(笑)、否です。いや逆に、社会主義の敗北は、そのまま主義としての資本主義の敗北であったんです。なぜかと言ったら、社会主義というのは主義としての資本主義のもっとも忠実な体現者にほかならないからです。

と言うのは、主義としての資本主義というのは、アダム・スミスから始まって、古典派経済学、マルクス経済学、新古典派経済学といった伝統的な経済学がすべて前提としている資本主義像のことなんで、先ほどの話を繰り返すと、それは資本主義をひとつの閉じたシステムとみなして、そのなかに単一の「価値」の存在を見いだしているものにほかならないんです。つまり、それは究極的には、「見えざる手」のはたらきによって、資本主義には単一の価値法則が貫徹するという信念です。

社会主義、とくにいわゆる科学的社会主義というのは、この主義としての資本主義の最大の犠牲者であるんだと思います。これは、逆説的に聞えますけれど、けっして逆説ではない。社会主義とは、資本主義における価値法則の貫徹というイデオロギーを、現実の資本家よりも、はるかにまともに受け取ったんですね。資本主義というものは、人間の経済活動を究極的に支配している価値の法則の存在を明らかにしてくれた。ただ、そこではこの法則が、市場の無政府性のもとで盲目的に作用する統計的な平均として実現されるだけなんだという。そこで、今度はその存在すべき価値法則を、市場の無政府性にまかせずに、中央集権的な、より意識的な人間理性のコントロールにまかせるべきだ、というわけです。これが究極的な社会主義のイデオロギーなんだと思うんです。


【資本の論理=差異性の論理】 
……この社会主義、すなわち主義としての資本主義を敗退させたのが、じつは、現実の資本主義、つまり資本の論理にほかならないわけですよ。

それはどういうことかというと、資本の論理はすなわち差異性の論理であるわけです。差異性が利潤を生み出す。ピリオド、というわけです。そして、この差異性の論理が働くためには、もちろん複数の異なった価値体系が共存していなければならない。言いかえれば、主義としての資本主義が前提しているような価値法則の自己完結性が逆に破綻していることが、資本主義が現実の力として運動するための条件だということなんですね。別の言い方をすれば、透明なかたちで価値法則が見渡せないということが資本の論理が働くための条件だということです。この意味で、現実としての資本主義とは、まさに主義としての資本主義と全面的に対立するものとして現れるわけですよ。

ーー柄谷行人の応答。《資本主義というものを「主義」ではないひとつの現実性として見、どんな「主義」も「イデオロギー」もそのなかに入ってしまうような「資本の論理」を解明しようとしたのは、マルクスですね。いわゆる「共産主義」というのは、国家資本主義的形態であって、世界資本主義の外部にあるのではない。つまりソ連圏というのは明らかに世界資本主義圏に属しているわけで、逆に言うと、ソ連圏を取ると、世界資本主義については充分には語りえないはずです。……》

※参照:ユートピアンとしての道具的理性instrumental reason主義者たち


以下、図式化してみることにする。

まず柄谷行人の言っていることはこうだった。



以下に岩井克人やラカン派の議論の図式化をするが、柄谷行人の次の叙述が全面的には当てはまりがたいところがある。ここでの図式化はとりあえずの試みである。

第二項は、「第一項/第二項」の対立に属すると同時に、第一項において不可避的に生じる「不両立関係」(パラドックス)を回避するために見出されるメタレベルであり、そしてこの上下(クラスとメンバー)の混同を禁止するところに、いわば「形而上学」がある。つまり、プラトン以来の哲学は、たんなる二分法によるのではなく、この対立がもつ自己言及的なパラドックスを“禁止”するところにあった。しかし、それはけっして“禁止”できない、というのは、それは形式的にコンシステントであろうとするかぎり、「決定不能性」におちいるからである。(柄谷行人「形式化の問題」『隠喩としての建築』)

さて、岩井克人の指摘する、1989年を境にした移行とは次のように図式化しうる。



資本の論理とは、別に資本の欲動、市場原理主義などと呼ばれるが、新自由主義、世界資本主義ともされ、非イデオロギー的イデオロギーとされる。

とすれば、次のように書き換えうる。




ラカンによって「主人の言説」から「資本家の言説」への移行と言われる内容を、例外の論理(男性の論理)と非全体pas-toutの論理(女性の論理)に置き換えて言えば、次のようになる。




ーーわたくしがこのように図式化するベースは次の記述による。

・女性の論理は、差異性、偶然性、単独性を強調する。

・男性的社会構造は、超越性と必然性のタームにて考え得る。主体にかんしての指導者やボス、父親、神、国等々の超越性と、これらの主体が如何に法と関わるかについてである。

・反対に女性的社会構造は、内在的かつ偶然的である。ここでの強調点は、断然に、絶えず流動的で変貌する関係性のネットワーク形式にある。これらのネットワークは、前世紀に大惨事を引き起こした集団的幻想と同じような怖るべき分岐形成物を生み出さない限りで、いっそう魅力的であるにもかかわらず、女性的ネットワークは、一連の他の問題を引き起こす。一方で、この社会的形式を基盤としたネットワークは、政治的闘争が決定的に難しい。というのは、敵がどこにいるのかはっきりしないからだ。(Levi R. Bryan,Surplus-jouissance, Desire, and Fantasy


ところでラカン主流派(ミレール派)では、「20世紀の神経症の時代から21世紀の精神病の時代へ」と言われる。これは臨床的デフォルトが、神経症から精神病へと移行したということである(あるいは抑圧から原抑圧への移行[参照])。

とすれば次のように図式化しうる。





人間の症状は、社会構造によって生まれる。超自我社会(父権制社会)の倫理(禁止と抑圧)によって神経症は生まれた。

その後、第一次世界大戦での西欧の父の危機、1968年の世界的な学生運動、1989年の冷戦の終わりを経て、現在のわれわれの社会がある。すなわち、《 自由、平等、所有そしてベンサム(Freiheit, Gleiheit,EigentumundBentham)》(マルクス『資本論』)の時代。ベンサム主義(経済の論理、効率の論理)とは非イデオロギー的イデオロギーの時代である。

この時代には抑圧はかつてのようなものではない。抑圧の斜陽の時代には「欲望のデフレ」が起こる。そのとき欲望の症状を裸にされた人間にあらわれるのは、原抑圧にかかわる「欲動」である。

同じように、1989年以降の資本の論理が母胎となった時代とは、資本の欲動の時代である。

資本の欲動という言葉は、ジジェクがひんぱんにくり返して口にしているが、ここではジジェクではなく柄谷行人から抜き出しておこう。

資本主義の原動力を、人々の欲望に求めることはできない。むしろその逆である。資本の欲動は「権利」(ポジション)を獲得することにあり、そのために人々の欲望を喚起し創出するだけなのだ。そして、この交換可能性の権利を蓄積しようとする欲動は、本来的に、交換ということに内在する困難と危うさから来る。(柄谷行人『トランスクリティーク』ーー「欠如と穴(欲望と欲動)」)

この移行とは、若い世代、ようするに人格形成期を1989年以降に送った世代にとっては、気づきにくい。資本の論理という非イデオロギーだからことさらだ。「聡明な」思想家・批評家でさえも、この資本の論理がデフォルトになってしまっており、批判の言葉が出るのはまれなように感じる。それは、我々の時代の「所与の“環境”」となっているには相違ないが、彼らは、母胎に目を配るのではなく、母胎の上での活動をしているだけのように見える。

…もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』1983)

ここで、この移行を敏感に感じ取った旧世代の「精神科医」の感慨を掲げておこう。ここには、《みずからのトゲを抜こうとする努力》の時代から、《むき出しの市場原理》の時代への移行という表現がある。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)

とはいえ、むき出しの市場の原理という母胎(分母)の上で、人はなんらかの抵抗をしているだろう。だが、それは釈迦の掌の上の闘いであり、逆に分母を強化してしまう場合がある。

要するに、「善い」選択自体が、支配的イデオロギーを強化するように機能する。(Levi R. Bryant PDFきみたちの「燻製ニシンの虚偽」)

ではどうしたらよいのか。

個人の症状について、という限りでにおいてだが、後期ラカン理論によれば、むき出しの症状(原症状)に直面したとき、その症状と同一化しつつも距離をとりなければならない、ということが言われる。

……s'identifier, tout en prenant ses garanties d'une espèce de distance, à son symptôme(Lacan,S.24)

この処方箋は、社会の原症状(資本の欲動)についてもある程度当てはまるはずだ。それは、バディウやジジェクなら新しい主人のシニフィアンの設置(コミュニズム仮説等)といい、柄谷行人からは統整的理念(世界共和国)の提案がある。貨幣の観点からメスを入れた、ビットコインなどや世界中央銀行提案などもこの考え方の文脈のなかにあるのかもしれない。

結局、イデオロギー的父の名(支配の論理)を取り払っても、我々はなんらかの新しい支えが必要である。支えとは、ラカン派観点なら、クッションの綴じ目 point du capiton という。

ポワン・ド・キャピトン point du capiton の凡その意味は次の通り。袋状にしたカバーのなかに羽毛や綿を詰めたクッションは、そのままでは、不安定で非一貫的である(中身がすぐに偏ってしまう)。「クッションの綴じ目」は、この詰め物の偏りを防ぐためのものであり、クッションの中央にカバーの表から裏まで糸を通し、糸が抜けてしまわないようにボタンをつけたりする。このボタンが、主人のシニフィアン S1 である。むき出しの市場原理の時代に直面して、「言葉を探さなければならない」などと言われたりすることは、このヴァリエーションのはずだ。

(冒頭に掲げた岩井克人=マルクスの《資本の「論理」の徹底的な形式性が同時に出来事性を生み出してしまう》という文にある「出来事」についても、ひょっとしたら、バディウの 「空虚」から生まれる mise-en-un (「一」への形成)--ラカンの「無からの創造」としてのサントーム=「一」のシニフィアン≒主人のシニフィアン S1の変種と読みうるかもしれない。《un événement de corps = sinthome》 Lacan,,AE.569,1975)

S1は理論的には次のようなことが言われるが、容易には機能しがたいだろうことはすでに実験済みーー日本でも柄谷行人によってーーだとさえいえる。

〈主人のシニフィアン〉とは何だろう?社会的崩壊の混乱状況を想像してみよう。そこでは、 結合力のあるイデオロギーの力はその効果を失っている。そのような状況では、〈主人〉は 新しいシニフィアンを発明する人物だ。そのシニフィアンとは、名高い「縫合点」、すなわち、状況をふたたび安定化させ、判読可能にするものである。 (……)〈主人〉は新しいポジティヴな内容をつけ加えるわけではまったくない。――彼はたんにシニフィアンをつけ加えるだけだが、突如として無秩序は秩序、ランボーが言ったような「新しいハーモニー」に変ずるのだ。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012,私訳)

最後に岩井克人の文章を付記しておく。

わたしたちは後戻りすることはできない。共同体的社会も社会主義国も、多くはすでに遠い過去のものとなった。ひとは歴史のなかで、自由なるものを知ってしまったのである。そして、いかに危険に満ちていようとも、ひとが自由をもとめ続けるかぎり、グローバル市場経済は必然である。自由とは、共同体による干渉も国家による命令もうけずに、みずからの目的を追求できることである。資本主義とは、まさにその自由を経済活動において行使することにほかならない。資本主義を抑圧することは、そのまま自由を抑圧することなのである。そして、資本主義が抑圧されていないかぎり、それはそれまで市場化されていなかった地域を市場化し、それまで分断されていた市場と市場とを統合していく運動をやめることはない。

二十一世紀という世紀において、わたしたちは、純粋なるがゆえに危機に満ちたグローバル市場経済のなかで生きていかざるをえない。そして、この「宿命」を認識しないかぎり、二十一世紀の危機にたいする処方箋も、二十一世紀の繁栄にむけての設計図も書くことは不可能である。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』

…………

※付記

「みずからのトゲを抜こうとする努力」の時代の機制については、中井久夫とともに、次のジジェクの叙述が水際立っている。

私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly、私訳)

…………

※追記

というわけではあるが、さて欧米的にはこういうことが言え、さらに日本でも資本の論理という面ではある程度は上に記したような移行はあるにしろ、文化的にはどうなのか。日本はもともと非イデオロギーの国ではなかったか・・・

ーーということについては、「見せかけの国 l'empire des semblants」と「ファルスの国 l'empire du phallus」 にいくらか記した。

日本では、思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考えがつよくて、 人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗教がないこと、ドグマがないことと関係している。 イデオロギー過剰なんていうのはむしろ逆ですよ。魔術的な言葉が氾濫しているにすぎな い。イデオロギーの終焉もヘチマもないんで、およそこれほど無イデオロギーの国はないんですよ。その意味では大衆社会のいちばんの先進国だ。ドストエフスキーの『悪霊』な んかに出てくる、まるで観念が着物を着て歩きまわっているようなああいう精神的気候、あ そこまで観念が生々しいリアリティをもっているというのは、われわれには実感できないん じゃないですか。

人を見て法を説けで、ぼくは十九世紀のロシアに生れたら、あまり思想の証しなんていい たくないんですよ。スターリニズムにだって、観念にとりつかれた病理という面があると思うんです。あの凄まじい残虐さは、彼がサディストだったとか官僚的だったということだけではなくて、やっぱり観念にとりつかれて、抽象的なプロレタリアートだけ見えて、生きた人間 が見えなくなったところからきている。しかし、日本では、一般現象としては観念にとりつか れる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想によって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。しかし、思想が今日明日の現実をすぐ動かすと思うのはまちがいです。(丸山真男、針生一郎との対談『丸山座 談5』)

言ってしまえば、日本という社会の構造は、基本的に非全体の論理が母胎にあり続けたのではないだろうか。すなわち上の図式化をくり返せば、次のような国だったのではないか。





もっとも明治維新以降、1945年までの「疑似一神教」の時代だけはいささか異なるという観点はあるだろう。だが、それは例外的な期間ではないだろうか。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。(……)

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)

柄谷行人は、かつて、コジューヴの日本文化論(日本的スノビズム)を語りつつ、《日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと》としている。

江戸文化とは、江戸幕府の基本政策によって醸成された。

江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」)

というわけで、近代日本社会とは《みずからのトゲを抜こうとする努力》をしたことがあったのだろうか、と問うてもよい。

日本は先進国である。ラカン派における21世紀の症状、「ふつうの精神病」(ミレール派)あるいは「ふつうの倒錯」(メルマン派)の、水際立った先進国である・・・




ということについても、柄谷行人がすでに1992年に指摘している(いささか精神分析用語の混乱はあるにしろ)。

……思想史が権力と同型であるならば、日本の権力は日本の思想史と同型である。日本には、中心があって全体を統御するような権力が成立したことがなかった。それは、明治以後のドイツ化においても実は成立しなかった。戦争期のファシズムにおいてさえ、実際は、ドイツのヒットラーはいうまでもなく、今日のフランスでもミッテラン大統領がもつほどの集権的な権力が成立しなかったし、実はその必要もなかったのである。それは、ここでは、国家と社会の区別が厳密に存在しないということである。逆にいえば、社会に対するものとしての国家も、国家に対するものとしての社会も存在しない。ヒットラーが羨望したといわれる日本のファシズムは、いわば国家でも社会でもないcorporatismであって、それは今日では「会社主義」と呼ばれている。

ところで、それは、もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。国学者の本居宣長が、中国的な思考に対して、日本の原理としてとりだしたのは、そうした生成である。しかし、それはニーチェがいうような生成ではない。また、構築のないところで、生成を唱えることには大して意味はない。

日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。フーコーは、精神分析の「抑圧」という概念に反対した。その意味では、日本には「抑圧」とそれが生み出す「主体」はない。しかし、ラカン的にいえば、「排除」があるというべきだろう。すなわち、それは原抑圧の失敗であり、去勢の否認である。日本の言説空間は、外からの原理による去勢を排除してしまった分裂病的な空間であるといえるかもしれない。見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。

日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。しかし、そのことに批判的にこだわることは、逆にそれに閉じこめられうことに帰結する。フーコーは「日本」を愛さなかった。そして、私がフーコーに共感するのは、具体的に「生」の形態を変える「自由」を楽天(ゲイ)的に求めようとしたことにおいてである。(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収)


2016年7月17日日曜日

カレ見てると「自分を祝福して、えらい人のように思う」わ

ふたたび、ゲーテのファウストの引用から始める(参照:「もし、美しいお嬢さん」)。

グレエトヘン(マルガレエテ)

今までは余所の娘が間違でもすると、
わたしもどんなにか元気好くけなしただろう。
余所の人のしたと云う罪咎を責めるには、
わたしもどんなにか詞数が多かっただろう。
人のした事が黒く見える。その黒さが
足りないので、一層黒く塗ろうとする。
そして自分を祝福して、えらい人のように思う

ーーゲーテ「ファウスト」森鴎外訳


古典的な心理的メカニズムとはいえ、グレエトヘンの口からきけるとは、思いの外だった(若いころ、ファウストに一度目を通したことがないではないが、完全な飛ばし読みであり、なんの印象も残っていない)。

さて、ここでフロイトとプルーストを並べて、マルガレエテの言葉と「ともに」読んでみよう。

……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。……(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))
……自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ」)

さらにニーチェをつけ加えてもよい。

およそあらゆる人間の運命のうち最も苛酷な不幸は、地上の権力者が同時に第一級の人物ではないことだ。そのとき一切は虚偽であり、ゆがんだもの、奇怪なものとなる。

さらに、権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」とーー(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部「王たちとの会話」手塚富雄訳)

この論理をいっそう展開させれば、民主主義のもとではーーその首長選択の選挙形態や国民性などにもよるがーー、我々は最下級の権力者を見出して自ら安堵するという傾向をもつ(場合がある)という見解さえも納得的に読むことができる。

アメリカ民主主義を特徴づける多元主義は、〈不能な他者〉への忠誠に基礎が置かれている。(コプチェク、Joan Copjec, Read My Desire. Lacan against the Historicists.1994)

これは主にロナルド・レーガンの事例を分析した叙述であり、コプチェクがここで言いたいのは、レーガンはまさに無能であるからこそ愛された〈王〉だったということだ。

ジジェクもレーガンやベルススコーニなどの例を挙げて、次のように記している。

(我々の時代において)直接的な野蛮性から「人間の顔をした」野蛮性への移行。ここで、「人間的、あまりに人間的な」指導者、ベルルスコーニという形象は決定的である。というのは、現在のイタリアは、我々の未来の実験工場だから。我々の政治的風景が、悲観的リベラルテクノクラシーと原理主義的ポピュリズムのあいだで分断されるなら、ベルルスコーニの「偉大な」成果は、この二つを統合したことである。彼は両方とも同時に捕えたのだ。

(…)古典的政治の尊厳は、市民社会における個別の利害の戯れを超えた「昇華」を基盤としている。すなわち、政治は、市民社会から「隔離されている」。政治は、中産階級を特徴づける私利私欲の相克とは対照的に「市民」の理想的地位として、自らを提示した。

ベルルスコーニは、この「隔離」を事実上廃棄した。現代イタリアにおいては、国家権力は、底に横たわる中産階級によって直接的に行使される。彼は、己れの経済的利益を保護するために、破廉恥で開けっぴろげに国家権力を食い物にする。そして、TV画面を眺める何百万の観衆の前で、下品な暴露ショーのスタイルにて、私的な結婚問題の汚れた下着を洗う。(……)

ロナルド・レーガン(そしてアルゼンチンのカルロス・メナム)は…「テフロン加工」の大統領であり、ポスト・エディプス的として特徴づけうる。すなわち、「ポストモダン」大統領は、もはや選挙の公約への一貫性にくそまじめになることさえ期待されない。したがって、批判に損なわれることはない(思い出そう、レーガンの人気は、ジャーナリストたちが彼の失策を列挙したことを受けて、公衆の前に現れるたびに、うなぎ上りになったことを)。

この新しい種類の大統領は、ナイーヴな高揚とほとんど無慈悲な不正操作を混淆させているように見える。

ベルルスコーニの下品な俗物性の賭金は、もちろん、彼が標準的なイタリア人の神話的イメージを具現化、あるいは上演する限りで、人びとが彼に同一化するだろうということだ。「私は、あなたたちのうちの一人だ。いささか堕落して、法律と面倒な関係にある。私は妻から転げ落ちた。というのは他の女にぞっこんになったからだ…」。(…)

たとえベルルスコーニが威厳のない道化だとしてもむやみにあざ笑わないことだ。たぶん彼を笑うことで、われわれはすでに術中に陥っている。ベルルスコーニの笑いはもっと不快で狂気じみた、バットマンやスーパーマン映画の敵役の笑いである。彼の支配の本質についての考察を得るには、『バットマン』に出てくるジョーカーが権力を持った場合を想像するべきだ。(ジジェク、ポストモダンの共産主義、2009、私訳ーー、一部、ネット上から拾えた箇所は、既存の訳を使用)

ーー《人びとが彼(ベルルスコーニ)に同一化する》とある。これは投影(投射)の考え方を主に言っている。

想像的同一化とは、われわれが自分たちにとって好ましいように見えるイメージへの、つまり「われわれがこうなりたいと思う」ようなイメージへの、同一化である。

象徴的同一化とは、そこからわれわれが見られているまさにその場所への同一化、そこから自分を見るとわれわれが自分にとって好ましく、愛するに値するように見えるような場所への、同一化である。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』1989)

もっともより精緻にーーラカン理論に依拠してーー言えば、次のような説明がなされる。

一般的には、理想自我は、自我の理想イメージの外部の世界(人間や動物、物)への投影 projection であり、自我理想は、彼の精神に新たな(脱)形成を与える効果をもった別の外部のイメージの取り込み introjection である。言い換えれば、自我理想は、主体に第二次の同一化を提供する新しい地層を自我につけ加える。(……)

注意しなければならないのは、自我理想は、必然的に、理想自我のさらなる投影を作り変えることだ。すなわち、一方で理想自我は論理的には自我理想に先行するが、他方でそれは避けがたく自我理想によって改造される。これがラカンが、フロイトに従って、次のように言った理由である。すなわち、自我理想は理想自我に「形式」を提供すると(セミネールⅠ)。 ( (ロレンツォ・キエーザ Lorenzo Chiesa 『主体性と他者性』Subjectivity and Otherness、2007)

ーーとはいえ、今はこの解釈に深入りすることはしない。 同一化には、取り込みと投影が混淆しているということをここでは示しておくだけにする。

さて、象徴的同一化の場合、その同一化の対象(人物)は、必ずしもすぐれた対象である必要はない。《そこから自分を見るとわれわれが自分にとって好ましく、愛するに値するように見えるような》対象であることが肝腎な場合が多い。

グレエトヘン(マルガレエテ)は、《余所の娘が間違でもすると、わたしもどんなにか元気好くけなしただろう》と言っていた。そして、《人のした事が黒く見える。その黒さが足りないので、一層黒く塗ろうとする。そして自分を祝福して、えらい人のように思う》ともあった。

ここにも《余所の娘》との象徴的同一化と類似したものがある、とわたくしは思う。それは一般に語られる同一化とはやや異なるが、いわば「憎むことを愛する」のと似たような機制が働いているはずだ。

フロイトの“無意識”とは、……まさに反射性のなかに刻みこまれる。例をあげよう。だれかこの私がヒッチコックの映画の悪党のような人物を“憎むことを愛する”。私は一見この悪役を憎むだけだ。にもかかわらず無意識的には私は(彼を愛しているわけではない、しかし)彼を憎むことを愛するのだ。すなわち、ここにある無意識とは、わたしは反射的に私の意識的な態度に関連させる方法なのだ。(あるいは逆のケースをあげよう。だれかこの私は“愛することを憎む”。フィルムノワールのヒーローは、悪魔的な宿命の女(ファムファタール)を愛さざるをえない、しかし彼女を愛することを彼自身は憎んでいる)。これがラカン曰くの人間の欲望はつねに欲望することを欲望することだの意味である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

フロイト起源の一般的な同一化のメカニズムは次の通り。

ーーここで先にフロイトは《同情は同一化から生まれる》(『集団心理学と自我の分析』)と瞠目することを言っているのを思い出しておこう。すなわち同情するから同一化するのではなく、同一化するから同情する。とすれば、「憎むことを愛する」のは、同一化から生まれるとさえいいうる。

例えば、われわれが同一化する人物は、文字“r”を発音する風変わりな仕方があり、そしてわれわれはそれを同じような仕方で発音し始める。それがすべてである。他の振舞いを試みること、すなわち、この人物のように服を着る、彼女がすることをするなどは、必要がない。フロイト自身、この類の同一化のいくつかの興味深い例を提供している。例えば、他の人物の特有な咳の仕方を模倣する。あるいは少女の寄宿舎の名高い例がある。少女たちの一人が彼女の秘密の恋人から手紙を受け取った。その手紙は彼女を動顛させ嫉妬心で満たした。それはヒステリーの発作の形を取った。引き続いて、同じ寄宿舎の何人かの別の少女たちは同じヒステリーの発作に襲われる。彼女らは彼女の密通を知っており、彼女の愛を羨んでいた。そして彼女のようになりたい、と。とはいえ、この彼女との同一化は、奇妙な形をとっており、すなわち、問題の少女において、彼女の密かな恋の危機の瞬間に現われた特徴に同一化する形である。(ジュパンチッチ、WhenSurplus Enjoyment Meets Surplus Value"(Alenka Zupancic)PDFーー享楽とシニフィアン

いずれにせよ、人は、ベルルスコーニやレーガンが醜悪さを曝すとき、一介の市民に過ぎない自分が彼らよりも《えらい人のように思》えて、心地よく感じたり安堵したりする場合があるのではないだろうか。そうして(ときに)親近感が生まれる。さらに俗物ーー「人間的、あまりに人間的な」ーーであるからこそ愛される指導者になる場合があるのではないだろうか。

そこからニーチェの言っていることへは半歩しかない、《権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」》と。

さらにはベルススコーニの「私は、あなたたちのうちの一人だ。いささか堕落して、法律と面倒な関係にある。私は妻から転げ落ちた。というのは他の女にぞっこんになったからだ…」という状況に遭遇すれば、一般市民たちは自らの否認された悪を彼に投影してスッキリし、残余の誠実な自分を《祝福して》、いっそう《えらい人のように思う》ことがあるのではないか。

これは次の心理的メカニズムの変奏である。

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)

マスコミに集中砲火を浴び、苦境に立つ「被害者」ーーそれは脳軟化症的であったり、破廉恥な道化師であったりするだろうーーの厚顔無恥な弁明に同一化することにより、自らのはしたなさを束の間にしろ忘れることができる「幸せ」に浸りうるということはないだろうか。

あるいは自らのかかえる首長が、我々の仲間のうちのひとりにすぎないのなら、ある種の権力欲が満たされることはないだろうか。

差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがまずない。(中井久夫「いじめの政治学」)

ところでベルルスコーニは、《標準的なイタリア人の神話的イメージを具現化、あるいは上演》した人物とされているが、標準的な日本人の神話的イメージとはなんであろうか。

曖昧模糊とした春のようなイメージ、空気を読みつつ、「いつのまにかそう成る会社主義 corporatism」の国(柄谷行人)の、「おみこしの熱狂と無責任」な人物像(中井久夫)、「事を荒立てるかわりに、『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先している」共感の共同体の「土人」(浅田彰)等々か? それとも単純に「反知性主義者」と言ってしまえばよいのか。

安倍晋三さんはバカだ。しかもただのバカではなく病気である。…しかし、彼が首相の座にいるのは、私たち自身が病気だからである。(小出裕章 2014.0202)

 ーーカレ見てると、「自分を祝福して、えらい人のように思う」わ・・・

レーガンの場合と同じように、ポストエディプス的な首相は、《もはや選挙の公約への一貫性にくそまじめになることさえ期待されない》。これも我々は最近、消費増税の約束をあっさり反故にするさまを見た。

我が国の首相のあり方は、もちろん米国やイタリアとは異なる。こうやって単純に精神分析的観点を導入することをきらう人もいるだろう。だが、精神分析などとはいわず、古典的なーーマルガリエテ的なーー心理学のメカニズムと類似した現象はその多寡はあれ到るところで働いているには相違ない(そうでなかったら、なぜ内閣支持率が50%を超えたままであり続けるのか)。

(※もちろんシルバーデモクラシーのせい(彼らにとって当面の日常的安定を一見約束してくれそうな政権支持)とか、《こうなっているのは2つの大きな要因がありますね。/ひとつは自民党一強、野党不在の政治状況。/もうひとつはメディアが安倍政権を怖がって批判を控えていることです》(「これほど異常な民主政国家は見たことがない。」ーーニューヨーク・タイムズ東京支局長)等の議論を知らないわけではないが、ここでは、それを除外しての「心理学的な」記述である。)

しかも現在は、ゲーテの時代とは異なり、ポストエディプスの時代である。その時代にさらにつけ加わる政治的指導者の「標準的」特質とはなにか?

ジャック=アラン・ミレールが、ジャック・ラカンのエラスムス的調子、『痴愚神礼讃』の調子をもって言った「みな狂人だ、みな妄想的だ」(参照)。これは、みな精神病的であることを意味しない。そうではなく、このすべては、21世紀における我々の現代的調査、すなわち、精神病とは、我々にとって何を意味するのかの問いである。

それはちょうど、精神病のふつうの地位が、普遍的な拡がりを持っていることを意味しないのと同様に、我々は精神病的主体から引き出した教訓は、「父の機能」が消滅したわけではないことだ。父の機能は残っている。変形されてはいるが。

父はいる。よりふつうの位置の父が。ラカンはこの父を次のように呼んだ。まだ「ウケる(épater)」ことができる父、印象づけ驚かすことができる父、「オヤジ言葉」で演技する父と。彼は「例外」を構成する者だ。我々を驚かす能力がある者だ。ジャック=アラン・ミレールは、これを示す例を取り上げている。現代の政治家は、それが道化師の機能のようであってさえ、印象づけようと奮闘している、メディアやコミュニケーション産業に囚われつつ、印象づけようと努めている、と。もちろん、これは正しい仕方でなされなければならない。(エリック・ロラン,2012(ERIC LAURENT: PSYCHOSIS, OR RADICAL BELIEF IN THE SYMPTOM ーー「ふつうの妄想・ふつうの父の名・原抑圧の時代」)


もちろん、民主主義において、つねに「不能な他者」や「道化親父」ばかりを選ぶわけではないだろう。

たとえばマイノリティー出身(黒人、女性、移民等々)の首長を選べば、庶民的な正義感は満足させられるということがある。これも選択肢のうちのひとつである。

すなわち、その首長から見れば、〈私〉は《愛するに値するように見えるような》存在となることができる。反差別主義者としての誠実な〈私〉にうっとりしてしまう・・・

その〈私〉が、見せかけだけの反差別主義者だったらなおさらだ。

女性に対する性的嫌がらせについて、男性が声高に批難している場合は、とくに気をつけなければならない。「親フェミニスト的」で政治的に正しい表面“pro-feminist” PC surfaceをちょっとでもこすれば、女はか弱い生き物であり、侵入してくる男からだけではなく究極的には女性自身からも守られなくてはならない、という古い男性優位主義的な神話があらわれる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳)

ここで唐突にーー飛躍するが長くなりすぎるのでーー、もう一度こう強調しておこう。

たとえベルルスコーニが威厳のない道化だとしてもむやみにあざ笑わないことだ。たぶん彼を笑うことで、われわれはすでに術中に陥っている

この数年反安倍で奮闘してきたはずのリベラルインテリ諸氏たちは、現在、なにかにハメられてしまった気はしていないのだろうか・・・

…………

さて、だが現在の民主主義において、さらにいっそう「根源的な」問いかけがある。

マルクスは、ヨーロッパの議会制民主主義の黎明期に、所見を述べた。この制度によって選ばれた政府は、たんにーー彼曰く--「資本の力に基づく」ものだ、と。しかしこれは、現在のほうがかつてより、はるかにいっそう真実だ! 民主主義が代表象 representationであるなら、何よりも先ず、全体的システムからの来る形式の代表象である。言い換えれば、選挙による民主主義は、資本主義ーー今日では「市場経済」と改名されている--の合意の上の代表象より以上の多くのものを代表象しない。これが底に横たわる腐敗である。(バディウ、Democracy and corruption: a philosophy of equality, by Alain Badiou、2014)

このバディウの文は、2014年に記されたもののようだが、彼は以前から似たようなことを言っているのだろう、ジジェクの『ポストモダンの共産主義』2009にもほぼ同じ内容のバディウの引用があり、 次のようなコメントを付している。

バディウは、民主主義における腐敗の二つのタイプ(むしろ、二つのレヴェル)のあいだの区別を提案している。すなわち、事実上の経験的腐敗、そして民主主義のまさに形式に付属する腐敗。後者は、政治を私的利益の交渉に格下げすることを伴っている。

このギャップは次の「稀な」事例において明瞭になる。すなわち、誠実な「民主主義的」政治家が、経験的腐敗に対して闘っていながら、それにもかかわらず、腐敗の形式的空間を支えているという事例だ。(ジジェク、2009)

ここで言っているのは、《要するに、「善い」選択自体が、支配的イデオロギーを強化するように機能する。イデオロギーが我々の欲望にとっての囮として機能する仕方を強化する。ドゥルーズ&ガタリが言ったように、それは我々自身の圧制と奴隷へと導く》(Levi R. Bryant PDF)ということだ(参照:きみたちの「燻製ニシンの虚偽」)

こうして、《現代における究極的な敵に与えられる名称は資本主義や帝国あるいは搾取ではなく、民主主義である》(バディウ)という「挑発」につながってゆく(参照:民主主義はありとあらゆるシステムのうちで最悪である)。

現在の民主主義とは、バディウ=マルクス的にいえば、《政治を私的利益の交渉に格下げする》(ジジェク)という資本の論理の母胎の上で成り立っている。これはややわかりにくいかもしれない形で、「現代思想・文芸という「支配的思想=支配階級の思想」」で記したことでもある。

不思議なのは、われわれがそうと知りつつ、このゲームをつづけていることだ。あたかも選択の自由があるかのようにふるまいながら、(「言論の自由」を守るふりをして発せられる)隠された命令によって行動や思考を指図されることを黙って受け入れるばかりか、命令されることを要求すらしている。マルクスが大昔に指摘した通り、秘密は形式自体にある。(ジジェク、2009ーー人間の顔をした世界資本主義者たち