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2017年2月28日火曜日

蓮實重彦と藤枝静男

・短篇集『愛国者たち』は、人を不条理な絶句ぶりへ導くしかないただならぬ言葉を宙に漂わせ、『美しい』という一言を口にせよと強要してかかる。

・文学という制度的な場にあって、『山川草木』『風景小説』といった作品群の口にする言葉が(……)まるで声として大気をふるわせることを恥じているかのように、言葉が生まれ落ちようとする瞬間に口をつぐんでしまうがゆえに、これは途方もなく『美しい』のだ。

・藤枝にとって、書くとは、無限の『分枝』を演ずる言葉を前にした不断の『迷い』そのものであったはずだ。そのおぼつかない仕草を模倣しつつ、だからわれわれも『迷う』姿勢をうけ入れ、『作家』藤枝静男の言葉をただ『美しい』とだけ書いておこう。(蓮實重彦

蓮實重彦の強烈な「恋文」である。

人がこのような強い愛を抱くほとんどの場合、その原因は作品の質に由来するだけではない。作品に彼が書き込まれているから、強い愛が生まれる。その徴をーードゥルーズ的には純粋現前 présentations pures  ・純粋差異 pure différence  ーー、たとえばフロイトなら「一の徴einzigen Zug」といい、ラカンなら同じく「一の徴 trait unaire」、「一のようなものがある Ya d’l’Un」(純粋差異 différence pure)、あるいは対象a、ロラン・バルトならプンクトゥムと呼ぶ。

フロイトの《同情は「一の徴 einzigen Zug」との同一化によって生まれる》とは、愛は「一の徴」との同一化によって生れると言い換えうる。

次のラカン文の眼差しとは、欲望の原因としての対象aのひとつである。

…眼差し regard は、例えば、誰かの目を見る je vois ses yeux というようなことを決して同じではない。私が目すら、姿すら見ていない誰かによって自分が見られていると感じることもある。Je peux me sentir regardé par quelqu'un dont je ne vois pas même les yeux, et même pas l'apparence,。他者がそこにいるかもしれないことを私に示す何かがあればそれで十分である。

例えば、この窓、あたりが暗くて、その後ろに誰かがいると私が思うだけの理由があれば、その窓はその時すでに眼差しである。こういう眼差しが現れるやいなや、私が自分が他者の眼差しにとっての対象になっていると感じる、という意味で、私はすでに前とは違うものになっている。(ラカン、S.1)

愛する芸術作品があなたを眼差すことを経験したことがないだろうか ? もしあったなら、それが対象aでありプンクトゥムである。

ロラン・バルトのプンクトゥムについては、ジャック=アラン・ミレールが最近になって、プンクトゥムはラカン=アリストテレスの 「テュケーTuché」だといっているが( jacques-alain miller 2011,L'être et l'un)、『明るい部屋』のなかに、《「偶然 la Tuché」の、「機会 l'Occasion」の、「遭遇 la Rencontre」の、「現実界 le Réel」の、あくことを知らぬ表現》とあり、まさにセミネールⅩⅠにおけるラカンの言葉をそのまま使用している。これは、後年のラカンの《書かれぬことをやめぬもの ce qui ne cesse de ne pas s'écrire》(Lacan, S.20)、あるいはトラウマ(穴ウマ troumatisme)でもある。

ストゥディウム(studium)、――、この語は、少なくともただちに《勉学》を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。
プンクトゥム(punctum)、――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。(『明るい部屋』)

《ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する》。

たいていの場合、プンクトゥムは《細部》である。つまり、部分対象 objet partiel である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。(『明るい部屋』)
ある種の写真に私がいだく愛着について(……)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム le studium)と、ときおりその場を横切り traverser ce champ やって来るあの思いがけない縞模様 zébrure とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥム le punctum と呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋表象 représentation pure である。ーー「偶然/遇発性(Chance/Contingency)

さらにはこうも引用できる。

「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真、《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないだろう……読者にとっては、その写真には、いかなる心の傷もないのである。(同『明るい部屋』)

対象aもプンクトゥムも「あなたの中にはなにかあなた以上のもの」であり、「自我であるとともに、自我以上のもの」である。

あなたの中にはなにかあなた以上のもの、〈対象a〉 quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a)(ラカン、セミネール11) 
……自我であるとともに、自我以上のもの(内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器)だった。 il était moi et plus que moi (le contenant qui est plus que le contenu et me l’apportait). (プルースト『ソドムとゴモラ Ⅱ』「心情の間歇」)

…………

藤枝静男の作品に蓮實重彦のプンクトゥムが書き込まれているのは、すこし読むだけで瞭然とする。

金剛石も磨かずば
珠の光は添はざらん
人も学びて後にこそ
まことの徳は現るれ

これは昭憲皇太后が作詞して女子学習院に下賜された御歌の冒頭の四行であるが、章は小学生のじぶんに女の教師から習って地久節のたびごとに合唱していたから、今でもその全節をまちがいなく歌うことができるのである。

そのとき章は、この「たま」とは金玉のことであると一人合点で思いこんでいた。それで或る日父に
「父ちゃん、なぜ女が金玉を磨くだかえ」
と訊ねた。すると父は、
「なによ馬鹿を言うだ」
と答えた。しかし後々まで、不合理とは知りながらも、章の脳裡には、裾の長い洋服に鍔広の帽子をかぶった皇太后陛下が、どこかで熱心に睾丸を磨いている光景が残った。今でもこの歌を思い出すたびに(ごく微かにではあるが)同じ映像の頭に浮かぶことを防ぎ得ないのである。

こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない。

次手に言うと、章は同じく小学校入りたての七つ八つのころ父から「蒙求」と「孝経」の素読を授けられていたが、ときおり父が「子曰ク」という個所を煙管の雁首で押さえながら「師の玉あ食う」と発音してみせて、厭気のさしかかった章を慰めるようなふうをしたことを、無限の懐かしさで思い起こすことができる。多分、父はかつての貧しい書生生活のなかで、ある日そういう読みかたを心に考えつき、それによって僅かながらでもゆとりと反抗の慰めを得たのであったろう。そしてその形骸を幼い章に伝えたのであろうと想像するのである。(藤枝静男「土中の庭」1970初出)

藤枝文学においてその父親のイメージがまとっている鮮烈な抒情、そして愛と呼ぶにはあまりに寡黙なその言動につつまれて藤枝少年が過ごした大正期の東海地方の風景といったものの美しさについては、すでに度々書く機会を持ったので、もう繰り返すにはおよばない。『藤枝静男著作集』も刊行され始めたので、まさに「毅」の一語がこの作者のために存在しているとしか思えない文章に、じかに触れていただくことにする。と、ここまで書いてきた瞬間、机上の電話が鳴って、受話器のむこう側から、遂に藤枝さんに確定しましたというはずんだ声が鼓膜をふるわせる。本年度の谷崎潤一郎賞が、藤枝静男氏に決定したというニュースを、親しい編集者の安原顯氏が知らせてくれたのである。われわれは、こんなとき誰もが口にする祝福の言葉をかわしあってたがいの喜びを確認しあうのだが、しかしその喜びには、どこかがっかりしたような調子がただよっている。すでにその名声が高まっているとはいえ、これを機に、あれほど絶版が続いて読むのがむずかしかった藤枝文学が、とうとう読者の前にいかにもたやすく投げだされてしまうことを、二人してそれと口にせずに惜しんでいるようだ。

そうか、藤枝氏が谷崎賞を受賞されることになったのか。まるで年甲斐もない恋文のような藤枝静男論を発表したばかりのころ、安原氏の後について行って一度だけお逢いしたことのある藤枝氏に心からの祝福をささげながらも、これでは何かできずぎているような気がする。この一文を『欣求浄土』の「土中の庭」の冒頭の挿話から始めたものの、残りがどんなふうに書きつがれ、どんなふうに書き終わるのか、不意にわからなくなってしまう。藤枝氏にならって、「こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない」と書き記し、しかしいつとはなしに一篇がいかにも「毅」の字にふさわしく書きつがれてゆく言葉を絶ち切るといって芸当はどうもできそうにない。いったい、どうすればよいか。(蓮實重彦「皇太后の睾丸」『反=日本語論』所収)

《昭憲皇太后が作詞して女子学習院に下賜された御歌の冒頭》、そして《藤枝少年が過ごした大正期の東海地方の風景》とあった。

蓮實鉄太郎

正五位勲三等功四級
明治5、旧黒羽藩祐筆、栃木県士族・蓮實啓之進の長男
陸軍士官学校
陸軍歩兵中佐、静岡俘虜収容所長
蓮實重康

明治37、鉄太郎二男
蓮實重康(はすみ しげやす、1904年5月30日 - 1979年1月11日)は、日本美術史学者、元京都大学教授。東京市麻布生まれ。

旧制静岡中学、旧制静岡高等学校を経て、1930年京都帝国大学哲学科(美学専攻)卒業、同大学院進学、1932年帝室博物館美術課嘱託、1941年同鑑査官、出征ののち、1952年奈良国立博物館学芸課長、1957年京都大学文学部助教授、1960年教授。1961年 「雪舟等揚―その人間像と作品」で京都大学文学博士、1968年定年退官、東海大学文学部教授。

東大総長を務めた蓮實重彦の父。
妻・田鶴子
大正2、内大臣秘書官・小野八千雄二女
小野八千雄 従五位勲四等

明治11、長野、小野八雄長男
昭和3、家督相続
長野県立中学卒
宮内省東宮職、掌典、皇太后宮職御用掛、内大臣秘書官

蓮實重彦の父蓮實重康は、1904年生れとあった。

藤枝静男(ふじえだ しずお、1907年12月20日 - 1993年4月16日)は、日本の作家、眼科医。本名勝見次郎。静岡県藤枝出身

成蹊学園から名古屋の旧制第八高等学校を経て1936年に千葉医科大学(現在の千葉大学医学部)を卒業。伊東弥恵治に師事した。勤務医生活ののち独立、1950年から浜松市で眼科医院を営む傍ら、小説を書き続けた。1968年『空気頭』で芸術選奨文部大臣賞、1974年『愛国者たち』で平林たい子文学賞、1976年『田紳有楽』で谷崎潤一郎賞、1979年には『悲しいだけ』で野間文芸賞を受賞。

だが、《こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない》。

こういった事実関係を《精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである》(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

とはいえ最も肝腎なのは次のことである。

我々のどの印象もふたつの側面を持っている。《あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている A demi engainée dans l'objet, prolongée en nous-même par une autre moitié que seul nous pourrions connaître》(プルースト)。それぞれのシーニュはふたつの部分を持っている。それはひとつの対象を指示しdésigne、他方、何か別のものを徴示する signifie。客観的側面は、快楽 plaisir、直接的な悦楽 jouissance immédiate 、それに実践 pratique の側面である。

我々はこの道に入り込む。我々は《真理》の側面を犠牲にする。我々は物を再認reconnaissons する。だが、我々は決して知る connaissons ことはない。我々はシーニュが徴示すものを、それが指示する存在や対象と混同してしまう。我々は最も美しい出会いのかたわらを通り過ぎ、そこから出て来る要請 impératifs を避ける。出会いを深めるよりも、容易な再認の道を選ぶ。ひとつのシーニュの輝きとして印象の快楽を経験するとき、我々は《ちぇ、ちぇ、ちぇ zut, zut, zut 》とか、同じことだが《ブラボー、ブラボー》とかいうほかない。すなわち対象への賞賛を表出する表現しか知らない。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

《われわれ自身の内部にのびている》最も美しい出会いを深めた批評文が蓮實重彦にあったか否かは、あなたの判断にお任せする。

(ここで丸括弧付きでこっそり挿入しておくが、蓮實重彦の藤枝讃における「美しい」の連発は、「ブラボー」連発とどう異なるのか? ーーという問いがあってもいいはずである、もっとも次のようにオッシャッテオラレルのを知らないわけではない・・・、《‟美しい”という言葉を僕はよく使うことがあるんだけれども、その「美しい」という言葉は全部フィクションで、現実の美しさにも、共同体が容認するイメージにも絶対に到達することがないと確信しているがゆえに使っているにすぎないのです》(『闘争のエチカ』))。

いずれにせよ『反=日本語論』はーーいまでは言及されることが少ないがーー、蓮實が最も直接に自らの内部にのびている何ものかに近づいた書き物のひとつに他ならない、とわたくしは思う。

誰もが「金剛石を磨かずば」の歌に似た一人合点の勘違いの体験を持っているはずだ。そして、後にその誤りが正されてからも、当初の勘違いが「ごく微かにであるが」生き伸びたりするものだ。たとえばその後に獲得しえた漢字の知識によって「シャベルで掘る人/鶴嘴で掘る人/道普請の工夫さん/一生懸命働く」と再現しうる奇妙な歌を戦時下の幼稚園で声をはりあげて何度もおさらいをしていた少年にとって、銃後のまもりを強調するものであったのだろう「道普請の工夫さん」の一行は、セーヨーケンとかマツモトローとかに類する西洋料理屋の一つミシブチンで働くコックさん以外のものでありえようはずもなかった。それだから、白く長くとんがり帽子を頭の上で揺さぶりながら甲斐甲斐しく働く何人ものコックたちが、シャベルやツルハシで何やら大きな鍋をかきまわしている光景が、今日に至るも心のかたすみにごく曖昧ながらも消えずに残っている。
藤枝氏にならって「次手に言うと」、このミシブチンの少年の頭脳は、ゾケサなるもののイメージをもありありと思い描くことができる。「明けてぞ今朝は/別れ行く」という『蛍の光』の最後の一行に含まれる強意の助詞「ぞ」の用法を理解しえなかった少年は、なぜか佐渡のような島の顔をした「ゾケサ」という植物めいた動物が、何頭も何頭も、朝日に向かってぞろぞろと二手に別れて遠ざかってゆく光景を、卒業式の妙に湿った雰囲気の中で想像せずにはいられないのだ。ゾケサたちは、たぶん彼ら自身も知らない深い理由に衝き動かされて、黙々と親しい仲間を捨てて別の世界へと旅立ってゆくのだろう。生きてゆくということは、ことによると、こうした理不尽な別れを寡黙に耐えることなのだろうか、可哀そうなゾケサたちよ。(蓮實重彦『『反=日本語論』)

もちろんこのエッセイ集をわたくしが愛するのは、最初に蓮實重彦という人物の書き物を読んだのがこの書でありーー学生時代四畳半の下宿の万年床で寝転がって読んだことまで覚えているーー、わたくしの対象aがこの書に書き込まれているせいでもある、ということが言える。その対象aは上に掲げた文ではないが、--《ああ、久しぶりに、海がみたいと妻は時折り嘆息する。ああ、海がみたい。》





2017年2月27日月曜日

綿串

私が、私は私だというとき、主体(自己)と客体(自己)とは、切り離されるべきものの本質が損なわれることなしには切り離しが行われえないように統一されているのではない。逆に、自己は、自己からのこの切り離しを通してのみ可能なのである。私はいかにして自己意識なしに、「私!」と言いうるのか?(ヘルダーリン「存在・判断・可能性」

わたくしが一人称単数代名詞を「わたくし」と記すのは、綿串という漢字表象を暗示するためである。すなわち空虚のシニフィアンを。あるいは女性の論理の主語である $ を暗示するためである(参照)。

ラカンの幻想の式 $ ◊ a   にあらわれる $ / a とは、要素のない空虚の場/場のない過剰の要素、あるいは述語のない主語/主語のない述語のことである。




このいわゆるヒステリーの言説、だが究極的には女性の論理の言説は、ラカンの次の言明とともに読まなければならない。

女は、見せかけに関して、とても偉大な自由をもっている!la femme a une très grande liberté à l'endroit du semblant ! (Lacan、 S18、20 Janvier 1971ーーーー真理と嘘とのあいだには対立はない

女とは数学的アンチノミー、あるいは非全体の体現者なのである(参照:ラカンの男性の論理と女性の論理/カントの力学的アンチノミーと数学的アンチノミー)。

もちろん女性の論理とは、シェイクスピアの言明とともに読んでもよろしい。

この世界はすべてこれひとつの舞台、人間は男女を問わず すべてこれ役者にすぎぬ(All the world's a stage, And all the men and women merely players.)。(シェイクスピア『お気に召すまま』)

いずれにせよディスクールの核心は次の通り。

…全核心は、女はファルスに接近する別の仕方、彼女自身にとってのファルスを保持する別の仕方を持っていることである。女が「全てではない pas du tout」のは、ファルス関数において「非全体 pas toute 」であるからではない[parce que c'est pas parce qu'elle est « pas toute » dans la fonction phallique qu'elle y est pas du tout.]

女はそこで「全てではない 」のではない [ Elle y est pas « pas du tout »](ヘーゲル的二重否定・「否定の否定」:引用者)。

女はファルス関数のなかに十全にいる[ elle y est à plein] 。 しかし何かそれ以上のものがあるのだ mais il y a quelque chose en plus…

ひとつの享楽がある。il y a une jouissance…身体の享楽 jouissance du corps …ファルスの彼方の享楽 une jouissance au-delà du phallus!(ラカン、セミネール20、20 Février 1973)

これにまったく不感症で男性の論理のみに耽っている連中を、現代の「天動説的タワケ」と呼ぶ。

ラカンは「性別化の定式」において、性差を構成する非一貫性を詳述した。そこでは、男性側は普遍的機能とその構成的例外によって定義され、女性側は「非全体」 (pas‐tout) のパラドクスによって定義される(例外はない。そしてまさにその理由で、集合は非全体であり全体化されない)。(ジジェク、2012ーー形式化の極限における内部崩壊

言い換えればーータワケにも分かるように言えばーー、綿串というシニフィアンは、「僕と私と俺」という代名詞を使うとき陥りがちなイマジネールな夜郎自大を極力避けるためでもある。《私は、私という語を口にするたびに想像的なもののうちにいることになる。》(ロラン・バルト『声の肌理』)

すなわち、天動説の現代版、事象を観察している自分のポジションをあくまでも不動の中心に据える「自己中心性」と、それを補強する実感主義というナルシシズム(参照)ーーツイッターなどで典型的な現代的破廉恥な病ーーに抵抗するためである。あれは19世紀どころかガリレオ以前の言説である。そして当人は自らが21世紀の言説だと厚顔無恥な錯覚に閉じ籠っているトンデモ科学精神さえ日本にはあまた棲息している。

自分が見る、自分を見る、見られた自分は見られることによって変わるわけです。見た自分は、見たことによって、また変わる。(古井由吉『「私」という白道』)

ーーようするに上のような観点が微塵もない連中である。物理学者ニール・ボーアは《杖を持つ人がゆるく杖を持つ時、杖の動きは地面の凹凸を反映し、杖は観測対象に屈する。逆に堅く持つ時、それは観測主体の動きを反映する》と言っている。科学精神とは本来このようにあるべきなのに、なぜネット上ではとんでも反科学的鳥語をするのだろうか? 「綿串」にはまったく理解不能である!

いやいまのは馬鹿向けのレトリックであり、実はあのようにタワケがふえたわけを知らないわけではない、科学とともに、《 進歩とともに、愚かさもまた進歩する!  》(フローベール

「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムージル観念のエロス』)
どんなケースにせよ、われわれが欲する場合に、われわれは同時に命じる者でもあり、かつ服従する者でもある、ということが起こるならば、われわれは服従する者としては、強制、拘束、圧迫、抵抗などの感情、また無理やり動かされるという感情などを抱くことになる。つまり意志する行為とともに即座に生じるこうした不快の感情を知ることになるのである。しかし他方でまたわれわれは〈私〉という統合的な概念のおかげでこのような二重性をごまかし、いかにもそんな二重性は存在しないと欺瞞的に思いこむ習慣も身につけている。そしてそういう習慣が安泰である限り、まさにちょうどその範囲に応じて、一連の誤った推論が、従って意志そのものについての一連の虚偽の判断が、「欲する」ということに関してまつわりついてきたのである。(ニーチェ『善悪の彼岸』)

ここでタワケのためにこう強調しておかねばならない、この記事自体、空虚なシニフィアンが主語であると。

私は相対的にはタワケ débile mental だよ…言わせてもらえば、全世界の連中と同様にタワケだな。というのは、たぶん私は、いささか啓蒙されている une petite lumière からな(ラカン、S.24,17 Mai 1977)

We are the hollow men
We are the stuffed men
Leaning together
Headpiece filled with straw. Alas!

俺たちのなかみはからっぽ
俺たちのなかみはつめもの
俺たちはよりそうが
頭のなかは藁のくず、ああ!

ーーエリオット「うつろな人間 the hollow men」より 高松雄一訳


性別化の式と四つの言説の統合の試み

性別化の式 formulas de la sexuacion と四つの言説 quatre discours とはラカンの教えの華と言われる。

ラカンの性別化の式は次の通り。



左側が男性の論理、右側が女性の論理である。

上部のマテームの基本的読み方については、荻本氏のブログから貼り付けておく。



ところでジジェクは、LESS THAN NOTHING、2012にて、性別化の式と四つの言説を統合する試みをしている。


S1 = Master = exception        S2 = University = universality
$ = Hysteria = no-exception    a = Analyst = non-All

S1=主人の言説=例外
S2=大学の言説=普遍性
$  =ヒステリーの言説=例外なし
a  =分析の言説=非全体 pas-tout

とある。



このジジェクの驚くべき斬新で示唆溢れる提案を、性別化の式に当て嵌めれば次のようになる。




左右を入れ替えれば、ヒステリーの言説となる。



もちろん、これを回転させれば、四つの言説のそれぞれが現われる。




分析家の言説の詳細図のみをラカンのアンコールから抜き出しておく。




ブルース・フィンク(READING SEMINAR XX,2002)による性別化の式のマテームの読み方も貼付しておこう。




※四つの言説をめぐっては、「ラカンの「四つの言説」における「機能する形式」」を見よ。それ以外に、マルクスの価値形態論と四つの言説を結びつける初期ジジェクの考え方は、「価値形態論(マルクス)とシニフィアンの論理(ジジェク=ラカン)」を参照のこと。

ラカン自身のマルクス価値形態論依拠をめぐっての参照は、「偉大なるフェティッシュ分析家マルクス」がある。






2017年2月26日日曜日

形式化の極限における内部崩壊

ぼくが考えたのは、形式体系をそれ自体自己言及的パラドックスに追いやって崩壊させることであり、同じことですが、自己言及的パラドックスを排除して成立している形式体系に、そのようなパラドックスを導入してしまうことです。

形式体系をそれ自体自己言及的パラドックスに追いやって崩壊させることであり、同じことですが、自己言及的パラドックスを排除して成立している形式体系に、そのようなパラドックスを導入してしまうこと(柄谷行人、『批評空間』1996Ⅱー9)

これは柄谷自らが言うようにドゥルーズ的でもあるが、ラカン派的でもある。たぶんある時期の思想家は必然的にこのように考えることを余儀なくされたーー主に構造主義に対抗して考えるためにーーのだろう。

もうすこし長く引用しよう。

柄谷)ぼくは80年代の初めぐらいに形式化ということを考えていて、そのとき案外ドゥルーズのやっていることに近いところにいたという気がする。

ぼくの考えでは、構造主義もその一つですが、形式主義というのもすべて独我論なんです。形式というのは自己そのものを形成するものですが、それ自体は、自己の内省から出発して初めて見出される。独我論を否定するように見える構造主義は、それ自体独我論であることをまぬがれない。

どうすればそこから出られるか。そこでそれぼくが考えたのは、形式体系をそれ自体自己言及的パラドックスに追いやって崩壊させることであり、同じことですが、自己言及的パラドックスを排除して成立している形式体系に、そのようなパラドックスを導入してしまうことです。そこに出てくるものは、まさにドゥルーズがいうリゾーム的多様体です。

そのような形でしか独我論を破壊することはできないと思っていたんだけれども、そのこと自体も独我論だということで(笑)、そのへんからぼくは衰弱してしまった。それから二年ぐらい経って、根本的に態度を変えてしまったというのが、『探求Ⅰ』なんです。だから、その前の段階は、すれ違いにすぎないとはいえ、いちばんドゥルーズに近いところにいたのではないかと思います。

浅田)『意味の論理学』の前半、そして、それを凝縮した、「構造主義はなぜそう呼ばれるのか」と訳されている、あのシャトレ編の哲学史の中の驚くほど明晰なテキスト(73年)には、まさにいま言われたような面がいちばんはっきり出ていますね。構造というものを、それを成り立たしめているパラドキシカルな要素まで含めて考えていくことで、動態化していく―――ただし、ドゥルーズは構造主義自体をそういうパラドックスまで含めた動態的なものとして定義しているわけですけれども。

柄谷)あれをやると病気になりますよ(笑)。でもドゥルーズは病気にならないんだからすごい。

蓮實)というのは、彼は根本的には形式というものを問うていないからだと思いますよ。

浅田)いわば、輪郭線の引かれていない構造、蚊柱のような多様体としての構造を考えているわけですからね。その上でなお、柄谷さんの言われた対応関係はある程度まで成り立つと思いますけど。

柄谷)たしかに、そこはもともと違うんだと思う。彼の考え方の基本は、さっき浅田さんの言われた超越論的経験論、とくにベルグソンのラインなんですよ。ぼくの場合、外部という以上は線が引いてあるけど、彼の場合、そこには線がない。彼は物体というのはないと言っているけど、ぼくはあると思っているから(笑)。(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)


…………

ラカン派的としたのは、次の一連の引用を読めば、判然とするだろう。

近代科学にとって……、自然は、科学の数学的公理の正しい機能に必要であるもの以外にはどんな感覚的実体もない。(ジャン=クロード・ミルネールJean-Claude Milner, Le périple structural, 2002、私訳)
近代科学は…対象の数学化を要求する。それは対象が数学的本質であることを要求しない。したがって対象が永遠・完璧であることを要求しない。……むしろ、反対に、数学化の手段によって、対象の把握を目指す。数学化において、対象はそれ自体と異なることもありうる。対象は、実験上の、偶然的・反復的、したがって一時的な性質をもちうる。(同ジャン=クロード・ミルネール, 2002、私訳)


数学・科学は、「物質性の還元」、「自然の現実の忘却」 を基盤としている。まずそれを認めなくてはならない、世界は数学的「言語」で構造化されていることを。ラカン派の見解はこういったことだろう。

物理学の言説が物理学者を決定づける。その逆ではない [c'est que c'est le discours de la physique qui détermine le physicien, non pas le contraire](ラカン、S16、20 Novembre 1968)

科学も我々の日常言語による使用によるリアルからの解離も、構造的には同一である。

ヘーゲルが何度も繰り返して指摘したように、人が話すとき、人は常に一般性のなかに住まう。この意味は、言語の世界に入り込むと、主体は、具体的な生の世界のなかの根を失うということだ。もっとパセティックな言い方をするなら、私は話し出した瞬間、もはや感覚的に具体的な「私」ではない。というのは、私は、非個人的メカニズムに囚われるからだ。そのメカニズムは、常に、私が言いたいこととは異なった何かを私に言わせる。前期ラカンが次のように言うのを好んだように。つまり、私は話しているのではない。私は言語によって話されている、と。これは、「象徴的去勢」と呼ばれるものを理解するひとつの方法である。すなわち、主体が「聖餐式における全質変化 transubstantiation」のために支払わなければならない代価。ダイレクトな動物的生の代理人であることから、パッションの生気から引き離された話す主体への移行である。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

表題の 「形式化の極限における内部崩壊」とはまずは柄谷行人の考え方であるが、ラカン的には以下の文に現れる《数学的論理 logique mathématique》による《論証的亀裂 clivage discursif》と相同的である、とわたくしは思う(数学にも科学にもまったく不案内な者として言うが)。

我々は次の事実の視界を見失うべきではない。すなわち、科学によって探求される構造、《リアル、その内部に言説自体が帰結をもたらすものとしてのリアル réel dans lequel le discours lui-même a des conséquences 》(ラカン、S16,1968:以下、二重山括弧内は同様)は、同時に《最もリアルなもの le plus réel…全く隠喩ではなくnulle métaphore…リアル自体 le réel même》であるという事実を。

言い換えれば、《必然性と偶発的なものの多様性を以った帰結概念自体 la notion même de conséquence avec ses variétés du nécessaire ou du contingent》、ーーつまり蓋然的偶然としてのオートマンーーは、科学の言説によって為される言語の「物質性の還元 Réduction de matériel」と共存する。すなわち、「自然の現実の忘却 l'oublie comme réalité naturelle」を伴っているにも拘らず、それをそっくり保存し続けている。

我々はここで新しく意想外の観点を提供されている。「科学と真理」が、因果性の物質的次元の科学による排除と精神分析の共謀的ヴェール剥ぎ(科学の言説の覆いを取り除くこと)と定義したことについての予期されなかった転回である。それ自体としてどんな帰結もない。ゆえに必然性と偶発性とにあいだのどんな区別もない。非言語学的性質だけではなく、自然言語としての言語の水準においても同様である。すなわちーー非論証的/論証的ーー世界は、無因果(あるいは対象aの因果 l'a-cause)的である。事実、そのような区別は、ラカンが明記するように、全体化するメタ言語、つまり《数学的論理 logique mathématique》の導入を要求する。それは、自然言語としての言語のなかのメタ言語の欠如として現れるものを補填しようと努めることによって、《論証的亀裂 clivage discursif》を生み出すことに終わる。というのは《どんな論理もすべての言語を囲い込むことはできない pas plus de logique qui enserre tout le langage》から。(ロレンツォ、2010, Chiesa, L., ‘Hyperstructuralism's  Necessity of Contingency',PDF

次に上の引用にあるラカンのセミネール16の二年後のセミネール18から。

分節化ーー見せかけsemblantの代数的 algébrique分節化という意味だがーー、これによって我々は文字 lettres だけを扱っている。そしてその効果。これが実在 réelと呼ばれるものを我々に提示可能にしてくれる唯一の装置である。何が実在 réel かといえば、この見せかけに穴を開けること fait trou dans ce semblant である。

科学的言説であるところの分節化されたこの見せかけ ce semblant articulé qu'est le discours scientifique のなかに 、科学的言説は、それが見せかけの言説か否かさえ悩まずに進んでゆく。

しばしば言われるように、科学的言説がかかわる全ては、そのネットワーク・その織物・その格子によって、正しい場所に正しい穴が現れるようにすること fasse apparaître les bons trous à la bonne place である。

この演繹によって到達される唯一の参照項は不可能である。この不可能が実在 réelである。我々は物理学において、言説の装置の助けをもって、実在 le réel であるところの何かを目指す。その厳格さのなかで、一貫性の限界に遭遇する rencontre les limites de sa consistance のである。(ラカン、セミネール18、20 Janvier 1971、私訳)

《科学的言説は、それが見せかけの言説か否かさえ悩まずに進んでゆく le discours scientifique progresse sans plus même se préoccuper s'il est ou non semblant》
ーーとあるが、凡庸な科学者は実にそうであって(「論理哲学者」と呼ばれる種族のなかにもその類がふんだんにいる)、そのため(一部の人文系から)バカにされる(たとえば斎藤環による茂木健一郎批判)。

私が前々回のお手紙で、クオリアという発想をナルシシズムと結びつけたのは、それがどうにも“天動説の現代版”に見えてしかたないからです。どういうことでしょうか。つまり、事 象を観察している自分のポジションをあくまでも不動の中心に据えている、という意味において、です。この種の“自己中心性”と、それを補強する実感主義こそが、ナルシシズムにほかならないと私は考えるのです。(斎藤環ー茂木健一郎の往復書簡」)

真にすぐれた科学者はそんなことはないはずである。

J・ブローフスキー博士は、われわれの大部分があらゆる学問の中で最も事実に基づく科学だとみている数学は、頭に浮かべうる最も突飛なメタファー (隠喩)からなると指摘し、美的にも知的にも、そのメタファーの成功の程度によって判断されねばならないものだと唱えた。(ノーバート・ウィーナー『人間機械論』第二版)

ところで、以下の柄谷行人の議論は、現在からみてどうなのだろう? つまり誤っているところがあるのだろうか。巷間には柄谷のゲーデル解釈を嘲弄する声がないではないが、何を嘲弄しているのか、わたくしの「非科学的な」頭ではいまだ理解できない。

ヒルベルトの「形式主義」の新しさは、一言でいえば、数学は「正しく」さえあれば「真」でなくてもよいという立場をとったところにある。「正しさ」とは、無矛盾的〔コンシステンシー〕である。彼が主張するのは、形式体系がコンシステントであることが証明できれば、それが真であろうとなかろうと数学として認め、それ以上の根拠づけをやめようということである。それは、数学に真理性を、すなわち数学が実在・事実にもとづくことを要求する「直観主義」に対立するものである。「直観主義」は、数学は数学的直観という人間的事実によってつくられるものであって。それは論理に依存するものではなく、逆に論理の方が数学によって保証されるのだという。また、彼らは排中律――たとえばある命題は真であるか、真ではないかのいずれかであるーーを否定する。

以上は現代数学の常識にすぎないが、門外漢を驚かすのは、これらの議論があまりに“文学的”だということだ。いずれにせよ、われわれが関心をもつのは、ヒルベルトの「形式主義」である。二十世紀において最も劇的な事件の一つは、ヒルベルトの形式主義が完成したと思われたまさにその時点で、それに対する致命的な批判がある青年によって届けられたことだといってよいかもしれない。それがゲーデルの「不完全性の定理」(1931年)である。

結論を先にいうと、ゲーデルの定理は、どんな形式的体系も、それが無矛盾的〔コンシツテント〕であるかぎり、不完全である、ということだ。彼の証明は、形式体系に、その体系の公理と合わない、したがってそれについて正しいか誤まりかをいえない(決定不可能な)規定が見出されtれしまうということを示す。不完全性の定理は、また、いいかえれば、ある形式体系がコンシステントであるとしても、その証明はその体系のなかでは得られないこと、それ以上の強い理論を必要とすることを意味している。こうして、純粋数学の完全な演繹体系は一般的に存在しないことが証明されてしまったのである。この結果、非常に単純化していえば、非ユークリッド幾何学がユークリッドの公理とはべつの公理を選択することによって成立するように、公理の選択次第でどんな数学も可能であり、そのことを原理的に否定することはできないということになる。(柄谷行人『隠喩としての建築』pp.45-46)

…………

柄谷は「形式化」の極限において体系がパラドックスに陥り、内部から自壊せざるをえない構造機制を不完全性定理にちなんで「ゲーデル問題」と名づけてい る。かつて『隠喩としての建築』を読んだ時、私はその着眼の卓抜さと鮮かなレトリックには感嘆したものの、「専門学者」としての見地から、彼のゲーデル理解とその敷衍の仕方には一種の「あやうさ」を感じざるをえなかった。というより、その「あやうさ」が後にエピゴーネンたちによって増幅され、「ゲーデル問題」が過剰な意味づけをされたまま安易なメタファーとして一人歩きし始めたことに危惧の念を覚えたのである。柄谷の問題提起の切実さに比して、一般に流布した「不完全性定理」の解釈はいかにも厳密さを欠き、寸足らずの安手の衣服をまとわされているように見えた。しかし、柄谷が抱え込まざるをえなかった困 難、あるいは彼がそのような〈問題〉に逢着した必然性は、私なりによく理解できたつもりである。(野家啓一「柄谷行人の批評と哲学」(『国文学』1989年1月号))

※参照:ゲーデルの不完全性定理とラカンの Ⱥ

…………

ここで記したラカンの立場とは、例外の論理/非全体(非一貫性)の論理(男性の論理/女性の論理)の後者にかかわるが、柄谷行人は次の二項の後者に依拠していると思われる。

・カントの力学的アンチノミー /数学的アンチノミー(否定判断/無限判断)、

・ヘーゲルの規定的反射 bestimmenden Reflexion/反射的規定 reflexive Bestimmung、

・マルクスの唯物論的弁証法 materialistische Dialektik/弁証法的唯物論 dialektischen Materialismus

ウィトゲンシュタインの家族的類似性Familienähnlichkeitにもかかわる(参照)。

ラカンは「性別化の定式」において、性差を構成する非一貫性を詳述した。そこでは、男性側は普遍的機能とその構成的例外によって定義され、女性側は「非全体」 (pas‐tout) のパラドクスによって定義される(例外はない。そしてまさにその理由で、集合は非全体であり全体化されない)。

思い起こそう、ウィトゲンシュタインにおける「言葉で言い表せないもの」の変遷する地位を。前期から後期ウィトゲンシュタインへの移行は、全体(構成的例外を基盤とした普遍的「全て」の秩序)から、非全体(例外なしの秩序、そしてそれゆえに非普遍的・非全体的)への移行である。

すなわち、『論理哲学論考 Tractatus』の前期ウィトゲンシュタインにおいては、世界は、「諸事実」の自閉的 self‐enclosed、限界・境界づけられた「全体」として把握される。まさにそれ自体として「例外」を想定している。つまり、世界の限界として機能する神秘的な「語りえぬもの」としての「例外」の想定。

逆に、後期ウィトゲンシュタインにおいては、「語りえぬもの」の問題系は消滅する。しかしながら、まさにその理由で、世界はもはや言語の普遍的条件によって統整された「全体」として把握されない。残存しているものはことごとく、部分領域のあいだの水平的連携である。普遍的特徴の集合によって定義されたシステムとしての言語概念は、分散した実践の多様性としての言語概念に置き換えられる。つまり、「家族的類似性 family resemblance」によってゆるやかに相互につながった多様性としての言語概念に。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)


2017年2月25日土曜日

思考のパレット

凡庸な物書きは、あら削りで不正確な表現を正確な表現に、あまりにもすばやく置きかえてしまわないよう、用心すべきである。置きかえることによって、最初にひらめきが殺されてしまうからである。そのひらめきは、柄は小さくても、生きた草花ではあったのだ。ところが正確さを得ようとして、その草花は枯れてしまい、まったくなんの価値もなくなってしまう。いまやそれは肥だめのなかに投げ込まれかねないわけだ。草花のままであったなら、いくらかみすぼらしく小さなものであっても、なにかの役にはたっていたのに。(ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン「反哲学的断章」)

ブログとか、ツイッターならさらにもっと思考のパレットだよ
こんな場とは、いい加減なことをいったん記しても書き直しできるんだし ツイートならさっと過ぎ去っていくもんだ

ま、ブログやツイッターを出版物と同様にマガオで受け取ったりしている読者や書き手もいるのは知らないわけではないが。

そもそもヴァレリーのカイエとは、思考のパレットだ。そして(彼の場合はだが)論文よりもパレットのほうが面白いことがままある。わたくしの「蚊居肢」ってのはその意味もあるんだがね。だから真に受けてなんたら質問してくるな。そもそも「原抑圧」概念とは、フロイトが提起してから百年、だれもまともにわかっちゃいなかったんだから。

基本的には、次の中井久夫の二文を信じてるね、わたくしは。

◆ 中井久夫「執筆過程の生理学」『家族の深淵』1995
「編集者治療者説」がある。現・新潟大学医学部精神科教授の飯田真先生が座興に口にされたことである。編集者は著者をなだめすかし、愚痴を聞き、ほめてやり、著者の苦手なことは代行してやり、等々ということが業務の少なからざる部分を占めているからである。

大著者になると、専用の編集者が付き、ともに飲み、食事をし、家庭に常時参上し(編集者の部屋が用意されている)、家族と親しみ、泊り、時には私ごとの解決もしてやり、最後に葬儀を取り仕切って終わりとなるという話である。大著者という種族は死滅しつつあるようだそ、編集者のほうもだんだん家庭を大事にするようであるから、こういうことはもう半分過去に属しているかもしれない。
ある程度本格的な企画の場合に、初期高揚だけで完成することは決してと言ってよいほどない。しかし、この時期に「パレット」をできるだけ充実させておくことがずっと後で生きてくる。「パレット」の充実には、聞き手がいるとずっと楽である。独りでは限界がある。ここにも一つ、編集者の「治療」の有用性がある。

これは、「自由連想」をさせて、「抵抗」を破って、「徹底操作」をして「洞察」に到達せしめる精神分析治療に似た過程であると私は思う。「自由連想」とは編集者との駄べりである。

「自由連想」は、主題やキーワードの持つ意外な側面を明らかにし、新しい可能性を開く。著作というものは、発端に立った時に終点まで見通せる直線道路のようなものではない。そういうものであれば、おおよそ詰まらないものだろう、予期外の転回に引かれて読者は読み進むものである。「自由連想」によってこれから書く領域の思わぬ複雑なひだひだが見えてくれば成功である。

「抵抗」にはいろいろある。怖い批評家の言葉の先取りもある。従来の自説が足を引っ張ることもある。ある箇所がとうてい越せない難所に見えることもある。ある部分についての知識が絶望的に欠如していると思うこともある。これらは、みな「抵抗」である。しかし、対話のうちに、難所もさしたるものでないようにみえてくる。ある部分は回避してもよいことがわかる。あるいは違った接近法がよいと知れる。このように「抵抗」を言語化し吟味することが「徹底操作」である。そうすると、この課題でこのようなものなら著者にもできるという、「現実原則」に則った「洞察」が生まれる。この手続きなしで、編集者が「ま、よろしくお願いします」で引き下るとロクなものができない。

編集者は地方にはいないが、その代わり、さいわい、私は大学教師で、周囲に若い人がいる立場にあるので彼らを大いに利用させてもらっている。私のほうが聞き役になることもむろんある。 


◆中井久夫「詩の基底にあるもの」(『家族の深淵』所収)

ーー以下は長い文から抜き出したもので、このパレット箇所だけを引用したら意味不明かもしれないが、この文の前後は「話す身体と分裂病的享楽」を参照。

神秘家は、召命の後、ある時期には aridity(不毛)に耐えなければならないと聞く。このことは詩人にもある。

彼はあるカフェに入り、散らばっている新聞に、あるドイツの大公が、愛人であった女優の演技と台詞を具体的に細部にわたって記してあるのに遭遇する。それは「まさにしかるべき瞬間に到来して、もっとも予想外の経路によって必要であった救いをもたらした」。これはサン・ピエトロ広場のオベリスクが建立中途で進退谷〔きわ〕まった時、厳禁されている沈黙を破った「綱を湿せ」の一声が綱の強度を増して破局を救ったのに例えられている。劇はシラーの「メアリ・スチュアート」の処刑寸前の一節を音の高さから沈黙まで記述したものであるが、どうして彼を救ったかは自分ではわからないという。

この時までに彼が現在刊行されている「若きパルク」の草稿のどの段階に達していたかは、それらの多く、特に初期のものに日付がない以上、確定できないが、この特権的な救いによって、「パレット」と「断片」にすっと筋が一本通ったのであろう。棋士が勝負を進める時、あらゆる可能性を読むうちはまだ駄目で、他の可能性がおのずと排除されてすっと一筋の道が見えるようになる必要があるというが、それに似た転換である。

パレットに絵の具を並べるようにさまざまの語や観念とその相関とが乱舞するのは、分裂病の言語危機においても見られるところである。分裂病が創造性にもっとも近づく一時期である。もし、そのまま推移して、パレットが自動的に増殖し、ついには認知が追いつけないほど加速され、また、語の「自由基」ともいうべき未成の観念の犇めきが意識されるようになれば、病いのほうに近づく。精神は集中に過ぎれば不毛になり(それゆえカイエの「地獄」、散乱にすぎれば解体の危機に近づく(「パレット」の時期)からである。あらゆる可能性をきわめようとしつつ、精神の統一を強化しようとする矛盾した自己激励は、時に創造的であるが、しばしば袋小路に自らを追い込む。


2017年2月23日木曜日

二種類の原抑圧

やあこれは失礼。わたくしが原抑圧をめぐって主に記しているのは(S(Ⱥ) =サントーム Σ= 原抑圧=Y'a d'l'Un)、そのあたりに出回っている「古典的」原抑圧ではない。たとえばジャン・ラプランシュJean Laplancheの『精神分析用語辞典』にあるようなものではない。

原抑圧をめぐってはフロイトだけでなくラカン自身も彷徨っていたのは、「原抑圧の悪夢」で記したところなので、それを記すのを失念していた。どちらかというと、いちいち参照として掲げるのはメンドクサイので、このところわたくしの記していることを信用しないように、というメッセージをおくっているつもりなのだが、ま、ここは以下の文を掲げて慎んでオワビをしておくことにする。

幼児は話し始める瞬間から、その前ではなくそのまさに瞬間から、抑圧(のようなもの)がある、と私は理解している。À partir du moment où il parle, eh ben… à partir de ce moment là, très exactement, pas avant …je comprends qu'il y ait du refoulement.(Lacan,S.20)
父性隠喩が成立する以前に、言語(非統合的 nonsyntagmatic 換喩としての)は既に幼児の要求を疎外している。(……)

幼児が、最初の音素を形成し、自らの要求を伝え始めるとき、疑いもなく、ある抑圧が既に起こる。彼の要求することは、定義上、言語のなかに疎外される。…その要求は、必ず誤解釈される。したがって、常に増え続ける欲求不満に陥るよう運命づけられている。(ロレンツォ・キエーザ、2007,Lorenzo Chiesa、Subjectivity and Otherness、2007)


◆ロレンツォ・キエーザ2007(Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa )

ラカンにとって、言語は無意識に先立つ。より具体的に言えば、言語は無意識の完全な構造化に先立つ。というのは、どんな隠喩的置換もなしに、原抑圧ーー最初の泣き叫び・音素・言葉の換喩的発声ーーが幼児に起こるから。Laplanche とは異なり、ラカンは、本源的シニフィアン を考えた。その原シニフィアンとは、たんに対立的カップルとしてのシニフィアンーー母の不在によって引き起こされたトラウマの原象徴化の試み、フロイトによって描写されたFort–Da(いないないバア)のようなものーーである。隠喩的置換ーーそれと同時の十分に分節化された言語による厳密な意味での抑圧の可能性ーーは、エディプスコンプレックスの崩壊によってのみ、引き続いてもたらされる。

父性隠喩の出現以前に、言語は(非統合的 nonsyntagmatic 換喩として)既に子供の要求を疎外するーーしたがって、また何らかの形で抑圧されるーー。しかし、無意識と自己意識の両者は、まだ完全には構造化されていない。原抑圧は、エディプスコンプレックスの崩壊を通してのみ、遡及的(事後的)に、実質上抑圧される。
結局、我々は認めなければならない、ラカンは我々に二つの異なった原抑圧概念を提供していることを。広義に言えば、原抑圧は、原初のフリュストラシオン(欲求不満)ーー「エディプスコンプレックスの三つの時」Les trois temps du complexe d'Oedipe の最初の段階の始まりーーの帰結である。《原抑圧は欲望の疎外に相当する。それは、欲求が要求のなかに分節化されれたとき起こる》(ラカン、E690、摘要)。

《諸々の欲求のうち疎外されたものは、要求という形でははっきり表現する〔=分節化する〕ことがおそらく〔仮説によると〕できないでしょうから、原抑圧 [Urverdrangung]として構成されます。しかし、「欲求において疎外されたもの」はそれでもなお支流 [rejeton] の 中に姿をあらわし、その支流はそれ自身、欲望 [das Begehren] として人間に現れるのです。》(ファルスの意味作用、エクリ、690)

明瞭化のために、我々はこの種の原抑圧を刻印 inscription と呼びうる。他方、厳密な意味での原抑圧は、無意識の遡及的形成に相当する。それは(意識的エゴの統合に随伴して)、エディプスコンプレックスの第三の段階の最後に、父性隠喩によって制定される。この意味での原抑圧は、トラウマ的原シニフィアン「母の欲望」の抑圧と、それと同時の根本幻想の形成化に相当する。(Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa)

※刻印については、初期フロイト概念「刻印 Niederschrift」(経験の記載)を参照のこと。
…………

このあたりが理解されていないのは、たとえば次の向井雅明氏の文が示している。

……注目すべき点は、私たちが通常の知覚を獲得したり、シニフィアンを使用して言語的表象行うことができたりするようになるには、ばらばらの印象から一つのまとまったイメージへの移行と、イメージからシニフィアン的構造化への移行という二つの翻訳過程、二つの契機を経なければならないという論理だ。一般的にラカン理論では二番目の移行に相当する原抑圧、もしくは父性隠喩の作用による世界のファルス化という唯一の過程のみで心的装置の成立をかんがえる傾向にあるが、たとえば精神病を父の名の排除という機制だけで捉えることは、精神病者においても言語による構造化はなされているという事実をはっきりと捉えられなくなってしまう。心的装置の成立過程に二つの大きな契機があるとかんがえると、主体的構造の把握がより合理的に行われるように思われる。向井雅明『自閉症と身体』2010、PDF)

2010年時点でさえ、《一般的にラカン理論では二番目の移行に相当する原抑圧、もしくは父性隠喩の作用による世界のファルス化という唯一の過程のみで心的装置の成立をかんがえる傾向にある》とあるわけで、ま、むかしの辞書のたぐいは真に受けないほうがいい、ということが多い。21世紀に入ってラカン概念の捉え方は原抑圧だけでなく大きく変わっている(参照:古典的ラカンドグマの転回)。

わたくしもエラそうなことをいうつもりはなく、ついこの2,3年でそれがようやくわかってきたので、こうやってメモしている。そもそも「わかってきた」といっても、限られた注釈者たちの論を読むなかでのーーわたくしの誤読の可能性をも含めたーー「わかってきた」であり、仮に誤読がないにしろ、そのうちまたラカン派注釈者の解釈が変わりうるのは当然予想される。

いずれにせよそのあたりのラカンコミュニティの人たちとはあまりお付き合いはするつもりはないので、ときに「補足」を忘れてしまう。

如何にコミュニティが機能するかを想起しよう。コミュニティの整合性を支える主人のシニフィアンは、意味されるものsignifiedがそのメンバー自身にとって謎の意味するものsignifierである。誰も実際にはその意味を知らない。が、各メンバーは、なんとなく他のメンバーが知っていると想定している、すなわち「本当のこと」を知っていると推定している。そして彼らは常にその主人のシニフィアンを使う。この論理は、政治-イデオロギー的な絆において働くだけではなく(たとえば、コーサ・ノストラ Cosa Nostra(われらのもの)にとっての異なった用語:私たちの国、私たち革命等々)、ラカン派のコミュニティでさえも起る。集団は、ラカンのジャーゴン用語の共有使用ーー誰も実際のところは分かっていない用語ーーを通して(たとえば「象徴的去勢」あるいは「斜線を引かれた主体」など)、集団として認知される。誰もがそれらの用語を引き合いに出すのだが、彼らを結束させているものは、究極的には共有された無知である。(ジジェク『THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE』私訳ーー第一次象徴的去勢/第二次象徴的去勢)

ーーでは左様ナラ!!

…………

※付記

そもそもフロイトは最初に「原抑圧」概念に近似した記述を提示したときに次のように記している。1926年の記述と併せて読めば、前期ラカンの原抑圧概念の捉え方自体がいささか問題があったという見方さえできる。

「抑圧」は三つの段階に分けられる。

①第一の段階は、あらゆる「抑圧 Verdrängung」の先駆けでありその条件をなしている「固着 Fixierung」である。(…)

②「正式の抑圧(後期抑圧)」の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ既に抑圧の第二段階である。(… )

③第三段階は、病理現象として最も重要なものだが、その現象は、抑圧の失敗、侵入、「抑圧されたものの回帰Wiederkehr des Verdrängten」である。この侵入とは「固着 Fixierung」点から始まる。そしてその点へのリビドー的展開の退行を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(パラノイド性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』1911、摘要)

…………

原抑圧 Urverdrängung とは?

・夢の臍 Nabel des Traums
・菌糸体 mycelium、
・真珠貝の核の砂粒 das Sandkorn im Zentrum der Perle
・欲動の根 Triebwurzel
・欲動の固着 Fixierungen der Triebe.
(リビドーの固着 Fixierung der Libido、Libidofixierung)
・我々の存在の核 Kern unseres Wesen

・サントーム sinthome
・一のようなものがある Y'a d'l'Un
・身体の出来事 un événement de corps
・享楽の侵入の記念物 commémore une irruption de la jouissance
・S(Ⱥ)
・Lⱥ femme 

・原症状 Ursymptom(還元不能の症状 Il n'y a aucune réduction radicale)
・原防衛 Urverteidigung
・原固着 Urfixierung
・原トラウマ Urtrauma

…………

以下はたぶんそう

・原リアルの名 le nom du premier réel
・原穴の名 le nom du premier trou

〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。

Mère, au fond c’est le nom du premier réel, DM (Désir de la Mère)c’est le nom du premier trou produit par l’opération de vidage par le signifiant. (コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)
ラカンによれば、《母の欲望 Désir de la Mère》を構成する「原-諸シニフィアン」は、イメージの領域における (子供の)欲求の代表象以外の何ものでもない。同じ理由で、これらの想像的諸シニフィ アン/諸記号は、刻印としての原抑圧を徴づける。(ロレンツォ・キエーザ2007,Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa)

我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋めるために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を作る。

nous savons tous parce que tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. Là où il n'y a pas de rapport sexuel, ça fait « troumatisme ». (ラカン、S21、19 Février 1974 )

さらに次のものもたぶん。

・要素現象 phénomènes élémentaires
・J(Ⱥ)

J(Ⱥ)は享楽にかかわる。だが大他者の享楽のことではない。というのは私は、大他者の大他者はない、つまり、大他者の場としての象徴界に相反するものは何もない、と言ったのだから。大他者の享楽はない。大他者の大他者はないのだから。それが、斜線を引かれたA [Ⱥ] の意味である。

…que j'ai déjà ici noté de J(Ⱥ) .Il s'agit de la jouissance, de la jouissance, non pas de l'Autre, au titre de ceci que j'ai énoncé : - qu'il n'y a pas d'Autre de l'Autre, - qu'au Symbolique - lieu de l'Autre comme tel - rien n'est opposé, - qu'il n'y a pas de jouissance de l'Autre en ceci qu'il n'y a pas d'Autre de l'Autre, et que c'est ce que veut dire cet A barré [Ⱥ]. (Lacan,Séminaire XXIII Le sinthome Décembre 1975)

そしてラカンのサントームsinthome にほぼ相当するものとして、
フロイトの現勢神経症 Aktualneurose 。

……もっとも早期のものと思われる抑圧(原抑圧 :引用者)は 、すべての後期の抑圧と同様、エス内の個々の過程にたいする自我の不安が動機になっている。われわれはここでもまた、充分な根拠にもとづいて、エス内に起こる二つの場合を区別する。一つは自我にとって危険な状況をひき起こして、その制止のために自我が不安の信号をあげさせるようにさせる場合であり、他はエスの内に出産外傷 Geburtstrauma と同じ状況がおこって、この状況で自動的に不安反応の現われる場合である。第二の場合は根元的な当初の危険状況に該当し、第一の場合は第二の場合からのちにみちびかれた不安の条件であるが、これを指摘することによって、両方を近づけることができるだろう。また、実際に現れる病気についていえば、第二の場合は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現われ、第一の場合は精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。

(……)外傷性戦争神経症という名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症の性質をわけもっているだろう。(フロイト『制止、症状、不安』1926ーーフロイト引用集、あるいはラカンのサントーム

…………

・異物Fremdkörper

異物も原抑圧にかかわる。

トラウマ、ないしその想起は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物ーーのように作用する。(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)

・異者である身体(異物) un corps qui nous est étranger(ラカン、S23,11 Mai 1976)

・外密Extimité :私の最も内にある《親密な外部、モノとしての外密 extériorité intime, cette extimité qui est la Chose》(ラカン、S.7、03 Février 1960)

外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。外密は、親密な〈他〉である。それは、異物 corps étranger のようなものである(ミレール、Miller Jacques-Alain, 1985-1986, Extimité
Fremdkörper(異物)は内部にあるが、この内部の異者である。現実界は、分節化された象徴界の内部(非全体pas-tout)に外立 ex-sistence する。(Paul Verhaeghe、2001,PDFーー基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による))
われわれがずっと以前から信じている比喩では、症状Symptomをある異物 Fremdkörper とみなして、この異物は、それが埋没した組織の中で、たえず刺激現象や反応現象を起こしつづけていると考えた。もっとも症状形成Symptombildungがなされると、好ましからぬ欲動の蠢きTriebregungにたいする防衛の闘いAbwehrkampf は終結してしまうこともある。われわれの見るかぎりでは、それはヒステリーの転換でいちばん可能なことだが、一般には異なった経過をとる。つまり、最初の抑圧作用についで、ながながと終りのない余波がつづき、欲動の蠢きTriebregungにたいする闘いは、症状にたいする闘いとなってつづくのである。(フロイト『制止、症状、不安』1926年、旧訳、一部変更)


中井久夫の幼児型記憶も、理論的には原抑圧と近似する。

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収 P.53)

原抑圧とは、何かの内容を無意識のなかに抑圧することではない。そうではなく、無意識を構成する抑圧、無意識のまさに空間を創出すること、「システム意識 System Bewußt (Bw)・システム前意識System Vorbewußt (Vbw)」 と「システム無意識System Unbewußt (Ubw)」 とのあいだの間隙を作り出すことである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)
……ここにはカントからヘーゲルへの移行の鍵となる帰結がある。すなわち、内容と形式とのあいだの裂け目は、内容自体のなかに投影される(反映し返される reflected back into)。それは内容が「全てではない not all 」ことの表示としてである。何かが内容から抑圧され/締め出されているのだ。形式自体を確立するこの締め出しが、「原抑圧」 (Ur‐Verdrängung)である。そして如何にすべての抑圧された内容を引き出しても、この原抑圧はしつこく存在し続ける。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)

…………

で、ドゥルーズの純粋表象 présentations puresはどうだろう?

エロスとタナトスは、次ののように区別される。すなわち、エロスは、反復されるべきものであり、反復のなかでしか生きられないものであるのに対して、(超越論的的原理 principe transcendantal としての)タナトスは、エロスに反復を与えるものであり、エロスを反復に服従させるものである。唯一このような観点のみが、反復の起源・性質・原因、そして反復が負っている厳密な用語という曖昧な問題において、我々を前進させてくれる。なぜならフロイトが、表象にかかわる"正式の"抑圧の彼方に au-delà du refoulement、「原抑圧 refoulement originaire」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前 présentations pures 、あるいは欲動 pulsions が必然的に生かされるvécues 仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じるから。(ドゥルーズ『差異と反復』私訳)

あるいはドゥルーズの「純粋な差異 la pure différence」・「起源的で、純粋で、総合的で、即自的な差異 une différence originaire, pure, synthétique, en soi 」は?

ラカンのY'a d'l'Un(一のようなものがある )やサントーム sinthome とは次の記述とともにまずは理解されるべきである。

この「一」自体、それは純粋差異を徴づけるものである。Cet « 1 » comme tel, en tant qu'il marque la différence pure(Lacan、S.9, 06 Décembre 1961)
純粋差異としての「一」は、要素概念と区別されるものである。L'1 en tant que différence pure est ce qui distingue la notion de l'élément.(S.19,1971-1972)

《サントーム le Sinthome……それは Yadlun と等価である》(ジャック=アラン・ミレール2011, Jacques-Alain Miller Première séance du Cours)


S(Ⱥ) =サントーム Σ= 原抑圧=Y'a d'l'Un

【S(Ⱥ) =サントーム】
サントーム(症状)は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME,AE.569、16 juin 1975)
ラカンが症状概念の刷新として導入したもの、それは時にサントーム∑と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (ミレール、Ce qui fait insigne、The later Lacan、2007所収)
我々が……ラカンから得る最後の記述は、サントームの Σ である。S(Ⱥ) を Σ として記述することは、サントームに意味との関係性のなかで「外立ex-sistence」(参照)の地位を与えることである。現実界のなかに享楽を孤立化すること、すなわち、意味において外立的であることだ。((ジャック=アラン・ミレール「後期ラカンの教え」Le dernier enseignement de Lacan' (‘Lacan's later teaching'、2002ーー基本版:現代ラカン派の考え方)


【サントーム=原抑圧】
四番目の用語(サントーム)にはどんな根源的還元もない、それは分析自体においてさえである。というのは、フロイトが…どんな方法でかは知られていないが…言い得たから。すなわち原抑圧 Urverdrängung があると。決して取り消せない抑圧である。この穴を包含しているのがまさに象徴界の特性である。そして私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。

Il n'y a aucune réduction radicale du quatrième terme. C'est-à-dire que même l'analyse, puisque FREUD… on ne sait pas par quelle voie …a pu l'énoncer : il y a une Urverdrängung, il y a un refoulement qui n'est jamais annulé. Il est de la nature même du Symbolique de comporter ce trou, et c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)
「一」と「享楽」との関係が分析的経験の基盤であると私は考えている。そしてそれはまさにフロイトが「固着 Fixierung」と呼んだものである。

Je le suppose, c'est que cette connexion du Un et de la jouissance est fondée dans l'expérience analytique, et précisément dans ce que Freud appelait Fixierung, la fixation.(ジャック=アラン・ミレール2011, Jacques-Alain Miller Première séance du Cours)

ここでミレールが「固着」と呼んでいるものは、原固着、すなわち原抑圧のことである。

原抑圧 Urverdrängung は、まず何よりもまず「原固着Urfixierung」である。ある素材がその原初の刻印のなかに取り残されている。 それは決して言語表象に翻訳されえない。この素材は「過剰度の興奮」に関わる。すなわち、欲動、Trieb または Triebhaft である。ラカンは「享楽の漂流 la dérive de la jouissance」として欲動を解釈した。これに基づいて、フロイトは、システム無意識 System Unbewußt (Ubw) 概念を開発した。このシステムは、「後期抑圧」の素材、力動的・抑圧された無意識のなかの素材に対して引力を行使する。(ポール・バーハウ、2001、Beyond Gender. From Subject to Drive
れわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心理的(表象的)な代理 (Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識の中に入り込むのを拒否するという、第一期の抑圧を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixierung が行われる。というのは、その代表はそれ以後不変のまま存続し、これに欲動が結びつくのである。(フロイト『抑圧』1915)


【サントーム= Y'a d'l'Un】
サントーム……それはYadlunと等価である。

Si je veux inscrire le Sinthome comme un point d'arrivée de la clinique de Lacan, je l'ai déjà identifié à ce titre, une fois que Lacan a émis son Yadlun, .(ジャック=アラン・ミレール2011, Jacques-Alain Miller Première séance du Coursーー「一の徴」日記⑤)
ラカンがセミネールXX (Encore)で展開した Y a d'l'Un の「一」 l'Un(「一」のような何かがある)は、一連の「一」の諸シニフィアンといかに関係があるのか。それは、ファルス的主人のシニフィアンphallic Master‐Signifierを通しての統一化に先行しているものだ。ーーS1 (S1 (S1 (S1…)))という一連の無限的自己分割(……)。

どうだろう、ラカンの Y a d'l'Un を、(いくつかの「一」の上に)欲動を構成する最低限のリビドー的固着の式として読むのなら? プレ出来事的な「一」のない多数性から欲動の出現の瞬間として、である。そうであるなら、この「一」は、サントーム、「享楽の原子atom of enjoyment」、言語と享楽の最低限の統合である。享楽に浸透された記号の一単位(我々が強迫的に反復するチック〔痙攣〕のようなもの)である。そのような「一」は、享楽の微粒子、最も微細で本源的な袋 packages ではないか?(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012,私訳)

(ラカン、S20,26 Juin 1973)


【原抑圧=S(Ⱥ)】
原抑圧は、S(Ⱥ)にかかわる。(PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?,1999)
原抑圧とは、現実界のなかに〈女〉を置き残すことと理解されうる。

原防衛は、穴 Ⱥ を覆い隠すこと・裂け目を埋め合わせることを目指す。この防衛・原抑圧はまずなによりも境界構造、欠如の縁に位置する表象によって実現される。

この表象は、《抑圧された素材の最初のシンボル》(Freud,Draft K)となる。そして最初の代替シニフィアンS(Ⱥ)によって覆われる。(PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?,1999)
大他者の大他者はない il n'y a pas d'Autre de l'Autre、それを徴示するのがS(Ⱥ) である…« Lⱥ femme »は S(Ⱥ) と関係がある。(ラカン、S20, 13 Mars 1973ーー神と女をめぐる「思索」)

…………

こうして次の二図の相同性が判然とする。


(PAUL VERHAEGHE、1999)



ラカンは「一の徴 trait unaire」を熟慮した後、S1(主人のシニフィアン)というマテームを発明した。S1 は「一の徴」よりも一般的なマテームである。しかし疑いなく、S1 の価値のひとつは「一の徴」である。(Jacques-Alain Miller、The Axiom of the Fantasmーー「一の徴」日記⑤)
「一の徴 trait unaire」は「Y a d'l'Un」とは関係がない。…「一の徴」は反復自体の徴である。(ラカン、S.19、10 Mai 1972)

ようするにラカンの上の図、S1 (S1 (S1 (S1…)))の最初の(左端の)S1とは、Y a d'l'Un、あるいは S(Ⱥ)である。二番目以降のS1が「一の徴 trait unaire」、穴埋めとしてのフェティッシュ等々であり、右端のS1→S2におけるS1はファルスである。

そしてポール・バーハウの図の左端にある現実界的トラウマ、Ⱥは穴である。

Ⱥの最も重要な価値は、ここで(以前のラカンと異なって)、大他者のなかの欠如を意味しない。そうではなく、むしろ大他者の場における穴、組み合わせ規則の消滅である。 (ジャック=アラン・ミレール,Lacan's Later Teaching、2002、私訳)
欠如とは空間的で、空間内部の空虚 void を示す。他方、穴はもっと根源的で、空間の秩序自体が崩壊する点(物理学の「ブラックホール」のように)を示す。(ミレール、2006,Jacques‐Alain Miller, “Le nom‐du‐père, s'en passer, s'en servir,”ーー偶然/遇発性(Chance/Contingency)

ブラックホールについてはこのところ何度も引用しているが、ラカンの自身の言葉は、「「神さん」という原超自我」を参照してもらうことにして、ここではポール・バーハウのとてもわかりやすい叙述を掲げておく。

…この過程の出発点において、フロイトが「能動的」対「受動的」と呼んだ二つの傾向のあいだの対立がある。我々の観点では、これはS1(主人のシニフィアン)とS(Ⱥ) とのあいだの対立となる。S(Ⱥ) 、すなわち女にとって男のシニフィアンの等価物の不在ということである。この点において、正規の抑圧に関してフロイトによってなされた区別を次のように認知できる。

引力:抑圧されねばならない素材のうえに無意識によって行使された引力。それはS(Ⱥ) の効果である。あなたを吸い込むヴァギナデンタータ(歯のはえた膣)、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ) の効果。

斥力:すべての非共存的内容を拒絶するファルス Φ のシニフィアン S1 から生じる斥力。

この関係は容易に反転しうる。すなわちすべての共存的素材を引き込むファルスのシニフィアンと、他方でその種の素材をまさに排斥するS(Ⱥ)。

(ポール・バーハウ1999、PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?,1999、,PDF


現実界的トラウマについてはフロイトの次の文を掲げておこう。

……生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』1926年 旧訳p.365、一部変更)

とはいえここで逃してならないのは、遡及性概念である。

《潜在的リアルは象徴界に先立つ。しかしそれは象徴界によってのみ現勢化されうる。》(ロレンツォ・キエーザ、2007、Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa)

次のように言うことーー、「エネルギーは、河川の流れのなかに潜在態として、なんらかの形で既にそこにある l'énergie était en quelque sorte déjà là à l'état virtuel dans le courant du fleuve」--それは(精神分析にとって)何も意味していない。

なぜなら、我々に興味をもたせ始めるのは、エネルギーが蓄積された瞬間 moment où elle est accumulée からのみであるから。そして機械(水力発電所 usine hydroélectrique)が作動し始めた瞬間 moment où les machines se sont mises à s'exercer からエネルギーは蓄積される。(ラカン、セミネール4、1956)

ようするに S(Ⱥ)、つまり原抑圧が介入した後、はじめて潜在的リアルとしてのȺが顕在化する。

これがラカンが後に、「原初 primaire は最初premier のことではない」(『アンコール』)と言った意味である。すなわち原初のトラウマは原抑圧により遡及的 rétroactivement に構成される。

これはそれぞれの段階 S1 (S1 (S1 (S1…)))での残滓があるという意味でもあり、フロイトの残存現象という概念はそのことを示している。

発達や変化に関して、残存現象 Resterscheinungen、つまり以前の段階の現象が部分的に進歩から取り残されて存続するという事態は、ほとんど常に認められるところである。物惜しみをしない保護者が時々吝嗇な様子を見せてわれわれを驚かしたり、ふだんは好意的に過ぎるくらいの人物が、突然敵意ある行動をとったりするならば、これらの「残存現象 Resterscheinungen」は、疾病発生に関する研究にとっては測り知れぬほど貴重なものであろう。このような徴候は、賞讃に値するほどのすぐれて好意的な彼らの性格が、実は敵意の代償や過剰代償にもとづくものであること、しかもそれが期待されたほど徹底的に、全面的に成功していたのではなかったことを示しているのである。

リビドー発達についてわれわれが初期に用いた記述の仕方によれば、最初の口唇期 orale Phase は次の加虐的肛門 sadistisch-analen 期にとってかわり、これはまた男根性器 phallisch-genitalen Platz 期にとってかわるといわれていたのであるが、その後の研究はこれに矛盾するものではなく、それに訂正をつけ加えて、これらの移行は突然にではなく徐々に行われるもので、したがっていつでも以前のリビドー体制が新しいリビドー体制と並んで存続しつづける、そして正常なリビドー発達においてさえもその変化は完全に起こるものではないから、最終的に形成されおわったものの中にも、なお以前のリビドー固着 Libidofixierungen の残りが保たれていることもありうるとしている。

精神分析とはまったく別種の領域においても、これと同一の現象が観察される。とっくに克服されたと称されている人類の誤信や迷信にしても、どれ一つとして今日われわれのあいだ、文明諸国の比較的下層階級とか、いや、文明社会の最上層においてさえもその残りが存続しつづけていないものはない。一度生れ出たものは執拗に自己を主張するのである。われわれはときによっては、原始時代のドラゴン Drachen der Urzeit wirklich は本当に死滅してしてしまったのだろうかと疑うことさえできよう。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

我々には「原始時代のドラゴン」ーーすなわち最初期のトラウマ的状況・無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeit、そしてそれにかかわる攻撃欲動Aggressionstriebーーがどこかに居残っているのである。

攻撃欲動の起源とはーーここでは簡略して記すがーー《原初に「受動的あるいは女性的立場 passive oder feminine Einstellung」をとらされることに対する反抗》(フロイト、1937)である。

ーー以上、またいささか断定的に記してしまったが、ここでの記述もーーわたくしがいくらかラカン派の論を読んできたなかでのーー「仮想定」である。そしてサントームは上に記した以外の意味もある(参照:フロイト引用集、あるいはラカンのサントーム)。

…………

※付記

以下の文は上に出現した多くの用語が詰まっているとても参考になる記述である。

…これは我々に「原 Ur」の時代、フロイトの「原抑圧 Urverdrängung」の時代をもたらす。Anne Lysy は、ミレールがなした原初の「身体の出来事un événement de corps」とフロイトが「固着 Fixierung」と呼ぶものとの連携を繰り返し強調している。フロイトにとって固着は抑圧の根(欲動の根Triebwurzel)である。それはトラウマの記銘ーー心理装置における過剰なエネルギーの(刻印の)瞬間--である。この原トラウマは、どんな内容も欠けた純粋に経済的瞬間なのである。(Report on the Preparatory Seminar Towards the 10th NLS Congress "Reading a Symptom"Tel Aviv, 27 January, 2012

※参照:二種類の原抑圧



2017年2月22日水曜日

レヴィナスというシオニストの他者への敬意・顧慮

やあ、《他者の他者性 l'altérité de l'Autre》かい?

レヴィナスとラカンはまったくことなるのはよく知ってるさ、
他者の「顔」ってやつだろ?

でもレヴィナスは掠め読んだことしかないから、なんたら言うつもりはないね
それに彼はひどいシオニストらしいが、批判しにくい対象なんだよな

第二次大戦中は開戦後すぐにフランス軍に応召し、1940年、ドイツ軍の捕虜となって、ドイツで抑留生活を送る。その間、フランス在住の妻や長女はかくまわれてホロコーストをのがれたが、義母は行方不明となった。父や兄弟など在リトアニアの彼の親族たちはほぼ全員、親衛隊 (ナチス)によって殺害された。(wiki)

ーーってわけでね。

ジジェクは遠慮会釈なしに批判しているけれど。

たぶんジジェクのトラウマの起源のひとつは次の文に現れているはず。

耐え難いのは差異ではない。耐え難いのは、ある意味で差異がないことだ。サラエボには血に飢えたあやしげな「バルカン人」はいない。われわれ同様、あたりまえの市民がいるだけだ。この事実に十分目をとめたとたん、「われわれ」を「彼ら」から隔てる国境は、まったく恣意的なものであることが明らかになり、われわれは外部の観察者という安全な距離をあきらめざるをえなくなる。(ジジェク『快楽の転移』)

だから次のような発言が生まれる。

……隣人を倫理的に飼い慣らしてしまうという誘惑に負けてはならない。たとえばエマニュエル・レヴィナスはその誘惑に負けて、隣人とは倫理的責任への呼びかけが発してくる深遠な点だと考えた。レヴィナスが曖昧にしているのは、隣人は怪物みたいなものだということである。この怪物性ゆえに、ラカンは隣人に〈物 das Ding〉という用語をあてはめた。フロイトはこの語を、堪えがたいほど強烈で不可解な、われわれの欲望の究極の対象を指す語として用いた。(……)隣人とは、人間のおだやかな顔のすべてから潜在的に垣間見える(邪悪な)〈物〉である。(ジジェク『ラカンはこう読め』2006,鈴木晶訳)

この文のより詳しい説明は、次の文がいいだろう。

想い起こしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって定期的に引き起こされることをだ。生き残ったことについての彼らの内密な反応は、いかに深刻な分裂によって刻印されているかについて。意識的には彼らは十全に気づいている、彼らの生存は無意味なめぐり合わせの結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない、ひたすら責めをおうべき加害者はナチの拷問者たちであると。

だが同時に、彼らは「非合理的な」罪の意識にとり憑かれるている(いや単にそれだけではなくそれ以上のものがある)。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。――よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生き残り者の多くを自殺に追いやる。これは最も純粋な超自我の審級を露顕させている。猥褻な審級、それが我々を操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

超自我の機能は、まさに我々の人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的な核を混乱させる。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。超自我とは、現実界のトラウマ的中核から昇華によって我々を保護してくれるものどころか、超自我自体が現実界を仕切っている仮面なのである。

レヴィナスにとって、主体を脱中心化する根源的に異質な「現実界的モノ das Ding」のトラウマ的侵入は、倫理的な「善の呼びかけ」と同じものだ。他方ラカンにとっては逆に、その侵入は原初の「邪悪なモノ das Ding」であり、「善」のヴァージョンには決して昇華されえない何ものか、永遠に動揺をもたらす裂目のままの何ものかなのである。そこには、倫理的呼びかけの源泉としての「隣人」の飼い馴らしに対して「悪」の報復がある。すなわち、倫理的呼びかけ自体の超自我的歪曲の偽装のなかに「抑圧された悪」が回帰する。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012,私訳)

ジジェクは上の文に引き続いて、レヴィナスの他者の顔の議論を徹底的に叩いているのだけれどーー《ラカンにとって「顔」は、イマジネールな囮として機能する》等々ーーま、それはいいさ、わからんね、わたくしには。

でも一般に、人はトラウマ的経験を経たら、攻撃的になるのさ

治療における患者の特性であるが、統合失調症患者を診なれてきた私は、統合失調症患者に比べて、外傷系の患者は、治療者に対して多少とも「侵入的」であると感じる。この侵入性はヒントの一つである。それは深夜の電話のこともあり、多数の手紙(一日数回に及ぶ!)のこともあり、私生活への関心、当惑させるような打ち明け話であることもある。たいていは無邪気な範囲のことであるが、意図的妨害と受け取られる程度になることもある。彼/彼女らが「侵入」をこうむったからには、多少「侵入的」となるのも当然であろうか。世話になった友人に対してストーキング的な電話をかけつづける例もあった。(中井久夫「トラウマと治療体験」『徴候・記憶・外傷』所収ーー基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による)

「侵入」をこうむった人物は、「侵入的」になるのさ、これは抗いがたい事実であり、その他者への侵入を抑圧すれば、自己破壊的になるわけでね。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。(中井久夫)

たとえば次のジジェクによるレヴィナス批判にかかわる文にあるレヴィナスの発言は、彼の攻撃性が発露していると読めるね。

想い出してみよう、よく知られたレヴィナスの滑稽な大失態 fiascoを。それは、ベイルートにおけるサブラー・シャティーラ事件(1982年9月16日から18日)大虐殺の一週間後に、彼がラジオ放送番組に、ショーロモ・マルカ Shlomo MaIka とアラン・フィンケルクロートAlain Finkelkrautとともに参加したときのことだ。

ショーロモ・マルカがエマニュエル・レヴィナスに明らかに「レヴィナス的な」質問をした。「エマニュエル・レヴィナス、あなたは「他者」の哲学者です。歴史とは、あるいは政治とは、まさに「他者」との出会いの場であり、またイスラエル人にとって「他者」とは何よりもまずパレスチナ人ではありませんか?」と。

レヴィナスは次のように答えた。

《他者についての定義はまったく異なっています。他者は、必須の親族ではありませんが、そうなる可能性がある隣人です。またこの意味で、あなたが他者を受け容れれば、隣人をも受け容れていることになるのです。しかしあなたの隣人が他の隣人を攻撃する、あるいは彼を不当に扱えば、あなたには何ができるでしょう? そのとき、他性が別なる特徴を帯び、他性に敵を見出す可能性があるか、少なくとも誰が正しく誰が間違っているのか、誰が正義で誰が不正義なのかを知るという問題に直面することになります。誤っている人びとが存在するのです。》(エマニュエル・レヴィナス)

この発言に潜む問題は、潜在的にシオニスト的で反パレスチナ的なその態度にではなく、その反対に、高度な理論から俗悪な常識的感想への思いがけないシフトである。レヴィナスが基本的に言っていることは、原則としては、他者性への敬意-顧慮は無条件のものでありながら、具体的な他者に遭遇すれば、それにもかかわらず、ひとは彼が友人か敵かを判断せねばならないということにすぎない。要するに、実践的な政治では、他者性への敬意-顧慮は厳密には何も意味していないのである。(Slavoj Zizek. Spinoza, Kant, Hegel and... Badiou!)

ーーこの文は、《かつてユダヤ人が独占していた「絶対的犠牲者」というステイタスをいまやパレスチナ人が奪いとった》(フィンケルクロート)とともに読むべきだろう。

ところが、レヴィナスにとってはパレスチナ人への顧慮・敬意なんてありはしないと読める。彼は他者性への敬意-顧慮は実際はひどく苦手だったんじゃないか(くり返せば、トラウマ経験のために)。いわば、他者性への敬意-顧慮の「天性(?)」が少なかったんじゃないか? そうとでも読まないと、上の発言は情状酌量しがたいね。

…技術の本があっても、それを読むときに、気をつけないといけないのは、いろんな人があみ出した、技術というものは、そのあみ出した本人にとって、いちばんいい技術なのよね。本人にとっていちばんいい技術というのは、多くの場合、その技術をこしらえた本人の、天性に欠けている部分、を補うものだから、天性が同じ人が読むと、とても役に立つけど、同じでない人が読むと、ぜんぜん違う。努力して真似しても、できあがったものは、大変違うものになるの。(……)

といっても、いちいち、著者について調べるのも、難しいから、一般に、著者がある部分を強調してたら、ああこの人は、こういうところが、天性少なかったんだろうかな、と思えばいいのよ。たとえば、ボクの本は、みなさん読んでみればわかるけれども、「抱える」ということを、非常に強調しているでしょ。それは、ボクの天性は、揺さぶるほうが上手だね。だから、ボクにとっては、技法の修練は、もっぱら、「抱えの技法」の修練だった。その必要性があっただけね。だから、少し、ボクの技法論は、「抱える」のほうに、重点が置かれ過ぎているかもしれないね。鋭いほうは、あまり修練する必要がなくて、むしろ、しないつもりでも、揺さぶっていることが多いので、人はさまざまなのね。(神田橋條治「 人と技法 その二 」 『 治療のこころ 巻二 』 )

ーーということぐらいだな、わたくしが言いたいのは。


2017年2月21日火曜日

少女の裸相撲




The Real is Without Law, Jacques-Alain Miller,2001,PDFの冒頭に上の画像がある。

いやあいい写真だな、としばらく眺めていた。
脂の乗り切っていない清らかなお尻・腿・胸や陰毛だって愛らしい。

ところでこの20頁ほどの論文の終り近くに次の画像がある。




同じ少女たちなんだろうか? ひどく印象が異なる。
髪の長さ? いやそれだけではない。
こちらのほうはむしろ成熟した平凡な少女、二十前後にみえる。

でもたぶん同じ少女たちなんだろう・・・

わたくしはまったくロリコン趣味はないのだが、これはどうしたわけだろう?

よくわからないな。この胸キュンのあとの、ちょっとした失望ってのは。

…………最初の写真は『台風クラブ』の匂いがするのかな、ひょっとして。



ところで工藤夕貴ちゃんって最近どうしてんだろ
『ミステリー・トレイン』以後、さっぱり知らないけど




女相撲の左側の少女って夕貴ちゃんに似てないかね




最近の工藤夕貴の写真のぞいてみたら・・・
女ってのは変わるもんだね

ま、いいさ、ユジャワンがいるんだから、現在は。

◆Yuja Wang plays Schumann's "The Smuggler" on a Steinway Spirio



ーーやあすこし背中に肉がついてきたな
先が思いやられるよ

「どうしたって、女は十六、七から二十二、三までですね。色沢がまるでちがいますわ。男はさほどでもないけれど、女は年とるとまったく駄目ね。」(徳田秋声『爛』)


ホホホホーー糸子/藤尾、あるいは嬲/嫐

さて夏目漱石の『虞美人草』における糸子と藤尾という二人の「理想の女」をめぐって、「呼んでもやってこない「理想の女」」にて長々と記したが、ここでは簡潔に、--マルクス・精神分析的にーー記しておこう。

まず「二種類の対象aとフロイトの快の獲得 Lustgewinnung」における記述から次の柄谷行人の『マルクス その可能性の中心』にかかわる文とジジェクの文を再掲する。

「対称的であり且つ合理的な根拠」/「社会的な、すなわち無根拠であり非対称的な交換関係」とは、「メッセージ(商品)-コード(貨幣)-メッセージ(商品)」/「コード(貨幣)-メッセージ(商品)-コード(貨幣)」である(C-M-C/M–C–Mʹ)。
ここで耐えねばならない誘惑は、C-M-C から M-C-M' への移行を、より基本的過程の疎外・脱自然化として捉えてしまうことである。一見自然で妥当に見える、人が生産しうるが自らにとっては実際の必要でない品を、他者によって生産された必要品と交換するのは。この全過程は私の欲求によって統制されている。だが事態は奇妙な転回を起す。それは仲介要素(貨幣)にすぎなかった筈のものが、目的自体になるときである。そのとき全運動の目的は、私の実際の欲求における拠り所を失い、二次的手段化であるべき筈のものの終わりなき自己増殖へと転じる…。

C-M-C を自然で妥当と見なしてしまう誘惑に対抗して、人は強調しなければならない。C-M-C から M-C-M' への反転(すなわち自己を駆り動かす貨幣の妖怪の出現)は、既にマルクスにとって、自己駆動化された人間の生産活動の倒錯的表現である。マルクス的観点からは、人間の生産活動の真の目標は、人間の欲求の満足ではない。むしろ欲求の満足は、ある種の理性の狡知のなかで、人間の生産活動の拡張を動機づけるために使われる。(ジジェク、2016)

(このジジェクの叙述はフロイト概念「快の獲得 Lustgewinnung」、ラカン概念「剰余享楽 plus-de-jouir」、マルクス概念「剰余価値 Merhwert」にかかわっている。)

①「メッセージ(商品)-コード(貨幣)-メッセージ(商品)」というのが想像界的な愛の様相であり、糸子を理想の女とする吉本隆明の解釈である(前回の叙述参照)。

②「コード(貨幣)-メッセージ(商品)-コード(貨幣)」というのが現実界的な愛の様相であり、坂口安吾的な解釈である。

前回、安吾による「理想の女」の叙述を引用したが、あの叙述の裏には次の文がある。

・矢田津世子よ。あなたはウヌボレの強い女であった。あなたは私を天才であるかのようなことを言いつゞけた。そのくせ、あなたは、あなたの意地わるい目は、最も世俗的なところから、私を卑しめ、蔑んでいた。
・私はあの人をこの世で最も不潔な魂の、不潔な肉体の人だという風に考える。そう考え、それを信じきらずにはいられなくなるのであった。

そして、その不潔な人をさらに卑しめ辱しめるために、最も高貴な一人の女を空想しようと考える。すると、それも、いつしか矢田津世子になっている。気違いめいたこの相剋は、平凡な日常生活の思わぬところへ別の形で現れてもいた。(坂口安吾「三十歳 」)

さて、もう一度、次の二つの様相文を再掲する。

①「メッセージ(商品)-コード(貨幣)-メッセージ(商品)」
②「コード(貨幣)-メッセージ(商品)-コード(貨幣)」

これはよく知られた、あまりにも簡潔な漢字表象を使えば、


ーーである。

愛することは、女になることである。

人は女性的ポジションからのみ本当に愛しうる。愛することは女性化することである。この理由で、男性においては、愛は常にいささか滑稽である(ミレール「愛について」Jacques-Alain Miller: On Love

このあたりの消息については、「すべての乳幼児にとって、母は「男」である」に記した。

というわけでもはやこれ以上何もいうことはない。

ただしこれを如実に身に染みて悟ことができるのは詩人の感性、あるいは愛の地獄の経験がなければならぬやもしれぬ。

女の二十四は男の三十にあたる。理も知らぬ、非も知らぬ、世の中がなぜ廻転して、なぜ落ちつくかは無論知らぬ。大いなる古今の舞台の極まりなく発展するうちに、自己はいかなる地位を占めて、いかなる役割を演じつつあるかは固より知らぬ。ただ口だけは巧者である。天下を相手にする事も、国家を向うへ廻す事も、一団の群衆を眼前に、事を処する事も、女には出来ぬ。女はただ一人を相手にする芸当を心得ている。一人と一人と戦う時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。具象の籠の中に飼われて、個体の粟を喙んでは嬉しげに羽搏するものは女である。籠の中の小天地で女と鳴く音を競うものは必ず斃れる。小野さんは詩人である。詩人だから、この籠の中に半分首を突き込んでいる。小野さんはみごとに鳴き損ねた。(夏目漱石『虞美人草』)

詩人の感性に全く欠けている方々でも『虞美人草』を、その前年の1906年に書かれた『草枕』ーーグレン・グールドの死の枕元にあったとされるーーとともに読めば、いくらか悟りうるはずである。

都会に芸妓と云うものがある。色を売りて、人に媚びるを商売にしている。彼らは嫖客に対する時、わが容姿のいかに相手の瞳子に映ずるかを顧慮するのほか、何らの表情をも発揮し得ぬ。年々に見るサロンの目録はこの芸妓に似たる裸体美人を以て充満している。彼らは一秒時も、わが裸体なるを忘るる能わざるのみならず、全身の筋肉をむずつかして、わが裸体なるを観者に示さんと力めている。

今余が面前に娉婷と現われたる姿には、一塵もこの俗埃の眼に遮ぎるものを帯びておらぬ。常の人の纏える衣装を脱ぎ捨てたる様と云えばすでに人界に堕在する。始めより着るべき服も、振るべき袖も、あるものと知らざる神代の姿を雲のなかに呼び起したるがごとく自然である。(……)

しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかしているに過ぎぬ。片鱗を溌墨淋漓の間に点じて、虬竜の怪を、楮毫のほかに想像せしむるがごとく、芸術的に観じて申し分のない、空気と、あたたかみと、冥邈なる調子とを具えている。(……)

輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀の尾のごとくに風を起して、莽と靡いた。渦捲く煙りを劈いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向へ退く。余はがぶりと湯を呑んだまま槽の中に突立つ。驚いた波が、胸へあたる。縁を越す湯泉の音がさあさあと鳴る。(夏目漱石『草枕』)

ホホホホは藤尾の笑いであり、けっして糸子の笑いではない。

・「ホホホ」と突然藤尾は高く笑った。男はぎょっとする。

・「ホホホホ一番あなたによく似合う事」 藤尾の癇声は鈍い水を敲いて、鋭どく二人の耳に跳ね返って来た。(『虞美人草』)

こう記していて突然想起したが、藤尾も那美もソクラテスの技術をもっている。そしてこれが女性の本質であるのは、実は誰もが知っている。

ソクラテスは、その質問メソッドによって、彼の相手、パートナーを、ただたんに問いつめることによって、相手の抽象的な考え方をより具体的に追及していく(きみのいう正義とは、幸福とはどんな意味なのだろう?……)。この方法により対話者の立場の矛盾を露わにし、相手の立場を彼自身によって崩壊させる。(……)ヘーゲルが女は“コミュニティの不朽のイロニーである”と書いたとき、彼はこのイロニーの女性的性格と対話法を指摘したのではなかったか? というのはソクラテスの存在、彼の問いかけの態度そのものが相手の話を“プロソポピーア”に陥れるのだから。

会話の参加者がソクラテスに対面するとき、彼らのすべての言葉は突然、引用やクリシェのようなものとして聞こえはじめる。まるで借り物の言葉のようなのだ。参加者はおのれの発話を権威づけている奈落をのぞきこむことになり、彼らが権威化のありふれた支えに頼ろうとするまさにその瞬間、権威化は崩れおちる。それはまるでイロニーの聴きとれえない反響が、彼らの会話につけ加えられたかのようなのだ。その反響とは、彼らの言葉と声をうつろにし、声は、借りてこられ盗まれたものとして露顕する。

ここで想いだしてみよう、男が妻の前で話をしているありふれた光景を。夫は手柄話を自慢していたり、己の高い理想をひき合いに出したりしている等々。そして妻は黙って夫を観察しているのだ、ばかにしたような微笑みをほとんど隠しきれずに。妻の沈黙は夫の話のパトスを瓦礫にしてしまい、その哀れさのすべてを晒しだす。この意味で、ラカンにとって、ソクラテスのイロニーとは分析家の独自のポジションを示している。分析のセッションでは同じことが起っていないだろうか? (……)神秘的な“パーソナリティの深層”はプロソポピーアの空想的な効果、すなわち主体のディスクールは種々のソースからの断片のプリコラージュにすぎないものとして、非神秘化される。(……)彼は脱-主体化されてしまうのだ。これをラカンは“主体の脱解任”と呼んだ。

プロソポピーアとは、“不在の人物や想像上の人物が話をしたり行動したりする表現法”と定義される。(……)ラカンにとってこれは会話の性格そのものなのであり、二次的な厄介さなのではない。ラカンの言表行為の主体と言表内容の主体の区別はこのことを指しているのではなかったか? 私が話すとき、“私自身”が直接話しているわけでは決してない。私は己れの象徴的アイデンティティの虚構を頼みにしなければならない。この意味で、すべての発話は“胡散臭いindirect”。「私はあなたを愛しています」には、愛人としての私のアイデンティティーがあなたに「あなたを愛しています」と告げているという構造がある。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)

そしてーーまた長くなってしまったがーー上の文はニーチェの次の文と「ともに」読むことができる。

女は真理を欲しない。女にとって真理など何であろう。女にとって真理ほど疎遠で、厭わしく、憎らしいものは何もない。――女の最大の技巧は嘘をつくことであり、女の最大の関心事は見せかけと美しさである。われわれ男たちは告白しよう。われわれが女がもつほかならぬこの技術とこの本能をこそ尊重し愛するのだ。われわれは重苦しいから、女という生物と附き合うことで心を軽くしたいのである。女たちの手、眼差し、優しい愚かさに接するとき、われわれの真剣さ、われわれの重苦しさや深刻さが殆んど馬鹿馬鹿しいものに見えて来るのだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』ーー真理と嘘とのあいだには対立はない

以上、またくどくなってしまったが、おバカな吉本隆明が証明された。すくなくとも愛をめぐって、女をめぐって。



2017年2月20日月曜日

呼んでもやってこない「理想の女」

漱石の『虞美人草』を今頃はじめて読み通した。彼の朝日新聞デヴュー作(1907年6月 - 10月)であるが、肩に力が入り過ぎていたのか、文体的に凝り過ぎている印象などもあり、かつてのわたくしには読みがたかった(この作品は若書きだと思いこんでいたが、1867年生れの漱石の40歳の作品であることも今頃知った)。以下はその読書による派生物である。

…………

ボードレールの名言として知られる「女と猫は呼ばない時にやって来る」。だが、これはたぶん誰かがそう意訳したのではなかろうか、正確にこの文に相当することをボードレールが言ったのかどうかは(わたくしには)不詳である。

いずれにせよこの文の核心は、女も猫も呼ばないときにやってくるだけではなく、呼んだときにやってこない、ときに拒絶する存在だということだろう。

行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ?(ラカン、セミネール5、15 Janvier 1958)

漱石のほとんどの小説ーーおそらく例外はあるだろうがわたくしはその例外を失念したーーこの行ったり来たりする母=女を書いているのではなかろうか? 今は比較的初期の作品から《長い廊下を何度往き何度戻る》那美さんと、《男を弄ぶ》蛇女藤尾さんをめぐる叙述を掲げておく。

一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側を寂然として歩行て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。 

花曇りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六間の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥と見えつ、隠れつする。

女はもとより口も聞かぬ。傍目も触らぬ。椽に引く裾の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行いている。腰から下にぱっと色づく、裾模様は何を染め抜いたものか、遠くて解からぬ。ただ無地と模様のつながる中が、おのずから暈されて、夜と昼との境のごとき心地である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。 

この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装をして、この不思議な歩行をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。(夏目漱石『草枕』)
緑りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩どる中に、楚然として織り出されたる女の顔は、――花下に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。 

余が視線は、蒼白き女の顔の真中にぐさと釘付けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯を伸せるだけ伸して、高い巌の上に一指も動かさずに立っている。この一刹那!(同『草枕』)
「清姫が蛇になったのは何歳でしょう」「左様、やっぱり十代にしないと芝居になりませんね。おおかた十八九でしょう」「安珍は」「安珍は二十五ぐらいがよくはないでしょうか」(……)

「私は安珍のように逃げやしません」 これを逃げ損ねの受太刀と云う。坊っちゃんは機を見て奇麗に引き上げる事を知らぬ。

「ホホホ私は清姫のように追っ懸けますよ」 男は黙っている。「蛇になるには、少し年が老け過ぎていますかしら」 

時ならぬ春の稲妻は、女を出でて男の胸をするりと透した。色は紫である。(夏目漱石『虞美人草』)
藤尾は男を弄ぶ。一毫も男から弄ばるる事を許さぬ。藤尾は愛の女王である。成立つものは原則を外れた恋でなければならぬ。愛せらるる事を専門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、春風の吹き回しで、旨い潮の満干で、はたりと天地の前に行き逢った時、この変則の愛は成就する。(夏目漱石『虞美人草』)

さて、いささか長い挿入となったがラカンに戻る。

(最初期の母子関係において)、母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?…母は崩落するdéchoit……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能(の母) omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、セミネール4、12 Décembre 1956)
母の影はすべての女性に落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。これはどの若い警察官の悪夢でもある、中年の女性が車の窓を下げて訊ねる、「なんなの、坊や?」

この原初の母なる全能性はあらゆる面で恐怖を惹き起こす、女性蔑視(セクシズム)から女性嫌悪(ミソジニー)まで。(ポール・バーハウ1998,Paul Verhaeghe,Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE)

原初のトラウマ的体験ーー《経験された無力の(寄る辺なき Hilflosigkeit)状況を外傷的状況》ーーとは、行ったり来たりする「不気味な」母にかかわり、そしてそれは母なる全能性に変換される。

そしてその〈母〉は、極度に高い価値をもつ存在である。

……生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける無力さ(寄る辺なさ Hilflosigkeit) と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我の分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』1926年 旧訳p.365、一部変更)

呼んでもやってこない「猫」と呼ばないときにやってくる「猫」とは、究極的には、分離不安と融合不安という人間の最も根源的な原不安にかかわる。

最初の母と子どもの関係では、子どもは、その身体的 somatic な未発達のため、必然的に、最初の〈他者〉の享楽の受動的対象として扱われる。この関係は二者-想像的であり、それ自体、主体性のための障害を表す。平明な言い方をすれば、子どもと彼自身の欲望にとっての余地がないということだ。そこでは二つの選択しかない。母の欲望に従うか、それともそうするのを拒絶して死ぬか、である。このような状況は、二者-想像的関係性の典型であり、ラカンの鏡像理論にて描写されたものである。

そのときの基本的動因は、不安である。これは去勢不安でさえない。「原不安」は母に向けられた二者関係にかかわる。この母は、現代では「最初に世話する人」としてもよい。無力な幼児は母を必要とする。これゆえに、明らかに「分離不安」である。とはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。

フロイトは分離不安にあまり注意を払っていなかった。しかし彼は、より注意が向かないと想定されるその対応物を見分けていた。母に呑み込まれる不安である。あるいは母に毒される不安である。これを「融合不安」呼んでみよう。もう一つの原不安、分離不安とは別にである。この概念はフロイトにはない。だがアイデアはフロイトにある。しかしながら、彼の推論において、最初の不安は分離と喪失に関係し得るにもかかわらず、フロイトは頑固に、去勢不安を中心的なものとして強調した。

このように、フロイト概念の私の理解においては、去勢不安は二次的なものであり、別の、原不安の、防衛的なエラボレーションとさえ言いうる。原不安は二つの対立する形態を取る。すなわち、他者は必要とされるとき、そこにいない不安、そして他者が過剰にそこにいる不安である。

ラカン理論は後者を強調した。そしてそれを母なる大他者 (m)Other に享楽される単なる対象に格下げされる幼児の不安として解釈した。それはフロイトの受動的ポジションと同様である。

これはラカン理論における必要不可欠な父の機能を説明する。すなわち第三者の導入が、二者-想像的段階にとって典型的な選択の欠如に終止符を打つ。第三者の導入によって可能になる移行は、母から身を翻して父に向かうということでは、それ程ない。むしろ二者関係から三者関係への移行である。これ以降、主体性と選択が可能になる。(PAUL VERHAEGHE,『New studies of old villains』2009PDF

フロイトにとって原初の母子関係における「受動的立場 passive Einstellung」とは原トラウマ的という意味である。

…………

「母の欲望」とは、事実上、「原穴(原トラウマ )の名 le nom du premier trou 」である。あるいはそれを母の法と呼び変えてもよい。

母の法 la loi de la mère…それは制御不能の法 loi incontrôlée…分節化された勝手気ままcaprice articuléである。(Lacan.S5)


我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋めるために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を作る。

nous savons tous parce que tous, nous inventons un truc pour combler le trou dans le Réel. Là où il n'y a pas de rapport sexuel, ça fait « troumatisme ». (ラカン、S21、19 Février 1974 )

ラカンは《身体は穴である corps……C'est un trou》(ラカン、1974)とも言っている、なぜ身体には穴が開いているのだろうか。

〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。

Mère, au fond c’est le nom du premier réel, DM (Désir de la Mère)c’est le nom du premier trou produit par l’opération de vidage par le signifiant. (コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)

大文字で書かれる「母の欲望 Désir de la Mère」とは、母子関係の最初期においては、実際の母の欲望とはあまり関係がない。むしろ全能の権力にかかわる。

ラカンによれば、《母の欲望 Désir de la Mère》を構成する「原-諸シニフィアン」は、イメージの領域における (子供の)欲求の代表象以外の何ものでもない。同じ理由で、これらの想像的諸シニフィ アン/諸記号は、刻印としての原抑圧を徴づける。(ロレンツォ・キエーザ2007,Subjectivity and Otherness: A Philosophical Reading of Lacan, by Lorenzo Chiesa)

いわゆる"去勢されていないnon‐castrated"全能の貪り食う母、真の母に関して、ミレール=ラカンは次のように注釈している。

満足していない母というだけでなく、またすべての力をもつ母である。そしてラカンの母の形象のおどろおどろしい様相は、彼女はすべての力を持ちかつ同時に不満足であることである。(Miller, “Phallus and Perversion,”)

ジジェクはこのミレールの文を引用して(『LESS THAN NOTHING』)、次ぎのように言っている。

ここには、パラドックスがある。母がよりいっそう"全能"として現れば現れるひど、彼女は不満足(その意味は欠如である)なのである。「ラカンの母はquaerens quem devoretと一致する。すなわち彼女は貪り食うために誰かを探し求める。そしてラカンは鰐として母を言い表す、口を開けた主体として。」(Jacques‐Alain Miller, “The Logic of the Cure,”)

だが男たちには究極的には、女に貪り喰われたい秘かな隠された願望があったらどうだろう?(参照:最愛の子供を奈落の底に落とす母の癖)。あるいはこう言ってもいい、《あなたを吸い込むヴァギナデンタータ(歯のはえた膣)、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ) 》(ポール・バーハウ1999)に吸い込まれたい願望と。S(Ⱥ)とはサントームの記号、原抑圧の記号である。

我々が、この機能について、ラカンから得る最後の記述は、サントームの Σ である。S(Ⱥ) を Σ として記述することは、サントームに意味との関係性のなかで「外立ex-sistence」(参照)の地位を与えることである。現実界のなかに享楽を孤立化すること、すなわち、意味において外立的であることだ。((ジャック=アラン・ミレール「後期ラカンの教え」Le dernier enseignement de Lacan' (‘Lacan's later teaching'、2002ーー基本版:現代ラカン派の考え方)


ラカン派でサントームと言われるもの、あるいはフロイトの原抑圧と呼ばれるものーーラカンはサントーム=原抑圧としている(S23)ーーとは、先ずなによりもこの「原穴(原トラウマ )の名 le nom du premier trou 」、あるいは「母の法 loi de la mère」として理解されなければならない。

サントームは、母の舌語に起源がある Le sinthome est enraciné dans la langue maternelle。話すことを学ぶ子供は、この言葉と母の享楽によって生涯徴付けられたままである。

これは、母の要求・欲望・享楽、すなわち「母の法」への従属化をもたらす Il en résulte un assujettissement à la demande, au désir et à la jouissance de celle-ci, « la loi de la mère »。が、人はそこから分離しなければならない。

この「母の法」は、「非全体」としての女性の享楽の属性を受け継いでいる。それは無限の法である。Cette loi de la mère hérite des propriétés de la jouissance féminine pas-toute : c’est une loi illimitée.(Geneviève Morel2005 Sexe, genre et identité : du symptôme au sinthome)


フロイトはこの徴をつける母を「誘惑者 Verführerin」と呼んだ。

誘惑者はいつも母である。…幼児は身体を清潔にしようとする母の世話によって必ず刺激をうける。おそらく女児の性器に最初の快感覚を目覚めさせるのさえ事実上は母である。(フロイト『新精神分析入門』1933)
母は、子どもを滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子どもに引き起こす。子どもの身体を世話することにより、母は、子どもにとっての最初の「誘惑者」になる。この二者関係には、母の重要性の根が横たわっている。ユニークで、比べもののなく、変わりようもなく確立された母の重要性。全人生のあいだ、最初の最も強い愛-対象として、のちの全ての愛-関係性の原型としての母ーー男女どちらの性にとってもである。(フロイト『精神分析概説』( Abriß der Psychoanalyse草稿、死後出版1940、私訳)

この誘惑者による徴のことをラカンは、《享楽の侵入の記念物 commémore une irruption de la jouissance 》(S17)と呼び、あるいは次のようにも語った。

享楽はまさに厳密に、シニフィアンの世界への入場の一次的形式と相関的である。私が徴 marqueと呼ぶもの・「一の徴 trait unaire」の形式と。もしお好きなら、それは死への徴付けmarqué pour la mort としてもよい。

その徴は、裂目・享楽と身体とのあいだの分離から来る。これ以降、身体は苦行を被る mortifié。この「一の徴 trait unaire」の刻印の戯れ jeu d'inscription、この瞬間から問いが立ち上がる。(ラカン、S17、10 Juin 1970)

ここでの死とは何か?

私は言おう、死とは、ラカンが享楽と翻訳したものだ、と。(ミレール1988,Jacques-Alain Miller、A AND a IN CLINICAL STRUCTURES
死への道とは、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n'est rien d'autre que ce qui s'appelle la jouissance (ラカン、S17)

母との(現実的には不可能な)融合があれば、そのとき主体は消滅する。それが死の意味である。

生の欲動 Eros は、融合と統一の状態への回帰を目指す。エロスは、分離した要素を結びつけることによって、これをする。それは、緊張(不安)の増加をもたらす。逆に、タナトスは、分離の状態への回帰を目指す。死の欲動は、結びついた要素のあいだのすべての結合を破壊することによって、これをする。それは、すべての緊張の低減をもたらす。もし、必要なら、ゼロ度まで。その意味は、事実上、死である。

ラカン理論は、この「生と死の問い」の言い直しを可能にさせてくれる。生の欲動は、「他の享楽l'autre jouissance」を目指す。結果として、大他者のなかに主体は消滅する。したがって、分離した存在としての主体の死をもたらす。死の欲動は「ファルス享楽la jouissance phallique」を目指す。それを通して、主体は大他者から己を分離する。したがって、この大他者から独立して、孤立した存在としての歩みを進める。このラカンの読解においては、生と死の概念は、ひどく相関的である。すなわち、フロイトの生の欲動は、主体の死、主体の消滅を意味する。フロイトの死の欲動は、主体の生の継続を意味する。(ポール・バーハウ2001、PAUL VERHAEGHE、Obsessional Neurosis. The Quest for Isolation).

…………

吉本隆明は漱石の理想の女について次のように言っている。

漱石の理想の女性像はだれかとか、作品の中ではどれだと考えてみると、僕らが客観的に考えれば、それは二人います。一人は、最初期の作品ですが、『虞美人草』のお糸さんという娘さんがいます。それが漱石の理想の女性像だと思います。それからやはり初期の作品ですが、もう少しあとの『坊ちゃん』の中に出てくるお清という婆やさんがいますが、これがやはり漱石の理想像だと思います。

この二人とも描かれた作品の中では、たとえ『虞美人草』の中では藤尾がモダンで、美人で、そして教養もありという新時代の女性ですが、この女性は悪いほうの代表というかたちで描かれています。いいほうの代表のお糸さんは、何も言わなくても男の考えている心の中をちゃんと察してくれて、かゆいところに手が届くようにしてくれる、そういう女性で、これは逆に女性のほうから見たら何てわがままなやつだと思うかもしれないように描かれています。でも漱石にとっての理想の女性像はそうなのです。

これは、現存する女流作家の人が、『虞美人草』の中でだれが理想の女性かということに対して、それは藤尾だと言っているのを読んだことがありますから、女の人から見るとそのほうが理想的なのかもしれないけれども、漱石から見るとどうも始末が悪い、どうしようもないという女性になっているわけです。(吉本隆明「作品に見る女性像の変遷」

だが「理想の女」というシニフィアンは、想像界的なもの、象徴界的なもの、現実界的なものの三つの観点から見なければならない。 お糸は想像界的な理想の女ーー内気を装い、欲望を掻き立てる女ーーであり、お清は象徴界的な理想の女ーー子供に食物を与える母であり、子供を見守る母ーーである。漱石は那美や藤尾という現実界的な理想の女ーー行ったり来たりする母であり、弄びはぐらかす(拒絶する)女ーーを初期から書いた。それは遺作『明暗』における清子に至るまで。

「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違ない。しかしどうしてもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう。それもおれが貰おうと思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに。………」
「君はあの清子さんという女に熱中していたろう。ひとしきりは、何でもかでもあの女でなけりゃならないような事を云ってたろう。そればかりじゃない、向うでも天下に君一人よりほかに男はないと思ってるように解釈していたろう。ところがどうだい結果は」
津田は思い切って声をかけようとした。するとその途端に清子の方が動いた。くるりと後を向いた彼女は止まらなかった。津田を階下に残したまま、廊下を元へ引き返したと思うと、今まで明らかに彼女を照らしていた二階の上り口の電灯がぱっと消えた。津田は暗闇の中で開けるらしい障子の音をまた聴いた。同時に彼の気のつかなかった、自分の立っているすぐ傍の小さな部屋で呼鈴の返しの音がけたたましく鳴った。 

やがて遠い廊下をぱたぱた馳けて来る足音が聴こえた。彼はその足音の主を途中で喰いとめて、清子の用を聴きに行く下女から自分の室の在所を教えて貰った。(夏目漱石『明暗』)

逆に呼ばないときにやってくる不気味な女も漱石にはふんだんにある。ここでは初期作品『三四郎』の叙述を想い起すだけにしておこう。

例の女が入口から、「ちいと流しましょうか」と聞いた。三四郎は大きな声で、「いえ、たくさんです」と断った。しかし女は出ていかない。かえってはいって来た。そうして帯を解きだした。三四郎といっしょに湯を使う気とみえる。べつに恥かしい様子も見えない。三四郎はたちまち湯槽を飛び出した。
それから西洋手拭を二筋持ったまま蚊帳の中へはいった。女は蒲団の向こうのすみでまだ団扇を動かしている。「失礼ですが、私は癇症でひとの蒲団に寝るのがいやだから……少し蚤よけの工夫をやるから御免なさい」 三四郎はこんなことを言って、あらかじめ、敷いてある敷布の余っている端を女の寝ている方へ向けてぐるぐる巻きだした。そうして蒲団のまん中に白い長い仕切りをこしらえた。女は向こうへ寝返りを打った。三四郎は西洋手拭を広げて、これを自分の領分に二枚続きに長く敷いて、その上に細長く寝た。その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭の外には一寸も出なかった。女は一言も口をきかなかった。女も壁を向いたままじっとして動かなかった。
元来あの女はなんだろう。あんな女が世の中にいるものだろうか。女というものは、ああおちついて平気でいられるものだろうか。無教育なのだろうか、大胆なのだろうか。それとも無邪気なのだろうか。要するにいけるところまでいってみなかったから、見当がつかない。思いきってもう少しいってみるとよかった。けれども恐ろしい。別れぎわにあなたは度胸のないかただと言われた時には、びっくりした。二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった。親でもああうまく言いあてるものではない。(漱石『三四郎』

もちろんラカンの想像界・象徴界・現実界は、ボロメオの環が示すとおり、それぞれの環は重なってはいる。だが人は、現実界的なほうに傾いた「理想の女」を忘れがちである。それをすぐれて痛切にーー《手の爪には血》を滲ませてーー書こうとした代表的作家の一人は(日本近代においては)安吾だろう。

ある婦人が私に言つた。私が情痴作家などゝ言はれることは、私が小説の中で作者の理想の女を書きさへすれば忽ち消える妄評だといふことを。まことに尤もなことだ。昔から傑作の多くは理想の女を書いてゐるものだ。けれども、私が意志することによつて、それが書けるか、といふと、さうはたやすく行かない。

誰しも理想の女を書きたい。女のみではない、理想の人、すぐれた魂、まことの善意、高貴な精神を表現したいのだ。それはあらゆる作家の切なる希ひであるに相違ない。私とてもさうである。

だが、書きだすと、さうは行かなくなつてしまふ。

誰しも理想といふものはある。オフィスだの喫茶店であらゆる人が各々の理想に就て語り合ふ。理想の人に就て、政治に就て、社会に就て。

我々の言葉はさういふ時には幻術の如きもので、どんな架空なものでも言ひ表すことができるものだ。

ところが、文学は違ふ。文学の言葉は違ふ。文学といふものには、言葉に対する怖るべき冷酷な審判官がをるので、この審判官を作者といふ。この審判官の鬼の目の前では、幻術はきかない。すべて、空論は拒否せられ、日頃口にする理想が真実血肉こもる信念思想でない限り、原稿紙上に足跡をとゞめることを厳しく拒否されてしまふのである。

だから私が理想の人や理想の女を書かうと思つて原稿紙に向つても、いざ書きだすと、私はもうさつきまでの私とは違ふ。私は鬼の審判官と共に言葉をより分け、言葉にこもる真偽を嗅ぎわけてをるので、かうして架空な情熱も思想もすべて襟首をつまんで投げやられてしまふ。

私はいつも理想をめざし、高貴な魂や善良な心を書かうとして出発しながら、今、私が現にあるだけの低俗醜悪な魂や人間を書き上げてしまふことになる。私は小説に於て、私を裏切ることができない。私は善良なるものを意志し希願しつゝ醜怪な悪徳を書いてしまふといふことを、他の何人よりも私自身が悲しんでゐるのだ。

だから、理想の女を書け、といふ、この婦人の厚意の言葉も、私がそれを単に意志するのみで成就し得ない文学本来の宿命を見落してをるので、文学は、ともかく、書くことによつて、それを卒業する、一つづゝ卒業し、一つづゝ捨ててそして、ヨヂ登つて行くよりほかに仕方がないものだ。ともかく、作家の手の爪には血が滲んでゐるものだ。(坂口安吾『理想の女』)

このように記す安吾は、マゾヒズム的悦楽をよく知っている。とはいえマゾヒズム的悦楽と地獄とどう異なるのか? さあて・・・とはいえ地獄を経験したものでなければ愛は語りえない・・・

この安吾の側面については、「私の好きな女が、みんな母に似てるぢやないか!」にいくらか記した。

今はごく標準的に「常識的な」文ーー「女と猫は呼ばない時にやって来る・呼んだ時にやって来ない」のプルースト版ーーを引用しておくのみにする。

若い娘たちの若い人妻たちの、みんなそれぞれにちがった顔、それらがわれわれにますます魅力を増し、もう一度めぐりあいたいという狂おしい欲望をつのらせるのは、それらが最後のどたん場でするりと身をかわしたからでしかない、といった場合が、われわれの回想のなかに、さらにはわれわれの忘却のなかに、いかに多いことだろう。(プルースト『ゲルマントのほうⅡ』)
出奔した女は、いままでここにいた女とはおなじ女ではもはやなくなっている。(プルースト『逃げ去る女』)

…………

すぐれた批評家であったには相違ない吉本隆明ではあるが、理想の女についてはイマジネールな領域に閉じ籠っている、とわたくしは思う。他方、吉本が言っている、《現存する女流作家の人が、『虞美人草』の中でだれが理想の女性かということに対して、それは藤尾だと言っているのを読んだことがあります》という女流作家の見解を尊重したい。

人が何かを愛するのは、その何かのなかに近よれないものを人が追求しているときでしかない、人が愛するのは人が占有していないものだけである。(プルースト「囚われの女」)
女は口説かれているうちが花。落ちたらそれでおしまい。喜びは口説かれているあいだだけ。Women are angels, wooing: Things won are done; joy's soul lies in the doing.( シェイクスピア、Troilus and Cressida)
ファウスト

もし、美しいお嬢さん。
不躾ですが、この肘を
あなたにお貸申して、送ってお上申しましょう。

マルガレエテ

わたくしはお嬢さんではございません。美しくもございません。
送って下さらなくっても、ひとりで内へ帰ります。
(……)

ファウスト

途方もない好い女だ。
これまであんなのは見たことがない。
あんなに行儀が好くておとなしくて、
そのくせ少しはつんけんもしている。
あの赤い唇や頬のかがやきを、
己は生涯忘れることが出来まい。
あの伏目になった様子が
己の胸に刻み込まれてしまった。 それからあの手短に撥ね附けた処が、 溜まらなく嬉しいのだ。(ゲーテ『ファウスト』森鴎外訳)

ーーマルガレエテはのちに「魔女」に化けるのはよく知られている。

 男は誰に恋に陥るのか? 彼を拒絶する女・つれないふりをする女・決してすべてを与えることをしない女に恋に陥る。(ポール・バーハウ、Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe、1998、PDF

これらは穏やかに言えば、女の媚態にかかわるといってもいい。《媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである》(九鬼周造『いきの構造』)。

媚態〔コケットリー〕とは何であろうか? それは相手に性的な関係がありうるとほのめかし、しかもその可能性はけっして確実なものとしてはあらわれないような態度と、おそらくいうことができるであろう。別ないい方をすれば、媚態とは保証されていない性交の約束である。(クンデラ『存在の絶えられない軽さ』)

もっとも『草枕』の那美さんと、『虞美人草』の藤尾さんは、さらに高度に戦略的な媚態の様相を呈した女であるといえるかもしれぬ・・・

自分は決して媚びないと知らせることは、すでに一種の媚びである(ラ・ロシュフーコー)

そしてその高度な戦略を見破ったつもりでいるほどよく聡明な=凡庸な男、修行が足りない若い男には嫌悪を催させることは十分ありうる。わたくしが那美にも藤尾にも抵抗がありつづけたのはそのせいではなかったか・・・

いずれにせよ今それなりに熱心に『虞美人草』を読めば、吉本隆明が理想の女とする糸子の媚態などひどく低レベルの媚態なのである。

「ホホホホそれでも家の兄より好いでしょう」「欽吾さんの方がいくら好いか分かりゃしない」と糸子さんは、半分無意識に言って退けたが、急に気がついて、羽二重の手巾を膝の上でくちゃくちゃに丸めた。「ホホホホ」

藤尾にあっさら見破られている。 この糸子の態度は、どの娼婦もよく知っている典型的な男性ファンタジー、「女の救出」願望を誘い出す二流の媚態、その変奏にすぎない。若きウブな男性の皆さんはくれぐれも用心しなければならない。この罠に嵌ったら安易に奈落の底に吸い込まれてしまう・・・仮に吸い込まれたい願望があるにしろ、これではいかにも狐に騙されたかのような底の浅い奈落であり、真の奈落の底、あの愛の悪魔的スキル・綱渡りの揺らめきから突如凋落して眩暈をもたらす深淵の底の感覚に徹底的に欠けている。いまどきの高級娼婦ーーたとえば祇園のバーの女、銀座の女は知らないが格の高い店の女ーーはこんな安手の媚びは使わないはずである・・・吉本隆明の修行の足りないのはこの点である・・・「ホホホホ」という気味の悪い笑いを連発する藤尾のほうがいいにきまってんじゃないか、ウブだねえ、彼は。「ホホホホ」による究極のマゾヒズム的悦楽を知らないなんて。

欲望に関しては、それは定義上、不満足であり、享楽欠如 manque à jouir です。欲望の原因は、フロイトが「原初に喪失した対象」と呼んだもの、ラカンが欠如しているものとしての「対象a」と呼んだものです。それにもかかわらず、複合的ではあるけれど、人は享楽欠如を楽しむことが可能です on peut jouir du manque à jouir。それはラカンによって提供されたマゾヒズムの形式のひとつです。(コレット・ソレール2013,Interview de Colette Soler pour le journal « Estado de minas », Brésil, 10/09/2013

とはいえ吉本隆明だけではなく、あのすぐれたマゾヒズム論を書いたドゥルーズでさえ、あと一歩のところで惜しくも核心を逃がしてしまっている、《愛の経験は、全人類の愛の経験であり、そこに超越的な遺伝 hérédité transcendante の流れが貫流している》などと記しているのだから。だがそうではない、最初の誘惑者による徴付けが愛の起源である。

母 mère に対する主人公の愛の中に、愛のセリーの起源 l'origine de la série amoureuse を見出すことは、常に許容される。しかしわれわれはそこでもまたスワンに出会うことになる。スワンはコンブレ―へ夕食に来て、子供である主人公から母の存在を奪うことになる。そして、主人公の苦しみ、母にかかわる彼の不安は、すでにスワンがオデットについて彼自身体験した苦しみであり不安である。《自分がいない快楽の場、愛するひとに会うことのできない快楽の場で、そのひとを感ずる不安、それを彼に教えたのは愛である。その愛にとって不安は或る意味で始めから運命として存在しているのだ。その愛によって、不安は独占され、特殊なものにされている。しかし、私にとってそうであるように、愛がわれわれの生活の中に現れて来る前に、不安がわれわれの内部に入ってくるとき、それはあいまいで自由なものとして、期待の状態で浮動している……》恐らく、母のイメージ image de mère は、最も深いテーマではなく、愛のセリーの理由でもないという結論がここから出されよう。確かに、われわれの愛は、母に対する感情を反復している。しかし、母に対する感情は、われわれ自身が経験したことのないそれとは別の愛を、すでに反復しているのである。母はむしろむしろひとつの経験からもうひとつの経験への移行として、われわれの経験の始まり方として現われるが、すでに他人のよってなされたほかの経験とつながっている。極限では、愛の経験は、全人類の愛の経験であり、そこに超越的な遺伝 hérédité transcendante の流れが貫流している。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

もちろんここでドゥルーズの概念 「潜在的対象 l'objet virtuel」を持ち出して彼を救う手立てがないではない。だが今はそれに触れないでおく。

そもそもドゥルーズには、 次のようなより簡潔な文がある。

反復は本質的に象徴的なものであり、シンボルやシミュラークルは反復自体の文字 lettre である。la répétition est symbolique dans son essence, le symbole, le simulacre, est la lettre de la répétition même.(ドゥルーズ『差異と反復』)

この「文字」がーーそして母による文字の徴付けがーーわれわれの愛の起源である(参照:サントームSinthome = 原固着Urfixierung →「母の徴」)。

晩年のラカンの「文字lettre」理論とは、身体の上の欲動の「原固着(原抑圧)」あるいは「刻印」を理解しようとする彼なりの方法である。(バーハウ、2001、摘要)
無意識は「文字」によって翻訳されうる。l'inconscient peut se traduire par une lettre(ラカン、S22)

これが《ひとりの女はサントームである》の核心である。

une femme est un sinthome pour tout homme(Lacan,S23)
ラカンが症状概念の刷新として導入したもの、それは時にサントーム∑と新しい記号で書かれもするが、サントームとは、シニフィアンと享楽の両方を一つの徴にて書こうとする試みである。Sinthome, c'est l'effort pour écrire, d'un seul trait, à la fois le signifant et la jouissance. (ミレール、Ce qui fait insigne、The later Lacan、2007所収)


以上、いささか断定的に記したが、わたくしの記すことは常に《真理と嘘とのあいだには対立はない》でいくらか詳述化したことがベースとなっているので、蛇足ながらふたたび強調するためにここで断っておく。ようするに「このおっさん、なにをバカなこと言ってんだ!」と嘲弄しながら読まなければならぬ。




2017年2月18日土曜日

俺がこれを見過ごしたら一生自分を卑劣漢だと思うだろうな

以下、メモ。

ーーグレアム・グリーンと吉行淳之介の文章はネット上から拾った。

ぼくはずいぶん長い間、あの時期のことを思い返すたびに、まるで石の下の虫のように復讐欲が生きながらえているのに気がついたものである。唯一の変化は、 石の下を見ることがだんだん頻繁でなくなってゆくことであった。ぼくが小説を書きはじめると、過去はその力の一部分を失うようになった。それは書かれることによって、ぼくから離れたのである。(グレアム・グリーン『復讐』)

《これでは、まるで復讐の武器として小説を選んでいる印象を与えるが、それだけのことではあるまい。少年のころ、激しく傷つくということは、傷つく能力があるから傷つくのであって、その能力の内容といえば、豊かな感受性と鋭い感覚である。そして、例外はあるにしても、その種の能力はしばしば、病弱とか異常体質とか極度に内攻する心とか、さまざまなマイナスを肥料として繁ってゆく。そして、そういうマイナスは、とくに少年期の日常生活において、大きなマイナスとして作用するものだ。さらに、感受性や感覚のプラス自体が、マイナスに働くわけなので、結局プラスをそのままプラスとして生かすためには、文学の世界に入って行かざるを得ない。》吉行淳之介『「復讐」のために ─文学は何のためにあるのか─』)

文学作品をつくる場合、追究するテーマというものがあり、もちろんそれを追究する情熱というものがあるわけだが、これはいわば「近因」である。一方、その作者がむかし文学をつくるという場所に追い込まれたこと、そのときの激しい心持ち、それが「遠因」といえるわけで、その遠因がいつまでもなまなましく、一種の情熱というかたちで残っていないと、作品に血が通ってこない。追い込まれたあげくに、一つの世界が開かれるのを見るのである。

だが語れば語るほど「話が厄介に」なってくるのは……

一人前の作家として世間に認められたとき、『遠因』が消え失せてしまう、とおもわせるところがある。(……)しかし、グリ ーンもそんなことでは埋めることのできない、深い暗い穴を心に持っていた、と考えるべきであろう。

ーーもちろん吉行淳之介の考え方への批判はあるだろう、たとえば吉行の小説の《主人公は「母性を欠いた女」つまり「娼婦」として、あるいは娼婦のようにしてしか女性と交渉を持てないが、それは「母の拒絶」「女の裏切り」に会ってしまった男の、ありふれた「女嫌い」の物語に過ぎない。》(上野千鶴子)

十五歳で吉行栄助と結婚したあぐり安久利は、十六歳で長男・淳之介を生んでいる。このとき栄助は、文学を志して東京にいた。栄助を追うようにして地元・岡 山から上京した安久利は、日本の洋髪の草分けである山野千枝子のもとに弟子入りした。そのとき、安久利は、姑の言いつけに従って、一歳にも満たない淳之介 を岡山に置いてきている。安久利の修行中、淳之介は、岡山と東京を往復しながら、ほとんどを祖母・盛代と過ごした。お礼奉公を三年勤め上げた安久利が、一 旦岡山に帰れたとき、淳之介は四歳になっていた。母の帰郷を知らされた淳之介は、「ママが帰ってくるの? この畳の上に?」と言って、大喜びしたという。 (復讐のために ──吉行淳之介論──吉田優子

《小説を書く場合、私は依然として読者を意識することができない。(略)自分の中にいる一人の読者だけを意識して作品を書き上げた後に、私は自分と精神構造や感受性の似た少数の読者が、あるいはこの作品を愛読してくれるかもしれぬ、とはかない期待を抱く。しかし、大して大きな数字を予想することはできない。》

 それでは食えないので、小説以外の雑文(エッセイ)を書く。

《ところが、私はそのような文章においては、自分自身以外の読者というものをはっきり頭に置いて書くことができる。いかにも、自分は職業に従事しているという心持ちになれる。》(吉行淳之介全集 第12巻

 ーー特に感想なし。上野センセは中井久夫ににはゾッコンらしいが。

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収)
原抑圧とは、何かの内容を無意識のなかに抑圧することではない。そうではなく、無意識を構成する抑圧、無意識のまさに空間を創出すること、「システム意識 System Bewußt (Bw)・システム前意識System Vorbewußt (Vbw)」 と「システム無意識System Unbewußt (Ubw)」 とのあいだの間隙を作り出すことである。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012、私訳)
……ここにはカントからヘーゲルへの移行の鍵となる帰結がある。すなわち、内容と形式とのあいだの裂け目は、内容自体のなかに投影される(反映し返される reflected back into)。それは内容が「全てではない not all 」ことの表示としてである。何かが内容から抑圧され/締め出されているのだ。形式自体を確立するこの締め出しが、「原抑圧」 (Ur‐Verdrängung)である。そして如何にすべての抑圧された内容を引き出しても、この原抑圧はしつこく存在し続ける。(ジジェク、LESS THAN NOTHING,2012)

※参照:「原抑圧の悪夢

…………

フロイトは《経験された無力の(寄る辺なき Hilflosigkeit)状況を外傷的状況》と呼び、《現在の状況(トラウマ的状況)がむかしに経験した外傷経験を思いださせる》(『制止、症状、不安』1926年)としている。

我々は「トラウマ的 traumatisch」という語を次の経験に用いる。すなわち「トラウマ的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、1916年、私訳)
現実界とは、トラウマの形式として……(言語によって)表象されえないものとして、現われる。 …le réel se soit présenté …sous la forme du trauma,… ne représente(ラカン、S.11ーー基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による)

…………

以下、手許の(主に)中井久夫の書から。

笑われるかもしれないが、大戦中、飢餓と教師や上級生の私刑の苦痛のあまり、さきのほうの生命が縮んでもいいから今日一日、あるいはこの場を生かし通したまえと、“神”に祈ったことが一度や二度ではなかった……(中井久夫「知命の年に」1984年初出『記憶の肖像』所収)
……私は対人関係に不器用であり、多くの人に迷惑を掛けたし、また、何度かあそこで死んでいても不思議でないという箇所があったが、とにかくここまで生かしていただいた。振り返ると実にきわどい人生だった。(中井久夫「私の死生観――“私の消滅”を様々にイメージ」1994年初出『 精神科医がものを書くとき』所収 )
私がヴァレリーを開くのは、決って危機の時であった。(……)

私には二十歳代は個人的にも家庭的にも職場的にも危機が重なってきた。私はそれらを正面から解決していったが、ついに、医学部の構造を批判的に書いた匿名の一文が露頭して私は“謝罪”を拒み、破門されて微生物の研究から精神科に移った。移った後はヴァレリー先生を呼び出す必要は地震まで生じていない。(中井久夫「ヴァレリーと私」2008.9.25(書き下ろし)『日時計の影』所収)

《たまたま、私のすぐ前で、教授が私の指導者で十年先輩の助手を連続殴打するということがあった。教授の後ろにいた私はとっさに教授を羽交い締めした。身体が動いてから追いかけて「俺がこれを見過ごしたら一生自分を卑劣漢だと思うだろうな」という考えがやってきて、さらに「殿、ご乱心」「とんだ松の廊下よ」と状況をユーモラスなものにみるゆとりが出たころ、教授の力が抜けて「ナカイ、わかった、わかった、もうしないから放せ」という声が聞こえた。  これだけのことであるが、しかし、ただでは済まないであろう。その夜、私はクラブの部室を開けて、研究者全員を集め、「今までもこういうことがなかったか」と詰問した。「あったけど、問題にしようとすると本人たちがやめてくれというんだ」「私は決してそうはいわない」ということで、けっきょく教授が謝罪し、講座制が一時撤廃され、研究員全員より成る研究員会による所長公選というところまで行った。これはまたしてもジャーナリズムに出さないということで成功した。札幌医大から来た富山さんと私と二人で、5階建ての新ウィルス研究所棟の部屋割りを3時間でやり遂げたまではよかったのだが、そのうち、若い者たちが所内の人事を左右するような議論が横行するようになった。私は、革命の後の権力のもてあそびは、こんな小さな改革でも起こるのだな、とぞっとして、東大伝染病研究所の流動研究員となって、東京に去ることにした。》(中井久夫「楡林達夫『日本の医者』などへの解説とあとがき」)

夫人には話さずじまいだったが、当時の私は最悪の状態にあった。事実上母校を去って東京で流動研究員となっていて、身を寄せた先の研究所で自己批判を迫られていた。フッサールという哲学者の本を読んでいるところを見つかったのである。研究室主宰者は、「『プラウダ』がついに核酸の重要性を認めたよ」と喜びの涙を流しておられた、誠実で不遇のマルクス主義者だった。傘下の者が「ブルジョア哲学」にうつつを抜かすのを許せなかったのであろう。筆名で書いたものもバレて、そのこともお気に召さなかった。

しかし、私にはやはり理不尽に思えた。「かつて政党に加入したこともない者が政治的な場でもないここでなぜ自己批判か」と返して、押し問答になった。結局、私は「自己批判」を拒否した。(……)

破門は私が現状打開を図る機の熟さないうちに起こった。時あたかも、長男の義務を果たすこと乏しくて私の家は傾き、友の足は遠のき、また「知りしひと皆とつぎし」頃であった。 (中井久夫「Y夫人のこと」1993年初出『家族の深淵』所収)


私は高校二年の時、「隠れた人生が最高の人生である」というデカルトの言葉にたいへん共感した。私を共鳴させたものは何であったろうか。私は権力欲や支配欲を、自分の精神を危険に導く誘惑者だとみなしていた。ある時、友人が私を「無欲な人か途方もない大欲の人だ」と評したことが記憶に残っている。私はひっそりした片隅の生活を求めながら、私の知識欲がそれを破壊するだろうという予感を持っていた。その予感には不吉なものがあった。私は自分の頭が私をひきずる力を感じながら、それに抵抗した。それにはかねての私の自己嫌悪が役立った。 (中井久夫「編集から始めた私」1998年初出『時のしずく』所収 )
……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(中井久夫「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」2000年初出『徴候・記憶・外傷』所収)
外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。

しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。素質による程度の差はあるかもしれないが、どのような人でも、残虐ないじめや拷問、反復する性虐待を受ければ外傷的記憶が生じる。また、外傷を受けつづけた人、外傷性記憶を長く持ちつづけた人の後遺症は、心が痩せ(貧困化)ひずみ(歪曲)いじけ(萎縮)ることである。これをほどくことが治療戦略の最終目標である。 (同上、中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年)

最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)
……一般に、語られる外傷性事態は、二次的な体験、再燃、再演であることが多い。学校でのいじめが滑らかに語られる時など、奥にもう一つあると一度は考えてみる必要がある。(……)

しかし、再燃、再演かと推定されても、当面はそれをもっぱら問題にしてよい。急いで核心に迫るべきではない。それは治療関係の解消あるいは解離その他の厄介な症状を起こす確率が高い。「流れがつまれば水下より迫れ(下流の障害から除去せよ)」とは下水掃除の常道である。〔中井久夫「トラウマと治療体験」『徴候・記憶・外傷』所収)
…………

頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平成は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。

小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。これをどう生きながらえる。たいていはしばらく、五年十年あるいは二十年三十年と、自身の業苦からわずかに剥離したかたちで生きるのだろう。一身の苦にあまり耽りこむものではない、という戒めがすくなくとも昔の人生智にはあったに違いない。一身の苦を離れてそれぞれの年齢での、家での、社会での役割のほうに付いて。芯がむなしいような心地でながらく過すうちに、傷を克服したとは言わないが、さほど歪まずとも受け止めていられるだけの、社会的人格の《体力》がついてくる。人の親となる頃からそろそろ、と俗には思われているようだ。

しかし一身の傷はあくまでも一身の内面にゆだねられる、個人において精神的に克服されなくてはならない、克服されなくては前へ進めない、偽善は許されない、という一般的な感じ方の世の中であるとすれば、どういうことになるだろう。また社会的な役割の、観念も実態もよほど薄い、個人がいつまでもただの個人として留まることを許される、あるいは放置される世の中であるとすれば。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』)

…………

もし、あのまま私がブラチスラヴァの研究所に赴いていたらーー当時私はひとり身で血も今より熱かったーーひとりの日本人留学生が1968年に彼地で行方不明になったという小記事が昨年あたりどこかの新聞に載ったかも知れない。モンゴル出身者を含め多くの留学生がチェコスロヴァキア学友の側に立って銃をとったからである。(中井久夫『治療文化論』1990年)
古都風景の中の電信柱が「見えない」ように、繁華街のホームレスが「見えない」ように、そして善良なドイツ人の強制収容所が「見えなかった」ように「選択的非注意 selective inatension」という人間の心理的メカニズムによって、いじめが行われていても、それが自然の一部、風景の一部としか見えなくなる。あるいは全く見えなくなる。(中井久夫「いじめの政治学」1997年)
「病者への畏敬」ということは軽々に語るべきことではなく、シュヴァイツァーふうの神々しさにも問題はある。神々しい治療者には患者は俗っぽい悩みーー九割九分はもとを辿れば四大欲望のからむ通俗的苦悩であるーーを語れず、煎じつめれば「あるべきか、あらざるべきか」ということになり、「あるべきである」という必要十分の理由など人生にないーーだから人生は面白いのだがーーから、「あるべき根拠の不足」によって死ぬという不幸になりかねない。しかしなおごく低声で、私はこの畏敬について語りたい。そもそもいったい誰が「殺せ、殺せ」という幻の声を内に聞きつつ、なおひとりも殺さずに、むしろ恐縮して生きているというりっぱな生き方ができるであろうか。私だと一人二人は危ういおそれがある。(中井久夫『治療文化論』1990年)

…………

父母の結婚は見合いであるが、お互いに失望を生んだ。父親と母親は文化が違いすぎた。そこに私が生まれてきたのだが、祖父母は、父の付け焼き刃の大正デモクラシーが大嫌いで、早熟の気味があった私に家の将来を托すると父の前で公言して、父親と私の間までが微妙になった。 (中井久夫「私が私になる以前のこと」『時のしずく』2005所収)
……「治療文化論」は時々引用された。なぜか必ず奈良盆地についての三ページであった。(……)あの一節には私をなかだちとして何かが働いているのであろうか。たとえば、私の祖父――丘浅次郎の生物学によって自らをつくり、老子から魯迅までを愛読し、顕微鏡のぞきと書、彫刻、絵画、写真、釣りに日を送り迎えた好事家、自らと村のためにと財を蕩尽した旧村長の、一族にはエゴイストと不評の祖父。あるいその娘の母――いくらか傷害を持ち、末期の一カ月を除いて幸せとはいえぬ生涯を送り、百科事典を愛読してよく六十四歳の生涯を閉じた母の力が……。(『治療文化論』「あとがき」1990)

ーー中井久夫の幼児期記憶のひとつ、「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」(ロラン・バルトの想起記述と中井久夫の幼児型記憶)

◆Schumann - Davidsbündlertänze, Op. 6 - 「Wie Aus Der Ferne 遠くからやってくるように」(Walter Gieseking)




立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『『砂の上の植物群』)